伊勢丹
伊勢丹新宿店(東京都選定歴史的建造物) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 伊勢丹 |
本社所在地 |
日本 〒160-8011 東京都新宿区新宿三丁目14番1号MAP |
設立 |
1930年(昭和5年)9月30日 (創業:1886年(明治19年)) |
業種 | 小売業 |
事業内容 |
国内外の百貨店業 クレジット・金融業 小売・専門店業 その他 |
代表者 |
橋本幹雄(代表取締役会長) 大西洋(代表取締役社長) |
資本金 | 367億63百万円(2008年3月31日現在) |
売上高 |
連結:7,858億39百万円 国内百貨店連結:6,528億41百万円 単独:4,620億59百万円 (2008年3月期) |
総資産 |
連結:4,665億42百万円 単独:3,283億53百万円 (2008年3月31日現在) |
従業員数 |
連結:9,394人 単独:3,481人 (2008年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 三越伊勢丹ホールディングス 100% |
主要子会社 |
静岡伊勢丹 100% 新潟伊勢丹 100% |
関係する人物 | 武藤信一(元代表取締役社長→三越伊勢丹ホールディングス会長。2010年1月逝去) |
外部リンク | https://isetan.mistore.jp/store/ |
特記事項:2011年3月31日時点の情報。翌4月1日に三越と合併し、株式会社三越伊勢丹となり解散。 |
伊勢丹(いせたん、英: Isetan)は、三越伊勢丹ホールディングス傘下の三越伊勢丹が運営する、呉服店を起源とする日本の老舗百貨店である。
また、株式会社伊勢丹(英: Isetan Co., Ltd.)は、2011年3月31日までこれを運営していた会社である(法人としては解散)。
概要
[編集]1886年創業。関東地方などの日本国内、および中国・東南アジアの一部の都市に百貨店を展開する。東京の新宿に本店を構え、日本全国に関連会社を含め12店舗を展開する(直営店は新宿店・立川店・浦和店の3店舗のみ)。本店である新宿伊勢丹はファッション・ビューティー分野で若年層からも高い人気を誇り、百貨店の店舗別売上高において日本一である(小売業全体でも日本一位)。百貨店不況でありながら、2022年度の新宿伊勢丹の売上は3276億円(三越・伊勢丹の外商営業を含む)とバブル期を上回り、過去最高を記録した[1]。
ロゴマークは、創業時から丸に「伊」の筆文字が入ったマーク(初代小菅丹治の筆と伝えられている)を使用してきたが、1975年、1986年と二度マークを変更している。なお、創業時からのマークは現在も正式な社章として使用が継続[2]されている。現行ロゴの黄色の丸は「時代を捉える目」、各文字の突起は「時代の風」を表現[注釈 1]している。
元社長の小柴和正のもとで「ファッションの伊勢丹」「ファッションミュージアム」を標榜してきた[3]。
合併前の運営会社である株式会社伊勢丹のグループ会社は、百貨店事業(直営6店舗、国内関連会社5社・7店舗、海外15社・13店舗)を中核に、クレジット・金融業、小売・専門店業、その他事業の4セグメントに分れ、37社で構成されていた。
2008年(平成20年)4月1日に三越を救済する形で、三越伊勢丹ホールディングスを設立して経営統合した。その後、2011年(平成23年)4月1日に三越と合併して「株式会社三越伊勢丹」が発足した。これに伴い法人としての伊勢丹は解散している。
沿革
[編集]- 1886年(明治19年)11月5日 - 初代・小菅丹治が中山道沿いの東京府神田区旅籠町二丁目4番地(現:東京都千代田区外神田一丁目5番)に、伊勢屋丹治呉服店を創業。称号の由来は、小菅丹治が婿入りした神田佐久間町の米穀商伊勢屋による[5]。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災が起こる。神田店焼失。
- 1924年(大正13年)4月 - 神田店再建。従来の座売制から陳列販売方式へ。以後、百貨店形式に変更。
- 1930年(昭和5年)9月30日 - 株式会社伊勢丹を設立。新しい出店地を新宿へ決定。
- 1931年(昭和6年) - 2代目小菅丹治が、東京市電気局所有の1000坪以上の土地(後に買収するほてい屋の隣地)を落札[5]。
- 1933年(昭和8年)
- 1935年(昭和10年)6月18日 - 新宿本店に隣接する百貨店ほてい屋(1926年(大正15年)1月開店)を買収。翌年には旧ほてい屋部分(本館の新宿三丁目交差点に面した部分)と建物を一体化。
- 1945年(昭和20年) - 新宿店、3階以上を進駐軍に接収(賃貸説あり)される。
- 1947年(昭和22年) - 立川支店開店
- 1953年(昭和28年) - 全館接収解除。
- 1966年(昭和41年)12月2日 - 新宿伊勢丹会館開店。
- 1968年(昭和43年)9月25日 - 新宿店北側に隣接する旧新宿丸物(1965年(昭和40年)閉店)の跡地に、「男の新館」開店。
- 1971年(昭和46年) - 吉祥寺店開店・(株)田中屋(現:静岡伊勢丹)と業務提携。
- 1973年(昭和48年) - 全日本デパートメントストアーズ開発機構(A・D・O)設立。
- 1974年(昭和49年) - 松戸店開店。
- 1975年(昭和50年) - シンボルマークを、オレンジ色を基調とした花をかたどったものに、英文ロゴを小文字で「isetan」に表記変更。
- 1981年(昭和56年)4月22日 - 浦和店開店。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年) - 開業100周年を記念し、ロゴマークを英文の「ISETAN」(現在使用している)に変更。当時のキャッチフレーズは「空想実現百貨店」。
- 1987年(昭和62年) - 自社クレジットカード「伊勢丹アイカード」導入。
- 1989年(平成元年)3月 - 米国のデパートバーニーズ・ニューヨークと多面事業提携、伊勢丹の全額出資で株式会社バーニーズジャパン設立。
- 1990年(平成2年)
- - 「株式会社ジェイアール西日本伊勢丹」設立(JR西日本との合弁会社)。
- 9月25日 - 相模原店開店。
- 1993年(平成5年)
- 1995年(平成7年)5月 - 所沢物流センター業務開始
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)9月 - ジェイアール京都伊勢丹開業。
- 2000年(平成12年)12月 - ロンドン伊勢丹閉店。同年12月末、3番目の店舗での営業を終了し、新店舗に移転に向けた引っ越しの準備に入った。
- 2001年 (平成13年) 1月 - 4番目の移転先 立川支店新店舗での営業を開始。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)2月 - 小倉伊勢丹が開業。
- 2005年(平成17年) - 岩田屋を連結子会社化、丸井今井を支援・業務提携。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2月3日 - 中国の瀋陽伊勢丹が開業。
- 3月 - 台湾の高雄大立伊勢丹閉店(大立百貨として営業)。
- 3月25日 - 小倉伊勢丹閉店。
- 3月26日 - 株式上場廃止。
- 4月1日 - 株式会社三越との間で、共同持株会社「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立し、同社の傘下で経営統合。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 4月1日 - 三越と合併し、株式会社三越伊勢丹となる。存続会社は三越で、伊勢丹は解散。
歴代社長
[編集]- 初代 小菅丹治:1930年 - 1960年
- 2代 小菅丹治:1960年 - 1984年
- 小菅国安:1984年 - 1993年
- 小柴和正:1993年 - 2001年
- 武藤信一:2001年 - 2009年
- 大西洋:2009年 - 2011年
直営店舗
[編集]伊勢丹では各店の名称を本支店と称している。関東地区3店舗のみ直営店。
2011年より新たな戦略として展開を開始した小型店(サテライト店舗)については三越伊勢丹を参照。
新宿店
[編集]伊勢丹新宿店[7] Isetan Shinjuku[8] | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒160-0022 東京都新宿区新宿3-14-1 |
座標 | 北緯35度41分31.776秒 東経139度42分16.056秒 / 北緯35.69216000度 東経139.70446000度 |
開業日 | 1933年9月28日 |
正式名称 | 三越伊勢丹 伊勢丹新宿本店 |
施設所有者 | 三越伊勢丹 |
営業時間 | 10:30 - 20:00(レストラン街除く) |
最寄駅 |
新宿三丁目駅 新宿駅 |
外部リンク | 伊勢丹新宿店 |
1933年9月28日開店。伊勢丹の旗艦店である。伊勢丹の本店にあたり、三越伊勢丹の本社および登記上の本店所在地でもある。新宿伊勢丹のほか、外部記事や社内でも「伊勢丹新宿本店」または「新宿本店」とも通称される[9][10]。しかし、三越の日本橋本店と異なり、WEBサイトや広告などでは「伊勢丹新宿店」[7][11]としており、「本店」を付けていない。
2021年時点での年間売上高は2,536億円で、日本の百貨店の店舗別売上高全国1位である[12]。2022年度の売上高は3,256億円とバブル期の1991年を超えて過去最高を記録した[9]。
新宿通りと明治通りが交わる新宿三丁目交差点の北西に位置し、東京メトロ丸ノ内線・副都心線・都営地下鉄新宿線の新宿三丁目駅に直結している本館とメンズ館、および伊勢丹会館、パークシティ1-5などの周辺施設から構成されている[13]。駅直結の小田急百貨店や京王百貨店などのターミナルデパートとは異なり、新宿駅からはやや距離があるが、新宿駅東口と西口を結ぶ地下道「メトロプロムナード」経由で新宿三丁目駅と結ばれており、雨天時にも地下道経由で歩いて行くことができる。
本館(施工は清水組)の外装はアール・デコ様式で、東京都の歴史的建造物に選定されており、東京都の選定歴史的建造物の登録標章が本館1階、新宿三丁目交差点付近の外壁に設置されている。
本館とメンズ館の2館を合わせた売場面積は64,296m2である。本館のうち新宿三丁目交差点に面した部分は、隣接していた「ほてい屋」(1926年開業)の建物を1935年に買収したもので、その翌年、各階を接続して本館と一体化された。この際、伊勢丹建築時にほてい屋の吸収を見込んで床の高さを同じ仕様で建築したと言われる。1990年代までは段差が一部あったが、2000年代の改装時に修正されたため現在はその形跡はない。
1965年に閉店した新宿丸物を買収し、1968年、その跡地に「男の新館」(後のメンズ館)を開業した。
メンズ館(ISETAN MEN'S)は、従来の「男の新館」に大改装を施し2003年9月にリニューアルオープンしたものである。メンズ館の成功により「紳士服は売れない」という百貨店業界のジンクスを破った[14]。百貨店業界において購買層としては二の次とされていた男性客、とりわけ若年男性層を百貨店の新たなターゲットとして獲得することに成功し、これに触発された阪急百貨店(うめだ本店別館HEP NAVIO)や名鉄百貨店本店でもメンズ館をオープンし追随するなど、日本の百貨店業界に影響を与えた。札幌の丸井今井のメンズコーナーは同じフォントで「marui men's」のアドサインと包装を使っている。
パークシティイセタン1・2・4・5(計4館)と伊勢丹会館、パークウェストなど、別館を数多く持つ。伊勢丹会館はメンズ館西側の靖国通り沿い、パークウェストは新宿マルイメンの東側に位置する。隣接するタクシー乗り場は国際自動車およびkmグループ専用。またケイエム観光バスが新宿店とパークシティ駐車場を結ぶ無料送迎バス「伊勢丹シャトルコーチ」を運行している。
2006年時点での年間来店客数は約3千万人に及び、国内6位から8位であった[15]。 2008年6月14日には東京メトロ副都心線が開業し、最寄り駅の新宿三丁目駅が東武東上線・西武池袋線と直通(2013年3月16日には東急東横線とも直通)した。
2008年9月3日には、10代女性を取り込んだ「Isetan Girl」を地下2階にオープン。その後、2013年3月6日のリモデルにより2階へ移転した。
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伊勢丹新宿店メンズ館
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伊勢丹会館。1967年創業の老舗スペイン料理店「エル・フラメンコ」をはじめ、レストランなどのテナントが入居。
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新宿・伊勢丹パークシティ1。エステサロンや駐車場が入っている。
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伊勢丹シャトルコーチの車両
(2019年からの2代目専用車)
立川店
[編集]- 東京都立川市曙町2-5-1 再開発ビル(JR立川駅、多摩都市モノレール線立川北駅前)
- 1947年10月10日、立川駅南口に伊勢丹初の支店として開店、当初は文具等を販売する小規模な店舗であった。
- 1952年2月1日に拡張移転。1956年4月25日に3番目の移転先、曙町2丁目78-1に移転。売場面積3,560m2。
- 2001年1月、4番目の現在地に移転し、売場面積40,060m2の地域一番店となった。
浦和店
[編集]- 埼玉県さいたま市浦和区高砂1-15-1(JR浦和駅西口)
- 1981年4月22日開店。浦和駅西口に浦和コルソと一体で建設され、全2棟のうち1棟全てと、もう1棟のうち2フロアを当店が使用する。売場面積30,138m2。
- 浦和レッズの本拠地として、2006年(平成18年)Jリーグ優勝の際に優勝セールを行った。また応援感謝祭なども定期的に行っている。
- 周囲に高級住宅街がある文教地域で、伊勢丹ブランドの店では本店やジェイアール京都伊勢丹に次ぐ売上高(2022年度:374億円)となっている。市内最大の繁華街の大宮エリアにある、高島屋(2022年度:テナントを除いて75億円)やそごう、(2022年度:282億円)、大宮マルイ(2022年度:64億円)といった百貨店を抑えて、さいたま市・埼玉県で最も売上高が大きい[16]。
グループ企業店舗
[編集]国内百貨店
[編集]- 株式会社静岡伊勢丹
- 株式会社ジェイアール西日本伊勢丹
- ジェイアール京都伊勢丹 - JR京都駅ビル。1997年9月11日開店。
- LUCUA 1100内 isetan各ショップ - JR大阪駅・大阪ステーションシティ (ノースゲートビルディング)。JR大阪三越伊勢丹(2011年5月4日 - 2015年4月1日)を店舗ブランド変更、売場規模を大幅縮小再編した上で2015年4月2日開店。→詳細は「ジェイアール西日本伊勢丹」を参照
海外店舗
[編集]- 天津伊勢丹 (中国、天津伊势丹有限公司)
- 浜海店 - 天津経済技術開発区。開店2013年1月18日。地下1-地上4階。22,000m2。2024年4月に閉店予定[17]。
- クアラルンプール伊勢丹 (マレーシア現地法人:Isetan of Japan Sdn. Bhd.)
- ISETAN The Japan Store(旧 ロット10店) - KLモノレール「ブキッ・ビンタン」下車
- KLCC店
- ザ・ガーデンズ店 - クラナ・ジャヤ線「アブドゥラ・フクム」下車
過去に存在した店舗
[編集]国内百貨店
[編集]- 吉祥寺店
- 八王子店
- 東京都八王子市横山町、甲州街道沿い。地下1階-地上7階、延床面積6,645m2.。
- 売場面積 4,814㎡[19]
- 1969年(昭和44年)9月13日開店。
- 1979年(昭和54年)2月13日閉店[20]。店舗の建物はのちに解体された。[要出典]
- 1986年(昭和61年)4月25日に外商拠点「伊勢丹八王子ギフトショップ」売場面積300m2を八王子市東町に開設。[要出典]
- 1999年(平成11年)「伊勢丹八王子ギフトショップ」を閉店。跡地はすかいらーく系の外食店舗となった。[要出典]
- 2013年1月26日、セレオ八王子北館2階に「イセタンミラー」(ラグジュアリー・コスメ・ショップ)3号店を出店。売場面積約310m2の小型サテライト店舗ではあるが、1979年の伊勢丹八王子店閉店以来、34年ぶりに八王子への事実上の再進出となった。[要出典]
- 松戸店
- 千葉県松戸市松戸1307-1 松戸ビルヂング(JR・新京成線松戸駅西口徒歩5分)
- 1974年(昭和49年)4月19日開店。本館は12階建て(12階は屋上)・新館は9階建てで売場面積は33,109m2。新館は旧長崎屋松戸店の建物を取り壊した跡地に建設され、1995年(平成7年)オープンした。松戸駅西口からやや離れた場所にある。松戸駅から伊勢丹まで続く道路は2002年(平成14年)に「伊勢丹通り」と名づけられ、通りにある店舗で「伊勢丹通り商店会」を構成していた。
- 2016年9月、今後2 - 3年のうちに営業赤字が改善しない場合の閉店を検討していることが明らかになり[21]、松戸市が支援策を検討したものの同市議会で否決され見送りとなった事情もあり、2018年3月21日閉店。44年間の歴史に幕を閉じた[22]。
- 跡地については新たに商業施設が入居する予定とされ[23]、松戸ビルヂングが2018年11月28日、地域密着型の新たな商業施設「キテミテマツド」を2019年4月に開業する予定を発表し[24]、2019年4月13日開業した。合わせて「伊勢丹通り」は「きてみてまつど通り」、商店会も「きてみてまつど通り商店会」へ改称した。[要出典]
- 相模原店
- 神奈川県相模原市南区相模大野4丁目4-3(小田急小田原線・江ノ島線 相模大野駅北口徒歩5分、米陸軍医療センター跡地)
- 1990年(平成2年)9月25日開店[25]。地下3階 - 地上7階建(本館)。売場面積40,906m2。相模大野駅北口側約200メートルに本館があった。また、TBS系テレビドラマ『デパート!夏物語』『デパート!秋物語』『夏!デパート物語』の舞台・撮影地にもなった[26]。
- 1993年4月には県道51号線を隔てた隣地にA館とB館が増設された[27]。A館では主にカフェやリビング用品、B館ではリラクゼーションサロンなどを取り扱っていたが、[28]2016年2月1日をもってA・B館共に閉館となった。[29]その後、A館跡地には三菱地所レジデンスのマンション「ザ・パークハウス相模大野」が、B館跡地には雑居ビルが建設された[30]。
- 2019年9月30日をもって本館も閉店[31][32][33][34]。これにより相模原市内から百貨店が消滅した[35]。跡地は野村不動産へ売却された[36]。本館閉店後、伊勢丹は近隣のボーノ相模大野店内にギフトショップを開店。また本館5階にあった喫茶店「若松」もボーノ相模大野へ移転した。
- 2020年3月26日から本館建物の解体に着手、翌年12月頃に建物解体が終了。ただし一部の鉄筋コンクリート躯体やペデストリアンデッキ、地下部分などは解体せず残した。野村不動産は2021年11月9日、同社が進める跡地利用「(仮称)相模大野4丁目計画」に際し、超高層マンションの建設に旧伊勢丹相模原店の躯体を一部再利用することを発表した[37]。跡地には41階建ての超高層マンション「プラウドタワー相模大野クロス」が建設される[38][39]。→詳細は「伊勢丹相模原店」を参照
- 株式会社小倉伊勢丹
- 岩田屋伊勢丹
海外店舗
[編集]- 上海華亭伊勢丹
- 中華人民共和国上海市淮海中路527号
- 中国本土1号店として1993年6月に開店。売場面積7,500m2。2008年12月16日閉店。
- 瀋陽伊勢丹 (中国 沈阳伊势丹百货有限公司)
- 済南伊勢丹 (中国 济南伊势丹百货有限公司)
- 天津伊勢丹 (中国、天津伊势丹有限公司)
- 成都伊勢丹(中国、成都伊势丹百货有限公司)
- 上海梅龍鎮伊勢丹 (中国、上海梅龙镇伊势丹百货有限公司)
- 香港伊勢丹
- 大立伊勢丹百貨公司(台湾)
- クアラルンプール伊勢丹(マレーシア)
- 1ウタマ店
- ロンドン伊勢丹(イギリス)
- 1989年8月開店。2000年12月閉店。日本人観光客向けギフトショップ。500m2。
- ウイーン伊勢丹(オーストリア)
- Maysedergasse4 1010 Wien Austria
- 1990年4月開店。2003年8月閉店。日本人観光客向けギフトショップ。300m2。
- 1993年以降黒字だったが、2001年アメリカ同時多発テロ事件以降、観光客が減ったため撤退[48]。
- バルセロナ伊勢丹(スペイン)
- バルセロナオリンピックに訪れる日本人観光客向けギフトショップとして開店。440m2。1993年8月閉店。
出店中止
[編集]- 横浜店
- バブル景気のさなか、そごう横浜店(横浜そごう)の隣接する駐車場に出店する計画があった。その後、伊勢丹に代わり三菱倉庫が横浜ベイクォーターとして開発し、2006年(平成18年)8月24日に開店した。
- 2000年(平成12年)7月のそごう破綻の際に前述の店舗を取得して出店する計画があったが、そごうが西武百貨店包括業務提携したことにより計画は消滅した。
- その後、相鉄ジョイナス(ライバル企業の髙島屋も出店)に関連会社のクイーンズ伊勢丹が出店。
- 千葉店
- 古くは地場百貨店の田畑百貨店との業務提携があったが、同社が火災にあって以降、西武百貨店と提携して、後に千葉パルコへ業態転換したので提携は解消された。他にも千葉中央ツインビルや千葉駅西口再開発ビルの核テナントとしての出店計画などで千葉進出を何度も目論んでいたが[49]、後者に関しては千葉駅西口再開発計画が頓挫したことにより、いったん白紙化。
- その後、前述の横浜同様にそごう破綻の際にそごう千葉店(千葉そごう)を取得して出店する計画があったが、横浜店と同様の理由で出店計画が消滅した。
- お台場店(東京都港区)
- 住友商事が中心となって建設する商業施設の核テナントとして出店計画が進められていたが、バブル崩壊による業績低迷により1993年(平成5年)に正式に断念。メインバンクより、当時お台場店と併行して計画を進めていたジェイアール京都伊勢丹とどちらか一方に絞るように圧力があったことも理由の一つと言われている。予定地には、1996年(平成8年)7月12日にデックス東京ビーチが開店した[50]。
- 北千住店(東京都足立区)
- 北千住駅前の再開発にあたって、三越やそごう、北千住発祥の東武鉄道傘下の東武百貨店やイトーヨーカドー系列のロビンソン百貨店などが出店を争ったが、伊勢丹も出店を検討していた[51]。結果、区の判断で「千住ミルディス」には丸井が2004年(平成16年)2月27日に開業した。
- このほか、首都圏での知名度や存在感が課題だった大丸も出店を検討した。しかし、札幌店開設を優先し、入札に参加しなかった。
三越との提携
[編集]2008年(平成20年)4月1日に、三越とともに、株式移転により純粋持株会社「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立し、両社はこの持株会社の傘下となって経営統合した[52]。
株式交換比率は伊勢丹株1株に対し三越株0.34株である。三越と伊勢丹の経営統合は、三越の長期低迷に危機感を持っていた三井住友銀行が三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)を通じて伊勢丹側に持ちかけたとされる。[要出典]統合にあたっては、伊勢丹が統合持株会社の交換比率で優位であり、統合会社の初代執行役員は伊勢丹になることが内定した。
伊勢丹側が主導権を握ることが確実になったことにより、伊勢丹が代表総合幹事店の全日本デパートメントストアーズ開発機構 (ADO) 加盟店との競合などを含め、混乱が予想されていた。これに関し、地方では以前からADOと三越系との重複加盟もあったため、三越が伊勢丹と合同の三越伊勢丹や新潟三越伊勢丹、丸井今井や岩田屋と合同の札幌丸井今井三越と岩田屋三越についてはそれぞれADOに加盟した。その後、ADOは2020年3月をもって解散したため、加盟していた各社との関係よりも三越との関係を優先する形となっている。
伊勢丹は旧三菱銀行時代以来、メインバンクである三菱UFJ銀行出身者を役員に複数登用するなど同行との関係が歴史的に深く、旧・三井財閥系の三井グループである三越との経営統合とどう影響し合うか注目されたが、結局は三井グループの二木会に加盟した。
伊勢丹が日本で初導入したブランド
[編集]「ファッションの伊勢丹」の名前通り、伊勢丹は世界各国のブランドを日本に初めて紹介し、独占販売したブランドが存在する。ここで紹介するブランドは、現在も販売されているものも存在する。
- 婦人服
- ピエール・カルダン(フランス)[19] - 後に独占契約は髙島屋が取得した。
- ジバンシィ(フランス)[19] - シーズン契約。後に大丸が独占契約。
- アンドレ・クレージュ(フランス)[19] - シーズン契約。
- ピエール・バルマン(フランス)[19] - 1963年から1979年12月まで独占契約。同年秋より新宿店でオートクチュールサロンを展開していた。
- ミス・バルマン(フランス)[19] - 1974年1月から1985年まで。ピエール・バルマンのプレタポルテライン。
関連会社
[編集]かつての関連会社
[編集]- 株式会社バーニーズジャパン
- 日本におけるバーニーズ・ニューヨークの運営会社。2006年(平成18年)8月に、保有する株式のすべてを住友商事と東京海上キャピタル系ファンドに譲渡。
- 株式会社伊勢丹ダイニング
- 1989年3月設立(伊勢丹100%出資)。
- 2007年1月1日、ロイヤルホールディングスの資本参加に伴い「アールアンドアイダイニング」に社名変更。
- 2010年1月1日、同じくロイヤルHDが出資する旧三越系の「セントレスタ」と合併。
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル ガイアの夜明け デパート攻防 三越VS伊勢丹 〜個性化戦略で百貨店の復権なるか〜(2004年10月19日、テレビ東京)[53]。
提供番組
[編集]テレビ
[編集]- ローン・レンジャー(KRテレビ) - 一社提供だったが、フジテレビに移行後、カバヤ食品に交代。
- ラ・セーヌの星 - (フジテレビ) - 本放送当時、一社提供だった。また初回放送時に、伊勢丹とコラボしてラ・セーヌが登場する広告[54]が掲載されていた。
- ファッション通信 (テレビ東京) - 一時期提供していた。
ラジオ
[編集]- ISETAN ヒット・オン・サンデー(TBSラジオ) - 一社提供番組。
- ISETAN 'AZ' THEATER(J-WAVE) - 一社提供の映画音楽番組。開局時から放送。途中でスポンサー降板。
伊勢丹を扱った作品
[編集]- 伊勢丹のCMソングを集めたCD『ISETAN Songs Collection 1972-1986』(ソニー・ミュージック・ダイレクト、MHCL-1872)が発売された。1983年に新宿店開店50周年で配布された非売品からの再編集。
- 伊勢丹でつかまえて - パパイヤパラノイアの楽曲。アルバム『LUNATIC』(アポロン、1987年)に収録。
- デパート!夏物語(1991年)・デパート!秋物語(1992年)・夏!デパート物語(1995年) - TBS系テレビドラマ。旧相模原店が舞台となる。
- Isetan-Tan - 矢野顕子の楽曲。1999年発売のアルバム『Go Girl』所収。
- ISETAN-TAN-TAN - 矢野顕子の楽曲。2014年発売のアルバム『飛ばしていくよ』所収。2013年秋、新宿移転80周年記念として坂本美雨のナレーション付きで店内でも放送された。「Isetan-tan」とは別の曲。
- 大家さんと僕 - 矢部太郎の漫画。漫画原作にも伊勢丹新宿店が登場するほか、NHK総合で放送されたテレビアニメの第9話「新宿ランデブー」(2020年6月11日放送)で伊勢丹が登場する。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ https://www.facebook.com/asahicom+(2023年5月9日).+“伊勢丹新宿本店、過去最高の売上高 ブランド品など高額消費が牽引:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2023年5月27日閲覧。
- ^ 各店舗に設置されている銘板や、新宿店本館屋上の看板、株券、社債で用いられている。
- ^ “伊勢丹元社長の小柴和正氏が死去 「ファッションの伊勢丹」を打ち出す”. WWD JAPAN.com (2019年6月25日). 2020年2月19日閲覧。
- ^ 伊勢丹の紙袋、半世紀ぶり一新 チェック柄大きく明るく 朝日新聞デジタル、2013年9月20日
- ^ a b c 橋口敏男『新宿の迷宮を歩く』平凡社〈平凡社新書〉、2019年。ISBN 9784582859126。
- ^ “伊勢丹、小倉撤退へ 井筒屋 完全子会社化し入店”. 西日本新聞 (2007年12月25日). 2008年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月25日閲覧。
- ^ a b 伊勢丹新宿店
- ^ Isetan Shinjuku Official website(三越伊勢丹)
- ^ a b https://www.facebook.com/asahicom+(2023年5月9日).+“伊勢丹新宿本店、過去最高の売上高 ブランド品など高額消費が牽引:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2023年5月28日閲覧。
- ^ “伊勢丹新宿本店-クイーンズ伊勢丹”. 2023年8月27日閲覧。
- ^ 全国のグルメが大集合!伊勢丹新宿店で11月10日(水)~「フードコレクションオールスターズ」開催 三越伊勢丹プレスリリース、2021年11月8日、PR TIMES
- ^ 『日経MJ』第6884号2022年8月24日、1面。
- ^ フロアガイド 伊勢丹新宿店
- ^ “三越伊勢丹とは|事業と仕事|株式会社三越伊勢丹 新卒採用情報”. www.imhds.co.jp. 2020年2月19日閲覧。
- ^ 伊勢丹 企業活動レポート2006「伊勢丹本店は、新宿駅から最も離れた場所に立地しているにもかかわらず、年間約3千万人ものお客さまにご来店いただいております。」[リンク切れ]
- ^ 『日経MJ』第6884号2023年8月23日、2面。
- ^ a b c 山下福太郎 (2024年4月14日). “中国・天津の「伊勢丹」が閉店、中国企業が引き継ぐ…30年余り親しまれ「青春の思い出の場所」”. 読売新聞. 2024年4月16日閲覧。
- ^ (三越伊勢丹 ブランド力の神髄 2015, pp. 108)
- ^ a b c d e f 『伊勢丹百年史』. 株式会社伊勢丹. (1990年3月4日)
- ^ “八王子店閉店 伊勢丹”. オール大衆 1979年3月15日号 (経済通信社) (1993年4月).pp69
- ^ “判明!これが三越伊勢丹の「閉店リスト」だ 三越千葉に伊勢丹松戸・相模原・府中店も視野”. 東洋経済新報社 (2016年9月7日). 2016年9月14日閲覧。
- ^ 千葉の伊勢丹松戸店、21日閉店 街づくり方向性見えず」 日本経済新聞電子版、2018年3月21日、2020年2月18日閲覧。
- ^ 再出発へ入店交渉 来年4月の開業目指す 伊勢丹跡地 松戸 千葉日報、2018年4月27日、2020年2月16日閲覧。
- ^ 「松戸・伊勢丹跡に新商業施設」 日本経済新聞、2018年11月29日(朝刊首都圏経済面)、2018年11月30日閲覧。
- ^ “相模大野駅周辺のまちづくり”. 相模原市. 2022年11月13日閲覧。
- ^ “伊勢丹相模原店が閉店 あのドラマの舞台が...”. Jタウンネット. 2023年4月23日閲覧。
- ^ 伊勢丹相模原店公式ブログサイト at the Wayback Machine (archived 2016-08-27)
- ^ 『るるぶ情報版 相模原市』(2010)
- ^ “大規模小売店舗立地法に基づく廃止の届出”. 相模原市. 2022年11月13日閲覧。
- ^ “伊勢丹相模原店A館跡地に「高層マンション」19年完成へ。旧B館は雑居ビルに転用”. 東京都町田市の地域情報サイト 変わりゆく町田の街並み (2016年7月1日). 2021年8月19日閲覧。
- ^ a b 「三越伊勢丹、傘下の3店舗を閉鎖 新潟三越も」日本経済新聞、2018年9月26日、2020年2月16日閲覧。
- ^ 跡地の有効利用課題に 伊勢丹相模原店30日閉店 日本経済新聞、2019年9月26日、2022年10月30日閲覧。
- ^ 伊勢丹相模原店 29年の歴史 9月30日に幕 「閉店後」にも関心高まる タウンニュース さがみはら南区版、2019年9月26日号、2022年10月30日閲覧。
- ^ 29年の歴史に幕、惜しむ客 伊勢丹相模原店が閉店 カナロコ、神奈川新聞社、2019年9月30日、2022年10月30日閲覧。
- ^ 【営業最終日】相模大野駅の「伊勢丹 相模原店」9/30(月)閉店。29年の歴史に幕 東京都町田市の地域情報サイト 変わりゆく町田の街並み、2019年9月30日、2022年10月30日閲覧。
- ^ 相模原市の伊勢丹跡地、野村不動産に売却 日本経済新聞、2020年2月3日、2020年2月16日閲覧。
- ^ 「旧百貨店を1万5000m2も再利用してCO2削減、野村不の超高層マンション」 日経クロステック、日経BP、2021年12月6日、2022年10月30日閲覧。
- ^ 伊勢丹跡地「超高層マンション」41階建てで建設へ 外壁デザインで「圧迫感」低減 相模原町田経済新聞、2022年2月25日、2022年10月30日閲覧。
- ^ “プラウドタワー相模大野クロス”. 2023年6月25日閲覧。
- ^ 旧伊勢丹府中店跡地にノジマの商業施設開業 日本経済新聞、2021年5月20日、2021年5月30日閲覧。
- ^ 伊勢丹・報道関係資料2005.8.29[リンク切れ]
- ^ レコードチャイナ2007.8.15[リンク切れ]
- ^ 日本貿易振興機構2010.3[リンク切れ]
- ^ “三越伊勢丹、上海店を閉鎖 6月末で、中国の百貨店苦境で”. 共同通信 (2024年3月26日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ TBSテレビ (2024年7月1日). “伊勢丹、中国・上海店舗が6月30日閉店、大勢の客が惜別 ピーク時は中国で5店舗営業も、残るは天津の1店舗 中国経済成長の鈍化やインターネット通販の台頭など理由か”. TBS NEWS DIG. 2024年7月1日閲覧。
- ^ 日興リサーチセンター『香港―経済・産業・主贅企業の概要』1993年12月
- ^ 福岡国際大学『台湾における小売業の進展と課題』
- ^ 伊勢丹・報道関係資料2003.3.14[リンク切れ]
- ^ (三越伊勢丹 ブランド力の神髄 2015, pp. 110)
- ^ 武藤吉夫『お台場物語』日本評論社、2003年。ISBN 9784535583627[要ページ番号]
- ^ (三越伊勢丹 ブランド力の神髄 2015, pp. 110)
- ^ 『株式会社伊勢丹と株式会社三越との共同持株会社設立による経営統合に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)株式会社伊勢丹、株式会社三越、2007年8月23日。オリジナルの2007年9月27日時点におけるアーカイブ 。2015年4月19日閲覧。
- ^ デパート攻防 三越VS伊勢丹 〜個性化戦略で百貨店の復権なるか〜 - テレビ東京 2004年10月19日
- ^ 1975年5月2日付(掲載新聞不明)の伊勢丹の広告。左端に「きょう夜7時より 伊勢丹提供TV番組・ラ・セーヌの星 毎週金曜日 8 フジテレビ」と書かれていた。
参考文献
[編集]- 創業100周年記念事業社史編纂実行委員会『新世紀への翔き 伊勢丹100年のあゆみ』伊勢丹、1986年。
- 大西 洋『三越伊勢丹 ブランド力の神髄』PHP研究所、2015年5月1日。
関連項目
[編集]- 伊勢丹ラグビー部 - 2001年(平成13年)に活動休止した同企業のラグビーチーム。
- 全日本デパートメントストアーズ開発機構 - 伊勢丹と松屋が幹事を務めていた共同仕入機構。
- 読売ジャイアンツ - セントラル・リーグならびに日本シリーズ優勝の際に一部店舗で優勝セールを行う。
- ペケ×ポン - 番組内のコーナー「有田屋デパート 地下一階」に伊勢丹が全面協力し、商品及び惣菜類の提供を行っていた。
- カブトヤマ - 1933年(昭和8年)の第2回東京優駿大競走(日本ダービー)優勝馬。馬主は当時の伊勢丹社長の前川道平。
- 多田健二 - お笑いコンビ・COWCOWのメンバー。伊勢丹の紙袋柄のスーツを着てネタをすることで知られており、後年三越伊勢丹HDから公認されている。