二豊山光良
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二豊山 光良(にほうざん みつよし、1922年3月23日 - 没年不明 )は、現在の大分県津久見市出身で立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元大相撲力士。本名は金丸 光良(かねまる みつよし)。175cm、95kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、上手投げ[1]。
経歴
[編集]1938年1月場所に初土俵。出世は早くなかったが、1952年5月場所の幕下優勝を機に1953年1月場所に十両昇進。12場所連続で在位し、十両下位で4勝11敗と大きく負け越した1955年9月場所に廃業した。
主な成績
[編集]- 通算成績:184勝186敗8休 勝率.497
- 十両成績:82勝98敗 勝率.456
- 現役在位:31場所
- 十両在位:12場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1952年5月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1938年 (昭和13年) |
(前相撲) | x | 西序ノ口24枚目 5–2 |
x | ||
1939年 (昭和14年) |
東序二段25枚目 2–5 |
x | 西序二段46枚目 5–3 |
x | ||
1940年 (昭和15年) |
西序二段3枚目 5–3 |
x | 西三段目35枚目 5–3 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
西三段目15枚目 2–6 |
x | 西三段目34枚目 6–2 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
西幕下41枚目 5–3 |
x | 東幕下18枚目 3–5 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
西幕下25枚目 休場 0–0–8 |
x | x | x | ||
1944年 (昭和19年) |
x | x | x | x | ||
1945年 (昭和20年) |
x | x | x | x | ||
1946年 (昭和21年) |
x | x | x | x | ||
1947年 (昭和22年) |
x | x | x | x | ||
1948年 (昭和23年) |
x | x | x | x | ||
1949年 (昭和24年) |
x | x | x | x | ||
1950年 (昭和25年) |
x | x | 西幕下 6–9 |
東幕下20枚目 9–6 |
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1951年 (昭和26年) |
西幕下10枚目 7–8 |
x | 西幕下12枚目 6–9 |
西幕下16枚目 5–10 |
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1952年 (昭和27年) |
東幕下23枚目 9–6 |
x | 東幕下17枚目 優勝 13–2 |
東幕下筆頭 9–6 |
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1953年 (昭和28年) |
東十両15枚目 6–9 |
西十両19枚目 10–5 |
西十両14枚目 9–6 |
東十両8枚目 6–9 |
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1954年 (昭和29年) |
西十両12枚目 4–11 |
西十両19枚目 9–6 |
西十両13枚目 6–9 |
西十両19枚目 9–6 |
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1955年 (昭和30年) |
東十両11枚目 8–7 |
東十両10枚目 6–9 |
東十両14枚目 5–10 |
東十両19枚目 引退 4–11–0 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 金丸 光良(かねまる みつよし)1938年1月場所
- 二豊山 光良(にほうざん みつよし)1938年5月場所 - 1955年9月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 二豊山 光良 - 相撲レファレンス