久留島通容
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化8年2月11日(1811年3月5日) |
死没 | 嘉永3年5月22日(1850年7月1日) |
改名 | 采女、通容 |
戒名 | 良峰院 |
官位 | 従五位下安房守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 豊後森藩主 |
氏族 | 久留島氏 |
父母 | 久留島通嘉 |
兄弟 |
通容、通胤、田沼意尊正室、山村良醇室、久留島通孝室、本郷泰清正室、 戸田光顕室、久留島通興室ら |
妻 | 田沼意留娘 |
子 | 通明、通寛、花房職賀正室、山村良貴室 |
久留島 通容(くるしま みちかた)は、江戸時代後期の大名。豊後国森藩9代藩主。官位は従五位下・安房守。
略歴
[編集]8代藩主・久留島通嘉の三男として誕生。幼名は采女。
弘化3年(1846年)11月11日、父の死去により跡を継いだ。弘化4年12月18日、従五位下安房守に叙任する。財政再建を主とした藩政改革を目指して老臣・島宮内を登用し、倹約令を施行した。その他にも養鶏、養蚕、植林(植林から紙の原料を植栽して製糸業を起こした)などの政策を重視した。
しかし襲封4年後の嘉永3年(1850年)5月22日に40歳で死去したため、藩政改革は頓挫した。法号は良峰院。長男・通明が跡を継いだ。