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中川泰一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 中川 泰一 
Taiichi NAKAGAWA
基本情報
名前 中川 泰一
生年月日 (1952-11-28) 1952年11月28日(71歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
経歴
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中川 泰一(なかがわ たいいち、1952年11月28日 - )は、東京都出身のプロゴルファー

来歴

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日本大学ゴルフ部では中島秀徳と同期で高橋勝成山口隆三の2年後輩、石井秀夫の1年先輩に当たり[1] [2]、竹田昭夫監督のスパルタ指導で頭角を現す[3]1974年の関東学生は倉本昌弘の2位に入り、3位には石井が入って日大勢が上位を独占した[4]

卒業後の1976年5月にプロ入りし[1]1978年関東プロでは青木功中嶋常幸横島由一金井清一草壁政治尾崎将司謝敏男中華民国)に次ぐと同時に山田健一竹安孝博と並んでの9位タイ[5]1979年ダンロップ国際オープンでは最終日に67をマークして8位タイ[6]に入った。

1983年武富士サイパンでは青木基正内田繁入江勉・金井・鈴木規夫に次ぎ、磯崎功尾崎直道湯原信光上原宏一・高橋勝・出口栄太郎中村稔杉田勇と並んでの6位タイ[7]に入った。

1984年茨城オープン[8]では岩下吉久を抑えるも[9]金子登喜雄に5打差の2位[10]に終わり、関東オープンでは初日に2アンダーで湯原・川田時志春と共に首位に立つ[11]

1985年の茨城オープン[8]では初日を安達典夫・岩下と共に69をマークして2位タイ[12]でスタートし、最終日には江本光東聡・高橋勝を抑えると同時に、共に67であった岩下をプレーオフで下して優勝[13]。関東プロでは安田春雄・高橋勝・入野太と並んでの8位タイ[14]に入った。

1986年にはKSB瀬戸内海オープンでは宮本康弘と並んで中村の2位タイ[15]に入り、1987年の伊香保国際オープンでは初日に67で高橋五月金谷多一郎と並んでの2位タイ[16]でスタートし、最終日は68で金谷の2位タイ[17]に入った。

1988年の関東プロ[18]を最後にレギュラーツアーから引退。

2010年にはプロシニア笠間東洋カップで初日を6アンダーとし、尾崎健夫加藤仁を抑えて首位に立った[19]

主な優勝

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  • 1985年 - 茨城オープン

脚注

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  1. ^ a b 出身プロ一覧 | 日本大学ゴルフ部
  2. ^ 日本大学ゴルフ部OB会 | プロ名簿
  3. ^ Untitled
  4. ^ 昭和49年度第22回関東学生ゴルフ選手権 関東学生ゴルフ連盟
  5. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】新千葉カントリー倶楽部。青木功は語る「中嶋は焦って負けた」1978年関東プロ
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p838 昭和54年4月23日朝刊12面「石井逃げ切り初優勝 二位は尾崎弟ら三人 アジア・ゴルフ・サーキット最終戦 最終日
  7. ^ 毎日新聞縮刷版p466 昭和58年3月14日朝刊18面「プレーオフで青木基が優勝 サイパン・ゴルフ
  8. ^ a b 筑波カントリークラブ 茨城県つくばみらい市
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p268 昭和59年7月7日朝刊16面
  10. ^ 2008年シニア選手紹介
  11. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】宍戸国際CC。「敵」はコースか、それとも人か? 1984年関東オープン
  12. ^ 毎日新聞縮刷版p364 昭和60年7月11日朝刊18面
  13. ^ 毎日新聞縮刷版p407 昭和60年7月12日朝刊17面
  14. ^ フルリーダーボード 関東プロ選手権 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p1266 昭和61年3月31日朝刊18面
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p796 昭和62年7月19日朝刊24面
  17. ^ 朝日新聞縮刷版p834 昭和62年7月20日朝刊22面
  18. ^ 中川 泰一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  19. ^ 社団法人 日本プロゴルフ協会

外部リンク

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