中川泰一
Taiichi NAKAGAWA | |
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基本情報 | |
名前 | 中川 泰一 |
生年月日 | 1952年11月28日(71歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
経歴 |
中川 泰一(なかがわ たいいち、1952年11月28日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]日本大学ゴルフ部では中島秀徳と同期で高橋勝成・山口隆三の2年後輩、石井秀夫の1年先輩に当たり[1] [2]、竹田昭夫監督のスパルタ指導で頭角を現す[3]。1974年の関東学生は倉本昌弘の2位に入り、3位には石井が入って日大勢が上位を独占した[4]。
卒業後の1976年5月にプロ入りし[1]、1978年の関東プロでは青木功・中嶋常幸・横島由一・金井清一・草壁政治・尾崎将司・謝敏男(中華民国)に次ぐと同時に山田健一・竹安孝博と並んでの9位タイ[5]、1979年のダンロップ国際オープンでは最終日に67をマークして8位タイ[6]に入った。
1983年の武富士サイパンでは青木基正・内田繁・入江勉・金井・鈴木規夫に次ぎ、磯崎功・尾崎直道・湯原信光・上原宏一・高橋勝・出口栄太郎・中村稔・杉田勇と並んでの6位タイ[7]に入った。
1984年の茨城オープン[8]では岩下吉久を抑えるも[9]金子登喜雄に5打差の2位[10]に終わり、関東オープンでは初日に2アンダーで湯原・川田時志春と共に首位に立つ[11]。
1985年の茨城オープン[8]では初日を安達典夫・岩下と共に69をマークして2位タイ[12]でスタートし、最終日には江本光・東聡・高橋勝を抑えると同時に、共に67であった岩下をプレーオフで下して優勝[13]。関東プロでは安田春雄・高橋勝・入野太と並んでの8位タイ[14]に入った。
1986年にはKSB瀬戸内海オープンでは宮本康弘と並んで中村の2位タイ[15]に入り、1987年の伊香保国際オープンでは初日に67で高橋五月・金谷多一郎と並んでの2位タイ[16]でスタートし、最終日は68で金谷の2位タイ[17]に入った。
1988年の関東プロ[18]を最後にレギュラーツアーから引退。
2010年にはプロシニア笠間東洋カップで初日を6アンダーとし、尾崎健夫・加藤仁を抑えて首位に立った[19]。
主な優勝
[編集]- 1985年 - 茨城オープン
脚注
[編集]- ^ a b 出身プロ一覧 | 日本大学ゴルフ部
- ^ 日本大学ゴルフ部OB会 | プロ名簿
- ^ Untitled
- ^ 昭和49年度第22回関東学生ゴルフ選手権 関東学生ゴルフ連盟
- ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】新千葉カントリー倶楽部。青木功は語る「中嶋は焦って負けた」1978年関東プロ
- ^ 朝日新聞縮刷版p838 昭和54年4月23日朝刊12面「石井逃げ切り初優勝 二位は尾崎弟ら三人 アジア・ゴルフ・サーキット最終戦 最終日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p466 昭和58年3月14日朝刊18面「プレーオフで青木基が優勝 サイパン・ゴルフ」
- ^ a b 筑波カントリークラブ 茨城県つくばみらい市
- ^ 朝日新聞縮刷版p268 昭和59年7月7日朝刊16面
- ^ 2008年シニア選手紹介
- ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】宍戸国際CC。「敵」はコースか、それとも人か? 1984年関東オープン
- ^ 毎日新聞縮刷版p364 昭和60年7月11日朝刊18面
- ^ 毎日新聞縮刷版p407 昭和60年7月12日朝刊17面
- ^ フルリーダーボード 関東プロ選手権 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 朝日新聞縮刷版p1266 昭和61年3月31日朝刊18面
- ^ 朝日新聞縮刷版p796 昭和62年7月19日朝刊24面
- ^ 朝日新聞縮刷版p834 昭和62年7月20日朝刊22面
- ^ 中川 泰一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 社団法人 日本プロゴルフ協会