杉田勇 (ゴルファー)
Isamu SUGITA | |
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基本情報 | |
名前 | 杉田 勇 |
生年月日 | 1958年9月21日(66歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県 |
経歴 |
杉田 勇(すぎた いさむ、1958年9月21日 - )は熊本県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]1979年にプロ入りし[1]、同年の九州オープンでは鈴木規夫・藤井久隆・上田鉄弘を抑えて秋富由利夫の2位[2]に入り、1985年の関東国際オープン[3]で初優勝。
1983年の武富士サイパンでは初日を金井清一・榎本七郎・青木基正・佐野修一と並んでの3位タイ[4]でスタートし、最終日には磯崎功・尾崎直道・湯原信光・上原宏一・高橋勝成・出口栄太郎・中川泰一・中村稔と並んでの6位タイ[5]に入った。
1985年の関西プロでは初日に好調なパットで1イーグル、7バーディー、1ボギーの64とコースレコードを マーク、単独首位に立った[6]。2日目にはアプローチミスが続いて73と崩れ、7アンダー137で5位に後退[7]。
1986年までの8シーズンは目立った成績が残せず低迷が続いたが[1]、1987年にはアジアサーキット・タイランドオープンで6位で迎えた最終日に68の好スコアをマークし、通算8アンダー276で5位に入った[8]。国内ではツアー最終戦の大京オープンで3日目に首位と4打差の9位に浮上すると最終日、強風で上位陣が崩れる中で5バーディ、3ボギーの69と健闘、プレーオフの末、海老原清治・牧野裕を退けてツアー初優勝を飾った[1]。賞金ランクも前週の74位から29位に大きく上げて、初のシード権を手中に収めた[1]。
1988年はダンロップオープンで10位タイ[9]に入り、日本プロマッチプレーで初日に敗れたものの青木功を18番までもつれさせた末に1打差まで追い詰めた[10]。ペプシ宇部では初日に6アンダー66で単独首位に立ち[11] [12]、2日目には安田春雄・鈴木弘一・倉本昌弘・金井と並んで3位タイの青木・中村輝夫から1打差の5位タイ[13]に着けた。
1988年は前年74位から一気に[14]掴んだシードを気力で死守[15]し、1989年にはダンロップオープンで2年連続10位タイ[9]、1992年の九州オープンでは川上典一・友利勝良に次ぐ4位[16] [17]に入った。
1998年にはミズノ・TKUオープンで2位タイ[18]に入り、久光製薬KBCオーガスタ[19]を最後にレギュラーツアーから引退。
2008年9月の日本プロシニアでシニアデビューしたが、予選突破はならず、その後も鬼ノ城シニア24位タイ、富士フイルム選手権25位タイという成績であった[20]。
主な優勝
[編集]- 1985年 - 関東国際オープン
- 1987年 - 大京オープン
脚注
[編集]- ^ a b c d 2008年シニアプロフィール
- ^ 1979年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
- ^ ABEMAツアー スケジュール 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 毎日新聞縮刷版p442 昭和58年3月13日朝刊18面「内田繁、首位に立つ サイパン・ゴルフ第1日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p466 昭和58年3月14日朝刊18面「プレーオフで青木基が優勝 サイパン・ゴルフ」
- ^ 毎日新聞縮刷版p157 昭和60年7月5日朝刊19面「杉田、快調にとばす」
- ^ 毎日新聞縮刷版p200 昭和60年7月6日朝刊18面「ベテラン鈴村、首位 関西プロゴルフ第2日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p697 昭和62年3月17日朝刊19面「アジア・サーキットゴルフ 杉田は5位」
- ^ a b 杉田 勇選手のプロフィール
- ^ 青木功 男子プロゴルファー 日本プロゴルフ・マッチプレー 第1日 (著作権・スポニチ)
- ^ 杉田勇 男子プロゴルファー ペプシ宇部ゴルフ 第1日(著作権・スポニチ)
- ^ 朝日新聞縮刷版p786 昭和63年5月20日朝刊22面「杉田がトップ尾崎将出遅れ ペプシ宇部初日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p894 昭和63年5月22日朝刊26面「陳と近藤、トップに ペプシ宇部」
- ^ 杉田勇 男子プロゴルファー 大京オープンゴルフ 最終日 優勝(著作権・スポニチ)
- ^ 杉田勇 男子プロゴルファー(著作権・スポニチ)
- ^ 1992年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
- ^ 川上典一 男子プロゴルファー “九州オープンゴルフ” 最終日 (著作権・スポニチ)
- ^ くまもと中央カントリークラブ
- ^ 杉田 勇選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
- ^ 2009年シニア選手紹介