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藤井久隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 藤井 久隆 
Hisataka FUJII
基本情報
名前 藤井 久隆
生年月日 (1950-02-26) 1950年2月26日(74歳)
身長 168 cm (5 ft 6 in)
体重 62 kg (137 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
経歴
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藤井 久隆(ふじい ひさたか、1950年2月26日 - )は、福岡県出身のプロゴルファー

父は藤井義将[1]

娘の藤井千夏は現役の女子プロゴルファー[2] [3]

来歴

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西南学院高等学校出身[4]

5歳からゴルフを始め、1975年にプロ入りする[4]

霞ヶ関カンツリー倶楽部に所属していた1971年には父・義将が日本オープンを制し、試合後にプロ仲間が帝国ホテルで祝勝会をするため、息子の久隆も呼ばれて駆け付けたが、当の藤井本人は「疲れたから」という理由で九州に帰ってしまった[1]

1979年九州オープンでは秋富由利夫杉田勇鈴木規夫に次ぐと同時に上田鉄弘と並んでの5位タイ[5]に入った。

1980年阿蘇ナショナルパークオープンでは初日を秋富・内田繁草壁政治鷹巣南雄と並んでの首位タイ[6]でスタートし、最終日には内田・田中文雄と並んでの4位タイ[7]に入った。

1986年全日空オープンでは初日を中嶋常幸青木功菊地勝司尾崎直道石井裕士渡辺司と並んでの5位タイ[8]でスタートし、2日目には内田と並んでの5位タイ[9]に留まり、3日目も内田と並んで6位タイ[10]と健闘。

1989年にはアコムダブルス友利勝良とペアを組み、好天に恵まれた初日[11]に67[12]、2日目には63をマークし、飯合肇&佐野修一ペア、バリー・レーン&ピーター・ベイカーイングランド)ペアと並んでの3位タイ[12]に着けた。

1993年のアコムインターナショナル[13]を最後にレギュラーツアーから引退し、義将が設計したパサージュ琴海アイランドゴルフクラブ支配人[14] [15]を経て、現在は古巣・麻生飯塚ゴルフ倶楽部支配人[16]

2009年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞[4]

脚注

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  1. ^ a b 式典第六回 | 日本プロゴルフ殿堂
  2. ^ 藤井 千夏 プロフィール詳細|JLPGA|日本女子プロゴルフ協会
  3. ^ ジャンボの師匠の孫 藤井ノーボギー68で首位発進「意地でも合格」
  4. ^ a b c 藤井 久隆 フジイ ヒサタカ HISATAKA FUJII
  5. ^ 1979年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  6. ^ 毎日新聞縮刷版p196 昭和55年4月6日朝刊18面
  7. ^ 毎日新聞縮刷版p219 昭和55年4月7日朝刊17面「草壁が初優勝
  8. ^ フルリーダーボード 全日空オープン 1986 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  9. ^ フルリーダーボード 全日空オープン 1986 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  10. ^ フルリーダーボード 全日空オープン 1986 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  11. ^ 毎日新聞縮刷版p118 平成元年11月3日朝刊26面「川岸、プロデビュー 北川と組み 1打差で2位タイ アコムダブルス第1日
  12. ^ a b 毎日新聞縮刷版p142 平成元年11月4日朝刊18面「マッケイ・スミス組 一気に首位 12アンダー アコムダブルス第2日
  13. ^ 藤井 久隆選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  14. ^ 第39回 パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ| ブログ
  15. ^ 2010年度PGA競技 日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯 開催決定のお知らせ
  16. ^ Vol.5【麻生飯塚ゴルフ倶楽部】スロープシステム導入で年配プレーヤーが競技に復帰

外部リンク

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