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世田谷 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 世田谷区 > 世田谷地域 > 世田谷 (世田谷区)
世田谷
世田谷区役所本庁
世田谷の位置(東京都区部内)
世田谷
世田谷
世田谷の位置
北緯35度38分35.96秒 東経139度39分2.34秒 / 北緯35.6433222度 東経139.6506500度 / 35.6433222; 139.6506500
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 世田谷区
地域 世田谷地域
地区 上町地区
面積
 • 合計 0.769 km2
人口
2019年(令和元年)9月1日現在)[1]
 • 合計 16,158人
 • 密度 21,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
154-0017[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 世田谷

世田谷(せたがや)は、東京都世田谷区町名。現行行政地名は世田谷一丁目から世田谷四丁目。郵便番号は154-0017[2]世田谷地域上町地区に属する。

地理

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東京都世田谷区の中央部に位置し、周囲を梅丘若林上馬弦巻豪徳寺の各町に隣接する。世田谷区役所[4]がある。

町の北辺の烏山川緑道は、暗渠化した烏山川の上部を緑道に造成したものである。川の名残として、町内部分では、八幡橋、城向橋、青葉橋、品川橋等の橋の名前が残っている。水準点(世田谷2丁目13番)の高さは東京湾平均海面上(海抜)38.6993メートル(2006年(平成18年)1月1日現在[5])。

地価

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住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、世田谷4-10-10の地点で52万6000円/m2となっている[6]

歴史

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縄文前期の集落跡を示す元宿遺跡が四丁目にある。縄文中期の包蔵地である浄光寺遺跡が一丁目にある。江戸時代、多くは彦根藩井伊家の所領であり、1633年寛永10年)から1871年明治4年)まで同家の代官職を継いできた大場家の屋敷が、東京都史跡の世田谷代官屋敷として一丁目に残る。

地名の由来

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「世田谷」の語源については諸説あり。かつては「勢田郷」(多摩郡勢田)といい、この一帯は台地を刻むように谷が多く低い谷間に位置していることから、一部の地域で特に谷の多い所という区別をして、「勢田」と谷が多い所を意味する「峡(かい)」を合わせて「せたかい」と呼ばれていたが、後に狭小の海峡を意味する「瀬戸」が訛って狭い谷地の意味の「瀬田」へと変化し(世田谷区瀬田も同様)、「峡」が同義語の「谷」へ、発音も「せたがや」へと変わり、谷の多い土地の意味から「世田ヶ谷」と書くようになったといわれる。昭和7年(1932年)の現在の広域地名である「世田谷区」の成立の際に「ヶ」が省かれ「世田谷」となった。即ち、「世田谷」とは勢田郷の谷地という意味であり、現在は町名が広域的に「世田谷区」として広く知れ渡った。[注釈 1]

町名の変遷

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実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
世田谷一丁目 1966年2月15日 世田谷1、弦巻町1、弦巻町2の各一部
世田谷二丁目 世田谷1、弦巻町1、弦巻町2の各一部
世田谷三丁目 世田谷1の一部
世田谷四丁目 世田谷1、若林町の各一部

世帯数と人口

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2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
世田谷一丁目 3,545世帯 6,109人
世田谷二丁目 1,873世帯 3,382人
世田谷三丁目 1,941世帯 3,314人
世田谷四丁目 1,996世帯 3,353人
9,355世帯 16,158人

小・中学校の学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
世田谷一丁目 1~15番 世田谷区立弦巻小学校 世田谷区立弦巻中学校
その他 世田谷区立桜小学校 世田谷区立桜木中学校
世田谷二丁目 全域
世田谷三丁目 1~21番
その他 世田谷区立城山小学校 世田谷区立世田谷中学校
世田谷四丁目 8~28番
1~6番
7番13~17号
世田谷区立弦巻小学校 世田谷区立弦巻中学校
その他 世田谷区立桜小学校 世田谷区立桜木中学校

交通

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施設

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東京都世田谷区世田谷の航空写真(2009年4月27日撮影)

公共施設

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  • 世田谷区役所(本庁)- 道路を隔てて、第一庁舎(第一庁舎、世田谷区民会館、第二庁舎、第三庁舎、駐車場)の施設群からなる。

教育

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商業・金融

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文化

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催事

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  • ボロ市:ボロ市通りを中心に、12月と翌年1月の年2回開催される。

管轄の官公署等

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当地域を担当する官公署、集配郵便局等。

出身・ゆかりのある人物

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  • 谷崎精二(早稲田大学教授[11]、英文学者) - 世田谷に居住していた[11]。小説家谷崎潤一郎の弟。
  • 谷崎英男[11](早稲田大学教授)
  • 中島敦(小説家)- 晩年を父の家のある世田谷で過ごし近所にある岡田病院(現•世田谷中央病院)で亡くなった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄(わみょうるいじょうしょう)」には勢田郷の谷地の意味であるとの記載がある。

出典

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  1. ^ a b c 世田谷区の町丁別人口と世帯数”. 世田谷区 (2019年9月3日). 2019年9月29日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月27日閲覧。
  4. ^ 世田谷区役所
  5. ^ せたがや統計情報館 水準点の位置と高さ Archived 2012年7月30日, at Archive.is(2007年10月23日 (UTC) 検索)
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ 通学区域”. 世田谷区 (2018年4月1日). 2019年9月29日閲覧。
  8. ^ 梅ヶ丘校舎と橋でつながっているが、これは梅丘に位置する。
  9. ^ 1952年(昭和27年)11月3日当初指定、1955年(昭和30年)3月28日旧跡、1959年(昭和34年)2月21日旧跡から史跡に種別変更。
  10. ^ 1978年(昭和53年)1月21日指定、国指定文化財等データベース(名称=大場家住宅(東京都世田谷区世田谷)、文化財種類=国宝・重要文化財(建造物) 、種別=重要文化財 民家、2007年11月22日 (UTC) 検索)
  11. ^ a b c 『人事興信録 第15版 下』タ73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月25日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。

関連項目

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外部リンク

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