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下風呂温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下風呂温泉
下風呂温泉街地図
温泉情報
所在地 青森県下北郡風間浦村下風呂
交通 JR大湊線 下北駅より下北交通バス佐井線で約1時間10分
泉質 塩化土類硫化水素泉など
泉温(摂氏 65 - 95 °C
浸透圧の分類 低張性
宿泊施設数 10
外部リンク 下風呂温泉郷
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下風呂温泉(しもふろおんせん)は、青森県下北郡風間浦村下風呂にある温泉下北半島最北端にある大間温泉大間町)、桑畑温泉(風間浦村)に次ぐ、本州で3番目に北に位置する温泉である。

泉質

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源泉井は3つある。

大湯
  • 酸性・含硫酸 - ナトリウム - 塩化物・硫酸塩泉(硫化水素型)
    • 源泉温度 64℃、白濁した湯(季節・気温により異なる)
新湯
  • 含硫黄 - ナトリウム - 塩化物泉(硫化水素型)
    • 源泉温度 74.5℃、無色透明な湯(季節・気温により異なる)
浜湯
  • ホウ酸-含硫黄 - ナトリウム・カルシウム - 塩化物泉(硫化水素型)

大湯や新湯からの湯は村営温泉施設「海峡の湯」に供給されている[1]

温泉街

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津軽海峡に面する海岸沿いの山肌に、大湯と新湯という2つの共同浴場があった。しかし、2020年11月30日に大湯と新湯の共同浴場は閉館し、同年12月に新たにこれらを統合した村営温泉施設「海峡の湯」がオープンした[2]。このほか旅館や民宿が立ち並ぶ。

温泉街には、未成線である大間線の遺構が多く残り、「海峡メモリアルロード」として遊歩道整備されている。

歴史

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温泉名は、この地域のことをアイヌ語で臭い岩を意味する「シュマフラ」と言っていたことに由来する。

室町時代からの歴史を持ち、康正年間の地図には「湯本」との記載がされている。当時は、凍傷効能がある温泉として知られていた。1656年には、南部藩藩主南部重信が入湯している。

古くはニシン漁師の湯治場として栄え、現在はイカ漁の行われる漁港として、温泉街が成立。今も夏から秋にかけてイカ釣り漁船の漁り火を見ることができる。

同志社大学創立者・新島襄は、 1864年4月18日江戸から箱館に船で向かう途中、下風呂港に寄港。温泉地にも2日間滞在し、当時の様子を「函館紀行」に書きとめた。海峡いさりび公園に「新島裏寄港の地」陣が建立された。

作家・井上靖1958年3月、この温泉地に滞在・取材して小説『海峡』を執筆し、作品の舞台にもなっている。井上が二泊した長谷旅館は「海峡」の宿として知られ、近くの漁港には1989年、井上を招いて文学碑が建てられた。長谷旅館の廃業後も、井上が投宿した参号室を見学するファンが多かったことから、2019年1月の解体時に部屋の部材や机、座布団を村が引き取り保管された。

2020年12月、長谷旅館跡地に旧共同浴場の大湯と新湯を統合した村営温泉施設「海峡の湯」が開業。1階に食堂、2階に井上靖が「海峡」を執筆した部屋が再現された[1][3]

また、水上勉飢餓海峡』の舞台にもなり、この作品は映画化もされている。

アクセス

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脚注・出典

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  1. ^ a b 風間浦の村営新浴舎「下風呂温泉海峡の湯」オープン/三つの泉質楽しめる”. デーリー東北. 2022年3月30日閲覧。
  2. ^ 入浴者10万人突破 下風呂温泉「海峡の湯」オープンから1年4カ月”. デーリー東北. 2022年3月30日閲覧。
  3. ^ 井上靖の「参号室」再現へ 「海峡」執筆の旅館跡地に/床の間欄間 当時のまま『読売新聞』夕刊2019年2月2日(10面)。

外部リンク

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