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シタテルヒメ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下光比売命から転送)
下光比売命

神祇 国津神
全名 下光比売命(シタテルヒメノミコト)
別名 下光比賣命、下照比売、下照比賣、下照姫命、下照媛、高比売命、高比賣命、髙比売命、髙比賣命、高姫命、稚国玉、稚國玉 等
神格 雷神
大国主神
多紀理毘売命
兄弟姉妹
配偶者 天若日子
神社
記紀等 古事記日本書紀
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シタテルヒメ(下光比売、下照比売、下照姫、下照媛)は、日本神話に登場する神道女神タカヒメ(高比売、高姫)、ワカクニタマ(稚国玉)ともする。

概要

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『古事記』では本名を高比売命(タカヒメノミコト)、亦の名を下光比売命下照比売命(シタテルヒメノミコト)、『日本書紀』では下照姫下照媛、亦の名は高姫稚国玉(ワカクニタマ)、『先代旧事本紀』地神本紀では下照姫命と記述される。

『古事記』および『日本書紀』正伝によれば、葦原中国平定のために高天原から遣わされた天若日子が、大国主神に取り入ってあわよくば葦原中国を自分のものにしようと目論み、その娘である高比売命と結婚した。天若日子が高天原からの返し矢に当たって死んだとき、高比売命の泣く声が天(『古事記』では高天原)まで届き、その声を聞いた天若日子の父の天津国玉神や天若日子の妻子らは葦原中国に降臨し、天若日子の喪屋を建てを行った。そこに阿遅鉏高日子根神が訪れたが、その姿が天若日子にそっくりであったため、天津国玉神や妻子らは天若日子が生き返ったと喜んだ。阿遅鉏高日子根神は穢わしい死人と間違えられたことに怒り、喪屋を大量で斬り倒し、蹴り飛ばして去って行った。高比売命は、阿遅鉏高日子根神の名を明かす歌を詠んだ。この歌は「夷振(ひなぶり)」と呼ばれる(夷振を詠んだという記述は『日本書紀』正伝にはない)。『日本書紀』の第一の一書では、天稚彦の妻の名は記されておらず、夷振を詠んだ者の名としてのみ下照媛の名が登場し、味耜高彦根神の妹であるとしている。

別名の高比売命と音が似ていることから、『出雲国風土記神門郡の多伎郷条に登場する所造天下大神(大国主神)の御子であるアダカヤヌシタキキヒメ(阿陀加夜努志多伎吉比売命)と同一神とする説があり、さらに「カヤ」から『延喜式』巻八に掲載されている祝詞出雲国造神賀詞」に登場するカヤナルミ(賀夜奈流美命)とも同一神とする説もある[1][2]

系譜

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大国主の系図(『古事記』による)。青は男神、赤は女神、黄は性別不詳

『古事記』では大国主神(『日本書紀』では顕国玉)と多紀理毘売命の娘で、阿遅鉏高日子根神の妹としており、『先代旧事本紀』地神本紀でも『古事記』同様に大己貴神と田心姫命の娘で、味耜高彦根神の同母妹とする。

祀る神社

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『古事記』ではアメノヒボコ(天之日矛)、『日本書紀』ではツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等)が逃げた妻(阿加流比売神)を追って渡来し、逃げた阿加流比売神が身をひそめたという記述がある。『延喜式神名帳』では阿加流比売命の赤留比売神社は住吉郡にあるとする。

出典

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  1. ^ 鈴木 1940, pp. 557–558.
  2. ^ 次田 2008, p. 534.

参考文献

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  • 鈴木重胤 著、樹下快淳 編『延喜式祝詞講義』 3巻(普及版)、鈴木重胤先生學德顯揚會、1940年4月20日、初出1851年。 NCID BA79958552 
  • 次田潤『新版 祝詞新講』戎光祥出版、2008年5月、初版1927年。ISBN 978-4-900901-85-8 

関連項目

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