三条公広
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正5年2月4日(1577年2月21日) |
死没 | 寛永3年10月7日(1626年11月25日) |
改名 | 公盛(初名)→三条公広 |
墓所 | 右京区二尊院 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾天皇 |
氏族 | 三条西家→三条家 |
父母 |
父:三条西公国、母:西園寺公朝の娘 養父:三条実綱 |
兄弟 | 三条西実条、公広 |
妻 | 正室:正親町三条公仲の娘 |
子 | 実秀 |
三条 公広(さんじょう きんひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿。権中納言・三条実綱の養子。官位は正二位・権大納言。三条家19代当主。主に後陽成天皇(107代)・後水尾天皇(108代)の二代に亘り仕えた。
経歴
[編集]内大臣・三条西公国の次男として誕生。母は左大臣・西園寺公朝の娘。初名は公盛(きんもり)。
叔父・三条実綱の養子となって三条家の家督を相続した。天正9年(1581年)1月叙爵。以降累進して慶長2年(1597年)1月従三位に昇り公卿に列する。慶長4年(1599年)6月公広と改名。慶長9年(1604年)8月正三位、慶長11年(1606年)1月権中納言。慶長14年(1609年)1月従二位。慶長17年(1612年)12月権大納言に叙任。
慶長19年(1614年)1月には正二位へと進んだが、大臣になる前の寛永3年(1626年)10月、薨去。享年50。惜しまれて死後に内大臣を追贈されている。