三条公俊
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 建久5年(1194年) |
死没 | 不詳 |
改名 | 公俊→真空(法名) |
別名 | 知足院 |
官位 | 従二位、非参議 |
主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条実房、母:藤原経宗の娘 |
兄弟 | 公房、姉小路公宣、正親町三条公氏、公兼、公俊、覚実、公円、覚教、公恵、公深、公豪、公誉、徳大寺公継室、女御代 |
妻 | 藤原親能の娘 |
子 | 実清、公為、実為、実仲、公秀、俊誉、女子、阿古ら |
三条 公俊(さんじょう きんとし)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。三条家3代、左大臣・三条実房の子。官位は従二位・非参議。
経歴
[編集]藤原頼実の猶子となる。
正治2年(1200年)1月5日に従五位下となる。元久2年(1205年)8月9日左少将となり、下野権介、加賀介を経て、建暦2年(1212年)1月に左中将に任ぜられる。
建暦3年(1213年)4月に正四位下、建保6年(1218年)1月に従三位(左中将を辞す)、承久4年(1222年)1月に正三位、寛元2年(1244年)に従二位に任ぜられる。建長3年(1251年)9月に出家し法名を真空とした。