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一色町養ケ島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛知県 > 西尾市 > 一色町養ケ島
一色町養ケ島
一色町養ケ島の位置(愛知県内)
一色町養ケ島
一色町養ケ島
一色町養ケ島の位置
北緯34度49分2.61秒 東経137度0分43.13秒 / 北緯34.8173917度 東経137.0119806度 / 34.8173917; 137.0119806
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
市町村 西尾市
地区 一色地区
面積
 • 合計 0.161142837 km2
人口
(2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2]
 • 合計 211人
 • 密度 1,300人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-0429[WEB 3]
市外局番 0563[WEB 4]
ナンバープレート 三河[WEB 5]

一色町養ケ島(いっしきちょうよがしま)は、愛知県西尾市の地名。

地理

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学区

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歴史

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町名の由来

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「与え喜ぶ」意の与賀島が養賀島を経て、養ケ島となったという説と、赤羽村の農民が開拓したことから、「赤羽村を養う」意の養賀島が養ケ島となったとする説があるという[1]

人口の変遷

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国勢調査による人口および世帯数の推移。

1995年(平成7年)[WEB 7] 66世帯
288人

2000年(平成12年)[WEB 8] 65世帯
271人

2005年(平成17年)[WEB 9] 75世帯
265人

2010年(平成22年)[WEB 10] 75世帯
255人

2015年(平成27年)[WEB 11] 78世帯
243人

2020年(令和2年)[WEB 2] 70世帯
211人

沿革

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  • 永禄年間 - 三河国幡豆郡赤羽村の農民次郎左衛門と五助の手により、同村内の旧弓取川の州を開拓したのがはじまり[1]
  • 正保3年 - 西尾藩主井伊氏により、一村として認められ独立[1]
  • 1889年(明治22年) - 栄生村大字養ケ島となる[2]
  • 1906年(明治39年) - 一色村大字養ケ島となる[2]
  • 1923年(大正12年) - 一色町大字養ケ島となる[2]

脚注

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WEB

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  1. ^ 愛知県西尾市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年12月31日閲覧。
  2. ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
  3. ^ 読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
  5. ^ ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
  6. ^ a b 西尾市教育委員会事務局 学校教育課 (2023年6月2日). “小中学校の通学区域” (PDF). 西尾市. 2024年4月11日閲覧。
  7. ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
  8. ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
  9. ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
  10. ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
  11. ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。

書籍

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 

関連項目

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