一色町養ケ島
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一色町養ケ島 | |
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北緯34度49分2.61秒 東経137度0分43.13秒 / 北緯34.8173917度 東経137.0119806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 西尾市 |
地区 | 一色地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.161142837 km2 |
人口 (2020年(令和2年)10月1日現在)[WEB 2] | |
• 合計 | 211人 |
• 密度 | 1,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
444-0429[WEB 3] |
市外局番 | 0563[WEB 4] |
ナンバープレート | 三河[WEB 5] |
一色町養ケ島(いっしきちょうよがしま)は、愛知県西尾市の地名。
地理
[編集]学区
[編集]歴史
[編集]町名の由来
[編集]「与え喜ぶ」意の与賀島が養賀島を経て、養ケ島となったという説と、赤羽村の農民が開拓したことから、「赤羽村を養う」意の養賀島が養ケ島となったとする説があるという[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 7] | 66世帯 288人 |
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2000年(平成12年)[WEB 8] | 65世帯 271人 |
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2005年(平成17年)[WEB 9] | 75世帯 265人 |
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2010年(平成22年)[WEB 10] | 75世帯 255人 |
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2015年(平成27年)[WEB 11] | 78世帯 243人 |
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2020年(令和2年)[WEB 2] | 70世帯 211人 |
沿革
[編集]- 永禄年間 - 三河国幡豆郡赤羽村の農民次郎左衛門と五助の手により、同村内の旧弓取川の州を開拓したのがはじまり[1]。
- 正保3年 - 西尾藩主井伊氏により、一村として認められ独立[1]。
- 1889年(明治22年) - 栄生村大字養ケ島となる[2]。
- 1906年(明治39年) - 一色村大字養ケ島となる[2]。
- 1923年(大正12年) - 一色町大字養ケ島となる[2]。
脚注
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県西尾市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2023年12月31日閲覧。
- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ a b 西尾市教育委員会事務局 学校教育課 (2023年6月2日). “小中学校の通学区域” (PDF). 西尾市. 2024年4月11日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
[編集]- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1387.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1388.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。