ユヴェントスFC 1984-85シーズン
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1984-85 シーズン | |||
代表者 | アニェッリ家 | ||
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監督 | ジョヴァンニ・トラパットーニ | ||
スタジアム | スタディオ・コムナーレ | ||
セリエA | 6位 | ||
コッパ・イタリア | 準々決勝 | ||
UEFAチャンピオンズカップ | 優勝 | ||
UEFAスーパーカップ | 優勝 | ||
最多得点者 |
リーグ: ミシェル・プラティニ 18得点 全大会: ミシェル・プラティニ 29得点 | ||
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ユヴェントスFC 1984-85シーズンは、ユヴェントスFCの1984-85シーズンの成績と所属選手を詳述する。
概要
[編集]このシーズン、リーグ戦は6位に終わるが、UEFAチャンピオンズカップ決勝では、ズビグニェフ・ボニエクが得たPKをミシェル・プラティニが決めて大会初制覇を果たしたが[1]、スタジアムではヘイゼルの悲劇と呼ばれる惨事が起こった[2]。
所属選手
[編集]注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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リーグ戦順位表
[編集]順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
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1 | エラス・ヴェローナ (C) | 30 | 15 | 13 | 2 | 42 | 19 | +23 | 43 |
2 | トリノ | 30 | 14 | 11 | 5 | 36 | 22 | +14 | 39 |
3 | インテル | 30 | 13 | 12 | 5 | 42 | 28 | +14 | 38 |
4 | サンプドリア | 30 | 12 | 13 | 5 | 36 | 21 | +15 | 37 |
5 | ACミラン | 30 | 12 | 12 | 6 | 31 | 25 | +6 | 36 |
6 | ユヴェントス | 30 | 11 | 14 | 5 | 48 | 33 | +15 | 36 |
チャンピオンズカップ
[編集]1回戦
[編集]第1戦 1984年9月19日 | イルヴェス | 0–4 | ユヴェントス | タンペレ | |
ロッシ 12分, 21分, 89分 プラティニ 37分 (pen) |
競技場: タンペラン・スタディオン |
2回戦
[編集]第2戦 1984年11月7日 | グラスホッパー | 2–4 (2戦合計 2–6)
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ユヴェントス | チューリッヒ | |
マルセル・コラー 30分 マルコ・シェリンバム 71分 |
ブリアスキ 21分 ヴィニョラ 40分 プラティニ 56分, 86分 (pen) |
競技場: ハルトトゥルム (シュタディオン) |
準々決勝
[編集]準決勝
[編集]第1戦 1985年4月10日 | ユヴェントス | 3–0 | ジロンダン・ボルドー | トリノ | |
ボニエク ブリアスキ 68分 プラティニ 71分 |
第2戦 1985年4月24日 | ジロンダン・ボルドー | 2–0 (2戦合計 2–3)
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ユヴェントス | ボルドー | |
ディーター・ミュラー 24分 パトリック・バチストン 80分 |
競技場: パルク・レスキュール |
決勝
[編集]1985年5月29日 | ユヴェントス | 1–0 | リヴァプール | ブリュッセル, ベルギー | |
ミシェル・プラティニ 56分 (pen.) | 競技場: ボードゥアン国王競技場 観客数: 59,000 |
UEFAスーパーカップ
[編集]1985年1月16日 | ユヴェントス | 2–0 | リヴァプール | トリノ, イタリア | |
ズビグニェフ・ボニエク 39分, 79分 | 競技場: スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ 観客数: 55,384 |
チーム内得点ランキング
[編集]- ミシェル・プラティニ : 29得点
- ズビグニェフ・ボニエク : 12得点
- パオロ・ロッシ : 10得点
脚注
[編集]- ^ “BIGNIEW BONIEK” 2023年10月2日閲覧。
- ^ “1984/85: Football mourns Heysel victims”. UEFA. 2023年10月2日閲覧。
- ^ “Juventus 1984/85”. Transfermarkt. 2023年9月15日閲覧。