メルティングポット
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メルティングポット | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | ニューミュージック |
活動期間 | 1977年 - 1984年2月 |
レーベル | VIVID SOUND |
共同作業者 | 八神純子 |
メンバー |
矢萩秀明 藤岡敏則 田代修二 大山ナオコ 桧山正利 藤村順 |
旧メンバー |
宮崎まさひろ 岩崎雄一 豊田勝敏 高橋伸之 山川恵津子 鳴海寛 |
メルティングポットは、かつて存在した日本のバンド。愛称メルポ。八神純子のプロデビュー前の1977年からヤマハ音楽振興会離脱の1984年2月までの間、八神のバックバンドを務めたことで有名。
1980年の紅白歌合戦に八神のバックバンドとして出演。(曲名:パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜)
成り立ち
[編集]リーダーである矢萩秀明が、ネム音楽院で同期だった藤岡敏則、宮崎まさひろの二人の他、田代修二、桧山正利と組んでいた「矢萩バンド」が母体。
八神が本格プロデビューする前年の1977年に専属バックバンドを務めることになり、新しくバンド名をつけるように言われていた時、音楽誌を読んでいた矢萩が、ジョー・サンプルのインタビュー記事で「ニューヨークはメルティングポットだから」というコメントに目が留まり、「自分達のバンドも様々なバック・ボーンを持った者の集まりだ」と思ったのがバンド名の由来である。
なお、1982年には山川恵津子と鳴海寛のユニット「東北新幹線」がアルバム「Thru Traffic」をリリースし、AORやブラック・コンテンポラリー影響下のメロウかつ洗練されたアーバン・ポップ・サウンドは今でも高い評価を受けている。
メンバー
[編集]氏名 | 生年月日 | 出身地 | 担当 | 在籍期間 | 備考 |
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矢萩秀明 (やはぎ ひであき) |
1955年6月14日(69歳) | 宮城県 | ギター | 1977年 - 1984年 | リーダー |
藤岡敏則 (ふじおか としのり) |
1955年9月3日(69歳) | 北海道 | ベース | 1977年 - 1984年 | |
田代修二 (たしろ しゅうじ) |
1954年7月28日(70歳) | キーボード | 1977年 - 1984年 | ||
桧山正利 (ひやま まさとし) |
1950年6月28日 - 2021年12月3日 | ラテンパーカッション | 1977年 - 1984年 | ||
藤村順 (ふじむら じゅん) |
ドラム | 1981年春 - 1984年 | |||
大山ナオコ (おおやま なおこ) |
キーボード | 1983年秋 - 1984年 |
元メンバー
[編集]氏名 | 生年月日 | 出身地 | 担当 | 在籍期間 | 備考 |
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宮崎まさひろ (みやざき まさひろ) |
1955年4月25日(69歳) | 大阪府 | ドラム | 1977年 - 1978年 | |
岩崎雄一 (いわさき ゆういち) |
1955年6月13日(69歳) | セカンドギター | 1978年秋 - 1980年夏 | ||
豊田勝敏 (とよだ かつとし) |
1953年5月6日(71歳) | ドラム | 1979年 - 1979年秋 1980年夏 - 1981年春 |
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高橋伸之 (たかはし のぶゆき) |
1955年2月??日 | 岩手県 | ドラム | 1979年秋 - 1980年夏 | 脱退後、浜田省吾のバックバンドTHE FUSEのメンバーとして参加。 |
山川恵津子 (やまかわ えつこ) |
1956年11月12日(68歳) | 京都府京都市 | キーボード バッキングボーカル |
1979年 - 1983年 | |
鳴海寛 (なるみ ひろし) |
1958年3月20日 - 2015年7月??日 | 東京都新宿区 | セカンドギター バッキングボーカル |
1980年夏 - 1983年 |
ディスコグラフィー
[編集]ライブ・アルバム
[編集]枚 | 発売日 | タイトル |
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VIVID SOUND | ||
1st | 2017年6月28日 | Melting Pot featuring 鳴海寛 Live at Egg-man + |
脚注
[編集]出典
[編集]Melting Pot featuring 鳴海寛 Live at Egg-man + リーフレット(長久保)
八神純子コンサートツアー'79 パンフレット Between Hello and Goodbye