マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前287年の執政官)
表示
マルクス・クラウディウス・マルケッルス Marcus Claudius Marcellus | |
---|---|
出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | プレブス |
氏族 | クラウディウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前287年) |
マルクス・クラウディウス・マルケッルス(ラテン語: Marcus Claudius Marcellus 、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前287年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]クラウディウス氏族はサビニ族を祖とするパトリキ(貴族)の名門であるが、クラウディウス・マルケッルス家はプレブス(平民)である。紀元前287年の執政官マルケッルスは、おそらく紀元前331年の執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスの息子であり、また「ローマの剣」と呼ばれ5回執政官を務めた第二次ポエニ戦争の英雄マルクス・クラウディウス・マルケッルスは孫と思われる[1][2][3]。コグノーメン(第三名、家族名)は異なるが、紀元前285年・紀元前273年の執政官ガイウス・クラウディウス・カニナとは兄弟である。
経歴
[編集]紀元前287年、マルケッルスは執政官に就任。同僚執政官はガイウス・ナウティウス・ルティルスであった。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもマルケッルスのことは触れられていない[4]。この年にはプレブスの債務問題が深刻となり、それを解決するためにクィントゥス・ホルテンシウスが独裁官に選ばれた。ホルテンシウスはホルテンシウス法を制定し、パトリキ(貴族)とプレブス(平民)の法的な平等が実現され、両身分の間で200年間続いた身分闘争は終結した。
脚注
[編集]関連項目
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 クィントゥス・マルキウス・トレムルス II プブリウス・コルネリウス・アルウィナ II |
執政官 同僚:ガイウス・ナウティウス・ルティルス 紀元前287年 |
次代 マルクス・ウァレリウス・マクシムス・ポティトゥス ガイウス・アエリウス・パエトゥス |