コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ガイウス・ナウティウス・ルティルス (紀元前287年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガイウス・ナウティウス・ルティルス
Gaius Nautius Rutilus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ナウティウス氏族
官職 執政官(紀元前287年)
テンプレートを表示

ガイウス・ナウティウス・ルティルスラテン語: Gaius Nautius Rutilus 、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家。紀元前287年執政官(コンスル)を務めた。

出自

[編集]

ルティルスはパトリキ(貴族)であるナウティウス氏族の出身である。父は、紀元前316年の執政官スプリウス・ナウティウス・ルティルスと思われる。ナウティウス氏族からはルティルス含め5人の執政官が出ているが、ルティルスが最後である。おそらく紀元前256年の執政官マルクス・アティリウス・レグルストリブヌス・ミリトゥム(高級幕僚)であったナウティウスはルティルスの息子であるが、カルタゴとの海戦を拒否した[1]。この臆病さが家名を傷つけたと思われる[2]

経歴

[編集]

紀元前287年、ルティルスは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・クラウディウス・マルケッルスであった。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもマルケッルスのことは触れられていない[3]。この年にはプレブスの債務問題が深刻となり、それを解決するためにクィントゥス・ホルテンシウス独裁官に選ばれた。ホルテンシウスはホルテンシウス法を制定し、パトリキ(貴族)とプレブス(平民)の法的な平等が実現され、両身分の間で200年間続いた身分闘争は終結した。

脚注

[編集]
  1. ^ フロルス『700年全戦役略記』、1,18,17.
  2. ^ Bruno Bleckmann, S. 180
  3. ^ リウィウスローマ建国史』、 XI

参考資料

[編集]
  • ティトゥス・リウィウスローマ建国史
  • フロルス『700年全戦役略記』
  • Broughton, T. Robert S. (1951). The Magistrates of the Roman Republic . Volume I, 509 BC - 100 BC (in English). I, number XV. New York: The American Philological Association.
  • Bruno Bleckmann , Die römische Nobilität im Ersten Punischen Krieg. Untersuchungen zur aristokratischen Konkurrenz in der Republik. Akademie Verlag, Berlin 2002, ISBN 3-05-003738-5

関連項目

[編集]
公職
先代
クィントゥス・マルキウス・トレムルス II
プブリウス・コルネリウス・アルウィナ II
執政官
同僚:マルクス・クラウディウス・マルケッルス
紀元前287年
次代
マルクス・ウァレリウス・マクシムス・ポティトゥス
ガイウス・アエリウス・パエトゥス