マリーア・アントニエッタ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
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マリーア・アントニエッタ Maria Antonietta | |
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ボルボーネ=シチリア家 | |
全名 |
Maria Antonietta Giuseppina Leopoldina マリーア・アントニエッタ・ジュゼッピーナ・レオポルディナ |
称号 | カゼルタ伯爵夫人 |
出生 |
1851年3月16日 両シチリア王国、ナポリ |
死去 |
1938年9月12日(87歳没) ドイツ国、フライブルク・イム・ブライスガウ |
埋葬 | フランス、カンヌ |
配偶者 | カゼルタ伯アルフォンソ |
子女 | 本文参照 |
父親 | トラーパニ伯フランチェスコ |
母親 | マリーア・イザベッラ・ダズブルゴ=トスカーナ |
マリーア・アントニエッタ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(イタリア語: Maria Antonietta di Borbone-Due Sicilie, 1851年3月16日 - 1938年9月12日)は、両シチリア王国の王族。従兄の両シチリア王家家長カゼルタ伯アルフォンソに嫁いだ。
生涯
[編集]両シチリア王フランチェスコ1世の末息子トラーパニ伯フランチェスコと、その妻でトスカーナ大公レオポルド2世の娘であるマリーア・イザベッラの間の長女として生まれた。両親は叔父と姪の関係であった。
マリーア・アントニエッタは1868年6月8日、同族の従兄であるカゼルタ伯アルフォンソと結婚し、間に12人の子女をもうけた。カゼルタ伯が1894年にブルボン=シチリア家の家督を継ぐと、マリーア・アントニエッタは名目上の両シチリア王妃となった。
子女
[編集]- フェルディナンド・ピウス(1869年 - 1960年) - カラブリア公、1897年にバイエルン王女マリアと結婚
- カルロ・タンクレーディ(1870年 - 1949年) - スペイン王子、1901年にスペイン王女マリア・デ・ラス・メルセデスと結婚、1907年にルイーズ・ドルレアンと再婚
- フランチェスコ・ディ・パーオラ(1873年 - 1876年)
- マリーア・インマコラータ(1874年 - 1947年) - 1906年、ザクセン王子ヨハン・ゲオルクと結婚
- マリーア・クリスティーナ(1877年 - 1947年) - オーストリア大公・トスカーナ公子ペーター・フェルディナント(のちトスカーナ大公家家長)と結婚
- マリーア・ピア(1878年 - 1973年) - 1908年、ブラジル皇子ルイスと結婚
- マリーア・ジュゼッピーナ(1880年 - 1971年)
- ジェンナーロ(1882年 - 1944年) - ベアトリーチェ・ボルデッサ(結婚によりヴィラ・コッリ伯爵夫人)と貴賤結婚
- ラニエーリ(1883年 - 1973年) - 1923年、マリア・カロリナ・ザモイスカ伯爵夫人(母方の従妹)と結婚
- フィリッポ(1885年 - 1949年) - 1916年にマリー・ルイーズ・ドルレアン(ヴァンドーム公エマニュエル・ドルレアンの娘)と結婚、1927年にオデット・ラボリと再婚(貴賤結婚)
- フランチェスコ・ダッシジ(1888年 - 1914年)
- ガブリエーレ(1897年 - 1975年) - 1927年にマウゴジャータ・チャルトリスカと結婚、1932年にツェツィリア・ルボミルスカと再婚