マリーア・クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1877-1947)
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マリーア・クリスティーナ Maria Cristina | |
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ボルボーネ=シチリア家 | |
出生 |
1877年4月10日 フランス共和国、カンヌ |
死去 |
1947年10月4日(70歳没) オーストリア、ザルツブルク州ザンクト・ギルゲン |
配偶者 | ペーター・フェルディナント |
子女 |
ゴットフリート ヘレーネ ゲオルク ローザ |
父親 | アルフォンソ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
母親 | マリーア・アントニエッタ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
マリーア・クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Maria Cristina di Borbone-Due Sicilie, 1877年4月10日 - 1947年10月4日)は、イタリアのブルボン=シチリア家の王女で、トスカーナ大公家家長ペーター・フェルディナントの妃。
ドイツ語名はマリア・クリスティーナ・フォン・ブルボン=ジツィーリエン(Maria Christina von Bourbon-Sizilien)。
生涯
[編集]両シチリア王家家長カゼルタ伯アルフォンソとその妻の両シチリア王女マリーア・アントニエッタの間の次女として生まれた。
1900年11月8日にカンヌにおいて、最後のトスカーナ大公フェルディナンド4世の三男ペーター・フェルディナント大公と結婚した。1942年、夫がトスカーナ大公家の家督を引き継ぐと同時に、マリーア・クリスティーナも名目上のトスカーナ大公妃とされた。
1947年にザンクト・ギルゲンにおいて70歳で亡くなった。
子女
[編集]夫との間に4人の子女をもうけた。
- ゴットフリート(1902年 - 1984年) - トスカーナ大公家家長、1938年にバイエルン王女ドロテア[注釈 1]と結婚
- ヘレーネ(1903年 - 1924年) - 1923年、ヴュルテンベルク王家家長フィリップ・アルブレヒトと結婚
- ゲオルク(1905年 - 1952年) - 1936年、ヴァルトブルク・ツー・ツァイル・ウント・ホーエネムス女伯マリー・ヴァレリー[注釈 2]と結婚
- ローザ(1906年 - 1983年) - ヴュルテンベルク王家家長フィリップ・アルブレヒト(姉の寡夫)と結婚
脚注
[編集]- ^ バイエルン王子フランツとクロイ公女イザベラ夫妻の娘。
- ^ オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の孫であるエリーザベト・フランツィスカ大公女の娘。
外部リンク
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