マミーブルー
競走馬におけるマミーブルーとは、
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
マミーブルー | |
---|---|
欧字表記 | Mammy Blue[2] |
品種 | サラブレッド[2] |
性別 | 牝[2] |
毛色 | 鹿毛[2] |
生誕 | 1970年5月13日[2] |
死没 | 1997年1月(27歳没・旧表記) |
父 | ネヴァービート[2] |
母 | リーガルローブ[2] |
母の父 | プリンスリーギフト[2] |
生国 | 日本(北海道三石町)[2] |
生産者 | 三石ファーム[2] |
馬主 | 竹内専一[2] |
調教師 | 藤本冨良(東京)[2] |
競走成績 | |
生涯成績 | 11戦5勝[2] |
獲得賞金 | 2672万6200円[2] |
勝ち鞍 | 京成杯3歳ステークス(1972年) |
マミーブルー(欧字名:Mammy Blue、1970年5月13日 - 1997年1月)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[2]。主な勝ち鞍に1972年の京成杯3歳ステークス。
ハイセイコー、タケホープ、ニットウチドリ、ナスノチグサらと同期の1973年クラシック世代の馬である。主戦騎手は藤本勝彦。
経歴
[編集]競走馬時代
[編集]1972年8月に中央競馬でデビュー。重賞の京成杯3歳ステークスを含む無敗の5連勝を達成し、当時関東の2歳チャンピオン決定戦であった朝日杯3歳ステークスでも単勝1番人気に支持された。しかし同レースで9着に敗れるとその後は5戦したが勝利を挙げることができず、そのまま競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。
繁殖牝馬時代
[編集]仔出しが良い繁殖牝馬で多くの産駒を残し、繁殖生活後半の産駒から2頭の重賞優勝馬(メルシーアトラ、メルシーステージ)を輩出した。とくにメルシーステージの活躍は種牡馬成績の低迷により行方不明となっていた同馬の父(マミーブルーの交配相手)ステートジャガーが捜索され、種牡馬として復帰するきっかけになった。ちなみにステートジャガーが1990年に交配したサラブレッドはマミーブルーただ1頭で、マミーブルーの生産者は高齢による流産の危険を考えて、種付け料の安いステートジャガーを選んだに過ぎなかった。1994年にもステートジャガーを種付けしたが、このときは不受胎に終わっている。この年の種付けを最後に繁殖牝馬を事実上引退し余生を送っていたが、1997年1月に死亡した[3]。27歳没。
年度別競走成績
[編集]- 1972年
- 福島3歳ステークス 1着
- 京成杯3歳ステークス 1着
繁殖成績
[編集]- 1975年生 ネバブルー(牝)(父:シャトーゲイ)
- 1976年生 メルシーブルー(牝)(父:ダイアトム)
- 1977年生 ブルースレーション(牝)(父:リマンド)
- 1978年生 ダンシングブルー(牝)(父:イエローゴッド)
- 1979年生 タケルオー(牡)(父:アローエクスプレス)
- 1981年生 シンマミー(牝)(父:ミルジョージ)
- 1982年生 ブルーマーダー(牡)(父:サンシー)
- 1983年生 クレバーヒダカ(牝)(父:ヴァイスリーガル)
- 1984年生 ダイアノースモアー(牝)(父:リィフォー)
- 1985年生 ヨシノシルバー(牝)(父:コインドシルバー)
- 1987年生 メルシーアトラ(牡)(父:サウスアトランティック)5勝、日経新春杯優勝
- 1988年生 ヴィクトリアモア(牡)(父:ディカードレム)1勝
- 1989年生 メルシーマミー(牝)(父:トウショウルチェー)
- 1991年生 メルシーステージ(牡)(父:ステートジャガー)5勝、アーリントンカップ、毎日杯優勝
- 1993年生 メルシーキャプテン(牡)(父:ダイナレター)5勝
主要なファミリーライン
[編集]「f」は「filly(牝馬)」の略、「c」は「colt(牡馬)」の略。太字はGI級競走優勝馬。#は重賞競走優勝馬。
- マミーブルー 1970 f
- メルシーブルー 1976 f
- アドバンスモア 1985 c(4勝、オープン1勝、GIII2着2回)
- ウィスパーモア 1986 f
- カネショウダイヤ 1993 f
- メルシーモンサン 2005 c(2勝、中山グランドジャンプ優勝)
- メルシータカオー 1999 c(4勝、中山大障害優勝)
- カネショウダイヤ 1993 f
- ブルースレーション 1977 f
- シマノスターリー 1983 c(オープン1勝、阪神障害ステークス・春3着)
- ダイアノースモアー 1984 f
- ダイアマミー 1993 f
- ウイニングマミー# 2001 f(6勝、北関東クイーンカップ、北関東桜花賞、北関東オークス優勝)
- キングサンディ# 2005 c(6勝、九州ジュニアチャンピオン優勝)
- ダイアマミー 1993 f
- メルシーアトラ# 1987 c(5勝、日経新春杯優勝)
- メルシーステージ# 1991 c(5勝、アーリントンカップ、毎日杯優勝)
- メルシーブルー 1976 f
血統表
[編集]マミーブルーの血統(ネヴァーセイダイ系 / Nasrullah3×3=25.00%、Nearco4・4×4=18.75%、Blandford5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 *ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 |
父の父 Never Say Die1951 栗毛 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Singing Grass | War Admiral | |||
Boreale | ||||
父の母 Bride Elect1952 黒鹿毛 |
Big Game | Bahram | ||
Myrobella | ||||
Netherton Maid | Nearco | |||
Phase | ||||
母 *リーガルローブ Regal Robe 1958 鹿毛 |
Princely Gift 1951 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Blue Gem | Blue Peter | |||
Sparkle | ||||
母の母 Brocade1950 栗毛 |
Borealis | Brumeux | ||
Aurora | ||||
Gold Lily | Gold Bridge | |||
Wild Lily F-No.1-e |
半弟のブルームーン(父チャイナロック)は、BSN杯でマミーブルーと同期のオークス馬・ナスノチグサを破って勝利しているほか、中山記念でも2着となった。また、半妹スターブルー(父シャトーゲイ)の牝系からは重賞勝ち馬こそ出ていないものの、ストロングアロー(オープン1勝、NHK杯2着)、チトセサクセス(障害オープン1勝、阪神スプリングジャンプ2着)などが出ている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- サラブレッド探偵局(編) 編『競馬SLG 名牝ファイル2』光栄、1995年。ISBN 4-87719-215-8。
- 『競馬名牝読本』宝島社〈別冊宝島〉、1996年。ISBN 4-7966-9247-9。