許丁茂
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名前 | ||||||
本名 | 許 丁茂 | |||||
愛称 | 珍島犬 | |||||
カタカナ | ホ・ジョンム | |||||
ラテン文字 | Huh Jung-Moo | |||||
ハングル | 허정무 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 大韓民国 | |||||
生年月日 | 1955年1月13日(69歳) | |||||
出身地 | 全羅南道珍島郡 | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
代表歴 | ||||||
1974-1986 | 韓国 | 84(25) | ||||
監督歴 | ||||||
1998-2000 2007-2010 |
韓国代表 韓国代表 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
許 丁茂(ホ・ジョンム、허정무、 1955年1月13日 - )は、韓国のサッカー選手・指導者。元韓国代表監督。大韓サッカー協会副会長も歴任している。
経歴
[編集]本貫は陽川許氏[1]。延世大学校を卒業後の1979年、実業団の韓国電力に入団。徴兵期間終了後の1980年にオランダのPSVアイントホーフェンに移籍し、1983年まで4年間プレー。同時期に西ドイツでプレーしていた車範根とはよく比較されていた。その後家庭の事情で帰国することとなり、現代ホランイに移籍、1986年に引退。その前年の1985年、FIFAワールドカップアジア東地区最終予選の対日本戦で挙げた決勝ゴールは有名。翌年の本大会でもグループリーグ・対イタリア戦で得点を挙げている。
愛称の「珍島犬(チンドケ)」は許の出身地・珍島が由来となっている韓国原産の犬で、許のプレーぶりがまるで犬のようにしつこいことから命名された。ワールドカップの対アルゼンチン戦ではディエゴ・マラドーナとのマッチアップに臨み、激しく当たっていった。この事についてマラドーナは後に「彼はテコンドーで挑んできた。」とコメントした[2]。
引退後は1993年から2年間は浦項製鉄アトムズ、1995年から3年間は全南ドラゴンズの監督を歴任した後1998年に車範根の後任として韓国代表監督に就任。自国と日本との共催となる2002 FIFAワールドカップに向けてチームの強化を求められたが、思ったような結果を残せず、2000年に辞任。その後は韓国協会所属テクニカルアドバイザーなどを務め、2005年から3年間再び全南監督を歴任した後、2007年に2度目の韓国代表監督となった。
2009年に行なわれた2010 FIFAワールドカップアジア最終予選ではA組1位通過を果たし、アジアサッカー連盟から最優秀監督賞として表彰を受けた。翌年、ワールドカップグループリーグの初戦でギリシャを下し、史上初の「韓国人監督によるワールドカップ勝利監督」となった[3]。この大会で韓国代表は2002年以来の決勝トーナメントに進出したが、1回戦でウルグアイに敗れてベスト16で終えた。
大会終了後に許は代表監督を辞任し、8月から仁川ユナイテッドFCの監督となったが2012年4月に成績不振を理由に辞任した。
2013年3月に韓国協会副会長に就任したが、2014 FIFAワールドカップの成績不振を理由に2014年7月に辞任している。2017年6月16日、ウリ・シュティーリケを解任し、後任として許の候補が上がっている。
脚注
[編集]- ^ “스카이데일리, ‘동방의 명의’ 허준 후예들…빌딩 2채, 100억대 재력”. skyedaily.com (2018年5月16日). 2022年11月15日閲覧。
- ^ “メッシ封じに秘策あり!韓国“大番狂わせ”狙う”. スポーツニッポン (2010年6月17日). 2010年6月17日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “圧韓決定力 勝ち点3 セットプレー 李正秀先制”. 東京新聞 (2010年6月13日). 2010年6月17日閲覧。[リンク切れ]
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 許丁茂 - Olympedia
- 許丁茂 - National-Football-Teams.com
- 許丁茂 - FootballDatabase.eu
- 許丁茂 - WorldFootball.net
- 許丁茂 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 許丁茂 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 許丁茂 - FIFA主催大会成績
- 許丁茂 - K League