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プロジェクト‐ノート:映画/映画作品スタイルガイド/過去ログ1

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製作

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本文中の「制作」となっている文字をInfobox内の誤用を除いて、「製作」に変更しました。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 映画#「映画製作者」の語での議論、および「製作」の項をご参照ください。ほんとうはInfobox自体にある誤用(×制作費 / ○製作費)も訂正したいのですが、影響が甚大で不可能ですね…。--Kmrt 2009年11月29日 (日) 11:20 (UTC)

ストーリーについて

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Wikipedia:ウィキプロジェクト 映画/映画作品スタイルガイド#ストーリーについてです。登場人物に関する詳しい記述のあるページではなく、「概要」「キャスト」「スタッフ」「ストーリー」程度の一般的な映画作品のページにおいて、ストーリーを書く際に、登場人物名の初出に()つきで俳優名を付すことは、閲覧者にとって有益なことだと考えております。キャスト表と見比べながらストーリーを読む、ということが閲覧行為上、煩雑だと考えるからです。

一方、キャスト表があるのに、ストーリー上の登場人物名の初出に()つきで俳優名を付すことは、煩雑であるとお考えの方もいらっしゃって、そのような理由であるページでストーリー欄から俳優名を除去されてしまいました。映画作品のストーリーの編集にあたり、どのように考えるべきか、「映画作品スタイルガイド」の作成に関わったかたがたのご意見を伺いたく、こちらに参りました。あるいはWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案の領分でしょうか。よろしくお願いいたします。--Kmrt 2010年1月14日 (木) 08:17 (UTC)

  • コメント Kmrtさんの書かれた項目で問題提起と関係ある映画関係のものをひととおり読みました。たしかにストーリーにキャスト表を入れているのは確認できました。ただ、自分はKmrtさんみたいなヘビーユーザーの人ほどウィキペディアのルールやエチケットには詳しくありませんが、自分が良いと思ったものを他の人の立てた項目(この場合は自分の立てた『憲兵と幽霊』)に追加した後にここで問題提起するというのは、ちょっと違和感を覚えました。他の項目をざっと見渡してもKmrtさんの立てた項目と自分の『憲兵と幽霊』以外は同様の改変が見当たらないので、藪から棒の印象を受けます。まあ、それがウィキペディアというものなんだよと言われれば、別に反論はしませんけど。Kmrtさんの提案自体は、個人的に煩雑だと思う以外はよく理解できるのですが、個人的にはまずご自身の立てた項目で実践した後で問題提起した方がいいんじゃないのかなあと思います。何だかいきなり巻き込まれて、しかも「あるページでストーリー欄から俳優名を除去されてしまいました」というのは、まるでKmrtさんが立てた項目のあらすじのキャストを自分が勝手に消してしまったような印象を受けてしまって、正直あまり良い気持ちはしません。--Gyokuran 2010年1月14日 (木) 20:44 (UTC)
    • Gyokuranさん、もうしわけありませんが感情論はお控えいただけませんでしょうか。誰かが立てた項目は、その誰かの占有物でも管理下にあるものでもありません。そしてここはスタイルガイドを改善する議論の場です。わたしへの感情は利用者‐会話:Gyokuran利用者‐会話:Kmrtでぶつけていただき、解決させていただけませんか。よろしくお願いいたします。--Kmrt 2010年1月15日 (金) 04:01 (UTC)
  • 反対 偶然こちらの議論を拝見しましたのでコメントします。確かに新聞のテレビ欄における映画のストーリー紹介などでは、括弧つきで俳優名を付すのはよく見かける表記です。しかしそれは、これから作品を見る人のための鑑賞ガイドという性質ゆえの方法であり、百科事典の記述としてはまた事情が異なると考えます。私が専ら携わっている漫画や小説(ライトノベル)、役者(声優)の姿が画面に登場しないアニメのゲームの記事では、そうした表記は見たことがありませんし、そうした作品では演じたものが誰かというのは、作品を見る上でほとんど意識しないことです。映画や実写のドラマだけを例外とするのは違和感がありますし、そもそも映画の見所ではなくストーリーの内容を解説するのに、登場人物を誰が演じたかという情報の必要性を感じません。漫画や小説のストーリーを説明するのは役者が誰かを説明しなくても可能なのに、映画はそれが不可能ということはないでしょう。むしろ役者の固定イメージに対する先入観があだになって、全体のストーリーを俯瞰する上で妨げになるように思います。強く反対という訳ではなく、賛同者が多いのであれば構わないと思いますが、個人的な意見としてはあまり必要なものとは思えません。--Kanohara 2010年4月20日 (火) 03:17 (UTC)
    • Kanoharaさん、ご意見ありがとうございます。漫画や小説(ライトノベル)、役者(声優)の姿が画面に登場しないアニメのゲームと、映画や実写のドラマとの大きな違いは、前者群に俳優は存在しませんが、後者群には俳優が存在することです。したがって前者群の説明には俳優についての記述はあたりまえながらまったく存在しませんが、後者群には俳優についての記述が存在します。まず前提としてこれだけ大きな違いがあるものを比較するのは、ナンセンスではないかと感じました。「漫画や小説のストーリーを説明するのは役者が誰かを説明しなくても可能」なのは、漫画や小説に俳優が存在しないからで、存在しないものを記述する方がむしろ荒唐無稽です。
    • しかし、ストーリーそのものの記述に関しては共通している、という立場からのKanoharaさんの純粋な見方も間違ってはいないと感じました。なるほど、純粋にストーリーを語るには、登場人物の名さえ明記されていれば、おっしゃる通り間違いはないとは思いました。おっしゃる通り、ストーリーなるものは漫画であろうが小説であろうがゲームであろうが映画であろうが、ストーリーはストーリーです。映画のストーリー記述において俳優名なしの記述は不可能である、という考えは、わたしもナンセンスであると思います。しかも、現実的には、Kanoharaのおっしゃるのに加えて、以前Gyokuranがおっしゃっていたように、キャスト表に登場人物名と俳優名が一対一対応で記されている記事であるならば、必ずしも必要ではない、というようにも思います。それでもいいと思います。
    • その上で、わたしは、ウィキペディア日本語版における映画のストーリーには、俳優名を記述する方が、映画の記事としては「親切である」と考えます。キャスト表があってもキャスト表と見比べながらストーリーを読むことになり、読み手の作業が煩雑になります。「Wikipedia:素晴らしい記事を書くには」には「ウィキペディアは、子供、お年寄り、非日本語話者など、幅広い層が読みます」とあります。幅広い層の理解のためには、ストーリーの純粋記述を目指すよりも、たとえば、なんでもいいんですが『十戒』記事へのリンク([1])にあるように、キネマ旬報映画データベースではストーリー中の登場人物名の初出に俳優名を付してあります。これは映画理解への助けになります。Kanoharaさんがまさに「役者の固定イメージに対する先入観があだになって、全体のストーリーを俯瞰する上で妨げになる」とおっしゃいましたが、「役者の固定イメージに対する先入観」は、逆に映画理解のための重要な要素です。映画においては、ストーリーはつねに俳優の台詞や動きとともにあるもので、これに関しては、俳優の存在しない漫画や小説とは比較できないものです。
    • なおKanoharaさんは冒頭に「 反対 」と付されましたが、提案に対する賛成反対を募っているのではなく、スタイルガイド上の考え方、意見を求めている場所ですので「 コメント」としていただいたほうがよろしいと存じました。--Kmrt 2010年4月20日 (火) 12:14 (UTC)
      • コメント ううむ、私は配役を気にしながら映画やドラマを見る習慣がないので、「これだけ大きな違い」というのは、正直あまり実感が湧きません。普段そういったことを気にしながら見る人にとっては大きな違いなのだろうとは理解はしますが、私の場合、普段バラエティ番組などで時折目にする芸能人の方でも、ドラマや映画において普段と異なるメイクや髪型で、普段視聴者に見せている性格と異なるキャラクターを演じていたりすると、出演していたことに気がつかないことがあります。また重要でない役や、誰が演じたかがあまり問題視されない役、あまり知名度が高くなく独立記事もない俳優については、不要だと考えます。例えば極端な例になりますが、『リング』の山村貞子の場合などは、主要登場人物ではあるものの映画内ではほとんど顔が描写されず、また映画内でも複数の役者が演じており、続編でも別の役者が演じているため、役名については(主人公として登場する『リング0』は別にして)キャスト一覧で十分のように思います。仮に俳優名を付すことをガイドラインに盛り込むとしても、その方が親切であるという理由で盛り込むのでしたら、「必要だと思う場合、重要な登場人物については書いてもよい」程度の内容が宜しいかと思います。--Kanohara 2010年4月26日 (月) 21:19 (UTC)

賛成。読者にとってわざわざ不便にする必要はないです。英語版では標準的な編集法です。

ちなみに、キャストの見出しは「登場人物」なのですか?「キャスト」ではなくて?ウィキペディアの記事は現実世界をもとに書くべきであって、フィクション中心の部分はストーリーにとどめておいて、登場人物に関しては現実世界の俳優を中心にするべきではないかと。--Bugandhoney 2012年2月16日 (木) 23:58 (UTC)

コメント 場合にもよると思うのですが、単に役者の一覧ではなく、劇中における登場人物がどういう役柄なのかという説明を付け加える場合は「キャスト」ではなく「登場人物」のほうが適切かと思います。
それと現実世界の観点から書くべきという視点から言えば、例えば『ローマの休日』のあらすじを「城から抜けだしたアン王女(オードリー・ヘプバーン)は、新聞記者のジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)に助けられ……」のように書くのは、それが現実の話なのかフィクションの話なのかが曖昧になるという意味でなおさらダメで、「オードリー・ヘプバーンが扮するアン王女は城から抜けだすが、グレゴリー・ペックが演じる新聞記者のジョー・ブラッドレーに助けられ……」のような書き方にすべきである、とも言えるのではないでしょうか。せめて「城から抜けだしたアン王女(演 - オードリー・ヘプバーン)は、新聞記者のジョー・ブラッドレー(演 - グレゴリー・ペック)に助けられ……」のような書き方でないと分かりにくく思います。--Kanohara 2012年2月17日 (金) 09:08 (UTC)

ご意見どうもです。いや、あらすじはフィクションの世界の観点から記述されるのであって、現実世界の観点からは書けないです。読者が映画というフィクションのあらすじを読んで、それが現実の話なのかフィクションの話なのかが曖昧になるということは起こらないと思うのですが。例外があるとしたら、ドキュメンタリー映画ですね。百科事典においては、フィクションの世界の観点からの記述はあらすじ程度にとどめておいたほうがよいというようなことが言いたかったのです。

あらすじに括弧つきで出演者を記して、その後に「登場人物」で同じことを書くと冗長だというのは当たり前かなあと。というのは、あらすじは登場人物を映画の展開に沿って紹介するものであって、その後にまた登場人物を紹介いすれば重複する部分が出てくるのは当然かと。そういう点でも「登場人物」の代わりに「キャスト」とするのがお勧めです。商業サイトで映画情報がどういう構成で記述されているのかちょっと調べてみたのですが、ストーリー(あらすじ)の後に「キャスト・スタッフ」とする場合が多いようです。[2][3][4]

Kanoharaさんが前に書いてあるとおり、新聞などのストーリー紹介などで括弧つきで俳優名を付すのはよくある表記法なわけであって、さほど混乱がおこるとも思えません(混乱が起こるなら新聞はそのような表記法を止めているでしょう)。あるとしたら、ウィキペディア編集者が混乱して役名のかわりに俳優名を記す場合でしょう。個人的な感想でいうと、Kanoharaさんが挙げた例のほうが読みづらいです。どういう記述の仕方がいいかは個々人の好みに負うところが大きいかと。さらに、現状として映画の記事で出演者の名前を記述するやり方にはいろいろあるわけであって、なおかつ、どのような表記の仕方がいいかで意見が割れている状態で、無理に統一する必要もないかなという気がしています。英語版のガイドラインでもこういう記述の仕方があれば、こういう記述の仕方もある、としか書いてないです。--Bugandhoney 2012年2月17日 (金) 18:17 (UTC)

コメント ううむ、登場人物名の後ろに括弧書きがあると、それがニックネームや本名や偽名といった、登場人物の別名である可能性も考えて戸惑ってしまうのは、私だけでしょうか。また前述のように、山村貞子ダース・ベイダーなど、役と俳優の関係が1対1でない場合もあります。新聞の表記方法は、紹介のためのスペースが限られているという都合もあるので、必ずしも見習わなくてもよいと考えますし、キャスト節または登場人物節を設けるのであれば、あらすじ節に現実とフィクションを混同するような記述を持ち込む必要はないのではないかと思います。--Kanohara 2012年2月21日 (火) 05:53 (UTC)

そういう人は他にもいると思いますよ。結局、括弧書きは「その役を演じている人」というお約束であって、そのお約束を知らない人、別のお約束を想起してしまう人にとっては意味がよくわからないでしょう。ただ、現実的にこの表記法がウィキペディアや他の媒体で多用されているということは、そういう人はあまり多くなさそうだ、とは言えるとは思いますが。

そういうお約束という観点でいうと、Kanoharaさんが提案した「グレゴリー・ペックが演じる新聞記者のジョー・ブラッドレーに助けられ……」というのは非常にお勧めできないです。というのは、これは「だれそれが演じる」までは現実世界の話、その後、「だれそれが何々した」というのは架空世界の話、という構造になっていますが、「だれそれが演じる」が現実世界の話だというお約束を知らない人にとって、あるいはそういうお約束を知っている人にも混乱を引き起こします。というのは、映画の主題が俳優や劇、映画そのものである場合(つまり、映画の中でメタな意味で演技する場合)、「演じる」「扮する」という言葉がそれが現実世界の話なのか、架空世界の話なのかがわからなくなってしまいます。

ちなみに、Kanoharaさんの当初の提案、つまり括弧書きなどただし書きは一切なしというのにはまるっきり同意します。どう考えても、読みやすさではこれが一番ですし、キャスティングについて別の箇所に記述するのであれば必要ないですから。ウィキペディアの記事という意味では、キャスティングはあらすじに括弧書きで済ませるのではなくて、別の場所で詳述するというのがもっとも適切だと思います。ただ、繰り返しになりますが、これはガイドラインで縛るようなことでもないかとも思います。ガイドラインには方針のような拘束力もないようですし。--Bugandhoney 2012年2月21日 (火) 13:50 (UTC)

Kanoharaさんとのやりとりを受けて「ストーリー」と「登場人物」に少し手を入れてみました[5]。--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 05:52 (UTC)

ストーリーについて

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最近、映画作品に加筆したいと考えている者ですが、草案について提案させてください。現段階の草案では、結末まで書く事になっているようですが、日本語ウィキペディアではそこまで書いていない記事がほとんどのようです。多数の記事に影響を与えることが予想されますし、ネタバレテンプレートを使用したとしても、未見の方の楽しみを奪う可能性もあると思うので、結末までは書かない方が良いと考えます。シックス・センスなんか、書いちゃマズいと思うんですが…--肝油大尉 2010年8月24日 (火) 07:43 (UTC)

反対 ネタバレの是非については「Wikipedia:ネタバレ」や「Wikipedia:内容に関する免責事項」で扱われおり、各種ウィキプロジェクトでそれを覆すべきではないと考えます。個人的には、未見の人の楽しみへの配慮というのは「百科事典として、その作品について解説する」ことに優先してはいけないと考えており、「作品解説の邪魔にならない範囲で、余裕があったら気を配っておいてもよい」以上の配慮はすべきではないと考えています。--Kanohara 2010年8月24日 (火) 08:24 (UTC)
コメント自分のネタバレに対する認識は2006年ごろの井戸端の議論で止まっていた事を白状します(汗)しかしネタバレのノートなどの議論を読んで、危惧する点もありましたので、あちらに書いておきます。--肝油大尉 2010年8月24日 (火) 13:25 (UTC)
反対 Kanoharaさんと同意見です。Wikipedia‐ノート:ネタバレで議論するとよいと思います。--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 05:52 (UTC)

英語版からの翻訳

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英語版から少しずつ翻訳しています。手伝えるという方や、変な用語を訂正できる方がいるとうれしいです。--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 05:52 (UTC)

「関連項目」と「外部リンク」の節順

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先ほど赤と黒 (1954年の映画)で直されて気付いたのですが、映画作品スタイルガイドはなぜ「関連項目」と「外部リンク」の節順が「外部」「関連」の順になっているのでしょうか? Wikipedia:レイアウトの指針では「関連」「外部」の順で、実際映画以外のほぼすべての記事でこの順に並んでいます。映画記事だけ異なったスタイルにする理由があるのでしょうか?U.S.S.Momotaro会話2012年3月31日 (土) 05:46 (UTC)

何か特別な理由、議論を経てこういう形になったのか、単なる気まぐれなのかは知らないのですが、とりあえず、本ガイドラインはまだ草案であり、正式化されたところですでにあるWP:ORDERに優先するとも思えず、とりあえずガイドライン草案をレイアウトの指針に沿った順番に直しておきました[6]。(個人的には英語版の「関連項目」「参考文献」「外部リンク」という順番が一番すっきりするのですが。)--以上の署名のないコメントは、‎Bugandhoney会話投稿記録)さんが 2012年4月2日 (月) 18:19 (UTC) に投稿したものです。

公開中の映画のストーリーはいつ頃なら書いてよいか

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表題の件です。公開中の映画のストーリーを書いたところネタバレだとしてリバートされたことがありますが、プロジェクトには今のところ、明確な基準はありません。個人的にはロードショー公開された後なら書いても構わないと思っていますが、英語版などでは何か基準はあるのでしょうか。なお、上の件で基準ができたとしても、対象になるのは日本映画だけになりますね(国外の映画は、大概の場合日本公開される前に他の国ですでに公開済みのため)。--Garakmiu会話2012年6月29日 (金) 22:15 (UTC)

英語版での基準はありません。というかそもそもネタバレは百科事典なら書かれるものなので、そのようなものはないのです。
"Per Wikipedia 's content disclaimer and guideline on spoilers , all of the film 's important events should be outlined without censoring details considered spoilers and without using disclaimers or warnings in the article." (ウィキペディア の項目はネタバレについての免責事項とガイドラインどおりに、 ネタバレと考えられる詳細を検閲することなく、そして警告メッセージや免責メッセージを記事内で使うことなく、映画の重要なイベントの全てが概説されなければなりません。)
"In short , Wikipedia contains spoilers; please respect this policy." (要するに、ウィキペディアはネタバレを含みます。この方針を尊重して下さい。)
ちなみに日本語版でもWikipedia:内容に関する免責事項でネタバレの免責がされていますし、「ウィキペディアでは検閲は行われません」(WP:NOTCENSORED)という方針からもネタバレだといってリバートすること自体が問題です。--Afaz会話2012年7月1日 (日) 23:52 (UTC)
コメントストーリー加筆お疲れ様です。せっかく書いた文章が消されるとがっかりしますよね。私もアベンジャーズであらすじを書いたら消されて[7]、なおかつ配給のディズニーの関連企業のIPアドレスからだったのでなんだかなあと。
とりあえず、削除した方に要約欄などで、Wikipedia:内容に関する免責事項WP:SWWP:PLOTSUMWP:WAFなどを使ってウィキペディアのフィクション記事では結末まで書かれたあらすじがあることが前提であり、WP:SWにあるとおり、ネタバレだけを理由にした記述の除去は方針違反だということを説明した上で差し戻すとよいと思います。ネタバレを理由に削除する方はあまり深く考えずに(方針文書等を確認せずに)そうしている場合が多いので、すんなりいくはずです。
それで、どの時点であらすじを加筆してもよいかというと、基準になるのはWP:Vになると思います。あらすじの出典となるのは作品そのものです。公開前でも関係者であればあらすじを書くことはできるとは思いますが、他の人が検証できないのでWP:V違反になると思います。微妙なのは試写会、プレミア、限定公開などを観た人があらすじを書く場合ですけど、これもやはり誰でも観ることができるものではないのでだめだと思います。つまり、映画の公開があらすじを加筆してもよいタイミングになると思いますし、公開されて映画を観ないと書けないですよね、普通。
英語版では、{{ネタバレ}}が廃止されてからだいぶ経つなど、ネタバレだけを理由にした記述の除去はできないという方針が日本語版よりも浸透しているので、こういう問題は起きにくいです(まったく起きないわけではないです)。話題作の場合、公開前は「Premise」などとして、作品ではなく公式サイト、プレスリリース、報道などを出典としてごく大まかなすじが紹介されているのが普通であり(例:en:The Dark Knight Rises)、公開と同時にあらすじが一気に加筆されて「Plot」に置き換わります。あらすじ加筆のタイミングが公開と同時になるというのはネタバレへの配慮ではなくて、単に書く材料がないだけだと思います。映画会社は内容がリークすることを厳しくコントロールしますので。日本語版でまねるとすれば、公開前は、すじの紹介が作品そのものではなく、別の文献に拠っているということが明白にわかるように、「あらすじ」「ストーリー」といった見出しとは別のものを考えたほうがよいかもです。--Bugandhoney会話2012年7月2日 (月) 14:56 (UTC)
ありがとうございます。リバートの件はだいぶ前の話なので今はどうこうということはないのですが、今後のために他の方の意見を聞きたかったので。放送中のテレビドラマなどと違い、映画ならばロードショー公開された時点で書いても構わないということでよさそうですね。--Garakmiu会話2012年7月3日 (火) 05:33 (UTC)
テレビドラマということはWP:SEのことですよね。私はテレビドラマの記事をほとんど編集したことがないので、なんとも言えないのですが、あらすじをむやみに書いたらだめだというのは、リークされた情報を基に執筆するのはWP:VWP:RS違反になるということや、各話ごとにあらすじを加筆すると量が大変なことになるのでそれを抑制しようとしているというようなことだと思います。ネタバレが理由になっているわけではないのでは。--Bugandhoney会話2012年7月5日 (木) 15:35 (UTC)
そうですね、テレビドラマの方では性急な編集が問題になっていて、ほとんど守られていないような状態ですが、どちらかというと登場人物の説明ばかり書かれるパターンが多いです。その割にドラマが終了すると全く放置されて、あらすじの節そのものが無い項目も多いですが…。ただ、映画での性急さの基準がよく分からずにいたのでお尋ねしてみました。ありがとうございました。--Garakmiu会話2012年7月6日 (金) 00:39 (UTC)
脱線ですが、「登場人物」節は非常にお勧めできないです。問題のある記述をさせてしまうので。よく「表面的には○○だか、本当はxxという性格」とか書きますけど、これは作品全体を通してその登場人物からその編集者がどのような印象を受けたかという独自研究そのものですよね。あと、「好物は○○」といったような、あらすじに書けないような瑣末な事柄が無差別に収集されたり、端役までリストが延々と続いたりすることがよくあります。作品そのものを一次資料として記述する際は、大まかな流れを時系列に沿って解釈を交えずに画面に現れたままに記述するのにとどめるべきだと思います。--Bugandhoney会話2012年7月6日 (金) 14:47 (UTC)

こんばんは、下でも書きましたがかなり危ない判断だと思います。ネタバレはモロに著作権を侵害しているらしいです。そして「著作権を侵害する記述は削除されます」と今私の目の前にある編集中の画面の一番最初に書かれています。数千字に及ぶストーリーの全貌と作品の根幹が分かってしまう記述はそうとう危ないのではないでしょうか?警告の意味でもう一度議論すべきだと思います。--220.208.181.187 2015年12月23日 (水) 20:20 (UTC)

あらすじの長さ

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英語版からプロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#ストーリーを翻訳しました。英語版では400語から700語となっている長さは1,500字から2,500字としました。英語版ではよく編集されている記事ではこの範囲内でよく推敲されていて、そういうあらすじはおおむね手短かつ要領を得ているという感想をもっています。数値はえいやっと決めたところはあるので、意見などがありましたらお願いします。2,500字はひょっとしてちょっと長すぎるかもしれません。ただ、2,000字だと結構きびしいです。一応以下の記事を参考にしました(数値は英語版が単語数、日本語版が文字数)。--Bugandhoney会話2012年11月2日 (金) 19:10 (UTC)

コメント Bugandhoneyさんが参考にされた3つの記事を読むかぎり、1500字から2500字というのは妥当な範囲ではないでしょうか。また、本来のスタイルガイドの策定手順とは逆になってしまうかもしれませんが、査読のプロセスを経た映画作品のGAやFAが今後もっと増えていけば、それらの記事を参考に再度検討してもいいのかなと思います。--農近会話2013年8月9日 (金) 03:27 (UTC)
失礼します。[新編] 叛逆の物語ノートで同様の議論がありましたのでこちらに追記させていただきます。あらすじの推奨文字数として1500字から2500字とありますのは英語版映画作品スタイルガイドにもあります通りあらすじで英語版で推奨されている400~700語を英単語の平均文字数である4.5をかけて算出した数字であるとお受けします。しかしながら英語と日本語では文字一字当たりの情報量の違いにより英語で書かれた2,000字と日本語で書かれた2,000字では情報量に隔たりが生じます。翻訳会社ジェスコの算出によると英語文章の文字数は日本語へ翻訳した後では4割の容量に減るとのことです。英語文章で400~700語が推奨されている場合は日本語では720~1,260字程度が好ましい情報量となります。推奨文字数のこの件に関して意見を募ります。--222.230.132.39 2014年10月2日 (木) 05:01 (UTC)
返信 (222.230.132.39さん宛) すぐ上の議論にあるように、Bugandhoneyさんは「2,000字だと結構きびしい」と言っていますし、農近さんも複数の記事を調査した上で、それを妥当であると支持しています。私も、シンプルな筋立てのアメリカ映画のあらすじをまとめても1,500字前後に収めるのがやっとで、720字というのはあまり現実的に思えません。主人公の行動だけを追っていけばあらすじがまとまるような作品なら、短くまとめることは簡単なのですが、4人以上の登場人物の思惑が複雑に絡み合うような作品だと長くなってしまうと考えています。「英語文章の文字数は日本語へ翻訳した後では4割の容量に減る」というのは机上の空論でしかなく、編集者の実感としてはもっと多くなるという意見が出ているのですし、英語版のウィキペディアと日本語版のウィキペディアでは事情の違いもありますし、それぞれの国で放映されている映画作品は作風も違うでしょうから、単純計算でどうのという結論は出せないと思います。
222.230.132.39さんが問題視しているアニメ映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』は、私も映画館で見てますしBD-BOXも持ってますけど、あれはどんでん返しに次ぐどんでん返しの中、テレビシリーズの登場人物の見せ場や複数の登場人物の思惑が錯綜する、入り組んだ筋立ての作品なので、単純にまとめるのは難しいんじゃないかなぁ……という印章を持っています。--Kanohara会話2014年10月2日 (木) 05:59 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛)  私が問題視しているのは辞典の記事として読む側に妥当な情報量かどうか、です。簡単に言えば、特に近年の映画ページのあらすじは情報過多です。「2,000字だと結構きびしい」とありますが、逆に「1,000字で収まる程度の情報量でいい」と考えた場合かなり楽に編集出来ると思いますがどうでしょうか?複雑なストーリーであってもそれを無闇にすべて書こうとしては記事としてのまとまりを欠きます。Bugandhoneyさんが書いていらっしゃる例も近年の映画であり、例えば少し前の「インデペンデンス・デイ」や「マトリックス」などではあらすじはわずか800字程度でまとめられており非常に見やすいです。3,000字以上は短篇小説の情報量に匹敵しますが、これほどの情報量を映画の紹介として辞典に載せ、それを読ませるべきでしょうか?というのが私のそもそもの疑問点と改善提案のモチベーションです(実際に読んでみて多いと感じたからです)。 以後各コメントについて少々コメントを返信します。○「「英語文章の文字数は日本語へ翻訳した後では4割の容量に減る」というのは机上の空論でしかなく」←実際に翻訳作業をしてらっしゃる会社の統計によるものです。例として英語版「パシフィック・リム」のplotには3,800字程度が充てられていますが(これでも海外版のガイドオーバーですね…)これを直訳させると1,700字程度に出来ました。計算どおりの容量減です。 ○「それぞれの国で放映されている映画作品は作風も違うでしょうから、」←私は主に海外作品の映画を見ることが多いのですが何れのページのあらすじも2,000字を越える、それに迫る容量のものばかりです。--222.230.132.39 2014年10月2日 (木) 08:32 (UTC)
返信 (222.230.132.39さん宛) 読む側にとって妥当かどうかで言えば、私は別に5000字オーバーでも読みにくくなるとは感じません。そもそもあらすじが短い作品記事は、たいていその分だけ登場人物節が長大か、あるいは記事全体がスカスカか、もしくはウィキペディアにおけるガイドラインに反して物語の序盤までしか書かれていなかったり、物語の主題に関わるネタバレが伏せられていて鵜呑みにすると恥をかくようなものであったりするので、私はあまり良い印象を持っていません。ただでさえウィキペディア日本語版の記事は、あらすじ節の内容が貧相であることが多いので、加筆を萎縮させるようなルールはない方が良いのではないかとさえ思っています。制限を設けるとするなら文章量よりも、過剰な台詞の引用や大げさな形容表現の多用など、取捨選択すべき内容の徹底でしょうね。
あと些細にして重要なことですが、ウィキペディアは辞典ではなく事典です。--Kanohara会話2014年10月2日 (木) 09:39 (UTC)
返信 (Kanoharaさん宛) おっしゃっているのは全て個人の感想ですね。記事が貧相だとか良い印象だとかは今の議論の論点ではありません。極めて客観的に私の意見のメインボディを書くと「短篇小説レベルの情報量をあらすじとして読ませるのは妥当かどうか」です。個人の感想を戦わせていては議論は永遠に平行線のままです。妥当だとおっしゃるなら客観的見地からの意見をお願いします。またこれは個人的な印象ですがどうもここの議論は編集する側の意見ばかりが先行しているように見えます。長いだけの文章ならバカでも書けます。内容の濃い短い文章を書けるかどうかが物書きの技量です。文学作品などではなく事典(でしたっけ?)としての機能を考えるのでしたら短く端的な文章になるよう努力することは当然と存じますが。--222.230.132.39 2014年10月12日 (日) 16:05 (UTC)
合わせてあらすじで取り上げるべき内容の提案をします。基本的には起:主要登場人物の関係性・舞台・設定の紹介、承:物語全体がどのような方向性で発展するのか、転:物語全体がどのよう収束へ向かうのか、結:結末、の最重要の4点を端的に抑えさえすればあらすじとしては十分な情報量だと存じます。これは童話・小説の書き方指南書にも記載されている最も古典的手法であり物語そのものを書くときの土台ともなるものです。この点さえ抑えておけば上の方のように読んで恥を書くこともないかと存じますがいかがでしょうか?この手法なら極めて少ない情報量から発展的に文字数を増やすことが可能であり800~1200字程度で十分な情報を記載することが出来ます。--222.230.132.39 2014年10月12日 (日) 16:39 (UTC)
返信 (222.230.132.39さん宛) いや、私にだって「皆もこの辺を押さえてあらすじを書いてくれればいいのになぁ」というコツやノウハウはありますけど、ウィキペディアは誰にでも編集の門戸を開いている以上、222.230.132.39さんの言う「バカでも書ける」ものではなくてはなりません。私としては以前に申し上げた理由から、ルールで雁字搦めにしてハードルを上げるような運用は現状を悪化させると予想しますし、だからこそ私個人のノウハウを他人に強要するつもりはないです。この辺は各編集者の裁量に任せた方が、うまくいくのではないでしょうか。なお、あらすじの書き方としては既に、現在の作品スタイルガイドや「Wikipedia:あらすじの書き方」にいろいろと作法が書かれており、普通はこの通りに書けば読むのが嫌になるほど長くなることはないはずです。この通りに書いても長くなるようなら、その作品はそれだけ二次情報で言及されるテーマや複雑な筋立てを持っているということで、多少長くなるのもやむを得ないでしょう。複数記事に分割されている長大な登場人物の説明の全てに目を通さなければ作品を理解できないような記事を読ませるくらいなら、多少長くてもあらすじに内容が集約されている記事の方が良いと考えます。もちろん簡潔な数行の説明だけで、作品を読まなくても筋書きやテーマが全て分かってしまうような内容が望ましいに決まっていますが、ウィキペディアの編集者にそのレベルを望むのは高望みというものです。
なお、あらすじの書き方を、強制力のあるルールではなく、書き方の一例として私論(Wikipedia:私論)レベルで発表するのであれば、別に反対はしませんし私に止める権利もありません。例えば私の心がけている要点としては以下のようなものです。
  1. 主人公が物語に関わるきっかけとなった出来事や、序盤からクライマックスまで一貫して主人公を突き動かす動機や欠落。
  2. 主人公が目的の達成のために選んだ手段とその獲得にまつわる顛末。例えばウラジーミル・プロップによる分類で言えば魔法の獲得。
  3. 物語のクライマックスで、主人公とその仲間が立ち向かわなければならない困難。
  4. 主人公の行動が最終的に報われたか否定されたか。また、どのような形で幕切れを迎えるか。
例えば漫画『けいおん!』なら、「何の特技もなく空虚な存在であった主人公が軽音部に入部し、熱中できる趣味とかけがえのない茶飲み友達を得て、コミュニティの永続のため大学進学に打ち込み、皆揃って大学合格する」のような要点になります。ただ、サブプロットの部分に重きが置かれている作品などは、杓子定規にテンプレートを当てはめると実際の作品の印象と乖離してしまうので、その辺は注意する必要があるでしょう。--Kanohara会話2014年10月12日 (日) 18:42 (UTC)
返信 (222.230.132.39さん宛) 横から失礼します。あらすじに関する議論はたいへん興味深いのですが、いくつか指摘を。まず、例として挙げられている、IPさんの理想的記事インデペンデンス・デイは、例として不適切であると見受けられます。このあらすじだと「最後の戦いに挑む」ところで映画が終了し、人類が勝利したのか敗北したのか観客の想像に委ねた結末になったかのように書かれていますが、KINENOTEによれば、実際にはその話の続きがあります。ラッセル・ケイスというキャラクターがいわゆる特攻攻撃をしたことで人類側が有利になり、戦いに勝利するわけですね。で、その肝心な結末はどこに書かれているかというと登場人物欄です。これはいただけません。こんな最重要なエピソードが、長々書かれた人物説明を一人づつじっくりじっくり読まないと分からないのではあらすじの役目を果たしていませんし、あらすじ節だけを読めば結果として虚偽記載になっているとすらいえます。Wikipedia:あらすじの書き方#登場人物節との関係にあるように、これは現在漫画やアニメ記事などでは非常に多い、あらすじは数行で人物説明に「ぼくのみつけたキャラクターのトリビア」を雑多に記述する、長いだけのダメなスタイルに近いものです。
私の考え方もどちらかといえばKanoharaさんに近いのですが、だらだらせず簡潔にまとめようとする姿勢は大事だとおもいます。IPさんにおかれましては、実際にご自身で手がけられた記事であるとか、元の話題らしい劇場版 魔法少女まどか☆マギカの長いあらすじを自分の手でまとめたものを例示されるとかして具体例を出されてみてはと思います。技量ある文章力で短くまとめる編集の実際を、お手並み拝見したく存じます。またそのために、アカウント取得をお勧めします。--Garakmiu2会話2014年10月13日 (月) 07:42 (UTC)
その後の222.230.132.39さんのお手並みに期待していたのですが、このように単にネタバレ隠しのために短くして末尾を三点リーダで言葉を濁したものにしたのみのようで、あらすじが改善されたとはとても思えず、残念ながら期待外れでした。--Garakmiu2会話2014年12月14日 (日) 14:40 (UTC)
コメント Garakmiu2さんが示したリンク先の内容を拝見しました。うーん、これは「Wikipedia:あらすじの書き方」にも反していますし、私もダメだと思います。もちろん序盤の展開だけに絞ったり、発端と結末を省いて「宇宙戦争とは、火星人と地球人の争いを描く内容である」のような要点中の要点に絞った書き方をすれば、幾らでも短くできますけど、それは推奨されていない書き方だと考えます。--Kanohara会話2014年12月14日 (日) 15:24 (UTC)
報告 関連する議論をWikipedia‐ノート:あらすじの書き方#あらすじの長さと適切なスタイルについてで始めました。--Garakmiu2会話2015年1月8日 (木) 09:29 (UTC)

こんばんは、こちらでも議論になっているようですが一応Wikipedia:井戸端/subj/小説や映画の要約やあらすじは著作権違反でしょうか?こちらでは4000字の要約が著作権法侵害に当たったとの事例がありました。上の方もおっしゃっていますが2500字ならokとは単純にはならないかと思います。またネタバレに関してもかなり危険なのではないかと。wikipediaがネタバレを禁止していなくとも法律が禁止しているわけですしね。ストーリーの長さと書く内容は慎重に選ぶべきかと存じます。--220.208.181.187 2015年12月23日 (水) 13:48 (UTC)

訳語「ストーリー」について

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「ストーリー」節[8]は翻訳元英語版では「Plot」[9]です。ところがストーリーとプロットは別のものとされています[10](出典が提示されていませんが、典拠は探せばあるはずです)。節名「Plot」を「ストーリー」と訳して、その冒頭で『あらすじとは、「ストーリー」や「あらすじ」といった見出しのもとに記述される、自己完結的なプロットの要約であり、』[11]と訳すと用語の概念が混乱してしまいます。翻訳元に「Plot」とあれば、そのまま「プロット」と訳すとすっきりすると思います。ちょっと見て気づいたので申しあげます。以前の議論なども存じあげません。まちがった指摘でしたら、お許しください。--Yamanosora会話2013年4月8日 (月) 21:46 (UTC)

プロット節は「あらすじ」としている例が多いので基本的には「あらすじ」でいいと思います。「ストーリー」はこの文書を書いた当時、あらすじをストーリーと書いている編集者も多かったからです。ちなみにプロットは少なかったです。どれかに統一する目的の文書ではないので、「あらすじ」「ストーリー」「プロット」どれでもよろしいかと。それと、プロットとストーリーが異なるといっても我々はそこまで厳密に区別しているわけではありませんので。--Afaz会話2013年4月8日 (月) 23:03 (UTC)
事情がわかりました。私が用語に少しこだわりすぎたようです。ありがとうございました。--Yamanosora会話2013年4月8日 (月) 23:20 (UTC)

コメント・ご意見をお願いいたします

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Template‐ノート:Infobox Film#英題の記載についてで、日本映画の外国語(特に英語)に訳したタイトルを掲載するか否かで議論をしております。コメント依頼もしてますが[12]、本プロジェクトにも関連があると思い、お知らせに上がりました。広く意見を募っておりますので、よろしくお願いいたします。--Gladneed会話2013年4月27日 (土) 18:10 (UTC)

報告Template‐ノート:Infobox Film#「訳題」の取り扱いについて - 当該テンプレに「訳題」というパラメータを掲載するか否か?
前回の依頼に続いてですが、前節「英題の記載について」から、ポイントを絞り、新たな節を設けて議論を継続しております。コメント依頼もしてますが[13]、改めてお知らせに参りました。広く意見を募っておりますので、よろしくお願いいたします。--Gladneed会話2013年5月3日 (金) 10:31 (UTC)

一般ユーザーの評価について

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恐怖省でIMDbとロッテン・トマトの評価を書き加えておいたところ、ある利用者から「インターネット・ムービー・データベースは一般人の感想の寄せ集め。評価としての価値がない。」という理由で除去されてしまいました。ロッテン・トマトの方はそのままにしてあるみたいですが、映画評論家の評価だけではなくて何千・何万の一般ユーザーからは平均してどう評価しているか見るのも面白いと考えたので一つの目安として、ロッテン・トマトと一緒に載せてものですが、載せない方が良いでしょうか?どうしても載せたいというわけではありませんが、一般人の感想の寄せ集めでも評価として注目してもいいんじゃないかと考えて載せました。--たいすけ55会話2015年2月27日 (金) 14:12 (UTC)

コメント ウェブサイトでの読者投稿による評価の平均点とかは、信頼性が高いものではないので英語版でも禁止してますし、やめたほうがよいかと。ロッテン・トマトのほうは読者投稿ではなくプロ批評家たちのですからウィキペディアが求める信頼性の点ではOKです。--Afaz会話2015年3月1日 (日) 02:45 (UTC)
コメント 一般ユーザーからの自由な投稿をそのまま掲載しているサイトは、映画記事に限らずウィキペディアの出典として使うことができません。理由については「Wikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿」をご覧下さい。もっとも「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」にあるように、映画評論家などが「投稿サイトによれば、一般ユーザーの平均的な評価このようなものであった」といった話題に言及したときは、そうしたレビューも「評判を得たことが明らかになった」として「1つのPOVとして記す」ことができるかも知れません。--Kanohara会話2015年3月1日 (日) 15:57 (UTC)

そういうことであれば、IMDbの掲載は取りやめます。ロッテン・トマトはユーザーの評価点から批評家の評価点に変更しておきます。ありがとうございました。--たいすけ55会話2015年3月3日 (火) 10:44 (UTC)

あらすじの長さ 再定義

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既に、適当な字数に関して上の項で議論されていますが、結局のところ「映画/映画作品スタイルガイド」における具体的な字数が定まっていないと感じたので、もう一度再提案します。 そもそも、「プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド」は英語版からの翻訳である以上、Bugandhoney氏が仰る

  • The Avengers - 660 アベンジャーズ (2012年の映画) - 2,052 (英語版と日本語版の情報量はほぼ同じ)

などに基づく定義によって、

  • Plot summaries for feature films should be between 400 and 700 words.
  • 長編映画のあらすじの長さは、1,500字から2,500字の間であるべきです。

となるのは日本語版と英語版において起稿した執筆者が違い、その後の編集過程も異なる以上、完全に対応している訳ではなく少し見直しが必要なのではと思います(日本語版で独自に定めるのなら話は別ですが…)。映画のプロットでは無いのですが、英語版でのアニメのエピソードリストの執筆経験から、大まかに英語の「between 400 and 700 words」は日本語で「800字から1400字の間」であると認識しています。例えば、クロスアンジュの英語版のen:List of Cross Ange episodesにおける記述[14]は「1064 words」で、同時期に書きおこした日本語の原稿では2243語でした(私論の展開と言われてしまえば身も蓋も無いのですが)。余談ですが、その後、「1064 words」から「1200 words」になってしまい苦情が来たのですが、やはり劇場版 魔法少女まどか☆マギカのように長く書き始めると際限なく長くなってしましまい、記事を圧縮しようとししても全てが重要そうな記述に見えてきて中々記述の整理ができないという事態にもなりかねません。そこで、あらすじは映画などの鑑賞に代わるものではない(ノベライズのような記述量にはなってはいけない)と考えると劇場版 魔法少女まどか☆マギカのような途方もない4000字にはならないかと思います(もはやこの量だと読む気すらおきません)。意見などがありましたらコメントお願いします。--Infinite0694会話2015年3月19日 (木) 11:43 (UTC)

反対 反対です。Infinite0694さんの意見は以前の議論で反対された内容の域を出ず、新たな論点もないように読めます。ならば、私は以前の議論の結論と同じ理由で反対です。--Kanohara会話2015年3月19日 (木) 12:20 (UTC)
コメント 早速のコメントありがとうございます。Kanoharaさんの意見によると「あらすじの字数は定めるべきではない」と見受けられるのですが、現状の記事では「1,500字から2,500字の間であるべきです」のまま放置されております。もし、英語版からの忠実な翻訳にするには「800字から1400字の間であるべきです」にするか、今までの議論の流れに照らし合わせるなら、「長編映画のあらすじの長さは特に定まっていませんが常識的な長さにしてください。ただし、英語版では『800字から1400字の間であるべきです(日本語の字数に換算)』と適切な長さが定められています。」のどちらかにした方が良いかと思います。--Infinite0694会話2015年3月23日 (月) 08:50 (UTC)
コメント 考慮しなければならないのは言語ごとの情報量の違いのほかにも、(もちろん当てはまらない例も多いのですが)派手な演出と単純明快なストーリーを売りとするアメリカ映画と、奥行きのある物語性を「クールジャパン」として持て囃している日本映画といった、文化的な背景の違いもあります。またウィキペディア日本語版には、他言語版と比べてフィクションの記事が多いにもかかわらず、あらすじのセクションには物語のプロローグだけを記して、詳細な内容は登場人物の解説に書き連ねるような不適切な記事が多いといった、是正すべき問題があり、他言語版より長めのあらすじを推奨することには合理性を感じます。別に英語版の方針と歩調を揃える必要はないでしょう。「日本語版を編集してきた経験則では1,500字から2,500字が妥当」という意見は私の実感とも一致しますし、「もっと短くできる」と主張していた執筆者さんが出した実例はいずれも不適切なあらすじだったという過去の議論の経緯からしても、私には「800字から1,400字」というのは実を伴わない理想論のように思えます。
それと「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」の場合、ストーリーに特筆性があるテレビアニメ全12話の内容をまとめた前後編と、テレビアニメ版と同程度の内容を詰め込んだ新作完結編の、あわせて三作でひとつの映画を構成しているという考慮すべき事情があります。いずれにせよ現在の映画スタイルガイドにおける推奨されるあらすじの長さ2,500字を超過していることには変わりなく、1,500字超過でも2,600字超過でも五十歩百歩であり、文字数上限を少なくすることによってこのような記事を制限できるとは思えません。少なくとも「スタイルガイドの不備によって冗長になっているあらすじの例」として引き合いに出すには、あまり参考になる事例ではないでしょう。
もしも長すぎるあらすじが読者の読む気を削ぎ、記事の可読性を損ねているというのであれば、あらすじ節を「あらすじの概要」「詳細なあらすじ」のセクションに分けるなどして、全体の内容を簡単に説明した文章を最初に置くという方法もあります。これなら長文を読むのが面倒なので概要だけ知りたい人も、詳細な内容を知りたい人も、どちらも満足させることができるでしょう。また「Wikipedia:あらすじの書き方#非常に長い作品の場合」のように、あらすじのセクションだけを独立記事して、あらすじの概要をサマリースタイルにするという最終手段もあります。ウィキペディアは紙製の百科事典ではないので、文章を短くする以外にも、有効な方法はいくらでもあります。--Kanohara会話2015年3月23日 (月) 12:33 (UTC)
コメント Kanoharaさんの意見には反対しないのですが、「1,500字から2,500字の間であるべきです」というような記述は編集者を混乱させる可能性もあるのでわざわざ記載する程のものでもないと思います。というのも、「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」に始まる2,500字を超えているあらすじの場合、「スタイルガイドの不備によって冗長になっているあらすじの例」として度々他の編集者からも引き合いに出される可能性があり、特に字数の指定は無くては良いのではと思います。--Infinite0694会話2015年3月28日 (土) 04:54 (UTC)
返信 (Infinite0694さん宛) 私は、目安として「最低これだけ」という字数は必要だと考えています。ウィキペディアのフィクション記事全体を見渡しても、より問題が大きいのは長大なあらすじよりも、プロローグ部分しか書かれていない短いあらすじだと考えています。個人的な経験でも、あらすじのガイドラインに沿って結末までの内容を書こうとした結果、ノートページやTwitterで「長い」「まとめウィキに結末まで書く必要ないだろ」的な文句を言われたことがありますが、そういう意見を言う人が書くあらすじに限って、結末や核心部分をぼかすなどして、物語の全体像を見渡すことができない不適切な内容になっている……というのが、前回の議論の結果でもあったはずです。--Kanohara会話2015年3月30日 (月) 15:16 (UTC)
すみません、著作権上の観点から(こちらで議論がありますWikipedia:井戸端/subj/小説や映画の要約やあらすじは著作権違反でしょうか?)はどうお考えでしょうか?4000字の要約が著作権侵害に当たる事案があったそうです。ネタバレに関してもかなり危ないようです。数千字に及ぶ、あれもこれも、というネタバレを含む要約はかなり危険だと判断します。今一度議論すべきかと思います。--220.208.181.187 2015年12月23日 (水) 20:28 (UTC)

キャスト節の定型を「出演者名 - 役名」とする提案

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現行の草案において提示されている、「役名 - 出演者名」というキャスト一覧の定型には大きな問題があります。まず第一に、「キャスト」とは登場人物や役柄のことではなく、出演者の集団を指す言葉です。同じ戯曲の同じ登場人物でも、違う俳優が演じたらそれは別のキャストとして数えられることからも自明でしょう。そして、ウィキペディアの一般的な記事の関連項目一覧を思い浮かべると分かりやすいように、通常、箇条書き項目におけるハイフンとは、それに続く記述がその前の記述への付加的な情報であることを示します。たとえば「X」という見出しの下に「• A - B」という箇条書きがあれば、通常それが意味するのは「XにはAが含まれ、BはAに関する付加的または叙述的な情報である」ということです。

さらに、現在の草案における定型には致命的な問題があります。それは、出演者が役名を伴わずキャスト一覧に追加されたときに、極めて一貫性に欠けた結果になってしまうことです。公開前の作品やカメオ出演などで、演じる役名が明らかになっていないか、言及する必要のない出演者がキャスト一覧に掲載されることは決して珍しくありません。そのような場合に、それ以外の項目が「役名 - 出演者名」という表記では、何が出演者で何が役柄なのか非常に区別のつきにくい不便な状況が生まれてしまいます。

以上の理由により、本スタイルガイドで提示するキャスト一覧の例の順序を「出演者 - 役名」とすることを提案します。また、一覧の各項目に説明が伴う場合は現在「定型書式」に記されている「役名 - 出演者名: 説明」(あるいは上記提案を反映したとして「出演者名 - 役名: 説明」) よりも「役名: 出演者名 - 説明」の方がずっと理に適っています。コロンは主従関係、ハイフンは付加的情報を示すために使われるのが通例であるためです。したがって「役名: 出演者名」および「役名: 出演者名 - 説明」も認めた方がよいと考えます。読み仮名についても、例外なく読みを表記するような印象を与える現行の案よりも、単にWikipedia:表記ガイド#読み仮名に倣うべしとした方が合理的です。これらについても異論がなければガイドに反映したいと思います。

最後に強調しておかねばらならないのは、このスタイルガイドは冒頭に明示されているように現段階では数人の執筆者のみによって書かれた、大きな合意形成を経ていない草案にすぎないこと、そしてたとえそうでなくともこれは本質的にあくまで「ガイド」であり、実際の編集は常に各ページの個別の事情に鑑みて行われるべきであるということです。本ガイドを根拠としてキャスト一覧を機械的に改変する編集が時折見受けられますが、ルールだからといって (現時点ではルールですらないわけですが) それをむやみやたらに適用してしまっては、本末転倒というほかないというのが私の個人的な所感です。--Purposefree会話2016年2月13日 (土) 09:10 (UTC)

報告 本文への反映を行いました。むろんこれは本件に関するさらなる議論を妨げるものではありません。--Purposefree会話) 2016年2月26日 (金) 12:41‎ (UTC)

アニメなどキャストが複数存在する作品に表の使用を認める提案

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本スタイルガイドは「キャスト・スタッフ」節において「表を使ってはいけません」としていますが、その根拠として挙がっているWikipedia:表のガイドラインを実際に見てみれば、「表を使ってはいけない」のはあくまで列数の極端に少ない極めて単純な一覧の場合であって、常に例外なくキャスト・スタッフのような性質の一覧に表を使ってはいけないというわけでは決してないことが分かります。これは上の提案で述べたことと重複しますが、本スタイルガイドは現時点ではあくまで草案であり、それどころかたとえそうでなかったとしても実際の記事の編集は常に各ページの個別の事情に鑑みて行われるべきで、本スタイルガイドが「表を使ってはいけません」と記しているからというだけの理由で個々の作品記事からキャスト・スタッフ一覧に使われた表レイアウトを問答無用で除去するのは端的にいって合理的ではありません。しかし、かつて多く見られたような、日本で外国語映画の吹き替えを担当した声優を実際に役を演じた俳優と併記した表を作成することは、俳優と声優では作品への貢献度に大きく差があること、そのため往々にして不完全な表になりやすいこと、ならびに検証可能性を満たせる信頼できる情報源の取得可能性が後者は著しく低いことから、よほど特別な事情がない限りほぼすべての場合において好ましくないとも考えます。そこで提案なのですが、作品への貢献度や検証可能性の等しい複数のキャストが存在する作品、すなわち主にアニメ作品においてのみ、キャスト一覧における表の使用を本ガイドラインで明示的に認めてはどうでしょうか。いずれにしても現状の表記は混乱を招くのみで、表の使用の可否に関してはより具体的な指標が必要だと思うのです。--Purposefree会話2016年2月13日 (土) 09:10 (UTC)

報告 本文への反映を行いました。むろんこれは本件に関するさらなる議論を妨げるものではありません。--Purposefree会話) 2016年2月26日 (金) 12:41‎ (UTC)

正式化への提案

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そろそろ正式化してもいいのではないでしょうか?あらすじ/ストーリーの書き方について、議論が完全にまとまってはいないようですが、この点については「Wikipedia:あらすじの書き方」が公式ガイドラインとして存在していますので問題ないと思います。このページが「プロジェクト:映画」から分割されてから7年が経ち、当スタイルガイドに従って作成・修正された映画記事を数多く閲覧してきましたので、ページ先頭のテンプレをガイドラインのテンプレに置き換え、正式することをご提案します。--ContinentalGT会話2017年7月14日 (金) 05:29 (UTC)

賛成 大変遅い回答ですが、賛成します。色々、個人的には思う所はありますが、兎に角、賛成です。--ワーナー成増会話2017年9月10日 (日) 09:13 (UTC)
賛成 今さらですが賛成します。--Ambivalence会話2017年9月10日 (日) 10:49 (UTC)
  • 賛成 - お返事を忘れておりすみませんでした。ガイドライン化に賛成します。(それと事後報告で申し訳ありませんが、雛形のところに外部リンク用テンプレートを少し足しておきました)--FMmice (会話/履歴) 2017年9月13日 (水) 14:36 (UTC)
コメント 皆様ご賛成いただき、ありがとうございます。提案から2ヶ月が経ちましたので、近日中に私のほうで正式化の作業を行おうと思いますが、より多くの方から賛同頂きたいので、もう少し待とうと思います。正式化に賛成の編集者さんがいらっしゃいましたら、ぜひこちらに賛成票を頂ければ幸いです。宜しくお願いします。--ContinentalGT会話2017年9月14日 (木) 07:21 (UTC)
賛成 改良の余地を感じる箇所はありますが、大過ない問題であるため、正式化には賛成です。--けいとん【鶏豚】会話2017年9月14日 (木) 12:27 (UTC)
報告 - 一定期間経過しましたが、反対票なし、複数の賛成票をいただきましたので、この後テンプレ置き換えによる正式化を行います。--ContinentalGT会話2018年1月6日 (土) 17:55 (UTC)
チェック - 合意に基づき、テンプレを「ガイドライン」に置き換えました。これは本ガイドに関するさらなる議論を妨げるものではありません。単にテンプレを置き換えただけですので、手順など誤りがございましたら、ご指摘・修正いただければ幸いです。
なお、カテゴリにつきまして現状「Category:記事のスタイルのルール」に登録されているのみです。正式化により、その他カテゴリへの付け替え、追加等がございましたら、適時作業いただければ幸いです。
賛同いただきました皆様、ありがとうございました。今後もWikipedeia映画を発展させて行きましょう!--ContinentalGT会話2018年1月6日 (土) 18:14 (UTC)

定型書式における「参考文献」と「出典」の分離の提案

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現在は

== 参考文献 ==
{{Reflist}}

となっているものを本文の「出典・参考文献」の記述に合わせて

== 出典 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==

と分離した方が良いと思うのですが、いかがでしょうか? --Ambivalence会話2018年4月6日 (金) 04:15 (UTC)

賛成 - 賛成です。映画記事以外にも言えますが、出典や脚注、参考文献など色々なやり方があり、映画プロジェクトにおいては上記のように分けた方がいいと思います。 ContinentalGT会話2018年5月15日 (火) 12:46 (UTC)
ご賛同いただき、ありがとうございます。全く議論として盛り上がっていませんが、特に反対意見もないですし、そもそも本文に書かれている内容を反映するだけのことなので、もう数日だけ待った上で変更作業をしたいと思います。--Ambivalence会話2018年5月16日 (水) 12:45 (UTC)
報告 作業を終えました。--Ambivalence会話2018年5月18日 (金) 22:40 (UTC)

映画雑誌の記述は単独では信頼に足らない、削除対象にあたるかなど

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ノート:里見八犬伝 (1983年の映画)での議論について、映画項目執筆の根幹に関わる内容もあるので広くご意見頂戴したいと思います。 ご意見はノート:里見八犬伝 (1983年の映画)にお願いします。--101.110.58.134 2018年12月6日 (木) 11:51 (UTC)

「定型書式」へのTemplate:Normdatenの追加

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定型書式に「{{Normdaten}}」を追加することを提案します。場所は「{{DEFAULTSORT:(タイトルのよみ)}}」の上。--Ambivalence会話2021年3月22日 (月) 01:44 (UTC)

特に異論もないようですし、既存の記事に対する{{Normdaten}}の追加がボットでも既に行われていますので、これから追加の作業をします。--Ambivalence会話2021年3月30日 (火) 01:14 (UTC)
チェック --Ambivalence会話2021年3月30日 (火) 01:17 (UTC)

ストーリー(あらすじ)内に原作との違いを記す必要はある?

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ノート:病院坂の首縊りの家 (1979年の映画)にて、原作「病院坂の首縊りの家」が存在するにも関わらず、映画化された記事のストーリーに原作との違いを詳細に記す必要があるかないか議論をしています。出典込みで製作サイドの改変意図を記述するなら理解できますが、Wikipedia利用者が原作と映画の違いを映画記事に書き連ねるのは利用者の独自研究だと思います。原作記事の見出し「ストーリー(あらすじ)」を充実させ、原作と映画の記事をリンクする(現在リンクあり)ほうが、読者に親切というのが私の考えです。過去に話し合われていたり、そもそもここで質問をするのがいいのか、迷いましたが、書き込んだことをご容赦ください。ご意見ございましたら、当該ノートにご参加のほど、宜しくお願い致します。--Uenozuki会話2021年5月2日 (日) 17:22 (UTC)

千葉真一関連記事に於ける編集の開放を!

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ノート:激突! 殺人拳にアドバイス、ご意見等をお願いします。 特に製作節の記事執筆について。宣伝・配給・興行関係者の映画製作に関する証言は、信頼性が高いと言えないので出典に使うのはいいですが、製作関係者の証言を除去してまで優先すべきでないと考えます。これら関係者は映画の製作に直接にはタッチしていません。製作節の記事は映画製作に携わった人の記事を優先すべきと思います。--150.249.214.46 2021年8月15日 (日) 12:10 (UTC)