ノート:激突! 殺人拳
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千葉真一関連記事に於ける編集の開放を!
[編集]千葉真一の関連記事を書かれたことのある方は、同じ経験をされた方もいると思いますが、外部リンクの追加程度ではいじられませんが、千葉関連の記事、特に製作面等に新たな出典を加え加筆すると問答無用で即刻削除されます[5]、[6]、[7] 千葉の熱狂的ファンか、関係者か分かりませんが、門番のような方で、信頼できる出典を出そうがお構いなし。削除理由も意味不明で、とにかく「オレの書いた記事は、誰にも触らせねえ。誰にもだ!」のような姿勢で、自身の書いた記事に異分子が入り込むことを異常に嫌い、すぐに元に戻してしまいます。投稿することを萎えさせることが目的なのかとも思ってしまいます。Wikiは誰でもルールを守れば編集できるという基本方針なので、信頼できる出典が明記された編集は除去しちゃダメでしょう。消せる理由は無いというより、荒らし、投稿ブロックの対象と考えます。アサ芸やZAKZAKのようなネット記事を優先する理由は何でしょうか? それらの出典を使うのはいいですが、他の人の出典も認めてください。製作節の記事なので、映画の製作に実際に携わった人の記事を優先すべきです。福永邦昭は宣伝担当です。勿論、いい宣伝を行うには製作面をある程度知っていなくてはなりませんし当然、撮影を見学したりすることや製作関係者から話を聞くことはあるでしょう。しかし基本的に製作にはノータッチです。製作関係者の証言を丸々除去して宣伝担当者の話を優先して書くのはおかしいです。また、『ロードショー』1976年3月号で岡田東映社長は「東映洋画の作品は私と鈴木常承洋画部長の二人で選定しています」と話しています (同書196-199頁)。福永邦昭は当時東映入社10年。岡田社長に直接話が出来る立場なのかも分かりません。疑問があるような出典に異議を出すのは問題ないと思います。いい機会なので、映画の記事を書くときは、映画製作者の証言を最優先。映画製作に直接タッチしない、宣伝・配給・興行関係者の映画製作に関する証言は、信頼性が高いと言えないので最優先しない。参考証言としての記述にとどめるとして頂きたい。これらを踏まえ、本記事の製作節うち、福永邦昭の証言までは以下のような再投稿を提案します。小沢茂弘監督が著書で「岡田茂からブルース・リーを真似ろ」と指示されたと話した記述も都合が悪いのか、いつのまにか消されていますが、鳥居元宏の話は重要な製作過程での証言のため、簡略化してはいけません。高田の証言と食い違っていてもそのまま記述することが重要です。
※広く意見を頂くため、井戸端と映画作品スタイルガイドに議題を提出しています。
『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)のシナリオハンティングで香港を訪れた高田宏治は、当地の映画館でカンフー映画を観賞した[1]。東映京都撮影所へ戻ってから「香港にとんでもなく面白い映画がある」と彼方此方に伝えたので、スタッフ内では高田の土産話で持ち切りとなる[1]。京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田茂は、日本国内で一般公開される前のカンフー映画『燃えよドラゴン』(1973年)を観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かう[1]。観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーをカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた[1]。
高田宏治と共同で脚本を担当した鳥居元宏は「『岡田茂さんが呼んでるから東京に行って来い』と言われ、本社に行ったら岡田さんが『『燃えよドラゴン』が税関を通った。ウチで多分配給をやることになると思うんで、明日の朝一番で、丸の内東映がフタを開ける前に試写を観るから、明日お前早起きして朝6時に来い』と言われました。当時、ブルース・リーなんて誰も知らなかったんですが、岡田さんはブルース・リーをよく知っていて、試写の後、『ブルース・リーというのは、こうこうこういう奴で、ハリウッドで人気が出始めているから、ウチが一発目を入れる。だから『燃えよドラゴン』をパチれ!(パクれ)高田宏治とお前の二人で『燃えよドラゴン』を日本版にしろ』と指示されました。岡田社長が洋画をパチれと指示するのは年中のことです」などと証言している[2]。小沢茂弘監督は「岡田茂からブルース・リーを真似ろ」と指示されたと話している[3]。
一方、宣伝担当の福永邦昭は製作のきっかけを、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のバンコックロケの途中に香港へ寄った際、ゴールデン・ハーベストのプロデューサーとブルース・リーに会っていた[4]。日本で知られていないカンフー映画やリーの人気ぶりを肌で感じた福永は、リーが千葉真一の大ファンであることを知り、共演できるかもしれないと今後を見据える[4]。しかし帰国して10日後にリーの訃報を聞く[5]。その後ゴールデン・ハーベストは『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本上映権を格安でセールしてきた[5]。フィルムを取り寄せ、社内試写で岡田茂に見せると「これなら千葉でやれる」と即決されたので、京撮で準備に取りかかったと証言している[5]。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
=== 出典 ===
- ^ a b c d 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、344頁。
- ^ 「鳥居元宏インタビュー」『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』、254 - 255頁。
- ^ 「カラテ映画でもう一花」『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』、91 - 92頁。
- ^ a b “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死 (1/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 1 (2016年3月18日). 2016年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
- ^ a b c “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死 (2/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 2 (2016年3月18日). 2016年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
== 参考文献 ==
- ※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。発表年順。
- 小沢茂弘、高橋聡『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』(初版第一刷)ワイズ出版、1996年11月10日。ISBN 9784948735576。
- 中村カタブツ『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』(初版第一刷)ぴいぷる社、1999年12月25日。ISBN 4893741373。
- JJサニー千葉『千葉流 サムライへの道』(初版第一刷)ぶんか社、2010年9月20日。ISBN 4821142694。
- 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(初版第一刷)文藝春秋、2013年11月15日。ISBN 4163768106。
- 谷川建司『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』(初版第一刷)森話社、2021年1月25日。ISBN 9784864051552。
--150.249.214.46 2021年8月15日 (日) 12:10 (UTC)
- 門番のような方で、信頼できる出典を出そうがお構いなし。削除理由も意味不明で、とにかく「オレの書いた記事は、誰にも触らせねえ。誰にもだ!」のような姿勢で、自身の書いた記事に異分子が入り込むことを異常に嫌い、
- まんま、あんたやろ!出典を出してるんだから、オレが書いた記事を触るなって!!--240D:1A:61F:600:E500:615D:CD4C:998B 2021年9月1日 (水) 14:50 (UTC)
== 過去ログの繰り返し ==
コメント ノート:激突! 殺人拳/過去ログ1を読んだ者です。あなたは自分の編集を、別の人に編集されて逆ギレしてましたね。6年前と同じ議論をまた繰り返すの?
ここだけでなく、「岡田茂 (東映)が云々かんぬん~」という内容が、東映作品、岡田が直接関係のない角川作品や民放ドラマや大河ドラマにも仰山あります。俳優の記事、例えば渡哲也とかも同様の状態。渡の生涯を書くべきなのに、「岡田がどうしたこうした」と延々書かれている。
あなたが書き加えてきたものばかりだが、岡田発言・行動を逐一かつ詳細に載せるほうが。百科事典として相応しくありません。
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--240D:1A:61F:600:C1B5:A2FB:A550:2999 2021年8月15日 (日) 13:35 (UTC)
- >いい機会なので、映画の記事を書くときは、映画製作者の証言を最優先。
- >映画製作に直接タッチしない、宣伝・配給・興行関係者の映画製作に関する証言は、信頼性が高いと言えないので最優先しない。
- >参考証言としての記述にとどめるとして頂きたい。
- 反対 これらは独自研究に該当します。こんな考えでウィキペディアに参加するのは極めて危険だと思います。--106.165.82.30 2021年8月16日 (月) 02:08 (UTC)
- IP:150.249.214.46(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏はノート:柳生一族の陰謀/過去ログ1でも「映画の企画といえば、最大の功績ともいえる重要な事項」と自説を曲げず、みなを困らせていたが、ちっとも変わっていないなあ。「岡田茂東映社長」と必ず書くから、IPが変化してもわかるんだよ。岡田を目立だせるために些末な出来事まで書き足すから、内容の主客転倒や偏りが目立つ。直しが入っていない記事は放置されているだけで、承認されているとは限らない。--110.54.67.66 2021年8月16日 (月) 23:16 (UTC)
報告 発言の文脈をわかりやすくするため、最初の見出しを除き、マークアップを追加。24.18.58.92 2021年8月17日 (火) 07:05 (UTC)
反対コメント 当映画そのものを知らないので作品内容に関連した部分には言及しませんが、「福永邦昭は映画製作とは関係しない一宣伝マン」の様な人をこき下ろす文言を平気で書き入れてる時点で百科事典の編集には向いてませんから、ご自身で法的リスクも背負われた上でSNSやブログ等に発表されれば良いかと思います。また投稿ブロックを受けている訳でも編集保護されている訳でもないのに「編集の開放を!」などと大袈裟な表現をしたり、井戸端においても長年編集に関わっているわりには「単なる編集除去」と「即時削除」の区別が付いていない、当ページ冒頭においても誇大表現や印象操作が過ぎるなど、その編集内容よりも参加姿勢そのものに大きな問題を抱えてらっしゃる様に見受けられます。--139.101.117.194 2021年8月17日 (火) 08:03 (UTC)
- 返信 千葉真一凄いですねえ。恐ろしい。いいファンを持っておられます。色々コメント頂きましたが、240D:1A:61F:600:C80B:CA3A:CBED:6BBAさん、240D:1A:61F:600:C1B5:A2FB:A550:2999さん、110.54.67.66さんは同じ方ですよね?。この139.101.117.194さんは別の方のようですが、「福永邦昭は映画製作とは関係しない一宣伝マン」という記述が「人をこき下ろす文言」に当たりますか? 「ご自身で法的リスクも背負われた上でSNSやブログ等に発表されれば良い」とか「参加姿勢そのものに大きな問題を抱えてらっしゃる様に見受けられます」とか、人格否定のような言葉を平気で言えるんですね。映画の記事を書いていると、製作に直接タッチしない宣伝担当者が、自分が作ったように製作面のことまで色々話すのはやはり違和感があります。あと、240D:1A:61F:600:C1B5:A2FB:A550:2999さんへのご返事ですが、角川作品や民放ドラマ、大河ドラマは岡田に直接関係のないといわれますが、岡田のことをちゃんと調べられて言われることでしょうか?東映絡みのこれらはすべて岡田が主体的に関わっています。俳優の記事、例えば渡哲也の記事に不満があるようですが、岡田はプロデューサーであり、東映のトップで製作の最終決定者でもあり、役者や監督、プロデューサーを育てたことが大きな功績です。高岩淡も「萬屋錦之介さん、鶴田浩二さん、高倉健さん、菅原文太さん、佐久間良子さん、三田佳子さん、笠原和夫さん、深作欣二さん、降旗康男さん、佐藤純彌さん、みんな岡田茂社長が育てたスタッフと役者さんです」と話しています。勿論、名を遺す映画人は本人の才能も大きいですが、抜擢されたチャンスを活かしてスターになったのですから、岡田に抜擢されたと書いても問題ないでしょう。渡の生涯を書くべきといわれますが、そういう内容も書かないと薄っぺらの記事になると思います。渡についていえば、岡田が東映に引き抜きを画策しなければ、『仁義の墓場』と出演はなかったわけですから、渡の代表作はテレビだと『西部警察』でしょうけど、映画だと『仁義の墓場』でしょう。記載は問題ないと思いますが。千葉について言えば、『激突! 殺人拳』は、岡田が『燃えよドラゴン』の配給を狙って、結局失敗したわけですが、じゃあブルース・リーを千葉に置き換えて作ろうと発案したのが始まりですから、岡田の直企画でしょう。『激突! 殺人拳』が作られていなければ、千葉は国際スターになってませんよ。さらに言えば、1960年代後半に映画に興味がない大川親子は、映画製作を松竹に委託して縮小しようとして、東映をボウリングを中心とした総合レジャー企業に転換させようとしたんですから、岡田が社長を継いでなければ、その後の映画は生まれてませんし、貴殿のお好きな千葉の映画も作られてません。岡田が社長就任時に「東映は映像製作を中心とした製作会社を目指す」と標榜したことで、今日でも東映は曲がりなりにも映像製作会社として生き残っています。岡田は今日の東映カラーを作り上げた人物と社史にも書かれています。千葉にとっても岡田は大恩人でしょう。岡田に対するリスペクトがなさ過ぎです。ここは人物記事ではなく映画作品の記事ですので、映画の製作等、本作に関する内容は信頼できる出典があるなら、全て記載を認めるべきです。「岡田がどうのこうの」は削除理由にならないと思います。
- >新たに『激突! 殺人拳』の「解説」か「製作」の頭に「当時の東映社長・岡田茂が、ブルース・リーを千葉真一に置き換え企画製作した」の記載を提案します。本作の製作経緯を端的に表しているからです。出典は、小沢茂弘・高橋聡『困った奴ちゃ』91頁
- 小沢「昭和47年の暮れに『激突! 殺人拳』という、もうひとつのエポックメーキングな作品にかかるんです。千葉真一の映画シリーズで、ワシの最後のあがきというか…。」
- 高橋「やくざ映画からカンフー映画への飛躍というのもすごいですね」:
- 小沢「こりゃもう、何やってもアカンから、当時ブルース・リーの映画が当たっていたから、その真似でやろうという企画でしたから」
- 高橋「誰の指令ですか」
- 小沢「それはやっぱり岡田茂です」
- 春日太一『あかんやつら』343–344頁
- 千葉の人気を決定づけたのが『激突! 殺人拳』に始まるカラテ映画だった。これは当時の、日本で大人気を博していたブルース・リーによるカンフー映画を日本版に翻訳したもの。(中略)京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田だったが、一般公開に先立って『燃えよドラゴン』を試写で観劇し、これに惹かれる「オモロイやないか。この線で行け」。当時、日本映画の国内市場は年々小さくなっていた。そこで岡田はカンフーをカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えたのだ。
- 文化通信社編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』44頁
- 岡田「映画製作配給業でいちばんむつかしいのはプログラム・ピクチャーで黒字を出すこと。(中略)ポルノが下火になったのも事実だし、劇画から素材をとっていたのもマンネリ化している。しかしこの種のジャンルはいつか復活するものだよ。要は素材の取り上げ方にチエをしぼること、あわせ番組を工夫すること、公開のタイミングを考えることだ。公開のタイミングについていえば、いまブーム現象を起こしている"空手映画"だ。昨年の秋、『燃えよドラゴン』の前評判が高くなったとき、千葉真一でいけと2月に『激突! 殺人拳』を出した。当たった」
- 谷川建司『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』254-255頁
- 鳥居元宏は岡田茂さんが呼んでるから東京に行って来い』と言われ、本社に行ったら岡田さんが『『燃えよドラゴン』が税関を通った。ウチで多分配給をやることになると思うんで、明日の朝一番で、丸の内東映がフタを開ける前に試写を観るから、明日お前早起きして朝6時に来い』と言われました。当時、ブルース・リーなんて誰も知らなかったんですが、岡田さんはブルース・リーをよく知っていて、試写の後、『ブルース・リーというのは、こうこうこういう奴で、ハリウッドで人気が出始めているから、ウチが一発目を入れる。だから『燃えよドラゴン』をパチれ!(パクれ)高田宏治とお前の二人で『燃えよドラゴン』を日本版にしろ』と指示されました。岡田社長が洋画をパチれと指示するのは年中のことですと言った」
- 以上、出典が複数あるので記載を認めて下さい。鳥居の証言も本作製作過程に於いて重要なので差し戻しをお願いしたいです。今まで書かれた製作節の記述はそのままで結構です。千葉の抜擢を岡田に進言したのは福永かも知れませんが、当時岡田は鶴田・高倉に代わって千葉や菅原らの売り出しを明言していましたから、ブルース・リーを置き換えるといえば、東映では千葉しかいないですよね。普通の発想でしょうね。
- >最後に、2021年8月14日 (土) 10:12に私の書いた鳥居の証言の追加は[8]ルールを守った投稿で、映画の製作過程に関する重要な説明と考えますが、2021年8月15日 (日) 03:00の[9]の削除理由「映画の説明ではなく、岡田茂を前面に出す冗長な岡田の人物像を修正。バクるという岡田の信条は岡田茂に書いてください。福永を評する編集者の独自研究を削除。」という個人の感想のような理由で、出典付き記述を除去できる理由になるのか、審議をお願いします。--150.249.214.46 2021年8月18日 (水) 13:41 (UTC)
反対 提案者の出典が手元にあり、過去ログに目を通した上で、コメント致します。
Wikipediaの三大方針の一つ、「独自研究は載せない」から出典について抜粋しました。長年参加されている方なら、ご存じとは思いますが、念のため。
「ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。二次資料や三次資料は、記事の主題の特筆性を立証するため、および一次資料の新規な解釈を避けるために必要です。ただし、一次資料は注意深く使えば出典とすることができます。記事が一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません。解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません。(以上WP:PSTSより)」
「真似する」という抽象文言ではなく、二次資料(『あかんやつら』は評伝)を根拠とする具体的文言「カンフーをカラテに置き換えて製作すれば」が製作節に掲載されているにも関わらず、一次資料(鳥居の証言)に載っている百科事典的でない表現「パクれ」を当該記事に載せようと、提案者が6年も執着されてきたことに唖然としております。「パクれ」を盗作にWikiリンクするのも編集者主観が強いし、質の良い百科事典を作ろうという姿勢に思えません。提案者が本作ではなく、当該記事でも岡田茂を主として考え、文章を作っている証左です。製作節に岡田の「真似しろ」「パクれ」をきめ細かく記す意味はなく、具体的文言が載っている以上全く必要ありません。岡田の口癖は岡田茂 (東映)の人物像に載せるべき情報です。
提案者の特徴を他の方々が指摘されていましたが、提案文は私も冗長だと思います。「鳥居元宏の話は重要な製作過程での証言のため」とのことですが、
- 税関を通った
- 「燃えよドラゴン」はおそらくウチが配給する(日本配給は東映でなくワーナー・ブラザース)
- 丸の内東映のくだり
- ブルース・リーがこういうやつで
以上、提案文にあるこれらは、製作過程と提案者が主張するような大げさなものではなく、もっと短くしていいぐらいで、蛇足な情報です。おまけに提案者が書いている「岡田さんはブルース・リーをよく知っていて」は出典に載っていない!
鳥居が岡田に呼ばれて試写を一緒に見て、岡田はリーを知っていた、ぐらいの内容で事足りる出典です。
「パクれ」をWikipediaにどうしても載せたいという提案者の意思が露骨すぎるため、一次資料である関係者の証言を提案者が分析して文章を作り、その前振りで上記蛇足情報が加えられ、提案文が書かれたとしか思えません。
小沢発言についてですが、だいぶ前から当該記事に掲載されています、重複で加える必要があるとは思えず(それも岡田が発言をしたように提案者が作っている)、現状は小沢の著書からそのまま引用されており(短いので問題なし)、これも過去ログで指摘されているようですが、小沢茂弘の著書は一次資料のため、編集者が分析してあたかも岡田が発言したような文章を作るのは論外です。
提案者は一次資料である関係者の証言を重視されて、当該記事だけでなく他の記事を編集されていますが、これも過去ログで指摘されており、一次資料を提案者が分析して文章を作る行為は、Wikipediaの編集方針に違反しているので、直ちにおやめください。
※ノートルールに基づき、提案者のコメントを段下げしました。--106.173.137.233 2021年8月18日 (水) 14:56 (UTC) ※申し訳ありませんが提案者さんの返信内容は私個人宛てではなく、段落を下げると私のコメントに対する返信に見えてしまうので元に戻しました--139.101.117.194 2021年8月18日 (水) 19:10 (UTC)
- 返信 (提案者による2021年8月18日 (水) 13:41 (UTC)の投稿に対し)「福永邦昭は映画製作とは関係しない一宣伝マン」という記述が「人をこき下ろす文言」に当たりますか?について、あなたのこの編集を見直した上で、この文言が出典を伴い前後の文脈に沿った問題ない表現であるとお考えであれば、これは個人の常識や感性の問題でありますので、これ以上何も申し上げることはありません。私が指摘した後でも「千葉真一凄いですねえ。恐ろしい。いいファンを持っておられます。」などの様に印象操作を絡めた揶揄をされたり(私は映画好きではありますが洋画メインですし、千葉真一は存じていますが特にファンでもありません)、他者から不都合な・耳の痛い指摘をされると自戒することなく反発する、そしていちいち長文。これではコメントを寄せてわざわざ関わろうとする利用者も限られてくると思います。まして自分と意見を異にする者は誰誰のファンだ、の様な陰謀論に飛躍するようではなおさらでしょう。たまたま井戸端で「編集の開放を!」という刺激的なタイトルを見かけて覗いてみたのですが、これ以上の関わりは遠慮させて頂きますので反対をコメントに変更致します。--139.101.117.194 2021年8月18日 (水) 19:10 (UTC)
- >新たに『激突! 殺人拳』の「解説」か「製作」の頭に「当時の東映社長・岡田茂が、ブルース・リーを千葉真一に置き換え企画製作した」の記載を提案します。本作の製作経緯を端的に表しているからです。
- 反対 WP:SYNに抵触。--189.150.157.132 2021年8月19日 (木) 00:01 (UTC)
- コメント 提案者は長年参加している割に、方針の無理解が顕著ですね。記事「岡田茂 (東映)」が雑多な内容ばかりで読む気が失せるほど無法地帯のままですが、他の芸能記事にも波及することは迷惑千万極まりないというのが率直な思いです。--1.52.109.62 2021年8月19日 (木) 06:56 (UTC)
- 反対 提案者の編集・言動は、独自研究違反という意見に同意します。映画会社の社長が製作するしないを決裁するのは組織のトップとして日常であり、それを岡田が企画製作したと拡大解釈するほうが恣意的すぎる編集です。提案者が拡大解釈をしている時点でアウトですけどね。--119.231.17.115 2021年8月22日 (日) 12:43 (UTC)
報告 発言を変更履歴順に並べ (WP:TOPPOST)、必要な字下げを追加しました。応答コメントでは、自分のコメントを区別しやすくするため、「字下げの深さを変える」のが一般的です(H:TP#ページ上の話題への応答)。--60.35.53.18 2021年8月23日 (月) 04:43 (UTC)
「Wikipedia:コメント依頼#議_2021年8月」から来ました。どうもはじめまして。「福永邦昭は映画製作とは関係しない一宣伝マン。ゴールデン・ハーベストからフィルムを取り寄せるのは東映洋画の仕事である。」という記述に関しての言及をお望みのようですが、「福永邦昭の当時の仕事に関する客観的に判断できる情報(証言以上のもの)」「ゴールデン・ハーベストと東映洋画の関係に関する客観的に判断できる情報(証言以上のもの)」のふたつが明示されていないようでしたら、独自研究と判断せざるを得ないでしょう。また関係者、特に当事者の証言は、映画業界ではやたら吹いたり盛ったりする人がいるので、複数の情報にもとづき、典拠を明示して編集する必要があると判断します。また、この判断も「ひとつの判断」以上ではないので、複数のかたの判断が必要だとは思いますが…。--砂手紙(会話) 2021年8月23日 (月) 16:49 (UTC)
- コメント ログインユーザーからのコメントをお望みのようですが、コメント依頼から来ました。「出典付き記述を除去できる理由になるのか」という言及をお望みのようですが、要約欄及び当該ノートを確認する限り、問題ないと判断します。本件は過剰な内容の整理に該当すると判断せざるを得ないでしょう。ご参考までに付記しますが、「出典の追加」と要約欄に記入された他記事でも、後に編集されています。元の内容よりも是正された現状のほうが、両記事共に百科事典らしくなっていると言えるでしょう。--39.111.176.78 2021年8月28日 (土) 02:16 (UTC)
- 返信 提案した「当時の東映社長・岡田茂が、ブルース・リーを千葉真一に置き換え企画製作した」の記載に示した出典は、まんま書かれており、WP:SYNにも当たらないし、独自研究違反にも拡大解釈にも当たらないと思います。しかし議題を提出して大分経ちますので、ノートに提出した以上、出来れば合意をしたいと考えています。千葉真一の関連記事はファン同志で独自のルール作っておられるように感じられ、映画ファンしては引けないところです。
- さて、反対意見の多い先の記述を取り下げ、週刊ポストの最新号(2021年9月10日号)の千葉の追悼記事、高田宏治が激突! 殺人拳の製作過程について言及していますので[10](同書129頁)、この高田証言「元々は東映の岡田茂社長(当時)がブルース・リーの映画を見て触発されてスタートした企画でした。空手や武道の形だけの所作じゃない、本当の“実技”ができるということで千葉に白羽の矢が立った」と記載の変更を提案します。アサ芸の高田証言がOKなので週刊ポストの高田証言が×ということにはならないですよね。鳥居証言の岡田の「パクれ」発言は、岡田の記事に書けとの反論ですので譲歩し、この部分は除去します。パクリ指令の件を大変嫌がられておられるようですが、パクリ企画としてのスタートであっても結果的に東映の映画は、今日語られる映画も多いですから、恥ずべきことではないと思うのですが。但し、この出典は、脚本家と映画会社トップの発言を含んだものですので、製作過程に於いて重要な証言と考えられます。これは記載を認めて頂きたい。小沢茂弘、高橋聡著の『困った奴ちゃ』の出典に関して、「監督の小沢発言が、だいぶ前から当該記事に掲載されていて、重複で加える必要があるとは思えない」うんぬん言われますが、掲載されているのは映画が大ヒットしたという部分だけで、前掲した製作経緯が書かれた記述はわざと使ってないですよね。監督・脚本家・映画会社トップの発言を記載させないような映画記事は信頼できる記事と言えないんじゃないでしょうか。
- コメントを頂きやすくするため、谷川建司著の『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』の鳥居発言の原文を書いておきます。
- 小川順子(中央大学人文学部)「フリーになられてからのお話ですが、1974年に千葉真一さんの『激突! 殺人拳』を書かれてますよね。実録路線の一方で。この頃から空手路線といいいますか、志穂美悦子さんの『五段拳』などが制作されますが、これはやはりブルース・リーの影響があったのですか」
- 鳥居「まさにそうです『岡田茂さんが呼んでるから東京に行って来い』と言うんで行きましたら、『明日、お前早起きせえ』と、何かと思ったらブルース・リーの『燃えよドラゴン』ですわ。あれが税関を通ったと。それで多分配給をうちでやることになると思うと。それを朝一番、丸の内東映がフタを開ける前に観るから、6時に来いというんで、行って観ました。アチャーアチャーってやつ。で、それを高田宏治さんと二人で日本版にしろということで」
- 小川「岡田さんは『地下室のメロディー』を観て、石井輝男さんに『御金蔵破り』を撮らせていますよね。その頃からやはり、海外の映画を観てその日本版を作るということをやっていたのですか」
- 鳥居「そりゃ年中です。ですから『間謀』が『和製007やりたい』とか、もう、すぐですよ!」
- 小川「『翻訳しろ』というのがですか?」
- 鳥居「ええ、当時ブルース・リーなんて誰も知らなかったですよ。それで岡田さんが、『こうこうこういう奴で、今ハリウッドで人気が出始めていて、うちが第一発目を入れる』と。『だからパチれ!』ということで(笑い)」
- コメントを頂きやすくするため、谷川建司著の『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』の鳥居発言の原文を書いておきます。
- 以下の内容でまたご審議願います。合意が得られれば綺麗に体裁を整えます。本来ノートに提出して合意を得て書き込みような内容ではないと思いますが、本文に書けばまた消すのでしょうからノートに書かざるを得ません。
- == 製作 ==
- 共同脚本の高田宏治は「元々は東映の岡田茂社長(当時)がブルース・リーの映画を見て触発されてスタートした企画でした。空手や武道の形だけの所作じゃない、本当の“実技”ができるということで千葉に白羽の矢が立った」と証言している[1]。『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)のシナリオハンティングで香港を訪れた高田は、当地の映画館でカンフー映画を観賞した[2]。東映京都撮影所へ戻ってから「香港にとんでもなく面白い映画がある」と彼方此方に伝えたので、スタッフ内では高田の土産話で持ち切りとなる[2]。京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田は、日本国内で一般公開される前のカンフー映画『燃えよドラゴン』(1973年)を観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かう[2]。観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーをカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた[2]。
- 宣伝担当の福永邦昭は製作のきっかけを、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のバンコックロケの途中に香港へ寄った際、ゴールデン・ハーベストのプロデューサーとブルース・リーに会っていた[6]。日本で知られていないカンフー映画やリーの人気ぶりを肌で感じた福永は、リーが千葉真一の大ファンであることを知り、共演できるかもしれないと今後を見据える[6]。しかし帰国して10日後にリーの訃報を聞く[7]。その後ゴールデン・ハーベストは『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本上映権を格安でセールしてきた[7]。フィルムを取り寄せ、社内試写で岡田茂に見せると「これなら千葉でやれる」と即決されたので、京撮で準備に取りかかったと証言している[7]。
- == 脚注 ==
- === 注釈 ===
- === 出典 ===
- === 出典 ===
- ^ 週刊ポスト、2021年9月10日号、129頁([1](同書)、[2])
- ^ a b c d 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、344頁。
- ^ 「鳥居元宏インタビュー」『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』、254 - 255頁。
- ^ 「カラテ映画でもう一花」『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』、91 - 92頁。
- ^ 文化通信社編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』44頁
- ^ a b “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死 (1/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 1 (2016年3月18日). 2016年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
- ^ a b c “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死 (2/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 2 (2016年3月18日). 2016年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
反対 多くの方々から問題を指摘されているのに、提案者の姿勢は全然改善されていないですね。提案文パート2は、独自研究違反(複数の一次資料を執筆者が解釈・分析し、情報を統合している)のままじゃないですか…。「ぼくの分析は正しいから認めろ」って、ごり押しが酷いなあ。
福永発言は一次資料だが、二次資料「あかんやつら」とは製作経緯が異なるから載っているのであって、高田発言(週刊ポスト)、鳥居発言(撮影現場編)、小沢発言(困った奴ちゃ)、岡田発言(映画界のドン)は、関係者証言の一次資料で、二次資料の「あかんやつら」に網羅されている情報ばかりじゃん。丸の内東映が本作製作過程で重要なわけないし、だから蛇足情報と言われるんですよ。
当該記事の現状は「観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーをカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた」と二次資料「あかんやつら」を出典に、岡田の決裁理由や岡田が決裁者であることを、具体的に記述されている。
にもかかわらず、高田・鳥居・小沢・岡田発言は「あかんやつら」の重複情報でしかなく、記事構成を破壊をしてまで載せる必要があるとは思えない。あるとしたら、岡田の「パクり」発言と社長決裁の日常を「企画製作した」とわざわざ文頭に載せ、提案者が希望する岡田茂東映社長を前面に出したいという偏向から来ているのでしょう。
提案者が示している出典で「岡田が企画製作した」という文言が載っているのは一つも無く、最新の高田発言でさえ、「元々は東映の岡田茂社長(当時)がブルース・リーの映画を見て触発されてスタートした企画でした。」としか言っていない。つまり「製作した」とは高田は証言していない。提案者が出典を恣意的に用いていると言われる理由の一つがこれ。
提案者には「一次資料の取り扱いに気をつけるように」と注意されているが、守れないなら編集をすべきでないと思う。とどのつまり、提案者は自分の思いを剥出し過ぎだな。だからパート2も載せることに「全面的に反対!」となるんですわ。
6年前と同じ議論を繰り返し、ここで指摘されている
- 他者から不都合な・耳の痛い指摘をされると自戒することなく反発
- 独自研究でないと言い張り
- 複数文献から情報合成をしていないと言い張り
- 一次資料に解釈を加えていないと言い張り
- 岡田茂東映社長を中心にしていないと言い張り
提案者には改善の兆しが全く見られないですね。
鳥居証言を載せる場合、現状記事のままで十分でしょう。代案が出ている「鳥居が岡田に呼ばれて試写を一緒に見て、岡田はリーを知っていた、ぐらいの内容で事足りる出典です。」に歩み寄れるぐらいかな。
提案文パート2の問題は他にもあり、
- 前後の文脈に沿った内容ではなく、甚だしく可読性に欠ける
- 蛇足情報を書き足すことは百科事典として相応しくない
当該記事を岡田茂 (東映)のような些末なトリビア集に変わるきっかけとなるのは迷惑千万なんですわ。
ワーナー成増さんに
と宣言しておきながら、(提案者による2021年9月2日 (木) 05:36 (UTC)の投稿)では、真逆の言動をしているので、提案者にはWikipediaを質の高い百科事典にしようという気がサラサラ無いように見て取れます。
なお、提案者のコメントを区分けしやすいよう、インデントとマークアップを付けました。
追伸。提案者は小沢発言を省略していると言っているけど、当該記事には「小沢茂弘は「1973年の暮れに『激突! 殺人拳』というエポックメーキングな作品にかかるんです。ブルース・リーの映画が当たっていたから、その真似でやろうという企画でした」と振り返り、高橋聡(インタビュアー)の「誰の指令ですか?」という質問に、「岡田茂です」と証言している」と小沢著書のまま、当該記事に掲載されている。
他の方から提案者の発言は印象操作・揶揄と指摘されている以上、これからは慎重に発するよう望みます。--61.207.242.236 2021年9月2日 (木) 15:25 (UTC)
- コメント 提案者の言動、過去ログ・リンク先・他ウィキペディアンのコメントを確認した上で申し上げるなら、「映画ファンとして引けない」ではなく、「岡田茂東映社長の熱狂的ファン、というより崇拝者として引けない」という感じに思えます。提案者の目的が見え透いており、この執念を提案者の言い方に準えると「岡田茂東映社長凄いですねえ。恐ろしい。いいファンを持っておられます」、このまんまです。--59.169.129.100 2021年9月3日 (金) 00:52 (UTC)
- 強く反対「アサ芸の高田証言がOKなので週刊ポストの高田証言が×ということにはならないですよね」など、問題を履き違えられているようなので、コメントします。
- 提案文は製作節に載っている現状を更に細かく書いているだけで、新たな情報でもなく、提案者の言われる「製作過程の重要な情報」は高田・鳥居・小沢・岡田の各証言から見当たらず、わざわざ書く必要があるのか?と質されているんだと思います。
- 岡田が部下に指示するのは当たり前でしょう。社長なんだから。
- だから提案文は「岡田茂東映社長を前面に出したい本音が透けて見える」と、他ウィキペディアンから指摘されてしまう。
- 記事の主題は映画『激突! 殺人拳』であって、岡田茂東映社長ではない。
- 相も変わらず小沢証言を提案者が作り替えたままだし、これらを提案者が改めない限り、賛成は得られないでしょう。--114.34.164.43 2021年9月3日 (金) 11:56 (UTC)
- 反対 「試写後に岡田が映画化すると決意し、企画担当の松平乗道に、海外合作と東南アジアでのセールスを見込める脚本を書くよう指示した」と、岡田の決定と指示は当該記事に掲載されている。
- 鳥居証言を採用するなら上の意見(岡田と一緒に試写を観た)
- 小沢証言も上で言われている通り現状のままでいい
- 高田証言を使うなら、具体的な製作秘話を記事に載せるべき(殺人拳シリーズに載ったので、当該記事にこの内容を書く必要はないでしょう)
- 岡田証言も社長決裁を重複して書く必要はない
- 提案者は出典のどこを使うかで、根本的な間違いをしていると思います。提案文は「重要な製作過程」ではなく、岡田と部下の会話を冗長に書いている駄文ですね。提案文が無くても、読者に本作の製作過程は十分伝わりますよ。--101.140.2.56 2021年9月5日 (日) 11:02 (UTC)
- 反対 「試写後に岡田が映画化すると決意し、企画担当の松平乗道に、海外合作と東南アジアでのセールスを見込める脚本を書くよう指示した」と、岡田の決定と指示は当該記事に掲載されている。
- 強く反対 「一次資料の取り扱いには注意してください」と106.173.137.233さんが2021年8月18日 (水) 14:56 (UTC) に方針を添えてコメントをしています。しかし直近の提案者コメントは「高田証言をそのまま、それも製作節の文頭に載せてくれ」と提案しています。この人は他者の意見を聞く気が全く無く、ウィキペディアの参加姿勢に支障あり、問題ありと思います。文章の起承転結をぶっ壊してまで、一次資料の高田証言を文頭に持ってくる。「パクリ指令の件を大変嫌がられておられるようですが」と反対理由をいつまでも勘違いし続け、その理由や説明を理解しない、できない、しようとしない。この人は岡田茂東映社長しか見えていないので、そのためには記事の構成がどうなろうと知ったこっちゃないと主張しているのです。開いた口が塞がらないとはこのこと。こんな提案を認めるわけにはいきません!--49.142.103.59 2021年9月6日 (月) 03:22 (UTC)
- コメント 二百三高地#製作の経緯でも提案者の特徴がわかる。時系列的に天尾と幸田の打ち合わせが先なのに、「岡田茂東映社長が指示した」を節「製作の経緯」の頭にしたいという提案者の強い欲求が露骨に表れている。そのせいで、あべこべな構成の文章だから、読んでいて前後の繋がりがおかしいし、何を説明しているのか意味不明。書く文章・内容が陳腐だから、不特定多数のウィキペディアンがWP:Vに則り、修正をしているんだよ。本来、感謝されてしかるべきなんだけど、提案者の常識や感性が如何せん…。岡田茂東映社長、岡田茂東映常務兼企画製作本部長(のち、同社社長)、岡田茂ゼネラルマネージャー(のち、同社社長)、岡田茂企画本部長(のち、同社社長)、など、肩書を強調して記載されている記事は、提案者の主観が入っているとまず疑ったほうがいいですね。--119.25.226.149 2021年9月7日 (火) 10:24 (UTC)
- 返信 似たような反論ばかりですが、同じ人じゃないですよね?「岡田茂東映社長の熱狂的ファン、というより崇拝者」と言われますが、岡田のファンはいないでしょう。岡田が東映で長く陣頭指揮を執っていたから、古い東映映画の記事を調べて書けば、まず岡田から記事が始まることになることが多いというだけのことです。東映のトップで、多くの映画を企画し、全ての映画の製作指示を出し、全ての映画の脚本に目を通し、逐一指示を出すプロデューサー社長なんだから当然でしょう。本作も東映の多くの映画と同様、岡田から製作指示が出て、トップダウンで製作が進んだわけですから、岡田が冒頭に来ても特に問題がないと思います。これの方が収まりがよいように思いますが。つまりスターを中心に書きたい貴殿のような方にとっては、製作サイドの人たち、映画会社社長・プロデューサー・監督・脚本家の証言などは些細な情報に映るんでしょうが、映画記事に於いては、製作サイドの証言は重要で充分記事を割いて書くべきと考えます。勿論、スターを軽視するわけではありません。平等に書くべきと考えます。谷川建司著『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』を一次資料といわれますが、著者の谷川建司は早稲田大の教授だし、インタビュアーも京大や関大の先生とか、国立映画アーカイブの研究者だし、国立映画アーカイブのサイトで本も紹介されています[11]。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された信頼できる二次資料じゃないですかね。製作過程を現す東映社長と脚本家の重要証言を、「鳥居が岡田に呼ばれて試写を一緒に見て、岡田はリーを知っていた」に変更、「岡田と部下の会話を冗長に書いている駄文」って、それはあんまりでしょう。また小沢監督の証言は、製作経緯についての発言なんで、この「1973年の年末から撮影が始まり[注釈 5]」の括りで入れてはおかしいです。監督の証言は宣伝の福永証言の前が適切でしょう。新たな出典が出て来ても、『あかんやつら』とか、アサ芸やZAKZAKなどのネット記事と重複内容なら、一切、加筆や編集は認めないということでしょうか?貴殿が作った文章を「壊す」ような加筆は今後も認めないということですか。先に作ったもの勝ち?多くの執筆者が出典を加えてこそ、記事の信頼性を高めるものであって、他のユーザーにも編集の門戸を開くべきでしょう。出典が一つから二つになってもいいでしょう。十個もいらないですが。
- ここでの合意は不可能と判断し、第三者のコメントを頂きたく「Wikipedia:コメント依頼#議_2021年9月」に提出しました。これは最終的なものなので、反対意見多数、或いはコメントなし等の場合は、合意が出来なかったとみなし、全ての議題を引き下げ、議論終了で結構です。期間は10日間、2021年9月21日(水曜)まででどうでしょう。それまで私は勿論、書き込みませんし、貴殿も書き込まないようお願いします。コメント頂く方に、「何に賛成・反対したらいいの?」と言われても困るので、先に私が出典を加えて書いた以下の内容が、問題編集にあたるか、コメント頂きたいです。「独自研究」とか「情報の合成」と言われない範囲で修正を加えました。太字の部分です。「書く文章・内容が陳腐だから、不特定多数のウィキペディアンがWP:Vに則り、修正をしているんだよ。本来、感謝されてしかるべきなんだけど」などとエチケットを欠いた発言をされたり、「可読性が悪い」「百科事典的でない」などと糾弾されていますが、可読性のようなものは後からでも綺麗に出来ることで、今書けば「独自研究」とか「情報の合成」と言われるので、荒編集にどうしてもなります。コメントよろしくお願いします。
- 最後に先にコメントを頂いた砂手紙さん、39.111.176.78さん、返事が遅れて申し訳ありません。ずっと話しているように私は、宣伝担当の福永邦昭の証言を消せと言っているのではなく、最初に編集した際に脚本家の証言を消して、宣伝担当のネット記事の証言が残るのはおかしいのでは、と主張しただけです。東映入社10年で洋画のフィルムを取り寄せたり、岡田社長に見せて、千葉主演を進言したなどと話している(書かれている)ので、貴殿の言われるように映画業界ではやたら吹いたり盛ったりがあるのかも知れません。死人に口なしと言いますが、生き残った方が自分が作ったと吹くのも映画業界の特徴でしょうか。39.111.176.78さん、私はその理由で削除がOKなのかの意見が聞きたかっただけで、既に多くの項目で、出典付き記述が除去されていることは承知しております。
- '''== 製作 =='''
- 共同脚本の高田宏治は「元々は東映の岡田茂社長(当時)がブルース・リーの映画を見て触発されてスタートした企画でした。空手や武道の形だけの所作じゃない、本当の“実技”ができるということで千葉に白羽の矢が立った」と証言している[1]。春日太一著『あかんやつら』では、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1972年)のシナリオハンティングで香港を訪れた高田は、当地の映画館でカンフー映画を観賞した[2]。東映京都撮影所へ戻ってから「香港にとんでもなく面白い映画がある」と彼方此方に伝えたので、スタッフ内では高田の土産話で持ち切りとなる[2]。京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田は、日本国内で一般公開される前のカンフー映画『燃えよドラゴン』(1973年)を観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かう[2]。観終ると岡田は、日本映画の国内市場が年々縮小していた事情を踏まえ、カンフーをカラテに置き換えて製作すれば、香港との合作や海外セールスも見込めると考えた、と書かれている[2]。
- 宣伝担当の福永邦昭は製作のきっかけを、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のバンコックロケの途中に香港へ寄った際、ゴールデン・ハーベストのプロデューサーとブルース・リーに会っていた[6]。日本で知られていないカンフー映画やリーの人気ぶりを肌で感じた福永は、リーが千葉真一の大ファンであることを知り、共演できるかもしれないと今後を見据える[6]。しかし帰国して10日後にリーの訃報を聞く[7]。その後ゴールデン・ハーベストは『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本上映権を格安でセールしてきた[7]。フィルムを取り寄せ、社内試写で岡田茂に見せると「これなら千葉でやれる」と即決されたので、京撮で準備に取りかかったと証言している[7]。
- == 脚注 ==
- === 注釈 ===
- === 出典 ===
- === 出典 ===
- ^ 週刊ポスト、2021年9月10日号、129頁([3](同書)、[4])
- ^ a b c d 「千葉真一の躍進とカラテ映画」『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、344頁。
- ^ 「鳥居元宏インタビュー」『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』、254 - 255頁。
- ^ 「カラテ映画でもう一花」『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』、91 - 92頁。
- ^ 文化通信社編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』44頁
- ^ a b “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死 (1/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 1 (2016年3月18日). 2016年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
- ^ a b c “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死 (2/2ページ)”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 2 (2016年3月18日). 2016年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
※マークアップ追加--183.77.139.132 2021年9月12日 (日) 06:09 (UTC)
強く反対 「二次資料は一次資料より重要な出典」というWikipediaの方針に逆らっている最新提案文に強く反対します!そこまでして岡田茂を製作節の頭に持っていきたいという執念がもうね…。岡田茂東映社長崇拝者の涙ぐましい執着は過去ログにも載っているが、6年前のデジャブとはまさにこのこと。同一人物だから当然か。
「提案文は同じ内容を書いている」という指摘に対しても、説得力ある反論になっていない。既出の指摘を繰り返すが、提案文が無くても、製作の流れはよく理解できるので、前後の文脈を配慮していない駄文を押し込もうとするのは読者に不親切かつ迷惑です。
そもそも反対理由がいくつもあるわけないでしょ。理解力の無い相手と対し、同じことを何度もここで書かせられるんだから、そりゃ反対理由もまとまってくるよ。「提案文は必要ない」とその理由を複数の人たちがあらゆる視点からわかりやすく説明しているのに、理解できない・したくないという岡田茂東映社長崇拝者が抵抗しているのが実情。
『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』は、著者の谷川建司とそのスタッフによる日本映画製作に関わった製作スタッフ11名(美術、大道具、殺陣師、撮影技師、衣装、スクリプター、プロデューサー、監督、脚本家)と俳優3名のインタビュー集です。インタビュアーの谷川は鳥居元宏の発言をそのまま著書に載せている時点で、鳥居証言は一次資料です。谷川の分析や解釈は著書に載っていないのだから。これを二次資料とは言いません。
評伝『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(二次資料)により当該記事は担保されており、関係者の証言(一次資料)が異なっている場合のみ、特筆性はある。福永の証言はこれに該当するから、掲載されている。新たな二次資料が出版されない限り、当該記事は現状のままでいい。
いつになったらマークアップを覚えるん?これも学習能力無いなあ。わかりにくいったらありゃしない。--183.77.139.132 2021年9月12日 (日) 06:28 (UTC)
- 強く反対に同意 提案者はコメント依頼を再投稿したようですが、印象操作はいけません。提案者が持ってきた出典『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』は「この時の試写には岡田から呼び出された鳥居元宏もおり」で採用されています。最新提案文も結局はウィキペディアの方針に則っておらず、ここまで意見を述べられた方々は提案文の問題点を認識され、反対してきました。当ノートにご参加される際には、当節の頭から今日までの議論、過去ログ、繋がっているWikiリンクを読んで頂いたうえでコメントをしてくださるよう、宜しくお願い致します。--115.65.237.69 2021年9月12日 (日) 07:13 (UTC)
- コメント 全ての映画の製作指示を出し、全ての映画の脚本に目を通し、逐一指示を出すプロデューサー社長なんだから当然でしょうという自説を根拠にして、節の頭に持ってくる書き方が、提案者の主観が強いという批判になっているんですよ。時系列や起承転結を無視しているから。
- 可読性のようなものは後からでも綺麗に出来ることで、今書けば「独自研究」とか「情報の合成」と言われるので、荒編集にどうしてもなります。ですが、あなたは綺麗にしていませんよね。書きっぱなしで放置しているから、直している編集に対して、ぼくが作った出典付きの文章を触るなという発言は、身勝手だと思います。
- 関係者の証言は重要な製作過程での証言と声高に主張されてきました。もう一度言います。あなたの提案文に載せている証言は、
- 一次資料であり、二次資料(あかんやつら 東映京都撮影所)で評論されている内容と実質的に同じである
- 岡田茂東映社長を際立たせるために提案文を作っているために、重要な製作過程ではなく、上司が部下に指示する日常会話でしかなく、枝葉末節の内容になっている
- 当該記事に限らず、出典がついていても本筋から外れる枝葉末節の部分は、修正・削除される編集は、Wikipediaでは必要なことだと思います。
- 記事を大幅に変えるという観点から申し上げますが、なによりあなた自身も自説をウィキペディアに載せるために、多い時は1回の編集で2,3万バイトの容量で書き換えてきたではありませんか。いまは具体例を出しませんが、あなたがやっていないとは言わせませんよ。--78.84.111.143 2021年9月12日 (日) 09:00 (UTC)
- 加えた文言を太字にしています。--78.84.111.143 2021年9月12日 (日) 09:05 (UTC)
(インデント戻す) 強く反対 提案者がしつこく同じことを主張するので、こちらも重複する主張があっても、これから参加する人たちにご理解いただけるよう、説明させてください。
高田宏治の週刊ポストは先月にネット配信、鳥居元宏のインタビューを載せた『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』は今年1月25日の出版物、とリリース年月日が新しいというだけで、提案者が提案文に持ってきた内容に新たな説はなく、既に二次資料の評伝・ノンフィクション『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』を基にして、当該記事に掲載されている内容と同じです。「真似」「パクり」と岡田茂東映社長が常に発しているから、そのまま採用しろという提案者の主張は、映画の製作過程を説明することよりも、岡田の人物像に重きを置いている主客転倒の典型だと思います。ゆえに現状の文章を組み替えてまで、提案文を載せる必要は感じられません。付随して書かれている小沢証言も岡田証言も鳥居・高田証言の添え文だから、提案者の意図は明白です。この4つの証言は一次資料であることも大事なポイントです。
提案者は新たな情報と印象操作をしていますが。高田のインタビューは千葉真一の追悼インタビューが主題であり、岡田茂東映社長をメインにするほうが異常です。高田や鳥居が二次資料『あかんやつら』と違う証言をしているなら、異なる発言として載せるのはありですが、鳥居証言はインタビュアー・小川順子が「「翻案しろ」というのがですか?」という質問への回答であり、『あかんやつら』にも本作はカンフー映画を翻案したという記述がある。翻案したという文言を、当該記事では具体的に掘り下げ「カンフーをカラテに置き換えて」と出典に基づいて載っている以上、岡田発言を細かく載せる必要はないという説明に対し、提案者は今日まで説得力のある説明と提案文を示すことができませんでした。
提案者は記事主題(当該記事は映画)の区別がつかないから、岡田茂東映社長の発言及び言ったとされる「真似」「パクリ」を載せることに固執している。ちなみに小沢茂弘著書『困った奴っちゃ』には「真似しろと言われた」と一言一句掲載されておらず、提案者が一次資料を捏造しており、論外な提案文である。だから修正された編集が適切となり、岡田が発したとされる「真似」「パクリ」は、岡田の記事に載せるべき内容となり、本記事では些末・蛇足情報となるわけです。
新たな二次資料が出版されない限り、加筆する必要がないという既出意見に全面的賛成です。--222.155.102.253 2021年9月12日 (日) 14:59 (UTC)
- コメント 提案者は最新コメントで「反対意見は同一人物」と言われていますが、懲りずに印象操作ですか?私は2021年9月7日 (火) 10:24にコメントした者で、「エチケットを欠いた発言をされたり」とのことですが、実際にあなたの提案文は、どこが具体的で特筆性があるのか、いつになったら具体的に説明してくださるのでしょう?岡田茂東映社長はプロデューサー社長という自説は、あなたのSNSでは発信してください。あなたはエチケットに言及されていますが、事の始まりはこの節の冒頭でエチケットを欠いた発言をされているのはどなたでしょうか?合意ができないのは誰のせいでしょうか?それはあなたが岡田茂東映社長にこだわるあまり、不必要な文章を強引にねじ込もうとする、あなたの参加姿勢によるものです。あなた以外のみなさんは、誰のせいでここまで長引いているのか、わかっているんですよ。みなさんから何度も同じことを注意されていますよね?Wikipediaは情報を無分別に載せる場ではない、あなたは岡田茂東映社長信者だから、記事のわかりやすさ・具体的な内容より岡田茂東映社長を前面に出す編集をしていると、丁寧にみなさんが指摘してきました。二次資料と一次資料の違い、一次資料に無い文言をあなたは脳内変換して盛る、などなど。議論姿勢も「誇大表現や印象操作が過ぎるなど、その編集内容よりも参加姿勢そのものに大きな問題を抱えてらっしゃる」、あなたが助けを求めた利用者‐会話:ワーナー成増#ご意見お願いしますでは「反省して貰いたいことは山程あります」と言われていることを本当に反省しているのでしょうか?反省せずに強引にねじ込もうと最新の提案文を懲りずに書いてきたんですよね?見え透いているんですよ、あなたの言動は。コメント依頼の再依頼も含めてね。--119.25.226.149 2021年9月14日 (火) 12:07 (UTC)
- 強く反対 他の方から指摘されている、最新提案文も問題が残っているままなので、載せることには反対です。直近の提案者の主張で気になった箇所を以下のかぎ括弧「」内に貼りました
- 「製作サイドの証言は重要で充分記事を割いて書くべきと考えます。」
- 重要だー重要だーと連呼されても、何が重要なのか具体的な説明が不足していると思います。提案文には特筆性がないという、多数の反対意見が具体的に説明されており、個人的には得心がいきます。
- 「勿論、スターを軽視するわけではありません。平等に書くべきと考えます。」
- 現状記事のどこが不平等なのでしょうか?ここまでの当ノートを読む限り、特定の製作スタッフに偏る、岡田茂東映社長に肩入れする姿勢こそ、平等でないと思います。反対意見・理由に賛成なのは言うまでもなく、本作クレジットに企画は松平乗道、製作は東映と表示されていることを鑑みても、岡田茂東映社長を崇拝している編集者が作った提案文を加える必要は全く無いでしょう。--114.34.164.43 2021年9月16日 (木) 11:08 (UTC)
- 強く反対 他の方から指摘されている、最新提案文も問題が残っているままなので、載せることには反対です。直近の提案者の主張で気になった箇所を以下のかぎ括弧「」内に貼りました
- 返信 議題提出者です。第三者、中立的な方にコメントを頂きたいから同じ人は書かないで下さいとお願いしたのに、千葉ファンは辛抱がないですね。二次資料、一次資料の問題を持ち出されますが、既存の記事でアサ芸やZAKZAK、ナリナリドットコムなんかが使われているんで、新たに加筆を希望する出典が一次資料だからダメだというのは都合が良過ぎでしょう。二次資料だけで記事が作成できればそれが理想なんでしょうけど、小津や黒澤映画とかなら豊富な二次資料だけで記事が作成できるとは思いますが、たいていは二次資料だけで記事は作成できないんで、二次資料一冊を使い過ぎると当然、著作権侵害の問題も出てくるし、スカスカの内容より、一次資料でも使って記事を充実させた方がいいでしょう。この記事もそうなっています。女優の濡れ場の特集は毎週のように週刊誌に取り上げられますが、たいていの映画は、今回の千葉の訃報だとか、スターが亡くなったときぐらいしか取り上げてはもらえないんで、あまりのB級サイトはなんですが、週刊誌に取り上げられるのはありがたいことですから、信頼出来る配信元のネット記事や週刊誌の記事は使うべきと思っています。データバースと同じでいいなら、外部リンクのキネ旬やムービーウォーカーのデータバースを見てもらえばいいんで、Wikiにそれは求められていないでしょう。ところで、私の加筆を要望している出典は、そこまで信頼性の低い出典ではないし、「誰でも編集できるフリー百科事典」を第一に謳うWikiで、一切の加筆を認めないというのはどうなんですか? 「ここはWiki内に於ける千葉真一のファンサイトです。ボスの信任を得なければ編集を認めません」と言っているようなものですが、それでいいんですか? と言ったら「ここは岡田茂の熱烈な崇拝者サイトです」と反論されるんでしょうが、私は東映映画のファンで、東映関連の記事を資料を調べて書いて来たつもりです。岡田だけ書いているわけではないです。私の書いた記事に編集を加えられても内容のあるものなら削除したりしません。角川春樹やら城戸四郎とか、大蔵貢なんかをもっと熱心に書く人がいたら同じ問題?が起こって来ると思いますが、映画の項目は執筆者も少なく貧弱なままですね。当然、千葉も資料を調べて書こうとしたら、毎回撥ねられるので今回の議題提出に及んだわけです。刺激の強いタイトルでブチ切れされたのは申し訳なく思っています。言うまでもなく千葉真一も東映が生んだ偉大なスターです。「私にも少しは書かせて下さいよ」というのが本音です。
- 『映画人が語る日本映画史の舞台裏 撮影現場編』の鳥居元宏の証言を『あかんやつら』と重複内容だから記載の必要はなしと主張されますが、岡田が『燃えよドラゴン』の配給を画策していたというのは新事実です。驚きの証言です。勿論、配給には失敗し、配給はワーナーになったとなり、『ドラゴンへの道』でようやく配給権を獲得したわけですが、『燃えよドラゴン』の試写に脚本の鳥居を呼びつけ、鳥居が当時はまだ誰も知らなかったと証言しているブルース・リーの説明をして、その場で「高田宏治さんと二人で日本版にしろ」と指示を出した、という証言は、岡田らしい早業ですが。『あかんやつら』に書かれた「京撮側の説明を聞いても今一つどんな映画か理解できなかった岡田茂は、日本国内で一般公開される前のカンフー映画『燃えよドラゴン』を観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かう」と書かれた内容とはニュアンスが異なります。また独自研究とたたかれますが、「観劇する機会に恵まれ、試写会へ向かった」のではなく、『燃えよドラゴン』を配給目的でフィルムを取り寄せ、初見の段階でブルース・リーを日本に置き換えれば映画が出来ると発案したんで、『あかんやつら』の記述とは内容が異なり、この鳥居証言は記載が必要です。貴殿が書き換えた現状の「この時の試写には岡田から呼び出された鳥居元宏もおり」だけで済ませていい話ではありません。70年代は邦画は洋画の攻勢を思いっきり受けた時代で、岡田自身「洋画のヒット作の趨勢と呼応する"話題性"を軸にした"見世物映画"を香具師の精神で作品を売っていく」等と発言していますし、本シリーズもその一つでしょう。また高田が証言している「元々は東映の岡田茂社長(当時)がブルース・リーの映画を見て触発されてスタートした企画でした。空手や武道の形だけの所作じゃない、本当の“実技”ができるということで千葉に白羽の矢が立った」という記述も鳥居証言と同様、実質的な製作のスタートを証言を現す記述ですから、製作の冒頭に記述するのが適切な位置と考えます。週刊ポストでも冒頭に記述されています。「小沢茂弘著書『困った奴っちゃ』には「真似しろと言われた」と一言一句掲載されておらず、提案者が一次資料を捏造しており、論外な提案文である」というのは本気で言っておられるんですか。まんま言ってるじゃありませんか。
- 第三者からコメントを頂けないのは、それには及ばないという判断でしょうからやむを得ません。2021年9月21日(水曜)までとこちらから提案したので、それまでコメントなしの場合は、全ての議題を引き下げ、議論終了で結構です。千葉真一関連記事には、他人の文章を「駄文」と言える文章の達人がおられ、ちょっとやそっとの出典では加筆はできない厳しい特別ルールがあると分かって頂けただけでも結構です。--113.43.104.138 2021年9月18日 (土) 03:10 (UTC)
- 返信 議題提出者です。第三者、中立的な方にコメントを頂きたいから同じ人は書かないで下さいとお願いしたのに、千葉ファンは辛抱がないですね。二次資料、一次資料の問題を持ち出されますが、既存の記事でアサ芸やZAKZAK、ナリナリドットコムなんかが使われているんで、新たに加筆を希望する出典が一次資料だからダメだというのは都合が良過ぎでしょう。二次資料だけで記事が作成できればそれが理想なんでしょうけど、小津や黒澤映画とかなら豊富な二次資料だけで記事が作成できるとは思いますが、たいていは二次資料だけで記事は作成できないんで、二次資料一冊を使い過ぎると当然、著作権侵害の問題も出てくるし、スカスカの内容より、一次資料でも使って記事を充実させた方がいいでしょう。この記事もそうなっています。女優の濡れ場の特集は毎週のように週刊誌に取り上げられますが、たいていの映画は、今回の千葉の訃報だとか、スターが亡くなったときぐらいしか取り上げてはもらえないんで、あまりのB級サイトはなんですが、週刊誌に取り上げられるのはありがたいことですから、信頼出来る配信元のネット記事や週刊誌の記事は使うべきと思っています。データバースと同じでいいなら、外部リンクのキネ旬やムービーウォーカーのデータバースを見てもらえばいいんで、Wikiにそれは求められていないでしょう。ところで、私の加筆を要望している出典は、そこまで信頼性の低い出典ではないし、「誰でも編集できるフリー百科事典」を第一に謳うWikiで、一切の加筆を認めないというのはどうなんですか? 「ここはWiki内に於ける千葉真一のファンサイトです。ボスの信任を得なければ編集を認めません」と言っているようなものですが、それでいいんですか? と言ったら「ここは岡田茂の熱烈な崇拝者サイトです」と反論されるんでしょうが、私は東映映画のファンで、東映関連の記事を資料を調べて書いて来たつもりです。岡田だけ書いているわけではないです。私の書いた記事に編集を加えられても内容のあるものなら削除したりしません。角川春樹やら城戸四郎とか、大蔵貢なんかをもっと熱心に書く人がいたら同じ問題?が起こって来ると思いますが、映画の項目は執筆者も少なく貧弱なままですね。当然、千葉も資料を調べて書こうとしたら、毎回撥ねられるので今回の議題提出に及んだわけです。刺激の強いタイトルでブチ切れされたのは申し訳なく思っています。言うまでもなく千葉真一も東映が生んだ偉大なスターです。「私にも少しは書かせて下さいよ」というのが本音です。
議論は実質的に終了しています 。Wikipediaの方針に反している提案文を載せろと今日まで喚き続けているのは、岡田茂東映社長信者のあなただけですから。
合理的な必要性を具体的に説明できず、間違いを認め、言動を改める気は全く無く、印象操作と揶揄の繰り返しばかりですね。
東映作品だけでなく、他の映画会社の作品や俳優記事や大河ドラマにも、蛇足な岡田茂東映社長の言動を過剰に書き入れている利用者が10年以上活動しています。
この利用者の編集には「複数出典を統合及び出典に載っていない文言を書く」という特徴があり、「岡田茂東映社長、岡田茂東映常務兼企画製作本部長(のち、同社社長)、岡田茂ゼネラルマネージャー(のち、同社社長)、岡田茂企画本部長(のち、同社社長)」と書かれている映画・ドラマ・俳優記事に、Wikipediaの方針に反した内容が載っていることはコミュニティに周知されているのでご安心ください。
当該記事に限らず、あなたの主観に満ち溢れた岡田茂東映社長マンセーの文章は検証可能性に則り、私や他のウィキペディアンが少しづつ修正・改善していくことになると思います。--211.228.178.231 2021年9月18日 (土) 07:17 (UTC)
- 強く反対 提案者は来週の水曜日まで現れないと言ったのに我慢できずに現れましたね。『燃えよドラゴン』を配給するしないは、記事『燃えよドラゴン』に書くべき事柄でしょ。2021年8月18日 (水) 14:56時点における版で「鳥居元宏証言の大筋は二次資料『あからんやつら』と同じ。鳥居証言の『税関、丸の内東映、うちが配給、リーのくだり、バチれ』は『本作の重要な製作過程』ではなく、些末・蛇足情報である」と、他ウィキペディアンが反対意見を提出済みなんだけど、しつこいですねえ。「あかんやつら」の参考文献には一次資料の小沢茂弘『困った奴っちゃ』も紹介されているが、一次資料の取り扱いには気をつけなさいという独自研究のルールを無視して、今日も一次資料の鳥居証言を「ぼくはこう思う」と分析している。岡田茂東映社長の崇拝者は「駄々っ子でわからずや」と分かって頂ければ幸いです。--42.118.119.52 2021年9月18日 (土) 08:35 (UTC)
- 強く反対 提案者は2021年9月21日(水曜)を期限としていますが、この人は一定期間を経過後も提案文を載せようと、当該記事に現れることを予告致します。今回の議論も6年前のリベンジを果たそうと、提案者の執念によるものですから(詳しくはノート:激突! 殺人拳/過去ログ1)。当節冒頭で「オレの書いた記事は、誰にも触らせねえ。誰にもだ!」と修正したウィキペディアンを糾弾されていますが、ここまでの提案者の主張を見直すと、むしろ提案者のほうが「オレの出典分析は正しいから、提案文は全く問題ない!だから認めろ」と聞こえ、もはやブーメランになっていますね。行き着くところは岡田茂東映社長崇拝者・信者という本性であり、まさに自明之理とはこのことですな。--1.241.21.238 2021年9月19日 (日) 10:54 (UTC)
- コメント依頼から。依頼者は譲歩をして合意を目指しているとのことですが、ここまでのコメントを読む限り、論破に必死で全く見受けられないというのが率直な感想です。依頼者には方針をよくよく理解した上で、態度を改めることを忠告致します。出典を付けている内容でも主題から逸脱していれば、除去・訂正は支障ないと考えます。--59.4.146.186 2021年9月20日 (月) 07:45 (UTC)
強く反対 公開中の映画や放送中のドラマで編集は頻繁に行われており、修正されるのがWikipediaの日常です。アクセスが少ない記事は、提案文のような方針違反と編集者の作為があからさまな内容を残したまま放置されやすく、当該記事では修正されるだけでも、Wikipediaが健全な百科事典として機能していることの証左です。議題と称して文句をつけることは、Wikipediaはオンライン百科事典である本質を理解していない主張と言えるでしょう。
提案文を何回か手直しされたようですが、賛成が集まらない理由として、指摘されている方針違反、二次資料と内容が同じ、岡田茂東映社長の問題のほかに、一次資料をメインにして作文することで、内容の行き詰まりを発生させています。Aが「~」と証言した、Bが「~」と証言した、Cが「~」と証言した、の羅列となり、一問一答のインタビューを出典にする限界だと思います。さらには提案者が証言をいじって作文するため、方針に抵触する編集となり、違反した提案文を載せられない。Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料には、
- 一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。
- 代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。
- 記事全体を一次資料に依拠してはいけません。
- 一次資料のみに依拠した大きな段落を作る場合にも慎重になってください。
- あなたの個人的な経験に基づいた記述を記事に加えてはいけません。
と5つの注意があり、あなた(提案者)は全て違反していることを認識しなくてはいけません。
斜体文は提案者の直近コメントですが、あまりにもおかしな主張なので、僭越ながら是正致します。
- 映画の項目は執筆者も少なく貧弱なままですね
当該記事には全くあてはまりません。どこが貧弱なのでしょうか?Wikipediaでは貧弱だからという事由で、編集者(提案者)の恣意が盛り込まれた方針違反の文章を載せて良いという根拠は成立し得ません。だから提案文は「この文言が出典を伴い前後の文脈に沿った問題ない表現であるとお考えであれば、これは個人の常識や感性の問題でありますので」と呆れられてしまうのです。
- 二次資料だけで記事は作成できないんで、二次資料一冊を使い過ぎると当然、著作権侵害の問題も出てくる
二次資料と一次資料の違いを無視続けていくようですが、次は著作権ですか。過去ログで著作権に無知なことを露見させている提案者でしたが、6年経ってもまだ理解できないとは…。『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』は総数432ページの二次資料ですが、当該記事の出典に使われているページは343, 344, 345の3ページのみです。総数432ページのうち、たった3ページを使い過ぎるという意見は、変梃な理屈をこねていると思います。それに『あかんやつら』の文章を一字一句丸写ししたのではなく、利用者が執筆した文章であることは『あかんやつら』と製作節を比べればわかることで、Wikipedia:検証可能性を満たしています。方針を受け入れないで、提案者が破れかぶれで反論するのは、もう無駄なあがきでしかありません。Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意に詳しく載っていますから確認してください。
かつてWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/岡田茂 (東映) 20120506では「木に例えれば、葉っぱばかりで枝どころか幹も見えない状態」など、書き過ぎた結果の行き詰まりを指摘されています。岡田茂 (東映)に些末・蛇足情報を、提案者が次々と書き加えた末、低劣な記事を生み出してしまった。提案者は岡田茂なんたらかんたらと肩書を付け、他記事にも進出していますが、あなたの提案文はなぜ反対されているのかをきちんと認識してください。そして自らの編集が今でも方針違反をしていると自覚し、大いに反省と改善をしてください。--175.214.55.50 2021年9月22日 (水) 14:32 (UTC)
情報 議題提出者は方針違反を受け入れられないので、一定年月を過ぎると、違反内容を書き込むのが常です。柳生一族の陰謀でもありました。
- 2014年8月29日 (金) 17:22時点における版で[本作は1960年代半ばに東映の時代劇を切り捨てた岡田茂(当時、京撮所長、のち社長)が深作、日下部五朗の三人の話で、「久しぶりに時代劇をやりたい。山本薩夫の『忍びの者』(1962年、大映)みたいなのはどうや」という岡田の一言が切っ掛けで企画がスタートした。~中略~。萬屋錦之介の出演は、岡田茂社長のアイデア。かつては時代劇の切り捨てに辣腕を振るったが金の匂いがすると変わり身も早い]という加筆がありました。
- 岡田茂に必ず肩書をつける、節の先頭に持ってくる、岡田の人物像を主題にする、これらの冗長・蛇足な情報を加える編集は、直近の提案文と全く同じ構成となっていることから、書いた人が同一人物、つまり当ノートの議題提出者だとすぐわかります。その後、岡田の人物像が不要な内容として除去されました。
- 半年後、2015年3月17日 (火) 14:58時点における版で1万バイト弱の加筆をし、ノートで自説を展開し始めました(詳しくはノート:柳生一族の陰謀/過去ログ1)。当ノートで自らの分析を主張し続ける言動と同じです。
- この時コメント依頼から来た複数の人たちが、議題提出者による出典の使い方や参加姿勢に問題があると指摘されました。
- 詳しくはコメント1(2015年4月29日 (水) 08:52時点における版)とコメント2(2015年5月7日 (木) 03:56時点における版)。
- ちなみに2015年3月17日 (火) 14:58時点における版では、二次資料『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』に載っていた製作経緯の前半を議題提出者は無視して「岡田茂の一言で製作がスタートした」、岡田の「深作、なんか考えてみい」と出典に載っていない発言を作り、加筆されていました。この編集は検証可能性で出典を改竄して書いたとすぐ判明し(2015年4月30日 (木) 07:48時点における版)、提案者はその後ノートに登場しなくなりました。
- 4年後、2019年4月13日 (土) 03:31時点における版と、2019年4月17日 (水) 15:00時点における版(+26,626)とで、大幅な加筆をしました。
- 当節で議題提出者が主張する「いい機会なので、映画の記事を書くときは、映画製作者の証言を最優先」と、製作の時系列と文章の起承転結を無視する「岡田茂東映社長を前面に押しだし、他の製作経緯を軽く扱う(ひどい時は削除)」構成から、当ノートに提出されている提案文と根っこの問題は全く同じなのがわかります。
- その3か月後、2019年7月2日 (火) 01:45時点における版(−14,702)では、編集要約「WP:POV#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け…だが意見は書くな、意見と本作に直接関係の無い内容(出典付きでも)と重複を除去。出典通りに訂正・加筆」という理由で修正され、二次資料を中心にし、一次資料の取り扱いに留意した真っ当な記事となり、今日に至っています。
- 議題提出者が当節冒頭で「柳生一族の陰謀で提案者が書いた内容を即刻削除した」という発言は、バイト数を突き合せれば、事実と全く違うことは明白です。提案者の書いた内容が全除去されたわけではなく、当該記事も同様です。
以上のように、議題提出者は岡田茂東映社長を前面に出す、目立たせるという意志が異常なまでに強い。今後もWikipediaの方針に反することを続ける場合、当ノートで勃発している騒動が他の記事でも発生するでしょう。最新コメントでも改める素振りが全く見えないので、議題提出者のこれからの編集次第では、次の段階に進むことになるかもしれません。--42.118.81.130 2021年9月25日 (土) 15:10 (UTC)
- 『柳生一族の陰謀』でも同じような迷惑があったとは…。反省を促すだけではもはや済まされない状況であることは、私も共有しました。議題提出者が今後も同様な行為を続ける場合は、次の段階へ進むことに賛成票を投じます。そうならないよう、議題提出者は方針を理解して、岡田茂東映社長一辺倒を止められるかがポイントですね。--175.214.55.50 2021年9月29日 (水) 15:22 (UTC)