プル・シャーンドル
表示
個人情報 | |||
---|---|---|---|
フルネーム | Puhl Sándor | ||
誕生日 | 1955年7月14日(69歳) | ||
出身地 | ハンガリー・ミシュコルツ | ||
他職業 | レフェリーインストラクター | ||
国内 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1984-2000 | ネムゼティ・バイノクシャーグI | 審判員 | |
国際 | |||
年 | リーグ | 役割 | |
1988-2000 | FIFA登録 | 審判員 |
プル・シャーンドル(Puhl Sándor、1955年7月14日 - )は、ハンガリー出身のサッカー審判員である。
概要
[編集]1984年に審判員の資格を取得した後、1988年にFIFAのライセンスを取得し2000年まで国際審判員として活動していた[1]。
母語であるハンガリー語の他に、第二言語として英語とドイツ語を使用できる。現在、レフェリーインストラクターとUEFAのオブザーバーを務めている。
1994年には、1994 FIFAワールドカップ決勝戦において主審を務めた。また、1997年にはUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦で主審を務めている。1994年から1997年まで4年連続でIFFHSが選ぶ年間世界最優秀審判賞に選ばれた[2] 他、2011年には、IFFHSが選ぶ4半世紀の審判100人において、第6位に選ばれている[3]。
1998 FIFAワールドカップでは、当時世界トップとの評価を受けていながら落選した。これは前年の11月に行われたUEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド対フェイエノールトで、即座に退場処分となるべきフェイエノールトの選手の反則を見逃し大問題となり、UEFAがそのシーズン一杯の資格停止処分を言い渡し、FIFAもそれに従ったためである[4]。
担当した主な国際大会
[編集]1994 FIFAワールドカップ
[編集]1994 FIFAワールドカップでは4試合を担当した。
UEFAチャンピオンズリーグ
[編集]脚注
[編集]- ^ Sandor Puhl worldreferee.com、2012年5月4日閲覧。
- ^ IFFHS' World's Best Referee of the Year 1987-2006 rsssf.com、2012年5月6日閲覧。
- ^ The World's best Referee of the Quarter of a Century (1987-2011) iffhs.de、2012年5月6日閲覧。
- ^ “No.218 たったいちどのミスに不寛容なFIFAの姿勢”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1998年3月2日). 2013年8月31日閲覧。