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フランス革命関連人物一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フランス革命関連人物一覧(フランスかくめいかんれんじんぶついちらん)では、フランス革命に関連する人物を列挙する。政治的立場などを参考にして分類してある。

フランス王家

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名前 生没年 異名 主な活躍
ルイ16世 1754年 - 1793年 - 革命期のフランス国王(在位1774年 - 1792年)
ヴァレンヌ事件以降、急速に擁護派を失う
プロヴァンス伯爵 1755年 - 1824年 - 王弟
後の国王ルイ18世
アルトワ伯爵 1757年 - 1836年 - 王弟
後の国王シャルル10世
革命期における王党派の首領
マリー・アントワネット 1755年 - 1793年 オーストリア女 ルイ16世の王妃
贅沢な宮廷生活を送り、フランス財政悪化の一因を作った
エリザベート王女 1764年 - 1794年 - 王妹
国王一家と終始行動を共にし、刑死した

王党派

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王族関係者

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名前 生没年 異名 主な活躍
デュ・バリー夫人 1743年 - 1793年 傾国の美女 娼婦出身のルイ15世公妾
宮廷ではマリー・アントワネットと対立
フェルセン伯爵 1755年 - 1810年 - スウェーデン貴族
王妃マリー・アントワネットの愛人
ヴァレンヌ事件に協力
ポリニャック伯夫人 1749年 - 1793年 - マリー・アントワネットの寵臣
ランバル公妃 1749年 - 1792年 - マリー・アントワネットの女官長
一時、ポリニャック伯夫人と対立
最後まで王妃を見捨てなかった
ルブラン夫人 1755年 - 1842年 - 当時の貴族の間で人気だった女流画家

立憲君主派

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フイヤン派

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名前 生没年 異名 主な活躍
オノーレ・ミラボー 1749年 - 1791年 疱瘡の虎
革命の獅子
政略のミラボー
貴族でありながら三部会で第3身分議員に属す
議会と国王とのパイプ役を務める
ジルベール・デュ・モティエ・ド・ラファイエット 1757年 - 1834年 両世界の英雄 アメリカ独立戦争に義勇兵として参戦
第3身分に協力し、革命後、国民軍司令官
フランス人権宣言の起草に着手
シャン・ド・マルスの虐殺に関って失脚し亡命、七月革命で再び活躍
ジャン・シルヴァン・バイイ 1736年 - 1793年 - 国民議会初代議長
シャン・ド・マルスの虐殺に関り失脚
アベ・シエイエス
(恐怖政治期は平原派)
1748年 - 1843年 革命のモグラ パンフレット『第三身分とは何か』を著す
憲法制定国民議会議長
ブリュメールのクーデタナポレオンに協力

三頭派

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名前 生没年 異名 主な活躍
アントワーヌ・バルナーヴ 1761年 - 1793年 - 屋根瓦の日に活躍した雄弁家
著書『フランス革命序説』は同時代人の革命論の中では最高とされる
アドリアン・デュポール 1759年 - 1798年 - ヴァレンヌ事件後、革命と王政との融合試み、国王の相談役も務める
アレクサンドル・ド・ラメット 1760年 - 1829年 - アメリカ独立戦争に義勇兵として参戦したラメット兄弟の末弟
バルナーヴ・デュポールと共に三頭派結成
革命終結後はナポレオンの忠実な臣下となり、王政復古後も議員となった
シャルル・ド・ラメット 1757年 - 1832年 - アメリカ独立戦争に義勇兵として参戦したラメット兄弟の5男
立法議会2代目議長
七月革命では革命派に協力
テオドール・ド・ラメット 1756年 - 1854年 - アメリカ独立戦争に義勇兵として参戦したラメット兄弟の4男
オーストリアへの宣戦布告に反対投票を投じる

オルレアン派

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名前 生没年 異名 主な活躍
ルイ・フィリップ2世 1747年 - 1793年 フィリップ・エガリテ
平等公
オルレアン公ブルボン家傍系の貴族
革命擁護派で、自宅の庭パレ・ロワイヤルを革命家や民衆に解放
シャルル・デュムーリエ 1739年 - 1823年 - ジロンド派内閣で陸軍大臣・外務大臣
ヴァルミーの戦いで勝利をおさめる
その後革命政府を裏切ってオーストリアに亡命、衝撃を与えた

ヴァンデの反乱における王党派指導者

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャック・カトリノー 1759年 - 1793年 アンジェーの聖者 商人出身
カトリック王党軍初代総司令官
ルイ・ド・エルベ 1752年 - 1794年 - 旧体制時代からの有名な戦略家
カトリック王党軍第2代総司令官
アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン 1772年 - 1794年 ヴァンデのアキレス 8月10日事件で国王一家を守護
カトリック王党軍第3代総司令官
フランソワ・ド・シャレット 1763年 - 1796年 - 元海軍将校
8月10日事件で国王一家を守護
カトリック王党軍から離反、下ヴァンデ軍を創設
ルイ・ド・レスキュール 1766年 - 1793年 - カトリック王党軍司令官
ラ・ロシュジャクランの従兄
ベルニエ司祭 1762年 - 1806年 ヴァンデの使徒 行政機関・最高評議会代表および従軍司祭長
ナポレオン政権下で、コンコルダートの成立に尽力

共和派

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ジロンド派

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャック・ピエール・ブリッソー 1754年 - 1793年 - ジロンド派主導者
革命以前、過激な文章でバスティーユに投獄される
ピエール・ヴェルニヨ 1753年 - 1793年 ジロンドの鷲 ジロンド派の雄弁家
8月10日事件の際に議長を務めていた
ロラン夫人 1754年 - 1793年 ジロンド派の女王 自身のサロンに多くの名士が集結
夫の思想・行動にも大きな影響力を持っていた
ジャン=マリ・ド・ロラン 1734年 - 1793年 - ロラン夫人の夫
内務大臣
フランソワ・ビュゾー 1760年 - 1794年 - ロラン夫人の愛人
独裁に反対し、ジャコバン派と精力的に闘争
マクシマン・イスナール 1751年 - 1830年 - フランス革命戦争の開戦を強く主張
国民公会の議長も務める
シャルル・バルバルー 1767年 - 1794年 - 8月10日事件で民衆を煽動
対ジャコバン派抗争の先鋒
シャルロット・コルデーと恋仲(?)
ジェローム・ド・ペティヨン 1756年 - 1794年 人民の父 ジャコバンクラブ議長を務め、ロベスピエールを凌ぐ人気を得る
パリ市長に就任
マルグリット=エリー・ガデ 1755年 - 1794年 - 内務大臣
コンドルセ 1743年 - 1794年 - 公共教育委員会議長
数学者で、投票の逆理についての考察で知られる
トマス・ペイン 1737年 - 1809年 - アメリカ独立戦争直前、『コモン・センス』を著す
英国籍のまま国民公会議員に
革命擁護論の『人間の権利』は英本国で大ベストセラーに
シャルロット・コルデー 1768年 - 1793年 暗殺の天使 マラー暗殺の犯人
その美貌で革命期のパリを騒がせた

ジャコバン派(山岳派・モンターニュ派)

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ロベスピエール派(ジャコバン中道派)

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名前 生没年 異名 主な活躍
マクシミリアン・ロベスピエール 1758年 - 1794年 清廉の士
革命の闘士
革命初期から共和派として活躍
ジャコバン派の指導者
テルミドールのクーデター後、処刑
ジャコバン三頭、独裁三頭の一人
オーギュスタン・ロベスピエール 1763年 - 1794年 - マクシミリアンの弟
ナポレオンの軍事的才能に目をつける
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト 1767年 - 1794年 革命の大天使 国民公会最年少議員
ロベスピエールの側近
独裁三頭政治家の一人
ジョルジュ・クートン 1755年 - 1794年 ロベスピエール第2の魂 ロベスピエールの側近
独裁三頭政治家の一人
フィリップ=フランソワ=ジョゼフ・ル・バ 1762年 - 1794年 - ロベスピエールの側近
アンリエット・ル・バ - フィリップ=フランソワ=ジョゼフ・ル・バの妹
サン=ジュストの婚約者
マルク・アントワーヌ・ジュリアン 1775年 - 1848年 ロベスピエールの目 ジャコバン最年少党員
地方での反革命反乱の鎮圧に活躍
フランソワ・アンリオ 1759年 - 1794年 6月2日の勇士
ロベスピエールの地獄に落ちた魂
パリ市国民衛兵隊 総司令官
公会を包囲してジロンド派追放に協力
フーキエ・タンヴィル 1746年 - 1795年 - 革命裁判所検察官
カミーユ・デムーランの縁戚

ダントン派(ジャコバン寛容派)

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジョルジュ・ダントン 1759年 - 1794年 - ジャコバン三巨頭の一人
8月10日事件の際に民衆を煽動
外敵の侵入に際し、豪胆演説で国民を鼓舞
恐怖政治に寛容を求める
カミーユ・デムーラン 1760年 - 1794年 街頭検事 廃兵院襲撃を煽動したジャーナリスト
反革命派に対する寛容を主張
リュシル・デュプレシ 1770年 - 1794年 やさしのリュシル カミーユ・デムーランの妻
内助の功”の典型的女性
ルイ=マリ・スタニスラス・フレロン
(後にテルミドール派)
1754年 - 1802年 - ダントン派のジャーナリスト
派遣議員としてマルセイユトゥーロンに赴く
ダントン派の粛清から逃れ、テルミドールのクーデターを画策

エベール派(ジャコバン急進派)

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャック・ルネ・エベール 1757年 - 1794年 デュシェーヌ親父 最下層貧民の代弁者
キリスト教廃止を推進
新聞『デュシェーヌ親父』を発行
ジャン=バティスト・クローツ 1755年 - 1794年 人類の代弁者 非キリスト教化の理論的指導者
理性の崇拝」を推進
アントワーヌ=フランソワ・モモロ 1765年 - 1794年 - 有名な「自由・平等・友愛」スローガンの発案者
エベール派煽動の民衆蜂起を主導

ジャコバン過激派

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャック・ニコラ・ビョー=ヴァレンヌ 1756年 - 1819年 - ジャコバン最急進派の理論的指導者
派遣議員としてヴァンデの反乱を戦う
テルミドールのクーデタに参加
ジャン=マリー・コロー・デルボワ 1749年 - 1796年 - 反革命反乱鎮圧のためリヨンへ派遣され、大虐殺を行う
国民公会議長の座を利用し、テルミドールのクーデタに協力
ネオ・ジャコバン
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名前 生没年 異名 主な活躍
フランソワ・ノエル・バブーフ 1760年 - 1797年 - バブーフの陰謀」首謀者
共産主義の先駆
フィリッポ・ブオナロッティ 1761年 - 1837年 - バブーフに協力し、後にバブーフの理論を宣伝
19世紀をまたいだ職業革命家となり、七月革命秘密結社カルボナリ
チャーティスト運動等、数々の運動に関る

その他

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャン=ポール・マラー 1743年 - 1793年 人民の友 ジャコバン三巨頭の一人
新聞『人民の友』を発行
シャルロット・コルデーによって暗殺
ジョゼフ・フーシェ
(後にテルミドール派)
1759年 - 1820年 リヨンの霰弾乱殺者
サン・クルーの風見鶏
カメレオン
派遣議員として、リヨンの大虐殺を主導
テルミドールのクーデタを首謀し、ロベスピエールを打倒
秘密警察を組織し、総裁政府で警視総監
ナポレオン政権復古王政でも警務大臣
ジャン=ランベール・タリアン
(後にテルミドール派)
1762年 - 1820年 - 恋人を助けるため、テルミドールのクーデタに参加
ジャコバンクラブ・革命裁判所等を閉鎖
ルイ=ラザール・オッシュ 1768年 - 1797年 - 革命期の最も優秀な軍人
対オーストリア戦線、ヴァンデの反乱鎮圧で活躍
一時投獄され、そこでジョゼフィーヌと愛人関係に
ジャック=ルイ・ダヴィッド 1748年 - 1825年 - 革命期〜ナポレオン時代にかけての画家
最高存在の祭典を演出
ナポレオン・ボナパルト 1769年 - 1821年 ヴァンデミエール将軍 後の皇帝ナポレオン1世
トゥーロン攻囲戦ヴァンデミエールの反乱鎮圧に活躍
一時、ロベスピエール派とみなされ投獄
ジャン=バティスト・ベルナドット 1763年 - 1844年 - 後のスウェーデン国王カール14世ヨハン
一時、ジャコバン派の頭目となる
ジャック・フランソワ・デュゴミエ 1738年 - 1794年 - 叩き上げの共和国軍人
トゥーロン攻囲戦でナポレオンの作戦を採用、高く評価
トゥーサン・ルーヴェルチュール 1743年 - 1803年 黒いジャコバン 本国の革命に乗じてハイチ革命を指導
ナポレオンが派遣した軍によって鎮圧され、獄死

平原派(沼沢派・テルミドール派)

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名前 生没年 異名 主な活躍
ラザール・カルノー 1753年 - 1823年 勝利の組織者 フランス革命戦争に際し、軍制改革に着手
公安委員会にも参加
ナポレオンの百日天下の際、内務大臣
ピエール・ジョゼフ・カンボン 1756年 - 1820年 財政のロベスピエール 財政問題を担当し、アッシニア紙幣を乱発
テルミドールのクーデター直前にロベスピエールを論破
ポール・バラス 1755年 - 1829年 悪徳の士 テルミドールのクーデタの際、公会軍司令官
有力総裁として総裁政府に5年間君臨
ナポレオンのパトロン
テレーズ・カバリュス
(タリアン夫人)
1773年 - 1835年 テルミドールの聖母
第2のアントワネット
投獄されるも、恋人のタリアンをけしかけて存命
後に夫を見捨て、バラスの愛人に
豪華なサロンを開き、社交界に君臨
ベルトラン・ド・バレール 1755年 - 1841年 革命のカメレオン 92年、国民公会議長
日和見主義な態度で革命を生き残る
カンバセレス 1753年 - 1824年 - テルミドール反動後、司法大臣
第一統領ナポレオンの下、第二統領を務める

アンラジェ(過激派)

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャック・ルー 1752年 - 1794年 赤い司祭
小さなマラー
アンラジェの首領格の聖職者
革命派僧侶として、ルイ16世を断頭台に案内
ジロンド派を攻撃、後にジャコバン派とも対立
ジャン=フランソワ・ヴァルレフランス語版 1764年 - 1832年 - 郵便局員
所有権の制限、財産の国有化、革命軍の創設などを要求
ジャン=テオフィル・ルクレールフランス語版 1771年 - 没年不明 (1804年以降) - アンラジェ最年少指導者
マラー死後、『人民の友』2代目編集長
クレール・ラコンブ 1765年 - 没年不明 (1798年以降) ローズ・ラコンブ 女優
革命的共和主義女性協会創設者

女権拡張運動家

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名前 生没年 異名 主な活躍
オランプ・ド・グージュ 1748年 - 1793年 - 女優出身。第一波フェミニズムの草分け

『人権宣言』に抗議し『女性及び女性市民の権利宣言』を発表

テロワーニュ・ド・メリクール 1762年 - 1817年 自由のアマゾネス 娼婦出身の女性革命家
バスティーユ襲撃、ヴェルサイユ行進には男装して参加
クレール・ラコンブ (「アンラジェ」参照)
ポーリーヌ・レオンフランス語版 1768年 - 1838 年 - 革命的共和主義女性協会創設者・初代会長
93年、テオフィール・ルクレールと結婚

その他

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名前 生没年 異名 主な活躍
タレーラン=ペリゴール 1754年 - 1838年 - 自身も司教でありながら、反キリスト的な教会財産の国有化を推進
当時愛人だったスタール夫人の推薦で総裁政府の外務大臣に
外務大臣としてナポレオン政権を支えるも、その崩壊にも暗躍
ナポレオン戦争後のウィーン会議正統主義を唱え、フランスの国益を守る
マルキ・ド・サド
(サド侯爵)
1740年 - 1814年 - フランス革命直前までバスティーユ牢獄に収監
サディズムの語源として知られる、猟奇的小説家
アントワーヌ・ラヴォアジエ 1743年 - 1794年 - 化学者として、質量保存の法則の発見など業績多数
恐怖政治期、徴税吏であったことを理由に処刑
スタール夫人 1766年 - 1817年 - ネッケルの娘
批評家・小説家で、自身のサロンには多くの名士が集まる
独裁傾向を強めるナポレオンとしだいに対立
フェミニズムの先駆者でもある
スタール=ホルシュタイン
(スタール男爵)
1749年 - 1802年 - スタール夫人の夫
スウェーデンの駐仏大使
シャルル=アンリ・サンソン 1739年 - 1806年 - パリの死刑執行人、ギロチンの操作係
若い頃、デュ・バリー夫人と交際関係にあった
自身は王党派であったが、恐怖政治期に多くの人々の処刑に関る

革命初期の大臣達

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名前 生没年 異名 主な活躍
ジャック・テュルゴー 1727年 - 1781年 - 重農主義経済学者で、ケネーの弟子
財務総監を務め、財政再建に取り組む
ジャック・ネッケル 1732年 - 1804年 - ジュネーブで生まれの銀行家、第三身分出身
財政再建のため、世論を味方につけるべく三部会の開催を画策
彼の罷免が、バスティーユ襲撃の原因のひとつとなる
カロンヌ 1734年 - 1802年 - 特権身分の免税廃止を目指し、支持を取り付けるため名士会を招集
革命期にはイギリスで亡命貴族を援助し、反革命運動を組織

在外君主・首相

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名前 生没年 異名 主な活躍
レオポルト2世 1747年 - 1792年 - 神聖ローマ皇帝(在位:1790年 - 1792年)
マリー・アントワネットの兄にあたる
ピルニッツ宣言を発し、革命を牽制
フランツ2世 1768年 - 1835年 - 神聖ローマ皇帝(在位:1792年 - 1806年)
第一次対仏大同盟を結成し、フランス革命戦争を引き起こす
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 1744年 - 1797年 - プロイセン王(在位:1786年 - 1797年)
レオポルト2世と共にピルニッツ宣言を行う
グスタフ3世 1746年 - 1792年 - スウェーデン王(在位:1771年 - 1792年)
反革命十字軍を提唱
フェルセン伯爵の主君
ウィリアム・ピット
(小ピット)
1759年 - 1806年  人類の敵 イギリス首相(在位:1783年 - 1801年、1804年 - 1806年)
3回に渡って対仏大同盟を組織する

フランス革命の研究者

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名前 生没年 主な活躍・著書
ジュール・ミシュレ 1798年 - 1874年 フランス 1848年に二月革命が起きると熱狂的に支持
『フランス革命史』は革命研究の古典
エドマンド・バーク 1729年 - 1797年 イギリス 著書『フランス革命の省察』は保守主義のバイブル
革命時にはフランスを軍事力で制圧する対仏戦争を主導
アレクシス・ド・トクヴィル 1805年 - 1859年 フランス 大地主という家柄であったが、革命の際に家族や親戚のほとんどが処刑され、リベラル思想の研究を行う
アメリカ合衆国を旅して著した『アメリカの民主政治』は近代民主主義思想の古典
『旧体制と大革命』はフランス革命に関する著書
アドルフ・ティエール 1797年 - 1877年 フランス 1814年の王政復古で成立していたブルボン朝の独裁的な政治を批判し、『フランス革命史』を著わす
ルイ・フィリップのもとで首相に(1836年 - 1840年)
フランス第三共和政期の大統領(1871年 - 1873年)
中江兆民 1847年 - 1901年 日本 ルソーを日本へ紹介し、「東洋のルソー」の異名を得る
『民約訳解』は、ルソーの『社会契約論』の主要部分を漢訳したもの
自由民権運動の理論的指導者となった

関連図書

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  • Ballard, Richard. A New Dictionary of the French Revolution (2011) excerpt and text search
  • Fremont-Barnes, Gregory, ed. The Encyclopedia of the French Revolutionary and Napoleonic Wars: A Political, Social, and Military History (3 vol. 2006)
  • Furet, Francois, et al. eds. A Critical Dictionary of the French Revolution (1989) long articles by scholars excerpt and text search
  • Hanson, Paul R. Historical Dictionary of the French Revolution (2004).
  • Ross, Steven T.英語版 Historical Dictionary of the Wars of the French Revolution (1998)
  • Scott, Samuel F. and Barry Rothaus, eds. Historical Dictionary of the French Revolution (2 vol. 1985) full text online

関連項目

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