コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ピート・シンフィールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピート・シンフィールド
Pete Sinfield
ピート・シンフィールド
基本情報
出生名 ピーター・ジョン・シンフィールド
(Peter John Sinfield)
生誕 (1943-12-27) 1943年12月27日
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
死没 (2024-11-14) 2024年11月14日(80歳没)
ジャンル プログレッシブ・ロック
職業 詩人作詞家プロデューサー
活動期間 1968年 - 現在
共同作業者 キング・クリムゾン
ロキシー・ミュージック
エマーソン・レイク・アンド・パーマー ほか
公式サイト Song Soup On Sea

ピーター・ジョン・“ピート”・シンフィールドPeter John "Pete"[1] Sinfield、1943年12月27日 - 2024年11月14日)は、イングランドロンドン生まれの詩人作詞家

経歴

[編集]

1969年に結成されたプログレッシブ・ロック・グループのキング・クリムゾンのオリジナル・メンバーであり、作詞とステージでの照明を担当という極めて特異な役割を担った。デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』(1969年)の収録曲「エピタフ」の"Confusion will be my epitaph"(「我が墓碑銘は『混乱』」)という有名な一節に代表されるように、ロック・ミュージックに壮大なスケールの世界観を持ち込み、バンドの方向性を決定付けた。『クリムゾン・キングの宮殿』発表後に5名のオリジナル・メンバーのうち3名が脱退してからは、残ったギタリストのロバート・フリップと共にアルバム『ポセイドンのめざめ』(1970年)、『リザード』(1970年)、『アイランズ』(1971年)の制作の要となった。またアルバム・ジャケットのデザインにも関与したほか、1971年のコンサートでは、FOH・サウンド・エンジニアリングとVCS3・シンセサイザーの操作も担当した[2]

アイランズ』発表直後の1971年の暮れにフリップと対立してキング・クリムゾンを去り、1973年エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)[注釈 1]が所有するマンティコア・レコードから、ソロ・アルバム『スティル』[注釈 2]を発表した[3]

シンフィールドは基本的にはミュージシャンではなく詩人である[注釈 3]が、キング・クリムゾンのメンバーとしての活動実績に留まらず、1970年代プログレッシブ・ロック・シーンに大きな業績を残した。ELPの『恐怖の頭脳改革』『ELP四部作』『作品第2番』『ラヴ・ビーチ』にゲスト参加して作詞を担当した。またイタリアのプログレッシブ・ロック・グループプレミアータ・フォルネリア・マルコーニの海外デビュー[注釈 4]に際してPFMの略称を発案し[注釈 5]、セカンド・アルバム『友よ』(1972年)の収録曲に英詞をつけて再録音のプロデューサーを務めて、アルバム『幻の映像』(1973年)としてマンティコア・レコードから発表した。プログレッシブ・ロック・グループ以外でも、ロキシー・ミュージックのデビュー作『ロキシー・ミュージック』(1972年)をプロデュースしたり[4][5]シェールセリーヌ・ディオンの作品に歌詞を提供して世界的な成功を収めたり、幅広い活動を行った[6]

2011年8月7日、BS-TBSで放送された番組「SONG TO SOUL ~永遠の一曲~ クリムゾン・キングの宮殿」にイギリスで取材を受ける形で出演。キング・クリムゾン誕生前後の状況や楽曲制作の裏話を証言した。

2024年11月14日に死去。80歳没[7]

ディスコグラフィ

[編集]

ソロ・アルバム

[編集]
  • 『スティル』 - Still (1973年) ※ボーカル、12弦ギター、シンセサイザー、プロデュース、カバー・デザイン担当。1993年に『スティルージョン』 - Stillusionとして再発

キング・クリムゾン

[編集]

エマーソン・レイク・アンド・パーマー

[編集]

その他

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ELPのグレッグ・レイクキング・クリムゾンのメンバーだった。
  2. ^ 1993年にピーター・シンフィールド名義で、CD『スティルージョン』として再発売された。
  3. ^ ただし、ソロ・アルバム『スティル』では、ボーカルだけでなく12弦ギター、シンセサイザーも担当した。
  4. ^ イタリア国内では有名だったが国外では無名だった。
  5. ^ シンフィールドの発案で、イギリスやアメリカではP.F.M. またはPFMという略称が使用されたが、母国イタリアでは引き続きフル・ネームが使用された。
  6. ^ 27枚組ボックス・セット。

出典

[編集]
  1. ^ "Pete" は "Peter" の愛称 --ジーニアス英和辞典』(第3版)大修館書店〈シャープ電子辞書 PW-9600 収録〉、2002年。 より。
  2. ^ ライブCD『レディース・オブ・ザ・ロード』のライナーノーツより。
  3. ^ Smith (2019), pp. 159–164.
  4. ^ Smith (2019), pp. 158–159.
  5. ^ Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. pp. 64-67. ISBN 0-233-05113-9 
  6. ^ Smith (2019), pp. 386–387.
  7. ^ Peter Sinfield RIP” (英語). DGM Live (2024年11月15日). 2024年11月15日閲覧。

引用文献

[編集]
  • Smith, Sid (2019). In the Court of King Crimson: An Observation over Fifty Years. Panegyric. ISBN 978-1916153004 

外部リンク

[編集]