四国中央フェリーボート
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(バンパックフェリーから転送)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 四国中央フェリー[1]、バンパックフェリー[2] |
本社所在地 |
日本 新居浜市垣生3丁目乙303-1[1] |
設立 | 1969年4月[3] |
業種 | 海運業 |
主要株主 | 新泉海運 |
四国中央フェリーボート株式会社(しこくちゅうおうフェリーボート)は、かつて日本にあった海運会社。
概要
[編集]新居浜市の住友金属鉱山向けの貨物輸送などを担っていた海運業者・新泉海運(2001年倒産[4])を中心に川之江市の製紙業者や住友金属鉱山の支援を受けて設立され、就航年の1970年に開かれた日本万国博覧会に因んで「バンパックフェリー」の愛称が名付けられた[3]。愛媛県新居浜市に本社を置き、新居浜港(本港、のちに東港フェリーターミナル)から愛媛県川之江市(現:四国中央市)の川之江港を経由して兵庫県神戸市の神戸港(東神戸フェリーセンター/青木のりば)を結ぶフェリー航路を運航していた。さらに一時期、神戸を経由して(もしくは神戸を経由せずに)大阪府大阪市の大阪港(大阪南港フェリーターミナル)へ一部の便が運航していた時期もあった。
ピーク時の1987年(昭和62年)には年間約30万人の旅客と約10万台の車両を運んでいたが、瀬戸大橋の開通や他社との競合、阪神・淡路大震災で一時神戸へ寄港できなかったことなどで利用客が減少し[5]、1998年(平成10年)4月5日の明石海峡大橋開通に伴い航路が廃止された[5]。 最盛期、80年代初頭には「♪新居浜、川之江、神戸、バンパックフェリー♪」とテレビCMにも流されていた。
沿革
[編集]- 1969年(昭和44年)4月 - 四国中央フェリーボート株式会社設立[3]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)7月 - 東神戸フェリー埠頭第1バース竣工、供用開始。
- 1973年(昭和48年)
- 1975年(昭和50年)10月4日 - 新居浜への寄港開始[11]。前月9月に関西汽船の経営再建の合理化により旅客船の松山-阪神航路(松山 - 今治 - 新居浜 - 神戸 - 大阪間)が運航休止され、新居浜と阪神間を結ぶ旅客船がなくなることによる代替措置として就航[12]。但し自動車の積み込みは不可能で、徒歩旅客のみの乗降に限定されていた。当時新居浜港(本港)内のフェリーが発着していた場所は住友金属鉱山敷地内の客船桟橋であり、フェリー専用の岸壁ではなかった[13][14]。
- 1981年(昭和56年)3月 - 9月:神戸ポートアイランド博覧会に合わせ一部便を東神戸に加えポートアイランド南埠頭に延航。
- 1984年(昭和59年)6月1日 - 「にいはま2」「かわのえ2」就航[15]。4隻2往復運航に。
- 1988年(昭和63年)
- 1990年(平成2年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)
- 1998年(平成10年)4月5日 - 明石海峡大橋開通。同日、航路廃止。上りは新居浜東港13時40分発「ロイヤルにいはま」が最終便となった[5][27]
航路の変遷
[編集]- 1970年(昭和45年)3月8日 〜 1975年(昭和50年)10月3日
- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)
- 1975年(昭和50年)10月4日 〜 1988年(昭和63年)4月7日
- 新居浜港(本港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)
- 川之江港 → 新居浜港(本港)→ 神戸港(東神戸フェリーセンター)
- ※下り第1便は川之江→新居浜間は上り第2便も兼ねており、新居浜出航後はそのまま神戸へ向かっていた。
- 1988年(昭和63年)4月8日 〜 1988年(昭和63年)11月27日
- 新居浜港(東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)
- 1988年(昭和63年)11月28日 〜 1994年(平成6年)9月30日
- 1994年(平成6年)10月1日 〜 1995年(平成7年)1月17日
- 新居浜港(東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)
- 1995年(平成7年)1月24日 〜 1995年(平成7年)3月19日
- 1995年(平成7年)3月20日 〜 1998年(平成10年)4月5日
- 新居浜港(東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)
過去に運航していた船舶
[編集]- 旭洋造船建造。489総トン、せとうちの代船として長浜上関高速フェリーの航路休止後に傭船[2]。
- 1973年10月竣工、引退後はインドネシアに売却。
- 3,981総トン、全長115.6m、幅21.0m、深さ6.0m、6,000馬力×2基、航海速力19.0ノット、旅客定員600名
- サノヤス水島製造所建造、1990年6月就航。1999年5月にギリシャへ売却。
脚注
[編集]- ^ a b 近畿⇔四国 四国中央フェリー(株) - 海上定期便ガイド'98年版(内航ジャーナル)
- ^ a b c 小林義秀「国内フェリー乗船記 四国中央フェリー(2)」 - 船の科学1993年6月号(船舶技術協会)
- ^ a b c 新泉海運グループの概要 - 内航近海海運1988年4月号(内航ジャーナル)
- ^ 新泉海運/民事再生手続き開始を申請、負債43億6100万円 - 物流ニュースLNEWS 2001年10月4日
- ^ a b c “明石海峡大橋が開通 四国中央フェリー 28年の歴史閉じる”. 愛媛新聞: p. 1. (1998年4月6日)
- ^ “川之江ー神戸間フェリー『いしづち』が就航”. 愛媛新聞: p. 1. (1970年3月9日)
- ^ “第二船も就航 川之江-神戸間の四国中央フェリー”. 愛媛新聞: p. 6. (1970年4月30日)
- ^ “豪華フェリー就航 四国中央の「にいはま」”. 愛媛新聞: p. 6. (1973年4月13日)
- ^ a b カーフェリー「せとうち」の火災による沈没事故に関する件. 第71回国会 交通安全対策特別委員会 第5号. 国立国会図書館. 15 June 1973. 2016年5月15日閲覧。
- ^ “神戸 - 川之江間にフェリー「かわのえ」”. 愛媛新聞: p. 5. (1973年10月14日)
- ^ “新居浜から”初船出” 四国中央フェリー まず一日二往復で”. 愛媛新聞: p. 7. (1975年10月5日)
- ^ “代替乗り入れ期待 新居浜市民 松山ー阪神航路休止で”. 愛媛新聞: p. 6. (1975年9月2日)
- ^ a b “データベース『えひめの記憶』臨海都市圏の生活文化(平成7年度)第2章第2節2(1)新居浜港と港務局”. 愛媛県生涯学習センター. 2021年2月28日閲覧。
- ^ “四国中央フェリー 四日から新居浜寄港”. 愛媛新聞: p. 4. (1975年10月1日)
- ^ “本日よりダイヤ改正 (広告)”. 愛媛新聞: p. 12. (1984年6月1日)
- ^ “新居浜東港へ寄港認可 阪神地方を結ぶフェリー2社 第一便8日就航 四国運輸局”. 愛媛新聞: p. 6. (1988年4月6日)
- ^ 『Port of Osaka』大阪市港湾局、1989年7月15日、17頁。
- ^ “大阪南港へ航路延長 四国中央フェリー”. 愛媛新聞: p. 3. (1988年11月27日)
- ^ “動くホテル 処女航海へ 新居浜ー大阪10日から就航 新婚用の特別室も”. 愛媛新聞: p. 6. (1990年4月7日)
- ^ “新居浜 - 大阪間に大型豪華フェリー 2隻目きょう就航”. 愛媛新聞: p. 4. (1990年7月28日)
- ^ 神戸海運監理部運航部運航監理官編『平成7年1月17日5時46分「そのとき旅客船は・・・」明石海峡付近航行船舶及び運航管理者の地震対応に関するアンケート報告』社団法人 神戸海事広報協会、平成7年8月、5頁。
- ^ 兵庫県南部地震災害後復旧支援等に関する大阪港連絡協議会『阪神・淡路大震災記録集』大阪港利用緊急対策室、29頁。
- ^ “愛媛・神戸間フェリー 大阪着岸できょう運航再開”. 愛媛新聞: p. 4. (1995年1月22日)
- ^ “カーフェリー再開”. 読売新聞(大阪本社版朝刊): p. 30. (1995年1月22日)
- ^ “20日に神戸寄港再開 四国中央フェリー”. 愛媛新聞: p. 4. (1995年3月18日)
- ^ 『神戸港復興記録 〜阪神・淡路大震災を乗り越えて』神戸市港湾整備局、平成9年5月、65頁。
- ^ “惜しまれラスト航海”. 愛媛新聞: p. 3. (1998年4月6日)
- ^ a b 四国中央フェリー株式会社 - 海上定期便ガイド'92(内航ジャーナル)