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いしづち (フェリー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いしづち
Lastovo時代
基本情報
船籍 日本の旗 日本
ユーゴスラビア ユーゴスラビア
クロアチアの旗 クロアチア
建造所 高知重工
姉妹船 せとうち
航行区域 沿海
信号符字 9A2179
IMO番号 7010717
MMSI番号 238113840
改名 いしづち
Partizanka
Lastovo 1
Lastovo
経歴
就航 1970年(昭和45年)3月8日
その後 九州郵船にチャーター後、旧ユーゴスラビアへ売却
現況 クロアチアで運航
要目
総トン数 946.62トン
全長 72.7 m
全幅 13.6 m
主機関 ダイハツディーゼル 1,700馬力 2基
最大速力 17ノット
航海速力 16ノット
旅客定員 500名
乗組員 26名
車両搭載数 8トン車換算27台
※ 要目データは、総トン数以外は全て姉妹船「せとうち」のものを引用
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いしづちはかつて四国中央フェリーボートバンパックフェリー)が運航していたフェリー。愛媛県川之江市(現・四国中央市)の川之江港から兵庫県神戸市神戸港東神戸フェリーセンター)を結ぶ航路に就航していた。

概要

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高知重工で建造され、バンパックフェリーの第一船として1970年昭和45年)3月8日の開業時に就航。1973年(昭和48年)に機関室からの火災による沈没事故を起こした「せとうち」とは姉妹船。航路開業期において昼夜問わず稼働して輸送を支えていたが、利用客の漸増により供給力不足に陥るように[1]なっていた。やがて新造された「かわのえ」「にいはま」との能力差から引退[2]し、1976年(昭和51年)4月から1977年(昭和52年)10月まで九州郵船にチャーターに出されていた[2]。その後、1978年(昭和53年)4月15日に旧ユーゴスラビアへ売却[2]

1978年売却当時の船名は「Partizanka」で、同年さらに「Lastovo 1」と改名された[2]1993年平成5年)8月15日にエンジンルームからの火災事故を起こしひどく損傷したため解体が検討されたが、結局エンジンを交換し使用継続されることとなった。1998年(平成10年)には「Lastovoクロアチア語版」と改名され、2021年令和3年)現在もクロアチアの海運会社ヤドロリニヤクロアチア語: Jadrolinija)においてクロアチア本土とアドリア海ダルマチア諸島を結ぶ[3]航路で活躍中。

船内

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船室

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  • 特二等 100名
  • 二等 400名

旅客定員 計500名

参考文献

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脚注

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  1. ^ “ゆとりの大型豪華フェリー にいはま4月上旬就航(全面広告)”. 愛媛新聞: p. 13. (1973年3月27日) 
  2. ^ a b c d 船の科学Vol.46(1993年6月号) 船のスケッチ画集(58)国内フェリー乗船記「四国中央フェリー(2)」小林義秀 p.77 - 78” (PDF). 日本船舶海洋工学会 デジタル造船資料館. 2021年2月28日閲覧。
  3. ^ クロアチア本土のスプリトクロアチア語: Split)- コルチュラ島(Korčula)のヴェラ・ルカ(Vela Luka)- ラストヴォ島(Lastovo)のウビリ(Ubli)間

外部リンク

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