ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六/過去ログ1
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男梅氏の編集について
男梅氏が「本作品とは関係のない書籍からの引用・史実を持ち出しての記述は独自研究にあたります。削除します。」というコメントを付したのみで、本記事の内容を大幅に削除しました。
男梅氏の「本作品とは関係のない書籍からの引用・史実を持ち出しての記述は独自研究にあたります。削除します。」という見解は、Wikipedia:独自研究は載せない と全く合致しないと考えます。男梅氏は「独自研究」という概念を取り違えておられるようです。とりあえず、男梅氏の編集する前の状態への差し戻しを行いました。--Pooh456 2012年1月9日 (月) 01:06 (UTC) / 修正 --Pooh456 2012年1月9日 (月) 01:09 (UTC)
- 男梅氏の会話ページにて、本ノートでの議論を開始した旨をお知らせしました。--Pooh456 2012年1月9日 (月) 01:23 (UTC)
Wikipedia:独自研究は載せない に合致していないとは思えませんし、拡大解釈もしていないと考えます。『独自研究』という表現がふさわしくないというのであれば、「無用な表記」という方が正しいでしょうか? 私は以前から映画のページに史実を持ち出して色々と記述している行為に対して疑問を感じており、以前から何度と『井戸端』のページで同様の議論や提案をしています。井戸端で頂いた皆様方ご意見やご指導を参考に当該の編集を行いました。以降私が当該の記述を削除した理由を述べます。
- 映画の内容を表記するページに於いては、映画の内容や評価・反響を記述することを主たる内容にするべきである。
- 映画という限られた尺の中で、一般の人々に内容を理解して貰うために、あえて難しい表現や説明を省き、解りやすく脚本や表現を史実と違う形に変えることはよくあることである(予備役海軍中将を、元海軍中将と説明しているのはこれにあたる)。
- 映画の表現や描写、小道具・所作に対し、史実を持ち出して記述することは全く意味を成さない上に、支離滅裂な知識披露合戦に繋がるキリがない行為である。たとえば今作品に於いても今回の脚注内容をを良しとするのであれば、写真のリンクを脚注として貼り付け、『史実の黒島亀人は老け顔で禿頭である』『史実の山口多聞はデブであるから、阿部寛の体格では史実とそぐわない』という指摘も出来ることになる。但し、識者や専門家の意見や批評等が公のメディア(出版物・TV・ネット)で公開されており、それが証明されること、または広く流布されている場合はこの限りでは無い。
- 今回の脚注に記述内容は、出展を明記して記述しているが、原作本やムック・解説本からの引用ではない本作品とは全く関係のない書物からの引用による、単に個人的な考え・知識を主な拠り所とした『作品に対する粗探し・突っこみ』にしかならない。(こういった内容は映画の内容を説明するを目的とするページに記述する必要性は無い)。
以上の点から削除を行いました。ただ一方的に削除してしまってもまたほかの誰かがこういった内容の『粗探し』的な内容を記述する可能性があったため『出演者の説明は、映画の表現に従う』旨の一文を付け加えました。この一文を加えるのであれば、今回私の削除した脚注の部分の説明が全て理由付けが出来るのではないでしょうか?
私の削除理由が「違う」「正当な対応では無い」というのであれば、どうか意見を頂きたいです。--男梅 2012年1月10日 (火) 01:27 (UTC)
Wikipedia:独自研究は載せないで示されているのは「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」に示されるように「私見をWikipediaに書くな」ということです。
男梅さんが除去した記述は、私が見る限りでは、Wikipedia:検証可能性を満たす情報源を出典として示している、Wikipedia:独自研究は載せない に抵触しない記述です。
男梅さんが「以降私が当該の記述をする必要はないと考えている理由を申します」と書いていることは、Wikipediaのガイドライン、あるいは「映画の記事について記載する場合の注意」などとしてWikipediaのルールに従った合意がなされていることですか?ならば、それを摘示して下さい。摘示できないのであれば、それは男梅さんの「私見」に過ぎません。
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Wikipediaのガイドラインでは下記のように示されています。
1) Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに では、「記事の記述に改善点があるように感じたら、ぜひ改善を試みてください。」とまず示し、「記述の改善のために以下の手段を検討してください。」と具体的な手段を列記した後で、下記のように示しています。
いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。「検証可能性」では、情報源が示されていない、あるいは論争のある記述の扱いについて。「独自研究は載せない」では、独自研究を除去する必要性について。「中立的な観点」では、特定の観点に過度の重みが置かれている記述に対し、どうやってバランスを取るかについて。これらの中に、記述を除去できる場合が含まれているかもしれません。また、記事の冗長性は最小限であるべきです(導入部は含めません。記事全体の概要を示す、意図的な重複部分だからです。)。名誉毀損、無意味な記述、荒らし、著作権侵害は完全に除去されるべきです。
上記は、要約すると「記述の除去が(無条件で)許されるのは、三大方針に抵触している、若しくは名誉毀損、無意味な記述、荒らし、著作権侵害である場合に限られる」ということです。
2) 一方で、Wikipedia:過剰な内容の整理 というガイドラインが設けられており、
ウィキペディア日本語版では、一部の項目において、内容の偏った過剰な加筆がみられる場合があります。ウィキペディアは百科事典であり、項目について出典を明記しつつ、社会的背景や影響などもふまえた幅広い視点の記事にしていくことは大いに歓迎されます。しかし、項目に関する幅の狭い内容だけを細かく記述することは、その項目についてよく知らない読者が項目を総合的に理解することを妨げ、逆に関心を損なうおそれがあります。記事の内容に、一部項目のみに偏って過剰な記述が見られたら、削ってバランスを取るべきです。
と示され、「過剰な内容の整理」の手順が規定されています。即ち、Wikipediaのルールでは、仮に男梅氏が「不要である」と考える記述があったとしても、それが三大方針に抵触している、若しくは名誉毀損、無意味な記述、荒らし、著作権侵害である、あるいは他のWikipediaのガイドラインや合意に抵触したりするのでなければ、基本的には、Wikipedia:過剰な内容の整理 の手続きを経なければ除去できないのです。このルールに異議があれば、しかるべき手順で異議を申し立てることをお勧めします。
===========
さて、男梅さんの「私見」について若干意見を申し上げますと、
「たとえば今作品に於いても今回の脚注内容をを良しとするのであれば、写真のリンクを脚注として貼り付け、『史実の黒島亀人は老け顔で禿頭である』『史実の山口多聞はデブであるから、阿部寛の体格では史実とそぐわない』という指摘も出来ることになる。」
私も、そのような記述は「不要である」という範疇を超え、「馬鹿げており、最終的に除去されるべき」と考えます。
ただし、
いくつかの主要な方針では、情報を保存するよりも除去した方がよい場合について議論しています。「検証可能性」では、情報源が示されていない、あるいは論争のある記述の扱いについて。「独自研究は載せない」では、独自研究を除去する必要性について。「中立的な観点」では、特定の観点に過度の重みが置かれている記述に対し、どうやってバランスを取るかについて。これらの中に、記述を除去できる場合が含まれているかもしれません。また、記事の冗長性は最小限であるべきです(導入部は含めません。記事全体の概要を示す、意図的な重複部分だからです。)。名誉毀損、無意味な記述、荒らし、著作権侵害は完全に除去されるべきです。
に該当しない場合、つまり、男梅さんが例示なさった、『史実の山口多聞はデブである(A「山口多聞伝記」B社、2010年、100頁)から、阿部寛の体格では史実とそぐわない』といった「馬鹿げた記述」に対処するには、ガイドライン Wikipedia:合意形成 に従うべきです。
即ち、
A) このノートで、「馬鹿げており、最終的に除去されるべき記述」がなされていることを具体的に指摘し、除去を提案する。
B) ガイドライン Wikipedia:合意形成 に沿って、除去についての合意が形成できたら、「馬鹿げた記述」を除去する。
これが「正当な対応」です。仮に本記事で、『史実の山口多聞はデブである(A「山口多聞伝記」B社、2010年、100頁)から、阿部寛の体格では史実とそぐわない』などという「不要であるという範疇を超え、馬鹿げており、最終的に除去されるべき記述」がなされた場合には、そう対応なさって下さい。--Pooh456 2012年1月10日 (火) 03:28 (UTC)
- 除去理由に関しては、男梅さんの意見に概ね賛成です。『独自研究』かどうかはさておき、いちいち史実と比較してツッコミ的記述をすることに意味があるとは思えません。史実を基にしているとはいえ、映画はフィクションなのですから。もちろん映画評論など検証可能な形で、「史実との相違」が批判された、などの事実があれば記述もアリだとは思いますが、今回はそのようなケースではなさそうです。
- あと、ルールに明確に記載されていないからといって私見と切り捨てるのはやや言いすぎでしょう。確かに男梅さんの編集除去は少し性急だったかもしれませんが、それは改めて今からここで議論すればいいことで、そのことにながながと咬み付くようなことでもないです。wikipedia:礼儀を忘れない--219.67.171.131 2012年1月10日 (火) 03:45 (UTC)
映画『男たちの大和』のノートページや井戸端上での質問 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/subj/%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%86%85%E5%AE%B9%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E3%81%AE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%AB%E3%80%81%E5%8F%B2%E5%AE%9F%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%E3%82%92%E6%8C%87%E6%91%98%E3%81%97%E8%A8%98%E8%BF%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BA%8B%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%82
でも、何度か論議してきました。Pooh456氏の記述されていた『出展の明示を伴う史実との比較と指摘』の内容は、しっかりした出展を用いての記述ですから正しいでしょう。ただ内容が正しい事と、それを当該本文で指摘説明する必要性は同じではありません。現在の所、本作品の表現や描写に付いて、史実資料を持ち出して解説を行ったのはウィキ上でのPooh456 氏の記述が初めてでしょう。ですから「指摘意見ソースの第一番目がウィキ以前は見られず、その内容がPooh456 氏の考えや知識・資料調査に基づく記述である」のであればこれは『限りなく独自研究に近い内容を記述した』と言えるのではないでしょうか?貴方が指摘されたWikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないというルールにも抵触する可能性がある内容でもあります。可能性があるのであれば削除される場合もあると云うことです。
また『ルールや合意が出来たのか』どうかの質問に付いては、文章化しての合意はされてはいません。ただ、先述の映画『男たちの大和』『連合艦隊』ノートページでも議論され、結果史実を指摘した部分は削除されているという事実を考えますと、当該本文にもそれが繁栄される場合もあるでしょう(もちろん、そういった行為が間違いであるという意見はあってしかるべきですが)。
あと「史実では黒島・山口少将はハゲ・デブであり…」と私が書いたのは、あくまでも極端な例をあげで解りやすくしようとしただけですので、その点ご理解下さい。そこに対して指摘されると私も解答に困りますので…。ただ「兵士が司令官室に入ることはあり得ない」「敬礼の仕方が自衛隊式であり、当時の海軍ではこのような敬礼を行わなかった」「本作品に登場する部隊名は、実際には存在しない」等々、どうでも良いこと・本当にばかげた記述を書き込む人物が多いのも事実です。
219.67.171.131 氏、鋭いご指摘とご賛同ありがとうございます。映画やドラマの表現や描写に関し、史実を記述して指摘する行為に関しては、現在の所は既存のルール解釈の上で行ってみましたが、いずれきちんとした合意が必要であると考えております。--男梅 2012年1月10日 (火) 05:25 (UTC)
男梅さんの2012年1月10日 (火) 05:25 (UTC)の発言についてコメントします。
1) 男梅さんが「映画やドラマの表現や描写に関し、史実を記述して指摘する行為に関しては、現在の所は既存のルール解釈の上で行ってみましたが、いずれきちんとした合意が必要であると考えております」と考えておられるなら、個別の作品の記事の記述について、今回のように行動なさるのではなく、Wikipediaのガイドラインとして「映画やドラマの記事作成・編集時の注意事項(仮題)」を整備する方向にエネルギーを注がれては如何でしょうか?
2) 「本作品の表現や描写に付いて、史実資料を持ち出して解説を行ったのはウィキ上でのPooh456 氏の記述が初めてでしょう。ですから「指摘意見ソースの第一番目がウィキ以前は見られず、その内容がPooh456 氏の考えや知識・資料調査に基づく記述である」のであればこれは『限りなく独自研究に近い内容を記述した』と言えるのではないでしょうか?貴方が指摘されたWikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないというルールにも抵触する可能性がある内容でもあります。」というご指摘については、「同意できません」と答えるしかありません。Wikipedia:検証可能性 と Wikipedia:独自研究は載せない を良くお読み下さい。
3) 本記事(現時点での状態)については、現状では『史実では黒島・山口少将はハゲ・デブであり…』というような「どうでも良いこと・ばかげたこと」は書かれていないと思います。そうしたことが書き込まれるに至った時に、改めて対処なさっては如何でしょうか?現時点で心配なさるのは杞憂ではないでしょうか?
4) この項は「Pooh456の私見=独自研究」ですので、記事の方には書きません。
「男たちの大和」や「連合艦隊」は、本作品「聯合艦隊司令長官 山本五十六-太平洋戦争70年目の真実」より、フィクション性が高いと一目で分る作品です。一方、本作品は、副題で「太平洋戦争70年目の真実」とあり、「山本五十六の伝記映画」として製作されたことが明白です。ただし、2時間ほどの映画に仕上げる以上、全てを史実に忠実にするのは無理であり、そのことはパンフレット掲載の長谷川康夫氏(脚本)のインタビューで言及されています。本作品が「映画作りのために止むを得ない部分以外は、史実を曲げない」方針で作られたと判断できる材料が複数ある以上、「本作品の史実との食い違い」を、節度を持って指摘するのは、有意義と考えます。
逆に「娯楽性を重視した戦争映画」と評すべき「男たちの大和」や「連合艦隊」で、「史実との食い違い」を細かく指摘するのは、Wikipediaのルールがうんぬん以前に「『娯楽戦争映画』の記事で、史実との食い違いをあげつらうのは、無粋である」と評することも可能でしょう。実際、私は、両作品のBDソフトを持っておりますが、両作品の記事に「史実との食い違い」を書き込む気はないですし、そもそも、そういうことを考えながら両作品を鑑賞しておりません。
男梅さんのお考えとの距離が多少縮まったのではと考えますが、如何でしょうか?--Pooh456 2012年1月10日 (火) 07:00 (UTC)
1) に付いてですが、ちょっと余計な事ではないですか?私は少なくともルール作りにエネルギーを注いでいますし提案もしています。現在の所、今あるウィキのルールを用いれば対応出来るという考えや、他の皆様のご意見を考えた上で編集しています。もしPooh456氏が成文法によるルールを求めておられるのであれば、再度井戸端等で提案を行いますので、Pooh456氏にも協力を頂きたいです。
2) については、私も貴殿のお考えには同意できません。ウィキのルールをよく読んでいるからこそ、今回の脚注記述は不要と判断しているのであります。また本作品の脚本を執筆した長谷川康夫氏がパンフレット上で、『全てを史実に忠実にするのは無理であり』と述べられていれば、素人がゴチャゴチャとした指摘をすることは無意義であり、パンフレットに記述されたで長谷川氏が述べた文章を書き入れることによって史実との違いを指摘する必要は無くなるのではないでしょうか? ただこれに関しての解釈の違いは、お互い水掛け論・平行線ですので、他の皆様のご意見を待ちましょう。
4) についてですが、原作本は山本元帥の伝記本ですが、映画は娯楽作品になっています。この映画は原作に基づいて映像化された娯楽映画と理解するべきでしょう。副題の『太平洋戦争70年目の真実』は原作本のタイトルをそのまま引用した物で、映画の本筋を突いた物ではありません。
3) に関しては、再度述べますが『史実を持ち出して映画の内容を指摘する』記述が良しとするのであれば、このような極端な記述も良しとなる可能性の1つとして、極端でむちゃくちゃな事例として述べただけです。この件に関しては推察して下さい。
あと、今回の件に関し219.67.171.131 氏以外には第三者のご意見が寄せられていません。Pooh456氏と私とだけの論議では、単なる意見対立だけに終わってしまいますので、暫く時間をおいて他の皆様のご意見を伺いたいですね。今回の記述の是非に付いて意見が集約されてきたら、現状のままで置くか削除するか判断したいと思います。--男梅 2012年1月10日 (火) 14:11 (UTC)
今回の論議に関して、井戸端のページにも提案を行いました。もはや本ページ内で論議する趣旨ではなく、ウィキのルール作りの必要性も考えます。Pooh456氏も そちらの論議にも参加して下さい--男梅 2012年1月11日 (水) 02:08 (UTC)
男梅さん、Wikipedia:井戸端#映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。でのご提案有難うございました。私も、内容を精読した上で、建設的に議論に参加させて頂きたく存じます。--Pooh456 2012年1月11日 (水) 03:40 (UTC)
Wikied氏の編集について
Wikied氏が、「私見の削除」なるコメントを付したのみで、大幅な削除を行いました。差分
Wikied氏の削除部分
架空人物である牧野幸一少尉は、作品中の描写から海軍兵学校出身者と思われる。一方、帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、兵学校出身者が、卒業後に「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた(山口宗之『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』、清文堂出版、2000年(平成12年)、241頁)。本作品で、牧野が「海軍少尉」として登場するのは、設定ミスの可能性が高い。空母「赤城」の飛行科分隊士として「士官次室」にいるはずの牧野少尉が、下士官兵搭乗員と共に「搭乗員室」で食事をしている描写があるのも設定ミスの可能性が高い。
は、出典を付した記述であり、Wikipedia:検証可能性 と Wikipedia:独自研究は載せない に抵触しないと解します。それを「私見の削除」なるコメントを付したのみで削除する行為は、Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない にも抵触しております。
上記のことから、Wikied氏の編集を差し戻し、ノートでの議論の開始を利用者‐会話:Wikied#ノート「聯合艦隊司令長官 山本五十六」での議論開始についてで通知しました。--Pooh456 2012年1月10日 (火) 07:34 (UTC)
- 出典が示されているのは「帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、兵学校出身者が、卒業後に「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた」という部分に対してです。
- 「思われる」「設定ミスの可能性が高い」と評価している出典が示されない限り、典型的な独自研究です。独自研究でないことが明確になるまでは当該部の掲載は不適と考えられるので、差し戻しは不当と判断し、再度削除します。--Wikied 2012年1月10日 (火) 07:43 (UTC)
- 「帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、兵学校出身者が、卒業後に「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた」という部分は、出典もあるようですし、有益な情報なので、残したほうがいいと思います。それと、出典と脚注は分けてほしいですね。Takabeg 2012年1月10日 (火) 22:54 (UTC)
- 上記の私とPooh456の論議にも重なりますが、映画はあくまでも『原作本・史実を元にして、監督や脚本家が新たに制作した二次創作』であり、映画の表現に対し史実を持ち出して指摘することは意味をなさないばかりか、知識羅列・突っ込み合戦なります。たとえ出展があったとしても、それが本作品と関係のない本からの引用であり、たとえ内容が正しい記述であったとしても、(逆に言えば、映画の内容に出展を用いて補足・注釈を行うのであれば、原作本&識者が公に発表した『映画に関わる意見や指摘』にとどめるべき)で、今回指摘されている箇所をバッサリと削除しても、映画の内容や反響を記述する本ページの趣旨に関しては何ら影響はありません。蛇足的な記述を行い、本ページの趣旨を逸脱するような行為は厳に慎むべきです。--男梅 2012年1月11日 (水) 01:41 (UTC)
- 「帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、兵学校出身者が、卒業後に「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた」という部分は、出典もあるようですし、有益な情報なので、残したほうがいいと思います。それと、出典と脚注は分けてほしいですね。Takabeg 2012年1月10日 (火) 22:54 (UTC)
- ご存知のように、今般、ドラマや映画における歴史考証の貧弱さ、また、恣意的な歴史「改ざん」は、目に余るものがあります。そうした意味でも、出典のある有意義な脚注は残すべきです。本作品を直接扱った本からの引用だけが認められるというのは絶対条件ではないと理解しています。なぜなら、そのような本は、かなり有名な作品に関するものを除けば、宣伝目的のハンドブック的なもの以外に見つけることは困難であるからです。原作本&識者が発表したものであれば、本文中にて紹介していいと思います。いずれにしても、じゅうぶんな議論を経ずして、大量削除をするような行為に及ばなければ、編集合戦にはならないはずです。Takabeg 2012年1月11日 (水) 04:00 (UTC)
- Takabeg氏のご意見に同意します。なお、既存の脚注を、独自研究(私見)にあたる部分を除く、もしくはコメントアウトするように改訂しました。現段階では、本文ではなく「脚注」に対して出典が付加されている訳ですので、さらに「脚注」と「出典」を分けることは出来るでしょうか?--Pooh456 2012年1月11日 (水) 05:17 (UTC)
- 私は日本語ウィキペディアには不慣れなので、もしかしたらここにはないかもしれませんが、<ref group=dn>ではじめて、</ref>でおわれば、出展とは別の脚注が作れると思います。Takabeg 2012年1月11日 (水) 05:30 (UTC)
- Takabeg氏のご意見に同意します。なお、既存の脚注を、独自研究(私見)にあたる部分を除く、もしくはコメントアウトするように改訂しました。現段階では、本文ではなく「脚注」に対して出典が付加されている訳ですので、さらに「脚注」と「出典」を分けることは出来るでしょうか?--Pooh456 2012年1月11日 (水) 05:17 (UTC)
Takabegさん、ご助言有難うございました。Help:脚注#参考文献リストと注釈リストを別置したいとき を良く見たら、「入れ子にする」やり方が分りましたので、脚注と出典の表示を分離しました。--Pooh456 2012年1月11日 (水) 07:28 (UTC)
独自研究の疑い
下の文章が独自研究であるか否か、ご意見ください。
- 「本作品の、聯合艦隊作戦参謀・三宅義勇 中佐(階級章より)は、史実の、作戦参謀・三和義勇 大佐、戦務参謀・渡辺安次 中佐、航空甲参謀・樋端久利雄 中佐・渉外参謀・藤井茂 中佐・聯合艦隊司令部副官・福崎昇 中佐らを一人にまとめていると思われる」
- 「架空人物である牧野幸一少尉は、作品中の描写から海軍兵学校出身者と思われる。一方、帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、兵学校出身者が、卒業後に「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた(山口宗之『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』、清文堂出版、2000年(平成12年)、241頁)。本作品で、牧野が「海軍少尉」として登場するのは、設定ミスの可能性が高い。空母「赤城」の飛行科分隊士として「第一士官次室(ガンルーム)」にいるはず(雨倉孝之『帝国海軍士官入門』光人社NF文庫、2007年(平成19年)、28頁)の牧野少尉が、下士官兵搭乗員と共に「搭乗員室」で食事をしている描写があるのも設定ミスの可能性が高い」。
当方は、いずれも出典に基づく知識を用いただけの私見(独自研究)と判断しています。--Wikied 2012年1月10日 (火) 11:19 (UTC)
- 本文を見ましたが独自研究であると考えます。既にWikied氏が指摘しているように、ここで必要な出典とは「一人にまとめていると思われる」「ミスの可能性」の部分についてであって、その前提となる情報の部分についてではありせん。ちなみに、それが作品を理解するにあたって重要なことであれば、要出典を付けるなどして残しておいても良いと思います。もっとも今回にあたっては、その推測が正しくとも、それを知ったからと言って何ら作品の理解に益するものには感じません。
- ただし、編集合戦になっているので自分が正しいと思っていても差し戻すのは止めましょう。--EULE 2012年1月10日 (火) 11:47 (UTC)
- コメント 独自研究でしょうね。そのように指摘した権威ある出典がない限りは。複数のノートで Pooh456 さんの記述の必要性が疑問視され、Pooh456 さんに賛成する意見はほとんど見られないにもかかわらず、Pooh456 さんはガイドラインの独自の解釈を繰り返すばかりのように見えます。このまま態度が改められなければ、利用者の行為に対するコメント依頼を提出するべきだと思います。--白駒 2012年1月10日 (火) 12:02 (UTC)
- (既に白駒氏に指摘されてしまっているが)今、Pooh456氏の履歴を見てきましたが、他の記事でも似たような、というよりまったく同じケースで論争を起こされているので利用者行為のコメント依頼を出された方が良いと思います。白駒氏は「このまま態度が改められなければ」という条件付だけれども、ノート:牟田口廉也みてもまったく論点が同じなのでどういった結論が出るにせよ、一緒に解決した方が合理的でしょう。--EULE 2012年1月10日 (火) 12:08 (UTC)
- コメントいただきありがとうございます。ご意見にならって、「Wikipedia:コメント依頼/Pooh456」を提出しました。お時間がありましたら、参加いただけると幸いです。--Wikied 2012年1月11日 (水) 11:22 (UTC)
Wikipedia:井戸端#映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。で、この節とほぼ同内容の議論が開始されていますのでお知らせします。--Pooh456 2012年1月11日 (水) 05:25 (UTC)
異質な記事
映画とは無関係な「注釈」の増大が始まりました。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の二の舞になる気がしてなりません。--Wikied 2012年1月11日 (水) 11:31 (UTC)
- 「映画とは無関係な」とは思いませんが、本文と比較すると分量のバランスがとれていない感は否めませんね。Takabeg 2012年1月11日 (水) 11:36 (UTC)
- 注釈が史実における登場人物の紹介になってしまっていますが、読んでも映画との関連がさっぱりわかりません。書くのであれば、基本的には作品における登場人物紹介を本文に書くべきです。史実における堀悌吉については本人記事で書けばよく、高橋嘉寿子についてはもし他記事に書けないならここで紹介してもいいとは思いますが、今の文は事実が途切れ途切れに羅列されているだけで人物紹介とはいいがたいと思います。
- 史実との違いを書いた注釈は、映画作品の解説としては瑣末な内容・トリビアに見えます。キャスト一覧に階級などが書いてあるから書けますが、登場人物ではなくキャスト一覧であれば階級などはなくてもいいのです。逆にこれからあらすじ・登場人物といった記述が増えたとき、このレベルの注釈が必要かも考えてください。読めば面白いとは思われても、その情報を求めて読む人は少ないでしょう。山本禮子の注釈は彼女ではなくあらすじにつける内容です。--NNMM 2012年1月12日 (木) 14:40 (UTC)
そんな感じがします。あらすじをきちんと書いた上で、史実ではこうだよって注釈をつけたほうが、違和感がなくなるような気がします。Takabeg 2012年1月12日 (木) 15:03 (UTC)
NNMM氏の編集について
本記事を、Nobook (会話 | 投稿記録) 氏による 2012年2月6日 (月) 16:44(UTC) の版へ差し戻しました。ノートでの議論なしで、NNMM氏が、記事内容の大幅な削除を行ったためです。(差分)--Pooh456 2012年2月14日 (火) 15:00 (UTC)
- どうもありがとうございます。一度、私が何をコメントアウトし何を除去したのか確認してください。以前私がしたコメントでその意図は伝わるものと思います。コメントアウト部分は実に極めてゆるーく考えれば許容範囲と思いますが……。除去を行った堀悌吉・高橋:嘉寿子の脚注(各人物記事で書く内容、映画の登場人物紹介になっておらず細切れな事実の列挙)、牧野幸一の脚注(本人またはその階級についての内容ではなく、映画についてと考えても瑣末)についてはどうでしょうか? ご意見ください。--NNMM 2012年2月14日 (火) 23:36 (UTC)
(インデント戻します)
NNMMさん、真摯な態度で議論に応じて頂き御礼申し上げます。まず、若干の編集を行って、コメントアウトされていた部分(「映画の三宅義勇参謀のモデルが、複数の参謀の合成である」を除きました。現状の「注釈節」に関わる部分が原則として「全て本文上で可視化された状態」です。この状態(2012年2月15日 (水) 07:44 (UTC) Pooh456 の版)を叩き台として、ノートで「残すもの」「コメントアウトするもの」「除去するもの」を議論したく存じます。
このノートでの事前了解なく、「注釈」節に影響する編集はしません。
他の方も、記事「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を編集する場合は「注釈」節の中(「 {{#tag:ref| 」と「 |group="注釈"}} 」の間)には触らないで下さい(tとpを大文字にしています)。
まず、現状の本文の記載を、整理してみました。本文の注釈を分割・改訂しています。
(1) 井上成美についての注釈(本文では未設置)
「本作品では、トラック泊地に在泊する聯合艦隊旗艦「大和」の甲板を井上と山本が歩きながら、井上が「私は今度、兵学校長に補されて内地へ帰還します。私のような、時流に合わない者を、何で兵学校長にするんでしょうね」という旨を言い、山本が「この前、嶋田(海軍大臣の嶋田繁太郎大将、山本と兵32期の同期)から、次の兵学校長を誰にしたら良いかという相談の手紙が来たので、井上君が良いと返事しておいた。」という旨を答えるシーンがある。この会話の時点で、井上は第四艦隊司令長官であり、聯合艦隊司令長官たる山本の指揮下にあった。第四艦隊旗艦「鹿島」はトラック泊地を事実上の母港としていた[1]。井上の兵学校長就任については、「井上成美#海軍兵学校長時代」を参照。」
(2) 堀悌吉についての注釈 1
「本作品では、堀悌吉は「元・海軍中将」と表現されているが、史実では「予備役の海軍中将」であった。帝国陸軍・帝国海軍の武官は終身官であり、現役を退いて予備役・後備役・退役となっても肩書は一生消えなかった[2]。堀は、山本と海兵同期で、その海兵32期のクラスヘッドであり、山本が最も信頼し敬愛していた友人であった。山本より1年早い1933年(昭和8年)に中将に進級したが、条約派を海軍から追放した大角人事で1934年(昭和9年)12月に予備役となった。山本が海軍次官から聯合艦隊司令長官に親補された1939年(昭和14年)の5年前である。[3]堀は、1939年(昭和14年)の時点では日本飛行機の社長を務めていた(1936年(昭和11年)に就任)[4]。」
(3) 堀悌吉についての注釈 2
「本作品では、海軍次官であった山本が1939年(昭和14年)8月30日に聯合艦隊司令長官に親補されることが内定していた時期に、堀が休日の山本宅を訪れ、縁側で堀が土産に持って来た西瓜を食べながら、山本が「堀、貴様が聯合艦隊長官になったらどうだ」という旨を言い、堀が「無茶なことを言うな。俺はもう5年も前に海軍を辞めている」という旨を答えるシーンがある。堀は、この会話の時点の約5年前の1934年(昭和9年)12月に中将で予備役となった[3]。」
(4) 堀悌吉についての注釈 3
「本作品に、堀が、山本の戦死の公式発表(1943年(昭和18年)5月21日)の前日、東京・青山の山本宅を訪れ、山本の妻の禮子、長男の義正に、山本の戦死を告げるシーンがある。堀は、海軍から「山本五十六の親戚代表」と処遇され、山本・堀と海兵同期生である海軍大臣の嶋田繁太郎大将に海軍省に呼ばれ、嶋田から山本の戦死を告げられた。嶋田や海軍次官の沢本頼雄中将の特別の計らいで、堀が公式発表の前日に山本家を訪れたもの。[5]」
(5) 南雲忠一についての注釈
本作品では、南雲忠一は「第一航空艦隊司令長官 兼 第一航空戦隊司令官」と表現されている。史実では、第一航空艦隊司令長官が「軍隊区分」によって第一航空戦隊を「直率」しており[6]、「第一航空戦隊」の「戦隊司令部・戦隊司令官・戦隊参謀長、戦隊参謀はいずれも設置・補職されていなかった。」
(6) 牧野幸一についての注釈 1
「本作品で、空母「赤城」に零戦パイロットとして「牧野幸一少尉」が着任するシーンがある。帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、海軍兵学校出身の海軍兵科将校が、兵学校を卒業して、「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた[7]。神立尚紀は「写真家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ 『聯合艦隊司令長官 山本五十六を観て(1.9加筆あり)(1.23再加筆あり)』」で
「あの時期に飛行学生と(練習航空隊での錬成を終えて)着任する青年飛行将校は海兵65期か66期だろう。母艦に配属されるときには既に中尉になっているはず。予備士官が零戦に乗るのはもう少し後(なので、牧野少尉が予備士官である可能性はない)。牧野が兵から叩き上げた特務士官なら、服装に特務士官の表徴がある筈だし、公の場では「牧野幸一飛行特務少尉です」というはず。(司令部の)従兵を通すならまだしも、特務士官が気安く司令部に菓子を持っていくなど甚だ疑問である。牧野少尉は山本と同郷という設定だが、公私混同が過ぎる」
という旨を指摘している。
(7) 牧野幸一についての注釈 2
「本作品では、牧野幸一少尉が、「赤城」の下士官兵搭乗員が起居する「搭乗員室」で、下士官兵搭乗員と共に食事をしているシーンがある。軍艦乗組の中尉・少尉・少尉候補生は「第一士官次室(ガンルーム)」を公室とした。特務中尉・特務少尉は「第二士官次室(二次室)」を公室とした。[8]神立尚紀は、前述のブログ記事で
「牧野少尉は(兵学校出身であればガンルームで食事をし、特務士官であれば二次室で食事をするので)、兵員室で下士官兵と一緒に飯を食ったりはしない」
という旨を指摘している。
(8) 高橋嘉寿子についての注釈1
「本作品には、瀬戸内海・柱島泊地の聯合艦隊旗艦「長門」の長官公室で、長岡から牧野少尉が飛行機で運んで来た「水饅頭」を山本が美味そうに食べ、幕僚に「水饅頭」について解説するシーン、トラック島に進出した聯合艦隊旗艦「大和」の長官室で、五十六が嘉寿子からの手紙を読み、嘉寿子から送られて来た干し柿を立て続けに頬張るシーンがある。山本五十六の同母のきょうだいは、18歳上の姉の高橋嘉寿子、5歳上の兄の高野季八の2名で、いずれも長岡に住んでいた(出典)。五十六は、毎年の夏休みには長岡に帰郷し、季八、嘉寿子ほかの身内と過ごしていた。嘉寿子は、東京の山本宅に、手製の長岡の菓子を大きな段ボール箱に詰めてしばしば送っていた。[9]」
(9) 高橋嘉寿子についての注釈2
「本作品の最後で、山本の国葬のシーンがある。山本の姉の嘉寿子は、五十六が戦死して1943年(昭和18年)6月5日に東京で国葬が営まれた時には78歳だったが、水饅頭などの五十六の好物を携えて長岡から上京した。嘉寿子は、国葬など公の行事が済むと、上京から1週間で、五十六の分骨を持って長岡に戻った。季八は1937年(昭和12年)に死去し、五十六が聯合艦隊司令長官に就任した1939年(昭和14年)以降は、五十六の同母のきょうだいは、嘉寿子のみが長岡で健在だった。[10]」
(10) 山本禮子についての注釈
「本作品で描写されているように、山本は、太平洋戦争の開戦直前の1941年(昭和16年)12月3日、山口県岩国市沖合の柱島錨地に碇泊する聯合艦隊旗艦「長門」から上京して、開戦に係る所用を済ませ、東京・青山の自宅に一泊した。これが、山本が妻子と会った最後の機会であった。本作品では、その夜に山本が「砲術学校の卒業時に明治天皇から賜ったものだ」と「恩賜の銀時計」を禮子に渡すシーンがある。山本の「恩賜の銀時計」は、本作品には登場しない山本の愛人の手元にあり、山本が戦死した後、国葬の前に、堀悌吉が「これだけは片づけさせてもらうよ」と言って、山本の愛人のところから持って行った[11]。」
(11) 「空母の搭乗員室」についての注釈(本文では未設置。--Pooh456 2012年2月18日 (土) 19:28 (UTC)で追加)
「空母の搭乗員は優遇されており、下士官兵搭乗員室でも、比較的静かな場所に居住性良くしつらえてあり、ハンモックではなく二段ベッドが普通であった。浴室も、一般下士官兵とは別に、一度に10人以上が入れる下士官兵搭乗員浴室があった。[12]空母「赤城」の下士官兵搭乗員室は、大尉以上の士官が務める「分隊長」の私室である「分隊長室」より遥かに涼しい(居住性の良い)部屋だった。[13]「赤城」の下士官兵搭乗員室は、飛行甲板の下の格納庫甲板(「赤城」の格納庫は3層あった。[14])と同じ甲板の、格納庫の防火扉を挟んだ艦首側にあった[15]。[注釈 1]
(注釈内に入れ子にした注釈を可視化)
- ^ 1942年(昭和17年)3月から同年6月のミッドウェー海戦まで、「赤城」に海軍報道班員(軍属)として乗り、「士官室」(副長以下、大尉まで、艦長や司令部員を除く乗組士官の公室)を公室とすることを許されていた、日本映画社カメラマンの牧島貞一による。
(出典を可視化)
- ^ 井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、320-322頁」
- ^ 堀元美 『造船士官の回想(上)』 朝日ソノラマ・文庫版新戦史シリーズ、1994年(平成6年)、95頁。
- ^ a b 阿川弘之 『山本五十六(上)』 新潮文庫、2008年(平成20年)、93頁
- ^ 宮野澄 『海軍の逸材-堀悌吉』 光人社NF文庫、1996年(平成8年)、284285頁。
- ^ 山本義正 『父-山本五十六』 朝日文庫、2011年(平成23年)、236-239頁
- ^ 『日米空母決戦ミッドウェー』 歴史群像太平洋戦史シリーズVol.55、学習研究社、2006年(平成18年)、100頁「連合艦隊第2段作戦第2期兵力部署『ミッドウェー作戦』軍隊区分」。
- ^ 山口宗之 『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 清文堂出版、2000年(平成12年)、241頁。
- ^ 雨倉孝之 『帝国海軍士官入門』 光人社NF文庫、2007年(平成19年)、28頁。
- ^ 『父-山本五十六』 朝日文庫、52-63頁。
- ^ 阿川 『山本五十六(下)』 新潮文庫、2008年(平成20年)、395頁。
- ^ 阿川 『山本五十六(下)』 新潮文庫、2008年(平成20年)、387頁。
- ^ 雨倉孝之 『海軍航空の基礎知識』 光人社NF文庫、2009年(平成21年)、274-275頁
- ^ 牧島貞一 『続・炎の海』 光人社NF文庫、2002年(平成14年)、28-29頁、89頁。
- ^ 兵頭二十八 『パールハーバーの真実』 PHP文庫、2005年(平成17年)、153頁。
- ^ 松田憲雄 『雷撃機電信院の死闘』 光人社NF文庫、2000年(平成12年)、144-145頁。
以上、本文に掲載されているものを、注釈が「本作品ではAである。史実はBである」となるように分割・改訂してみました。ご意見をお願いします。--Pooh456 2012年2月15日 (水) 14:02 (UTC)/修正--Pooh456 2012年2月17日 (金) 14:02 (UTC)
- コメントアウト……(2)の「肩書きは一生消えなかった」まで、(5):記述する側の意見もしない側の意見も理解できる。その人物(の階級)についての注釈となっており「映画」←→「史実」の単純な事実を明確に提示できる(ただし(3)は「史実では南雲忠一は~~だった」と書いたほうが良い)。他の記述が充実してからならというのが妥協点?
- 除去……(1)、(2)の「堀は」以降、(3)、(4)、(6)、(7)、(8)、(9)、(10):(1)は堀の記事に書くような内容。他はその人物についての注釈ではなくシーンに対する注釈で、出典を元にすればあらゆるシーンに注釈=解説をつけることができる。一律除去すべき。また、ただ事実が羅列されていて何を言いたいのかわかりにくいものが多い。
- Pooh456さんも自分の意見を書いてもらえないでえしょうか? 事実である・出典がある・(狭い意味での)独自研究でないから書いてよいという説明だけではなく、なぜ書くべきかを説明してほしいなと。--NNMM 2012年2月16日 (木) 11:55 (UTC) 注釈番号修正--NNMM 2012年2月18日 (土) 15:21 (UTC)
インデントを戻します。また、注釈の数が2つ増えて、注釈に振っていた番号が変りましたのでご注意下さい。
「なぜ書くべきかを説明してほしいなと。--NNMM 2012年2月16日 (木) 11:55 (UTC)」に端的にお答えしますと、「『山本五十六の名前くらいは知っていた。映画を見て、パンフレットを買って家に帰った』人が、パソコンで検索して、記事 「聯合艦隊司令長官 山本五十六」 を閲覧した際に、理解を助けるため」となります。
本文ではなく、「注釈」節に情報が表示されるようにしているのは「読みたくなければ、無視できるように」という意図です。「注釈」節に続く「出典」節も同じ性質を持ちますね。
「他はその人物についての注釈ではなくシーンに対する注釈で、出典を元にすればあらゆるシーンに注釈=解説をつけることができる。一律除去すべき」というご指摘ですが、注釈をつけないと分りにくいシーンに限定しております。「一律除去」の必要はないと考えます。
また、注釈が長文になって理解し難くなることを避けるため、同一人物に関する注釈でも、内容によって分割しています。
「(1)の「堀は」以降」を注釈に書いている意図は、映画の「昭和14年、聯合艦隊司令長官に親補されて、柱島泊地の『長門』に赴任する直前、山本の家を西瓜を持った堀が訪問して、山本が「堀、貴様が聯合艦隊長官になったらどうだ」と言い、堀が「無茶を言うな」と言うシーンがあったと思いますが、「堀は昭和9年に予備役になっており、それから5年経っていた」ことが分らないと、このシーンの会話を理解できないからです。それが明確になるように、Pooh456 2012年2月15日 (水) 14:02 (UTC) の投稿の中の『「注釈」節の内容』を改訂しましたので、ご参照下さい。
ところで「また、ただ事実が羅列されていて何を言いたいのかわかりにくいものが多い」とのことですが、具体的にはどれのことですか?なお、[利用者:Pooh456|Pooh456]] 2012年2月15日 (水) 14:02 (UTC) の投稿の中で「注釈」節の内容をそっくり書きましたが、出典を付し、出典表示を可視化し、文章をいじるなど遡及して改訂しました。NNMMさんが、「こうすれば良いのでは」と思われる所があったら、記述を直す、記述の一部をコメントアウトするなど、NNMMさんの方で手を入れて下さって支障ありません。<「「要らないと思う注釈をそっくりコメントアウトする」のはご遠慮下さい。どう考えても要らないと思う注釈については、「(2)・(5)は不要」などとコメントして下さい。>--Pooh456 2012年2月17日 (金) 14:02 (UTC)
- 番号がずれると私のコメントが食い違ってしまうので、今後新しいものは最後尾に追加してください。今回は私のコメントを修正します。同じ理由で、大きく文章を変える場合にも新しく書いた方がいいかと思います。
- 他はその人物についての注釈ではなくシーンに対する注釈で、出典を元にすればあらゆるシーンに注釈=解説をつけることができる。一律除去すべき」
- すいません、私のこの除去理由ですが一文に2つの理由が入っていてよろしくないので分けます。
- 「その人物についての注釈ではなくシーンに対する注釈」
- 注釈というのは基本的に、まず先にある本文に対してつけるものです。キャスト節の登場人物(階級・立場)というシンプルな記述の注釈であれば、その内容は「だれだれが登場人物で、その階級・立場がこれこれであること」という事実に対するシンプルな補足でなければなりません。前のコメントでは単純にこの理由によってコメントアウトか除去か分かれています。
- 現状は「注釈を書くために」注釈の中でシーンを説明しており、主従逆転しています。そのために重要でないシーンが取り上げられたり、シーンが過剰に詳しく説明されたりしているようにも感じます。#異質な記事でコメントしましたが、先に「映画を説明するために」ストーリー・登場人物紹介を書いて注釈とするべきで、各注釈を検討して手直しするのはそれを改善してからではないでしょうか。現状では肯定的な意見は非常に出しにくいです。
- 「出典を元にすればあらゆるシーンに注釈=解説をつけることができる」
- こちらの理由によって一律除去すべきというのは論理になってませんでした。「ただ事実が羅列されていて何を言いたいのかわかりにくい」と共に注釈ごとに判断・修正すべきですね。
- 以下、Pooh456さんの各コメントに対して。
- 『山本五十六の名前くらいは知っていた。映画を見て、パンフレットを買って家に帰った』人が~~理解を助けるため
- 全否定はしないのですが、それは見方によればガイドブック的な、個人サイトでやるような内容になります。全体的に「分かりにくい部分の補足」ではなく、「映画を見ればストーリーは分かるけれども、あのシーンの裏は実はこうなってたんだよ」的な感じなので……。ちなみに、余談だが、と頭につくような文章は除去したくなってしまうのです。
- また、注釈が長文になって~内容によって分割しています
- というよりは、文章が長いから分割するのではなく、内容が異なるものは別々の注釈にするべきだと思います。今回はそもそも、単なる登場人物名に対して様々な内容の注釈がついているのがおかしいのですけど。
- 「また、ただ事実が羅列されていて何を言いたいのかわかりにくいものが多い」とのことですが、具体的にはどれのことですか?
- (2)の後半,(4),(8),(9)です。
- 神立尚紀さんのブログなんですが、当該記事にわざわざ「戦史研究家ではない」「公式ブログではなく私的なもの」と注記なさっていること、注釈はそのブログに基づいた記述がなくても成り立つことから除去すべきと思います。評価節のものも、現在は公的な場での映画評論家による評価が他に出てきていますのでなくてもよいかと。--NNMM 2012年2月18日 (土) 15:21 (UTC)
- NNMMさん、詳細なコメント有難うございます。
- 番号がずれると私のコメントが食い違ってしまうので、今後新しいものは最後尾に追加してください。今回は私のコメントを修正します。同じ理由で、大きく文章を変える場合にも新しく書いた方がいいかと思います。
- 了解しました。今回の編集から、そのようにしております。
- 現状は「注釈を書くために」注釈の中でシーンを説明しており、主従逆転しています。そのために重要でないシーンが取り上げられたり、シーンが過剰に詳しく説明されたりしているようにも感じます。#異質な記事でコメントしましたが、先に「映画を説明するために」ストーリー・登場人物紹介を書いて注釈とするべきで、各注釈を検討して手直しするのはそれを改善してからではないでしょうか。現状では肯定的な意見は非常に出しにくいです。
- 現実問題として、DVDやブルーレイディスクで「映像ソフト」化されて、再生を止めたり巻き戻したりできないと「ストーリー」を書くのは難しいです。現時点では劇場公開中なので「DVDの発売予定」などは一切発表されていないようですが、そう遠くない時期に発売されると思われます。
- A) 現状では、最初にNNMMさんが削除・コメントアウトしたもの「以外」を、記事本文で可視化しておく。
- B) 映像ソフトが発売されたら、「ストーリー・登場人物紹介」を書く。
- C) その上で、適切な注釈をつける(各注釈を検討して手直しする)ようにしても遅くない。
- NNMMさんが仰りたいのは、こんな感じのことでしょうか?
- 「また、ただ事実が羅列されていて何を言いたいのかわかりにくいものが多い」とのことですが、具体的にはどれのことですか?
- (2)の後半,(4),(8),(9)です。
- (2) 「堀悌吉についての注釈 1」の、「堀は、山本と海兵同期で、その海兵32期のクラスヘッドであり、山本が最も信頼し敬愛していた友人であった。山本より1年早い1933年(昭和8年)に中将に進級したが、条約派を海軍から追放した大角人事で1934年(昭和9年)12月に予備役となった。山本が海軍次官から聯合艦隊司令長官に親補された1939年(昭和14年)の5年前である。(阿川弘之 『山本五十六(上)』 新潮文庫、2008年(平成20年)、93頁)堀は、1939年(昭和14年)の時点では日本飛行機の社長を務めていた(1936年(昭和11年)に就任)(宮野澄 『海軍の逸材-堀悌吉』 光人社NF文庫、1996年(平成8年)、284285頁。)。」」ですね。
- (4) 「堀悌吉についての注釈 3」ですね。
- (8) 「高橋嘉寿子についての注釈1」ですね。
- (9) 「高橋嘉寿子についての注釈2」ですね。
- 差し支えなければ、「NNMMさんとしては、このような記述なら『分りやすい』 『必要十分である』 と考える」というのを具体的に示してみて頂けませんでしょうか?「この注釈は、どう考えても除去すべき」というご意見であれば、そのようにコメントして下さい。
- 神立尚紀さんのブログなんですが、当該記事にわざわざ「戦史研究家ではない」「公式ブログではなく私的なもの」と注記なさっていること、注釈はそのブログに基づいた記述がなくても成り立つことから除去すべきと思います。評価節のものも、現在は公的な場での映画評論家による評価が他に出てきていますのでなくてもよいかと。
- 神立さんのブログに、ご指摘のような記載がなされたのは、私がWikipediaの記事 「聯合艦隊司令長官 山本五十六」で、神立さんのブログで言及されていることを紹介した(神立さんのブログには「転載禁止」とその時点から明記してあったので、要旨を書くに止めましたが) 「結果」です。Wikipediaの「影響力」って意外に強いようで、ビックリしました。神立さんとしては、Wikipediaで取り上げられるのは本意でないようです。他人様が嫌がることは、しないのが礼儀ですので、NNMMさんのご指摘の通り、神立さんのブログへの言及は「評価節」と「注釈節」の双方でバッサリ削除するのが妥当かな、と、NNMMさんのコメントを読んで思い当たりました。--Pooh456 2012年2月18日 (土) 19:28 (UTC)
- NNMMさんが仰りたいのは、こんな感じのことでしょうか?
- おおむねそうなります。A)については、つまり注釈はすべて不可視化するのが妥当だと私は考えています。
- B)について、誤解を恐れずに言えば映像ソフトが発売される前に作品を見てストーリー・登場人物を書くのは許容されうると思っています。映像化されないと書くのが難しいから書かないというのも好ましい判断です。逆に一シーンを切り出せば書けるからと書いてしまった現状の注釈は、記事として異質なものになっています。
- 事実の羅列について
- (2)の後半は除去。「元・海軍中将」に対する注釈として、史実では「予備役の海軍中将」であった事実で完結しています。
- (4)は「堀は海軍から山本五十六の親戚代表と処遇され、特別の計らいで山本戦死が公式発表される前日に山本家を訪れた」で十分。
- (8)はシーンに出てくる水饅頭・干し柿に対する注釈であり、「嘉寿子は山本へ手製の長岡の菓子をしばしば送っていた」で十分。
- (9)は除去。国葬のシーンに対する注釈にすらなっていません。
- (2)(9)はどう考えても除去、(4)(8)はもし書くとすれば、という意見になります。とりあえず『分かりやすい』『必要十分である』記述にするためには、注釈の対象に対して直接的な内容以外は極力切り捨てるべきです。注釈を書くための注釈にならないように。
- (11)について
- あまりにも酷すぎます。そうやって映画のあらゆるシーン・事物に対してあらゆる解説をつけていくのでしょうか。非常に心配でなりません。--NNMM 2012年2月19日 (日) 06:39 (UTC)
NNMMさん、コメント有難うございました。NNMMさんのご意見を反映して、先に示した「注釈」節の記述を改訂してみました。「映画のあらゆるシーン・事物に対してあらゆる解説をつけていく」意図は全くございませんので、その点はご安心下さい。
引き続きご意見を頂ければ幸いです。
(1) 井上成美についての注釈(本文では未設置)
「本作品では、トラック泊地に在泊する聯合艦隊旗艦「大和」の甲板を井上と山本が歩きながら、井上が「私は今度、兵学校長に補されて内地へ帰還します。私のような、時流に合わない者を、何で兵学校長にするんでしょうね」という旨を言い、山本が「この前、嶋田(海軍大臣の嶋田繁太郎大将、山本と兵32期の同期)から、次の兵学校長を誰にしたら良いかという相談の手紙が来たので、井上君が良いと返事しておいた。」という旨を答えるシーンがある。この会話の時点で、井上は第四艦隊司令長官であり、聯合艦隊司令長官たる山本の指揮下にあった。第四艦隊旗艦「鹿島」はトラック泊地を事実上の母港としていた[1]。井上の兵学校長就任については、「井上成美#海軍兵学校長時代」を参照。」
(2) 堀悌吉についての注釈 1
「本作品では、堀悌吉は「元・海軍中将」と表現されているが、史実では「予備役の海軍中将」であった。帝国陸軍・帝国海軍の武官は終身官であり、現役を退いて予備役・後備役・退役となっても肩書は一生消えなかった[2]。」
(4) 堀悌吉についての注釈 3
「本作品に、堀が、山本の戦死の公式発表(1943年(昭和18年)5月21日)の前日、東京・青山の山本宅を訪れ、山本の妻の禮子、長男の義正に、山本の戦死を告げるシーンがある。史実において、堀は、海軍から「山本五十六の親戚代表」と処遇され、特別の計らいで、堀が公式発表の前日に山本家を訪れた[3]。」
(5) 南雲忠一についての注釈
本作品では、南雲忠一は「第一航空艦隊司令長官 兼 第一航空戦隊司令官」と表現されている。史実では、第一航空艦隊司令長官が「軍隊区分」によって第一航空戦隊を「直率」しており[4]、「第一航空戦隊」の「戦隊司令部・戦隊司令官・戦隊参謀長、戦隊参謀はいずれも設置・補職されていなかった。」
(6) 牧野幸一についての注釈 1
「本作品で、空母「赤城」に零戦パイロットとして「牧野幸一少尉」が着任するシーンがある。史実における、帝国海軍の士官搭乗員育成制度では、海軍兵学校出身の海軍兵科将校が、兵学校を卒業して、「航空学生」を経て一人前の搭乗員になり、実戦部隊に配属される際は必ず中尉以上になっていた[5]。」
(7) 牧野幸一についての注釈 2
「本作品では、牧野幸一少尉が、「赤城」の下士官兵搭乗員が起居する「搭乗員室」で、下士官兵搭乗員と共に食事をしているシーンがある。史実では、軍艦乗組の中尉・少尉・少尉候補生は「第一士官次室(ガンルーム)」を公室とし、そこで食事をした[6]。」
(8) 高橋嘉寿子についての注釈1
「本作品には、瀬戸内海・柱島泊地の聯合艦隊旗艦「長門」の長官公室で、長岡から牧野少尉が飛行機で運んで来た「水饅頭」を山本が美味そうに食べ、幕僚に「水饅頭」について解説するシーン、トラック島に進出した聯合艦隊旗艦「大和」の長官室で、五十六が嘉寿子からの手紙を読み、嘉寿子から送られて来た干し柿を立て続けに頬張るシーンがある。史実では、嘉寿子は、山本に手製の長岡の菓子をしばしば送っていた[7]。」
(10) 山本禮子についての注釈
「本作品で描写されているように、山本は、太平洋戦争の開戦直前の1941年(昭和16年)12月3日、山口県岩国市沖合の柱島錨地に碇泊する聯合艦隊旗艦「長門」から上京して、開戦に係る所用を済ませ、東京・青山の自宅に一泊した。これが、山本が妻子と会った最後の機会であった。本作品では、その夜に山本が「砲術学校の卒業時に明治天皇から賜ったものだ」と「恩賜の銀時計」を禮子に渡すシーンがある。史実では、山本の「恩賜の銀時計」は、本作品には登場しない山本の愛人の手元にあり、山本が戦死した後、国葬の前に、堀悌吉が「これだけは片づけさせてもらうよ」と言って、山本の愛人のところから持って行った[8]。」
(出典を可視化)
- ^ 井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、320-322頁」
- ^ 堀元美 『造船士官の回想(上)』 朝日ソノラマ・文庫版新戦史シリーズ、1994年(平成6年)、95頁。
- ^ 山本義正 『父-山本五十六』 朝日文庫、2011年(平成23年)、236-239頁
- ^ 『日米空母決戦ミッドウェー』 歴史群像太平洋戦史シリーズVol.55、学習研究社、2006年(平成18年)、100頁 「連合艦隊第2段作戦第2期兵力部署 『ミッドウェー作戦』 軍隊区分」。
- ^ 山口宗之 『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 清文堂出版、2000年(平成12年)、241頁。
- ^ 雨倉孝之 『帝国海軍士官入門』 光人社NF文庫、2007年(平成19年)、28頁。
- ^ 『父-山本五十六』 朝日文庫、52-63頁。
- ^ 阿川 『山本五十六(下)』 新潮文庫、2008年(平成20年)、387頁。
--Pooh456 2012年2月19日 (日) 07:51 (UTC)
映画の設定について史実を持ち出し指摘・記述する事の是非について--まとめ
映画の設定について史実を持ち出して指摘・記述することの是非については、本ノートページの他、Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。でも活発な議論が行われ、その結果として、以下の「ルール草案」が合意されました。
- 時代考証や設定考証が弱いと思われる部分に対し、編集者が広く流布・認知されていない外的な観点や情報を、本文内で独自に解説・指摘する行為は、『独自研究』に抵触する行為であるので記述不可とする。
- 例外として、時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事は許容する。
その後、議論の場はWikipedia‐ノート:独自研究は載せない#『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成にご協力下さいに移り、井戸端で合意された「ルール草案」を方針ページにどのように反映させるか(あるいは反映させなくても良いのか)が議論されました。その議論の過程で上記の井戸端でルール草案として合意された事項の意味について議論になりに関連して私(Dwy)から
- 「映画の設定に関する出典」+「史実に関する(別の)出典」では「独自研究」になってしまうこと、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が要求されることを合意したもの
であることの確認を求めたところ、異論を述べられたのはPooh456さんだけで、他の方からは皆さん肯定的なコメントをいただきました。
以上の議論の経緯に基づき、本日「ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六、Wikipedia:井戸端およびWikipedia‐ノート:独自研究は載せないの議論に基づき独自研究を除去」したところ[1]、Pooh456さんから「ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#NNMM氏の編集についての議論を無視した強行編集は無効」ということで差戻しを受けました。
私(Dwy)の認識では、上記の議論において、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」がない記述は「独自研究」であることが合意されており、聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」の節の記述についても「独自研究」である旨の合意が充分成立していると思うのですが、Pooh456さんの認識は全く違うようです。どのように考えるべきか、Pooh456さんと私以外の第三者の意見を求めます。--Dwy 2012年2月26日 (日) 05:54 (UTC)
- コメント「Help:ノートページ#記事ページ」に「各記事ページに用意されているノートページは、主ページの記事についての対話の場であり、百科事典『ウィキペディア』の記事を改善・充実するために使用されます。具体的には、記事内容への質問や感想の投稿、加筆や修正についての提案・議論、記事文案の提示、編集意図についての補足説明(「編集内容の要約」の補足)、スタイルに関する記事固有のルールについての相談などを行います。」と明示されています。
- 「Wikipedia:井戸端」、はそのようなことを行う場ではありません。
- Dwy氏は、「 『Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。』の議論の結果、 聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」の節の記述についても「独自研究」である旨の合意が充分成立していると思う」とのことですが、Dwy氏には、Wikipediaのルールを再確認なさることをお勧めします。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 06:06 (UTC)
- コメントご意見に賛同します。しかし、方針の独自解釈を繰り返し、「法律家ごっこ」との指摘を受ける頑ななユーザーがいる手前、合意であること、あるいはコミュニティの総意であることを明示するのが得策と考えます。--Wikied 2012年2月26日 (日) 06:13 (UTC)
コメントDwy氏が示す「 『Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。』の議論の中で、Wikipediaのルールに通暁しておられるHmanさんが「井戸端の議論には拘束性が全く無く」と明言しておられます(差分)。ご参考まで。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 07:55 (UTC)
- 合意は成立しているものと思います。井戸端で一般論として合意形成された内容や方針・ガイドラインには基本的に従うこと・十分参考にすることが推奨されます。この記事に特別な事情があるわけでもありません。Pooh456さんのコメントはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用に当たるように思います。そちらにあるように、そこに書かれた本来のルールの精神や意図、さらに必要であればウィキペディアの本来の目的まで立ち返って方針文書を用いてください。他の方のコメントも同様に。
- と言いつつPooh456さんのお手伝いをした手前、非常に中途半端な意見になりますが……とりあえず長々と議論するのは不毛なのでできれば早く切り上げたいところです。一つの手は上記合意に従っていただくこと。もう一つの手は一旦除去なり不可視化して、十分に記事が育ってから再度記述の提案をすることです(これは議論の先延ばしでもあります)。これも記述可能になるのは、記事を整え注釈の取捨選択をした上で、記述に否定的な方に許容してもらえればいいなぁというものではあります。とりあえず全不可視化することは合意できてますので、当分の間のためにそちらだけでもやればいいんじゃないかと。--NNMM 2012年2月26日 (日) 09:40 (UTC)
- 「方針・ガイドラインには基本的に従うこと」は、「Wikipedia:方針とガイドライン」で示されており、異議ありません。ですが、NNMMさん「井戸端で一般論として合意形成された内容には十分参考にすることが推奨されます」と言われるのは何を根拠にしているのですか?
- また「とりあえず全不可視化することは合意できてますので」とのことですが、その合意は、どこで、どのように成立したのでしょう?--Pooh456 2012年2月26日 (日) 09:56 (UTC)
- 1点目。それでは「推奨されると私は考えます」と訂正しましょう。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説#ルールの精神と常識を尊重するなどに基づく考えです。で、その内容が、こういった話をするのは不毛だよということじゃないでしょうか。
- 2点目。#NNMM氏の編集について2012年2月18日 (土) 19:28 (UTC)以降で合意が成立しているものと思っていましたが、嫌なら別にいいです。--NNMM 2012年2月26日 (日) 11:16 (UTC)
- ここのノートで議論しないと除去できないというご意見のようなので。
- 「映画の設定に関する出典」+「史実に関する、映画自体に言及していない出典」では特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成にあたり、独自研究である。
- よって、全除去は妥当である。
- 特定の観点を推進する意図の有無に関わらず、そう受け取らせる表現としかなり得ないものだと考えます。--水原紡 2012年2月26日 (日) 15:40 (UTC)
- 水原紡さんのご意見は「「映画の設定に関する出典」+「史実に関する、映画自体に言及していない出典」では特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成にあたり、独自研究である」が真でないと成立しないようですが、そのご意見は何を典拠にしておられるのでしょうか?--Pooh456 2012年2月26日 (日) 22:31 (UTC)
- その問題については、井戸端やWikipedia‐ノート:独自研究は載せないでさんざん議論して、すでにコミュニティとしての結論が出ていると思います。--Dwy(会話) 2012年3月4日 (日) 09:27 (UTC)
- 水原紡さんのご意見は「「映画の設定に関する出典」+「史実に関する、映画自体に言及していない出典」では特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成にあたり、独自研究である」が真でないと成立しないようですが、そのご意見は何を典拠にしておられるのでしょうか?--Pooh456 2012年2月26日 (日) 22:31 (UTC)
1週間待ちましたがPooh456さんのご意見を支持する方は現れないようですので、こちらでもやはり合意が成立しているということで、問題の記述を除去します。--Dwy(会話) 2012年3月4日 (日) 09:27 (UTC)
Dwyさんにおいては、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありません」と「Wikipedia:合意形成」を再読なさることを勧めます。強行編集は止めて下さい。--Pooh456(会話) 2012年3月4日 (日) 09:56 (UTC)
- コメント 聯合艦隊司令長官 山本五十六は娯楽映画として作られています。創作エピソードや演出は当然入っていますから、個々のエピソードや演出に正確性を求めたり、補うこと自体が不毛なんですが。イングロリアス・バスターズぐらい突き抜けていれば揉めないのでしょうか。他の例で言えば、司馬遼太郎の時代小説に正確性を求め誤りを指摘するようなものでしょうか。
- どうしても書きたいことがあれば、「史実が異なるという指摘」を出典を添えて記述すべきです。それができないのであれば「この作品は創作エピソードや演出が含まれる(映画公式ページプロダクションノートにも記述有)」で我慢してください。史実としての正確性を追求するのは山本五十六なり真珠湾攻撃なりで行うべきかと。--Bellis(会話) 2012年3月4日 (日) 13:37 (UTC)
- そもそも、本記事の「注釈」は、映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を見て、このページを見た人の理解を助ける目的で設けているものです。「ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#NNMM氏の編集について」で、NNMMさんの質問に、Pooh456が2012年2月17日 (金) 14:02 (UTC)に答えておりますのでご参照下さい。その後、同「注釈の改善」について議論している所で、Dwyさんが「乱入」して来て、ややこしいことになっておりますが、それについては、「Wikipedia:コメント依頼/Dwy」を提出し、詳細を説明しております。
- 本来、Dwyさんの「乱入」で中断してしまった、この節に先行する「ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#NNMM氏の編集について」での議論を継続すべき場面と考えます。--Pooh456(会話) 2012年3月5日 (月) 02:20 (UTC)
- 既に論点は出尽くしていると私は思います。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例 の「もしあなたの加筆した記述が、そこの記事との関連性や重要性が乏しいといわれたら……」この悪い例に当てはまる行動をPooh456さんはとっているように見受けます。もう潮時です。別の解決手段を考えるよう強く勧めます。--Bellis(会話) 2012年3月5日 (月) 14:06 (UTC)
- #NNMM氏の編集については、この節や井戸端での内容「史実を持ち出し指摘・記述する事の是非」とは別問題であり、より弱いものです。Pooh456さんが注釈を付けてよいという合意を得たいならそのために準備をしてくれ、改善しないと話にならないよということであって、あちらで議論をしていることはこちらで反対する根拠には全くなりません。改善されるまで注釈を残して結論を延ばす必要もありません。--NNMM(会話) 2012年3月6日 (火) 15:38 (UTC)
遅くなりましたが、お返事します(Pooh456さんの2012年2月26日 (日) 22:31 (UTC)の発言へのレスポンスです)。
- 何の接続詞がなくとも、映画自体に関係のない史実に関する文章がそれに対応するシーンに関する文章と共におかれれば、それはシーンの史実との一致/差異を言わんがために配置される文章として受け取られると考えます。
- 映画などのフィクション作品について語る上で、史実との一致・差異という視点を強調することは、特定の観点を推進するものである、と考えます。
以上です。--水原紡(会話) 2012年3月5日 (月) 16:04 (UTC)
- コメント うわっ、こちらでも私の発言を一人歩きさせているんですか。特に(それに続く議論をご存じでない可能性のある)NNMMさん、水原紡さん、男梅さん、大和屋敷さんらに申し上げますが、これは、何年後か何ヶ月後かに同一ではないが同様の事が起こった時に(そう珍しいケースではありません)、井戸端の議論を元に説得しようとしても全く意味がないと申し上げております。実際私がその初心の方の立場でしたら、非常に納得しづらいはずです。方針やガイドラインに盛り込むか、そうでなければせめて当該ノートに転記するかリンクするかしてまともに参照できる様にしておかないと、将来、参考以上の・・・即ち合意例(判例)や運用の妥当性の論拠として用いるのは実に難しい。・・・と言う具合です。私はもっと踏み込んで方針を整備すべきであり、方針の精神を誤解した初心の方も不幸でありますし、毎回何週間もかけて(こうやって)説明するコミュニティも不幸だ、と考えています。まあそれはさておき、私の意図はただそれだけのお話。その時期に参加した皆さんやモロに当事者であるPooh456氏が合意(というか皆様の大意)に従うことは当然のことと考えます。そして私から見ても、合意は明らかに見えます。未だに揉めていることに少々驚かざるを得ないほど、明らかに見えました。先般の言葉の誤解は解けたでしょうから、改めてWikipediaのルールに通暁している?(とは到底思えないのですが)Hmanから申し上げます。「当事者のひとりとして合意には従って下さい」。また、井戸端はさておいても、本ノートでも記述除去についての合意は問題なく得られているとお見受けしますが。皆様、如何でしょうか。さて、「こちらでも」と申し上げましたのは・・・まあご存じの方が多いとは存じますが、並行して似た案件があります。ノート:加藤桃子のこのあたり[2]ですね。Pooh456氏は加藤桃子のノートでも井戸端での合意は関係が無いと頑強に抵抗されておりましたが、本件についてもそろそろ、「いつまでも納得しない」のは、おやめになられることを、お勧め致します。そもそも、普通に考えて、あなた一人の独断で作るものより、皆さんのアドヴァイスを容れてで作ったものの方が良い物になるはずです。もう少し他人の話を、聞いてみて下さい。--Hman(会話) 2012年3月8日 (木) 18:49 (UTC)
- 今回の件は、合意ベースで誰でも参加できるというウィキペディアの性質に由来したことであって(要するに不具合ではなくてそういう仕様です、ということ)、ガイドラインだけで防げたかどうかわからないというのが正直なところです。ウィキペディアというのはまだるっこしい仕組みですが、それのおかげで全体として質を保つことができていると思ってます。とはいいつつ、映画のスタイルガイドの草案に「歴史考証・科学考証」(ついでに「原作との違い」)に関するガイドラインを英語版から和訳しました。われながら、今まで議論したことの精神がうまく表現できていると思っています。--Bugandhoney(会話) 2012年3月9日 (金) 06:06 (UTC)
- お疲れ様でございました。確かに仰るとおり、方向性の問題として全く一致していますね。本案件はガイドライン化だけで完全に防げたものではないかもしれませんが、今後の類似案件の抑制には一役買うでしょう。本案件他並行案件にコミュニティが費やした時間(人数も考慮すれば莫大なものです)を無駄にはしたくないものです。何分映画は専門外につきどうお手伝いしてよいのかもわかりませんが、いずれ相応の格好となることを、祈っております。--Hman(会話) 2012年3月9日 (金) 17:58 (UTC)
- いや、私も映画は見るのは好きですが、専門ということでもなく、映画の記事にはほとんど寄与してないのですが、このガイドラインはよくてできてるなあと思って、勝手に翻訳してます。--Bugandhoney(会話) 2012年3月9日 (金) 18:44 (UTC)
- お疲れ様でございました。確かに仰るとおり、方向性の問題として全く一致していますね。本案件はガイドライン化だけで完全に防げたものではないかもしれませんが、今後の類似案件の抑制には一役買うでしょう。本案件他並行案件にコミュニティが費やした時間(人数も考慮すれば莫大なものです)を無駄にはしたくないものです。何分映画は専門外につきどうお手伝いしてよいのかもわかりませんが、いずれ相応の格好となることを、祈っております。--Hman(会話) 2012年3月9日 (金) 17:58 (UTC)
- 今回の件は、合意ベースで誰でも参加できるというウィキペディアの性質に由来したことであって(要するに不具合ではなくてそういう仕様です、ということ)、ガイドラインだけで防げたかどうかわからないというのが正直なところです。ウィキペディアというのはまだるっこしい仕組みですが、それのおかげで全体として質を保つことができていると思ってます。とはいいつつ、映画のスタイルガイドの草案に「歴史考証・科学考証」(ついでに「原作との違い」)に関するガイドラインを英語版から和訳しました。われながら、今まで議論したことの精神がうまく表現できていると思っています。--Bugandhoney(会話) 2012年3月9日 (金) 06:06 (UTC)
「評価」について
評価節の引用内容に強い違和感を覚えました。
- 神立尚紀さんの引用文は、映画評論家ではないので映画の感想を引用するのは不適当です。こちらは合意を待たず除去します。
- 西村雄一郎の引用文は、映画評論家ですので引用自体は適当かと思いますが、原文の改ざんが目に余ります。非常によろしくないと思います。内容の見直しが必要ですが、こちらはそのままにしておきます。どなたか修正をお願いします。
以上2点。--Bellis(会話) 2012年3月4日 (日) 14:23 (UTC)
- Bellisさんは誤解しておられるようです。2氏の評は「引用」されているのではなく「紹介」されているのです。
- 現に、いずれも「『・・・』という趣旨を述べている」と、要約を記載していることを明記しています。情報源がネット上に存在し、情報源への外部リンクが張られていますから、紹介されている閲覧者が、要約では物足りない、原文を読みたい、と考えれば、外部リンク先に飛べば済む話です。
- 「要約」である以上、原文と違うのは当たり前です。それは普通は「改ざん」とは言いません。なお、「Wikipedia:原典のコピーはしない」と「Wikipedia:引用のガイドライン」を参照すれば、このケースにおいては「引用を行うのは不適切である」と分かる筈です。
- 映画について「映画評論家ではないので映画の感想を引用するのは不適当です」という考え方は意味不明です。神立氏は、Wikipediaで「神立尚紀」と立項されている「Wikipedia:特筆性」を満たす著名人であり、戦史についての著作を、多数、上梓している方でもあります。その方がブログで本作品についての見解を公表している以上、「神立尚紀氏が映画評論家ではないから」という理由で、本記事で神立氏の見解を紹介するのが問題となるのは考えません。Bellisさんは「こちらは合意を待たず除去します」として記述を除去しましたが、「除去すべき」という合意形成を待って除去すべきであったと考えます。--Pooh456(会話) 2012年3月5日 (月) 01:19 (UTC)
- Bellisさんが、「合意を待たず除去します」として除去なさった「神立氏の評」については、とりあえず復活させました。上記で記したように、本ノートで、除去すべしという合意が形成されるのを待って除去すべきです。--Pooh456(会話) 2012年3月5日 (月) 02:07 (UTC)
- コメントPooh456さんはWikipedia:引用のガイドラインを誤読しているのでは。「はじめに」の節を読み返してみてください。--Bellis(会話) 2012年3月5日 (月) 14:11 (UTC)
- 一般的に、現在の評価節にあるように「」でくくって表記するのは、原文そのままの引用であることを示すのがふつうですから、現在のかたちは誤解を招きます。引用ならば「」を使い、(著作権侵害にならない範囲で)原文をそのまま引き写すべきです。要約ならば、「」にくくらず、地の文に組み込んで表記するべきです。--Trca(会話) 2012年3月8日 (木) 15:09 (UTC)
- コメントPooh456さんはWikipedia:引用のガイドラインを誤読しているのでは。「はじめに」の節を読み返してみてください。--Bellis(会話) 2012年3月5日 (月) 14:11 (UTC)