ノート:筑波大学附属駒場中学校・高等学校
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筑駒と麻布との論争
[編集]1.麻布ベストテン入り48年。 教大附駒場が麻布をランキングで抜いたのは1966年。
東大合格者ランキング 1966(昭和41) 1 日比谷(東京)128 2 西 (東京)127 3 灘 (兵庫)96 4 戸 山(東京)93 5 新 宿(東京)85 6 教大付駒場(東京)86 7 麻 布(東京)84 8 教育大付(東京)73 9 旭 丘(愛知)67 10小石川(東京)62 10 湘 南(神奈川)62
麻布が教大附駒場より東大合格者「数」が連続して多かったのは、48-39=たった9年だけ。 (ちなみに合格率を勘案すれば、1963年に既に完全に教大附駒場>麻布。この計算だと麻布>教大附駒場はわずかに「6年」) これが「麻布名門」の謂れ。その後39年は、合格率を勘案すれば、完全に、教大附駒場>麻布。
東大合格者ランキング 1963(昭和38) 1 日比谷(東京)167 2 西 (東京)134 3 戸 山(東京)109 4 新 宿(東京)96 5 教育大付(東京)83 6 小石川(東京)68 7 麻 布(東京)64 8 教大付駒場(東京)52 9 灘 (兵庫)48 10 両 国(東京)45
敢えて書くと「戦後設立され、日比谷、西、戸山等の名門都立高校への進学ぶりで附属中の評判が高まり、その後中高一貫化により1963年3月に東大合格者数が一挙に倍増(52名)して以来、進学校としての人気・評価が不動のものとなり」とでも書くのかね。 麻布をどうしても入れようとすれば「戦後すぐには麻布などの後塵を拝していたが、中高一貫化により1963年3月に東大合格者数が一挙に倍増(52名)して以来、40年以上の長きにわたり麻布等を滑り止めとするトップ層が集中し」とでも書かざるを得ないわね。
2.それにしては政界・財界・官界どれをとっても筑駒は麻布に比べてOBがしょぼいよな。
有名作家もいないし。
あと筑駒は通学制限があるから麻布志願者で筑駒を併願できない人も多いよ。
麻布は山手の由緒ある高貴な名門校なのに筑駒は貧乏な人が集う新興学校というイメージ。
筑駒は歴史が浅く何せ元農業高校の藁学校だしね。--196.192.64.3 2005年9月15日 (木) 13:34 (UTC)
3.滑り止めでも高貴な名門校ねえ・・・・確かに芸能系や文学系では麻布出身者の方が活躍してるわなあ。入りやすいから色々いる、というのが麻布の強みかも知れないな。まあ、でもここは筑駒のページなんだから、母校自慢は麻布でやって欲しいもんだ。うざい。
4.すみません、以後気をつけます196.192.64.3 2005年9月23日 (金) 09:27 (UTC)
5.ほうふくのいちあん (麻布の一案) 1895年に江原素六により麻布尋常中学校として東洋英和学校内に創立。1900年、麻布中学校と改称し、現在の校地に移転する。1947年の新制中学校発足、1948年の新制高等学校発足を経て、現在に至る。
素性は貧苦を克服した江原素六が設立した私学にすぎず、基本的には成り上がりである。東大合格者トップになったこともなく、戦後の新学制が始まって以来一度も東大合格者数ベスト10から漏れたことがないと喧伝するもののほとんどが7位~10位であり、二番手校である。政界・財界においては二世の人材を送り出すも所詮慶応には及ばず、能力勝負の官界においては日比谷・筑駒・開成には全く及ばない。入試においてもこの40年間は一貫して教駒・筑駒の滑り止めとして一定の地位を得ていたものの、近年は2月1日入試においてトップ層が開成に集中する傾向が強まり、その地位さえ揺らぎつつある。 具体的には、麻布-栄光-筑駒の併願パターンで筑駒落ち麻布が比較的多かったこれまでのパターンが開成-筑駒受験層に敬遠されて崩れつつあり、麻布受験層は、麻布-城北-海城という四谷偏差値において62~65程度の受験層が集まる学校になりつつある。
これまでの理想的な教育・自由闊達な校風は、多くの人材・異才を輩出し、特に、近年、政界・財界・文学・芸能界等での活躍ぶりには目を見張るものがあるが今後については予断を許さない状況になりつつあると言えよう。
特徴としては、男子校であること、明文化された校則がなく自主・自立の校風のもと、学園生活の大部分が生徒達の裁量に委ねられていることなどが挙げられる。そのため服装はもちろん頭髪や装飾品に関しても全て自由である。
こんな感じ。
6.ついでに資料。筑駒の東大合格者数
1959(昭和34) 12 1960(昭和35) 22 1961(昭和36) 23 1962(昭和37) 30 1963(昭和38) 52 1964(昭和39) 56 1965(昭和40) 68 1966(昭和41) 85 1967(昭和42) 78 1968(昭和43) 91 1969(昭和44) - 1970(昭和45) 137 1971(昭和46) 103 1972(昭和47) 83 1973(昭和48) 133 1974(昭和49) 115 1975(昭和50) 123 1976(昭和51) 113 1977(昭和52) 88 1978(昭和53) 124 1979(昭和54) 102 1980(昭和55) 107 1981(昭和56) 110 1982(昭和57) 93 1983(昭和58) 102 1984(昭和59) 89 1985(昭和60) 72 1986(昭和61) 98 1987(昭和62) 81 1988(昭和63) 73 1989(平成元) 75 1990(平成 2) 95 1991(平成 3) 96 1992(平成 4) 81 1993(平成 5) 75 1994(平成 6) 87 1995(平成 7) 84 1996(平成 8) 102 1997(平成 9) 90 1998(平成10) 79 1999(平成11) 104 2000(平成12) 97 2001(平成13) 96 2002(平成14) 79 2003(平成15) 112 2004(平成16) 81 2005(平成17) 105
7.麻布危うし、の資料
筑駒 最多合格層偏差値71、67 偏差値70越進学者数28人 http://www.njc.yotsuya-otsuka.co.jp/point/graph/2005/pdf/dan/0060.pdf
開成 最多合格層偏差値67、65 偏差値70越の進学者数26人 http://www.njc.yotsuya-otsuka.co.jp/point/graph/2005/pdf/dan/2046.pdf
栄光 最多合格層偏差値65 偏差値70越の進学者数5人 http://www.njc.yotsuya-otsuka.co.jp/point/graph/2005/pdf/dan/2038.pdf
麻布 最多合格層偏差値63 偏差値70超の進学者数3人 http://www.njc.yotsuya-otsuka.co.jp/point/graph/2005/pdf/dan/2003.pdf
駒場東邦 最多合格層偏差値63 偏差値70越の進学者数1人 http://www.njc.yotsuya-otsuka.co.jp/point/graph/2005/pdf/dan/2071.pdf
8.*それにしてもここの筑駒の人(=約1人?)は驚くほど麻布に対してコンプレックスを持っているんですね。それとも筑駒詐称の開成の人なのかな。--TONY 2005年10月30日 (日) 06:27 (UTC)
9.麻布に対するコンプレックスなど無い。あるわけ無い。 始めにわざわざ「戦後、長らくは日比谷、麻布などの後塵を拝し」などと誤ったことを書き込んだ奴がいたから誤りを正しただけ。このノートを見れば分かるだろ。 しかもそいつが書き込み出したのは面白いことにテレビ番組の「学校へ行こう」で麻6が筑6に破れ、筑6が優勝した直後からだ。実に子供じみてて下らないだろ。たかだかテレビ番組なんだから。早くそいつが筑駒コンプを脱して反省すれば良いだけだ。他人の学校のところにわざわざ来て自分の学校の愚にもつかない自慢を書き込まないよう注意してくれよな。と言っても誰だか分からんか・・。それにしても考えてみれば君もわざわざ他校のノートに書き込んでるんだね・・。まあいいけど。(約1人)…。…。--以上の署名の無いコメントは、60.35.191.102(会話・投稿記録)さんによるものです。
- なぜまた「日比谷、麻布」という記述になっているの?今週のアエラをみても所詮麻布は都立の「アウトサイダー」の地位にいたことしか書かれていないんだけど…。--以上の署名の無いコメントは、58.156.236.106(会話・投稿記録)さんによるものです。
沿革について
[編集]本文からのGFDL違反のコピペが行なわれたため削除しました。コピペはおやめください。―霧木諒二 2006年3月25日 (土) 05:01 (UTC)
- なぜまたこんな意図的にミスリードする記述がまかり通っているのかなあ。もともと農業学校では無いんだよ。よほど筑駒に対するコンプがあるのかね。今やどれほどの意味があるのか分からんが、
1947年 東京農業教育専門学校附属中学校として開校 だけれど、開校時は普通課程のみ。つまり、普通課程の普通の中学校。農業学校ではないんだよ。 書き込んだ奴は、「東京農業教育専門学校」附属中学校というだけで、農業学校だと思い込んでいる(或いは兎に角そのように書きたい)ようだが、附属中学校はあくまで普通課程の学校。 「東京農業教育専門学校」も、本文にあるように、農業学校では無く、農業教育に係る教員養成のための師範学校。意味分かるかな?例えて言えば東大附属高校が東大に農学部があるからといって農業高校ではないのと同じようなものだ。 尤も1950年に附属高等学校が設置された時に、附属高校には農業課程1クラスが併置されたことは事実なので、それから1961年に高校に残っていた農業課程の募集を中止するまでは、高校に1クラスだけ農業高校部分が残っていたということだ。この1961年に附属中学から上がった80人と高校から入った80人の併せて160人が卒業したときの東大合格者数が52人だったということ。その後は上記のとおり。 まあ、農業とは縁が深い学校だとは思うし、農業が大切なことは論を待たないと思うけど。—以上の署名の無いコメントは、125.203.111.248(会話・履歴)氏によるものです。
上の書き込みは間違っていますね。旧制東京農業教育専門学校附属中学校は農業課程の学校でした。普通課程の学校ではありません。そして昭和25年(1950年)の学制改革によりこの旧制東京農業教育専門学校附属中学校を前身校として新制東京農業教育専門学校附属高等学校(農業科・普通科各1学級)が発足。
その後、昭和27年(1952年)に東京教育大学附属駒場中学校・高等学校となり、昭和37年(1962年)に高等学校の農業科を普通科に転換するとともに1学級増設しています。ですから東京教育大学附属駒場高等学校農業科の最後の卒業生は昭和39年卒(1964年)になります。--217.149.147.174 2006年4月7日 (金) 16:07 (UTC)
「上の書き込みは間違っていますね。」と断定してもっともらしく書いているが、間違っているのは君の方ですね。上の書き込みは基本的に正しいですよ。 そもそも学制改革は昭和25年ではなく、昭和22年だろ。それにより全国の旧制中学校が一斉に3年制の新制高校に移行したのは昭和23年4月だ(新学制に基づく小学校、中学校、高等学校が発足)。旧制附属中学校を前身校として新制附属高等学校が出来た訳でもない。いい加減なことをもっともらしく書くのは何か意図があるのでしょうか。 補足すると、 ・「旧制東京農業教育専門学校附属中学校」などそもそも存在しない。 ・昭和二十二年五月に設立された東京農業教育専門学校附属中学校は普通の新制中学校(普通課程二学級、生徒数九十六名)。 ・学年進行に伴い、昭和二十五年に高等学校が設立されたが、この編成が「普通課程」一学級と「農業課程」一学級だった。 ・昭和二十七年四月に東京教育大学附属駒場中学校・高等学校となった際に高等学校は普通科二学級、農業科一学級となった。 ・昭和三十一年度の中学入学者から中・高一貫の六か年教育を行うこととなった。 ・昭和三十五年四月に高等学校からの入学者一学級を農業科生と普通科生の混成一学級とし、附属中学からの普通科二学級と併せて高等学校一年を三学級とした。 ・昭和三十七年四月には残っていた半クラス分の農業科も普通科に正式に転換するとともに、普通科一学級が増加され、中学校二学級、高等学校四学級全て普通課程の編成となった。 ・昭和四十年度から中学校は三学級編成(各学級三十名)となった。 ・昭和四十二年度から中学校の募集人員を増加させた(新入生108名)。
従って、「元々は農業高校としてスタートし、普通高校転換(農業科は1965年廃止)とともに進学校への転進を図る。」という記述は間違っています。正しく書くならば、「昭和二十二年五月に附属中学校が設立され」で十分でしょう。どうしても高等学校に「農業科」一学級が一定期間存在していたことが書きたいのなら、途中にでも「この間、うんぬん」と歴史的事実として注意書き風にでも書けば良い話でしょう。残念ながら、筑駒は「元々は農業高校としてスタート」した訳ではありません。—以上の署名の無いコメントは、IP:220.108.66.220(会話/履歴/whois)氏が[2006-04-22 03:02:18]に投稿したものです。
- 履歴から署名を補記しました。なお、削除依頼ログへのリンクの除去や他者の発言の除去はおやめください。―霧木諒二 2006年4月22日 (土) 04:28 (UTC)
東京農業教育専門学校は旧制専門学校。今で言う大学=筑波大学です。
東京農業教育専門学校は農業教員養成の為の教育機関でありその教育実習目的で設置された東京農業教育専門学校附属中学校は農業課程の学校です。従って、「元々は農業高校としてスタートし、普通高校転換(農業科は1965年廃止)とともに進学校への転進を図る。」という記述は正しいです。217.76.144.121 2006年4月29日 (土) 15:57 (UTC)
「東京農業教育専門学校は旧制専門学校。今で言う大学=筑波大学です。東京農業教育専門学校は農業教員養成の為の教育機関であり」までは正しいですが、「その教育実習目的で設置された東京農業教育専門学校附属中学校は農業課程の学校です。」
というのは正しくありません。考えればそうだろうという程度のあなたの推測又は希望に過ぎません。「事実」は一つしかなく、昭和二十二年五月に設立された東京農業教育専門学校附属中学校は普通の新制中学校(普通課程二学級、生徒数九十六名)なのです。推測や希望を断定のように書くのはお止め下さい。従って、「元々は農業高校としてスタートし、普通高校転換(農業科は1965年廃止)とともに進学校への転進を図る。」という記述は誤りです。—以上の署名の無いコメントは、IP:60.34.97.96(会話/履歴/whois)氏が[2006-05-02 00:49:44]に投稿したものです。
- 署名を補記しました。ええと、お互い「自分が正しい」「あんたは間違っている」というだけでは議論が進みませんし、他の人にも正誤が判断できません。お二人ともソースを示していただけませんか。公式な文書に記載があればその主張はかなり根拠があると判断できるでしょうし。少なくともここで「自分が正しい」「あんたは間違っている」と言い合っている間は保護を解除することもできませんから。―霧木諒二 2006年5月2日 (火) 01:09 (UTC)
- 手元の創立三十周年記念誌(1977)中の「駒場のあゆみ」部分には、
「本校は、「東京農業教育専門学校」・・・の附属中学校として昭和二十二年五月現在地に設立され」 (東京農業教育専門学校は)「その学校の性格から、多年農業教育の実験実習のため附属農業学校の設立を要望していた。」 「戦後、その要望が実現されることになったが、たまたま昭和二十二年の学制改革に際会したので、普通の「新制中学校」が設立されることになった」 と、その経緯が記されております。そのときの生徒数が「九十六名であった。」ことも記載されております。
なお、昭和25年(1950)4月の学年進行に伴う附属高等学校設置の際には要望の一部が実現し、普通科1学級のほか農業科1学級が設置されたこと、その3年後には高等学校は普通科2学級農業科1学級の募集となり、昭和35年からはその農業科1学級も普通科生との混成1学級となり、昭和36年を最後に農業科の募集は終了していること、昭和37年の高等学校入学者からは全て普通科で1学年4学級となったことなども記載されています。
- 従って、「元々農業学校からスタートした」というのは誤りであり、以下のように記載すべきです。
( )内は無くとも支障無いとは思いますが、たとい記載量が甚だ多くなろうともどうしても高等学校に一時期農業科が存在したことを記載することに大きな意味を見い出すと結論した場合に入れる案文です。
昭和22年(1947)5月に東京農業教育専門学校の附属中学校として設立された。 設立当初から日比谷、西、戸山等の名門都立高校等への進学ぶりで附属中の評判が高まったが、昭和31年(1956)中学入学者からは中高一貫化され、以降、昭和38年(1963)3月には附属高校の東大合格者数が倍増するなど、進学校としての人気・評価が高まり、現在に至る。 (この間、附属中学校の学年進行に伴い昭和25年(1950)に設立された附属高等学校は、当初、附属中学校からの進学者を含む普通科のほか、昭和36年(1961)年までの12年間、農業科1学級(昭和35年・36年は半学級)を募集しており、同科修了者が最後に卒業したのは昭和39年(1964)3月である。12年間の同科卒業生総数は370名である。)
中学入試においては、いわゆる御三家集中日の2月1日ではなく・・・
また、上記の( )内を記載する場合は、沿革部分もミスリードしないよう以下のように訂正すべきです。
- 1947年 東京農業教育専門学校附属中学校(普通課程2学級)として開校(東京農業教育専門学校は、昭和12年(1937)に東京帝国大学農学部附属農業教員養成所から改組された農業教育に係る教員養成のための師範学校であり、その淵源は明治11年(1878)に設置され、黎明期の日本近代農学の発展に大きな役割を果たした駒場農学校に遡る。)
- 1950年 附属高等学校設置(普通科1学級、農業科1学級)
- 1952年 東京教育大学附属駒場中学校・高等学校と改称(東京文理大学、東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校の4校が統合して東京教育大学となったことに伴う) (高等学校は普通科2学級、農業科1学級となる)
- 1956年 同年中学入学者から中高一貫教育となる
- 1961年 最後の農業科生が高等学校に入学(翌1962年から同科募集を中止)
- 1962年 中学校2学級、高等学校4学級体制へ移行
- 1970年 中学校3学級体制へ移行
- 1978年 筑波大学附属駒場中学校・高等学校と改称(東京教育大学が閉学し、新たに設立された筑波大学へ引き継がれたことに伴う)
- 2004年 国立大学法人筑波大学附属駒場中学校・高等学校となる(筑波大学が国立大学法人となったことに伴う)
また、余談ですが、昭和38年3月、39年3月の東大合格者数は50名台ですが、このときの現役の卒業生(11期生、12期生)は、普通科2学級のほか、普通科との混成学級1学級に最後の農業課程卒業者が含まれた総数120名程度だったものと思われます。—以上の署名の無いコメントは、IP:125.203.97.119(会話/履歴/whois)氏が[2006-05-09 17:10:44]に投稿したものです。
上記に補足します。(20周年誌より)
- 1950年 附属高等学校設置(普通科1学級(40名)、農業科1学級(16名))—以上の署名の無いコメントは、IP:60.34.115.137(会話/履歴/whois)氏が[2006-05-14 02:08:34]に投稿したものです。
- 筑波大学教育局附属学校概要によると、1950年附属高等学校設置(農業科1学級(40名)、普通科1学級(15名)となっています。これは大学図書館で閲覧できます。217.17.197.195 2006年5月28日 (日) 00:47 (UTC)
- どうやら反論も無いことですし、一定の意図を持った「元々は農業高校としてスタートし、普通高校転換(農業科は1965年廃止)とともに進学校への転進を図る。」という書きぶりは改めるべきです。
「昭和22年(1947)5月に東京農業教育専門学校の附属中学校として設立された。 設立当初から日比谷、西、戸山等の名門都立高校等への進学ぶりで附属中の評判が高まったが、昭和31年(1956)中学入学者からは中高一貫化され、以降、昭和38年(1963)3月には附属高校の東大合格者数が倍増するなど、進学校としての人気・評価が高まり、現在に至る。」ということで修正願います。—以上の署名の無いコメントは、IP:60.34.111.128(会話/履歴/whois)氏が[2006-06-02 17:35:28]に投稿したものです。
- 署名を補記しました。では一週間程度待って反論がなければ、保護解除依頼に出しましょうか。―霧木諒二 2006年6月2日 (金) 18:07 (UTC)
- どうやら反論も無いことですし保護解除依頼をお願いします。保護解除後にまた荒らしが来た場合は「昭和22年(1947)5月に東京農業教育専門学校の附属中学校として設立された。設立当初から日比谷、西、戸山等の名門都立高校等への進学ぶりで附属中の評判が高まったが、昭和31年(1956)中学入学者からは中高一貫化され、以降、昭和38年(1963)3月には附属高校の東大合格者数が倍増するなど、進学校としての人気・評価が高まり、現在に至る。」という適切な表現で保護願います。—以上の署名の無いコメントは、IP:222.151.38.99(会話/履歴/whois)氏が[2006-06-11 01:52:31]に投稿したものです。
- 署名をお願いします。とりあえず、保護解除を依頼してきました。問題ないと判断されれば解除されるでしょう。保護が解除されたら、長文になっているこのノートのログ化も行なおうと思います。―霧木諒二 2006年6月11日 (日) 18:46 (UTC)
- 保護を解除しました。編集合戦が再発しないようにお願いします。--おはぐろ蜻蛉 2006年6月13日 (火) 11:12 (UTC)
- (適切な版による保護願い)
またぞろ「荒し」さんが現れたようですね。これまでの議論も見ずに何とか筑駒を「農業学校あがり」と言いたい方。 「ハンス」さん登場以前の、議論済みの版を基本に保護願います。それにしても、A校をことさらに「日比谷」と並べたがったり、「開成」より前に書きたがったり。何かコンプレックスの裏返しなんでしょうかね・・・。不毛ですね。
とりあえず、「1950年 附属高等学校設置(普通科1学級(40名)、農業科1学級(15名))」は明らかな間違いです。正しくは「1950年 附属高等学校設置(農業科1学級(40名)、普通科1学級(15名))です。その他、事実関係が違っているものも多々目につきます。QUEET 2006年9月10日 (日) 12:45 (UTC)
先に言っておきますが、版を指定した保護は出来ません。その旨、ご理解ください。あとは、好きに保護依頼を出してください。--ゆきち 2006年9月10日 (日) 12:58 (UTC)
編集合戦が何故起きたのかを調べてみると、根っこの部分がどうやら原因のようですね。高等学校発足時に農業科が存在し、その後農業科が廃止され普通科だけになったのなら、「元々は農業高校としてスタートし・・・」という記述は正しいと思う。ウィキペディアは電子百科事典であるから事実を書くべき。219.165.115.186 2006年9月10日 (日) 13:13 (UTC)
保護の仕方に意図的なものを感じましたので、議論対象時の文面に差し戻しました。
「既に合意済みだから異論は全て荒らしとして排除する」というのはあまりにも乱暴。
ノートを見ても、複数の異論が出ているようですので、少なくとも再度合意の形成が必要と思います。また、例え合意したとしても、事実と違うと判明したなら、訂正するべきでしょう。世直し三太郎 2006年9月11日 (月) 07:37 (UTC)
- 合意形成を目指したプロセスにおいて一方が根拠と変更案を提示したにも関わらず、「異論」を唱えていた方はそのまま沈黙しておられました。その後の保護解除に至るまで、全くの音沙汰無しです。つまりは、自ら反論の機会を放棄したわけで、ここでの結論に合意したと見なすほかありません。
- そして、ノートで提議して改めて合意形成しようともせず、それに真っ向から反する「異論」に従うよう編集を強行するのは、「荒らし」と言われても仕方ない行為です。それ故に、編集合戦を差し止める保護ではなく、荒らし対策である半保護としました。
- 以上の点を御理解下さいますよう御願いします。 -- NiKe 2006年9月11日 (月) 09:03 (UTC)
既に指摘した通り、記載に誤りがあるのですから書き換えるのは当然です。 しかも、旧版の方が史実を忠実に表現しているのでそちらを採用するのは当然です。 それを「荒し」と言う方が「荒し」=「NiKeさん」です。QUEET 2006年9月23日 (土) 11:29 (UTC)
保護しました。
[編集]差し戻し合戦となっていたようなので保護しました。出典を明示し、合意を探るよう議論してください。―霧木諒二 2006年9月23日 (土) 13:29 (UTC)
なんです。此れは不満な結果ですよ。ノート削除でいいじゃないですか。 あとは、内容全コピーや、ウェブアーカイブも使えるじゃないですか。 此れは恥では無いのでしょうか?Aに攻撃されて保護なんて。 Aと討論するのはいいのですが、お互い高めあう事の必要性を説くほうが先です。 ―松宮洋一
追加
[編集]高校生クイズに優勝したのでこのテンプレを付けたいのですが・・・ よろしいでしょうか。 付けられない状態ならだれかお願いいたします。--58.94.204.195 2007年2月16日 (金) 10:29 (UTC)
- Wikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼で行ってみてはいかがでしょうか?--目蒲東急之介 2007年2月16日 (金) 10:31 (UTC)
編集も出来ないなんて迷惑な話ですね。 出身者-学者の項目に
岩田 想 インペリアルカレッジロンドン及び京都大学大学院医学研究科 教授 (構造生物学)
を加えたらいいと思うのですが。
本稿が正常化しましたので削除させていただきます。--61.203.171.177 2008年3月30日 (日) 03:03 (UTC)
私、官僚ではありません
[編集]冨山と申します。出身者名の中で官僚というカテゴリーになっていますが、元々私は役人になったことも大企業に勤めたこともない、純然たる在野の民間人です。産業再生機構ではあくまでも時間限定で「みなし公務員」である同社代取専務COOをやっておりました。現在は(株)経営共創基盤の代表取締役CEOです。ですからできれば財界人のカテゴリー、そして肩書きは、「経営共創基盤代表取締役CEO(元産業再生機構COO)」としていただけると正確です。
小城武彦氏
[編集]財界のカテゴリーの小城武彦氏は現在、丸善の代表取締役社長です。
保護解除へ ~簡潔にしてみましたが、どうですか?~
[編集]筑波大学附属駒場中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくこまばちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区池尻にある国立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。通称は「筑駒」(つくこま)。
概要
[編集]1947年に東京農業教育専門学校の附属中学校(普通課程)として設立された国立進学校。筑波大学の附属校であるが、筑波大学への特別な内部進学枠は存在していない。東京大学への高い合格率と共に、私服校で「駒場の自由」という言葉で語られる自由な校風で知られる。現在は、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けている。
沿革
[編集]- 1947年 東京農業教育専門学校附属中学校として開校。
- 1950年 附属高等学校設置。
- 1952年 東京教育大学附属駒場中学校・高等学校と改称.
- 1956年 同年中学入学者から中高一貫教育となる。
- 1962年 中学校2学級、高等学校普通科4学級体制へ移行。
- 1970年 中学校3学級体制へ移行。
- 1978年 筑波大学附属駒場中学校・高等学校と改称。
- 2004年 国立大学法人筑波大学に移管。
アクセス
[編集]学校行事
[編集]学校行事が盛んであり、年間を通じてさまざまな行事が催される。(4月から、日付順)
- 稲作
- 中一、高一のみ。明治11年の駒場農学校開校以来、130年の歴史を有する日本農学発祥記念の地「ケルネル田んぼ」において、毎年6月に田植え、10月に稲刈りをする。収穫した米は、入学式と卒業式の折に赤飯にして、新入生および卒業生に供される。稲作の様子を幼稚園児などが見学する事もある。
- 校外学習
- 5月中旬に2~5日間、中一~高二が学年ごとに別の場所へ行き、観光や地域研究、学年内での交流などを主な目的とする。: 現在の行き先は、中一が妙高高原、中二が東京(宿泊はしない)、中三が東北地方(岩手県・青森県など)、高一が菅平高原、高二が関西地方(吉野・奈良・京都)である。中二、中三、高二は総合学習の一環として事前に数人の班でテーマを決めておき、旅行中は各班で関連したところを訪問し、後日レポート提出が求められ、発表会を行う。これを地域研究という。また、この期間中は高三は特別考査や音楽祭練習、文化祭準備などを行う。そのため、高二の旅行は修学旅行でもある。
- 音楽祭
- 例年6月中旬に主に昭和女子大学の昭和女子大学人見記念講堂を貸し切って開催される合唱コンクール。中学生は課題曲と自由曲の2曲、高校生は自由曲を2曲演奏する。外部から招かれた審査員及び音楽科教諭の決める賞と、一般生徒の投票によって決定される大衆賞の両方がある。
- 体育祭
- 9月末に2日間かけて校内にて開催される。通常の学校と違い、オリンピック方式(複数の競技を同時に行う)という、独特の方法が取られている。中学・高校それぞれクラス毎に分かれて得点を競う。
- 姉妹校である筑波大学附属中学校・高等学校の運動会で行われた騎馬戦にて、下半身不随となる大怪我を負った生徒が発生したので、2005年度からは騎馬戦は中止となった。
- 芸術鑑賞会
- ロードレース
- 弁論大会(中学のみ)
- 2月の中旬の土曜日に校内7号館3階(オープンスペース)で行われる。各クラス、及び特別参加団体と称した団体がテーマを設定して自由に論じ、他クラスの生徒がそれらを聞いて質疑応答を繰り返す。各クラス2名、計18人の審査員によって選ばれる賞と、生徒全員の投票によって決定される大衆賞の両方がある。
部活動・同好会
[編集]各種の活動も盛んで、囲碁、クイズなどではしばしば全国制覇を果たしている。駒場棋院(囲碁部)は、2003~5年に全国大会三連覇を果たしている。数学オリンピックの日本代表として活躍する在校生も多く、2005年度には日本代表6人中5人を在校生が占めた。日本が初参加となった2005年生物学オリンピック北京大会も代表2人のうち1人が在校生で銅メダルを獲得。全国化学コンクールでも多数の入賞者を出し、2005年はスーパーコンピュータのプログラミングを競うスパコンで優勝、3位入賞を果たすなど、各方面の大会で成果を挙げている。
出身者
[編集]政治家
[編集]- 細田博之 - 前内閣官房長官、衆議院議員
- 後藤茂之 - 衆議院議員
- 葉梨康弘 - 衆議院議員
- 小池晃 - 参議院議員
- 田村謙治 - 衆議院議員
- 後藤田正純 - 衆議院議員
- 小野次郎 - 衆議院議員
- 赤澤亮正 - 衆議院議員
- 笠井亮 - 衆議院議員
官僚
[編集]- 小林惇 - 公正取引委員会委員,経済企画庁次官
- 黒田東彦 - 内閣官房参与、財務省財務官、アジア開発銀行新総裁
- 石川重明 - 警視総監
- 村田成二 - 経済産業省事務次官
- 林正和 - 財務省事務次官
- 飯村豊 - 駐フランス大使、前インドネシア大使
- 佐藤正紀 - 内閣府審議官
- 中城吉郎 - 内閣府審議官
- 高部正男 - 消防庁長官
- 尾身茂 - WHO西太平洋地域事務局長
- 植田和男 - 日本銀行政策委員会審議委員、東京大学経済学部長
学者
[編集]東京大学
[編集]- 猪口弘之 - 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授(言語情報科学専攻)
- 幸田清一郎 - 東京大学大学院大学院工学系研究科・工学部教授(反応プロセス)
- 高橋智幸 - 東京大学医学部医学系研究科教授
- 篠原修 - 東京大学大学院工学系研究科教授、土木設計家
- 田付貞洋 - 東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部教授(生産・環境生物学専攻)
- 橋都浩平 - 東京大学医学部医学系研究科教授
- 小野憲一郎 - 東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部教授(獣医学専攻)
- 加納啓良 - 東京大学東洋文化研究所教授
- 森本幾夫 - 東京大学医科学研究所先端医療研究センター免疫病態分野教授
- 小宮山進 - 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授(広域科学専攻)
- 中井和夫 - 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授(地域文化研究専攻)
- 長谷見一雄 - 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部(スラブ文学)教授
- 平石貴樹 - 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部(英米文学)教授
- 橘和夫 - 東京大学大学院理学系研究科・理学部(有機化学)教授
- 伊藤隆敏 - 東京大学大学院経済学研究科・先端科学技術研究センター教授
- 中村栄一 - 東京大学大学院理学系研究科・理学部教授(化学専攻)
- 石井洋二郎 - 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授(地域文化研究専攻)
- 甲斐一郎 - 東京大学大学院医学系研究科・医学部教授(健康科学・看護学専攻)
- 橘川武郎 - 東京大学社会科学研究所教授(比較現代経済研究部門)
- 平木敬 - 東京大学大学院情報理工学系研究科教授(コンピュータ科学専攻)
- 吉川洋 - 東京大学大学院経済学研究科教授、経済財政諮問会議メンバー
- 木暮一啓 - 東京大学海洋研究所教授(海洋生態系動態部門)
- 服部成介 - 東京大学医科学研究所客員教授(感染・免疫部門)
- 浜窪隆雄 - 東京大学先端科学技術研究センター教授(生命大部門)
- 今田正俊 - 東京大学物性研究所教授(物性理論部門)
- 辛埴 - 東京大学物性研究所教授(先端分光部門)
- 木暮一啓 - 東京大学海洋研究所教授(海洋生態系動態部門)
- 服部成介 - 東京大学医科学研究所客員教授(感染・免疫部門)
- 浜窪隆雄 - 東京大学先端科学技術研究センター教授(生命大部門)
- 今田正俊 - 東京大学物性研究所教授(物性理論部門)
- 辛埴 - 東京大学物性研究所教授(先端分光部門)
- 持田信樹 - 東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授
- 山口厚 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授(刑法学)
- 大友邦 - 東京大学大学院医学系研究科・医学部教授(生体物理医学専攻)
- 高増潔 - 東京大学大学院工学系研究科・工学部教授(精密機械工学専攻)
- 油谷浩幸 - 東京大学先端科学技術研究センター教授(国際・産学共同研究センター)
- 藤本隆宏 - 東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授(企業・市場専攻)
- 佐々木晶 - 東京大学教授(理学系地球惑星科学)、ラーメン評論、第6代ラーメン王
- 中谷和弘 - 東京大学法学部教授(国際法)
- 大島義人 - 東京大学環境安全研究センター教授(超臨界流体技術)
- 沼野充義 - ポーランド文学者。東京大学教授
- 藤井 恵介 - 東京大学助教授・同総合研究博物館建築史部門主任 (建築史)
- 児玉龍彦 - 東京大学先端科学技術センター 教授 (システム生物医学)
京都大学
[編集]- 鎌田浩毅 - 京都大学大学院人間・環境学研究科教授(相関環境学専攻)
- 西田栄介 - 京都大学大学院生命科学研究科教授
- 上原重男 - 京都大学霊長類研究所教授(社会生態研究部門生態機構分野)
- 岩田想 - インペリアルカレッジロンドン及び京都大学大学院医学研究科教授(構造生物学)
一橋大学
[編集]- 糟谷憲一 - 一橋大学大学院社会学研究科教授(歴史社会研究、社会史アジア)
- 水岡不二雄 - 一橋大学大学院経済学研究科教授(経済地理学)
- 落合一泰 - 一橋大学大学院社会学研究科教授(相関文明論、文化人類学)
- 高橋滋 - 一橋大学大学院法学研究科教授(行政法)
- 森村進 - 一橋大学大学院法学研究科教授(法哲学)
- 内藤正典 - 一橋大学大学院社会学研究科教授(地球社会研究、イスラム)
- 高岡浩一郎 - 一橋大学大学院商学研究科助教授(確率論、数理ファイナンス)
早稲田大学
[編集]慶應義塾大学
[編集]法政大学
[編集]その他
[編集]- 四方田犬彦 - 明治学院大学教授、映画研究者、文芸評論家
- 林 祥介 - 北海道大学大学院 理学研究科 地球惑星科学専攻 教授 (地球流体力学)
- 山口 素夫 - 首都大学東京助教授 都市環境学部 (分子変換化学)
教育
[編集]- 古川昭夫 - SEG代表
- 田村嘉浩 - 多摩大学目黒中学校・高等学校長
文学
[編集]財界
[編集]- 堀紘一 - ドリーム・インキュベーター社長
- 齋藤宏 - みずほコーポレート銀行頭取
- 内田和成 - ボストン・コンサルティング・グループ日本代表
- 上西郁夫 - オリエントコーポレーション(オリコ)社長
- 小城武彦 - 丸善社長、元カネボウ社長
- 冨山和彦 - 元産業再生機構代表取締役専務
芸能
[編集]- たてかべ和也 - 声優
- 野田秀樹 - 演出家
- ケン・イシイ - テクノミュージシャン
- 松平定知 - NHKアナウンサー
- 池田裕行 - TBS報道記者
- 片岡飛鳥 - フジテレビプロデューサー
- 岩本仁志 - テレビプロデューサー
- 稲垣理一郎 - 「アイシールド21」原作者
- 矢崎滋 - 俳優
- 宮城聰 - 演出家
関連学校
[編集]- 筑波大学
- 筑波大学附属小学校
- 筑波大学附属中学校・高等学校
- 筑波大学附属坂戸高等学校
- 筑波大学附属視覚特別支援学校
- 筑波大学附属聴覚特別支援学校
- 筑波大学附属桐が丘特別支援学校(肢体不自由)
- 筑波大学附属大塚特別支援学校(知的障害)
- 筑波大学附属久里浜特別支援学校 (自閉症)
関連項目
[編集]
--弾丸野郎 2008年1月14日 (月) 16:45 (UTC)
- 慶応義塾中等部では版をさかのぼりますと補足なさって、早稲田中学校・高等学校や麻布中学校・高等学校などでは、独自に省略・簡潔などなさってますが、検証可能性以前に弾丸さんの削除の基準がよく分からないです。もう少し原文を生かす方向で手を入れたほうがいいのではないでしょうか?--211.4.120.169 2008年1月15日 (火) 08:22 (UTC)
- 高校生クイズに優勝した旨のテンプレートをつけましたがいかがでしょうか。--61.87.19.75 2008年1月27日 (日) 01:37 (UTC)
- 本稿が正常化したようなのでノート側のテンプレは外させていただきます。--61.203.171.177 2008年3月30日 (日) 03:06 (UTC)