ノート:百済/過去ログ2
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地図
[編集]地図はおかしくないですか。なんで高句麗の全盛期の地図なんでしょうか? 百済の全盛期の地図を添付すべきでしょう。61.209.74.45 2007年7月2日 (月) 13:59 (UTC)
- 2010年2月現在の図「ファイル:Map of Baekje(百济).jpg」[1]では、新羅の北・朝鮮半島の東側にある太白山脈北半分までを百済の勢力下にはいっているが、画像中をみると「371年百済が一時的に占有した領域」と中国語で書かれています。これを「三国時代の地図」とするのはおかしく、かといってこの371年の図をもって百済を表すのもおかしな感じがします。原図の作者は中国人ですが、この371年の事件の出典が見つけられません。371年に故国原王を殺したことだけでなく、この太白山脈の北半分への影響もあった場合は、記事にその旨を書くか、逆に故国原王戦死をもって範囲をこの図のようにしているだけなら、少し誇張のように見えます。-218.110.116.122 2010年2月22日 (月) 04:49 (UTC)
- 20141年9月現在ではまた別の地図に差し替わっており、若干はマシになっています。この地図には現在「375年百済が一時的に占有した領域」というキャプションがついていますが、第一にこれは371年の誤りであり、なぜ375年と書かれているのか理解に苦しみます。第二に371年にしろ375年にしろこの頃は錦江以南の地は百済の支配の及んでいない馬韓の残存勢力の範囲であり、この年代ですでに錦江以南まで百済の範囲であったかのような図はおかしいでしょう(百済の全盛期が371年頃だというのは理解できますが)。--114.49.40.23 2014年9月19日 (金) 17:04 (UTC)----
百済の成立について
[編集]編集合戦になるとまた新羅のように保護されてしまうので、ノートで議論しましょう。>Tear8735
私の知る限り、日本の辞典類で、三国史記の記述に基づいて百済の成立を紀元前とするものはありません。たとえば吉川弘文館『標準世界史年表』でも「346 百済おこる(近尚古王)」としていますし、百科事典では小学館『世界大百科事典』、平凡社『マイペディア』ともに、百済の成立は4世紀前半としています。どうしても百済の成立が紀元前であるとしたいならば、『三国史記』よりも成立の古い中国の史書である『漢書』『後漢書』等にどうして百済の記述が見えないのか、納得の行く根拠を提示してもらいたいものです。--Ponsaku 2008年1月22日 (火) 02:05 (UTC)
百済が国際社会へ登場したのは4世紀中頃とするのに対して要出典とされています。 『晋書』の慕容□(皇偏に光)載記の345年の記事中に「百済」と記載があるのが、百済の史料初見とされています。山尾幸久『日本古代王権形成史論』1983年、岩波書店。254ページ --ty270410 2008年2月17日 (日) 14:46 (UTC)
- どうやらTear8735は議論に応じる気がないようですね。--Ponsaku 2008年2月21日 (木) 14:33 (UTC)
序文に書かれている
- 朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて、三国時代に位置する。百済の存在した時代を朝鮮半島における。
は、彩華1226さんによる編集のようですが、この部分は前のほうがよかったと思います。より明確に書こうとするならば、
- 朝鮮史の枠組みではこの百済の存在していた時代を、当時朝鮮半島にあった、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅との3国で並存していたことから、(半島南部の伽耶諸国とあわせて)朝鮮半島における三国時代という。
でもいいかと(なんか長くなってしまいますが)。すぐに戻してしまうと、なんか編集合戦みたいになってしまうので、あえて前もってここで質問してみました。--Zw105000 2008年3月15日 (土) 02:45 (UTC)
なんだか事実と乖離した記事になっている気がするのだが・・・--肉欲獣 2008年7月18日 (金) 04:40 (UTC)
- 念のため、どこがどの点で異なるとおっしゃるのか、はっきりお願いします。--Zw105000 2008年7月18日 (金) 19:07 (UTC)
- このノートをみてきになったので議題とはズレてしまいので申し訳ありません。何方か知ってたら教えて頂けますようお願いします。日本国は、中国の古代史記のいつ頃登場してますか?大陸のどこから流れ着いたんでしょうか?未だに明確になってない日本をおいて他国の歴史に異見を発するのは宜しくないと私は思ってます。皆さんが我々が学んできた歴史が本道でしょうか?私のそこから始めたいと思います。誰が嘘をついているのかを決めるのはご自分の知識を理解できてからでも遅くはないとおもいます。--Historyking 2008年8月5日 (火) 14:27 (UTC)
倭国との関係
[編集]この項目は出典を明示した上で、年代や人名の固有名詞を示して書き直してほしいと思います.どうも,個人の見解が混入しており,通説になっていない文章を含んでいるようです.--利用者:ty2704102009年8月27日(木)
本人ではないですが倭(日本)に百済の王子が人質として来ていたくだりとか席順争いみたいなところは本当でしょう。百済敗北時に百済王子が倭より失地奪回のため派遣されています。通説といって良いと思います。日本書紀や高句麗碑文あたり参考にどうぞ。 --とうもろこし 2009年11月24日 (火) 16:27 (UTC)
- とうもろこしさんの編集を(一部を除き)リバートしました。人質として来ていたとする出典はありますが、王族の婚姻や人質の王族が即位するようなルールに関しては確認が必要でしょう。また、『続日本紀』の記述の一方的な除去も理由が不明です。七支刀の製造地が大陸であろうとする説は、まあ通説に近いと思いますが。いずれ、出典は掲載を希望する側が付けるのがルールですのでご了解ください。--ろう(Law soma) D C 2009年11月24日 (火) 08:24 (UTC)
関係出典
[編集]- 三國史記 卷第二十五 百済本紀第三 腆支王 元年(405) 腆支王 或云直支 梁書名映 阿之元子 阿在位第三年 立爲太子 六年 出質於倭國 十四年 王薨 王仲弟訓解攝政 以待太子還國 季弟禮殺訓解 自立爲王 腆支在倭聞訃 哭泣請歸 倭王以兵士百人衛送 既至國界.
- 三國史記 百済本紀 : 六年 夏五月 王與倭國結好 以太子腆支爲質 秋七月 大閱於漢水之南
- 隋書 東夷伝 第81巻列伝46 : 新羅、百濟皆以倭為大國,多珍物,並敬仰之,恆通使往來
- この地域にはいくつもの倭人系と思われる前方後円墳が発見されている。[2][3]--Texas588 2008年9月6日 (土) 12:19 (UTC)
民族と言語について
[編集]jinjuu参考してください。
ネットは一つの国、一人のための空間ではない、色々な国、色々な人が自分の見解をアピールができる場所である。その場でお互いに討論することによって一つ一つ改選し、発展するものだと思う。一人の見解のための場合は個人のサイトを開設する方がいい。他の人が書いた意見を勝手に消さないでください。
ウィキペディアの理念
ウィキペディア日本語版は、理念としては「日本語で提供される百科事典」であって「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でもないと言うことを認識することは重要です。
- Wikipediaは自分の見解や意見をアピールする場ではありません。むろん、韓国のプロパガンダの場でもなければ民族史観を垂れ流す場でもありませんよ。 Jinzuu 2010年3月11日 (木) 10:48 (UTC)
[4]が記述した民族と言語は、学界では聞いた事もない、韓国人による妄想による独自研究であり、しかも意味不明であり、出典もなく、さらに記述者は韓国関係の項目に出没しては、韓国POV編集を行い韓国に不都合な記述は片っ端から削除するなど、悪質な投稿を繰り返している投稿ブロック者利用者‐会話:121.109.122.152で、投稿ブロックを受ける度に、ブロックを逃れの為別のIPアドレスを製作し、また韓国にに不都合な箇所を片っ端から削除するなど悪質な投稿者である為、削除する事を提案します--125.203.81.143 2010年4月2日 (金) 20:05 (UTC)
保護報告
[編集]編集合戦により1か月保護しました。歴史地図を貼付する際にはその地図が示している西暦年を明示して、適切なキャプションと共に使用するようにしてください。
I have protected this page for 1 month by the edit war. If you use some historical maps, please specify the time of when with an appropriate caption.
為編輯戰保護了1個月。粘貼歷史地圖的時候明示那個地圖表示著的西曆年,與恰當字幕一起請使用。
편집 분쟁에 의해 1개월 보호했습니다. 역사지도를 첨부할 때에는 그 지도가 나타내고 있는 서역년을 명시하고, 적절한 캡션과 함께 사용하도록 해 주십시오.--ろう(Law soma) D C 2010年10月8日 (金) 01:10 (UTC)
こんにちは
[編集]こんにちは 歴史はあまり詳しくないのですが…「ハングル発音」ってなんですか? 日本語と韓国語の関係は研究に価するとは思いますが、ハングルという概念を古代百済にまでさかのぼって適用するのは、一般的なのでしょうか? --124.25.184.186 2011年5月30日 (月) 18:20 (UTC)さくらいたけし
- こんにちは。現在使用されている韓国語/朝鮮語が百済において存在した根拠はありません。まして「ハングル」は朝鮮王国時代に発明されたことが明らかな「文字」ですので、「ハングル発音」という用語は適切でないと私は思います。個人的には「韓国語読み」の方が適切かと。しかしながら、現在NHKなどでは韓国語と朝鮮語の使い分けに苦慮したためか、「ハングル講座」という表現を使用していますので、「一般的」かと問われれば、一般的かもしれないとしかお答えできません。もう少し、皆さんの意見を聞いてみては如何でしょうか?--ろう(Law soma) D C 2011年5月31日 (火) 00:19 (UTC)
お手数おかけしたようですみません。アカウントは作りました。この後はどのように進めればよろしいのでしょうか?--さくらいたけし 2011年5月31日 (火) 13:17 (UTC)
- まあ、このくらいなら、要約欄に「より正確な表現に。ノートも参照。」などと書いて、いきなり該当の箇所を「韓国語読み」等に変更してもいいとは思います。より丁寧に事を運びたいなら、ここで「××を○○と修正したいのですがご意見ください。1週間何も意見がなければ修正します。」などと宣言して意見を求めるのも手です。Wikipedia:合意形成も参考にしてみてください。--ろう(Law soma) D C 2011年6月1日 (水) 03:34 (UTC)
すみません
[編集]不慣れなもので、過去の履歴を消してしまったかもしれません。申し訳ありません。 --124.25.184.186 2011年5月30日 (月) 18:21 (UTC)さくらいたけし
達率と大臣
[編集]お手数おかけしております。遅ればせながらハングル発音→韓国語読みに修正しておきました。
しかしながら、私としてはまだ疑問を感じております。ここでいう韓国語読み(ハングル発音)での一致というのは、現代韓国語での発音をさらにカタカナ表記したものの一致を指すのでしょうか? 私はそんなに詳しくはないのですが、音韻変化とか、色々と考えなければならないことがあったはずだと思います。古代百済と倭に対し、無批判に現代韓国語での発音を適用(しかもカタカナ表記)というのは、正直いささか乱暴ではないでしょうか。
というか、ぶっちゃけこれって「日本語は百済語だった」という韓国での俗説ですよね? だから削除するとまでは言いませんが、もう少し表現というか記事の中での扱いというかを考える必要があるのかな、と愚考する次第です。 --さくらいたけし 2011年6月7日 (火) 13:03 (UTC)
- お疲れ様です。個人的な感想を言えば、最初にこの情報を加筆された方に出典を求めたいところです。「俗説」なのか、評価が定まっていなくともある程度の専門家が唱えた説なのか等を判断するためにも、出典が必要かと。--ろう(Law soma) D C 2011年6月7日 (火) 13:16 (UTC)
- 問題の加筆[5]は、2010年7月31日(土)15:59 利用者:61.210.91.170(会話 / 投稿記録)のものですね。古代の発音は分かりませんが、現代の発音では全然違いますよ。「要出典範囲」を付けました。--211.14.207.171 2011年6月7日 (火) 13:58 (UTC
広開土王碑文の評価に関する記述について
[編集]倭国との関係節での自分の加筆分、
- 従って現在では、上記のように多くの学者によって5世紀の百済と倭国の関係についての『広開土王碑文』や『日本書紀』『三国史記』の記録の重要性は高く評価されるが、「臣民とした」などの記録についてはそれを強調しない立場を取る学者が多く、しばしば百済と倭との「連盟」や「救援」のように表現される。
について、133.137.215.2さんによって「「臣民とした」などの記録についてはそれを強調しない立場を取る学者が多く」の部分に要出典タグが追加され、また「日本に従ったり」「日本に従属的」という八幡和郎氏の表現が追加されています。この点についてなのですが、要出典追加箇所については、朝鮮史の主要な概説書(中央公論『世界の歴史6 隋唐帝国と古代朝鮮』、NHKブックス『古代朝鮮』、山川出版社『世界史大系 朝鮮史1』)等や、また武田幸男氏や田中俊明氏など朝鮮史の代表的な研究者が、広開土王碑文の価値を認めつつ、百済と倭国との関係を「連携」やそれに類する言葉を用いて、もってまわった言い回しをしていることを意識したものです。日本史学者の方では森公章氏や遠藤慶太氏も、概ねを史実と判断しつつ非常にデリケートな記述姿勢を維持しています。従って明瞭に出典があるわけではありませんので、必ずしもこの文章にこだわる物ではありませんので修正をちょっと考えてみようと思います。ただ、八幡和郎氏は朝鮮史や日本古代史どころか、歴史学分野の研究者ではないことはWikipedia内の八幡氏の記事を見るだけでも明白であり、その著作での表現を武田幸男氏や森公章氏のそれと同列に並べることは明確に問題があります。こちらについては申し訳ありませんが削除させていただきたいと思います。--TEN(会話) 2018年1月23日 (火) 17:24 (UTC)
ウィキペディアは専門家の意見は専門家の意見として、非専門家の意見は非専門家の意見として、評論家の意見は評論家の意見として、疑似科学者は疑似科学者の意見として記述できるんじゃなった?専門家以外は書けないなら果たしてこの人は専門家に該当するのか、この項目の専門家に西洋史学者は含まれるのかとか膨大な議論が必要になるからウィキは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」ですよ。しかも八幡和郎氏は著名出版社から歴史本を大量に刊行している大学教授で歴史学分野の研究者と主張することもできる。「全ての記事は中立性の方針(NPOV)を満たさなければなりません。記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。」「むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。」--133.137.216.12 2018年1月23日 (火) 18:26 (UTC)
そんなこと言いだしたらあなたが引用した朝鮮学校の先生を務めている高寛敏氏も問題だと思うよ。--133.137.216.12 2018年1月23日 (火) 18:37 (UTC)
- (IPさんへ) 私も八幡和郎さんの書いた本を出典として使用するべきではないと思います。まず、八幡和郎さんは大学教授とはいえ、通産省出身の実務家で(行政学の分野では専門家といいうる可能性はありますが)、歴史学の専門教育を受けた、というわけではなさそうです。出している本も『世界と日本がわかる最強の世界史』、『江戸三〇〇藩 バカ殿と名君 うちのさまは偉かった?』というタイトルを見ても、通俗書と言わざるをえないように思えます。これはご本人も「歴史作家」と名乗ることで、お認めになっていることではないでしょうか([6])。
- WP:SOURCESに「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。学術的な主題については、なるべくピアレビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです。また、主張する内容に応じて適切な情報源を選ぶべきです(珍奇な主張には強固な情報源が必要です)」、「とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。」と書いてあるとおり、ウィキペディアの方針として専門家の手による論文・書籍を出典として選んで使用すべきなのは明らかだと思います。
- WP:NPOV・WP:NPOVFAQを見ても、IPさんが引用されている「記事は公表済みの信頼できる情報源に基づいて、全ての大多数の観点と重要な少数派の観点を、それぞれの勢力差に応じて公平に執筆しなければなりません。」にあるとおり、あくまで信頼できる情報源に基づくかぎりにおいて、記事は中立的に執筆するべきとされています。「むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。」というのは、前段の「われわれに課せられた任務は、その疑似科学が科学的な見方とあたかも平等に張り合うような説であるがごとく紹介するという何かインチキな「フェア」の概念に基づいて論争をフェアに描写することではありません」と合わせて、あくまで学術的な出典を優先して、少数派の意見を紹介せよということだと思います。少数派の意見のなかでも、学術的な文献で取り上げられるような、著名な説を紹介するべきということで、すべての少数派の意見を載せるべきというわけでもないでしょう(WP:IINFO)。いずれにせよ、非専門家・疑似科学者の書いた本をそのまま専門家の書いた本と同等に出典として用いて良いということではありません。なお、「朝鮮学校の先生を務めている」ことは、WP:VやWP:RS、WP:NPOVなどの方針・ガイドラインにおける信頼できる情報源の評価とは無関係だと思います。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年1月24日 (水) 01:19 (UTC)
- 概ね伊佐坂安物さんが私の意見と同じ趣旨のことを既に書いて下さっていますが(ありがとうございます)、とりあえず私の方でも返信します。八幡和郎氏は一般的な表現とすれば評論家または作家という分類になる人物であると思います。Ciniiなどで検索するとわかりますが、八幡氏は査読付の歴史学分野の専門誌への寄稿実績が皆無と言って良く、また多数ある著作の対象とする時代が神武東征や邪馬台国から江戸時代、更に現代政治にまで及び、地名語源や地方史まで広がっていることは、八幡氏が歴史学者として特定の専門領域を持っていないことを強く示唆しています。また、題名から見て通俗書ばかりであることは伊佐坂安物さんが指摘している通りです。従って彼が教授であるないに関わらず、また著作の多少に関わらず、「歴史学分野の研究者と主張すること」はできないと考えます。
- 高寛敏氏については、全体的に独特な見解を持つ人物である印象ではあります。朝鮮学校に勤めている点は、特に日本に関わる見解について特定の傾向を持つことを想像させますし、実際高氏は現代の研究者の中では、朝鮮半島における倭国の影響力について小さく評価する人物であり、日本史に関わる部分は個人的にはクエスチョンマークがつく説が多いです。同氏には『古代の朝鮮と日本(倭国)』という「倭国との関係」節に全く対応する書籍がありますが、内容的に一般的な学説として代表させるには不適当であると考え、自分の加筆時にはとりあえず使用していません。情報量が多いので惜しいのですが・・・。ただ、「朝鮮学報」などへの投稿もあり、京都大学文学部卒業、朝鮮大学校歴史地理学部に勤務という経歴もあり、歴史研究者として出典としては使えると考えています。事実本文加筆時に使用した高氏の著作『「三国史記」の原典的研究』は、名古屋大学が発行した『朝鮮史研究入門』にて、武田氏の著作と共に『三国史記』編纂過程について参考とすべき研究業績として紹介されており、少なくとも学界にてその見解が批評に晒されている研究者であります。
- 「専門家の意見は専門家の意見として、非専門家の意見は非専門家の意見として、評論家の意見は評論家の意見として、疑似科学者は疑似科学者の意見として記述できる」とありますが、加筆していただいた形では、(評論家である)八幡氏の著作が(専門家である)武田氏や森氏の著作と、学術上同等であるかのように見えてしまいます。八幡氏の著作に触れるのであれば、少なくともそれが通常の学界における研究者の立ち位置にいない人物の見解であることを明確に分かる形で触れるべきであると考えます。ただ、正直なところ「百済」という主題を読者に説明する上で、そうまでして八幡氏の見解を紹介する意味は無いと思います。また、Wikipediaの記事が出典を必要とする以上、出典の質は記事の質にダイレクトに影響しますので、議論が必要になったとしても、記事主題に対する参考文献として適切であるかどうかはきちんと評価すべきだと思います。--TEN(会話) 2018年1月24日 (水) 13:54 (UTC)
いいたいことは「珍奇な主張には強固な情報源が必要です」ですか?でも「八幡氏は珍奇な主張をしている」なんて言ってませんよ。極論として珍奇な例を紹介しただけで、八幡氏の主張が「非専門家・疑似科学者の書いた本」だと仰るなら、出典を提示すべきでしょう。八幡氏は歴史専門誌の『歴史読本』に長期間日本史論を連載するなど或いは『学士会会報』や『中央公論』等そこそこ権威ある書誌に日本史の論文を執筆している位だから、ウィキの歴史項目で出典や参照に値するのは明白。さらに仰るように八幡氏が歴史作家であるならなおさらのことで、経済作家やSF作家なら歴史項目の出典や参照にすることはできないけど、歴史作家は出典や参照になることは明白。その証拠に、司馬遼太郎氏とか半藤一利氏とか保坂正康氏とか井沢元彦氏とかの歴史作家を出典や参照している歴史項目が山ほどある。歴史項目では歴史作家が出典になるというコンセンサスができている証左です。それでもからケシカランというならあなたが責任をもって歴史項目から歴史作家を全て削除してください。何を根拠に(個人的判断?)で通俗本と称しているのか基準が不明ですが、学術的な文献を優先すべきなのは当然ですが、通俗本なら出典や参照にすることはできないというルールはないはずです。歴史作家の執筆した通俗本(?)は資料的・学術的価値がないという批判はナシですよ。小島毅氏は著作で井沢元彦氏の通俗本(?)を出典や参照にしていたことを読んだことがある
自分は査読を受けているとも思えないような党派性のある著作を出典にしておいて、その自己都合の曖昧な基準を説明すべき。自分はさんざん好き放題100万バイト超も加筆しておきながら、他人が僅か2000バイト加筆しただけで、わざわざせっかく編集した記述を根こそぎ削除するような独りよがりで横着な編集をされたら誰だって気分を害するでしょう。ウィキはあなた独りの個人的なチラシではない。ウィキペディアでは検閲は行われません。
信頼できる情報源には、「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。とりわけ、よく知られた過激派さらにはテロリスト集団などは、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。」とあります。アメリカ政府は北朝鮮をテロ支援国家に指定しており、公安調査庁は朝鮮総連を破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定してます。日本政府や東京、宮城、大阪などの自治体は朝鮮学校は北朝鮮や朝鮮総連の支配下乃至影響下にあるとして助成金や補助金を禁止しています。京大卒の朝鮮大学校歴史地理学部という学歴があるから出典としては使えるなら、八幡氏は東大卒で歴史専門誌の『歴史読本』に連載していますよ。--133.137.219.171 2018年4月26日 (木) 06:20 (UTC)
- 返信 こんばんは。133.137.219.171さんは133.137.216.12さんと同一の方と言う認識で返信致します。話の順番が前後しますがご了承下さい。
- 高寛敏氏の著作について:「査読を受けているとも思えないような党派性のある著作」と言うのは高寛敏氏の『三国史記の原典的研究』を指しているとしてよろしいでしょうか。反論させていただくと、自分としては高氏の著作を使用する際、党派性や政治性にはかなり気を使ったつもりでいます。そのため、この書籍から本記事本文に反映させたのは、「百済本紀」本文・分注の神話についての解説のみとなっています。内容について具体的にどのような問題があるかご指摘いただければ幸いです。党派性・政治性の観点から見て問題があるならば出典から削除することに異論はありません。なお、高氏が非常に取り扱いに注意すべき学者であるという点には同意いたします。朝鮮大学校の関係者と言うことよりも、漢文史料の用い方や日本の古代氏族についての見解など、かなり通説から離れた位置にいる人物であることが理由です。この本を選んだのは『三国史記』その物をテーマにしたものであったからで、矢木氏や遠藤氏の著作からの物に換えたとしても問題ないと考えます。この本が出典として有効と判断したのは朝鮮大学校歴史地理学部という経歴に加えて『朝鮮史研究入門』にて参照資料として紹介されていた点を重視しています。少なくとも本職の学者が参照する資料に挙げていることは査読と同等の重みを持つと考えました。
- 八幡和郎氏の著作について:八幡氏を専門家と考えない理由については前のコメントに述べた通りなので繰り返しません。学歴に関して言えば八幡氏が卒業したのは東京大学法学部であり、歴史学の専門家であることを全く担保しません。また『歴史読本』は査読付論文誌ではありませんし、『学士会会報』『中央公論』はいずれも歴史学の雑誌ではありません。ついでに仮に「日本史」の学術論文と言えるものを出していたと仮定して、それは「百済」に関係する内容なのでしょうか?そして高寛敏氏の著作を使用するのが問題あるかないかと、八幡和郎の著作を使用するのが問題あるかないかは、相互に何の関係もないと考えます。どちらも使えないかもしれないし、どちらも使えるかもしれません。私は以前書いた通り、八幡氏を専門家とは見なせないと考えます。高氏が朝鮮総連の関連組織に所属していることをもって機械的に排除すべきかどうかは議論の余地はあるような気もしますが(私は内容に注意すれば使えると判断します)、それについてどう判断しようと八幡氏の取り扱いについて論理的に何ら関係しません。そして、八幡氏の本が「非専門家の書いた本」であることは前のコメントで十分に説明できていると考えます。直接八幡氏の記述を打ち消すような専門家の反論は八幡氏の本が社会現象と思われるほどに広まらない限り期待できないでしょう。そうでもない限り朝鮮史の専門家からは問題にされないからです。
- 珍奇な説について:「「八幡氏は珍奇な主張をしている」なんて言ってませんよ。極論として珍奇な例を紹介しただけ」と言う文章は前文と後文で矛盾しているように見え、意味がとれません。もう少し詳しく書いていただければ助かります。ただ、「珍奇な例」を「珍奇でない例」と何の説明もなく並列で並べるのは明確に間違っていると思います。
- 歴史作家の通俗本について:司馬遼太郎氏などを歴史学の出典として用いるのはやはり不適切であろうと考えますし、自分が手を加えようとしている記事にそうした記述があればやはり除去を提案するでしょう。「責任をもって歴史項目から歴史作家を全て削除」するというのはよくわかりませんけれども。Wikipediaにおいて歴史項目では歴史作家が出典になるというコンセンサスが存在しているとは思えません。単に放置されているだけでしょう。通俗本と言う用語に厳密な定義を持たせたわけではありませんが、要するに非専門家による、歴史学界で通常参照されない本、ということです。なお、非専門家の研究を専門家が高く評価する例はあり、例えばドイツ史研究者の坂井榮八郎氏はNTT副社長の飯田克己氏が独学で行ったリーメスの研究を高く評価し、それを著書『ドイツの歴史百話』で紹介しています。このような場合にはその内容は専門家のお墨付きで使用できるでしょう。小島毅氏がどのような文脈で井沢元彦氏を出典としたのか存じ上げませんが、その本の文脈に沿ってであればそれは使用できるかもしれません。中国思想史の専門家が井沢氏を何のために引用したのかちょっと興味があります。武田幸男氏や田中俊彦氏のような朝鮮史の専門家が百済と倭の間の外交的関係についての八幡和郎氏の研究?を高く評価しているような何かがあるのであれば、その部分を引いてくることには反対しません。なお、「歴史作家の執筆した通俗本(?)は資料的・学術的価値がないという批判はナシ」と言うのは受け入れられません。原則としては人文学において価値がないのが理由です。
- 記述の除去について:全体の削除と言う形を取ったのは心苦しく思いますし、その点に反発されるのは理解できます。ただ、個人のチラシではないからこそ、書かれた内容は合理的な理由があれば除去できると考えます。だからこそ削除する前に理由をノートに書きました。私の記述も、より詳しい方が加筆を試みれば大きく削られることもあるでしょう。出典が古い「§言語」などは特にその可能性は高いかなと思っています。そうなればちょっと残念ではありますが、記事の学術的な制度の向上は、執筆者の気分を害することよりも重要だと思います。--TEN(会話) 2018年4月26日 (木) 15:27 (UTC)
法学部卒という学歴を見て「八幡氏が卒業したのは東京大学法学部であり、歴史学の専門家ではない」と判断するのはあまりにも暴論。法学部でも、日本政治外交史、アジア政治外交史、ヨーロッパ政治外交史、アメリカ政治外交史、日本法制史、東洋法制史、西洋法制史、日本政治史、政治学史、日本政治思想史、アジア政治思想史、ヨーロッパ政治思想史などの「史系」の講座は歴史の研究をするから。例えば、第1期日韓歴史共同研究委員会日本側座長の三谷太一郎氏や日中歴史共同研究委員会日本側座長の北岡伸一氏は東大法卒の東大法教授だけど、三谷太一郎氏や北岡伸一氏のことを「法学部卒だから歴史の専門教育を受けていない」なんて批判する人はいないでしょ。
「ついでに仮に『日本史』の学術論文と言えるものを出していたと仮定して、それは『百済』に関係する内容なのでしょうか」という指摘には、あなたが出典にした森公章は日本古代史の学者で、「百済」に関係する内容なのでしょうか? 仮に森氏の内容が主題でなく触れているだけなら、八幡氏の内容は百済に関する内容と言える。
あなたが喧伝する朝鮮史研究会や同会編集の『朝鮮史研究入門』については、イデオロギーの問題から朝鮮史研究会と袂を分かった著名な研究者もいて、ハーバード大学出版部から著作を刊行したり、カーター・エッカート氏や李栄薫氏の共同研究者でもある木村光彦氏はイデオロギーの問題から脱会し、現在は同会を批判しているし、古田博司氏(日韓歴史共同研究の委員でもある)もそう。したがってイデオロギーの問題があるから朝鮮史研究会編集『朝鮮史研究入門』で論及されている・いないというのはとりたてて重要ではないと思います。
「宮脇氏は微妙なラインの経歴ですが、少なくとも朝鮮史の専門家ではありません」についてなら、中国の学界では百済は中国の国家だから中国史であると主張している学者もいて、それに従うなら本項目は中国史の研究者が専門となり、朝鮮史の研究者は門外漢となる(笑)。あなたが言及した「日本史学者の方では森公章氏や遠藤慶太氏」は「少なくとも朝鮮史の専門家ではありません」。 http://www.recordchina.co.jp/b190605-s0-c10.html
「少なくとも学界にてその見解が批評に晒されている研究者」という理屈でいうと、「参考文献として使用されている書籍(水野俊平『韓vs日「偽史ワールド」』宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』西尾幹二、金完燮『日韓大討論』)は歴史分野の参考文献としては明確に不適当」としてどこが不適当なのか具体的な理由も書かずにあなたが削除した宮脇淳子氏の著作は岸本美緒氏と宮嶋博史氏の共著 『明清と李朝の時代 「世界の歴史12」』中央公論社で取り上げらています。少なくとも中国史と朝鮮史の著名研究者から論及されている訳だから「少なくとも学界にてその見解が批評に晒されている研究者」といえる。あなたが削除した水野俊平氏は朝鮮学会、朝鮮研究会、計量国語学会、国語学会(韓国)、地名学会(韓国)、朝鮮日本語学会(韓国)の会員で科研費取得の実績や学術誌への論文掲載や、『韓国の歴史』李景珉 監修、河出書房新社の朝鮮史に関する学術的な本も書いている人物で、明らかに出典にすることができる人物。つまり論及するに値する人物が、アカデミックに書いたか一般向けに書いたかの違いでしかなく、アカデミックな著作と一般向けの歴史本を大量に出版している第一線の歴史研究者の山本博文氏のようなもので、同一人物の山本博文氏のアカデミックに書いたものは出典にできるけど、同一人物の山本博文氏の一般向けに書いた歴史本は出典にすることは出来ないと頓珍漢な批判をしているようなもの。ちなみに高寛敏氏は『朝鮮学報』への投稿があるという指摘については、水野氏も『朝鮮学報』への投稿があります。
「遼西経略説自体は現代の通常の朝鮮史学でほぼ触れられることの無い説であり、名古屋大学の『朝鮮史研究入門』や近年発行された朝鮮史概説書でも全く触れられません」とういのも不可解な削除理由です。韓国では歴史教科書にも記述しているくらいのメジャーな説だから、本国の韓国ではどのように考えられているのか論及するのは当然だし、完全にWP:JPOV違反。
百済の項目で遼西経略説を論及することを「『日本』の記事で騎馬民族征服王朝説について詳述するようなもの」という例えがすでに論理が飛躍していて、韓国の項目に遼西経略説を記述したり、北朝鮮の項目に遼西経略説を記述したなら、「『日本』の記事で騎馬民族征服王朝説について詳述するようなもの」という批判は成り立つけど。伽耶の項目で倭との関係について、任那の項目で日本が任那に領土を持っていたという任那日本府について論及されているように、百済の項目でかつて百済が遼西に領土を持っていたという遼西経略説を論及するのが何か問題でも?同じく韓国社会では遼西経略説についてどのように考えられているのかということが分かる金完燮氏の意見や国営放送の内容も明らかに有意な言及に当たる。
ウィキの方針に明確な違反行為がない場合は、出典の付いている記事を削除するのは慎重であるべきだし、少なくとも「学歴が法学部」「朝鮮史研究会編集の『朝鮮史研究入門』で論及されている」などどうとでも解釈できる個人的な理由を振りかざすのではなく、著作権違反、出典がない、独自研究、出典がブログ、出典がテレビで見たなどの客観的なウィキの削除方針を提示すべき。Wikipedia:編集方針には、「中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの記事における三方針、並びに著作権など、ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべきです」「一人一人の利用者は異なる参加姿勢を持っています。気軽な気持ちで参加して、新しい記事を書くことに主眼を置く人もいますし、既存のスタブ記事やその他の記事を改善したり、内容を拡充することを好む人もいます。雑草とり、リンク付け、ページ名の変更が好きな人もいます。ウィキペディアは、これらすべてを受け入れています」とあります。個人的基準に基づく適当な理由で、あなたがせっかく書いた記事を問答無用で根こそぎ削除されたら、あなただって嫌な気分になるでしょう。
「朝鮮民族主義歴史学者の説の紹介などが続き、おおよそ通常の歴史学から離れた人々」というこれまたよく分からない削除理由については、最近読んだ本だと石井正敏氏の『日本渤海関係史の研究』吉川弘文館や古畑徹氏の『渤海国とは何か』吉川弘文館でも申采浩氏の主張が論及され、色々と検証されている。したがって民族主義的な歴史学者であったとしてもアカデミズムでは論及することに値する人物だとみられているということです。ちなみに古畑徹氏はあなたが散々喧伝している朝鮮史研究会の会員。
先月名古屋地裁で朝鮮学校は日本の法律の教育基本に反しているという判決が出ました。繰り返しますが、信頼できる情報源には、「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。とりわけ、よく知られた過激派さらにはテロリスト集団などは、それらが政治的、宗教的、人種的あるいはほかの特徴を持つもののどれであっても、けっしてウィキペディアの情報源として使われてはなりません。」とあります。アメリカ政府は北朝鮮をテロ支援国家に指定しており、公安調査庁は朝鮮総連を破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定しており、日本政府や東京、宮城、大阪などの自治体は朝鮮学校は北朝鮮や朝鮮総連の支配下乃至影響下にあるとして助成金や補助金を禁止しています。それと八幡氏は査読付きではないという指摘については、高寛敏氏は査読付きなのでしょうか?--133.137.53.77 2018年5月25日 (金) 16:35 (UTC)
- お疲れ様です。返信致します。長文であり、例によって回答の順番が前後しますがご了承下さい。
- 森公章氏の研究は百済に関わるか:はい、関わります。Ciniiをご確認下さい。『史学雑誌』『日本歴史』『朝鮮学報』、への寄稿実績があり、文学部・史学部の紀要にも寄稿しています。これらから古代日本外交史、制度史などについて研究業績があることがわかります。百済を含む古代朝鮮での倭国の存在感は相当大きいものです。日本古代史が百済と関係が無いという話であれば、それは間違っていると確信します。日本古代史の研究者の著作を百済の対外関係史に使用できないというのは理解し難いです。
- 遠藤慶太氏の研究は百済に関わるか:同じく関わります。これもCinii等をご確認下さい。遠藤氏は『日本書紀』を主テーマとして研究されている方ですが、その中で『日本書紀』の形成における古代朝鮮との関わり、『日本書紀』引用の百済系史料の史料的性質などを明らかにしており、また日本国内での亡命百済人についても触れています。『日本書紀』は百済史を明らかにする上ではずすことのできない史料であり、その研究者が百済の記事での出典に不適というのはおかしいです。
- 三谷太一郎氏と北岡伸一氏:北岡氏の著作を読んだことはありませんが、日本近代外交史を専門としておられるようです。日韓共同歴史研究は外交イシューなのでその座長に外交史の専門家が入ってくるのは特に不思議ではないでしょう。『史学雑誌』への寄稿もあり、『日本歴史』でその著作の書評が掲載され、歴史学の専門家として不自然は無いように見えます。三谷太一郎の著作も同様に歴史学専門誌で書評が紹介されており、「大正デモクラシー」や戦後思想史の研究があるようです。これらの分野は法制史や政治史とも絡みますからやはり不思議はありません。
- 八幡和郎氏を歴史学者として扱えるか:誤解しないでいただきたいのですが、私が八幡氏を歴史学者とは言えないとしているのは、八幡氏に「歴史学分野における研究実績がなく」「歴史学における専門分野を持たない」からです。このことを「東京大学法学部卒」という学歴で補うことはできません。三谷氏と北岡氏にはそれぞれ歴史学分野における研究実績があり、彼らが法学部卒であることは問題ではありません。実際の内容を見ていないので検索結果からだけの予想ではありますが。社会史・政治史・法制史を法学部関係者が取り扱うのはおかしくないです。
- 宮脇淳子氏について:微妙な経歴と書いた通り、宮脇氏はモンゴル史、或いは中央アジア史の専門家と言える研究実績を持っています。よって歴史学者と言えると思います。非常に気になるのは2006年頃から歴史学の研究業績の発表や論文の寄稿が停止しており、政治運動に軸足を移していることです。また中央公論社の『明清と李朝の時代』は持っているので確認しましたが、取り上げられているのは『最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡』です。このことも彼女の専門が遊牧民の歴史、それもオイラート部やジューンガル部など明代から清代にかけての中央アジアのそれについてであることを示しています。「歴史学分野で不適当」と他の著作者とひとまとめにしたのは大雑把過ぎたとは思いますが、宮脇氏をして学説史における百済の取り扱いを語らせるのは人選を誤っていると思います。他に無いならともかく、朝鮮史は研究者の層が厚い分野ですので。
- 水野俊平氏について:水野氏の著作は読んだことがあるのでタイトルからのイメージよりはきちんとした内容であることは知っています。おっしゃる通り他と一緒くたに扱ったのは間違っているかもしれませんね。最も出典としてまずいと言う認識は変わりません。『朝鮮学報』への寄稿が「上代特殊仮名遣いオ段甲乙百済人由来説」についてであり他の学術論文が「梵字音ハングル音写の変遷について : 仏教儀礼書の陀羅尼・真言を中心に 」などであることを見ても分かる通り、水野氏の学術的な専門は韓国語であって古代史ではなく、学説史の出典には不適です。
- 元の遼西経略説節その他の削除について:宮脇氏と関わりますが、IPさんが加筆していた遼西経略説の内容には複数の問題があったと思っています。この点についてはこの時のノートへの書き込みで指摘した通りです(読み返すとちょっと乱文気味ですが)。削除前にこの通り述べ、特に応答がなかったためそのまま実施したもので、「問答無用で削除した」は言いがかりであると考えます。
- また、日本の歴史で騎馬民族征服王朝説に~の話は単なる比喩なので不適当だと言われるならそれでかまいません。この件についての私の問題認識は要するに、元の記述は「韓国の歴史認識」を主題として書かれており「百済」の説明になっていないことが第一です。第二に国営放送のテレビ番組の内容を「韓国社会一般の認識」とするのは、それこそ論理の飛躍であると思いますし、「韓国歴史学会でもさすがに主流ではない」とする宮脇氏の指摘の後に更に「在野史学」なるものを(韓国歴史学界についての説明がほとんどないのに)詳述する意味もわかりません。在野史学の方に「韓国の認識」を代表させるのが妥当だとお考えでしょうか。「韓国歴史学会でもさすがに主流ではない」説を「在野史学」に基づいて韓国の視点であるとする記述を除去するのがWP:JPOVに違反するとは思えません。
- 申采浩について:申采浩は朝鮮民族主義の形成過程においては良く触れられる人物なので、その人物について学説史上言及があるのは不思議ではありません。古畑徹氏の『渤海国とは何か』は私も持っていますので内容はわかりますが、渤海史を自国史に位置付ける現代韓国の歴史観の源流に申采浩の論考が関わっており、それが日本による植民地化に対抗するための民族意識を鼓舞する意図であったこと、朝鮮総督府がその方向性を除去しようとしたことなどが内容となっています。19世紀から20世紀にかけて民族主義は世界史上の重要ファクターであり、その過程を追う上で民族主義を強調する当時の論者たちの見解を確認するのは当然のことでしょう。
- 宮脇淳子氏についてでの話と一部重複しますが、元記述で問題なのは
- 1 申采浩は百済が東城王時代に北魏と戦い撃退し、中国の会稽郡付近を支配し、日本を植民地にしたと主張している
- 2 申采浩の主張は、植民地下で安在鴻、崔棟、鄭寅普などに引き継がれ、解放後のさらに1960年代に再議論されるようになった
- と言う学説史の流れで
- 3 韓国の在野史学では~
- と、突然在野史学での認識に話が移り、その上、在野史学、井上秀雄、申采浩といった取り扱いが異なるべき資料の情報が並列で並べられ(在野史学や申采浩が井上らと同等の立ち位置であるかのように読め)る状態となっており
- 4 韓国のテレビ番組では~
- と、今度はテレビ番組への評論家の話が接続されていて、全体としては出典の合成によって「いかに韓国の古代史認識がおかしなものであるか」についての説明になっていることです。これは「百済」についての説明ではないです。従って申采浩に言及していること自体を問題としているのではありません。申采浩が百済史の研究にどのような影響を与えたかと言う話は、学説史についての記述を行うのであれば言及があってもおかしくはないと思います。出典を探すのが大変そうですけれども。
- 『朝鮮史研究入門』:この本にイデオロギー上の問題があるとは全く思わないのですが、具体的にどのような点でしょうか。研究者が一人、対立して研究会を離れるとイデオロギー上の問題があることになり価値を失うのですか?
- 中国の学界について:これは難しいテーマだと思います。良く知られているように中国政府は「中華民族」というネイションを自国史の中で設定しており、各少数民族や周辺の民族までその一部に位置付ける傾向があります。別の箇所で話題にあげていただいている渤海の例では、朱国忱・魏国忠の『渤海史』なども明確にその傾向があります。また政府による干渉から研究が自由ではないと推定されることもあり、その認識を記事上にどう反映させるかとなると、それこそコメント依頼を行ってきちんとした場で議論するような内容だと思います。ただ、中国からの視点について記述をするなら、中国語の原典を確認するか、あるいは専門家による紹介・和訳を経て行うべきだと思います。少なくともマスコミ報道に基づいてそれを加筆することには賛成できません。学術分野におけるマスコミの信頼性は原則論として非常に低いと考えます。
- 高寛敏氏について:高寛敏氏に査読付論文誌への寄稿実績があるかどうかは、検索すればわかることなのでご確認下さい。アメリカが北朝鮮をテロ支援国家に指定しているから使用できない、というのはちょっと良く分からないです。Wikipedia上で使用できるかどうかはアメリカ政府による認定によって決まるのでしょうか?もっとも、これについて議論に入ると話題が完全に「百済」から離れてしまいそうですし(個人的に「朝鮮学校側」のような立ち位置での論理展開をすることになりそうなのが心理的に受け付けないのもあるのですが)、高寛敏氏の言及が記事の論理展開上不可欠なものであるとは思わないので、別の学者のものに変えるか除去するかで対応するという形であれば納得いただけるでしょうか?個人的には引用した箇所に内容的な問題は無いと思っているのですが、それについての意見もできれば頂けると嬉しいです。
- 最後に:長くなりましたが、記事への加筆は「記事の品質向上」を目的とするべきであると考えます。同様の理由から削除もされるべきであると考えます。私としては自分の記述が除去された時、それによって品質が上がっているならば受け入れることになるでしょう。無論意味無く削除されていると思えば反論するでしょうけれども。韓国の在野史学の詳細の紹介と、それがどれだけおかしいことであるかの説明があることで「百済」の記事の品質が向上するとは思えないのですが、内容面でこれについての言及があることが読者が「百済について」理解する上で有益だとお考えでしょうか?
記述の一部整理・削除について
[編集]未検証タグの除去を目標に、かなり大規模に加筆修正しました。手を付けてない部分は出典付きの記述であるため、今のところ触らないでいます。ですが、本記事について元々の記述とIPさんが行った加筆について問題点を感じる点が多々あり、その他も含め記述の整理削除が必要であると思っています。具体的には以下の点です。
- 国名節
加筆前の状態では和訓である「クタラ」について、鮎貝房之進、白鳥庫吉の説が無出典で単純に書かれている状態だったので、とりあえず鮎貝説について出典を確認し加筆しました。が、これらの戦前の語源説の研究については、残念ながら現代の歴史学の水準から見るとほとんど成立の余地が無いように思います(白鳥の出典は確認していませんが、同様であろうと予想します。)。クタラの語源に言及する現代の朝鮮史概説書も無く、百科事典の記事で触れても誤解を広めるだけであるように思えるため、「クタラ」の語源については削除しようと思います。この点については大部分自分の加筆したものなので、大きな問題はないと考えています。
- 倭国との関係節
広開土王碑文と倭の五王に関連した説明が冗長になっています。これは私の加筆時の文章にも問題があり、その後のIPさんの加筆がそれへの反論の提示という形で追記されたためこのような形になったものだと思っています。結果的に記事本文中で議論が行われているような文章になってしまっており、「〇〇はこう主張している、だが××はこう指摘している。××について△△はこう述べており、またこのようにも言っている」と言った具合で結局何が書かれているのか理解し難い物となっています。またこれのために倭国との関係節が肥大化しておりバランスを欠きます。各学者の説の紹介を簡略化した上で注釈に苦し、あまり議論が無い部分を元に本文を再構成したいと思います。
- 遼西経略説・海外征伐説節
ちょっと長くなりますが、結論だけ先に書くとこの節は削除するべきだと思います。
この節はやはり私と同時期にIPさんが加筆されていましたが、非常に問題が多いと思っています。まず、遼西経略説自体は現代の通常の朝鮮史学でほぼ触れられることの無い説であり、名古屋大学の『朝鮮史研究入門』や近年発行された朝鮮史概説書でも全く触れられません。「百済」の記事でこの説の詳細とそれに対する各界の反応や取扱いを詳述するのは「日本」の記事で騎馬民族征服王朝説について詳述するようなものだと思います(より極端に言えば九州王朝説・源義経=チンギス・カン説の詳細や各界の反応を詳述するのとあまり変わらないものであると思います。)。
また、記事本文中にあるように「韓国の学界においても一般的には百済の遼西進出については否定的な見方が大勢」という点の指摘くらいはあってもいいと思いますが、その後の記述が「大韓民国教育部長官」が国会へ請願書を提出したこと、水野俊平氏の見解の紹介、宮脇淳子氏が「平気で歴史を捏造する韓国歴史学会でもさすがに主流ではないトンデモ学説」であると指摘していること、朝鮮民族主義歴史学者の説の紹介などが続き、おおよそ通常の歴史学から離れた人々の見解が詳細に紹介されています(宮脇氏は微妙なラインの経歴ですが、少なくとも朝鮮史の専門家ではありません。また引用文の文章はおよそ百科事典のそれとして相応しい物とは思えません。)。
そして、その後の朝鮮民族主義歴史学者の申采浩による「百済が近仇首王時代に遼西と北京を奪って遼西郡と晋平郡を設置し、東城王時代に北魏と戦い撃退し、中国の会稽郡付近を支配し、日本を植民地にした」という説の紹介や「百済は、日本、中国、東南アジアにいたる海岸連邦国として存在していた」「『サラバ』という言葉は百済語で『生きてみろ』の意味、熊本の『クマ』は百済語の『熊(コム)』の意味、熊本県玉名(たまな)は『檐魯(タムロ)』に由来」などという荒唐無稽なテレビ番組の存在と、それに対する(これまた非専門家による)批判意見の紹介となると、記述があること自体によって記事の信頼性を損なうものであると思います。
何より、この節が「百済について説明する」ことにほとんど関心を払って書かれておらず、全体として「韓国の古代史認識の異常性」をアピールする記述となっており、記事主題に合致しません。また、この節の参考文献として使用されている書籍(水野俊平『韓vs日「偽史ワールド」』宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』西尾幹二、金完燮『日韓大討論』)は歴史分野の参考文献としては明確に不適当だと思われます。
- 帰属の問題節
いわゆる東北工程についての記述ですが、これも関連項目にリンクがあれば十分であり、削除すべきです。これは百済についての話ではなく、現代の中韓関係についての記述が主題であり、この記事で説明する事ではないと思います。遼西経略説・海外征伐説節ほど強く削除を主張するものではないので、残すべきという意見が付けばそれでもいいと思いますが、その場合でも出典が東亜日報と朝鮮日報というのは歴史分野では不適当であり、代わりの出典が必要であると思います。
ちょっと今まで記述の大規模削除というのをやったことがないので、手順としてこれで正しいか自信がないですが、特に意見が付かなければ上記の通り実施したいと思います。--TEN(会話) 2018年2月13日 (火) 18:09 (UTC)