ノート:桜井淳/過去ログ1
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外部リンクについて
「外部リンク」に個人のブログの個人名まで出して批判していることを敢えて晒すのは反対である。氏が代表して批判しているようで、ご本人も望まないであろう。そこへはまとめサイトである「桜井淳 発言研究まとめ@Wiki」からも辿ることができ、それで十分ではないか?また、「同業者」とあるが氏は引退を表明されているし、まして「技術評論家」などでもない。--60.56.59.8 2007年2月4日 (日) 03:06 (UTC)
上記に異論が出ないようですので、取り敢えず削除しました。復活希望であればコメント下さい。--60.56.59.8 2007年2月5日 (月) 12:57 (UTC)
「同業者」という表現にも誤りがあるようなので、修正が必要かも知れません。なお、個人ブログへのリンクはここに掲載しないということには賛成です。--LACHESMAN 2007年2月10日 (土) 07:57 (UTC)
- 「同業者」という表記を「原子力関係の研究者」という表記に改めてみましたが、私自身、もっとも適切な表現にはなっていないと思います。(正確には「原子力関係の元研究者」となるかと思いますが、あまり正確に書くと個人の特定を招き、不必要な騒動を引き起こすかと思います。)より適切な表現をお持ちの方がいらっしゃいましたら、修正願います。--211.123.201.194 2007年8月21日 (火) 01:44 (UTC)
経歴について
//citizen-science.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_0204.html にあるように、博士をとってから就職したのではなく、就職(1976-84)してその成果を元に博士を取得(1984)したようです。ですのでそこを修正しておきました。----以上の署名のないコメントは、222.10.193.23(会話/Whois)さんが 2007年1月22日 (月) 12:53 (UTC) に投稿したものです(220.221.5.91による付記)。
改変について
編集合戦になりそうなので記述しておきます。 桜井氏に対する批判の項目が書かれるたびに削除されていますが、ここは桜井氏の宣伝の場所でも、桜井氏を貶める場所でもありません。 桜井氏に対する批判があるのは事実であり、それを隠匿する目的で削除を行うのは不当な削除であると考えられます。 今後は、ノートにおいてきちんと議論を行い、合意を形成したのち、削除や編集などを行って頂きたいと思います。 また、桜井氏の批判に対し、業績の項目が必要であると考えます。桜井氏の業績をご存知の方は、追記をして頂きたくお願いいたします。--220.221.5.91 2007年1月24日 (水) 13:40 (UTC)
- 2007年1月27日 (土) 03:43に編集された220.209.183.74の方,きちんと議論してから改訂するようお願いします。--222.10.193.55 2007年1月27日 (土) 05:58 (UTC)
- 220.209.183.○○で編集されている方、ここをしっかり読んで下さい。議論なしで一方的に削除ばかりするのは百科事典としてのWikipediaの性格上問題があることと思います。--222.10.190.53 2007年1月30日 (火) 13:41 (UTC)
本文に「中立的な観点」というマークが付きましたが、それについて所見を述べさせていただきます。 われわれは桜井氏を貶めるために記事を作成しているわけではありません。単純に、桜井氏に対して現実に存在する批判を事実として記しているのみです。もちろん、桜井氏の功績があり、それが真実であれば、その功績を記すことに何の反論もありません。事実、桜井氏の功績の一部として、桜井氏の著書や連載をすべて掲載しています。記事の表面上だけ見れば「功績」の項目がなく「批判」の項目しかないために、中立ではないように見えますが、編集は中立の観点を守っているつもりです。「批判」を削除している編集者が誰か存じ上げませんが、桜井氏に都合が悪い「批判」は削除して、都合の悪くない項目だけ存置する、という編集者の態度が最も中立でない観点である、と考えています。削除や修正が必要であれば、ノートで議論を行ってください。記述の削除・修正理由が正当なものであれば、私はウィキペディアンとして、記述の削除・修正に異を唱えることはありません。--LACHESMAN 2007年1月30日 (火) 23:25 (UTC)
IPユーザー220.209.183.xxxについて、xxxの部分を変えながら2007年1月31日(水)01:36(UTC)まで、24時間以内に5回の差し戻しと認められる改変を行っています。この行為は3RRルールに違反していますので警告いたします。内容に不満があり、議論なく改変するだけならまだしも、ルールを犯してまでの行為は許されるものではありません。今後、ノートによる議論形成の意思なく差し戻しを行った場合は、管理者掲示板にて管理者に連絡します。--LACHESMAN 2007年1月31日 (水) 03:24 (UTC)
- {{観点}} タグを貼った Kanjy です。どうか冷静にお願いします。要は、批判を書いたり消したりする前にノートを読み話し合え、書くべきか消すべきか決めてから編集せよ、ということです。観点の対立がある状況で議論なく批判を除去するのは NPOV (Wikipedia:中立的な観点)違反であり、それゆえ観点タグを貼らせて頂きました。もちろん、合意が確認されない段階で除去を差し戻すのも、同じく NPOV 違反です。
- もちろん、単に中立か否かを論ずるのは NPOV とは程遠い不毛な議論になりかねません。どうかご留意お願いいたします。
- 合意形成の促進を期待して、コメント依頼を出しました。どうぞ宜しくお願いいたします。 --Kanjy 2007年2月3日 (土) 05:55 (UTC)
昨年の改変騒ぎからちょうど一年ほど経過し、再び、IPユーザー「210.131.3.xxx」による「批判」の項目における無断削除が行われております。
この項目には、昨年の改変騒ぎの際に「中立的な観点」タグがつき、その際にKanjy氏からも「批判を書いたり消したりする前にノートを読み話し合え、書くべきか消すべきか決めてから編集せよ」と書かれております。
IPユーザー「210.131.3.xxx」氏にお願いします。何の意見の表明もなく、記載の削除を行うのは単なる荒らし行為と同等です。この項目の、何に不満を持ち、また、なぜ批判を記載すべきでないのか、ご意見をノートにご表明下さい。あなたの意見を無視せず、議論の中でこの項目の編集を行うことをお約束します。なお、もちろんそれが貴方の意見と異なる結果となることもあるかも知れませんが、それがネット世界であり、民主主義でもありますので、その点はご了承下さい。--LACHESMAN 2008年3月26日 (水) 02:14 (UTC)
保護依頼について
残念ながら、編集合戦になりつつあるようです。今後、ノートによる議論形成が行われないままに「批判」の項目が削除されるようであれば、‘保護の方針’に従って保護依頼を行うとともに、当該IPユーザーに対して警告などの手段をとる方向で、検討を行いたいと思います。--LACHESMAN 2007年1月29日 (月) 12:56 (UTC)
日本時間2007年1月30日(火)23:31に‘保護の方針’に従い、保護依頼を出しました。今後、ノートによる議論形成を無視した編集を行うIP220.209.183.xxxの改変を見つけた場合は、編集の取り消しをお願いいたします。--LACHESMAN 2007年1月30日 (火) 14:48 (UTC)
何のコメントもないまま一方的に消去のみを繰り返すのは明らかに荒らしであると考えます。無意味な消去の繰り返しを防止するためには保護が必要との意見に賛成です。--以上の署名のないコメントは、60.56.59.8(会話)さんが 2007年1月30日 (火) 15:08(UTC) に投稿したものです(121.116.58.222による付記)。
保護に賛成します。私は編集合戦には参加していない傍観者でしたが、このところの動きは、差し戻しや内容を元に戻す流れが総意であり、特定のIPの参加者が全くコメントもなく消去を行っていると思います。--以上の署名のないコメントは、125.201.96.148(会話)さんが 2007年1月30日 (火) 15:22(UTC) に投稿したものです(121.116.58.222による付記)。
保護に賛成します。公平を期するために「業績記載の呼びかけ」と「受け付け」は引き続きお願いしたいところ。しかし出版物のリストがあるので、それを「業績」と考えてもよいか?--以上の署名のないコメントは、138.243.129.7(会話)さんが 2007年1月30日 (火) 15:41(UTC) に投稿したものです(121.116.58.222による付記)。
編集を繰り返している方が何ゆえにそういうことをされているかが全くもって不明ですが、編集をされるのなら、できればアカウント登録を行って、自らの(ネット上の)身分を明かし、なぜ自分が記事を編集したのか、そのことをノートに記し、他の編集を行った人ときちんと議論したうえで掲載内容の合意を形成するべきです。理由のない編集は単なる荒らしと思われても言い訳できませんよ(たとえこの記事が批判で埋め尽くされていても。まあ、批判以外の評判を聞いたことのない人ですが)。このことが理解できないのであればウィキペディアの編集をする資格はないと思われます。--number8 2007年1月30日 (火) 16:52 (UTC)
- まとめwikiのほうに行ってきたけど、まぁどこにでもトンデモな人はいるなぁの一例ですね。とりあえずWikipediaに実害が及ぶなら躊躇なく半保護お願いします。--史跡めぐり 2007年8月22日 (水) 03:54 (UTC)
博士号に対する修飾語は?
「炉物理」の「博士号」というのは、やや不自然と思われる。とりあえず「理学」で「博士号」が良いのではないか? 桜井氏の博士論文について正確な内容が明らかになってから「炉物理の研究により理学博士号を取得」とするのが適切と思われる。参考までに、「炉物理」は、より専門的には、「原子炉物理学」と呼ばれ「理学」よりは「工学」の分野である。
- 以上の投稿は2007年1月29日 (月) 13:26に Defender of Faith氏が行ったものです。--222.10.188.241 2007年1月29日 (月) 14:16 (UTC)
一部IPユーザの編集について
ざっと履歴をさらいましたが、どうやら大量除去を行っているのはほぼすべて@niftyユーザの模様ですね(一部InfoWeb)。Kurihaya氏は「合意を形成せよ」と書いていますが、相手が顔を見せない(ノートに出てこない)状況では、もぐらたたきのように差し戻し+警告というやり方ぐらいしかないような気がします(さすがに、影響が大きすぎるため広域ブロックは本当に最後の手段)。とりあえず、直近の編集を行ったIP:210.131.3.180(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)、IP:210.131.1.36(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)、IP:210.131.1.38(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)には{{test2a-n}}を貼っておきましたが、効果のほどは不明です。皆さんの考えを聞かせてください。--郁 2008年3月26日 (水) 09:10 (UTC)
独自研究
記述はおおむね中立的とは思いますが、出典のない独自研究が多すぎるように思います。評論家に関する記述という性質上、やむをえないのかもしれませんが、ガイドラインとの兼ね合いで気になります。--217.235.26.141 2008年9月3日 (水) 21:24 (UTC)
- 出典については、その多くが桜井氏によって開設された過去の公式ホームページであります。そして残念なことに、そのホームページは、閲覧できないものが多くなっています。ここが編集された時点では検証可能性を満たしていたものが、現在では出典が無くなったために、一見して独自研究に見えるものが多い、というのが現状かと思います。--LACHESMAN 2008年9月12日 (金) 01:02 (UTC)
http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2007/08/post_ae85.html
これ、反映するべきでは?--以上の署名のないコメントは、61.198.252.84(会話)さんが 2008年9月12日 (金) 05:03(UTC) に投稿したものです(121.116.58.222による付記)。
批判について
批判について、桜井氏の細かい言い間違いなどが多くなってしまうと、辞典としての体裁をなさなくなる可能性もありますので、一旦、ばっさりと切ってみました。詳細については、リンクにある「まとめwiki」にて行われればよい、という考えです。--LACHESMAN 2008年9月12日 (金) 01:02 (UTC)
LACHESMAN氏の編集取り消しのあとに編集を行っているIPユーザー121.84.247.110の編集には、客観的事実ではない編集者の主観が含まれており、中立的視点にあるとは言い難い。 「桜井の評論に言い間違いなどが多い」のは客観的事実であるが、「桜井の評論家としての発言が不適当である」ことを記事としてほのめかすのは、NPOV (Wikipedia:中立的な観点)の考え方から外れているように思われる。編集内容について再考いただきたく、またこちらでの議論をお願いしたい。--114.180.48.73 2008年9月14日 (日) 05:43 (UTC)
- コメント依頼から来ました。
- まず、Wikipediaを編集される方は必ずWikipedia:ウィキペディアは何でないかをお読み下さい。このように書かれています。
- Wikipediaは演説をする場所ではありません。いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)も擁護もする場所ではありません。あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。もちろん、あるイデオロギーを持った人が何を主張しているのか、Wikipedia:中立的な観点から客観的に記述することはあります。もし、本当にあなたの主張を他の人々に広めたいなら、是非外部の電子掲示板やブログをご利用ください。
- そして、Wikipedia:中立的な観点とは、「偏りのない記述」であり、それはこのように書かれています。
- 偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。(広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。)
- 編集の是非については、敢えてコメントいたしません。ただ、「ウィキペディア日本語版の公式な方針」であり、「すべての利用者が従うべき」だとされているこの方針をよく読み(私が引用した部分だけではなく、リンク先で全文をお読み下さい)、この方針に従った編集をお願いいたします。--Copperfish023 2008年9月15日 (月) 05:45 (UTC)
- 客観的事実ではない、主観であると思われる部分を下記に示します。
- 「攻撃的なエントリ」
- 「この世界最大のメーカ名さえ知らずに評論していたことになる」
- 「「事故」がらみというだけで、必ずと言っていいほど毎回積極的な発言を行ってきているが、」
- 「工学的知識を欠くにも拘わらず、上記に示すように、十分な調査、裏付けを取ることもなく間違いを含んだ評論を繰り返している。」
- 特に上記4点について、編集者の主観や桜井氏に対する非難が混じっており、また読者に桜井氏の評論の不当性を印象付ける記述であるため、修正を要するものと思われます。これについて、意見をお願いしたいと思います。--121.116.58.222 2008年9月15日 (月) 14:07 (UTC)
- コメントさせていただきます。変更履歴に「桜井の本質を暴くのに非常に重要な具体例の削除は認められない」とありますが、「本質を暴く」という考え方は百科事典としてのウィキペディアにそぐわないと思います。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんの1,3項に抵触していると思います。訂正するべきだと思います。--118.20.61.207 2008年9月17日 (水) 14:03 (UTC)
- (コメント)2008年9月12日 (金) 01:02のLACHESMAN氏の考え方で良いと思います。言い間違いが事実だからと言って、それをただ単純に列挙すれば百科事典になるわけではありません。間違いを世間に広めることを目的として編集するのであれば、それはNPOV違反になります。--116.91.167.118 2008年9月19日 (金) 18:19 (UTC)
- 某掲示板やまとめwikiを見ました。そちらで批判するのは結構ですが、そのノリでウィキペディアを編集されても困ります。ウィキペディアにはウィキペディアのルールがあることをお忘れなく。--220.108.67.69 2008年9月21日 (日) 12:42 (UTC)
- 新しいコメントもなく、議論も収束しているようなので、上記に挙げられた4点の修正を施しました。なお、議論の中では「2008年9月12日 (金) 01:02のLACHESMAN氏の考え方で良い」という発言もあるが、さらに批判の項目を縮小するべきか否かは、今後引き続き議論をお願いしたい。ついでに、上記「批判」項のコメントについてインデントの修正を行った。--114.180.100.239 2008年9月28日 (日) 15:16 (UTC)
ノートページによる議論と、それをもとにした修正も行われているようですので、「観点」タグを小型化しました。しばらく様子見してみて、特に問題が無ければタグを除去しようと考えています。 これとは別に、内容ではなく書式として提案します。「批判」の項目は箇条書きが多くなってますが、これはWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるという公式方針からみて、あまり望ましいことではありません。2008年9月12日 (金) 00:59の版のくらいにまで内容をコンパクトにし、詳細な内容は脚注に移動させる、というのも一つの手法です。もしくは、まとめwikiがあるならそちらに誘導する、という方法もあります。いずれにしても、この項目の内容を箇条書きの羅列から、文章としてまとめていくことを提案します。そういった意味合いでタグを貼付しました。--Copperfish023 2008年10月4日 (土) 16:48 (UTC)
再度、批判について
福知山線関係
鉄道系の編集者から次々と根拠不明の批判が追記され、事実上当人に対する人格攻撃と化しているように思われます。恐らく外部の批判サイトを鵜呑みにして書き足されたものだと思いますが、そういうサイト自体も主観的記述が目に付くものですし(特に原発事故後は)、著名人がやっている訳でもない。一度整理されたようですが、再度不要なものは除去し、ソースや反論の確認できるものを残す方向で動いた方が良いと思われます。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年7月20日 (水) 22:52 (UTC)
- 中立性に疑問を持たれるのは分かります(私も一度、批判の項目について整理を行ったことがあります)が、「批判」項目の全削除は逆に極端のようにも感じられます。桜井氏が原発の専門家として呼ばれる背景と、本当の「専門家」であるのかどうか、読み手が判断するための最低限の材料をこの記事に盛り込めればよいのではないかと思っております。従って、武田邦彦氏の記事同様に、彼の主張・実績と、それに伴う問題点の両論併記は必須かと思います。
- ちなみに、「桜井淳」氏に反論が確認できるものはほぼありません。桜井氏に問題提起しても基本的に消去され、あたかも自分がその問題提起を行ったかのように自身のWEB記事を書き直すのが常套手段でありましたから。--LACHESMAN 2011年10月26日 (水) 03:42 (UTC)
- >ちなみに、「桜井淳」氏に反論が確認できるものはほぼありません。桜井氏に問題提起しても基本的に消去され、あたかも自分がその問題提起を行ったかのように自身のWEB記事を書き直すのが常套手段でありましたから。
- wikipedia:出典を明記するはご存知かと思いますが、雑誌記事や桜井の管理していない著名人のサイト等で桜井を批判したソースを求めているわけです。申し訳ないがあなたの言い分は理由にならないですよ。ここは桜井を批判するサイトではないのですから、どうしてもやりたいならご自身で雑誌投稿するか、例の批判wikiのような場で活動されるべきです(ただしこのサイトは著名人や団体の手になるものではないのでWikipediaでの出典には使えません)。なぜここに持ち込むのですか?
- >これらの言動・態度に対して、桜井の評論家としての資質、知識を疑問視する声も少なくない。
- このように本文に記載されるなら「桜井の評論家としての資質、知識を疑問視する」記事を出してください。鉄道、原子力、電力業界は専門雑誌や業界新聞などのメディアを複数抱えている筈です(原子力ならエネルギーフォーラム、月刊エネルギー、原子力eye等)。彼のような人物に博士号を与え、批判の一つもしてこなかったなら、それ自体は業界人達の怠惰に過ぎず、事なかれ主義でやってきた弊害でしょう。何故wikipediaがその尻拭いに使われなければならないのですか?
- また、福島関係の記事を編集しているので強く意識していますが、福島第一原子力発電所事故については自身の知識で批判することは差し控えなければならない筈です。注水を巡っては班目氏や東電の本店も過誤を犯しています。せいぜい事実の対比にとどめるべきではないのですか?すくなくとも彼が過去の著作で電源喪失事象を重視していたこと位は提示しないとアンフェアですね。
- とは言え私も桜井について調べた際、恩師にあたる人物の批判はみつけました。(桜井淳を、なぜ私は見限ったか)つまり、「反論が確認できるもの」は存在します。ただ、この批判は執筆姿勢の根本を問題視したものであり、現状のwikipedia記事本文の具体的な列挙とは異なります。したがって現在の記述は大幅に修正せざるを得ず、基本的には分かった範囲内で記述するのが筋だと思います。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月28日 (金) 03:40 (UTC)
- 1~2週程度は回答を待ちますが、それで何も無い様なら記載は大幅に変更いたします。また、下記の記述
- >当初はテレビ出演中に「使用済み核燃料棒がメルトダウンする」「使用済み核燃料棒保管プールが水蒸気爆発するので注水してはいけない」などの発言を行っていた(使用済み核燃料棒は室温大気中熱平衡状態でも溶融するほどの温度には達しない、保管プールは解放構造であるので水蒸気爆発は起こりえない)。
- 1~2週程度は回答を待ちますが、それで何も無い様なら記載は大幅に変更いたします。また、下記の記述
- についてはテレビ番組での発言を引用すること自体それほど推奨されていない筈ですし、当該の番組名も皆目不明ですので現時点でコメントアウトします。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月29日 (土) 09:52 (UTC)
(インデント戻します)勘違いされないように、まず明記しておきます。桜井氏を批判することを目的としてここに記入しているわけではありませんし、中立性を意識して記入しているつもりです。私怨や私闘と勝手に断定されるのは逆に不要な争いの火種を生みますので、言葉の撤回を頂きたいと思います。 出典を明示できる部分については出典を入れました。テレビ番組出演については「当該の番組名も皆目不明です」とされていますが、以前の履歴を見れば『2011年3月16日にテレビ朝日の「ワイドスクランブル」』であることが明記されておりますので、コメントアウトを撤去致します。また、下記のように「サイトが閉鎖され、現在は出典がリンク切れになっている部分」のみ、「要出典」範囲とするよう、タグの範囲を修正しました。しかしながら、出典の考え方についてご教授いただきたい部分もありますので、下記の質問にご回答頂ければ幸いです。
- 今回のノートへの記載についていくつか質問をさせてください。
- 『せいぜい事実の対比にとどめるべきではないのですか』とありますが、今回の記述が事実の対比でないとするならば、どのように記載すべきでしょうか?
- 「自身の知識で批判することは差し控えなければならない筈です」とありますが「自身」とは誰ですか?
- 「注水を巡っては班目氏や東電の本店も過誤を犯しています。」とありますが、それと今回の桜井氏の記載削除とどのような関係があるのでしょうか?
- 「彼が過去の著作で電源喪失事象を重視していたこと位は提示しないとアンフェア」とありますが、それこそ出典の明らかな彼の功績であるのに、今回の編集で記載されない理由はなぜですか?
- 「業界の怠惰の尻拭い」と書かれていますが、これはどのような意味でしょうか?
- また、貴殿は出典に関してかなり高い意識を持って書かれているようなので、お教えいただきたいと思います。
- 「テレビ番組での発言を引用すること自体それほど推奨されていない筈」とありますが、これはWikipediaのどこに書かれているのでしょうか?
- 「批判」項目にある氏の発言は氏の過去のブログでなされたものであり、現在は抹消されております。このようなものは出典としてどのように扱うべきでしょうか?(なお、氏の発言の誤りに対する正答の出典は概ね準備可能です)
- 今回のような「著名人が誤りを含む発言を行い、その発言に対する検証が一般人の草の根運動のみで行われている」場合、「誤りを含む発言」は検証可能性を満たし記入可能であるにも関わらず「一般人による発言の検証」は検証可能性を満たさず記入不可能、ということになり得ます。この場合、Wikipediaの本来の目的と検証可能性の目的が矛盾しますが、この矛盾をどのように解決すべきでしょうか?マスメディアに載らない市民の検証をどのように記事に反映すべきでしょうか。--LACHESMAN 2011年10月29日 (土) 13:25 (UTC)
- >「自身」とは誰ですか?
- 執筆者自身の見解、と解釈ください。要は独自研究と取られる様な記載は回避しようと言う事です。
- >出典の明らかな彼の功績
- 当該書の内1冊は保有してますが、他に執筆を優先したいこと(例:福島第一原子力発電所)やWikipedia以外の生活などがあるためです。よって他の方が手を入れるなら別ですが私は「おいおい」という形になります。
- >それと今回の桜井氏の記載削除とどのような関係があるのでしょうか?
- 直接は関係ありません。注水で過誤を犯した者は当事者性の高い者にも居る、という例を出したまでです。余談ですがあの発電所には原子炉建屋の燃料プールと1995年から運用を開始した乾式キャスク保管施設、1997年に建設された使用済み燃料プールがありますが、プールに関しては開放構造になっているのは1997年のプールで、建屋の方は密閉性が高く、水素爆発や燃料の露出についての指摘は他の方からもあったかと。
- >「業界の怠惰の尻拭い」
- 検証可能性、出典を明記するから言えば、桜井や桜井の持論に対する反論も出典が担保されるのが本来の筋です。それが事故のような一過性の出来事の時だけ集中報道する大衆紙や週刊誌のみならず、業界誌にすら載っていない、そのために反論には出典が付きませんよと言うことならば、「桜井を甘やかした業界が悪いよね」ということです。実際「桜井淳を、なぜ私は見限ったか」の著者はそういうことも触れてますね。勿論業界誌に良くある新刊紹介コーナーでの書評や桜井の投稿への反論記事と言う形で載っていれば別です。
- >「テレビ番組での発言を引用すること自体それほど推奨されていない筈」とありますが、これはWikipediaのどこに書かれているのでしょうか?
- Wikipedia:井戸端/subj/テレビ・ラジオ番組を出典とすることは可能か、Wikipedia‐ノート:出典を明記する#テレビ番組の出典の書き方で議論はされていますが、ガイドライン化までには至っていません。私も多少発言としていい加減だった面はありますのでそこは訂正いたします。要は一過性の強い報道番組、ワイドショーは(一部アーカイブ、再配信実績があるものもありますが)、確認する手段が無いため出典に使えないものが多い、と言うのが反対派の言い分と理解しています。しかし、使う人でも書籍の出典明記などと似たように、番組名とキー局の放送日は明記する方向です。最低限それは今日初めて桜井の記事を読んだ人にも分かるように本文にコメントアウト無しで明記してください。
- >今回のような~反映すべきでしょうか。
- ここが一般の感覚とWikipediaが異なる点ですが、基本的には反論本、検証本などで確認してから記載、という手順になります。形式上の話をすれば「個人的に間違いだと思うから訂正」を認めると編集に収拾が付かなくなります。批判Wikiなどは鉄道事故を契機に鉄道畑で伸びてきた物なので今回の事故までは原子力分野の事情は知られていなかったと思いますが、イデオロギーも幅を利かしている分野です。そこで桜井とは言えそういう編集を繰り返されると無法地帯化が余計に酷くなるだけです。
- >「誤りを含む発言」は検証可能性を満たし記入可能であるにも関わらず「一般人による発言の検証」は検証可能性を満たさず記入不可能、ということになり得ます。
- ええ、そうなりますので社会全体の自浄作用(=礼賛記事や無批判コメント参照だけではなく、信頼できる情報源たるメディアが桜井批判を紹介する)に期待するしかありませんし、期待出来る範囲内のことです。個人感覚で言えば私だって好きでこんなことを書いている訳ではありません。今どうなっているかは詳しく知りませんが、最初に貴方の挙げておられました武田邦彦については、武田に名指しで批判された環境団体や研究者が反論を掲載しているため、出典明記の方針に準拠しつつ反論に対しても行き届いた記述となっている状態です。これに対して桜井の場合はネット上で団体名、或いは著名な活動実績のある人による反論は桜井淳を、なぜ私は見限ったか)の著者である元研究者氏位です。ただ、「ブレーキを踏む」のようなものは「鉄道車両のブレーキは手で引くもの」である旨容易に事実提示可能とは思いますが。
- また、車体強度の強化についてはJR自体が発表したことです。佐藤氏の批判は情報源が担保されていますけど「車両強度の改善は事故が起こってからの対症療法であり、事故発生を防ぐための本質的改善策を最優先とすることがリスクマネジメントの基本である。」がそこに入っていなければ蛇足と取られても仕方の無い内容です。更に言えば、提言が「事故発生を防ぐための本質的改善策」と競合したり、桜井が否定しているのでなければ別に問題は無いとも思いますね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月29日 (土) 18:58 (UTC)
- 「車体強度の強化についてはJR自体が発表したこと」とされていますが、桜井のいう「ステンレスは鋼鉄に対して弱い」という言論と、JRの言う「(ステンレスと鋼鉄の強度は同じという前提の上で)さらに車体強度を上げる」は全く別の議論です。前者は明らかな誤りであり、後者は事故への対応策として妥当性のある内容です。そして「事故を起こさないための対策=本質的対策」と「車体強度を上げる=保護設備の使用」は共存しますが、競合しません。というか競合させてはいけません。原典と両者の言論の内容を正しくご理解頂ければ幸いです。
- 今回の場合は「個人的に間違いだと思うから訂正」が積み重なったというものではありません。桜井氏の誤りを含んだ発言があり、それは当時の氏のHPなどで確認可能であったものの、現在は消去されております。一方、それに対する訂正は一般市民レベルで行われていました(それがまとめwikiです)が、訂正内容は鉄道に関する書籍などで容易に出典ができるものです(その出典が明示されていなかったことは事実です)。
- 『これまでのこの記事の執筆に供されるエネルギーを「人格攻撃やイデオロギーと仮定した上で」「個人的に間違いだと思うから訂正」の積み重ねと考える』思考があり、『「批判」項目の全コメントアウト』という行動がなされたというのであれば、そのプロセスは自然であり、理解できます。しかしその『行動』はwikipedia上では妥当ではありません。『記事の執筆がどのような動機で行われたか』と『記事の完成度』とは切り離して判断しなければなりません。そして、過去の編集履歴などを詳しく確認されれば、記事内容のコメントアウトよりも、「要出典」タグの活用など、別の編集方法を使われる方法もあったのではないかと感じますが、いかがでしょうか。
- 既存のマスメディアの査読に検証を依存し市井の声を反映するシステムがなく、社会の自浄作用に期待する、というのがWikipediaの限界であることは極めて残念なことですが、ここで議論すべき内容でもないので、この視点についてのこれ以上の発言は控えます。--LACHESMAN 2011年10月30日 (日) 16:32 (UTC)
- まずは、当該のテレビ番組、および批判記事について提示頂きましたことに感謝いたします。その上で幾つか疑問点があります。
- 【1】この編集で要出典を外した理由は何ですか?
- 【2】「車両強度の改善は事故が起こってからの対症療法であり、事故発生を防ぐための本質的改善策を最優先とすることがリスクマネジメントの基本である。」は誰が書いたことなのですか?
- 【3】また、「ステンレスは鋼鉄に対して弱い」という概念を否定したのは誰ですか?
- 【4】それに、佐藤氏の反論は材質ではなく車体強化という発想自体への否定と読めますが。「無論、事故対策の理念としても誤っている」とまで言い切っている。最低限、佐藤氏の主張と反する車体強化「も」対策に盛り込んだJRの姿勢は補記しなければならないでしょう。
- 【5】そもそも、批判Wikiを含めて、車体強度に対する誤解があります。『車両技術』167号には「一般にステンレス車両は、材料の特性と併せてスポット溶接構造であるため、剛性は低くなる傾向にあり、さらに軽量化・限界設計をすることにより影響が大きくなる」と書かれてます。これはオールステンレス車のことです。つまり、桜井の主張はステンレス車一般に対する議論としては無根拠ではないのでは。また、オールステンレス車と言っても普通強度の根幹に関わる台枠、側バリ等厚板構造部材は鋼製では(207はどうか知りませんが)。また、腐れ代の省略の他FEM解析などによる寄与があり、更に工法の寄与もあります。更に決定的な要素として客先から提示された剛性値等の設計目標があります。強度を鋼製車と同等とするかは電気品重量との兼ね合いもあり、設計会議等で数値目標として決定することです『RP誌』1978年11月号P17。批判Wikiが根拠としている『RJ誌』の説明は条件付で正しいと言えるに過ぎません(限界設計を狙い過ぎれば剛性は悪化する)。一例として『R&M』2001年5月号には日車ブロック工法を使用した京王9000の記事がありますが、外板を前車種より厚く取り曲げ剛性の向上を図ったとかかれてますが。前車種より8%軽量化しているのに曲げ剛性は39%向上してますね。これが設計目標と工法による変動の意味なんです。しかも桜井も車体強化の目的を車内空間の確保をとしている点では共通しています。これは強化の手段に関わる材料の話とは分けるべきです。
- 【6】それと、脚注で批判Wikiへの誘導を図っているようですが、それが信頼できる情報源ではないにも拘らず、批判Wikiへ固執するのは何故ですか?信頼できる情報源として桜井の恩師による批判なら提示しているでしょう。
- 「既存のマスメディアの査読に検証を依存し市井の声を反映するシステムがな」いのは当たり前です。それを認めたら個人の意見を別名で作成したサイトに載せて幾らでも引用することが可能になってしまうでしょう。収拾がつかなくなるから機械的に線引きをしているのが理解できていないのですか?増して、桜井の活動するフィールドは鉄道マニアや反原発運動など極論の大好きな「市井」が闊歩する分野です。そういう人が編集した時に正論を吐けないよと言ってるのです。ガイドラインに沿った編集に気を使うのは当たり前ではないですか。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月31日 (月) 15:59 (UTC)
- 追記:御自身で気づかれたようですが、「旧ソ連型原発の危険性については、その危険性について、反原発派の論者以上とも言える警告を著作の中で展開している。」は著書名だけでも1冊挙げられる筈です。また、ソ連型の話は『原発のどこが危険か』でもある程度の項数を割かれています。高木との関係も同書で述べられていますが、実家に当該書があるので後日確認しましょう。また参考にこの25ページでは台枠の負担が決め手と書いてますね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月1日 (火) 03:49 (UTC)
- 私は当該図書を所有しておらず、検証できませんので、貴殿の編集にお任せします。--LACHESMAN 2011年11月1日 (火) 04:16 (UTC)
- (インデント戻します)回答します。
- 【1】
例示した項目2点に出典がついておりますから、「要出典」タグは不要でしょう。上記回答は勘違いでしたので取り消します。注釈1へ誘導したかったのですが、誘導のタグの記載方法が分からず、未修正のままにしてしまったものです。修正しました。 - 【2】該当項目はリスクマネジメントの一般常識で、複数以上のリスクマネジメントについて書かれた書籍で容易に検証可能です。これらの書籍には「本質安全化→安全防護対策→管理教育→個人保護具類の使用、の順番に進め、重篤な影響が予想される場合には本質安全化を最優先に処置を進めること」という要旨の記載があります。即ち鉄道事故の対策をリスクマネジメントに則って進めるなら、まず事故を起こさないような本質安全化(速度超過が原因ならATSの設置など)を行い、その上で事故発生時の対策として車体強化が有効であればすることになるでしょう。
- 【4】佐藤氏の記事の原典をお読み頂ければ分かりますが、佐藤氏の言論は「車体強化という発想自体」を完全否定したものではありませんし、「事故対策の理念としても誤っている」の文章の前に「まずは事故を未然に防ぐ方策を採るべき」という要旨の文章があります。即ち上記に示したリスクマネジメントの考え方を説明しています。
- 【3】【5】貴殿が書かれている通り、ステンレスと鋼鉄の材料の強度とそれを原材料とした車両強度については別の論点であり、かつステンレスと鋼鉄を比べれば鉄道車両の原料として一長一短があります。それらを一緒くたにし、無視し、無根拠に「ステンは鉄より弱い」とし、「事故車両が鉄製車両に比べ強度の劣るステンレス製でなければ、車両がマンションにめりこむようなことはなかったのではないか。」とし、「ステンレススチール製車体に問題があるという意味は、脱線を想定した構造設計をすることなしに軽量化するため、構造材の厚さと数を減らしているため」と言ったのが桜井氏です。それに対する反論は佐藤氏からもありましたし(佐藤氏の原典を参照下さい)、貴殿が出された例もありますね。
- 【6】Wikipedia基準における「信頼できる情報源」扱いにならなくとも、桜井氏の言論とその誤りに対する説明が情報ソースつきで論じられているからです。逆に言えば、その内容を出典込みでこちらに記載すれば「要出典」タグなしで記載できるのですが、それだと記事が冗長かつ箇条書きになるので避けました。(まとめwikiを出典元として引用しているのではなく、紹介しているだけに留めています。)信頼できる情報源として桜井氏の恩師の記事を記載したいのなら、貴殿が記載すればよいと思いますし、私はむしろそうするべきと思います(ここのページにもあるとおり)。
- ついでながら、イントロダクションや経歴の項目で出典のない文章については要出典タグの貼付を致しました。
- >収拾がつかなくなるから機械的に線引きをしているのが理解できていないのですか?
- 閉じたコメントに対して「理解できていない」という言葉に不快を感じますが、どうやら私の言葉が足りないようで、申し訳ありません。
- 「個人の意見を別名で作成したサイトに載せて幾らでも引用する」に類することを認めろ、と言ってるのではありません。【2】【3】の質問で貴殿は「誰が書いたのか?」と書かれていますが、出典を引用せずとも調べれば既知の項目として分かる事柄や、書店や図書館で本を読めば容易に検証できる事柄がありますね。
- Wikipedia:出典を明記するというのは『出典がないものに対して須らく要出典タグを付けろ』というものではなく『議論となるものや、出典の分かりにくい(=検証が容易でないと思われる)事柄に対して、万人に検証が容易となるように出典を示せ』ということであると認識しています。
- そうでなければ、「桜井 淳(さくらい きよし、1946年9月14日 - )は群馬県太田市出身の物理学者・技術評論家」という紹介文について、このプロフィールが記載されている書籍等を注釈で紹介し、「誰が言ったのか」明示しないと「要出典」タグがつくことになります。「検証可能性」はそこまで求めていないものと考えます。そのレベルまでwikipediaが求めているというのであれば、ガイドラインに沿った編集にに気を使う貴殿がそこに要出典タグを貼らないのは不自然になります。
- 出典の無い内容には、その内容を削除するよりも、出典を付けていくことが記事をグレードアップするために最も重要なことかと思いますが、いかがでしょうか。これだけ素晴らしいノートの記載を拝見するに貴殿も鉄道に関しては非常にお詳しいとお見受けし、またお時間を割かれたものと思います。「著名性の無い市民の編纂したまとめwikiからの引用だから内容は真偽不明、従って根拠なし」と決め付けてバッサリ切るのではなく、記事の内容などに出典を盛り込む方向に時間を費やしていただければと思います。--LACHESMAN 2011年11月1日 (火) 04:16 (UTC)
- 【まとめwikiの取り扱い関係の返信】
- >複数以上のリスクマネジメントについて書かれた書籍で容易に検証可能です。
- 容易なら何故行わないのですか?リスクマネジメントについて佐藤氏が触れているのなら、最後の一文は佐藤の主張として処理しなければならないですが。
- >Wikipedia基準における「信頼できる情報源」扱いにならなくとも、桜井氏の言論とその誤りに対する説明が情報ソースつきで論じられているからです。
- ですがここはWikipediaですから「Wikipedia基準における「信頼できる情報源」」を扱うのではないのですか。また、まとめwikiにはソースの他にそのサイトによる考察と桜井への意見(批判)も書かれています。Wikipediaの編集者がそうしたサイトを調べ物の参考にし、挙げられている文献を参照するのなら何の問題もありませんが、あなたのやっていることは個人サイトへの丸投げで、そのサイトは単なる書誌情報と引用の集積ではない。ですから最初から活動する場を間違えている旨申し上げているでしょう?
- >そうでなければ、「桜井 淳(さくらい きよし、1946年9月14日 - )は~「要出典」タグがつくことになります。
- そのような解釈は間違いです。実際に出典の明記が濁されているのは「批判」の節がメインです。Wikipedia:存命人物の伝記を参照してください。また、「桜井が何か」について敢えて出典を明示しようと思えばそれは簡単です。著書の奥付やインタビュー記事の紹介欄を使えばよい。2005年4月25日『毎日新聞』東京夕刊で言うなら「技術評論家」になります。
- 【車体関係の返信】
- >「ステンレススチール製車体に問題があるという意味は、脱線を想定した構造設計をすることなしに軽量化するため、構造材の厚さと数を減らしているため」と言ったのが桜井氏です。
- 京王9000の例で分かりにくくしてしまいましたが、桜井の発言はこうでしょう。「鉄道各社は、車両を鉄から薄いアルミなど軽量の素材にして、電力コストを安くしようと取り組んでいる。コスト重視の一方で、このような万一の事故の際の車両強度などを十分に検討してこなかったのではないか。」は一言一句普通に裏のとれる事実です。それを上記で誌名を挙げて示していますが。まとめwikiを参考にされているようですが、あのサイトの「軽量化で剛性云々という専門家は、桜井氏しか思いつかないはリサーチの不足に過ぎず、上記のように専門誌での指摘例はあります。「十分に検討してこなかった」ことへのあのサイトの記載はただの難癖にしか過ぎず、意味不明です。
- そもそも、まとめwikiやあなたが問題にしている桜井の発言がなされたのは当日の夕刊です。破壊された車両の映像以外まともに情報が上がってない段階で精緻なリスクマネジメントは無理(保安の設備状態も不明、速度も不明、日勤教育等の心理的背景も不明)ですし、新聞の談話が実際に喋った内容を徹底的にトリミングする傾向にあることは常識でしょう。桜井がその他の対策を否定しているなら別ですが。
- >佐藤氏の言論は「車体強化という発想自体」を完全否定したものではありません
- 「事故時のエネルギーを勘案すれば実現不可能な暴論」が正確な発言であり、佐藤氏の言論は前ふりがどうであれ曽根氏同様車体強化という発想を否定したものです。実際には日本車両のウェブサイト、あるいは近畿車両技報2006年10月号P36や上記で提示した総研の研究など、現実は事故以降車体強度の向上も進められています。そもそも新たに開発するまでもなく、強度、剛性を向上した車体があることも示しました。207の剛性値は知りませんが、1991年デビューの経歴から、当時流行のFEMを多用した限界設計だったのではないですか?この辺は207の記事の充実を待ちたいところですが、この6ページの表を見る限り鋼製車並の剛性は期待できそうにない。39%改善した京王9000でも(この表に合わせて表記すると)10.9ですから。
- また、車体論争について佐藤氏の主張が信頼できる情報源による以上削除はしませんが、剛性値についてはRPや車両技術のような見解も併記してはどうでしょうか。この件に関しては桜井は根拠のあることをコメントしています。事故時のエネルギーを勘案しようもない、当日の夕刊に間に合うコメントとしてあれ以上何が指摘出来るのか疑問ですらあります。もちろん、車体強度について、桜井個人の項目で記載するのに不適当な方向性であれば、車体関係の適当なページ(オールステンレス車両等)を探してそちらを充実させてもよい。
- 「ブレーキを踏む」や恩師の批判の方が遥かに楽に提示できるのに、何故車体に固執するか疑問です。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月1日 (火) 15:14 (UTC)
- >容易なら何故行わないのですか?
- Wikipediaのガイドラインがそこまで求めていないからです。Wikipediaのガイドラインは、記載した事項すべてに出典を付けろ、ということを求めていません。検証可能性を満たすために出典を付けろ、という要旨になっています。「本質的改善策を最優先とすることがリスクマネジメントの基本である」ことを確認したければ本屋に行き「リスクマネジメント」について書かれた本を読めば検証可能であるため、出典可能性を満たしていると考えます。
- >そのような解釈は間違いです。
- 貴殿のこれまでの言い方に倣えば、「桜井氏の生年月日、肩書は誰が言っているのですか?」「『出典を明示しようと思えばそれは簡単』なら何故行わないのですか?」ということになります。リスクマネジメントについては出典の記載を必要とし、且つ桜井氏の生年月日については出典を必要としないとするなら、その二者の理由の相違をガイドラインを引用して説明してください。
- >佐藤氏の言論は前ふりがどうであれ曽根氏同様車体強化という発想を否定したものです
- 貴殿が書いている通り「事故以降車体強度の向上も進められて」いるのです。前述の通り、佐藤氏は車体強化を単純否定も単純肯定もしていない。「まず踏切保安設備の拡充など『衝突させない技術』が第一に採るべき安全方策である」「車両前面の衝突安全設計は必要」と車体強化策を条件付で、且つ桜井氏と全く違う論点視点で認めている。貴殿が提示したJR総研の論文でも、単純に車体強化すれば良いのかという議論については「衝突による生存空間の減少よりも、乗客が車内設備等に衝突する挙動評価が重要な検討課題」であるとの記載がある。桜井氏の言う「車体強化」と、佐藤氏が記事にて触れている「車体強化」と、貴殿が提示した論文における「車体強化」はそれぞれ考え方、論点が全く異なる。
- 「前ふりがどうであれ」?出典・引用というのはそこに表示された文字だけではなく、引用元の全ての文章の要旨を引用して言論するもの。文脈、前フリを無視して該当の表現だけから判断するのは「言葉のトリミング」。引用元の特定表現だけ抜き出して、引用元の文章の要旨を捻じ曲げるのであれば、出典・引用の意味などない。文脈など関係なく、そこに該当の単語が印刷されていることだけを確認するために出典を要請され、字面だけで判断するような議論は意味を持たないので、今後は遠慮させていただく。
- >「併記してはどうでしょうか。」「そちらを充実させてもよい。」
- 貴殿が書きたければ/記載が必要と判断するのなら書けばよろしい。
- >「ブレーキを踏む」や恩師の批判の方が遥かに楽に提示できる
- 桜井批判を記載するために編集しているわけではありませんから、楽という視点はありません。まとめwikiにある間違いの批評までこのノートに書き込んで固執しているのは貴殿です。それだけ情報を持っているなら記事に書けばよいのに、なぜノートにしか記載しようとしないのか、そのほうが疑問です。
- >「事故時のエネルギーを勘案しようもない~何が指摘出来るのか疑問」
- そのような状況下で車体強度に触れたことこそ、桜井氏の言論が無根拠であったことの証明でしょう。
- >「新聞の談話が実際に喋った内容を徹底的にトリミングする傾向にあることは常識」
- 桜井氏が何を新聞に話そうとも、Wikipedia:検証可能性では、その新聞記事の真偽の議論は行わないように書かれています。我々は新聞記事の本文を判断基準とするほかありません。そして桜井氏はその新聞記事上で取り上げているのは車体強化説だけです(上記で議論している「字面だけの議論」とは別物ですので、念のため)。
- >「桜井がその他の対策を否定しているなら別ですが」
- 元記事の出典データを失っているので本文記載しませんが、桜井氏はその他の対策を否定しています。要旨としては「脱線を起こさないようにする(=本質的対策)というのは単なる時代遅れの精神論」というものです。ご参考まで。--LACHESMAN 2011年11月2日 (水) 07:40 (UTC)
- >検証可能性を満たすために出典を付けろ、という要旨になっています。
- あなたがどれほど出来が良いと思っていようが著名な活動歴のない人による評論サイトは出典とは認められていません。それだけを情報源にしているなら手抜き、丸投げに過ぎません。信頼できる情報源、検証可能性を参照してください。
- >「本質的改善策を最優先とすることがリスクマネジメントの基本である」ことを確認したければ本屋に行き「リスクマネジメント」について書かれた本を読めば検証可能であるため、出典可能性を満たしていると考えます。
- リスクマネジメントは義務教育での習い事とは違いますよ。内部リンクをつけないのは何故かは知りませんが、リスクマネジメントが単独記事として存在出来ているのは辞書レベルな範囲を超えて単独記事として解説する必要があるからです。従って貴方の出典については「満たしてません」と捉えるのが妥当では。ついでに言えば桜井の記事では「「リスクマネジメント」について書かれていて且つ桜井を批判した文献」を提示するべきでしょう(現状の記述は批判文の最後にあるためPOV補強となっていると取れる)。納得いかないようであればコメント依頼立てて議論しますか?
- >貴殿のこれまでの言い方に倣えば、「桜井氏の生年月日、肩書は誰が言っているのですか?」「『出典を明示しようと思えばそれは簡単』なら何故行わないのですか?」ということになります。
- もう一度だけ繰り返します。Wikipedia:存命人物の伝記を参照してください。はっきり言えば情報の羅列と批判は扱いに差が出てもやむを得ないです。納得出来ないのであればこれもコメント依頼に含めて議論しましょう。
- >字面だけで判断するような議論は意味を持たないので、今後は遠慮させていただく。
- 総研も含めて横方向からの対策と前面以外の剛性強化も進めているので、佐藤氏の実現不可能な暴論とは真っ向から対立しますが、視点が異なると仰る割にその点はスルーですか(そもそも従来のステンレス車設計の問題点も、その対策目的も、桜井とJRの視点は異ならないですが)。この場合不可能とは否定です。たった7文字で完全に意味を表している以上、この場合はトリミングに適していると思いますが。
- >桜井氏の言論が無根拠であったことの証明でしょう。
- 文章読んでますか?根拠なら『車両技術』167号等を提示して「ある」と言ったでしょう。TV越しに砕けた車体の空撮しか見れない状況でとりあえず一つ分かる対策をコメントして何がおかしいですか?4月25日の段階では本格的な検証は続くのは自明でしたし、最初から完全である必要はありません。
- >元記事の出典データを失っているので本文記載しませんが、桜井氏はその他の対策を否定しています。
- 否定が事実ならそこまで書くべきでしょうが提示出来ないのなら無いのと同じですね。
- 最後に。本文の執筆に取り掛かっていないのは、2つ理由があります。1つは独自研究的な編集が当然視されているからその点について議論するためです。武田邦彦や広瀬隆と異なり、この記事はその点が異常です。2点目は資料の集結準備中だからです。他の記事が片付けば本文にも手は加えます。ところで、最後ついでに質問しますが、あなたは数年前より桜井および僅かな周辺記事のみ編集されております。まとめwikiの方から来訪されたのですか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月2日 (水) 12:51 (UTC)
(インデント戻します)
- >活動歴のない人による評論サイトは出典とは認められていません
- 私はまとめwikiを脚注にて紹介しておりますが、まとめwikiを引用・出典として記事を書いてはおりません。
- >リスクマネジメントは義務教育での習い事とは違いますよ。
- 出典の要/不要が義務教育で習うものか否か、というガイドラインがあるのであれば提示願います。佐藤氏の記事にある「まず踏切保安設備の拡充など『衝突させない技術』が第一に採るべき安全方策である」などの文言はリスクマネジメントの考え方に一致します(他に2点、本質的対策を車体強化に優先させることが望ましい、という旨の文言があります)ので、POVの補強に当たらないと考えます。それとも佐藤氏の文章に「リスクマネジメント」という9文字のカタカナが入っていなければPOV補強と言われますか?いずれにしても私は出典を明示した上で佐藤氏の言論がリスクマネジメントの考えに沿ったものであることを示しましたので、それを否定するなら根拠を明示願います。コメント依頼を出したいのなら、ご自由にどうぞ。資料を集結させて本文に手を加えるのもご自由にどうぞ。
- >はっきり言えば情報の羅列と批判は扱いに差が出てもやむを得ない
- Wikipedia:存命人物の伝記における「悪意のある記述」の項目を指してらっしゃるのかと思いますが、ではこの「批判」の項目が悪意にて作成されていることを貴殿が立証する責任を負います。この悪意とは記事作成者の意思ではなく、記事の内容であることにご留意下さい。中立性に留意し、出典不明の記載をコメントアウトした私の行為が「悪意」だと判断されるのなら、その根拠を明示願います。
- >根拠なら『車両技術』167号等を提示して「ある」と言ったでしょう
- 勘違いしてませんか?この議論は、「桜井氏の当日夕刊の発言が提示されたような記事を根拠として発言された『と検証できる』かどうか」の議論です。
- 貴殿が「事故時のエネルギーを勘案しようもない、当日の夕刊に間に合うコメントとしてあれ以上何が指摘出来るのか」と言っているじゃないですか。『無根拠に言ったことが後からわかったデータと照らし合わせたら結果として正解だった』のと、『最初から根拠を示したうえで正解を出した』のでは全く違います。桜井氏は『車両技術』167号の記事のような内容の根拠を示したうえで発言したことが新聞記事中に記載されているのですか?そうであれば、出典を示して下さい。新聞記事に根拠が示されていないのであれば『桜井氏が根拠をもって当該発言をした』という貴殿の言論は出典可能性を満たしていないことになりますし、当該新聞記事に記載されていない根拠を貴殿が追加したのであれば、それは勝手なPOV補強でありますから、記事に盛り込むことはできません。
- >「とりあえず一つ分かる対策をコメントして何がおかしいですか?」「最初から完全である必要はありません」
- それは貴殿の個人的意見であり、それを記事に盛り込むのは問題がありましょう。記事に盛り込みたいのなら、「プロフェッショナルの評論家が無根拠で不完全な言論をすることが正当だ」という根拠を、Wikipedia:中立的な観点に沿って提示する必要があります。
- >たった7文字で~
- この件、議論しないと申し上げたとおり議論しませんが、2点だけ確認しておきたく。
- (1)7文字とは何を指しますか?(2)貴殿は、佐藤氏のいう「実現不可能な暴論」は何を指していると考えていますか?要約でも構いませんが、できれば当該記事から表現を抜き出す形で回答頂ければと思います。
- ついでに言うなら、学術論文の取り扱いについて。『総研の論文の結果を基に車体強化が行われた』というのと、『論文の目的が車体強度の検証であり、結論が車体強化の有用性を認めたものであった』では全く意味が違います。貴殿が提示した論文には「今後は本モデルを活用して、様々な衝突条件に対する側面強度評価を実施し、車体の衝突安全性向上のために活用する予定である」とはありますが、この論文はそもそも実車試験の結果とモデル解析結果の各挙動とその相違を論じたものであり、車体強化の有効性を論じたものではありません。この論文そのものが車体強化の有効性を説いている、というのなら、その文章を提示して下さい(学術論文ですから、Abstracts、Introduction、Conclusionのどこかに記載があるはずですが…)。ついでに、この論文の結果を基に車体強化が行われたという明示的な事実を示す原典があれば合わせてお願いします(論文に書かれているのは『予定』であり、これを以て行われた、という事実は別の出典でないとと確認できません)。--LACHESMAN 2011年11月2日 (水) 16:37 (UTC)
- とりあえず車体関係だけ。
- >桜井氏の当日夕刊の発言が提示されたような記事を根拠として発言された『と検証できる』かどうか
- >プロフェッショナルの評論家が無根拠
- 「ステンレス車体への移行で電力費の節減などのため軽量化が進められたが、強度は低下する傾向」という記述は事故の20年も前から言われていることである、という例示のため提示している訳で、貴方の主張が「桜井が『車両技術』や『RP』を読んだ証拠」という意味ならそれは不適当でしょう。貴方の理屈で言えば「桜井が無根拠」と決めてかかっている方がそうであることを立証しなければならないはずですし、佐藤氏の批判「実現不可能な暴論」にも当てはまることですが。もしその根拠がまとめWikiであれば不適当です。
- >佐藤氏のいう「実現不可能な暴論」は何を指していると考えていますか?
- 日経ものづくりの全文を入手していないことを前置きいたしますが、入手済みの情報から考えるに、佐藤氏は「車体強度向上だけで無被害を達成する」議論を想定し、それを批判したか、「横方向からの力の入力に車両が強化できるわけがない」と考えていたか、もしくはその両方でしょう。また、貴方は桜井が「その他の対策を否定している」と言っていますが、「速度超過であることは否定できない。そうであれば、新型ATS(自動列車停止装置)を設置すれば、確かに同様の事故は防止できることになる。」であって違うようです。
- >学術論文の取り扱い
- 総研の例は28ページを読めば分かるように室内幅90%、速度30㎞のモデルであり、空間減少の度合いが事故編成の先頭車とは異なります。総研が「今回解析した条件では」と前置きしているでしょう。しかし、冒頭と最後を読めば分かるように、福知山線事故を契機に「車両の衝突安全性向上に関する研究」を進めることとし、その一環として評価モデルを開発したものでもあるわけです。実現不可能と切り捨てる方向性とは明らかに異なりますね。また、佐藤氏の出身母体は東急車両だったかと思いますが、こういう特許を提出しています。前後方向以外にも車体強化を図っていることについてはJR西日本の事故対策、日本車両がオフセット衝突で側面からの力の入力を研究したことを公表していること、『車両技術』167号でステンレス車体の脆弱性として指摘されたスポット溶接について、近畿車両がレーザー溶接導入で車体剛性の強化を図っていることを2006年の技報で発表したことなどを挙げることが出来ます。
- こちらからの質問は一つだけだったので、もう一度お聞きしますが、あなたは数年前より桜井および僅かな周辺記事のみ編集されております。まとめwikiの方から来訪されたのですか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月3日 (木) 02:29 (UTC)
- 【車体強度論について】このノートでの議論がだんだん本筋から外れてしまっているので、これまでの議論を元に、「検証可能性」と「出典」のガイドライン遵守姿勢を強化すべく、本文の修正を行いました。
- >日経ものづくりの全文を入手していないことを前置きいたします
- 貴殿の入手された情報がどのレベルか知りませんが、貴殿の推測は残念ながら的を外しております。本文を修正したのでご確認ください。
- 全文を入手していない貴殿が、全文入手している私が説明する佐藤氏の主張の要旨をどうして誤りと断定できるのか、極めて不思議です。一般論であればある程度の要旨が分かれば議論できようもあります。しかし貴殿は出典と検証可能性に非常に厳しい姿勢を貫いておられます。出典を持たずして、どうして検証を実現できましょう?貴殿の言葉と行動に強い矛盾を感じます。
- >貴方は桜井が「その他の対策を否定している」と言っていますが~
- 貴殿はまとめwikiは根拠として引用は認められない、と繰り返しおっしゃてましたので、それは「桜井氏がその他の対策を否定している」という私の論を否定する材料にはなりません。念のため。
- >実現不可能と切り捨てる方向性とは明らかに異なります
- そもそも貴殿が出典なしに推測している『何を佐藤氏は「実現不可能」と切り捨てているのか』が的を得ていないので、これ以上論じる意味がありません。
- ただひとつ。検証の実施と、検証した結果を元とした実施例とを同一視して考えてはいけません。ただその一点に尽きます。『福知山線事故を契機に「車両の衝突安全性向上に関する研究」を行った』というのは『「車両の衝突安全性向上に関する研究が必要だから行った』のであって、『車体の衝突安全性向上が必要だから行った』のではなく、さらに『車体の衝突安全性向上を進めた』ではないのです。学術論文ではその点を非常に厳密に区別します。
- この論文は『車両の衝突安全性向上に関する研究の一環として評価モデルを開発し、実車試験と比較して評価モデルの評価を行った結果(俗にいう)「使える」モデルだったことが分かった』、という論文です。しつこく書きますが、『福知山線事故を契機に「車両の衝突安全性向上に関する研究」を進めることとし、その一環として評価モデルを開発した』とは書いてあっても『「車両の衝突安全性向上に関する研究」で車体を強化した or 強化の必要がわかった』とはこの論文にはどこにも書いてないのです。
- 「①車体強度の解析を行うためのモデル(または理論)を構築し、②そのモデル(または理論)を使って車体強度の解析を行った結果車体強度の余地があることが分かったので、③その後の車両は車体強化された」という関係性を論じられ、貴殿は『車両技術』167号、近畿車輛の2006年技報、東急車両の特許を例示されましたが、この論文にはそのうちの①の部分しか書かれていないのです。②③については触れられていません。貴殿が提示した文献は③に関する出典ですが、その関係性を論じたいのであれば、③に関する論文類の参考文献に①のこの論文が記載されていることを提示する必要があります。学術的に関連性があるのであれば、これらの参考文献にこの論文は必ず掲載されているはずですし、Wikipedia的にも「この論文が車体強化の必要性を直接的/間接的に論旨としている」という根拠として、貴殿は提出する必要があるでしょう。ただし本文に記載する内容でもありませんから、特にここで提示は求めません。貴殿が学術論文を間違った読み方で解釈しておりますので、説明申し上げただけです。これ以上の説明方法を私は持ち合わせませんので、これ以降の説明は致しません。
- >まとめwikiの方から来訪されたのですか?
- 桜井氏の記事に関するノートで、記事執筆者の素性に関する議論は不適当と考えますので、回答致しません。そもそも記事執筆者が誰であり、どのような思考の持ち主であろうとも、それらと記事に表現した内容や記事の完成度とは切り離して考えるべきが妥当と考えますので。--LACHESMAN 2011年11月3日 (木) 17:30 (UTC)
- 車体強度については当方も総研の主導で強化が行われたかのように申し上げたことは手落ちだったと思います。しかし、総研が強化をするための研究をしていることについては御理解いただけたかと思います。また、総研以外のメーカー、JRについてもそのような方向で動いており、321系のレーザー溶接採用など一部は実行に移されていることは桜井の指摘となんら矛盾せず、一致するものです。これまでにもいろいろ提示しましたが、補強の証拠としてRP誌1991年5月号のJRによる207系の車両紹介も提示します。そこには「軽量化」が目的の一つに明示されております。
- >貴殿はまとめwikiは根拠として引用は認められない、と繰り返しおっしゃてましたので、それは「桜井氏がその他の対策を否定している」という私の論を否定する材料にはなりません。念のため。
- 確かにそのように申し上げましたし、その発言を本文でまとめwikiから引用することはしません。しかし、貴方の解釈に従うならまとめwiki内にすらATSの有用性を認める桜井の発言が存在していますね、ということです。
- 自己宣伝の疑いがあるため、まとめwikiの編集に関与したかを繰り返し尋ねているのです。ただ、ここにある程度の事情が記載されていました。下記は貴方の意向であると認識してよろしいですか?個人的事情が事実ならその点は個人として理解はできますけども、桜井に対する憎悪で編集されておられるのでしたら、早々に改めていただきたく。
- >「事故が起きても生存空間さえ車両にあれば」と言う桜井の言葉は許せません。例えできないことがわかっていても、「今後絶対に事故を起こしません」という言葉、決意こそが欲しいのです。
- つまりリスクマネジメント以下の挿入文は貴方の意見ですね?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月4日 (金) 03:48 (UTC)
- (インデント戻します)
- >総研が強化をするための研究をしていることについては
- 私は「RP誌1991年5月号」を入手しておりませんのでお尋ねします。その記事や「近畿車輛の2006年技報」には、『総研の研究(含む モデル解析)の結果、車体強化が必要であるとわかったため、車体強化を行った』という論旨や文献の引用がありますか?それが無ければ、「総研が強化をするための研究をしている」とは言えません(東急車輛の特許には記載されておりませんでした)。「強度の検討」と「強化の検討」は違います。前回宣言したとおり、これ以上は説明を控えます。
- >「桜井に対する憎悪で編集されておられるのでしたら」「自己宣伝」
- すでに先日、このノート欄に記載しておりますので再度ご確認下さい。「桜井氏を批判することを目的としてここに記入しているわけではありません」。それが信用ならないと言われても、「批判を目的としていない」以外に私は言い様がありません。
- 私が「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」や「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません」に反しているから執筆者として不適当、と考えるのなら、ガイドラインに従って成すべきようにされたら宜しいと思います。
- >リスクマネジメント以下の挿入文は貴方の意見ですね?
- これまでも繰り返した通り、佐藤氏が「日経ものづくり」で触れた表現はリスクマネジメントの考え方を踏襲しております。本文を編集し、原典からの引用を追加して明示しましたのでご確認下さい。それでも信用ならないというのであれば、佐藤氏の意見が書かれた原典の全文を早急に入手し、ご自身でお読みになることをお勧めします。「リスクマネジメント」を「リスクアセスメント」と修正したのは、リスク評価とリスク低減策をどう表現するかの違いです。狭義の「リスクアセスメント」には低減策は含みませんが、広義の「リスクアセスメント」では低減策を含んだリスク管理を意味します。参考文献は広義の「リスクアセスメント」を提示していたので修正しただけのことです。念のため。
- 原典を提示して検証可能性を満たしたのにその原典を読まず、思い込みの断定で「POV補強だ、自説だ」などと書くのがまかり通るのであれば、「検証可能性」や「出典」のガイドラインは存在意味がありません。原典を提示し検証可能性は満たした上で自説でないと申し上げておりますので、この挿入文が個人研究や自説、POV補強の類かどうかの反証の責任は貴殿にあります。貴殿がこの原典の全文を入手され、お読みになるまでこの議論も控えます。
- --LACHESMAN 2011年11月4日 (金) 08:41 (UTC)
- とても力説されているところ申し訳ないが、資料は集めていると申し上げた筈です。日経ものづくりについても同様に収集対象にしています。
- また、都合の良い部分のみまとめWikiを利用したり、本屋で探せなどと読み手に要求する人がたかが原稿用紙数枚分程度の新聞記事に載った事故数時間後のコメントに、コメントの検証可能性だの根拠にした論文だのと粘着する姿は異常でしかありません。
- 更に、近畿車輛や東急の特許などは(JR西の車体強化策もそうですが)総研の研究は特に明示せず剛性強化や横方向の強度向上を謳っているものです。総研の記事にしてもまとめで「側面の強度評価を実施し、車体の衝突安全性向上のために活用する予定である」と書いてあり、貴方の指摘が単語を追っただけの内容に過ぎませんね。東急の特許については課題に「車体に横方向から外力が加わった場合の車体の変形を、より効果的に制限する。」と書かれています。
- そもそも、まとめWikiや本屋で読めなどと言う要求をしてまで「リスクマネジメントの基本」を貴方が説教したいのは貴方が桜井を否定したいという個人的な欲求のためではないのですか。幾ら力説したところで
- >例えできないことがわかっていても、「今後絶対に事故を起こしません」という言葉、決意こそが欲しいのです。
- >Wikipediaの桜井よりの改変がまた始まったぞ。とりあえず、ちょっと修正してくる。。。
- >wikipediaでは、桜井氏が「評論家として適性を欠く人物である」こと、という事実のみが列記されれば十分
- などと宣言しておられる人物に疑問を持つのは当然ではないでしょうか。貴方はWikipediaは何でないかを初心に帰ってお読みになられるべきです。この記事は桜井氏が「評論家として適性を欠く人物である」ことを証明する場ではありませんよ?それが中立的な観点だと思っているならとんでもない間違いです。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月4日 (金) 15:48 (UTC)
- 私に対しての批判は、間違いや誤り、根拠の無い推論、ガイドライン違反を含んでおり、もはや個人攻撃である。反論はあるが本記事のノートで行うべき議論ではないので回答しない。
- ひとつだけ言えば、貴殿はこの項最初に「不要なものは除去し、ソースや反論の確認できるものを残す」と呼びかけた。その目的は現時点でほぼ達成されていよう。出典が不明瞭で雑多に並べられた批判項目は整理され、ソースや反論が全て脚注にて確認できる形になった。その結果に何の問題があろうか?
- 貴殿が個人攻撃を始めた以上、議論というレベルにはならないので貴殿の誤り訂正だけ。
- 【単語を追っただけの内容】
- 言葉を選ばずに言うのなら、「Wikipedia:検証可能性」が求めているのは正にこれです。
- 「新聞記事」について「検証可能性」に従えば、桜井氏が新聞記事に語った内容は、新聞記事に載った言葉でしか検証することはできない。本件は『桜井氏が新聞記事に当該発言をした。それに対して佐藤氏が反論した。』これが単純な事実。新聞記事における桜井氏の発言内容、佐藤氏の反論の内容の真偽、其々の根拠の有無の検証は独自研究となる。貴殿がどれだけ論文を提示して、桜井氏の当該記事の根拠を説いても、それは独自研究に過ぎない。((無論、無根拠と論じた私も反省しなければならない。))
- 学術論文についても同じ。「総研の研究は特に明示せず」であれば、総研の研究と貴殿が提示した論文類の関連性は検証不能。「研究カテゴリ(研究テーマではない)が同じ論文類の発表された時系列」「その時の世論や技術の風潮」で検証可能性を満たせますか?
- 【同様に収集対象にしています】
- 「収集対象にした」と「収集した原典の一部を読んだ」と「収集した原典の全てを読んだ」は同一ではなかろう。
- 【コメントの検証可能性だの根拠にした論文だのと粘着する姿】
- 本ノート欄「2011年10月31日 (月) 15:59 (UTC)」にて、「そもそも、批判Wikiを含めて、車体強度に対する誤解があります。」と先に論文を提示し、その後「2011年11月1日 (火) 15:14 (UTC)」にて(桜井氏の新聞記事の発言に関する議論の中で)「剛性値についてはRPや車両技術のような見解も併記してはどうでしょうか。この件に関しては桜井は根拠のあることをコメントしています。」と論文による根拠の併記を求めたのは貴殿です。--LACHESMAN 2011年11月5日 (土) 04:43 (UTC)
- 個人攻撃っつーか、個人を否定しにやって来たのは貴方だってのを提示しただけですわ。それとまとめWikiは検証可能な情報源じゃないですし脚注数個投下した程度で何を言ってるんですかね。まぁ後はコメント依頼でやりましょう。それと、私も記事に「真実の提示ではなく事実の提示として」ソースを加えさせていただきますのであしからず。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月5日 (土) 09:21 (UTC)
- それと、車体強度の件、桜井は高圧ガスで佐藤氏に(私信に対してだがほぼ同様の表現が見られる)反論しているのだから、それを掲載しないのはどういうことですかね。また妙な理屈こね回してまとめWikiに丸投げするんですか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月5日 (土) 13:32 (UTC)
- 追記しました。追記をして感じたのは、桜井批判のために都合の良い部分だけをピックアップしてきたこれまでの編集者やまとめWikiの姿勢です。日経ものづくりの佐藤氏の記事も2本読みましたが、佐藤氏は1ページ使って車体強度の強化に期待していない旨を明記している上、自動車の衝突安全の思想を導入することも否定している。ご丁寧に「エンジニアの立場から~下すのか」「交通システムはかくあるべきなのか」とまでつけてね。しかも佐藤が必要を認めているのは前面の衝突安全設計だけ。225系で衝突安全の思想を入れた(「事故発生時の安全性向上、被害の軽減」と明記し側面衝突対策を反映した、『R&M』2010年8月)JR西日本とは真っ向から反してる思想ですね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月5日 (土) 17:29 (UTC)
- 日経ものづくりの記事を収集されるのなら、こちらも忘れずに。
- (以下引用)ちなみに、万一事故が発生したときには、拡大損害防止の機能が求められる。これには、車体衝撃強度の向上と、主要部位の大破損防止設計が必要となり、とりわけ軽量・高速車両ほど重要になる。ただし、JR福知山線事故への対策としては車体強度向上は全くナンセンスだった。あの場合には、速度超過防止によって超過遠心力による転倒リスクはゼロとすることができるからだ。
- 佐藤国仁「風に負けたJR羽越線」、『日経ものづくり』2006年2月号、日経BP社、2006、p107--LACHESMAN 2011年11月8日 (火) 04:27 (UTC)
- それを加味しても佐藤氏が車体強度強化を否定していたことを裏書きする以上のものではないでしょう。それに対して通常エンジニアなら無視するほど発生確率が小さいが、発生した場合には甚大な損害が発生する、この場合で言うと保安装置が機能しないケース(例えば2005年11月2日に発覚した保安機器設定ミス)まで考慮に入れるのが桜井を含めた車体強度強化論のスタンスです。それは一つの考え方であって、桜井以外にも言及している者はいる。つまり、一連の貴方の姿勢のようにひたすら桜井の記事にのみ粘着し桜井を否定するための編集を行うようなものではない。両者は単純に併記されるべきものです。また、貴方は否定したいようですが、JRがとった対策にはそういう考え方が入ってます(側板に信頼度は定義しないしね)。
- そういう意味でまた残念な編集をしましたね。リスクアセスメントの説明のためには佐藤が執筆したわけでもない本やまとめwikiまで出典に加えるあなたが、持論に都合の悪い点は論理の合成だと言い張って除去を図る。私の投稿のどこに論理の合成がありましたか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月8日 (火) 15:00 (UTC)
- 何をエキサイトしておられるのか…単純に記事をご紹介しただけですが。
- >私の投稿のどこに論理の合成がありましたか?
- 言葉足らずで申し訳ないのですが(ただ「編集内容の要約」に書ききれる内容でもなく。あしからず)「ありました」と断定しているのではなく、「そう疑われる文章構成だ」ということです。
- 「その後~」という文章を入れられてますね。時系列的に両者に何らかの関連があるから「その後」という接続詞を使われたのでしょう。その関連性が不明瞭です。「桜井氏のコメントを発端としてマスコミ各社が追随した」という意味であれば、その根拠を示す出典が必要となります。単純な時系列上の事実の記載、というだけであれば、桜井氏の発言とその後のマスコミ報道とは関連性を示せない=検証不可能、ということになりますので、マスコミ報道の動向を本記事に記載する理由がなくなります。
- 私の編集姿勢については貴殿とは議論しません。ご自身の利用者ページやこのノートに書かれた内容が個人攻撃に該当しないという自信や根拠があるのなら、ご宣言通りにコメント依頼に出されればよろしいかと。
- ついでに依頼です。脚注16の辺り、本文の句読点がおかしいような気がします。「確認された」のあとに「。」で良いのかと思いますが、出典を付けられている以上、そちらで修正をして頂きたく。--LACHESMAN 2011年11月8日 (火) 17:00 (UTC)
- 依頼点については対処いたしました。当方としてはWikipedia及び桜井淳の記事に関わる範囲内で根拠を提示して指摘を行ったにすぎず個人攻撃とは考えておりません(あなたは中立のつもりかもしれませんがこれまでの編集者達によるいい加減な記事づくりこそ桜井に対する個人攻撃と取られても仕方ないと思います)。コメント依頼はまとめwikiおよびコメントアウト部分の件が残っている限り立てる予定ですが、仕事の関係もあり予定が倒れている状態です。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月8日 (火) 17:24 (UTC)
- ついでに依頼です。脚注16の辺り、本文の句読点がおかしいような気がします。「確認された」のあとに「。」で良いのかと思いますが、出典を付けられている以上、そちらで修正をして頂きたく。--LACHESMAN 2011年11月8日 (火) 17:00 (UTC)
- 私に対しての批判は、間違いや誤り、根拠の無い推論、ガイドライン違反を含んでおり、もはや個人攻撃である。反論はあるが本記事のノートで行うべき議論ではないので回答しない。
福島第一原子力発電所事故について
現状ではテレビでの発言ばかりが取り上げられておりアンバランスさを感じます。当人は複数の雑誌で10本以上この事故関連の記事を執筆していますし検証本を1冊、監修本を1冊、過去朝日新聞選書から出した本を多少リニューアルして1冊再販しています。少なくとも提言や評価に類する物はこれらをベースにするべきでは無いのですか?憎しみが高じて外部サイトや掲示板の感覚で編集しないで欲しいですね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月29日 (土) 10:02 (UTC)
- 「憎しみが高じて」という発言は推測に基づくものかと思われますが、記事を編集した人間がどのような意図・意思を持っていようが、編集結果とは無関係と思います。編集者の意思を推測によって論じることは無用な争いを生む原因になりますので、撤回をお願い致します。合わせて、桜井氏のこれまでの成果・功績を論ずる資料をそれだけお持ちであるのなら、この記事のグレードアップのために、ぜひともそれらの出典を含めて記載頂きますようお願い致します。--LACHESMAN 2011年10月29日 (土) 13:25 (UTC)
- 貴殿に対してだけ述べたことでは無いので撤回はしません。桜井の言行に大半の原因があるとは言えその程度の推量は許されると考えます。ある意味、不適切な編集が重なった最大の理由と認識していますので。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月29日 (土) 18:58 (UTC)
- 「その程度の推量は許される」ノート空間だからといって、他人に対する攻撃的な文言(それも検証可能性を満たさない言葉)を使用してよいものでしょうか?不適切な編集を見つけたとき、我々がすべきことは不適切な編集を適正にすることであって、不適切な編集をした人間に対して恨み節を吐くことではないでしょう。そしてこのノートはその建設的な議論に使われるべき空間であって、恨み節を吐く場所として提供された空間ではないでしょう。貴殿がそのような態度を取られることを大変残念に思います。--LACHESMAN 2011年10月30日 (日) 15:11 (UTC)
- 勿論本文でそのような表現を用いるつもりはありませんしそれを指摘することが恨み節とも思いません。外部の批判Wikiはこの記事でも度々紹介、あるいは意識して編集されてきたようですが、桜井ブログで直接やり取りした者なら当然抱く感情ですから。そのこと自体は全く自然です。更に言ってしまえば、Wikipediaでの執筆動機としてはありふれているとすら言えます。ただ、ここはそういう意識の元に記事を執筆する場では無いというだけです。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月30日 (日) 15:58 (UTC)
- 追記:本文で検証可能性を軽んじられた方も一人、二人ではないと思いますが、ノートでの私の書き込みに検証可能性を持ち出して反論されるのは少し矛盾が無いでしょうか。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月30日 (日) 16:10 (UTC)
- 検証可能性を持ちだしたのは貴殿に対する皮肉です。冷静さを欠いた言葉を使用してしまったことを、貴殿に対してお詫びいたします。ただ、願わくば、ノートページの議論が建設的なものとなるよう、編集者の意思を推測によって論じること(それがネガティブイメージであるならなおさら)はお控え頂ければと思います。「ここはそういう意識の元に記事を執筆する場では無い」からこそ。--LACHESMAN 2011年10月30日 (日) 16:32 (UTC)
- 「その程度の推量は許される」ノート空間だからといって、他人に対する攻撃的な文言(それも検証可能性を満たさない言葉)を使用してよいものでしょうか?不適切な編集を見つけたとき、我々がすべきことは不適切な編集を適正にすることであって、不適切な編集をした人間に対して恨み節を吐くことではないでしょう。そしてこのノートはその建設的な議論に使われるべき空間であって、恨み節を吐く場所として提供された空間ではないでしょう。貴殿がそのような態度を取られることを大変残念に思います。--LACHESMAN 2011年10月30日 (日) 15:11 (UTC)
- 貴殿に対してだけ述べたことでは無いので撤回はしません。桜井の言行に大半の原因があるとは言えその程度の推量は許されると考えます。ある意味、不適切な編集が重なった最大の理由と認識していますので。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年10月29日 (土) 18:58 (UTC)
- (インデント戻します)水蒸気爆発の件、岩見氏のコメントにて示された内容が妥当と考えるため、コメントアウトしました。(当日のテレビでは、桜井氏は水蒸気爆発を「蓋のある冷却プールの爆発」という概念で解説していたように記憶しておりますが、手持ちの資料では検証不可能のため)--LACHESMAN 2011年11月9日 (水) 03:55 (UTC)
- 私が記入場所を間違えたため申し訳ありません。『なお3月18日、各号機共用で使用済み核燃料を貯蔵するプールの水位が確保されていること、使用済み核燃料の乾式輸送容器建屋の外観に異常がないことが確認された[16]プール用冷却ポンプの起動は24日であった。』の一文について。
- 「3月18日に水位確保と建屋外観に異常なきことが確認された」+「冷却ポンプの起動は24日だった」という2文章でしょうか?それとも「『水位確保』と『建屋外観に異常なきことが確認されたプールの冷却ポンプ起動』の両方が24日」という文意でしょうか?「3月18日」の位置から考え前者と解釈しますが、それなら「確認された」の後ろに読点が必要かと思います。参考文献(16)がリンク切れとなっており、当方で確認や微修正ができませんので、推敲をお願い致します。--LACHESMAN 2011年11月9日 (水) 04:13 (UTC)
岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM氏の大幅追記を受けて
下記のように整理を行いました。
- イントロダクションの文章の大半は桜井氏の論旨を説明したものであることから、新設された「批評内容」の項目に移動。
- 「批評内容」という項目が作成され、桜井氏の批評に対する「批判」の項目を単独設置する必要性が無くなったためコメントアウト。(内容については、批評内容に関連する項目のみ移設した)
- 注釈として雑誌名が引用されている場合は、本文中に雑誌名を引用記載する必要はないので削除。
- 使用済み核燃料棒保管プールについては、「爆発により建屋屋根が無くなった」という意味での開放構造ではなく、「建屋内においてプール自体に屋根が元々ない」という意味での開放構造として書かれている文面にも取れるので併記。(「要出典」タグを付けるのは良いが、その前後の文章の日本語がおかしくならないように、文章の校正もした上で投稿頂きたい。)--LACHESMAN 2011年11月5日 (土) 17:57 (UTC)
編集内容の要約にもコメントしましたが、田中三彦や森永晴彦まで独立のセクションとするだけの特筆性があるのか疑問を感じます。「その他の人物」とかセクションをまとめてしまってもよいかと。広瀬隆についても一行でまとまるような内容であれば、その中にまとめてしまっていいように思います。イントロダクションの「批判的な」を書き変えても事足りる程度の文章量ですし。--60.34.103.249 2011年11月6日 (日) 04:30 (UTC)
- 記事内で独立した項目とすることは特筆性とは少し違うと思います。田中に対しては他にも批判記事があり、広瀬についても同様のため、1~2週間で追記する予定です(広瀬や田中に関しても全く問題を指摘されていない人物と言う訳ではなく、批判例として価値はある)。逆に、福知山事故では桜井はそれほどの投稿実績を持っていないので、バランスを取るために原子力分野での言行を(良し悪しは別として)紹介する必要があります。あの分野は80年代に原発の是非論で活発な意見が交わされたのは事実ですので。
- プールに関して事実と対比させようとする意向があるのは分かりますが、15日の状況では、こう、18日の場合はこう、放置すれば溶融した可能性に関する報道も4月28日にあったことは前提として踏まえておくべきでしょう。裸で放置しても溶融しないとは何を根拠にしているのか不明ですので、その手の工学書を漁ってくれとしか言いよう無いです。なお安定した冷却装置が稼働したのはこれによると6月以降のようです。1号機の例だとこんな感じで計画してます。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月6日 (日) 05:21 (UTC)
水蒸気爆発説の取り扱いについて
1月に入って220.220.113.160氏により水蒸気爆発の記載が再度加筆されました。その内容はWikipediaの水蒸気爆発の定義に書かれている大分類に従って220.220.113.160氏が独自に考察したものです(出典が無い以上、そのように受け取るしかない)。このような行為を容認されるのは何故でしょうか?この記述も元々批判wikiから端を発しているのか知りませんが、叩ければルールを無視してよいという考えをガイドラインが明示されている場で行うことは如何なものかと思います。
また、福一での水蒸気爆発については、下記のような見解があります。
- 福島で再臨界事故が起きない理由 失敗学会
- 水蒸気爆発が起きない理由。 失敗学会 2011-3-20、4PM
ただし、「現時点で炉心溶融していない以上、今後も炉心溶融は起こりません。」等明白な誤りはあり(メルトダウンが公表されたのは5月中旬頃)。
いずれも出版歴、マスコミへの露出歴などがある人物、団体のサイトで個人ブログなどとは一線を引くべきかと思います(4件目は小出の番組出演を指してのつもりです。番組への露出という意味では桜井と同じ状況でしょう)。ここから分かることは、構造がどうあれ、水蒸気爆発の有無については議論の対象となっていたということです。私としても勿論個人的な見解は持っていますが、これが原発事故の記事なら、普通は両論併記の方向に持ちよる状況です。この点からも、桜井の発言、或いは水蒸気爆発を特定して批判したソースが出されない限り、手前勝手に「科学」を振り回して220.220.113.160氏のような記述を加筆するべきではないでしょう。
- 福島4号機損壊は水素爆発か/配管通じて流入 2011/05/15 21:00
なお上記のように公式見解は5月に出ましたが水素爆発とのことです。しかし、以前の議論を参照すれば、桜井の分析に続けて公式の分析結果を安易に記述するべきではないという話が出ていたと記憶しておりますが(エシュデ事故の推測は桜井が正しい訳ですがその経緯故にあのように記載してある訳です)。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2012年1月16日 (月) 14:58 (UTC)
佐藤氏の(桜井氏に対する)設計のスタンスの記載について
福知山線事故の節の部分で、2012年1月23日 (月) 01:04のLACHESMAN氏の投稿により
- >佐藤国仁は本事故のような衝突条件で乗客の生存空間を確保する車両設計が非現実的であるとの認識に立ち、
が
- >佐藤国仁は本事故のような衝突条件で乗客の生存空間を確保する車両設計の非現実性に触れ、
に戻されてしまいました。「認識に立ち」への変更は元々私が実施したものですので、リバートということになります。さて、LACHESMAN氏の根拠は
>佐藤氏の言論内容は「実現不可能」と断じており、その出典の内容が「自明」かどうかの踏み込んだ判断を編集者が行う余地はない。
というものです。しかし、この文章はおかしくはないでしょうか。「本事故のような衝突条件で乗客の生存空間を確保する車両設計」が「非現実的」と主張しているのは佐藤氏であり、リバート後の文章ではその点が明確ではなく、(佐藤氏の主張が)自明の真理であるかのように記述されていると申し上げている訳です。編集者が「「自明」かどうかの踏み込んだ判断」を問うなど、どこをどう読めば解釈できるのでしょうか。
桜井氏のように、佐藤氏の主張と異なる主張が存在するから佐藤氏は批判している訳です。つまり、「本事故のような衝突条件で乗客の生存空間を確保する車両設計の非現実」であるという立場であるのは佐藤氏であることが明示されていなければなりません。
LACHESMAN氏は以前から本記事の人物に対し、異様な執着をなされ、私の2011年11月4日 (金) 15:48 (UTC) の投稿で提示したように、桜井批判を目的とされているようですが、ここがWikipediaであることは弁えていただきたい。
以前から申し上げているように、外部の私設サイト(批判wiki)や桜井に直接言及していない向殿政男氏の著書を引用される反面、このような編集を継続されるのであれば、以前に申し上げた通り、コメント依頼でその真意を問わざるを得ないでしょう。私としては現状の当該記述は中立性を欠くと思います。よくお考えいただきたくお願いします。
また、ここ数日本文やノートにて一旦加筆したのちに自らの書き込みをリバートする行為を繰り返されているようですが、これは何の意味があるのですか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2012年1月24日 (火) 15:20 (UTC)
- 岩見氏は編集要旨にて『「非現実性」は自明ではない。』と明示していますが、そもそも、岩見氏のいう「自明」とは何ですか?まずはそれを明示してください。あるいは、個人的感覚という意味を含まない別の言葉に置き換えて表現してください。
- 大前提として、自明という言葉がどのような意味かをご確認ください。「自明」と「学術的な真」は必ずしも同義語ではない、ということです。また個人の感覚による差が存在するものでもある、とされています。したがって、記載された内容が「自明かどうか」判断することそのものは、学術的な正誤の判断だけではなく、個人的感覚に立脚する場合もあり、必然的に踏み込んだ判断になるということです。
- 次に、『誰が』、『何を根拠に』、「非現実性を自明ではない」と判断したのかを明示してください。その上で、佐藤氏の言論における「非現実性」を『自明ではない』とされた根拠を、佐藤氏の当該記事の中からそれが読み取れる記載を引用の形でご提示下さい。
- 上記のように(あえて自明という単語を使用して)私の編集を明示するなら、『佐藤氏が』『佐藤氏の考え(出典に示した文献)を根拠に』「非現実性を自明だと論述している」と記述しているつもりです。
- 岩見氏も記載の通り、「本事故のような衝突条件で乗客の生存空間を確保する車両設計」が「非現実的」である、というのは、佐藤氏の論述における結論です。「実現不可能な暴論」という非常に強い言葉で主張していることからも、(LACHESMANではなく)佐藤氏にとって「非現実性」は「自明」であると考えられます。従って私は検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」に従い、佐藤氏の言論に忠実になるように記事を編集しております。「非現実性」という結論の是非、ひいては個人的感覚を排除した科学的な「非現実性」の正誤をここで論じるのは逆に独自研究に該当する行為でしょう。
- 岩見氏は、私の編集における「リスクアセスメント」の引用文献について繰り返し批判されておりますが、その批判の根拠をご提示下さい。「記事内容に直接言及していない著書を引用」することを問題視した、もしくはそれに類するガイドラインをご提示下さい。
- 自身の編集のリバートについては「つまらないミス」によるものです。お詫び申し上げます。
- 岩見氏に繰り返し申し上げます。無根拠、かつガイドライン違反の個人攻撃はおやめ下さい。
- 岩見氏の個人ページにも記載しましたが、文章の推敲をお願いしております。ご対応願います。
- --LACHESMAN 2012年1月25日 (水) 07:50 (UTC)
- 出典欄がスタブ状態の記事をお持ちになってもどうかとは思います。
- >岩見氏のいう「自明」とは何ですか?
- 「非現実性に触れ」という表現は、本来佐藤氏の主張であることを佐藤氏が「全員が了解している前提」を拾ってきたかのように書いているように取れます。それが自明の意味になりますかね(辞書的な意味を意識して使ったことではない)。
- >「非現実性を自明ではない」と判断したのかを明示してください。
- それはためにする質問でしょう。佐藤氏の主張は佐藤氏の主張にしか過ぎないと申し上げたまでのこと、上記の意味から言えば桜井説が存在するのに(しかもここは桜井の記事)佐藤説を単なる一つの主張以上の「自明」(そういって悪ければ佐藤氏以外が受け入れて当然であるかのような)のものとして取り扱う貴方の判断こそが問われるわけです。POVでしょう。それは。
- >佐藤氏の当該記事の中からそれが読み取れる記載を引用の形で
- 自明に対する説明は上記の通りになります。本文での表現「認識に立ち」に対しての要求を含むなら、意味不明としか申し上げられませんね。佐藤氏の書いた説なのだから「認識に立ち」という表現をするに当たり記事から引用しろなどという要求はおかしい訳です。「これは佐藤の説です」というマーキングなのですから。
- >「記事内容に直接言及していない著書を引用」することを問題視した、もしくはそれに類するガイドラインをご提示下さい。
- Wikipedia:独自研究は載せないです。というか、よくもまぁ「記事内容に直接言及していない著書を引用」するためにそんなことが言えたもんですな。しかもその目的は佐藤という、記事が対象とする人物とは異なる人物の説の補強のためでしょう。貴方のやっていることはリスクアセスメントの記事で行うことであり、そもそも貴方の挙げた参考書自体が特定の観点から作成されたものに過ぎません。脱線に繋がるのでいちいち挙げませんが、今般の原発事故では「事故が発生した際の対応策」が「防護策を講じてるので事故は起こらない」という「安全神話」のため軽視された旨批判されていますが?(でなければ今になって慌ててストレステストなんぞしません)。桜井がどこでどんな暴言を言ってようが、この点については事故前から「巨大事故は影響が大」ということで、その手の主張を言ってましたな。
- 出典欄がスタブ状態の記事をお持ちになってもどうかとは思います。
- >*岩見氏に繰り返し申し上げます。無根拠、かつガイドライン違反の個人攻撃はおやめ下さい。
- Wikipedia:個人攻撃はしないに反するコメントをした記憶はございません。貴方のWikipedia及び桜井氏に対する言動を根拠にしたまでのことです。御自身の言動による責は御自身でお取りください。
- >文章の推敲をお願いしております。ご対応願います。
- その件は別途対応します。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2012年1月25日 (水) 17:24 (UTC)
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>辞書的な意味を意識して使ったことではない
不特定多数の人が閲覧する場所で、辞書的な意味を逸脱した言葉を使うことは、議論の妨げになります。お止め下さい。
>佐藤氏の主張であることを佐藤氏が「全員が了解している前提」を拾ってきたかのように
佐藤氏の原典をお持ちでしょうからお読み下さい。佐藤氏の文章が「実現不可能な暴論であることは明らか」とあります。『佐藤氏のいう「明らか」がその他第三者にとって「明らか」でないのにそう読めるのは中立の観点として問題だ』という指摘は一見正当ですが、LACHESMANが「非実現性」が「明らか」と言っているのではなく、佐藤氏が「非実現性」を「明らか」と表現しているのです。そこを読み違えないで下さい。佐藤氏自身が「明らか」と表現している以上、要約にはその文意が残らなければなりません。 原典の文章のニュアンスを故意に歪めたり、他の文献などを引用して検証したり、表現の妥当性を評価するのは、原典の内容の正誤の検証に該当しますから独自研究や検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」のガイドラインに反しますよ、と申し上げているのです。
>佐藤氏の書いた説なのだから「認識に立ち」という表現をするに当たり記事から引用しろなどという要求はおかしい訳です
引用された文献の要旨の表現を変えようとするのなら、他の文献などを根拠とした独自研究を示すのではなく、当該の文献にその根拠=記述がなければならないでしょう。佐藤氏は「明らか」だと言っているわけですから、当然「第三者にとっては明らかでない」などという記述はありません。しかしながらそれを「他の人間には明らかでないから問題だ」と言い張って、佐藤氏の記事の要旨の変更を要求しているのは貴殿です。ですから「そのような主張をするのであれば、当該文献にそのような根拠があるのですよね?」と確認をしたまでです。
>「記事内容に直接言及していない著書を引用」
まずこれに関しては、私が言葉を間違えたことをお詫びします。正しくは「記事対象に直接言及していない著書を引用」することの問題点をガイドラインからお伺いしたい。端的に言えば「桜井氏の記事を記載するのに、桜井氏に言及してない著書を引用してはいけない」ことがガイドラインに定められているのですか?ということです。
- 桜井氏の論点と佐藤氏の論点の違いは、リスクアセスメントにおける「(1)リスク除去措置の優先度の取り扱い方」と「(2)リスク評価結果が相違したときの取り扱い方」と「(3)除去し切れなかった残留リスクをどう取り扱うか」という形でも説明できます(桜井氏がリスクアセスメントに触れていない以上、桜井氏の言論をリスクアセスメントの手法に当てはめて解説するのは独自研究となりますが)。佐藤氏はリスクアセスメントの考えに則って事故防止対策を優先すべき、と論じた。それは原典にも「リスクアセスメント」「事故対策の理念」という言葉があることから分かります。私は当該文献を持っていませんが、岩見氏が提示した文献(高圧ガス)の概要を読む限り、桜井氏は既存のリスクアセスメントの枠に捕らわれないリスク管理の観点を提示した、という解釈もできます。『佐藤氏はリスクアセスメントに則った言論をした。桜井氏は独自の観点を「高圧ガス」にて提示した。』この論点の違いを明確に読者に提示し、記事としての分かりやすさを向上させるための原典の提示であって、佐藤氏の言論に対するPOV補強ではないことを申し添えます。あわせて、福知山線事故を踏まえてJR西日本は「安全基本計画」を策定し、その中でリスクアセスメントに取り組み、またそのレベルを向上させることを宣言していることも申し添えおきます。
- 「リスクアセスメントの記事で行うことであり」については甘受しますが、記事の量として膨大になるため、ひとりで進められるものではありません。
ガイドラインに抵触しないように留意しながら、「非現実性」という言葉を排除して編集しましたのでご確認下さい。
>貴方の挙げた参考書自体が特定の観点から作成されたものに過ぎません
書物というものは、自身の思考を広く知らしめるためにあるものですから、その著者の考えに基づいて書かれているのが当然であり、それを「特定の観点から書かれているから、その参考資料を引用するのはPOV」なんて言ったら、世の中の研究論文など一切引用できなくなります。
>Wikipedia:個人攻撃はしないに反するコメントをした記憶はございません。
記憶がなくとも、このページに大量に記載があります。自身の発言に対する責任は自身で取りますが、その責任の取り方とやらは貴殿に無根拠に下品な言葉で罵られることではないですし、貴殿にその権利はありません。 --LACHESMAN 2012年1月26日 (木) 04:37 (UTC)