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ノート:弥助/過去ログ3

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琳派の画像の除去を提案します

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弥助の位置づけでの論争とはずれるのですが、現在弥助として貼られている琳派の硯箱の画像が弥助であると見なすのは難しいと思われます。 説明を変更されたArtanisenさんに問い合わせましたところ(利用者‐会話:Artanisen)、根拠はトーマス・ロックリーの著作で「可能性」レベルの示唆に留まるそうです。ざっと違和感をまとめてみますと、

  1. 確定的な根拠がない。トーマス・ロックリーですら可能性に留めている。
  2. 服装が明らかに西洋人のそれ。刀ではなく剣を左右の腰に差す南蛮屏風に見られるスタイル。
  3. 頭部は黒いのですが白で描かれることの多い襞襟も黒く右の人物の襞襟が金で(襞襟は黒で表現された作品があります[1]。金の作品もあります[2])、手が右の従者らしき頭部が黒い二人共々金色なので黒人であるかどうかすら判らない。それどころか左の人物の脚部の紋章が同じ紋章で黒・金なので単に金がはがれている可能性すらある。確定で黒は質感の異なる帽子のみに見えます。側頭部に金の名残が見えるので最初はハゲの表現かなと考えたりもしました。
  4. 弥助と仮定すると、信長の家臣時代としては和装ではないし、刀ではなく双剣。奴隷どころか宣教師の従者としても衣服が高位のものに見え、右の人物の態度と合わせてそぐわない。

出典がなければ「侍、武士、小姓、中間、小者、奴隷、従者」のいずれの立場からも不自然な構図であり、確定的な出典を欠く状況で記載を維持するのは無理ではないでしょうか。画像の除去を提案します。--Open-box会話2024年8月26日 (月) 14:43 (UTC)[返信]

(追記)元の画像はアーカイブにも同程度の画像[3]しか残っていなかったのですが、中央部の拡大画像がありました[4]。--Open-box会話2024年8月27日 (火) 00:36 (UTC)[返信]
賛成 賛成します。ロックリー『信長と弥助』147頁でこの硯箱の画像を確認しましたが、画像に付属のキャプションで「弥助らしき非常に背の高い黒人」と書かれているのみで(硯箱の他の人物については「黒人の少年2人を伴ったヨーロッパ人」とあり)、本文中では触れられておらず、弥助であると考えた理由は示されていません。そのため、根拠の乏しい推測と感じられました。
弥助かどうかは抜きにして日本における黒人らしき人物の描写例として掲載するにしても、キャプションを書くための(ロックリー著書以外の)出典がほしいところです。無出典で書くぐらいでしたら画像の掲載ごと取り止めた方がいいものと考えます。--YasuminB会話2024年8月26日 (月) 16:34 (UTC)[返信]
賛成 賛成です。出典元(ロックリー著書)の記載時点で明確な根拠無しで可能性を述べておりますので、明確にその可能性を示す根拠が出てこなければ、根拠無しとして削除するには充分と判断できます。(そもそもWikipediaルール的に根拠無しで削除する分には何も問題は無く、再記載する側に根拠の提示義務が課せられるので)--Geargia84会話2024年8月27日 (火) 08:37 (UTC)[返信]
強く賛成
当時の日本には、ポルトガル人商人やイエズス会宣教師らが、多くの黒人、黒い肌のインド人(ドラヴィダ系?)を連れて来ていたので、全ての黒人の絵が「弥助」になるはずがありません。
一次史料で証拠がなければ、弥助と見なすべきではありませんから、削除すべきです。
当時の日本に、白人たちが黒人を連れて来たという説明で使用する分には良いですが、弥助と見なして説明するのは、明らかに歴史捏造に思えます。--Fhuewjd会話) 2024年8月31日 (土) 11:16 (UTC)--Fhuewjd会話2024年8月31日 (土) 11:19 (UTC)[返信]

1週間の間反対意見が見られなかったため画像を除去しました。--Open-box会話2024年9月3日 (火) 05:07 (UTC)[返信]

カフレ=黒奴=黒人奴隷 の表記について

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ポルトガル語原文ではカフレ(cafre)、和訳では黒奴、の表記をどうするかについてのスレです。

【1】まずはどれい(奴隷)の定義から把握しましょう。

Goo辞書 (出典)デジタル大辞泉https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A5%B4%E9%9A%B7_%28%E3%81%A9%E3%82%8C%E3%81%84%29/

人間としての権利自由を認められず他人の私有財産として労働強制され、また、売買・譲渡対象ともされた人古代ではギリシャ・ローマ、近代ではアメリカにみられた。

ある事に心を奪われ、他をかえりみない人。「恋の—」「金銭の—」


【2】次に、こく‐ど【黒奴】の定義を把握しましょう。

黒人の奴隷。〈和英語林集成

黒色人種を卑しめていう語。


【3】そして問題のカフレ、カフリ(cafre, caffre, Kaffer, Kaffir, Keffir, Kaf)について把握しましょう。


その前に、ポルトガルの奴隷貿易について把握しましょう。 

(出典)黒人奴隷/黒人奴隷制度/奴隷貿易/大西洋奴隷貿易 https://www.y-history.net/appendix/wh0901-054_2.html

・ポルトガルの奴隷貿易の歴史を見るとポルトガルはアフリカで奴隷を買ってアフリカ大陸外の地域に連れて行って奴隷を販売していたことから、アフリカ大陸ではカフレはアフリカ黒人のことであると言えども、アフリカ大陸外にいるカフレのことを黒人奴隷という意味で読んでいたようです。

・ポルトガル領アジアでは、カフレ(カフィール)は軽蔑的な呼び名であり奴隷を意味する用語でした。

(出典) https://read.dukeupress.edu/hahr/article/73/3/361/146025/Manumission-and-Ethnicity-in-Urban-Slavery

”In Brazil, as in Portuguese Asia and Portuguese Africa, negro, prêto, and cafre (Kaffir) were all pejorative terms, often synonymous with escravo (slave).”

⇒「ブラジルでは、ポルトガル領アジアやポルトガル領アフリカと同様、黒人、プレト、カフレ (カフィール) はすべて軽蔑的な用語であり、多くの場合エスクラヴォ (奴隷) と同義でした。」(See Charles Ralph Boxer, Race Relations in the Portuguese Colonial Empire, 1415–1825 (Oxford: Clarendon Press, 1963), 120.)


・日本の地理書・華夷通商考の「カフリ」項でも、アフリカで黒人を捕まえて買い取って(アフリカ大陸以外で)奴隷として使っているという説明があります。

(出典) 華夷通商考 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100246584/66?ln=ja

「大熱国にて人物甚だ賤しく、色黒き事漆の如し。人をあぶり食らうて人倫の作法に非ず。オランダその他の国よりこの国の人間を捕えあるいは買い取って永代の下人に遣う。」


・また、スリランカの西部沿岸にはスレイブ・アイランド(奴隷島)と呼ばれた島があり、元々ポルトガル人が連れて来たカフリ(カフィール)という奴隷に由来します。

(出典) The Present of Past Slaves: The Socio Economic Situation of Sri Lankan Kaffir People (C. Kopinath and H.M.D.R. Herath, Department of Sociology, University of Peradeniya, Sri Lanka)https://arts.pdn.ac.lk/econ/piers2019/Proceedings2015/The%20Present%20of%20Past%20Slaves%20-%20The%20Socio%20Economic%20Situation%20of%20Sri%20Lankan%20Kaffir%20People.pdf

The Kaffir community had its early origins in the slave labor brought into the country from Africa during the colonial period. Kaffirs served as slave people in SriLanka and their music tradition, dance, dressing patterns, their language, and religious practices are unique (Brohier, 1973)

⇒グーグル翻訳「カフィール人コミュニティの初期の起源は、植民地時代にアフリカから持ち込まれた奴隷労働者でした。Kaffirはスリランカで奴隷として奉仕しており、彼らの音楽の伝統、ダンス、服装のパターン、言語、宗教的実践は独特です。」

The term Slave Island is a relic of Portuguese rule (1597 to 1658) when the area housed black African slaves called Kaffirs whom the Portuguese brought from Mozambique.

⇒「奴隷島という用語は、ポルトガル人がモザンビークから連れてきたカフィールと呼ばれる黒人アフリカ人奴隷をこの地域に収容していたポルトガル統治時代(1597年から1658年)の名残です。」

The Slave Island That We Have Forgotten, the place the Kaffirs were sent to was called Kaffir Veldt or Field of Slaves (the present-day Echelon Square).

⇒「私たちが忘れた奴隷島、カフィールたちが送られた場所は、カフィール・フェルトまたは奴隷の野原(現在のエシュロン広場)と呼ばれていました。」

(補足出典) スリランカにおける親権・監護権に関する法令及び関連条文の概要 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100006543.pdf 

「まずポルトガルは 1505 年から、オランダは 1657 年から植民地支配を開始したがセイロン島全島を支配下に置くには至らず、海岸部を中心に支配した


・奴隷解放を祝うイベントは「カフェの祭典」と呼ばれています。

(出典) Celebration of the freedom of Reunion Islanders The Fèt Kaf, when freedom guides the people of Reunion https://ile-de-la-reunion.net/en/events/fet-kaf/

The Fèt Kaf celebrates the end of slavery and bears witness to what all these enslaved men and women went through, so that their history will be remembered. The Creole expression Fèt Kaf means “Fête des Cafres, the Cafres being the descendants of the black slaves of intense island, but this does not mean that it is dedicated only to them, quite the contrary.

⇒「フェット・カフは奴隷制度の終焉を祝い、奴隷にされた男女がどのような経験をしたかを証言し、彼らの歴史が記憶されるようにします。クレオール表現のフェット・カフは「カフェの祭典」を意味し、カフェは強烈な島の黒人奴隷の子孫ですが、これは彼らだけに捧げられるという意味ではなく、まったく逆です。」


【4】二次ソースにおいてもカフレ=アフリカ人奴隷・黒人奴隷と訳されています。

(出典)Interracial Intimacy in Japan, Western Men and Japanese Women, 1543-1900 by Gary P. Leupp, 2003

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004237396

In 1581, a mob in Kyoto broke down the door of a Jesuit residence in their eagerness to see an African slave, who had been born in Mozambique and brought to Japan by the missionary Alessandro Valignano.

⇒「1581年、モザンビークで生まれ、宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノによって日本に連れてこられたアフリカ人奴隷に会いたくて、京都の暴徒がイエズス会の邸宅のドアを破壊した。」


・藤田みどりやロックリーの本を参考文献にしているメディアや知識人の間ですら黒人奴隷という表記です。

(出典)「弥助」ってどんな人? 織田信長に仕えた黒人武士の生涯を歴史資料で追った(安藤健二(Kenji Ando) 2019年06月08日) https://www.huffingtonpost.jp/entry/yasuke_jp_5cfa225de4b06af8b5069109

天正9年(西暦1581年)2月23日に、イエズス会の宣教師オルガンティノが、京都で織田信長に面会した際に、黒人奴隷の従者を連れていった。これは日本側とイエズス会の報告の両方に記録がある。

<信長も黒人奴隷を見ることを望んでいたため、宣教師のオルガンティノが連れていったところ、信長はその色が生まれつきで、後から塗ったものでないことを信じようとせず、帯から上の着物を脱がせた>(ルイス・フロイスの報告「イエズス会の1581年の日本年報」)>

大航海時代の当時、ヨーロッパからインドに向かう船は、アフリカ南端の喜望峰を通過する際に、モザンビークに寄港して食料や飲料水の補給のほか、現地で奴隷を購入することが多かった。弥助もモザンビークからインドに運ばれたが、そこで宣教師に同行して来日していたようだ。


(出典)【戦国こぼれ話】織田信長が登用した黒人武将・弥助とは、いったい何者なのか (渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役) https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d194e53c49a9b820a56755a998831cd6ec13f430

インドから連れて来た黒人の使用人(奴隷)である(『日本教会史』)

当時、ポルトガルはアフリカに進出し、黒人を捕らえて奴隷としていた。弥助もその一人である。

ポルトガルの宣教師とともに商人も日本にやって来たが、豊臣秀吉の時代になると、ポルトガルの商人は日本人を奴隷として購入し、東南アジアなどで売買していた。こうした時代背景があったことも忘れてはならないだろう。


・アサシンクリードシャドーズ発表後のメディアの記事でも黒人奴隷と説明しています。

(出典)ご存じですか? 織田信長が可愛がった黒人サムライ・弥助の「史実での来歴」 本能寺の変の後は不明 https://news.yahoo.co.jp/articles/a3fec957c7bc261c8a9e826fccb3e5674416ae9a

もともと弥助はイエズス会の司祭・ヴァリニャーノがインドで買い求めたアフリカ系の黒人奴隷でしたが、(略)

当時のインドにはすでに巨大な奴隷市場が存在し、インドはポルトガルの支配下にありました。アフリカ東海岸にあったポルトガルの奴隷輸出会社を通じて、黒人奴隷は安価な労働力として世界中に輸出されており、おそらく現在のモザンビーク出身だった弥助も不幸にして奴隷商人の手で捕らえられ、インドまで船底にモノのように詰めこまれて運ばれ、当地でイエズス会の宣教師に買われたという来歴のようです。


・弥助についてはロックリー氏に影響を受けているLopez-Vera氏も弥助は黒人奴隷だったと説明しています。

(出典)Lopez-Vera, Jonathan (2020-06-02). A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan https://www.amazon.co.jp/History-Samurai-Legendary-Warriors-Japan/dp/4805315350

The name given to this black slave was Yasuke (until recently the reason for this was unknown—investigations carried out in Japan not long ago claim his real name was Yasufe) and from then on he always accompanied Nobunaga as a kind of bodyguard. It is worth pointing out that henceforth he was no longer a slave, since he received a salary for being in the daimyō’s service and enjoyed the same comforts as other vassals.

⇒「この黒人奴隷に与えられた名前はヤスケ(最近までその理由は不明でした。つい最近日本で行われた調査により、彼の本名はヤスフェであると主張されました)、それ以来彼は一種の用心棒として常に信長に同行しました。彼は大名に仕えることで給料を受け取り、他の家臣と同じ快適さを享受したので、以後彼はもはや奴隷ではなくなったことは指摘する価値がある。」

(注意:信長に贈呈された後に奴隷解放された旨の記録はありません)


【5】自分の主張に合わせるようにWikipedia編集していた鳥取トム(tottoritom)疑惑のあるロックリー氏の主張

ロックリー氏の弥助は(奴隷⇒非自由民⇒日本に来る前に自由民になり宣教師の護衛という契約労働者になった等と根拠もなく大きく変節)は、支離滅裂なので参考にはなりませんが、ロックリー氏の主張は矛盾点が多く実際の史実に合致しない記述も多く論理破綻していることが多いのと、都合が悪くなれば別の視点に切り替えるという点に注目する必要があります。

(出典)2020年2月付の難民支援協会のインタビュー https://www.refugee.or.jp/report/activity/2020/02/post_501/

「弥助は宣教師の従者であり、自由な身分ではありませんでしたが

(出典)信長が愛した黒人侍「弥助」の謎( 伊東 潤 ロックリー・トーマス 日本大学准教授) https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h2624

ロックリー 「最近の研究でも傍証が見つかっています。東京大学の岡美穂子先生がイエズス会の書簡を読み解いて、ヴァリニャーノがモザンビークで黒人奴隷をもらったという記述を発見しました。ただ、これが弥助本人かどうかははっきりしません。弥助と会ったことのある徳川家康の家臣・松平家忠は、自身の日記に6尺2分(約182センチ)と高身長で、肌の色は「墨のように黒い」と綴っています。モザンビークの人々は意外に背が低く、肌も真っ黒ではなくて茶色です。」

伊藤 「なるほど 特徴が違うと」

ロックリー 「アフリカ各地の民族を分析してみたところ、弥助は北東アフリカにルーツを持つのではないかと考えています。例えば、南スーダンのディンカ族は世界で最も背が高いことで知られ、肌の色も弥助に近い」


【結論】「黒人奴隷」や「アフリカ人奴隷」という表記が妥当でしょう。(カフレや黒奴は蔑称のようです)--Fhuewjd会話2024年7月15日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

WP:SYNWP:NORの違反。「cafre」は奴隷を指す言葉ではない。--やまとぉ会話2024年7月16日 (火) 11:46 (UTC)[返信]
やまとぉさん、違反対象として挙げられているものについて、内部的に事項が分かれておりますので、どれに該当しているかを明記していただけますでしょうか?
違反指摘をしていただけることについては是正となるのでありがたいですが、ただ「違反です」というようなコメントを連投されていては、はたから見ればいちゃもんを付けていると捉えられかねません。
また、Fhuewjdさんは実際に引用した上で意見をされているので、やまとぉさんも同じように自身の意見を裏付ける資料(今回の場合は「cafre」が奴隷とを指す言葉が適切でないと言える根拠)を提示されるのがよろしいかと思います。
それがされないようでしたら、それこそWP:NOR(他の概念や理論論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。)に違反される行為であると言わせていただきます。--Geargia84会話2024年7月16日 (火) 15:48 (UTC)[返信]
返信 【2】について、『和英語林集成』に「黒人の奴隷」という意味があるという情報は助かります。明治学院大学図書館の「和英語林集成デジタルアーカイブス」を見ますと、明治19年(1886年)の第3版に「A negro slave.」とあることが確かに確認できますね([5])。明治11年の『日本西教史』における「黒奴」という訳語は(当時もう一つの意味があったとしても)この意味を念頭に置いていたことは間違いないでしょう。
【4】から、多くの人が弥助を奴隷だったと認識していることは把握できました。ハフィントンポストのものなど非専門家による記事は避けた方がよく、渡邊大門氏もyahooの記事より著書等を利用することが望ましいですが(渡邊氏のyahoo記事は史実に忠実であろうとするものと、俗説をそのまま流すものが混在していて扱いに注意が必要です)、奴隷だったと書く必要がある場合、出典を付記してそれを書くことは可能です。
そのうえで、「cafre」やその訳語である「黒奴」をあえて「黒人奴隷」や「アフリカ人奴隷」に置き換える必要はないと思います。cafreは黒人奴隷やアフリカ人奴隷全般を指す言葉ではないですし、他の節でも触れたように奴隷以外も含む言葉です。現在の記事では『イエズス会日本年報』からの引用の中で「黒奴」が登場しますが、これと同様に、文献からの引用という形で「cafre」「黒奴」をそのまま使用すべきであると考えます。--YasuminB会話2024年7月15日 (月) 15:15 (UTC)[返信]
当時なんと呼ばれていようが、現代の定義に基づいて奴隷となるならば奴隷と表記するべきです。「戦国大名」「織田信長」「宣教師」「イタリア」などなど、当時使われていなかったというのはほとんどの名詞に当てはまるかと思います。ですが当時の呼称に寄り添っていては現代人には解読困難な文章になってしまうため、わかりやすさを優先して現代の呼称、概念を当てはめるという形で記述が行われています。そのうえでなぜ「奴隷」という単語の使用についてのみ拒否感を示されるのでしょう? 具体的な理由をご説明ください。--George1425会話2024年7月22日 (月) 20:50 (UTC)[返信]
ここここで述べましたように、弥助を「奴隷」だったと明記した出典(Wikipedia:信頼できる情報源)があればそれを出典に提示して「奴隷」と書ける、なければ書けないというのが私の立場です。George1425さんの挙げられた他の言葉についても出典に書かれていれば使用できる、書かれていなければ使用できないとなります。この箇所後半にある加筆案1点目で、弥助の出身地を現在の記事にある「ポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)」でなく単に「モザンビーク」としたのも、出典に書かれたのが「モザンビーク」だけだからです。
出典とする文献に明記されていなくてもある程度自明なことであれば書いてよいとする人もいるでしょうが、この記事では1つ2つの単語の使い方で編集合戦が起きていますので(例えば#2024年7月3日 (UTC) に行った編集について冒頭で触れたように、導入文から「奴隷」が除去されたのを、私が元の「奴隷」を含む記述に差し戻したことがきっかけで編集合戦が発生しました)、出典はできるだけ厳密に用いていく方向にしたいと考えています。--YasuminB会話2024年7月23日 (火) 05:34 (UTC)[返信]
それではこの記事に使われている全ての単語について出典を全て明らかにし、また見つからないものは全て当時用いられていた言葉に書き換えるよう働きかけてください。「奴隷」という単語だけに反応しているあなたの現在の姿勢はダブルスタンダードです。--George1425会話2024年7月23日 (火) 07:50 (UTC)[返信]
それはスピード違反の論理であり無茶な要求です。そもそもYasuminBさんは「当時用いられていた言葉を使うべき」と主張しているのではありません。「「奴隷」という単語だけに反応している」のは他の箇所が論争になっていないからでしょう。それがダブルスタンダードだというならここにいる全員ダブルスタンダードですよ。--フューチャー会話2024年7月23日 (火) 09:07 (UTC)[返信]
「当時用いられた言葉を使うべき」ではないなら論点を示してほしいものです。現代において奴隷とは自由意志を尊重されずに売買される存在のことを指し、その定義に基づけば弥助を奴隷と呼ぶのは自明である点、YasuminBさんも反論されておりません。「宣教師から信長に進呈された」と書いた時点で「奴隷」と書いたのと同じことです。にも拘らず奴隷という語を用いることを固辞されるようだと、表面的な言葉遣いを問題にされているのだと理解するほかありません。違うというのであれば具体的な理由をお願いします。--George1425会話2024年7月23日 (火) 10:14 (UTC)[返信]
YasuminBさんの論点は「出典に従うべき」ではないでしょうか。「表面的な言葉遣いを問題にされている」というのはまさにその通りだと思います。--フューチャー会話2024年7月23日 (火) 10:37 (UTC)[返信]
弥助に関する「奴隷」「武士(侍)」については、まさに表面的な言葉遣いを問題にしています。それらの言葉の選択によって編集合戦が二度も起きているからです。双方に共通するルールとして、(特にそれらの言葉については他の言葉以上に)信頼できる情報源に従うということを徹底しない限り、一向に話が進みません。ですので、この点ご了解いただきたいと思います。
もう一点、史料に記された当事者の言葉が必ずしも正しいとは限りません。そのため史料を元に我々Wikipedia編集者が解釈・判断するのではなく、信頼できる情報源における解釈を採用する必要があると思います。--YasuminB会話2024年7月23日 (火) 14:23 (UTC)[返信]
双方がルールに納得しなければ共通するルール足り得ませんが、現状の記事の様子を見るにそのような合意が形成できるとも思えません。編集合戦の発端となったSymphony Regaliaさんは一方的に主張を展開するのみで議論に参加しておらず、意思が確認できません。また表面的な言葉遣いに拘泥するというのはwikipediaの慣例に反する特例措置です。編集合戦を理由にした特例の導入はこの記事に於いて悪しき前例となる可能性があります。--George1425会話2024年7月24日 (水) 16:16 (UTC)[返信]
編集合戦後のノートでの議論では双方独自研究による主張を行っていたので、独自研究を排した信頼できる情報源のみに基づくという方法に問題解決の糸口を見出そうとしたわけです。これが共通のルールだから従ってくれと殊更には言っていませんが、信頼できる情報源に基づかなければいけないことは度々言っています。そのうえで議論を行おうとせず闇雲に反対するだけという人は、コミュニティを消耗させる利用者としてゆくゆくは投稿ブロックとなる可能性だって当然あります。
表面的な言葉遣いの件について、私としてはこの節ではFhuewjdさんが書かれた内容に対して自分の意見を述べただけで、それで合意形成を図ったというものではありません。記事の具体的な編集内容については下の節にあるように、事前に議論を行うとあります。その議論において、例えば現在の本文で「奴隷」を含む箇所を「奴隷」を含まない内容の文に変更する案が提示された時にそれに反対するだとか、含まれていなくても文章に問題なければ賛同していただくだとか、その時その時に判断していただく形でもいいかと思います。--YasuminB会話) 2024年7月24日 (水) 19:20 (UTC) 誤記修正。--YasuminB会話2024年7月24日 (水) 19:24 (UTC)[返信]
単に同義の表現の間での表面的な言い換えを「独自研究」と見做すのはwikipediaの慣例ではなく、YasuminBさんは「独自研究」という言葉を主張の権威付けのために濫用しておられます。あなたはwikipediaの慣例を厳守することを主張しておられるのではなく、調停のために慣例を無視して特例を設けることを主張しています。まずはこの点整理したうえで改めて議論を提起なさるべきだと思います。--George1425会話2024年7月26日 (金) 03:13 (UTC)[返信]
  1. そもそもの話として、弥助について「奴隷ではなかったかもしれない」という説を見ているので、私としては奴隷と書かれていないものを奴隷と書くことに賛同できないというのがあります。
  2. おそれいりますが、ここで話題となっているWikipediaの慣例についてどこか書かれたページ等はありますでしょうか。
--YasuminB会話2024年7月26日 (金) 16:57 (UTC)[返信]
>>弥助について「奴隷ではなかったかもしれない」という説を見ているので、私としては奴隷と書かれていないものを奴隷と書くことに賛同できないというのがあります。
上記は、Wikipedia:独自研究は載せないに反していると思います。
まず、カフレの定義で弥助が奴隷だったかどうかが決まるわけではありません。カフレは黒人や黒人奴隷の意味を含有するものだったからです。
弥助が「宣教師の奴隷」だったという根拠は、家忠日記にある「宣教師から進呈された黒男」という記述です。奴隷の定義は譲渡や売買の対象ですから、弥助が信長に進呈(献上)されている時点で奴隷の定義にドンピシャなのです。
この状況証拠(史実)を元に、圧倒的多数の歴史家や歴史学者や作家らが、弥助を宣教師の奴隷として表現してきたのです。
弥助が信長に献上された後に奴隷のままだったかどうかは分かりません。分からない部分は書く必要がないと思いますが、弥助と秀吉の一番の違いは、秀吉は自由意志で信長に忠誠を誓い仕えたのに、弥助は宣教師に献上されて信長に仕えることになったことです。この違いを無視してはいけません。弥助があたかも自分の自由意志で信長に忠誠を誓って使えるようになったという誤解を与えるような書き方はいけません。史実に反します。
話すと長くなりますが、まとめると、一次史料にある「弥助は進呈された」という記述が、弥助を「宣教師の奴隷」と書くべきだという根拠になります。--Shimabara2024会話2024年8月18日 (日) 07:56 (UTC)[返信]
──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 (Shimabara2024さん宛) 新たに何かを記載するという話や既に記載された内容を残すかどうかという話ではないので、「独自研究は載せない」はちょっと違うかなと思います。また「奴隷ではなかったかもしれないという説」はロックリー『信長と弥助』にあるものなので、それを出典に用いて書いたとすれば独自研究にはなりません(ただし「ロックリー氏著書等の扱いとそれに基づく加筆について」で結論付けたように、私は記事に『信長と弥助』を使用しませんが)。
私の主張は「『奴隷ではない』と記載する」でなく、「『奴隷』または『奴隷ではない』と記した信頼できる情報源がない限り、『奴隷』とも『奴隷ではない』とも書かない」ということです。ここでの「信頼できる情報源」はWikipedia:信頼できる情報源#歴史にあるように、専門家によって書かれたものを指します。それらにないこと、ここでは史料や信頼できる情報源にない「弥助は奴隷身分だった」ということを書くことは独自研究となると考えています。すぐ上で書かれているGeorge1425さんは「弥助が進呈された」という記述を元に「奴隷」と書くことを同義の書き換えであるとおっしゃっており、Shimabara2024さんもそれに近い考えかと思いますが、私には書き換えと呼べる範囲を超えていると感じられました。
以上はWikipediaのルールに基づく話ですが、以下私見を含む内容を述べます。弥助が進呈されたという旨のことは『家忠日記』の他、ルイス・フロイスが記した年報([6] 258頁後ろから5行目「ビジタドールが信長に贈つた黒奴」)にもあります。『家忠日記』については、筆者の松平家忠の認識として実際宣教師から「進上」されたものだったのでしょう。しかし、フロイスの記述については私としては疑問があります。弥助が信長からの要求で譲られたのかどうかは分かりませんが、仮に信長から求められたとすれば、弥助が奴隷身分でなかったとしても物のように引き渡さざるを得ないのではないでしょうか。その場合、見栄を張って自分たちから贈ったかのように記述する可能性や、元々弥助がそういう身分だったかのように書く可能性もあるのではないかと思います。もちろん信頼できる情報源にないこのようなことを記事に書いたとすれば、それは独自研究に他なりませんが、実際に記事に書く内容を考えるに当たってこのようなことを考えるのは自由です。
ここまでの話は信頼できる情報源に弥助を「奴隷」と明言したものがない前提の話です。Shimabara2024さんは歴史学者らが弥助を奴隷として表現したと書かれていますが、直接的に「奴隷」と書いた文献がありましたらご教示ください。私もそれに当たってみたいと思います。--YasuminB会話2024年8月18日 (日) 13:03 (UTC)[返信]
返信 落ち着いたらその辺の合意形成一回やっときますかね?(取り敢えずこのノートで出て来たもので自分が認識しているものを以下にまとめる)
  • 日本に来た時
    1. 付き従えた(身分の明記無し)
    2. 奴隷
    3. 護衛または従者
  • 信長に仕えている時
    1. 家臣(身分の明記無し)
    2. 武士
    3. 中間
    4. 側仕え
    5. 側近
これをパターン1-1とかで組み合わせで表記決めるみたいな感じで--Geargia84会話2024年8月19日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
返信 ノートでその辺りの合意形成を図るのはあまり意味ないかなと思います。自分の考えを含めて語っていいとなったら合意形成できるとは思えませんし。
ロックリー氏著書等の扱いとそれに基づく加筆について」で既にやった方式で、三大方針(独自研究は載せない、中立的な観点、検証可能性)の制約の下、実際に記事に書く内容の案を出して、それに賛否を募ってという方が早いと思います。私の方では案も準備中ですし。三大方針に従えば、少なくとも最大公約数的な合意点は見つけられるものと思っています(あの時は①②③の投票みたいになってしまいましたが、実際に見ていただきたかったのは個々の加筆案の内容でしたので、次はそちらを見ていただく方向で…)。--YasuminB会話2024年8月19日 (月) 13:49 (UTC)[返信]
返信 では、各々で加筆したい内容について提案していくって感じですかね?ぶっちゃけほとんどの節がめちゃくちゃなので、一旦仕切り直した方が良いような気がしているんですよね…(もちろん、有用な部分は引用もしくは転記する必要はありますが)--Geargia84会話2024年8月19日 (月) 15:31 (UTC)[返信]
返信 出典が付いていない文章も多いので、私も一旦全面的に改訂する必要があると思っています。ですので私が作成中の案というのも生涯節全体に関するものですね。今のところ、こういう形で作成していて、もう少し修正・加筆してから正式に加筆案として提案します。--YasuminB会話2024年8月19日 (月) 22:03 (UTC)[返信]
返信
>>「奴隷ではなかったかもしれないという説」はロックリー『信長と弥助』にあるものなので、それを出典に用いて書いたとすれば独自研究にはなりません
*ロックリーの自説は史料の根拠がなく信憑性がないという理由で採用しないという結論が編集者コミュニティから出ていたと思います。
以下は全てYasuminBさんの独自研究です。
・筆者の松平家忠の「認識」
・「弥助が奴隷身分でなかったとしても物のように引き渡さざるを得ないのではないでしょうか。」
・「見栄を張って自分たちから贈ったかのように記述する可能性」
・「元々弥助がそういう身分だったかのように書く可能性もあるのではないか」
*ウィキペディアにYasuminBさんの独自研究内容を反映させるのは、「Wikipedia:独自研究は載せない」に反しています。
*考えるのは自由ですが、一次史料等の提示もなく同じ意見を繰り返し繰り返しコメントしていらっしゃいますので、Wikipedia:妨害的編集 になり得ます。
ーーーーーーーーーー
ちなみに、8月28日放映のNHKの高校生講座で弥助を紹介していましたが、弥助は「ヴァリニャーノが連れてきた黒人奴隷」と解説されていました。
>>また、信長は天正遣欧使節に関わったヴァリニャーノが連れてきた黒人奴隷を気に入り、
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/nihonshi/contents/resume/resume_0000000584.html
どんなにロックリー史観に影響されようが、家忠日記にある「宣教師から献上された」という史実が最優先されるため、「弥助は宣教師の奴隷だった」と解説する専門家が圧倒的に多いです。--Fhuewjd会話2024年8月31日 (土) 12:07 (UTC)[返信]
返信 (利用者:Fhuewjdさん宛) 私の主張は上で述べた通り(「奴隷」と書かれた出典がなければ書くべきではない)ですので繰り返しはしませんが、一点言いますと、Wikipediaで優先すべきは原則的に「二次資料」です(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)。ここでの「二次資料」は信頼できる情報源に該当するものと読み替えてください。Fhuewjdさんは「一次史料等」とおっしゃっていますが、一次史料の優先度は下がります。また一次史料を挙げて自説を述べれば、結局は独自研究を述べることになります。本節で議論される「奴隷」については、私にはそういう独自研究に思えます。
記事を編集するうえでどうしても「奴隷」と書かなければいけないのなら、何が何でも「奴隷」と明記した出典を探さなければいけませんが、その必要も特に感じられません。普通に編集すれば宣教師に連れてこられた従属的な存在であったと分かる文章になるでしょうし、弥助についてはそれだけ分かれば十分にも思えます。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
 追記 見落としていましたが、ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷』増補新版30頁の「カフル人」についての説明の中で「織田信長が所有し、家来に取り立てた「弥助」という黒人奴隷」という記述がありました。このように出典があれば「奴隷」と書くことは可能になります。ただ、この本のテーマは日本人奴隷であり、弥助について十分な検証が行われているかどうか不明なため、弥助の地位をめぐる議論で大きくは取り上げにくいと思われます。さらには宣教師の奴隷でなく織田信長の奴隷とされている(宣教師の下にいた時奴隷かどうか明記されていない)ので、これもまた扱いが難しいという状況です。なお、増補新版で追加された「補章」214-215頁にも弥助についての記述がありますが、そこでは「彌介」と書かれ、本全体で表記が統一されておらず(初版時点)、弥助の扱いがおざなりな本という印象が拭えません。--YasuminB会話2024年9月4日 (水) 04:16 (UTC)[返信]
なんか前提条件全部ひっくり返すようなことを提示してるサイトをyoutubeのコメント欄で教えてもらったのですが、この方の論拠になっているイエズス会の書簡の原文を確認できる方っていないでしょうか…
https://seesaawiki.jp/yasuke_historical_record/--163.51.101.30 2024年7月22日 (月) 01:10 (UTC)[返信]
「イエズス会の記録」にあるフロイス書簡のことでしょうか。1581年10月15日付のものが含まれるとしたら、村上直次郎訳註の『耶蘇会の日本年報 第1輯』(拓文堂、1943年)や松田毅一監訳の『十六・七世紀イエズス会日本報告集』第3期第5巻第6巻(同朋舎出版、1991-1992年)になるのでしょうが、これらには収録されていませんね。
実際にあれば大発見となりますが、Wikipediaにその内容を反映させるためにはそれを扱ったWikipedia:信頼できる情報源を経由させる必要があるので、ご注意ください。--YasuminB会話2024年7月22日 (月) 03:14 (UTC)[返信]
そうですね、現時点で反映させるつもりはありません、編纂や翻訳を介した資料では内容に変化が出てダメなようですので原本がどこかで公開されない限りは上記のサイトの内容検証をすることもできないですし…
なので原本あたれる人がここにいれば上記のサイトの検証してくれるかな、と思った次第です--163.51.101.30 2024年7月22日 (月) 23:49 (UTC)[返信]
なんだろうな、内容をチェックしたら、後は全部これでいいんじゃねぇかな。ちょっと素人にはたちうち出来ないです。むしろ無料で読んで良いのか?まであるかもしれん。--240B:11:C202:6000:45B2:BA3B:30FD:A881 2024年7月25日 (木) 13:37 (UTC)[返信]
コメント こちら、AIで生成された内容ではないかという説がXでありました。https://x.com/laymans8/status/1816471149372682576
宣教師史料に記載の、明智方が弥助のことを獣で何も知らず日本人でないからこれを殺さず、と言ったという話をなぜか司馬遼太郎による創作だとしていたり色々変なところがあったのですが、AIが作った文章だとしたら納得ですね……。--YasuminB会話2024年7月26日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
マジですか…確かに原文の出典がどこにもないので気にはなってたんですが…
まぁ翻訳過程や編纂過程での内容の変化は普通にあり得ることなので、というかロックリーがやらかしてますし、多方面からの文献の検証ってのは必要ですね
それにしても怖いなぁ、AI--240B:253:D000:200:919D:66A1:33FB:8203 2024年7月26日 (金) 13:00 (UTC)[返信]

「弥助」編集におけるルールについて

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本ページ「弥助」では、「当該ページで多発している編集合戦への対応についてのルール提案」節での議論に基づき、以下のルールが定められています。「弥助」の編集にあたっては必ず目を通し、遵守してください。

  1. 疑問、不満がある場合は必ずノートにて議論を行う
    1. すでにある場合はそちらに返信を行う
    2. 片方の意見を押し付けず、互いを尊重しつつ議論を行う
    3. 異論を挙げる場合はただ反対することはせず、それに類する根拠となる資料を提示する
    4. 激しい対立が予想される議論で根拠として提示する資料はWikipedia:信頼できる情報源であること(通常の議論において補填として提示する場合はその限りではない)
  2. 議論にて確定した内容のみを反映する
    1. 大前提としてWikipediaのルールに則って編集すること
    2. ルール適用期間中は半保護の依頼を行う(ただし、本ルールの適用期間の延長の際にはすぐ延長申請はせず、期限が近くなった際に差分の延長を申請すること)
    3. 議論されていない内容による編集はNG(無言編集は論外)
    4. 結論が出ていない内容については反映しない
    5. 閲覧時間の差異を考慮し、議論開始から1週間様子を見る
  3. 上記に反する行為が確認できた場合は対象の利用者への注意を行い、編集を差し戻す
    1. 注意は対象の利用者ノートもしくは本ノート上にて明示的に行う
    2. 差し戻しについてはノート上にて本ルールに従い差し戻しが必要である旨を記載し、対象の利用者への注意の有無も併記する
    3. 差し戻しの実行者は可能であれば上記記載者とは別の者が行い、なるべく個人間での諍いにしない
    4. 差し戻しの実行者は1日に3回を上限とする(荒らしへの対応は3RRの規則上対象とはならないが、念のため)
    5. 差し戻し対象履歴は結論が出た内容による編集結果時点もしくは2024年8月11日の全保護解除時点とする
  4. 上記の編集ルールに対して繰り返し違反行為が認められ、かつ再三の注意にも応じない利用者には投稿ブロック依頼を行う
    1. Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者として依頼する予定
    2. こちらで宣言をした上で依頼を行うこと(多重依頼、悪用の防止の為)


適用期間:

以下の条件に当てはまる事象を起点として1年間とする

  • 編集合戦による全保護の解除
  • 違反行為による投稿ブロック依頼

--YasuminB会話) 2024年8月11日 (日) 07:41 (UTC) ルール提案節のリンク修正。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 13:10 (UTC)[返信]

反対 この提案に反対です。現状維持による妨害行為という規則の悪用の一種だと思います。--Asakasarin会話2024年8月11日 (日) 12:23 (UTC)[返信]
返信 (Asakasarinさん宛) では、ほかに、編集合戦を防止する有効な手段があるのでしょうか?--AIMOF会話2024年8月11日 (日) 13:30 (UTC)[返信]
返信 (Asakasarinさん、AIMOFさん宛) すみません、本節はあくまでルールの掲示を目的としたものになります。本ルールについて変更等の意見があれば新規で節を作成し、議論を行っていただきたく思います。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 13:38 (UTC)[返信]
コメント 編集合戦を避けるためには、やむをえない対処と思います。現状、論争がある事柄について、事実として記そうという、中立的な観点に違反すると考えられる主張をなさる方が多いため、多少極端なルールとなってしまってもやむをえないと考えます。--AIMOF会話2024年8月11日 (日) 13:30 (UTC)[返信]
反対 反対です。Asakasarinさんのおっしゃる通りです。--やまとぉ会話2024年8月11日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
返信 (やまとぉさん宛) あの、同人に対するコメントは確認されてますでしょうか?「ここでは議論をしないで欲しい」と言っています。
また、本ルールについては期限内に多少のルールに対する調整意見が有れど、(このノートでは非常に珍しく)反対意見が一切ありませんでした。その為、合意形成としては正しく行われているものと思われます。
因みにAsakasarinさんにもお伝えしていますが、本ルールは「同意形成されたもの」であり、それを変更するのであれば新規で議論を行う必要があります。その旨ご留意ください。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 13:51 (UTC)[返信]
コメント 本件について流石に限度を超えていますのでコメント依頼を準備してきます。--YasuminB会話2024年8月11日 (日) 14:11 (UTC)[返信]
 追記 準備できるまでに時間がかかると思う(最大で数日?)ので、あまり身構えずにお待ちください。--YasuminB会話2024年8月11日 (日) 14:34 (UTC)[返信]
報告 本ページに関わることなのでここにも報告しますが、Wikipedia:コメント依頼/Symphony Regaliaにて、数名の方を対象としたコメント依頼を提出しました。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 07:57 (UTC)[返信]
報告 コメント依頼の対象となっていた6ユーザー(Symphony Regaliaさん、やまとぉさん、Asakasarinさん、空に帰るさん、にゃんぱすーさん、MuramasaXさん)について、無期限ブロックとなりましたので報告いたします(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Symphony Regaliaほか)。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 02:42 (UTC)[返信]


---- 差し戻し報告 ----

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本セクションは議論せずに編集を行った人(以降「該当者」)、差し戻し予定時刻を記載していくものになります。 基本的には以下のような流れで記載してください。

  1. 以下の形式で対象の報告を記載する
    記述例)
    ○○さんにより議論がなされていない編集が行われました。○時に「YYYY年M月D日 (X) h:m‎ 」版まで差し戻しを行います。
    情報 予定時刻は最低でも1時間程度は見てください
    情報 差し戻し対象の版は「2024年8月11日 (日) 07:59‎」を基本とし、以降は議論なされた上での編集版を基点として下さい
  2. 該当者のノートへ以下の内容を含めた上で注意勧告をして下さい。
    • 該当者の編集が「議論せず編集する」ことはノート:弥助#「弥助」編集におけるルールについてにあるルールに沿ったものでないこと(別の理由で差し戻す場合も違反理由を具体的に記述する)
    • 該当者の編集が上記ルールに則ったものでない為、○時に差し戻しを行うこと
    • (初回以外)これがN回目の注意勧告であること
  3. 予定時刻になったら差し戻しを実施し、結果を報告コメントに返信する
    情報 予定時刻が過ぎ、他の編集者により差し戻しが実施されなかった場合は報告者本人が差し戻しを実施してください。(予定時刻のから30分程度は様子見てください)

--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

第1ターン
下記数名により議論がされていない編集が行われた為、「2024年8月12日 (月) 03:00 UTC(日本時間同日12時)」に差し戻しをお願いいたします。各該当者に対しての注意勧告はこれより行います。
Asakurahikariさん
ND0426さん
Shimabara2024さん
にゃんぱすーさん
空に帰るさん
差し戻し対象:2024年8月11日 (日) 07:59時点の版になるよう差し戻してください
※履歴汚染防止かつ3RR違反防止の為、同版の記述で全上書きしてください--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 00:41 (UTC)[返信]
Geargia84さん、断面という言葉はWikipediaでは一般的でなく分かりにくいかと。○○(日時)時点の版、○○(ID)版などの言い方がいいかと思います。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 01:05 (UTC)[返信]
返信 ありがとうございます。以降はそのようにいたします。
※上記はこの後直します。
また、該当者の方達へ注意勧告を行いました。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 01:08 (UTC)[返信]
報告 差し戻しました。それにともない、予定していた告知テンプレートの貼り付けも行いました。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 03:40 (UTC)[返信]
第2ターン
空に帰るさんにより議論が行われていない編集が行われたため、2024年8月12日 (月) 06:00 UTC(日本時間同日15時)に2024年8月12日 (月) 03:39(UTC)版に差し戻しをするよう依頼します。なお該当者への注意はこれから行います。--タラソ会話2024年8月12日 (月) 04:36 (UTC)[返信]
報告 該当者への注意勧告を行いました。--タラソ会話2024年8月12日 (月) 04:52 (UTC)[返信]
報告 差し戻しました。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 06:17 (UTC)[返信]
報告対応ありがとうございます。今回、巻き込まれる形で差し戻しが行われたJ6rov6さんの編集については追走という形でノートへ注意勧告を行います。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 06:24 (UTC)[返信]
× 現状維持による妨害というWikipedia:記事の所有権に反する行為になります。--Asakasarin会話2024年8月12日 (月) 05:39 (UTC)[返信]
第3ターン
報告空に帰るさんにより議論が行われていない編集が行われたため、2024年8月12日 (月) 09:00 UTC(日本時間同日18時)を目途に2024年8月12日 (月) 03:39(UTC)版に差し戻しをするよう依頼します。なお該当者への注意はこれから行います。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 06:47 (UTC)[返信]
報告 該当者への注意勧告を行いました。前回までの文章を削除されていたようですので、テンプレートを追加しております。また、同人は既に3回目となっており、これ以上は荒らしとして認定せざるを得なくなる旨の警告も行いました。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 06:58 (UTC)[返信]
報告 差し戻しました。--タラソ会話2024年8月12日 (月) 10:04 (UTC)[返信]
返信 対応いただき、ありがとうございます。
そして、申し訳ありません。編集合戦をさせない為とか豪語しておきながら全保護3か月となることを止めることができませんでした。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 11:14 (UTC)[返信]
相手が最初からそのつもりですからどうしようもないですよ。--Lutepatious会話2024年8月12日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
編集合戦と見なされてしまったのは残念でしたが、仕方ありませんね。差し戻しの方法などについては多少見直した方がいいかもしれませんが、今はコメント依頼の経過を待ちつつ、ゆっくり考えましょう。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 12:55 (UTC)[返信]

コメント

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反対 個人の意見ですが、私も反対です。理由は規則の悪用だと思います。 また、提案者のGeargia84さんはつい最近多重アカウントの使用が理由でブロックされたことがあります。--MuramasaX会話2024年8月11日 (日) 16:43 (UTC)[返信]

返信 理由については「当該ページで多発している編集合戦への対応についてのルール提案」でのあなたの発言に対し述べておりますのでそちらを確認下さい。
また、個人攻撃に類する発言はおやめください。今後、同じような発言をされるのであれば相応の対応を検討させていただきます。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 16:58 (UTC)[返信]
個人攻撃ではなく事実なんです。--MuramasaX会話2024年8月12日 (月) 01:39 (UTC)[返信]
返信 はい、時事であることは間違いありません。ですが、それが本件に関係しないことであり、あなたが私に対する他の方の印象を悪くするという行為が許されるものではありません。
こちらにも我慢の限界というものが有りますので、これ以上続けることはお止めください。
これを最後の警告とさせていただきます。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 02:05 (UTC)[返信]

反対 これはGeargia84さんとYasuminBさんによるルールの悪用かつWP:OWNの明白な違反なので反対です。

行動

1. ある記事について、レイアウト修正・画像挿入・言い回しの推敲といった細部の変更についてであっても毎回異議を申し立てる。それが明確的か暗黙的かに関わらず、その記事への加筆前に「内容査読権」を主張する編集者がいる。(明確なフォーマットエラーの機械的修正等は除く)。

2. その記事はたとえ正当な編集内容であろうと、ある編集者によって頻繁に特定の版にリバートされている(定期的かどうかは様々)

3. 他の編集者のノートに対して、更なる加筆を思いとどまらせるようなコメントを残す。形式は様々で、ただ単にネガティブなだけな発言、脅迫や侮辱を含む発言、ある記事テーマ関連について編集を禁止させる発言など。過激な例では、私有化した編集者が他の編集者をひいきしたり、他の編集者の執筆範囲に対して、「きみはその記事を編集する為に必要となる深い知識が欠如している」などの異議を唱えたりする(上記1、2項も参照)。

--Symphony Regalia会話2024年8月12日 (月) 04:38 (UTC)[返信]

返信 (Symphony Regaliaさん宛) あなたのように歴が長い方がそのような行為をされるのは残念で仕方がありません。
以下、箇条書きで失礼いたします。
  • ローカルルールの制定理由について
    そもそもの発端は「弥助」ページにおける編集合戦になります。それにより二度に渡って全保護となっており、このままでは無期限全保護がされる可能性もあり得ます。それを未然に防ぐ為、本ルールの制定に至っています。
  • 本ルールの合意形成について
    当該節にて、ルールの調整を含めて意見を求め、期限日まで反対意見は1件もありませんでした。そして、合意形成の宣言までの間にあなたを含め昨日今日反対と意見し始めている方達(新規を除く)は別の節の議論に参加されているため、意見を求める期限としても適切であったと考えます。
  • 議論を経ていない記事の差し戻しについて
    そもそも編集合戦が勃発しているページにおいて、なぜ編集合戦が起きるのかを今一度考えていだたきたいです。主張が対立している状態で異なる内容を反映することの方が問題行為であると思われます。また、あなたが述べている2番についてですが、どちらかというとあなたと同じ意見をされている空に帰るさん、それを擁護されているAsakasarinさん等の方が該当するものと思われます。
  • 他の編集者のノートにコメントを残すことについて
    こちらについて、編集者が反映した内容を差し戻す際、それには正当な理由が存在することを対象者および管理者へ知らせる意図があります。確かに、編集を委縮させる可能性のある行為であることは認めますが、本ルールを知らずに行ってしまった可能性もあるので、最低限通知が行く可能性のある場所で知らせる必要があると考えています。
  • 「内容査読権」の主張について
    こちらについてはルールの前提が含まれていないのかと思われますが、このルールによって反映を止めさせる対象は「誤った内容の記事」ではなく「編集合戦が起こりうる内容の記事」となります。ルールの方針意図を誤って読み取られているようですので、お知らせいたします。
  • ルールの悪用について
    あなたが主張されるWP:OWN違反指摘についてですが、確かに自分の対応は同Wikipediaルールに記載されている行為に近いことをしていると思われます。ただ、自分はこのページを所有化している認識は無くこれからもするつもりはありません。何度も述べますが、私が主張しているのは「編集合戦をするな」であり、「編集合戦をするくらいなら議論したものだけ載せろ」というものです。編集合戦が起きている状況で議論せずに同じ内容を当て続ける行為こそがWP:OWN違反になりうるということにご留意ください。
    因みに、今回のそのようなルールの表面だけを基に違反指摘をされる行為の方がWikipedia:規則の悪用に該当するということも併せてご留意ください。
--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 06:16 (UTC)[返信]
返信 (Symphony Regaliaさん宛) Geargia84さんと私の名前だけを挙げておられますが、本ルール制定の議論には、TanukisannさんやLutepatiousさん、IPユーザーの240B:11:C202:6000:14BA:FDCC:F704:6980さんに240B:11:8961:CA00:3CFA:C152:4EE0:B7F0さんも加わり、その上で合意形成されたものです。こうした事実を無視するのは皆さんにも失礼ですのでお控えください。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 12:01 (UTC)[返信]
編集のやり方に関するガイドラインはすでに存在しています。編集者の2人~3人がルールを作ってコミュニティの合意を覆すことはできません。--やまとぉ会話2024年8月14日 (水) 03:12 (UTC)[返信]
返信 その件については既に回答済みです。それを無視して同じ発言を繰り返すのは荒らし行為と見られる可能性がある為、お止め下さい。
その上で質問致しますが、あなたが指すコミュニティとはどこまでなのでしょうか?このノート上ときう意味でしたら、きちんと期間を設けて合意形成を行っているので、問題は無い認識です。日本語版Wikipediaという意味でしたら、ルールを踏まえた上で提案に踏み切っているので、同じく問題は無い認識です。--Geargia84会話2024年8月14日 (水) 03:55 (UTC)[返信]

反対 WP:OWN --にゃんぱすー会話2024年8月12日 (月) 10:06 (UTC)[返信]

「Template:合意内容」の使用について

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Y-routeさんご提案のTemplate:合意内容について使用が望ましいと思われるため、そこに記載する内容について議論を行いたいと思います。

基本的に短くまとめた方がノートページも見やすくなっていいと思いますので、現在の文章から短縮化を図りたいと思います。以下、私の考える文例です。

この記事では、以下のローカルルールの適用に合意されています([1])。編集する際は、以下のルールを守るようにお願いします。
  • 記事の内容を変更したい場合は、必ずノートにて議論を行う
  • 議論で合意された内容のみ反映する。
    • 議論されていない内容による編集はNG
    • 結論が出ていない内容については反映しない
    • 閲覧時間の差異を考慮し、議論開始から1週間は様子を見る。
  • 上記に反する行為が確認できた場合は対象の利用者への注意を行い、編集を差し戻す。
    • 差し戻す際、本ルールに基づく差し戻しであることを要約欄に記載する。
    • 誤字の修正などの細かい編集は、差し戻しても差し戻さなくてもよいものとする。

前置き部分について、ノート:北海道の難読地名一覧ノート:尾獣#ローカルルール再構築を参考にしました。「[1]」はこの節へのリンクにする予定です。

差し戻しに関しては変更を加えてあります。差し戻しの際にノートに記載するとあった部分について、過去ログ化によって流れてしまうため、要約欄への記載という形にしました。この他、細かい編集は見逃してもよいという文面を追加しました。例えば、保護明けに行われた{{複数の問題}}の貼り付けのように(特別:差分/101436065)、内容に関わらない編集が通りすがりの人によって善意で行われる可能性はあり、それらをいちいち差し戻す必要はないのではないかと思われたためです。

これら差し戻しに関する変更については、拡張半保護によって差し戻しが行える利用者数が減ったため、それに関わる手間を省こうとしている部分もあります。拡張半保護で差し戻しの必要な編集が行われる可能性が減ったことも前提ですが。

この内容の賛否や、ここをこうした方がいいという改善案など、ご意見をお寄せください。--YasuminB会話2024年8月31日 (土) 08:31 (UTC)[返信]

コメント 何点かあります。
  • 当該ルールに反する更新が複数確認された場合、個別に対応せずにまとめて対応するというのが前回のルールで設けていた認識ですが、今回は個別で対応するということでしょうか?それとも、基本はまとめて差し戻し、記事内容に関わらない修正は巻き込まれない範囲は残す、ということでしょうか?
  • 細かいかもしれませんが、「誤字の修正などの細かい編集は」では無く、「誤字の修正などの、記事の内容自体に関わらない編集は」としてはいかがでしょうか?
  • template誤りがありましたので、議論の決着時に{{拡張半保護編集依頼}}を当該入れることをルールに追加した方が良いかと思われます。(詳しくはTemplate:拡張半保護編集依頼へ)
以上、失礼いたしました。--Geargia84会話2024年8月31日 (土) 20:54 (UTC)[返信]
返信 1点目、短時間で多数の編集が行われている場合は、まとめて差し戻すことになると思います。編集回数が2、3回程度なら、1つずつ差し戻す人もいるかもしれませんが。この辺りはある程度、差し戻す人の裁量に任せていいのではないかと思います(拡張利用者になるぐらい編集経験を積んでいれば、あまり変な編集は行わないだろうという判断)。内容に関わらない編集が間に挟まっている場合、自分でしたらそれごとまとめて差し戻します。手間を惜しまない人であれば、それだけ残すようにしてもいいと思います。
2点目はそちらのほうがいいかもしれませんね。
3点目、文意がちょっと分かりません(すみません)。「を当該入れることをルールに」は「を入れることを当該ルールに」でしょうか。元の半保護依頼の部分を拡張半保護依頼にということかとは思いますが。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 03:17 (UTC)[返信]
返信 回答ありがとうございます。
裁量制及び差し戻さない対象について承知致しました。
3点目については申し訳ありません。返信を貰うまで誤字に気付いてませんでした。「を入れることを当該ルールに」が正しく、YasuminBさんの認識で相違ありません。--Geargia84会話2024年9月1日 (日) 07:00 (UTC)[返信]
返信 私の提示案に盛り込んでいなかった保護関係の事柄をまとめますと、
  • ルール適用期間は1年。その期間は半保護。
  • 繰り返しルール違反をする者が現れた場合、ブロック依頼を提出。それに伴い、ルール適用期間(=半保護期間)が延長される(ブロック依頼を起点として1年になる)。
半保護であればルール違反を犯す人が多数現れる可能性がありましたが(実際たくさんいました)、拡張半保護となった現状ではあまり起きないであろうというのもあって、盛り込んでいませんでした。拡張半保護であればソックパペットユーザーが編集を行うということもほとんど起きないでしょうし。
正式な提案という形ではありませんでしたが、保護期間延長に関わる内容をローカルルールに盛り込まない=ローカルルールから外していいのではないかというルール変更提案でもあります。いかがでしょうか。
また、これとは別に、ルール適用期間についての記述はあった方がいいですね。「本ルールは拡張半保護中に適用されるものとする。」という項目を追加したいと思います。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 13:48 (UTC)[返信]
条件付賛成 概ね問題ないかと思います。
期間延長ルールについては、このルールを悪用する方達へのけん制を目的としたものである為、状況的に不要という判断が下されるのであれば外すべきだと思います。ただ、その場合はルール期間を1年よりも長めとし、合意形成の上で解除するという形が望ましいかと思われます。
※1年ではこの問題は沈静化していない可能性が大いにあるため--Geargia84会話2024年9月2日 (月) 01:05 (UTC)[返信]
返信 確かに、合意形成してからの解除がいいかもしれません。それでしたら予めルール期間を設定しておかない方がいいかもしれませんね。先ほどの追加案に代わって「本ルールの解除は、拡張半保護終了後、合意形成された場合に行われる。」という項目の追加でどうでしょう。それに加えてその下の小項目として「拡張半保護終了後に繰り返しルール違反が行われた場合、半保護または拡張半保護の依頼に向けて議論を行う。」というのも付けたいと思います。--YasuminB会話2024年9月3日 (火) 06:37 (UTC)[返信]
返信 であれば、以下のような感じではどうでしょうか?(文体等は他に合わせる形で適宜修正していただいて構いません)
  • 本ルールの開始時期及び適用期間について
    • 開始時期:直前の拡張半保護終了後から
    • 適用期間:開始時期から○年
      ※半永久半保護が出来るか不明なため一旦記載しています。不要なら未記載としてください。
  • 本ルールの期間中における解除について
    • 本ルールが実状に反していると判断される場合は合意形成をもって解除するものとする。
  • 拡張半保護への移行について
    • 繰り返し本ルールの違反が確認された場合は直ちに拡張半保護の依頼を行う
      ※自動承認ユーザーの違反であるなら依頼理由として充分である為
※適用期間中は半保護という前提で記載しています--Geargia84会話2024年9月3日 (火) 08:05 (UTC)[返信]
コメント「直ちに依頼する」というのは流石にやり過ぎな気もする(且つルールの悪用に繋がる可能性もある)為、本決まりとせず、そういう考え方もあるというニュアンスで受け取って頂きたいです。--Geargia84会話2024年9月3日 (火) 08:32 (UTC)[返信]
返信 一点だけ認識の擦り合わせの必要な箇所が…。拡張半保護終了後のルールでなくて、現時点を含む拡張半保護期間中からのルールの予定です。そのため「開始時期」は必要ないかなと(あえて言えば、開始時期=ルールを掲示した時)。他の点については考えがまとまっていませんので、ひとまずそれだけ先に書かせていただきます。--YasuminB会話2024年9月3日 (火) 19:55 (UTC)[返信]
返信 成程、「拡張半保護終了後」という語句を基点とした言い回しから受け取り違いをしていたようですね。申し訳ありません。
どちらにせよ、いつから適用するのかは掲示する必要があると思いますので、YasuminBさんの通り 開始時期=ルール掲示時点 で良いと思われます。--Geargia84会話2024年9月3日 (火) 21:24 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────ここまでの修正案を含めた内容を一旦提示します。

この記事では、以下のローカルルールの適用に合意されています([1])。編集する際は、以下のルールを守るようにお願いします。
  • 記事の内容を変更したい場合は、必ずノートにて議論を行う
  • 議論で合意された内容のみ反映する。
    • 議論されていない内容による編集はNG
    • 結論が出ていない内容については反映しない
    • 閲覧時間の差異を考慮し、議論開始から1週間は様子を見る。
  • 上記に反する行為が確認できた場合は対象の利用者への注意を行い、編集を差し戻す。
    • 差し戻す際、本ルールに基づく差し戻しであることを要約欄に記載する。
    • 誤字の修正など、記事の内容自体に関わらない編集は、差し戻しても差し戻さなくてもよいものとする。
    • 拡張半保護終了後に繰り返しルール違反が行われる場合、違反者が1人であればコミュニティを消耗させる利用者として投稿ブロック依頼を行い、複数人であれば半保護または拡張半保護を依頼する。
  • 本ルールが実情に反していると判断される場合、合意形成をもって解除するものとする。

「誤字の修正など」の文を修正、それ以降の2項目を追加しました。半保護について、予防的な半保護は原則としてできないということから、ルール違反発生後に行うとしています。また、違反者が1人の場合について追加しました。「繰り返し」の強調は、ここを読み飛ばして一度のミスで動く人が出ると困るから。「いつから適用するのか」は特に載せる必要はないと思うので、含めていません(このローカルルールがノートページ冒頭に掲示された時点で開始されていますので)。いかがでしょうか。--YasuminB会話2024年9月5日 (木) 09:22 (UTC)[返信]

賛成 概ね問題ないと思います。
半保護については半永久半保護とすることができるかを管理者に確認しても良いかもですね。解除の度にIP利用者により荒らされ続けている場合は適用できるのか?とか。--Geargia84会話2024年9月5日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
返信 ありがとうございます。他の方の意見も待ちつつ、反対意見がないようでしたら1週間後にノートページ上部への掲示を行いたいと思います。--YasuminB会話2024年9月6日 (金) 03:42 (UTC)[返信]
コメント {{合意内容}}適用にあたって、記事上部の{{告知}}も調整します。「{{告知|ローカルルール|加筆前に必ずノートで議論し、確定した内容のみ記事に反映させること。<br>編集にあたっては、ノートページ上部のローカルルールを必ずお読みください。|date=2024年9月}}」として、①「注意」から「ローカルルール」への変更と、②ローカルルール掲載場所=ノートページ上部ということを示す文の追加を考えています。①によって前置き文が「このページのノートに、このページに関するローカルルールがあります」と、少々野暮ったい文章になりますがノートにあるのは「注意」でなく「ローカルルール」ですので、正確性を重視したいと思います。--YasuminB会話2024年9月6日 (金) 04:14 (UTC)[返信]
コメント 半永久的な半保護は通常の記事には適用できません。極めて深刻な荒らし(LTA級)が保護解除のたびに繰り返され、長期間の有期保護でも効果がない場合には、管理者の裁量で無期限設定となる場合もありますが、建前上は荒らしが沈静化すれば解除できます。--Y-route会話2024年9月6日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
返信 返事が遅くなり申し訳ありません。その辺りは様子を見てという感じですかね。解除後の動きによってはメール等でまず管理者のどなたかに相談を始めるのは悪い方法ではないと思います。--Geargia84会話2024年9月9日 (月) 14:44 (UTC)[返信]

報告 反対意見なく1週間以上経過しましたので、{{合意内容}}貼付を実行しました。--YasuminB会話2024年9月14日 (土) 06:08 (UTC)[返信]