コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:仮説実験授業研究会

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

出典検索について

[編集]

関連するワードも含めて、ひとまず

以上のようにまとめておきます。--Assemblykinematics会話) 2020年1月25日 (土) 11:44 (UTC) 追記。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]

板倉賞の記述について

[編集]

山本海行様、Yama-no-junin様、板倉賞について加筆いただき、ありがとうございました。ただ、山本海行様が記載された設立の経緯や理由についての引用部分は抜粋に止め、全文(これも抜粋とは思いますが)についてはひとまず注釈に留めさせていただきました。板倉先生の意図を誤解がないように伝えるには引用が好ましいとは思うのですが、

  • 百科事典らしくなくなってしまい、「内容過剰」や「宣伝的」、「百科事典的でない」として、Template:複数の問題を貼られてしまう恐れが懸念されたこと。
  • 長いと読みづらくなるため。だいたい一セクションあたり四段落ぐらいを目安にしており、読者が「長い」と思って読み飛ばすことがないように配慮して編集しています。本セクション(節)についてもなるべくそうしておきたいと考えている次第です。
  • 出典に用いられた1991年の『研究会ニュース』が、検証可能性の観点から懸念されたため。自分が編集した部分にもブログを出典にして記述した箇所がありますが、それらは後日信頼できる情報源を満足する出典に差し替えられることを期待したもので、現段階での記述は注釈に留めるように配慮しています。

といった理由で修正させていただきました。水を差すような編集で恐れ入りますが、上記ご理解ご配慮いただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話2020年1月26日 (日) 18:09 (UTC)[返信]

コメント そんなにお気になさらずとも,至らぬところはどんどん直してください。板倉賞に関して,準公式サイトにまとまった情報が掲載されました。
研究会の活動 夏の大会・冬の大会
の下の方にある,
○板倉研究奨励賞の趣旨
○板倉賞受賞者と受賞理由
○板倉賞前夜(板倉賞以前の各賞受賞者)
というリンクです。山本海行会話2020年1月28日 (火) 08:54 (UTC)[返信]
(インデント調整を調整)
コメント 遅くなりましたが、情報提供ありがとうございました。外部リンク節に反映させていただいています。なお「板倉賞前夜」には板倉賞以後の記述も書かれているようです。将来的には「表彰」というセクションタイトルにし、サブセクションとして「板倉賞以前」「板倉賞」「板倉賞以後」を設けるべきと思いましたが、準公式サイトよりも信頼性の高い出典の方が好ましいと思い、まだそこまでは編集していません。
また、板倉賞の節を編集した際の意図として、多彩な活動をしている受賞者に触れることで研究会の活動の広さや発展が分かるようにしたかった、ということがあります。沿革節などに活動の広がりが記述されるようになれば、節「板倉賞」の書き方も変わってくるのかもしれません。取り急ぎ、御礼と補足まで……。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]

写真提供依頼

[編集]

全国合宿研究大会の写真を掲載していただき、ありがとうございました。大会、特に売り場の様子が分かるようになってよかったです。加えて

についても写真があればよいなと思った次第です。山本海行様やYama-no-junin様、およびお二方の知人の方で、写真をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?なお、例として

をご覧いただけると分かりますが、これらはウィキメディアコモンズではなく、ウィキペディア日本語版にアップロードされています。理由については

をご確認いただければと思います(既に参照済みでしたら、申し訳ございません)。取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2020年1月26日 (日) 18:09 (UTC)[返信]

コメント 犬塚さんや科学の碑、記念館、ガリ本図書館の写真は会員に協力依頼中です。科学の碑記念館はFacebookを通して写真提供を依頼してあります。山本海行会話2020年1月28日 (火) 02:05 (UTC)[返信]
ありがとうございます科学の碑」と「科学の碑記念会館」の写真掲載、確認いたしました。記念会館から提供していただけたようで、良かったです。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]
コメント ご遺族の許諾が得られて以下の3枚の写真の提供がありましたのでお知らせします。アアップロード済みです。
  • 板倉聖宣 File:Kiyonobu Itakura 2012.jpg
  • 犬塚清和 File:Kiyokazu Inuzuka 2015.jpg
  • ガリ本図書館内部の書棚 File:Gari-book-library-2019.jpg
山本海行会話2020年2月19日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
返信 (山本海行様宛) 写真のアップロードありがとうございます。記事「板倉聖宣」で既に「File:Kiyonobu Itakura 2012.jpg」が使用されていることも確認しました。なお、
  • 犬塚先生の写真「File:Kiyokazu Inuzuka 2015.jpg」については、これはこれでよいのですが、縦長になるようにトリミングした写真も別にアップできるとよいと思います。もっともこれは適切なライセンス表示がなされれば、誰がやっても構いません(例えば、「File:Akira Yoshino cropped 1 Akira Yoshino 201910.jpg」における「ファイルの履歴」参照)。
  • File:Gari-book-library-2019.jpg」では本棚に記念写真が多数飾られており、画質が良いためいくつかは人物が特定できてしまうため、肖像権的な問題がないでしょうか。そのため、別の本棚の写真に差し替えるか、現状の本棚であれば人物全員の許可を取る、もしくは人物を特定できないレベルまで画質を落とす必要がありそうです(写真の部分だけぼかしてもよいと思います)。また、事務局作業やサークル活動に用いられる場所や、その風景の写真でもよさそうです(事務局や西尾仮設サークルの活動場所であることが明確になってよいかもしれませんし、本棚であれば「授業書資料室」という手もあります)。
といったことが気になりました。取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2020年2月19日 (水) 15:21 (UTC)[返信]
コメント 犬塚さんの写真はトリミングしたものを新しいバージョンとしてアップしました。ファイル名は同じです。ガリ本図書館に写っている人物は,犬塚さんの若いころのもの,板倉夫妻と一緒に写っているもの,ガリ本図書館ができたころの人々で,そのあたりも撮影者から聞いていて,大丈夫ですが,いちおう解像度を落としたものを新しいバージョンとしてアップしました。ガリ本図書館は事務局兼用で,犬塚さんの仕事場です。犬塚さんが亡くなった後は,中を整理して,もう少し図書館らしくという活動も少しずつ行われているそうです。事務局は犬塚家の理解を得られて,引き続きこの場所が事務局の作業場になっています。この写真を無理に使わなくても,整備が進んだらいずれ追加でも良いでしょう。山本海行会話) 2020年2月19日 (水) 20:43 (UTC)山本海行会話2020年2月19日 (水) 20:45 (UTC)[返信]
コメント 提供した犬塚氏と板倉氏の肖像について許諾の証拠を求められました。指定のアドレスに、写真を受け取った時のメールをそのまま転送しました。写真の所有者と人物の遺族と相続者からの許可は得られていることはそのメールに書かれています。当方としてはそれ以上の証拠は示しようが無いので、あとは管理者の判断待ちです。関係者の間では1月の大会の時などでフリーの使用は問題ないことを直接口頭などで確認していますが、文書でと言われるとむずかしいものがあります。該当の記事だけに画像を添付する方法はないものかとも思います。山本海行会話2020年2月20日 (木) 22:46 (UTC)[返信]
返信 (山本海行様宛) 「フリー」と一口に言っても、パブリックドメイン(PDM、CC0)なのかクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC-BY、CC BY-NC、CC BY-ND、CC BY-NC-ND、CC BY-SA、CC BY-NC-SAの各バージョン)なのか、いろいろあります(詳細は該当ページをご覧ください)。なお、先ほど「ファイル:Kiyonobu_Itakura_2012.jpg」を拝見すると、
このファイルに関するメールがOTRS に届いています。OTRSアカウントを持つユーザーは こちら で読むことができます。 しかしながら、このファイルに対する許諾を確認するためにはそのメールでは不十分でした。その理由は、フリーライセンスのもとでの明示的な公開宣言がなかった、あるいは、許諾を伝えたメールアドレスがコンテンツの原著者と結び付けられていなかった、などによります。 この問題の進行状況については、このテンプレートをこのページに添付したユーザーもしくはOTRSアカウントを持つその他のユーザーにお問い合わせになるか、OTRS掲示板でお聞きください。
と表示されていました。どのようなライセンスで使用許諾するか確認したメールのやり取りをするか、ご遺族本人にアップロードしていただくか、などが必要そうです。
あと犬塚先生の写真であれば、ルネサンス高等学校の公式サイトにライセンス明示の上で公開しておき、それをもとにウィキメディア・コモンズやウィキペディアに写真をアップするという手も考えられます。例えば「File:Akira Yoshino cropped 1 Akira Yoshino 201910.jpg」は「吉野 彰氏のノーベル化学賞受賞について 文部科学大臣談話」から持ってきたものですが、これが大丈夫なのは「文部科学省ホームページへのリンク・著作権について」にリンクされている「文部科学省ウェブサイト利用規約」において、きちんとライセンスが明示してあるからです(長々と書いてありますが、「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの表示4.0国際」であると書いてあります)。
ただ、自分もこうすれば確実という確証はありませんので、「Wikipedia:利用案内」で質問してみていただければと思います。取り急ぎ……。Assemblykinematics会話2020年2月21日 (金) 21:37 (UTC)[返信]
コメント その後管理者とのやりとりで手続きは進んでいますのでご心配かけました。犬塚氏の写真についてはルネサンスアカデミーが許諾文書を送ってくれます。板倉氏については写真館が自由な使用を認めてすべての権利は板倉家にあると認めています。現在許諾文書を管理者に送るように準備中です。何分ご遺族は高齢ですので時間がかかるかもしれませんが,許諾は得られる見通しが付きました。山本海行会話2020年2月23日 (日) 01:31 (UTC)[返信]
コメント 板倉さんの2012年の写真は使用可能になりました。1990年の写真は削除依頼し、新しいのと差し替えました。1990年の写真を使う場合は新しいものを使ってください。犬塚さんの写真は手続き中です。山本海行会話2020年2月27日 (木) 04:10 (UTC)[返信]
コメント 犬塚清和さんの写真についても関係者の協力で使用可能になりました。山本海行会話2020年2月27日 (木) 21:40 (UTC)[返信]

記述の確認について 

[編集]

誤字やミスが多くて恐れ入ります。山本海行様が2020年1月26日20:37(UTC)の編集で、要約欄に「人物に近いものの指摘による」と書いて訂正して下さいましたが、これはもともと出典に書かれていた内容を書き間違えただけであり、出典と訂正された記述に齟齬はありませんので、念のため補足申し上げます。

なお、他にも誤字や誤解してしまっている部分があるかもしれません。適宜、修正・補足していただけると助かります。特に『たのしい授業』による出典のほとんどは、「あのな検索」によるタイトルと概要しか参照できていませんので、全体的に再確認したり、よりふさわしい出典に差し替えていただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話) 2020年1月26日 (日) 23:02 (UTC) 編集差分を補填。--Assemblykinematics会話2020年1月27日 (月) 21:13 (UTC)[返信]

山本海行会話2020年2月19日 (水) 09:16 (UTC)[返信]
コメント こちらの編集でも注釈で補足していますが、前述の修正箇所の出典について補足しておきます。犬塚清和先生の享年については
に76歳と書かれています。なお、生年を示しておけば誤記を防げたような気もしますが、詳細な生年月日が分からなかったため、没年月日と享年を記させていただいた次第です(上廻昭先生も同様)。
次に「自利利他」ですが、厳密には出典の
  • 川島滋弘「「自利・他利」ということ 「シリーズ・授業書と子どもと教師」犬塚清和編集」『たのしい授業』第345号、2008年12月、90頁。
では「自利・他利」となっていました。記事にも注釈で補足しましたが、仏教用語では「自利利他」となっているようです。
最初の加筆時に調べた際に見かけたコトバンクの方が記憶に残っており、「出典と訂正された記述に齟齬はありません」と書いてしまいましたが、厳密にはこのような事情でしたので、補足させていただきました。--Assemblykinematics会話2020年1月27日 (月) 21:13 (UTC)[返信]

沿革節における小節のタイトルについて

[編集]

仮説実験授業研究会と元号は無関係です。よって,時代区分に元号を表記することは何らかの合理的な裏付けが必要です。--柳沢克央会話2020年1月27日 (月) 20:24 (UTC)[返信]

返信 ご指摘ありがとうございます。まず、サブセクションに元号を表記したのは、元号で区切るように節構成を考えて執筆したから、というのが理由です。そして元号で区切る構成にしたのは、昭和63年(1988年)が仮説実験授業提唱25周年であったこと、平成30年(2018年)に研究会創立以来の代表である板倉先生が亡くなられたこと、昭和時代と平成時代の記述量が概ね同程度にできたこと、といったことが理由になります。ただ、昭和は1989年1月7日までですし、平成は2019年4月30日までのため不適当という観点もあるかもしれません。
ひとまずこちらの修正で、西暦による期間表示に修正していますので、他の方のご意見も伺えれば幸いです。また、山本海行様からは来年度(令和二年度)以降は「かなり体制が変わる込み」と伺っていますので、どの期間で区分すべきかということについてはそれからまた検討してもよいと考えています。
なお、柳沢克央様によるこちらの編集では、「沿革」節中の小節のタイトルを「1966年~」「1989年~」「2019年~」に直してくださいましたが、「Wikipedia:表記ガイド#波ダッシュ」には
とあり、「Wikipedia:表記ガイド#ハイフン」には
  • 「期間・区間・範囲を表すときには、「半角スペース+ハイフン+半角スペース」を用います。例: 1990年 - 1999年」
とあります。そのため、2020年1月27日(UTC)時点の編集で、それぞれ「昭和時代(1966年 - 1988年)」「平成時代(1989年 - 2018年)」「令和時代(2019年以降)」に修正させていただいた次第です(前述のとおり、現在は「1966年 - 1988年」「1989年 - 2018年」「2019年以降」に一旦修正しています)。取り急ぎ、以上補足申し上げます……。--Assemblykinematics会話2020年1月27日 (月) 21:13 (UTC)[返信]

コメント 仮説実験授業の歴史区分と元号は関係が無いので西暦表示にした加筆は支持します。

文献的にはまだ弱いですが,会員のある方が作成した会員数のグラフでは(準公式サイトとに載る予定),1966年12月発足時200人。1987年400人。1989年3月号『たのしい授業』で「仮説実験授業研究会に入会しませんか」の記事を境に,1988年から1993年にかけて大きく会員数が伸び,2013年の1243人がピーク。2017年は1126人と,減少傾向は見えますが1000人当たりで推移中。 時代区分としては

  1. 提唱時から研究会設立まで。
  2. 全国研究会の設立(会員の要件を「研究会に貢献したもの」と厳格に運営し,レポートを発表しただけで入会を認めるわけではないという記述あり)
  3. キミ子方式発見を期に「科学教育」の領域を超えて広がる。
  4. 1983年の『たのしい授業』刊行で研究テーマが広がる。「たの授」読者1万人達する。1989年。「読者1万人を超えて会員の制限をする重要性は無くなった」として「入会のお誘い記事」をのせた。
  5. 1991年に会員が1000人を超えた。大会の分科会も多様なものになった。(現在まで続いている)
  6. 2018年会代表の板倉の死去。竹内代行を経て2020年度選挙で新代表が選出される。

会員数グラフ,分科会の数や教科の大幅拡大の変化をたどるとこんな区分になりそうです。

板倉賞についても,それ以前から大会等で主催者が「勝手に評価して表彰する」という伝統があってのことです。これについても調査された方がいるので,準公式サイトに載るでしょう。山本海行会話2020年1月27日 (月) 22:47 (UTC)[返信]

返信 (柳沢克央様、山本海行様宛) どうにも何か噛み合わないなと思っていたのですが、元号で時代を区分したというよりも「日本が昭和の頃に仮説実験授業研究会は何をしていたのか」「日本が平成の頃にどうだったのか」という「視点」で書かせてもらったということが前提にあります。何分50年以上の歴史を持つ組織ですし、往々にして読者はどのような時代背景の中でどのような変遷を辿ったかを知りたいと思うでしょうし、もしくはそう区分けされていると分かりやすいと感じられるためです。もちろん記事主題に立脚した時代区分と誤解しかねないというのは理解できますのでひとまず西暦表記で構いませんが、仮設実験授業研究会の会員の方は研究会を中心とした視点が強すぎる傾向があり、注意して欲しいと感じた次第です……。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]
返信 (Assemblykinematics様宛) 私も元号での研究会の区分は実態を表していないと考えていますが、一方で、柳沢さんがやったように、単に元号を西暦に置き換えただけでは何の意味も無いと考えています。その意味ではAssemblykinematicsさんの感じた違和感は理解できます。柳沢さんは西暦表記を主張するなら、わたしがやったように「どのように区切ることができるか」を根拠を持って示した上で、西暦表記で区切り直すべきであったと思います。山本海行会話2020年3月2日 (月) 20:32 (UTC)[返信]

犬塚氏の位置づけについて

[編集]

コメント 犬塚清和氏の研究会での位置づけは『たのしい授業』2019年7月号に追悼記事が2件載ってるので、記述の出典になると思います。「研究会を現在のように組織した」ということを板倉さんが直接述べた講演記録が載っています。山本海行会話2020年3月2日 (月) 20:32 (UTC)[返信]

沿革の時代区分について

[編集]

まだ文献未整備ではありますが、沿革の研究会の時代区分について材料になりそうなことを上げておきます。

研究会の水口氏のグラフによれば、

  1. 1966年設立時は200人
  2. 1987年400人
  3. 1993年ごろ1000人を超えた。
  4. 以後2013年のピーク1243人。
  5. 2017年1126人。

となっています。

最初の大きな時代区分は1970年代末から1980年代『授業科学研究』が発行されたときと考えます。この時代キミ子方式紹介され、研究会が科学教育の領域を超えました(仮説実験授業参照)。当時の研究会では、「なぜ絵の授業を研究会でやるんだ」という反発もあったように聞きます。それを板倉氏は「授業科学」という枠の拡大で研究会の発展を促したのではないでしょうか。そしてこの時期「日本歴史入門」も誕生した。 分科会もこれ以降多種多様化が進んだのではないかと予想しています。その成果が「楽しい授業」刊行につながったのではないでしょうか。「たの授」の記事は科学教育だけでは成り立たないので、それ以前に多様な研究が積みあがっていたはずです。なので『たの授』発行の1983年も時代区分とできるかもしれません。

過去の、機関誌に載っている大会要項を見ると、初期は参加資格を「研究会員」「レポート発表するもの」など制限しています。さらに「レポートを出しただけで会員にするわけではない」とまで書かれていることも。会則の「研究会に貢献したもの」という条項を厳密に運用しています。それが変わりだしたのは、「たの授」読者が1万を超え、板倉さんが会員を制限する意味もなくなったと判断した、1989年が大きな区分だと思います。結果会員1000人時代を迎えます。この影響は、それまで『会員レポート』は資料を会員分自分で印刷して事務局へ送る。それを製本して会員に配る。というシステムが廃止され、現在のオフセット印刷の「研究会ニュース」に変更になったことにつながりました。これは会員が500人を超えた時点で生じました。私もリアルタイムで経験しました。「もうこれ以上自分で印刷するのは無理だ」と思ったのです。今では分科会も多様になりました。純粋な仮説実験授業の研究はむしろ少数です。実質的にはすでに「授業科学研究会」となっています。

 現在はその流れがまだ継続している時代だと思います。 百科事典でどこまで踏み込むかはともかく時代区分となる出来事はこのようなものです。山本海行会話2020年1月28日 (火) 04:07 (UTC)[返信]

コメント このような分析を『たのしい科学』や『科学教育研究』、『科学史研究』などで論文としてまとめ上げて欲しいと感じました。特に『科学教育研究』や『科学史研究』に学術論文として発表されると、査読を受ける過程でより深い分析・調査ができると考えられます。また、どなたかと共著者になって論文を執筆すれば、より広く情報が集められると思います。
なお、自分は以前に高等教育機関の関係者として小学校の理科部会の先生方と接する機会がありましたが、現場の先生方はそういった活動と研究会の活動をどのように両立なさっていたのか気になりました。また、昨今はサイエンスフェア的なイベントが大学や博物館、公民館などで行われますが、そういったものとの干渉(ネタばれ)の影響や、相乗効果のようなもの、受講した生徒が自由研究やコンテストなどで活躍するようになったかなどの分析も興味深いところです。
あと、小学校や英語やプログラミングの必修化していく時代の中で、そういった多忙さが研究会の活動に影響はあったのか、もしくは参加会員は利点があったのか(研究会は中学、高校の先生もいるため、小学校の先生は情報収集しやすかったり、小学校の先生向けに英語授業の講座があったりしなかったか)などを知りたいと思う読者もいらっしゃるかもしれません。
既にWikipediaの方針やガイドラインの観点から、ご自身による見解は記述を控えられていると思いますが、上で述べたように論説の品質を向上させるためにも、事前に査読を経た学術誌に投稿していただきたいと思う次第です。僭越ながら、以上ご参考までに……(特にここで返信いただく必要はありません)。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]
コメント現在公開されている文献でもかなりのことが実証的に書けるはずです。一番役に立つと思われる『仮説実験授業の研究論と組織論』(仮説社)は今でも簡単に購入できますし、この本には各機関誌の創刊の言葉や完結の言葉が収められており、その時代ごとの状況が分かります。「仮説実験授業への招待」では入門講座を始めた意図等が書かれています。「イタクラの法則」の初出論文もありますし、かなりのことが分かります。
あわせて、準公式サイトにある「会員数グラフ」「年表」を付き合わせると、1963年の「5人の定例会」が実質的な研究会の始まりでしょう。まだ名乗ってはいませんが研究会と言えます。1963年の発表から1966年までは会員は増やさず慎重でした。それが変化するのは「ひと」創刊による「たのしい授業」の一般への啓蒙と会員数の増加、キミ子方式の登場で科学教育外への拡大。次の区切りは調整役だった遠山氏の死去による「ひと」撤退と「たのしい授業」創刊による会員数の急増、あのな検索では「たのしい授業」1993年3月号での入会の呼びかけで1000人時代を迎えたこともわかります。2000年以降は飽和に達し、減少に転じて、たのしい授業の普及拡大の時代が終わったことがわかります。そして2018年の代表死去で2020年から新代表選出となります。
会員数のグラフはウィキペディアで使えるように働きかけたらどうでしょう。作成者の村西さんが許諾を提出してくれれば可能になります。グラフに主な出来事書き込んで見せた方が実証的に書けるでしょう。山本海行会話2020年2月28日 (金) 21:53 (UTC)[返信]

関連記事の棲み分けについて

[編集]

これまで議論が行われた場所として、

があります。また、本記事を含め関連する記事は、今のところ

になると思います。ひとまず議論のために「仮説社」を改稿しており、もう少し加筆する予定ですが、ひとまず予告を兼ねて現状のまとめを記しておきます。--Assemblykinematics会話2020年1月25日 (土) 11:44 (UTC)[返信]

コメント 上のように議論の予告をしていましたが、加筆された現在となっては「仮説実験授業研究会」も「仮説社」も「独立記事作成の目安」を満足すると考えますので、特に議論は必要ないと考えています。第三者言及に弱いという意見もあるかもしれませんが、単独立項ができそうでできない記事の受け皿になっているということで、納得いただけると思います。また、自分は近々Wikipedia:ウィキブレイクに入りますので、今後の議論の舵取りはできませんので、その旨ご了承いただけると幸いです……。
あと関連記事を含めて加筆していく中で気になった点として、
  • 人物記事「板倉聖宣」- 仮説実験授業の提唱と板倉個人の貢献、その評価について、一セクションで簡潔に説明しておく必要があると考えます。また、科学史研究や思想も含めていろいろ加筆する内容がありそうですので、場合によっては著書の節を「板倉聖宣の著作一覧」として分割させることも手だと思います。
  • 記事「仮説実験授業」 - 記事「板倉聖宣」から節「海外の教育研究との関連」を移設してきて、外部からの評価を加筆する必要があると感じます。東京大学の研究者の方が『科学教育研究』『認知科学』に仮説実験授業の研究結果を発表しているようですので、そちらの分析や海外調査についても出典にできると考えています。なお、節「仮説実験授業の拡張」についてはスリム化して、詳細は「仮説実験授業研究会」で記述するべきではないかとも思いましたが、それには研究会の記事の大改造も必要なため、現時点では難しいように感じています。
  • 記事「仮説実験授業研究会」 - 「主要な人物」節を中心としたいくつかの記述は、下記のように分割立項できると考えています。
    • 人物記事「上廻昭」 - 世界で初めて仮説実験授業を実践された先生ですし、仮説社以外の出版社からの単著もあるため、単独立項できると考えていますが、記述が充実できる見込みができてからの立項で差し支えなさそうかと……。
    • 人物記事「犬塚清和」 - そのご活躍から十分に単独立項できる内容があると考えていますが、単著はあるものの関係が深い出版社からですので、ルネサンス高校時代の第三者言及がないと単独立項には弱いと感じました(グループの名誉会長まで勤められているので個人的には大丈夫だと思いますが、ガイドラインの基準について指摘されると少し心もとない状態です)。いずれはルネサンス高校の評価として犬塚先生にも言及がなされるようになるでしょうし(ルネサンス高校も仮説実験授業を取り入れているようですし)、研究会関係者の論文や書籍でも言及がされると思いますので、それまで待っても遅くないのではないと思っています。
    • 人物記事「松本キミ子」 - 現時点でも十分に単独立項が可能と考えます。「キミ子方式」についてはここで詳しく言及(文献には「かつて一世を風靡し、現在も実践現場に少なからぬ影響を与えている」と書かれており、美術界や教育界全体から見た分析や現状が書けるのではないかと思います)。
    • 寺院記事「東養寺 (新潟県)」 - 寺院や近隣の山道を含めた記事として単独立項ができると考えます。故・細井心円住職についてはこちらで記するとよいと思いますが、科学の碑や科学の碑記念館については東養寺と仮説実験授業研究会の両方に記述するのが良さそうです(記念会館は板倉コレクションなど研究会に関係が深いことも多いですし、科学の碑は無宗教者向けの墓地という特性もありますので……)。
  • 記事「マッキーノ」- 記事の棲み分けとは関係ありませんが、「マッキーノ全国大会」についても言及が欲しいと感じた次第です。
といったことが挙げられます。これらは正式な提案という訳ではなく、あくまで参考までに列挙したものですので、その点ご承知おき願います。以上、ご参考になれば幸いです……。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]
コメント 追伸 ここのノートも長くなってしまったので、仮に関連記事の棲み分けを議論するとすれば、ノート:仮説実験授業あたりがよいのかもしれません。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]
コメント 授業書を独立させた意図授業書は仮説実験授業の中で解説するということも当初は考えましたが、仮説実験授業の定義に当てはまらない「授業書方式」という教育研究もあり,授業書に至る教育史もあり(これは調査が済み次第加筆予定)、授業書という教育研究の方法が教育を実験科学にしたという影響の広範さを考えると,仮説実験授業に入れるとあまりに記事が膨大になるため、独立記事とした方がいいと判断しました。山本海行会話2020年2月27日 (木) 20:17 (UTC)[返信]
コメント 仮説実験授業の拡張について仮説実験授業は教育の基礎理論であるため、その理論適用による研究対象の拡大は必然であり、仮説実験授業の進化と分化の結果として、一緒に記述した方がわかりやすいと考えます。ここを独立記事にした場合も、結局は仮説実験授業との関連と、どのような進化・分化なのかを書く必要があり、重なる部分も多いと思います。山本海行会話2020年2月27日 (木) 20:17 (UTC)[返信]
コメント 板倉氏の思想・研究のカバーする範囲は広範となるので、私自身の区分けとしては「仮説実験授業」には「仮説実験的な認識の教育史」としてくくっています。これには小野健司氏(四国大学)の論文があり、かなり書くことが可能です。板倉氏の科学史・教育史の研究については、円周率通知表密度など科学上の基本概念の研究が多いので、分散してそれぞれ加筆すれば良いと考えて、一部は実行しています。山本海行会話2020年2月29日 (土) 08:18 (UTC)[返信]
コメント 「マッキーノ全国大会」というのは私は分かりませんが、夏の大会での分科会のことを指しているのでしょうか?今度牧野英一さんに会ったときに聞いてみることは出来ますが。山本海行会話2020年2月29日 (土) 08:18 (UTC)[返信]
コメント 『たのしい授業』2020年2月号のサークル案内の141ページには「愛知:マッキーノ会館」という研究会が月28日(金)月28日(金)14-19時に行われています。「会館」と名乗っていますが、牧野さん主催で「マッキーノの研究に特化したサークル」のようです。昨年の号を見ても載っているので、毎月第4金曜日にやっているようです。山本海行会話2020年3月1日 (日) 06:33 (UTC)[返信]

出典提供の要請

[編集]

心円祭や細井住職による碑文の揮毫、および板倉先生の納骨が科学の碑でなされたことなどについては、

といったブログ記事しか出典が見つかりませんでした。そのため、納骨については記述を見送り、心円祭と碑文の経緯については注釈での言及に留めています。もし『たのしい授業』など、検証可能性を満たす信頼できる情報源で言及されているようであれば、出典の差し替えやそれに伴う文章の修正をお願いしたい次第です……。--Assemblykinematics会話2020年2月2日 (日) 07:44 (UTC)[返信]

コメント これは「現代史」なので、文献はすぐには難しいですね。でも、事実関係はブログの通りで正しく、板倉氏の納骨は確かに科学の碑で行われています。これは現地で直接取材し、碑に書かれている納骨者の氏名を写真撮影されるなど物的証拠を使うことをお勧めします。山本海行会話2020年2月27日 (木) 21:48 (UTC)[返信]

「良質な記事」のために追記すべきことまとめ

[編集]

このスレッドは、「良質な記事」選考で寄せられたYapparinaさんのコメントを記事にどう反映させるかの覚え書きです。

『仮説』には結局何が書いてあったのか 

[編集]

板倉聖宣「仮説実験授業研究運動の新段階 ー『仮説』という新奇な機関誌の成立ー」(初出1975.1『仮説実験授業研究No.4』1975年5月,仮説社掲載)『仮説実験授業の研究論と組織論』,仮説社,1988,365-371頁より

「この『仮説』という雑誌は1974年末までに合計10冊が発行されている。大部分は西尾仮説サークルが発行元になっているが,仮説実験授業広島サークルや関西仮説実験授業サークル発行のものもある。発行元が違っても題名は同じ,号数も引き継がれているから同じ雑誌である。全国誌で全国に愛読者を持っている。発行部数は数百部で編集・発行・財政はすべて発行元のサークルで行われている。 『仮説』はミニコミある。その雑誌は現場にある発行者自身が読者と同じ立場にあるから,自分自身の問題意識を,目に見える読者に直接働きかけるような形で投げることができる。仮説実験授業研究会の会員は現在200人である。これは私たちが会員の数をできるだけ増やさないという方針をとっているからである。この会員の数に見合う雑誌と言えばそれは『仮説』である。実はこの『仮説』こそが仮説実験授業研究会の本当の機関誌というべき性格を持っているのである。『仮説』はもともと西尾仮説サークルによって創刊されたものであって,事務局の手で創刊されたものではないし,発行を依頼したものでもない。(365 - 370頁)」

「『仮説』第1集は西尾仮説サークル編,1973年7月23日発行となっている。134ページもある大作である。私は「これで200円は安すぎる」と思った。それでも犬塚さんたちは「儲かるからもっと出そう」というありさまであった。  私はこれを見てすぐ思った。「これを研究会の一つの運動形態として広めていったらどうだろう」と。それで小樽大会の席上でさっそく「他のサークルでも逐次そのような形の印刷物を作って全国に送ったらどうだろう」と提案した。」(370頁)

「内容は,授業記録,論文,手紙,板倉講演のテープ起こし」で,板倉さんは「私の講演記録を収録したものがあまりに多いのが気になる。西尾の犬塚さんたちは独自な考えでそうしているのだが,他のサークルまでそれを機械的にまねるとなったらそれはいいことではない。『仮説』にどんなことを盛り込むか,それは各サークルで考えてほしいと思っている。」(371頁)

コメント 内容は国会図書館所蔵の文献よりコピーした。

板倉聖宣、「『仮説』第1集~第11集主要目次」、『仮説実験授業研究 第4集』、1975年7月25日、仮説社、77-81ページ。
(77ページよりそのまま引用)
『仮説』第1集1973年7月刊、西尾仮説サークル編、全134ページ。
西尾仮説サークルと私(高須哲夫・安井伸二・河村桃子・松崎重広・鈴木康三・犬塚清和)14ぺ。
科学をみんなのものに(1973年3月,西尾での板倉聖宣講演筆記,犬塚清和編)18ぺ。
〈宇宙への道〉の解説と討論(鈴木康三・板倉聖宣ほか)14ぺ。
板倉さんを囲んで発想法を学ぶ会(松崎重広編)30ぺ。
ナイターでの討論(1973年6月16日,関西の西川・井上・西谷・西村・山中・木村,東京の板倉を加えて)26ぺ。
楽しい授業(1973年6月,板倉講演筆記,河村桃子編)24ぺ。
(以上)山本海行会話2020年2月25日 (火) 11:36 (UTC)[返信]

「仮説サークル(サークル)」は結局何の集まりなのか

[編集]

『たのしい授業』1996年4月号No.167の82‐86頁、池田基博「サークルへのご招待」より

仮説実験授業を中心にたのしい授業について語り合う会。活動内容は「参加者の資料発表、授業書の体験講座、ものづくり、授業プランの発表、授業書の実験道具の入手や問題の説明など詳しい人に聞ける、入門講座や研究会のニュースなどの情報を得られる、授業以外の悩みを聞いてもらえる、授業での子供の活躍やすばらしさを聞いて共感してもらえる、自分の感じたものを言葉や文字としてあらわすことで、自分らしさを見つけることができる場

「ガリ本図書館」「フェスティバル」「科学の碑記念会館」とは 

[編集]

調査中 --Yama-no-junin会話2020年2月13日 (木) 13:18 (UTC)[返信]

科学の碑記念会館やフェスティバルについては、近隣の大学図書館で『たのしい授業』をコピーして来ましたので、週末にある程度は加筆できます。ガリ本図書館については、『たのしい授業』の該当号が少し離れた図書館にしかなく、来週の月曜までお待ちいただければと思っています。出先からのため、取り急ぎ用件のみにて失礼申し上げます……--Assemblykinematics会話2020年2月14日 (金) 02:27 (UTC)[返信]
ガリ本図書館は犬塚清和さんの自宅内に仕事場件図書館として作られた2階建ての建物です。犬塚さんの死去に伴い,娘さんが引き継いでいます。事務局長は西尾サークルに縁の深い斉藤さん(元小学校教諭)が自主的に引き継ぎました。しかしながら今後の維持管理については研究会でも予算を取って整備していくという動きになっています。これまでは板倉氏と犬塚氏の個人的な力で維持してきたものを研究会で維持するという体制に移行していくと思われます。山本海行会話2020年3月1日 (日) 12:12 (UTC)[返信]

 仮説会館の現状 

[編集]

東京仮説会館は著作権訴訟の賠償金で作られました。文献はあると思います。仮説社のフロアーを分け合って(家賃も仮説社とは別に支払う)いましたが、巣鴨移転を機に無くなりました。板倉の自宅近くの調布の板倉研究室に移転しましたが、板倉氏の死去に伴い閉鎖されました。名古屋仮説会館は高橋道比己さんが名古屋市一社の貸しビルの一室で1980年代後半開設(私が通ったところ)で、名古屋仮説実験授業研究会の例会や講座、授業書案検討会、出版事業(検索すると図書館に所蔵されています)などに使われましたが、これも2000年代始めに高橋氏の引退により閉鎖。札幌仮説センターは札幌仮説サークルの豊田氏によって開設されましたが,今はありません。一方,最近大阪の方で新しく自宅提供という形で開設されたものもあります。基本的に会館は個人の力で作られるものなので、開設者の事情でできたり無くなったりします。詳細は分かり次第続報で。傾向としては研究会の成長期に増えて、2000年代の衰退と共に減少していると思われます。山本海行会話2020年2月28日 (金) 23:09 (UTC)[返信]

東京仮説会館については、賠償金の件も含めてだいたい出典を入手済みです。ただ、名古屋仮説会館は1991年の記事ぐらいしか入手できていないため、「~年~月までは『たのしい授業』に講座案内が掲載されていた。」といった記述に留めるつもりでした。
あと加筆は今しばらくお待ち願います。良質な記事の選考は3月24日まで延長していますし、審査して下さる方もしばらくは他の記事の査読で手一杯と思いますので……。--Assemblykinematics会話2020年2月29日 (土) 05:38 (UTC)[返信]

コメント 仮説会館的なスペースとしては巣鴨の仮説社のフロアーにある「やまねこラウンジ」も重要な役目を果たしています。このスペースは小規模ですが,日常的に使用され小研究会や講座のお知らせが「たのしい授業」に載っています。仮説実験授業に関心のある人が自由に使える常設スペースとして,実質的な東京仮説会館を引き継いだ施設と考えられます。このスペースは仮説社のものなので,最初の仮説会館のような仮説社とは独立採算で維持していたスペースとは違います。山本海行会話2020年3月1日 (日) 12:05 (UTC)[返信]

Template:要高次出典の意味について

[編集]

山本海行様による2020-06-09T09:38(UTC)時点の編集において、{{要高次出典|date=2020年1月}}(表示は信頼性要検証)がコメントアウトされています。このテンプレートの付与は記述内容が事実であることを疑っているのはなく、ブログは信頼性に乏しい1次資料扱いになってしまうため、査読のなされた刊行物に記載された情報(信頼できる情報源)にして欲しい、できるだけ 2次資料・3次資料が望ましい、という意図です。

「信頼性要検証」という表示が紛らわしいのですが、リンクは「Wikipedia:信頼できる情報源」になっていることにご注意下さい。また、「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#良質な記事の目安」には

と書かれていますので非公式ブログしか出典にない情報があると、選考時にマイナスに働く可能性があります(もっとも論争のある内容ではなく単なる事実に関する言及ですし、公式サイトに近い扱いを受けて見逃される可能性もあるかもしれませんが……)。

なお、『たのしい授業』など編集・査読のなされた文献に記載されれば大丈夫ですし、内部のチェックを通過した公式サイトは単なるブログよりも信頼性が高く判定されますので、ご検討いただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話2020年6月9日 (火) 19:29 (UTC)[返信]