ノート:パウロ
百科事典らしい記述だけを選んで加筆すること。それと独自の研究は載せないこと
[編集]ここは百科事典。まず図書館へ行って『世界百科事典』のパウロの記事でも読んでごらんなさい。パウロの項目にYODAFONが書き込んだようなことは書いてない。書くべきではない。 YODAFONは、主張している人がいるから書く、などとコメントしたが、そんなことは許されない。百科事典というのは、どこかに何かを主張している人がひとりでもいるからといって書き込むものではない。百科事典に記載してはいけないものはいけない。
仮に百歩譲って、まともな学者が学術書で述べていて記載するに値する場合でも、YODAFONが記載したような方式で記載したら独自の研究だ。全部、自分の感情で大量のパウロの言葉から一部のパウロの言葉を選択して、それについてYODAFON流(自己流)の形容詞や副詞をつけてコメントしているじゃないか。まさに独自の研究だ。形容詞や副詞も自分で選ぶな。
YODAFONは、まず何よりも百科事典を読みなさい。次にその分野の一流の研究者を選び、その中からまともな文献を選び、じっくり読んでそれを出典として明示し、その研究者の述べたことを以下の形式で、一言一句そのまま、変更せず引用しなさい。
- 研究者の..............は『...............』において「......は........である」と述べた。
YODAFON自身で決めた形容詞などを一言も足すな。見つけたら全部削除する。以上のことができないならそもそもWikipediaに近寄るな。--Paulo de Tarso 2008年2月3日 (日) 16:54 (UTC)
- YO氏の記述は適切でないことには同意する、がフェミニスト神学からの批判はあり得る。--johncapistrano 2008年2月3日 (日) 17:06 (UTC)
学研の本からの長大な引用について
[編集]現在学研ホールディングス発行の『図説 聖書の世界』(月本昭男、山野貴彦、山吉智久著共著)から長大な引用がありますが、これは正教会、カトリック教会、プロテスタントに普遍的なものとはいえず、また、パウロ研究の決定版という性格の著作でもないものであるため、このような引用がなされるならば、Wikipedia:中立的な観点の両論併記から他の立場についても均等に引用しなければならないでしょう。--イザヤ 2010年10月23日 (土) 06:41 (UTC)
- この長大な引用は、2009年5月2日 (土) 13:55時点における版からですが、このIP氏は、バベルの塔2009年5月2日 (土) 12:48時点における版、ノアの方舟2009年5月2日 (土) 12:05、救世主イエス・キリスト2009年5月1日 (金) 16:31時点における版、洗礼者ヨハネ2009年5月1日 (金) 17:20時点における版でも同様の編集を行っています。--イザヤ 2010年10月23日 (土) 06:58 (UTC)
【なお伝統的にパウロ書簡とされる『ヘブライ人への手紙』は近代までパウロの手によるとされていた】について
[編集]『ヘブライ人への手紙』には著者に言及した部分がなく、書名も宛先のみで差出人は不明です
これを「パウロ著」と言い張ったのはカトリック教会のみで、それは正典は使徒の手によるものでなければならないという カトリックの教義に則って、著者不明のこの手紙に形式上の「著者」を設定する必要があったというだけの理由です
要するに、教義的に素晴らしいこの手紙を聖書に収録したいが、その為には著者を使徒の誰かにする必要に迫られたカトリック教会が パウロ著ではないことなど百も承知の上で「パウロ著」ということにして聖書に収録したというだけのことです
この手紙を本当にパウロ著だと(信仰上の理由以外で)主張した人はいないはずで、神学上では議論があったとしても 歴史学的にはこの手紙がパウロの手によるとされていたことなど一度もなかったと思います ----以上の署名のないコメントは、153.228.203.168(会話)さんが 2017年8月19日 (土) 06:33 (UTC) に投稿したものです(Lmk2019(会話)による付記)。
編集提案:終末信仰の確立と構成変更案_2020年4月
[編集]死生観の項目の終わりに次の項目を追加したいと思います。
終末信仰の確立
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P920 )(注、この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている。(出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P495)テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めた。
・パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。・パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる ・パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。 ・パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。 ・パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる。
(注 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。テサロニケ人への第一の手紙第4章 15 )
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した。((出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店2004年P921)コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた。 (注、 コリント人への第一の手紙第15章 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。)
--Tokinokawa(会話) 2020年4月14日 (火) 04:07 (UTC)
項目の組み換えと内容の一部変更・追記について。概略を作成しましたので、これにそって編集したいと思います。
1 概要
2 略歴(下記は編集作業のための下書きです。)
・イエスは刑死により他界する。
・パウロはユダヤ教徒であった。
・イエスはキリストだというユダヤ教徒の集団が生まれる。
・パウロはキリスト教徒を取り締まる活動をする。
・キリスト教徒になる。
・いくつかの地方に教会を開く。
・投獄される。
・刑死により他界する。
3 パウロ書簡に見るパウロの生涯
.1 ユダヤ教徒時代
.2 キリスト教徒時代
.3 キリスト伝道活動
4 書簡に見るパウロの信仰
復活信仰
神のひとり子イエス
キリスト信仰
終末観
死生観
4 パウロ書簡
.1 パウロが書いた書簡
.2 パウロの名を用いた書簡
4 思想
政治思想
歴史家の意見
労働観
哲学との接点
5 評価
6 脚注
--Tokinokawa(会話) 2020年4月17日 (金) 11:49 (UTC)
項目の組み換えと内容の一部変更・追記について。その2 以下のように編集したいと思います、
1 概要
2 略歴
・パウロはユダヤ教徒であった。 (注、歴史的に見ると新約聖書の著作の中でこの世に存在していたことが確認できているのは、ナザレのイエスとパウロである。パウロ自身によるものであることがはっきりしている書簡に基づいて、パウロの生涯を見ることが可能である。 )
・イエスはキリストだとする集団が生まれた。
・パウロは多数のキリスト教徒を取り締まり、牢に入れた。 (注、ガラテヤ人への手紙1-22</ref>(注、このことより、パウロは「悪」よりの救済(マタイ6-13)よりも「罪」よりの救済を切実に追及してゆくことになった。ガラテヤ人への手紙2-19)
・パウロはキリスト教徒となった。
・54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、(注、出典『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P921)書簡の中で、パウロは死んだはずのナザレのイエスに出会ったことがあるとしている。(注、コリント人への第一の手紙15-8 )
・54年頃パウロはガラテヤ人への手紙を記し、自らの異邦人への伝道を「キリストの福音」と表現して伝道している。その福音は、すでに死去したナザレのイエスが直接パウロに内的な啓示によって通信してきたものであることを表明した。(注、ガラテヤ人への手紙1-16)
・いくつかの地方に教会を開く。
・投獄される。
・刑死により他界する。( パウロの死んだ年は65年ころとされている。)
・66年から70年、第一次ユダヤ戦争の結果としてエルサレム神殿が崩壊した。パウロの伝道した異邦人への「キリストの福音」が主流となる。
3 パウロの生涯
4 パウロ書簡
.1 パウロが書いた書簡
1-2パウロ書簡の成立年代と著者
パウロ自身が記したのは、テサロニケ人への第一の手紙(執筆年代は50年頃)、コリント人への第一の手紙(執筆年代は54年頃)、コリント人への第二の手紙(執筆年代は54年から55年頃にかけての手紙の集合体とされる)、ガラテヤ人への手紙(執筆年代は54年頃)、フィリピ人への手紙(執筆年代は54年後半頃)、フィレモンへの手紙(執筆年代は54年から55年頃)、ローマ人への手紙(執筆年代は55年から56年頃)、これら以外はパウロの名を使った偽書である可能性が高いとされる。(注、『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P920~P933)
5 パウロ自身が記した書簡に見るキリスト信仰パウロは、刑死により死去したナザレのイエスが生き返ったことを表明した
- パウロは54年ころ、コリント人への第一の手紙の中で、死んだはずのナザレのイエスに出会ったことがあるとしている。(注、コリント人への第一の手紙15-8)
- パウロは50年ころテサロニケ人への第一の手紙の中で、生ける真の神によって、死んだはずのナザレのイエスが死者たちの中から起こされたことを表明した(注、テサロニケ人への第一の手紙 1:9)。
- パウロは54年ころ、コリント人への第一の手紙を記し、神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明した(注、コリント人への第一の手紙 15-4)。
イエスはユダヤ教に予言されていたメシアであり、最後の時は来てしまっている
- 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙の中で、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明した(注、テサロニケ人への第一の手紙 3:13)。ナザレのイエスが主として来臨するという予測を表明したことは、パウロには世の終わりが到達してしまっている(注、コリント人への第一の手紙10-11)という前提となる信念があったことを示しており、それはローマ帝国やユダヤ教が主流の世が裁かれる時がすぐに来ることを意味していた。(注、コリント人への第一の手紙5-13)
- 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙の中で、イエスは私たちの主なるキリストであるということを表明した(注、コリント人への第一の手紙 15:27)。
- パウロは54年頃ガラテヤ人への手紙の中で、自らの異邦人への伝道を「キリストの福音」であるとした。生前のナザレのイエスが説いた「福音」とは異なる「キリストの福音」は、すでに死去したナザレのイエスが、直接パウロに内的な啓示によって通信してきたものであることを表明した。(注、ガラテヤ人への手紙1-16)
神の御子による贖罪によって、神の怒りからイエスは救い出してくれるという予測
- パウロは50年ころテサロニケ人への第一の手紙の中で、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明した(注、テサロニケ人への第一の手紙 1:10)。
- パウロは54年ころコリント人への第一の手紙の中で、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明した(注、コリント人への第一の手紙 15:3)。
また、パウロはコリント人への第一の手紙の中で、アダムにおいてすべての者が死ぬように、そのようにキリストにおいてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明した(注、コリント人への第一の手紙 15:20)。
生きているうちに主の来臨がおきるという終末信仰
6 思想 以下同じ
- パウロは50年ころテサロニケ人への第一の手紙の中で、下記のような終末観を表明した。この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている(注、新約聖書翻訳委員会 2004, p. 495.)。
- パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。(注、テサロニケ人への第一の手紙 4-15)
- パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。
- パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。
- パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。
- パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになるということを、奥義としてテサロニケの信者に書き送っている。
- パウロは54年ころコリント人への第一の手紙の中でも同じように、再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を表明している。(注、コリント人への第一の手紙第15-51)。
--Tokinokawa(会話) 2020年6月7日 (日) 01:08 (UTC) / 注釈の表記の変更--Tokinokawa(会話) 2020年6月16日 (火) 10:56 (UTC)
- 苦言で申し訳ないですが、冒頭に「パウロ」が入りすぎて率直に言って読みにくいです。パウロの記事なのだから自明な部分は省くようにしたほうが良いのでは。また、Wikipedia:箇条書き、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#本文を鑑みるに、人物の説明に箇条書きを多用することが適切とは思えません。一次資料(聖書)から抜き出した結果、文章化するのが困難になっているのではないでしょうか。パウロについて書かれた二次資料を探してみてはいかがでしょうか。--茂林寺たぬき(会話) 2020年6月7日 (日) 01:52 (UTC)
報告 文章を修正し、本文に移行しました。--Tokinokawa(会話) 2020年6月27日 (土) 13:10 (UTC)
- 茂林寺たぬきさんが上に書かれていますが、私からも少々申し上げます。ウィキペディアの方針の一つ「Wikipedia:独自研究は載せない」に一次資料と二次資料の説明があります(WP:PSTS)。すなわち基本的には「二次資料(一部では三次資料)に基づいて」書いて下さいということです。Tokinokawaさんが出典としている岩波の新約聖書の解説や注釈は立派な二次資料でいいのですが、新約聖書翻訳本文は一次資料ですから二次資料の補足として提示したりするのにとどめるべきと思います。また、二次資料についてですが、パウロについて書くのに新約聖書の解説だけに頼るのはだめではありませんが、良くはありません。本来のウィキペディアは多くの人が様々な二次資料によって書き足して改善させていくもので、Tokinokawaさんだけにお願いしているわけではありませんが、現状としてはTokinokawaさんの意欲をかって申し上げているのでご理解ください。(なお私はドラマのあらすじなどを書くのに一次資料だけで書いたりしていますが、それは「たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合」(WP:PSTS)のくだりに依っています。)--Lmk2019(会話) 2020年6月27日 (土) 18:41 (UTC)
文献:研究社『新カトリック大事典』、岩波新書『パウロ 十字架の使徒』での参考文献
[編集]情報 高柳俊一さんが2002年刊行の『新カトリック大事典』の「パウロ」の項目であげている(参考)文献のうち日本語のものは次の通りです。
- 青野太潮「パウロ」『旧約新約聖書大事典』教文館、1989年、897-902頁。ISBN 4764240068。
- G・ボルンカム『パウロ』佐竹明訳、新教出版社、1970年。
- 八木誠一『パウロ』清水書院、1980年。(ISBN 4389420631。)
- 佐竹明『使徒パウロ 伝道にかけた生涯』日本放送出版協会、1981年。ISBN 4140014040。
- R・F・ホック『天幕づくりパウロ』笠原義久訳、日本基督教団出版局、1990年。ISBN 4818400424。
- E・P・サンダース『パウロ』土岐健治、太田修司訳、教文館、1994年。ISBN 4764263815。
- 和田幹男『聖パウロ』女子パウロ会、1996年。ISBN 4789604578。
--Lmk2019(会話) 2020年6月27日 (土) 20:07 (UTC)--Lmk2019(会話) 2020年6月27日 (土) 23:54 (UTC) --Lmk2019(会話) 2020年6月28日 (日) 00:51 (UTC)--Lmk2019(会話) 2020年6月28日 (日) 05:59 (UTC)
情報 青野太潮さんが2016年刊行の岩波新書『パウロ 十字架の使徒』「あとがき」196頁であげている一般読者向けの参考文献は次の通りです。
- 佐竹明『使徒パウロ 伝道にかけた生涯〈新版〉』新教出版社、2008年。ISBN 4400110214。
- 佐藤研『旅のパウロ その経験と運命』岩波書店、2012年。ISBN 4000237950。
- 八木誠一『パウロ』清水書院、1980年。(ISBN 4389420631。)
- 大貫隆『イエスの時』岩波書店、2006年。ISBN 400022154X。第三部「パウロとイエス」
- 荒井献『使徒行伝』上巻・中巻・下巻、新教出版社、1977, 2014, 2016年。(ISBN 4400111563)、ISBN 4400111571、ISBN 440011158X。
--Lmk2019(会話) 2020年6月28日 (日) 11:23 (UTC)
追記文について提案_2020年12月
[編集]パウロ自身が記した書簡に見るキリスト信仰、の項目の最後に、下記の文章を追記したいと思います。
パウロとナザレのイエスの教説の異なっている点は、異端排斥と並んで、終末観があげられる。ナザレのイエスが直接に語った終末観とは、マルコ福音書13:32にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている。<『新約聖書』岩波書店P495(1テサ5:1の注19 青野)>なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており<『新約聖書』新約聖書翻訳委員会岩波書店P55、P57> 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。<再臨の時まで生き残るというのは、パウロの確信であるとされている。『新約聖書』岩波書店P546(コリント第一の手紙15:51における注6 青野)>。
一方、ヨハネ福音書< 執筆年代は90年代、著者は無名の作者で、彼をよく理解した別の人物が今の形に成したとされる。『新約聖書』岩波書店P918 (ヨハネ福音書の解説 小林)>はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている。<『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会>ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。<『新約聖書』岩波書店補注 用語解説P19 裁きの項目 新約聖書翻訳委員会</ref>ちなみに、この世の支配者に対する、裁きの時がすでに来ている例としては、聖霊を冒涜するものは永遠の罪に定められる、とするイエスの教説<ref>マルコ3:28>、があげられる。これはキリスト信者を激しく迫害していたと述懐していたパウロにも十分当てはまる罪であったと考えられる。ユダヤ教徒が、ユダヤ教に精通し、義を求めて熱心に信仰しているというだけで、聖霊冒涜の永遠の罪を犯すリスクにさらされるということは不可思議なことである。また、永遠の罪というのは、原罪という枠組みを超えていて、かつ日常的な心の悪であるようにも見える。罪からの救いを求め、信仰義認論を説いていたパウロは、書簡の中で、自分が救われるためには、あるいは救いの経験があったのは、信仰だったということを述べている。
--Tokinokawa(会話) 2020年12月3日 (木) 02:26 (UTC) --Tokinokawa(会話) 2020年12月20日 (日) 08:12 (UTC)