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ノート:オショー・ラジニーシ

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テンプレートについて

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現在の記事で問題ないと思います。--ダイヤモンド123会話2024年7月18日 (木) 21:18 (UTC)[返信]

現状は学術研究とかけ離れた内容になっており、正直ファンサイトに近い状態です。ご意見は根拠を示し具体的にお願いします。--呉野会話2024年7月21日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
学術研究との落差が現状ではわからないと思いますので、Oxford University Pressの学術書などを使って加筆修正するようにいたしますね。ノートの過去ログを拝見しましたが、「通常の本来の改編の流れから入る場合は、削除から着手することになりますが、編集フィルターに引っ掛からない範囲で行うのが賢明かと思われます。」という驚かされるコメントもありましたので、気を付けてウォッチするようにしようと思います。ファンサイトではないということをご理解ください。--呉野会話2024年7月21日 (日) 13:48 (UTC)[返信]
「通常の本来の改編の流れから入る場合は、削除から着手することになりますが、編集フィルターに引っ掛からない範囲で行うのが賢明かと思われます。」なんて私は書いてませんよ。書いてないことを私に言ってきても困ります。--ダイヤモンド123会話2024年7月22日 (月) 10:07 (UTC)[返信]
私は驚かされるコメントがダイヤモンド123さんのものだとは申し上げておりませんが、誤解を招いたなら大変失礼いたしました。--呉野会話2024年7月22日 (月) 10:44 (UTC)[返信]
仏陀からインドの諸宗教家たち、老子や荘子、達磨から臨済らの禅者、いわゆる宗教家とされる人々のテキストを題材に上げて多くの人々を魅了してきたが、晩年は禅に関する講話を集中的に行なった。の文章は新聞の記事で日付けも書いてあるので問題ないです。--ダイヤモンド123会話2024年7月22日 (月) 13:38 (UTC)[返信]
そうですか。Template:Cite newsをご覧いただき、「publisher」を提供元の社名に修正し、「newspaper」の情報を追加してください。私はこの出典を存じ上げませんので対応はできません。現状では出版社と日付しかなく特定が不可能で、出典として機能しておりません。--呉野会話2024年7月22日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
中外日報はネットで検索しても出てきますよ。記事は持っています。とりあえず出版社と日付けは書いてあるので、少し時間はかかりますが、徐々におっしゃっていることの理解を深め、実行するようにします。あと、ページの事ですが、何ページから何ページ という書き方が悪い、とは思えませんが… 呉野さんもそのような出典の書き方をしている、と思うのですが… --ダイヤモンド123会話2024年7月23日 (火) 11:15 (UTC)[返信]
出典についてご対応いただけるとのこと、承知しました。Wikipediaでは、その文章を残したい側が出典の確認等の対応を行うというルールになっております。確認いただいた際に著者の情報があれば、そちらも入れてください。本記事のような宗教系の記事は特に、関係者やファン、非専門家による情報ではなく、可能な限り専門家の信頼できる情報源を使うことが望ましく、新聞記事を書いたのが専門家ならよいのですが、非専門家や記者の場合、あくまでその人の個人的な意見という書き方が必要とされます。
ページ数についてですが、「現代社会とスピリチュアリティ. 渓水社. p. 63-80」のことですよね。困惑させてしまい申し訳ありません。これはおそらく章全体のページが書かれており、確認しようとする人は章全体を確認して該当箇所を特定しなければならず負担が大きく、そういったことを避けていただきたく「要ページ番号」を付けています。通常は、その記述が書かれている数ページをピンポイントで書きます。もっと適切なインラインテンプレートがあればよいのですが、探してみましたが見つからず、このような注意喚起となっています。ご了承ください。--呉野会話2024年7月23日 (火) 12:53 (UTC)[返信]

文献のリンク切れに対する対応につきまして

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ダイヤモンド123さんへ、文献のリンク切れについてですが、この注意喚起テンプレートは、その部分を除去してほしいということではなく、不正に除去された文献を復帰してリンク切れを解消するべきということなので、文章の除去は行わないでください。リンク切れテンプレートは、出典がウェブ上の情報でそのページがなくなってしまった時に使うことがほとんどで、文献のリンク切れが起こることは、文献が不正に除去されない限りありません。私も初めて文献のリンク切れに使いましたし、文献のリンク切れ自体初めて見たように思います。文献のリンク切れが大量にあることは、行った人の意図がどうだったにせよ、記事破壊が行われた痕跡です。文献を不正に除去してリンク切れにした後に、リンク切れを理由に文章を除去することが通れば、不正な文章の除去が今後も行われてしまいます。

リンク切れは、私の方でそのうち時間を作って記事の履歴を確認し、対応しますので、除去した部分の復帰を行うか、除去前の版に巻き戻してください。よろしくお願いいたします。--呉野会話2024年7月24日 (水) 09:14 (UTC)[返信]

ずっと他のページでも呉野さんとはやりとりしてますが、呉野さんはノートで話し合うことなく、元の文章、文献を削除し大胆に文章をすりかえていますよ。--ダイヤモンド123会話2024年7月25日 (木) 16:39 (UTC)[返信]
返信 (会話:ダイヤモンド123さん宛) :それは、貴方の主張がWikipediaのルールに沿っていないからで、ルールに沿っていない主張がルールに沿っている主張と同じ重みになることはありません。ダイヤモンド123さんはこの記事でもタントラでの主張に何も根拠を示していらっしゃいません。個人的な思いをただ主張されるのみです。ノート:タントラ‎でも申し上げましたが、ルールを読んで、他の記事の様子を見て、何が良くて何が悪いのか、理解するよう努力してください。ここが百科事典を作るボランティアの場であり、貴方もお客様ではなく、Oshoのために参加しているのでもなく、中立かつ真摯に行動するべき一ボランティアであることを理解してください。Wikipedia:自分自身の記事をご覧いただきたいのですが、Oshoと関連記事にのみ、一定の傾向を持って関わるダイヤモンド123さんや他の利用者は、客観的に見て目的外利用者の懸念があります。Wikipedia:エチケットWikipedia:善意にとるについても、守っていただきたいと思います。ダイヤモンド123さんはあまり編集を行っていらっしゃらないですし、関係のない記事を目的なく編集するという一般的な編集も行っていないのですから、他の利用者の編集には理由があるのではないか、理解していないルールがあるのではないかと考えてみてください。
記事はダイヤモンド123さんによる除去前の状態に復帰します。よろしくお願いいたします。--呉野会話2024年7月27日 (土) 11:26 (UTC)[返信]
4年前に、このページがあまりにも酷い嘘で塗り固められた記事、しかも全く中立でない記事だったので驚いてWikipediaの編集を始めました。もちろんボランティアであり、善意です。--ダイヤモンド123会話2024年7月28日 (日) 11:46 (UTC)[返信]
返信 (会話:ダイヤモンド123さん宛) :「Wikipedia:善意にとる」は、利用者本人が善意かどうかではなく、相手の編集・行動をまず善意に取りましょうということなので、リンク先を読んでいただけないでしょうか。Wikipediaで問題行動を起こす利用者の多くは、おそらくほぼ善意だろうと思うので、ある記事を編集する動機が善意かどうかはあまり問題ではありません。
中立だとおっしゃるのなら、ここのルールを学び、記事を特定の方向にもっていこうとするのは止め、個人的な見解や感情を無根拠に提示するのではなく、その意見の根拠を示し、論理的に会話をしてください。相手の言っていることを聞き流すのではなく、聞いて対応してください。「こんなことがありました。だからこれは間違っています」というだけでは、ソースがなく、根拠を示したことにはなりません。また信頼できる情報源があったとしても、別の信頼できる情報源による記述を記事から消す根拠にはなりませんし、そもそも関係者発信の情報は極力使用するべきではありません。
「現在の記事で問題ないと思います。」とおっしゃっていましたが、ダイヤモンド123さんがこう言われた時点でこの記事は問題だらけで、問題ないと言われるということは、百科事典がどういうものか、Wikipediaがどういうものか、あまり理解されていないと感じました。Wikipediaの他の良質な記事を見たり、出版社が出している百科事典を見るなどして、どうか学んでください。
無根拠な個人的意見やルールを理解しない意見の繰り返し、納得せず同じ主張の繰り返しなどをされると、Wikipediaの成長を阻害するため、ダイヤモンド123さん個人についてコメント依頼を出さなければならなくなるかもしれませんし、場合によってはアカウントのブロックに至るかもしれません。ルールに反することはできない、貴方の感情を害したとしても信頼できる情報源による記述を消すことはできない、記事をコントロール下に置くことはできない、できないものはできないということを受け入れてください。よろしくお願いいたします。--呉野会話2024年7月28日 (日) 12:31 (UTC)[返信]
不正に除去された参考文献を復帰し、出典のリンク切れエラーを解消しました。--呉野会話2024年7月28日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

「日本語書籍」節の注意喚起テンプレートの除去につきまして

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ダイヤモンド123さんへ、「日本語書籍」節の注意喚起テンプレートを、ノートでの議論なく除去されていますが、状態も経緯もよくない記事ですし、事前にノートで議論してください。先行する同様の議論についてはノート:船井幸雄をご参考ください。どんどん思ったように編集するのではなく、他の記事やルールをよく見て学び、疑問があれば作業の前に他の利用者の意見も聞き、落ち着いて、炎上を防ぐよう作業していただきたくお願いいたします。--呉野会話2024年7月24日 (水) 10:20 (UTC)[返信]

私も呉野さんにノートでの議論なく、私がつけたテンプレートを削除された事ありますよ。--ダイヤモンド123会話2024年7月25日 (木) 16:44 (UTC)[返信]
同上です。--呉野会話2024年7月27日 (土) 11:26 (UTC)[返信]

改名提案

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日本語で「Osho」表記が全く見られないので改名が必要なのですが、Wikipedia:記事名の付け方から、ルール上記事名は「OSHO」ではなく「オショー」にする必要があります。日本では「和尚」表記も一時期使われていたようですが、一般名詞であるため避けるべきです。なお、いろいろ確認しましたが、学術書では「Osho」「OSHO」「オショー」表記は見られませんでした。「ラジニーシ」が最も多く「和尚・ラジニーシ」がいくつか見られるという感じです。「オショー・ラジニーシ」か「オショー=ラジニーシ」が一番中立的かもしれませんが、とりあえず「オショー」で提案します。--呉野会話2024年7月27日 (土) 13:36 (UTC)[返信]

英語版のトークページのアーカイブを最近のものまで確認しましたが(最新のアーカイブ en:Talk:Rajneesh/Archive 12)、信奉者が一次資料と検索結果の数を根拠にOSHOへの改名を提案し、コミュニティがルールに従って学術的な二次資料を根拠に却下するという動きが繰り返されており、確かにWikipediaのルール上現状もまずいのですが、「オショー」への改名も不適切だと思われ、「ラジニーシ」「パグワン・シュリ・ラジニーシ」への改名が適当ということになります。現在日本ではオショー=ラジニーシ運動は下火で、そのため情報発信がほぼ運動側からしかなく「OSHO」表記となっていることから、改名案は折衷的に「オショー・ラジニーシ」に修正します。--呉野会話2024年7月30日 (火) 09:38 (UTC)[返信]
返信 (利用者:Strangesnowさん宛) :確かに「ラジニーシ」「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の方が、本当は望ましいのですよね…。「レセプション」節を翻訳していても、様々な人物(彼への評価が良い人も含め)の発言の引用部分は「ラジニーシ」呼びで、OSHOは皆無でした。「ラジニーシ」「バグワン・シュリ・ラジニーシ」に改名しても、OSHOで検索すれば表示されるでしょうし、アクセシビリティは問題ないかもしれません。かなり悩んでいます。--呉野会話2024年7月31日 (水) 13:09 (UTC)[返信]
コメント:Oshoに改名した方々やファンの方々にご理解いただきたいのですが、ブラック寄りのグレーくらい妥協して「オショー・ラジニーシ」案をお出ししています。--呉野会話2024年7月31日 (水) 13:09 (UTC)[返信]
賛成オショー・ラジニーシ」への改名に賛成します。但し、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」への改名がよりベターだとは思っています。主題の人物が第三者に言及されるとき「ラジニーシ」ないし「バグワン」と呼ばれることが多いのですから、WP:CRITERIAの観点からみて、Oshoよりも適切な記事名でしょう。
(最終的に反対意見は無視され改名されてしまいましたが)以前の改名提案でも説明した通り、一般的に主題の人物には「Bhagwan Rajneesh」としての言及数が多いです。Osho表記は彼のフォロワー以外には一般的ではありません。--Strangesnow会話2024年7月30日 (火) 17:41 (UTC)[返信]
報告 改名しました。「バグワン・シュリ・ラジニーシ」への改名は、必要が生じた場合に再度検討したいと思います。--呉野会話2024年8月12日 (月) 11:17 (UTC)[返信]

呉野さんが書いたレセプションについて

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この文章は中立ではなく、批判的な側面を含んでいると解釈される可能性があります。

☆語調と表現

「最も物議をかもした一人」「人を怒らせ感情を逆撫でする」「攻撃し、軽侮の念を示し、嘲笑った」などの表現は、Oshoの行動や影響を否定的に捉えています。

☆一方的な視点

 文章全体がOshoの否定的な面に焦点を当てており、彼のポジティブな影響や支持者の意見はほとんど触れられていません。これはバランスの取れた中立的な視点とは言い難いです。

☆批判的な言葉の選び方

「カルト」「けばけばしく、とんでもなく贅沢に」などの言葉は、非常に批判的なニュアンスを持ちます。これらの言葉は読者に強い否定的な印象を与えます。

☆ 証拠の不明確さ

「見なされていた」「思われる」といった表現は具体的な証拠が不明確であり、主観的な意見を含んでいるように見えます。


--ダイヤモンド123会話2024年7月29日 (月) 11:44 (UTC)[返信]

英語版の翻訳であり、学者による信頼できる情報源を出典とした学者の見解なので、問題ありません。学者が研究を開陳し意見を述べる権利がないというのはとんでもないことです。「カルト」「けばけばしく、とんでもなく贅沢に」といった表現ですが、否定的に捉えらていたということを伝える表現なので、問題ありません。ダイヤモンド123さんは、過去に否定的に捉えらていたという記述の記載自体を拒否されていますが、個人的な意見で拒否できるものではありません。出典の信頼性を完全に無視し、個人の見解をごり押しすることはできません。なぜそのようにルールを軽視されるのでしょうか?コミュニティのルールを尊重する気はありますか?出典のある記述を根拠のない個人的な意見で消すことはできませんし、別の根拠があったとしても両論併記になるので消すことはできません。できないものはできないということを受け入れてください。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないをご覧ください。よろしくお願いいたします。--呉野会話2024年7月29日 (月) 12:32 (UTC)[返信]

セックス・グルという表現に対して

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Oshoの教えにおいて、セックスを超えるという考え方は、セックスを単なる肉体的な行為として捉えるのではなく、精神的・霊的な成長の一部として見ることに関連しています。彼の「セックス・グル」という呼び方が一般的な理解やメディアの報道によって広まりましたが、それは彼の教えの一部だけを取り上げています。

Osho自身はセックスを否定するのではなく、それを超越し、変容させることを教えています。つまり、セックスを通じて高次の意識や霊的な成長を達成する手段として捉えていたのです。

Oshoの教えが一般的な理解やメディアによって誤解され、「セックス・グル」としての側面だけが強調されています。これは彼の教えの全体像を捉えず、一部を切り取ったものです。そして、Oshoの教えの全体像や彼がセックスについて持っていた深遠な考え方を正確に反映していません。Oshoの教えは、文脈や具体的な説明が重要です。彼がセックスについてどのように話していたか、その背景や意図を理解することが重要です。

Oshoの教えを「セックス・グル」という単一の表現でしか言及していない論文は、彼の思想や意図を正確に伝えていない可能性が高いです。

☆誤解を招くリスク☆ Oshoの教えを「セックス・グル」という表現だけで片付けると、彼の思想が単純化され、誤解を招く恐れがあります。彼の教えはセックスに限らず、広範な霊的探求や個々人の成長、禁欲主義への批判などを含む複雑なものでした。

論文について

1,文脈の欠如 

Oshoの教えを理解するためには、彼がセックスを超越する手段としてどのように位置づけていたかという文脈が重要です。この文脈が欠けていると、彼の意図が正しく伝わらない可能性があります。

2,学問的な公平性の欠如 

学術論文は、対象とする人物やテーマを多角的に検討し、公平かつ包括的に取り上げることが求められます。「セックス・グル」というラベルだけでOshoを評価する論文は、この学問的な基準を満たしていない可能性があります。

3,読者の誤解 

このような論文を読んだ人々は、Oshoの教えの一側面しか知らず、彼の思想全体を理解する機会を失ってしまうかもしれません。

総じて、そのような論文はOshoの教えや意図を正確に反映していないため、学問的な価値や信頼性が低いと評価されるべきです。Oshoの思想を正確に伝えるためには、彼の教え全体をバランスよく取り上げ、その背景や意図を詳しく説明することが重要です。

セックス・グルの文章を削除するか、Oshoの本来の言葉や意図をいれる事をして中立にした方が良いと思います。--ダイヤモンド123会話2024年8月7日 (水) 23:19 (UTC)[返信]

ダイヤモンド123さんへ、Wikipedia:コメント依頼/ダイヤモンド123を提出しました。是非コメントいただきますようお願いいたします。--呉野会話2024年8月8日 (木) 12:22 (UTC)[返信]
Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダイヤモンド123を提出しましたのでご報告します。--呉野会話2024年8月14日 (水) 12:07 (UTC)[返信]
ダイヤモンド123さんは投稿ブロック依頼に基づいて無期限ブロックされました。--呉野会話2024年8月21日 (水) 13:05 (UTC)[返信]

呉野さんへ

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呉野さんから以前参考文献のページ数を詳細に記載するよう求められました。しかし、呉野さんもP〇~〇と漠然に書かれておりますので詳しいページ数を記入してください。

--ダイヤモンド123会話2024年8月13日 (火) 07:46 (UTC)[返信]

Oxford Academicに掲載されたHTML形式の論文は、ページの記載は章ごとで1ページ毎ではありません。doiのリンク先をご確認ください。--呉野会話2024年8月13日 (火) 08:14 (UTC)[返信]
以前、呉野さんから参考文献のページ数を詳細に記載するよう求められましたが、今回はその基準が適用されてないように感じます。編集の一貫性を保つためにも、すべての参考文献について同様の詳細なページ数を記載するべきではないでしょうか?
HTML形式の論文でページ数が章ごとに記載されてる場合でも、特定の引用箇所をより明確にするために、章番号やパラグラフ番号を記載することができると思います。その方法で引用箇所をより明確にすることが可能ですので、その情報を追加して頂けますか?
Wikipediaのガイドラインに基づき、引用箇所が読者にとって明確であることが重要だと思います。HTMT形式の論文であっても、読者が該当箇所に迅速にアクセスできるよう、可能な限り具体的な情報(例えば章番号やセクション名)を提供することを提案します。--ダイヤモンド123会話2024年8月13日 (火) 21:46 (UTC)[返信]
章番号を求められているようですが、章のページ数を記載していますので、章番号が掲載されているのと同じ状態です。「参考文献」に章ごとに別の資料として掲載するなら、章の番号を入れられますが、それは章ごとに作者が違う場合に行うことで、同一の作者が全体を書いた本では一般的に行われていません。
もっと細かく章の中のパラグラフまで掲載を希望されるということなら、Template:CitationTemplate:Cite bookのノートページに、ご希望の機能を加える改装をご自分で提案し、合意形成して、実装されれば良いかと思います。
また、私の会話ページにも同様の内容を書き込まれていましたが、一刻を争うようなことではないので、どうか落ち着いて行動してください。--呉野会話2024年8月14日 (水) 04:03 (UTC)[返信]

版指定削除依頼のご報告

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ダイヤモンド123さんが伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ―現代人の宗教意識の社会学的探究』渓水社〈愛知学院大学文学会叢書〉2003年を出典に行われた加筆ですが、出典の文章そのままで著作権侵害に当たるため、版指定削除依頼を出しています。4年近くの版が閲覧できなくなるので避けたい気持ちはありましたが、致し方ありませんでした。--呉野会話2024年8月13日 (火) 09:04 (UTC)[返信]

記事内容の変更を希望するファンの方へ

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オショー・ラジニーシの熱烈な信奉者で、ルールを実質無視した提案を繰り返していたダイヤモンド123さんは、投稿ブロック依頼に基づいて無期限ブロックされました。

今後、現状に不服で内容の変更や除去を希望している信奉者の方は、「Wikipedia:ウィキペディアへようこそ」や、 「Wikipedia:ウィキペディアへようこそ#参考となるページ」に掲載されたページをよく読み、他の記事や議論にも目を通し、百科事典とはどういうものかという認識を得て、ルール内でしか提案はできない(100%希望が通ることはない)ことを理解したうえで、ノートで提案してください。勝手な除去は行わないでください。ルール上ありえない提案、合意を得られない提案を、何度も繰り返さないでください。詭弁を弄さず、暴言は控えてください。

ノートページの軽率なアーカイブ化は行わないでください。このノートページのアーカイブにある議論は、かなりルールを無視しており参考に適さないので、コミュニティ全体を見てルールを学んでください。どうぞよろしくお願いします。--呉野会話2024年8月21日 (水) 13:05 (UTC)[返信]