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Wikipedia:コメント依頼/ダイヤモンド123

利用者:ダイヤモンド123会話 / 投稿記録 / 記録さんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。--呉野会話2024年8月8日 (木) 12:17 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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アレイスター・クロウリーの編集を行った際に、興味深い資料があったので、ついでにタントラの編集を行ったのですが、ダイヤモンド123さんがノートに「オショーラジニーシ運動の箇所が荒れている件」という節を立て「オショーを嫌う者が書いた記事であり改善する必要あり。」という投稿をされ、中立性に問題があるとして記事に「観点」のテンプレートを付けられました。私がタントラで行った編集は、Wikipedia図書館から閲覧できるOxford Academicの、Oxford University Pressから出版されている学者ヒュー・B・アーバンによる学術書で、アーバンが複数名取り上げられている現代のタントラに関する人物の中で、Osho(ラジニーシ)について特に悪く書いているわけでもなく、私がアーバンの評価より下げて書いたということもありません。好きも嫌いもありません。

ダイヤモンド123さんの主張には特に根拠も内容もなかったので、私が行った記述に問題がないことを説明し、記事からテンプレートを除去したところ、ノートに「テンプレートを勝手に外さないで下さい。全く強引でやり方が酷いですね。」という返信がありました。

Oshoに関する情報を自分が思うようにしたいという気持ちの強さと、荒い口調で押せば行けるという確信を持っていそうなところが気になり、Oshoのページの方も、出典の文献が不正に除去されてリンク切れになっていたところは過去の記事から文献を戻し、Oxford Academicで資料を探して手を入れました。

ダイヤモンド123さんにも、ノート:タントラノート:Oshoで、ルールを読んでほしいとお願いしたり、いろいろご説明したのですが、編集を焦って進めることはなくなったものの、ルールを読んでいただいた形跡がなく、独自の主張を繰り返されています。最新の投稿での主張も相変わらず理解の改善が全く見られないため、コメント依頼とさせていただきました。

【問題点】
Oshoに関する情報を自分が思うようにするためにWikipedia日本語版に参加している。Oshoに関連しない編集は見られない。
これは編集履歴を見ていただければ確認いただけます。非常に熱心なOshoの信奉者でいらっしゃいます。
Oshoについて書いていいことダメなことを決めるのは自分だと考えている。
「セックス・グル」という呼び名を消すよう主張されていますが、教団内で修行の一環としてグループ・セラピーとしてセックスがありだった時代、インドで広く言われていたために書かれているので、マスコミが彼の思想を誤解しているから書いたらダメ、という話にはなりません。ノート:Oshoで「Oshoの教えが一般的な理解やメディアによって誤解され、「セックス・グル」としての側面だけが強調されています。」と主張されていますが、それはダイヤモンド123さんの気持ちです。
記事に文句を言いつつ記事を読んでいないのではないか。そうでなければ、自分が気に入らない記述はダメと思っていないか。
ノート:Oshoで「セックス・グルの文章を削除するか、Oshoの本来の言葉や意図をいれる事をして中立にした方が良いと思います。」と言われていますが、Osho#タントラと性愛で彼の主張の複雑さは説明しており、記事を読んでいらっしゃるのか疑問に思いました。そうでなければ、「自分が思った形でないから嫌」ということなのでしょうか?
Oshoの教えの正しい理解をしているのは自分で、学者の論文や学術書より、自分の理解が正しいという考え。
Oshoの教えを「セックス・グル」という単一の表現でしか言及していない論文は、彼の思想や意図を正確に伝えていない可能性が高いです。」と言われていますが、そのような単純な情報しか掲載していない文献は使っておりません。一度でも「セックス・グル」という言葉を使った文献はNGということでしょうか?
論文には学問的な価値や信頼性が低いものがあり、それをジャッジする基準は自分が示すものであり、Wikipedia日本語版は自分が示した基準に従うべきであるという考え。
利用者一人の理解や価値観と照らし合わせて出典の良しあしをジャッジするということは行いません。それが通ると思っていらっしゃることに衝撃を受けました。
出典の大切さを理解していない。
以前の編集で一部の出典の文献情報が不正に除去されており、そのため一部の出典がリンク切れ(記事内の飛び先の文献情報がない状態)になっていたため「リンク切れ」のインラインテンプレートを付けたのですが(後で直そうと思っていたのと、私が手を入れる前のダイヤモンド123さんが記事に問題はないと言われていたので、問題が分かりやすくなるように行いました)、その出典を除去してしまわれました。「文献を不正に除去してリンク切れにした後に、リンク切れを理由に文章を除去することが通れば、不正な文章の除去が今後も行われてしまいます。」と説明したのですが、それに対する返信が「ずっと他のページでも呉野さんとはやりとりしてますが、呉野さんはノートで話し合うことなく、元の文章、文献を削除し大胆に文章をすりかえていますよ。」で、出典の重要性を理解しているとは思えません。

参考リンク

依頼者のコメント

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ルールを理解しようという姿勢が見られないこと、アカウントの作成は2020年9月11日で、Oshoと関連記事を長期的にウォッチしながら、意に沿わない編集があった時に現れること、今主張が通らなくても、長い目で記事を監視し続け、記事への注目が低下したところで、「自分にとって悪い文献」を使った記述を一掃しようと試みることが懸念される事から、ご自身の価値観やルールよりWikipediaのルールを優先することを学んでいただくか、編集をしないでいただくか、対応が必要だと思い、コメント依頼とさせていただきました。

今回の問題は、信者がその宗教の記事に表れ、影響力を行使しようとする典型だと感じます。信者が満足するその宗教の学術研究はあまりないでしょうし、信者の気持ちで出典をあり、なし、とジャッジして文献を選ぶということは、Wikipediaのルールに合致しません。私は何度も、何をすべきと主張する時は根拠を示してくださいとお願いしていますが、根拠が示されたことは一度もありませんでした。実質的に応答が成立しておらず、このまま応答し続けてもキリがありません。活動の価値観がWikipediaのルールとかけ離れていらっしゃいます。--呉野会話2024年8月8日 (木) 12:17 (UTC)[返信]

伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』を出典とした文章を書き替えたのは、文章を完全にそのまま持ってきており、著作権を侵害していたためです。本当なら著作権侵害で版指定削除する必要があります。
ダイヤモンド123さんが行ったタントラの加筆というのはこれのことでしょうか?Oshoの著作を出典にしたもので、一次資料であり、非常に多くの人間が関わり長い歴史を持つタントラで、学術書を出典とする記述の補足として使われているならともかく、彼の言葉を直接引用する必要性はありません。ファンが感銘を受けたOshoの文章をWikipediaに載せてたくさんの人に読んでほしかった、という文章に見えます。十分な学術資料があるトピックであり、一次資料を使う必要性がなく、このようなトピックで意味なく一次資料を使うこと自体が独自研究に当たると言えるでしょう。Oshoの言葉をそのまま載せたい、学者の研究や解釈は不要または有害だとお思いなのかもしれませんが、ここはファンサイトではありません。ノートでの説明が抜けていたのは私の落ち度です。失礼しました。
重要な宗教のトピックの記事でこのような編集をされるのは、ダイヤモンド123さんがOsho関連の記事しか見ず、他の記事の編集も行わず、Wikipediaにおける常識、ルールを学んでおらず、百科事典がどういうものかを考えていらっしゃらないからだと思います。ダイヤモンド123さんが言う「中立」は、「ダイヤモンド123さんにとっての中立」、貴方のフィーリングの中立で、Wikipediaのルールで示されている中立ではありません。ご自身が持つイメージを守ろうとパトロールされても、Wikipediaのルールや「百科事典とはどのようなものか」を度外視しての言動には、こちらも対応に苦慮してしまいます。根拠を示さずに編集を否定され、これがいつまで続くのかと、正直辟易しています。根拠というのは、「私はこう思います」ということではありません。
Oxford Academicで読める文献に対し、程度が低いので使うべきではないと言われるとは思いませんでした。Oxford Academicで読める文献はハイレベルですし、Wikipedia図書館から閲覧できるもので、つまりWikipedia推奨です。Wikipediaのルールを学び尊重していただかない限り、共同で中立的な記事を作成することはできないと思います。
ここはダイヤモンド123さんに対するコメント依頼です。ご自身に対する疑問を私に対する疑問で打ち消そうとするのではなく、提示された疑問に真摯に応え、どう改善するかを示してください。ご自身に問題はないとお考えなのでしょうか?場のルールを学び、学術研究の重要性を認識し、信頼できる情報源を尊重する姿勢を持ってください。よろしくお願いいたします。--呉野会話2024年8月9日 (金) 16:27 (UTC)[返信]
ご自分のフィーリングで学術研究をジャッジし、意に沿わないものを不適格だと主張する、ダイヤモンド123さんのその姿勢が問題なのです。一利用者が持つイメージが、学術研究の質を判断する基準になりえるでしょうか?ダイヤモンド123さんがOshoに肯定的な学術研究を出典に加筆し、私がそれを除去している、という状況ではないことをご理解ください。ダイヤモンド123さんが最優先しているのは、ご自分の中のOshoの解釈・イメージでいらっしゃるようですが、ここで最も優先すべきなのはWikipediaのルールで、その枠の中で編集・提案してください。百科事典的であることを意識し、コミュニティのルールに沿い、常識に沿って加筆され、ノートで提案されているなら、私も特に申し上げません。--呉野会話2024年8月10日 (土) 03:13 (UTC)[返信]
そうですか。それでは、「建設的な議論」に必要不可欠な「信頼できる根拠資料」を提示せずに、「ご自分の見解のみ」を論拠に、信頼できる情報源と、それを出典とする記述の除去を提案する理由をご説明いただけますか?--呉野会話2024年8月11日 (日) 11:25 (UTC)[返信]
返答いただきありがとうございます。インデントは可読性のために、私の方で追加させていただきました。
『セックスグル』と呼ばれたという話は、単に彼の活動から当時の社会で広く呼ばれていたという紹介で、信頼できる情報源に基づいており、Wikipediaに根拠なくそう掲載されているわけではなく、名誉棄損にはなりえません。該当部分は英語版からの翻訳ですが、Oshoのフォロワーも英語話者の方が圧倒的に多いでしょうが、訴えられていませし、記述の除去に執心する方もいません。
ダイヤモンド123さんは、これが信頼できる情報源に基づいた記述であり、Wikipediaのルールを認識したうえで、それを覆そうと、独自研究を積極的に肯定され、実行を試みられているということですね。貴方が言う「中立性」「バランスの取れた表現」は、貴方の見解に過ぎず、ルールより自分のものの見方を上に置いており、ここでいう独自研究です。私からは、ここでこれ以上お聞きすることはありません。1週間ほど待って状況に変化がなければ、次の段階に移りたいと思います。--呉野会話2024年8月12日 (月) 00:32 (UTC)[返信]
可読性のために、私の方でインデントを追加させていただきました。インデントの対応に感謝いただくのは結構ですが、次の機会があればご自分で適切に対応いただくようお願いします。--呉野会話2024年8月12日 (月) 09:21 (UTC)[返信]

ダイヤモンド123さんのコメント

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Oshoに関する記事について、私は呉野さんが書いた一部の内容が中立性に欠けると感じていたり、呉野さんに疑問を持っていたりします。具体的には 1,2021年11月9日 ヨーガのページ 呉野さんは、Osho 信仰や伝統に挑戦し覆したと賞賛される一方論争の的となった。という文章を、バグワンシュリラジニーシ 信仰や伝統に挑戦し覆したと賞賛される一方批判も多かった。 という批判的な文章に書き換えています。 2,瞑想のページ 私が執筆した参考文献付きの文章が呉野さんにより削除されましたがその削除がなぜ行われたか理解できず、少し困惑しました。このような場合、事前にノートページで議論を行う事で、互いに理解を深め、合意を得る事ができます。 3,タントラのページで私が執筆した文章、文献を削除し、全く違う文章に書き換えられていました。 タントラのページ、Oshoのページの意見はほぼ同じで、Oshoのノートページのセックス・グルという表現に対して に詳しく書いてありますのでそこを読んで下さい。

呉野さんは私の事を信者と言いますが、信者ではありません。Oshoは正しくは宗教ではありません。宗教法人ではなく財団法人です。かといって私はOsho財団法人のメンバーでもございません。 4年前にOshoのページが嘘で塗り固められていており、直そうと試みましたが、そのページを手掛けていた、確かMiccago という方だったと思います。全く修正を受け入れてくれませんでした。彼は上手だったので、あたかも私や嘘を直そうとする人たちが投稿ブロックされてしまったり不利な状況に追い込まれました。が、その後、ノートの話し合いにより彼はある日出てこなくなりました。そのようなことがあってからパトロールが必要だと感じ現在に至ります。

私達が共同で中立的な記事を作成するために、もう少しオープンな意見交換を進めたいと思います。ご意見いただけると幸いです。

--ダイヤモンド123会話2024年8月9日 (金) 13:53 (UTC)[返信]

Wikipediaのガイドラインに従い、特に二次資料を重視することの重要性は理解してます。しかし、その事がOshoの意図が十分に反映されていない解釈が目立つのはとても残念です。学術論文の多くの表現がOshoの言っている事の深さや微妙なニュアンスを十分に伝えてないと感じます。そして、記事がOshoの本質を正しく表現していないという気持ちを抱かせています。
Wikipediaの記事は、その編集者の視点や立場によって、内容が大きく左右されることがあります。特にOshoに関しては、彼に対する批判的な見解を持つ編集者によって、記事が偏った内容になる可能性があると感じています。こうした状況は、Oshoの言っている事や意図を正確に伝える上で、大きな障害となってるように思います。私としては、記事が公平、かつ中立的に、Oshoの思想の多面性を反映できるような内容になってほしいと願っています。
--ダイヤモンド123会話2024年8月9日 (金) 23:45 (UTC)[返信]
私はWikipediaのノートページが、記事の正確性や中立性を議論するための場だと理解しています。学術論文も含め、記事に引用する情報の正確性やバランスを議論することは、より良い記事作成に不可欠です。
その為、学術論文の内容について意見を述べることは、決して否定的な行為ではなく、むしろ必要なプロセスだと思います。意見を交わすことで、多様な視点を取り入れ、より中立性で信頼性のある記事を作成できるのではないでしょうか。
私の意見も一つの視点として尊重され、建設的な議論に役立てていただければ幸いです。
--ダイヤモンド123会話2024年8月10日 (土) 09:30 (UTC)[返信]
Wikipediaは中立的な観点を持つべきであることを理解してますが、『セックスグル』という呼び名はあまりにも過激であり、名誉毀損のリスクがあると考えています。Oshoの活動を続ける団体や個人、グループが現在も存在しており、このような呼称が彼らの名誉を傷つける可能性があることを考慮すべきだと思います。信頼できる二次資料に基づいた記述が重要であることは理解してますが、名誉毀損のリスクを回避するためにも、慎重な言葉選びが必要だと提案します。この記事の中立性を維持しつつ、バランスの取れた表現を探る方法を模索したいと思います。--ダイヤモンド123会話2024年8月11日 (日) 19:39 (UTC)[返信]
呉野さんは私の意図を誤解している可能性があります。私は名誉毀損のリスクを減らす為に、慎重に言葉を選ぶべきだと提案したのですが、呉野さんはそれを「独自研究を押し進めようとしている」と解釈しています。
Wikipediaでは、中立的な視点を保つことが重要ですが、その中でも名誉毀損や誤解を招く可能性のある表現を避けることも大切です。
私は独自研究を試みようとしてるわけではなく、中立性を保ちながらも名誉毀損のリスクを避けるために、慎重に言葉を選ぶことが重要だと思います。--ダイヤモンド123会話2024年8月12日 (月) 05:40 (UTC)[返信]
付け加えです。まずはインデントの件、ありがとうございました。呉野さんから学ぶ事は多く感謝しております。
英語版と日本語版を同じにする必要はない、と考えます。アメリカでは「表現の自由」の権利が強く保護されています。そのため、アメリカでは問題とされない表現が日本の法律や文化的背景では名誉毀損と見なされることがあります。日本語版のWikipediaの読者も日本国内の法律や社会通念に敏感であるため、表現にはより一層注意が必要だと考えます。申した通り、日本には多くのOshoの活動をしているグループや個人がいる為、言葉の選び方には慎重になる必要がある、と考えます。--ダイヤモンド123会話2024年8月12日 (月) 08:13 (UTC)[返信]

コメント

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まとめ

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被依頼者の理解状況、参加目的を十分に見れたこと、また被依頼者のコメント依頼以外での言動を見るに、反省したりWikipediaのルールへの理解を深めようという姿勢が見られないことから、予告より早めにはなりますが、長引くことによる被依頼者への負担も考慮し、早めに終了いたします。ありがとうございました。--呉野会話2024年8月14日 (水) 10:11 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/ダイヤモンド123を提出しました。--呉野会話2024年8月14日 (水) 11:17 (UTC)[返信]