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ノート:船井幸雄

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過剰に思われる著書の列挙について

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この記事の船井幸雄#書籍の節はWP:NOTCATALOGWP:IINFOWP:NOTDIARYに接触するように見受けられました。 著書を掲載すること自体は問題ないと思いますが、著書の記載文は70行以上あり、量が過剰に思われます。 Wikipediaは宣伝やカタログ、情報を無差別に集める場所ではない(WP:NOTDIARYにはその人物の関与する出来事全てが重要とは限らない、とあります)ため、例えば賞を受賞したとか、記事主題の人物の経験した出来事の上で重要な著書であったとか、何らかの第三者が検証可能な基準や議論により掲載する書籍は絞っておくべきだと考えます。

また、この節に限らず、その人物がかかる些細な出来事、関わった仕事のすべてを列挙するような節として船井幸雄#プロデュースもあります。--Mariobanana会話2022年12月13日 (火) 12:58 (UTC)[返信]

理由を説明いただきありがとうございます。ただ、掲載冊数が多いのは著作自体が多いためで、賞を受賞したか否かで掲載する著作を絞るというようなやり方は、他の人物の記事でも見たことがありません。Mariobananaさん独自の方法ではないでしょうか?例えば、私が執筆したルイーザ・メイ・オルコットの記事は、著作の情報がかなりの量になっていますが、良質な記事の選考で認められています。「何らかの第三者が検証可能な基準や議論」で記事を絞るというのは、わたしには困難ですし、彼の著作の内容はかなり重複しており、あの本よりこの本が重要、という判断を私が行えば、独自判断になります。船井氏に関しては、昔の赤川次郎並みのペースで書籍を刊行して、一時代を作ったということ自体が一つの特徴でもありますし、掲載は問題ないと思っています。著作の掲載を削りたいのでしたら、具体的にこれを基準に、これを参照にと提案いただけないでしょうか?私にはいいアイデアがありません。ただ、労力をかけて記事を絞っても、読者への利点は労力に対して薄いように思われます。船井幸雄#プロデュースに関しても、あんなアレな本をこんな社会的地位のあった人がプロデュースしていたというのは、埋もれてしまってはいけない事実なので、掲載で問題ないと思います。--呉野会話2022年12月14日 (水) 09:18 (UTC)[返信]
ご返信、ご意見ありがとうございます。
ご提示いただいたルイーザ・メイ・オルコットの記事の人物は小説家となっており、著作自体がその人物の功績にあたるようです。
また、その著作について、ある程度の割合はWikipedia内でその著作やその著作が属するシリーズが単独記事として立項されているようでした(単独記事立項がなされている→有意な第三者言及がある著作)。
単独記事立項されていない著作についてはちょっとわからないですが、判断された方々から強いお墨付きを得たというよりは、その人の創作性が影響する小説ということで掲載に害はなく有益と判断されたのではないでしょうか。
一方で議題の人物は啓発書やビジネス書が多く、そういった書籍は個人の創作性を評価するというよりビジネスや宣伝に近いものとなりますから、個々の著作の特筆性については不明瞭に思われます。
もちろんビジネス手法などで何らかの賞を受賞した、とか世間ですごく反響があった(ことがニュースなどで確認できる)、とかがあれば別です。
私の提案としては第三者言及が確認できる著作のみにすることを提案いたします。
出版物がその人物の評価を上げるにしろ下げるにしろ影響したのであれば、第三者言及があると思います。
有用性についてですが、アレな本というのはちょっと私はわかりかねますが、著作がその人物の評価に影響したのであれば、その著作との関わりを
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「本の名称」[注釈 1]
== 注釈 ==
  1. ^ ~はこの本について「あまりにも~であり非常に残念である」であると評した[1]
== 出典 ==
  1. ^ 評論の出典
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のように掲載することが記事を見る方にも有用な情報になるのではないでしょうか。
ただの列挙だと宣伝や書店サイトのようになってしまいます。
分かりやすいように「絞る」という言葉を使っていましたが、より正確にはWikipediaの方針(WP:NOTCATALOGWP:IINFOWP:NOTDIARY)に基づき、「無差別な収集にならないよう掲載する」ことをもとめております。
そのため、「絞る」という編集を提案する側に責任があるのではなく「掲載する」方に責任がある認識で指摘をさせていただいております。
記事中の文章によると400冊以上の著書があるとのことですが、現状列挙されているものは70冊あまりとなっており、既に何らかの選定がなされているようですが、どのような基準で選定されたのかは現状でもわからない状態であることを申し添えます。--Mariobanana会話2022年12月14日 (水) 10:29 (UTC)[返信]
コメント依頼の合意形成依頼のところに個々の本の特筆性を検証するかが追加されていましたが、議題の焦点は本の特筆性を検証するかことではなく、無差別な列挙かどうか、またそれを何らかの基準で整理するか、です。個々の本の特筆性を検証するのは列挙の整理方法のうちの一提案です。 --Mariobanana会話2022年12月14日 (水) 12:15 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。特筆性というのは、その人物に特筆性があるか、という観点で求められることは当然あると存じますが、個々の書籍の特筆性の証拠が必要であるとは思われません。「議題の人物は啓発書やビジネス書が多く、そういった書籍は個人の創作性を評価するというよりビジネスや宣伝に近いものとなりますから、個々の著作の特筆性については不明瞭に思われます。」とのことですが、どのルールを根拠にそうおっしゃっているのでしょうか?特筆性が認められた著作家の著作を掲載する、というのは、一般的な対応ではないですか?小説家以外の著作家の記事全てでこのような対応を求められると、非常に負担が大きいです。例えば池上彰の記事も、同様の対応が行われるべきなのでしょうか?400冊以上というのは、再販含めたカウントになるので、特に掲載非掲載の判断はせず、初版が掲載されている状況かと思います。もちろん、漏れはあります。--呉野会話2022年12月14日 (水) 11:22 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。
池上彰における列挙でも当然ながら同様の対応が必要であると考えます。記事Aで現状指摘されていないから同様の状態である記事Bでも問題がない、という論理だと記事Aに問題がないことを示せていないと思います。
「特筆性」については記事単体に対する用語として用いられるのが適切でした、著書1つ1つに対するものとしては不適切な言葉選びであったと思います。そこはすみませんでした。
一方で特筆性と同じような基準を著書選びに用いるのは適切だと考えています。負担が大きいかどうかは問題ではないです。
作業量が多くても人数と時間をかけて対応すればよいからです。
初版が掲載されている状況とのことですが、400冊に対して掲載が共著も含め100冊あるかどうかという程度ということはどの本も第4版まで出ているのでしょうか。
何らかの選定が行われているか、掲載漏れのある状態であるのは明らかですし、これ以上追加されてもそれはそれで百科事典的でない状態を強めると思います。
現状でもどう選定されたのかが不明なのですから、今後のこの記事を編集される利用者に対して選定基準を明らかとしておくことは必要だと思います。
Wikipediaの方針には方針の解釈で用いるしきい値が明確に提示されていないものもあり、主観によってしまう部分です。
こういった箇所は0か1ではなくグラデーション的なところがあると考えています。
おそらく妥当だろうと判断してはいますが、結局は私の主観ですので、多くの人の意見を募った方がよいでしょう。
特に呉野さんと私が押し問答になってしまうとここから進まないことが予見されます。
ここで他の利用者の意見を募ろうと思います。--Mariobanana会話2022年12月14日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
確かに、主観によって判断が分かれるところはあると思いますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんの1~4を参照しても、著作家にとって著作とは重要な情報であり、統計情報や商品の改良の細かい情報とは次元が異なるため、著作の掲載が問題あるとは思えません。また、人間が運営する場である以上、過剰な負担の対応を強いれば参加者がいなくなりますので、結果的にコミュニティ全体を非活性化し、全体の質を下げることになると思います。人間がボランティアとして空き時間にやってみようと思えるものでないと、現実的ではないのではないでしょうか。私にはこうした対応は無理ですので、もしMariobananaさんのご意見が通れば、本記事での著作情報はほぼなくなるでしょうし、他の著作家の記事でも同様になると思われます。手間をかけて著作情報を削ることの意味が、私にはよく理解できません。
それに、著作情報の掲載が宣伝的なら、小説家も例外にはできないのではないでしょうか?小説家の著作情報は宣伝ではないというのも、正直良くわかりません。著作を販売して誰かが利益を得ているのは同じですよね?
一応コメント依頼を出してみました。他の方の意見を待つということで問題ありません。--呉野会話) 2022年12月15日 (木) 11:11 (UTC)--呉野会話2022年12月15日 (木) 11:11 (UTC)[返信]
一週間待ちましたがコメントがないため、この著書の整理に意欲的な人は少ないということはわかりました。
テンプレート貼り付けに対して問題に感じる所があればノートに、とのことでしたのでテンプレートの削除が行われたためにために記載したもので、私の方では今すぐに作業しろとか急かすつもりはないこと、提案する解決策も思いついた一例であって、絶対にこうしろという指示ではなく一例であること、を述べておきます。そもそも方針であるWP:NOTCOMPULSORYには利用者の望む以上の労力をもとめない旨が書かれています。
一方で、議論が進まない以上解決とはならないですから、議論を凍結状態としてテンプレート告知は残す必要がある認識です。
また、私の認識では以下の問題点があると思っています。
- 無差別な列挙状態、400冊以上を全部書くのかどうか
- 現状の選定(先の返信でアレな本と言われていましたが、「この本は掲載すべき」という何らかの選定がある?)が中立的でないのであればWP:5P2に反している可能性
なお、先の文で著作を宣伝的としたことについては客観的判断ではなく私の先入観が入っていたことを認めておきます。--Mariobanana会話2022年12月22日 (木) 12:50 (UTC)[返信]
議論が進まなかったのは残念ですが、昔の人物ですし、今現在有名な方で、同様の問題感じられる記事があれば、そちらで問題提起をしていただいたほうが、建設的な議論ができるかもしれませんね。著作家の著書情報は、テーマに沿った単なる情報であり、宣伝的というテンプレートを付与することは適当でないと考えていますが、議論が進みませんでしたので、テンプレートについては保留にしておきます。--呉野会話2022年12月29日 (木) 13:29 (UTC)[返信]

概要への引用について

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概要節での船井幸雄の晩年の発言の引用についてですが、概要はあくまで概要なので、引用などの細かい内容は各節に記述してください。引用されていた内容は、すでに記事内にあるため(引用テンプレートは使われず、括弧で引用されています)、2回の引用は不要です。(唯一の引用というのは、私の間違いです。訂正します)。よろしくお願いします。--呉野会話2024年1月24日 (水) 05:55 (UTC)[返信]

ありがとうございます。概要ではないですが、分かりました。書籍詳細の出典[1]はつけても良いでしょうか?--KQuhen会話2024年1月24日 (水) 12:00 (UTC)[返信]
概要ではなかったですね。失礼しました。この発言以降反スピリチュアル活動を行った、くらいのインパクトはあれば、引用も適当かと思いますが、重要な発言と考えるのは難しいと思われます。出典はつけていただいて構いません。お手数おかけします。--呉野会話2024年1月24日 (水) 15:13 (UTC)[返信]
  1. ^ 新装版 世界文明の「起源は日本」だった”. ヒカルランド. 2024年1月24日閲覧。