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ノート:かけ算の順序問題/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

起源について

1972年の朝日新聞が最初としておりますが、出典または主張者を本文中に明記した方が良いと思います。1968年にこういう論文が出ているようなので、もっと前から論争自体存在していた可能性があります。--ayasesaya会話2012年10月28日 (日) 01:32 (UTC)

確認しました。ありがとうございました。--ayasesaya会話2012年10月28日 (日) 04:56 (UTC)

観点20121028

非常に興味深く記事を読ませていただきました。ただ現状の記事は、「『かけ算には順序がある』というのはナンセンスだ」という観点に偏っているようにも見えます。「数学的にはナンセンスだ」という主張に対して私が反論するとしたら「かけ算の順序は、教育学上『式の概念』を教えるのに都合がよい。数学的な法則とは別次元の問題」と言うでしょう(どちらかというと私も「ナンセンス派」ではありますが……)。また小学校では数学を「算数」と通称しているのは、小学校の数学教育が、明治以降の近代数学(洋算)よりもむしろ古来日本に伝えられてきた和算の流れを組むからという話を聞いたことがあります(鶴亀算とかもその名残でしょう)。私の勝手な推測ですが、仮にかけ算の順序を教育に積極的に取り入れているのが日本のみなのであれば、もしかしたらそれは和算の伝統なのかもしれません。この辺についての考察を記事に組み込んでいただければ幸甚です。--Damena会話2012年10月28日 (日) 11:21 (UTC)

そもそも、参考とする書籍が少なく、片方だけの意見から書かれている気がします。教育上に「ローカルルール」があって、それが学問の真の(?)結果とは違っていることを扱っているというのは、私は「普遍的」だと思うのですが。そのような事例は沢山ありますよね。--らんで会話2012年10月28日 (日) 12:51 (UTC)

「掛け算の順序には意味があり、これを踏まえた教え方をすべき」という側と、「それはおかしい」という側、両方の主張が記載されているので、中立的な観点としては問題はないように思います。もし文部省とか現場の教育者、出版社などから公式・非公式な主張があるのなら、これを記事中で示さないのは中立性を欠きますが、無いのであれば、現状を正しく紹介している状態であるといえるのではないでしょうか。--Calvero会話2012年10月29日 (月) 16:01 (UTC)
それは、現状では主に「おかしい」とする菊池氏の著書を通した「両方の主張」なのではないでしょうか?また、仮に教育者が「非公式」な見解を提示したとしても、このWikipediaには掲載できないルールになっているのではないでしょうか?--らんで会話2012年10月30日 (火) 10:31 (UTC)
現状の記事を一瞥しました。たしかに「かけ算の順序には意味があり、これを踏まえた教え方をすべき」という立場が存在する前提で記述はなされています。しかし、かけ算の順序に意味があるとすれば、どのような意味があるのか? これを踏まえた教え方をする意義は何か? いつ・どこで・誰が・どのような経緯でこのような教え方になったのか? などの疑問を満足に応えるような記述を(この記事を含めて現在の日本語版ウィキペディアには)見いだすことができませんでした。なので「順序派」を貶めるまでは行かずとも、「ナンセンス派」をひたすら支持する文脈になってしまっている印象はあります。。本当に「現場の教育者などから主張が無いのであれば」それまでですが……。--Damena会話2012年10月30日 (火) 08:07 (UTC)
現在の記事での「正しい」側の主張としては、朝日新聞出典「2×8ならタコ2本足(花まる先生公開授業)」があり、これは「かけ算の意味って、すごく大切」という「吉川先生」の主張で、非公式なものです(もし個人名義での教育者などの著書があれば、それも非公式な主張として採用できると思います)。ただし、これだけでは順序の意義についての解説が不十分なのではないかという疑いはもっともなので、上でayasesayaさんご提示の中島健三「乗法の意味についての論争と問題的について考察」を基にした記述が必要なようにも思われます。所属が文部省となっているので、「正しい」側の主張として有力なものかもしれません(これは公式な主張です)。その他、初等教育用の掛け算の参考書のあとがきとか解説とかのページに、教え方について何か書いてあるかもしれないので、これも探したほうがよいかもしれません。--Calvero会話2012年10月30日 (火) 15:14 (UTC)
その場合の「正しい」というのは、「数学的に」ではなく「教育技術的に」の可能性が高いと思います。どちらなのかを明確にしないまま「数学的におかしい」的な論理展開を行うとするなら、これは不公正なのではないでしょうか。また、仮にそうなら双方の意見を公平に扱っていると言えるでしょうか?--らんで会話2012年10月30日 (火) 16:51 (UTC)
どちらにしても、意見・主張があることをありのまま紹介するのは、ウィキペディアとしては不公正・不公平ではないと思います。相対するAとBの主張がかみ合うものでないとしても、それは中立性とは関係ないです。ただし、存在する主張を見落としているのであれば、それは中立的な記述ができていない、ということになります。--Calvero会話2012年11月3日 (土) 06:19 (UTC)

Damenaさん、らんでさんが問題とされている「教育学的には妥当性がある(かもしれない)」とか「数学の話と教育技術の話とは違う(かもしれない)」といったことは、現時点で出典によって存在が確認できている論点ではありませんよね。もちろんそうした議論自体は参考文献や出典の調査を方向付ける意味で有益なものだと思うのですが、そういった「あるかもしれない」レベルの論拠で中立性を問うというのは中立性というものの解釈としてちょっと違うんじゃないかと思うのですが。

この記事はそもそも「かけ算に順序がある」ということを学校で教えているということが実態としてまずあり、それに対する数学者からの批判が起こった、という事柄を扱っています。であればこの問題を「問題」として扱っているのは主として批判側だということになるのは自然で、出典となりうる文献がそもそも批判側からのものしかない/あるいは偏らざるをえない、ということは十分ありうる事態ではないでしょうか。頑として存在する一方の情報源や意見を無視しているのであれば中立性が問題となるでしょうが、現時点でそもそも文献として存在しているかどうかもわからない意見や情報源を担保として中立性を問うというのはWikipedia:中立的な観点に対する考え方として間違っていると思います。

もっとも記事には論争があったとあるので、おそらく「順序がある」側に対する擁護意見があったと思われます。その具体的な内容が書きうるのであれば無論記載されるべきでしょう。しかしその擁護意見がすでに記事に記載されている指導書の要旨と大差ないようなものであるなら必ずしも必要なものではないと思います。また論争の内実を把握していないのでよくわかりませんが、ひょっとしたら擁護意見を出しているのは数学者や専門家ではない人ばかりであったりするかもしれません。出典を調査しないままあれこれ述べてすいませんが、中立性というのは「ある意見を書いたらそれに対する反対意見を必ず探し出して同程度に述べなければならない」とかそういったことではないはずです。この点、現状の記事に「中立的観点」のテンプレートを貼ることが妥当であるかどうかもう一度検討しなおしてみていただけないでしょうか。私は数学は門外漢ですので疑問を述べるにとどめますが。--頭痛会話2012年10月30日 (火) 20:55 (UTC)

「学問とその学問の教育技術は違うのか?」確かに、これらが相反するように教えて良いと明記されたモノは勉強不足なのか読んだことはありません。しかし、同時に必ず一致させなければいけないというモノも読んだことがありません。かつ、実際には教育上、学問の正統な内容とは違う内容を便宜的に扱うコトが多数あります。(微積分で「かぎりなく近づく」などという曖昧な概念から導入することや、外国人などをカタカナで表記する際に複数の表記が認められるのに、教科書に書いている標準的な表記のみに○をつける指導などが挙げられると思います。特殊な外来語表記を、たとえば書籍に載っているからと許していけば、入試試験で×にされてしまう可能性があります。やはり、教科書に準規した指導は仕方ないと思います。)事実上、学問の正統な内容と違う内容を便宜的に扱うことが許容されているのが現状で、それで良いと思いますが。このことは書籍に載っているわけではなく、個人の書籍から作製したこの項目の本文にwikipediaの規定上反論もできません。中立的な観点からもおかしいと思います。それから「かけ算には順序がある」ではなく「かけ算の順序を固定して教えても良い」でしょう。細かいようですが、全く違うと思いますよ。この論争はインターネットで数限りなく、色々な観点で行われていますが、それをwikipediaの規定上この本文に載せることが可能なのでしょうか?そもそも、この話題がwikipediaにふさわしいか私には疑問ですけどね。--らんで会話2012年10月31日 (水) 15:52 (UTC)

らんでさんの言われていることはWikipediaの編集方針から完全に逸れています。Wikipediaの編集者がなすべきことは確認できる文献を偏りなく正当に扱うということであって、それぞれの文献内容の真実性や無謬性を独自に吟味することではありません。学校教育で便宜的な内容が教えられることがそもそも妥当かどうか、というようなことは、そのような問題を扱っている文献を確認しているのではない(「読んだことがない」)以上我々が関知すべきことではありません。それは独自研究です。Wikipediaに載せられても反論ができない、というようなことはWikipediaにおける中立的な観点とは何の関係もありません。
「かけ算には順序がある」ではなく「かけ算の順序を固定して教えても良い」だろう、とのことですが、それでしたら『かけ算には順序があるのか』という書名がそもそも理解できないことになるでしょう。要は「決まった順序があるかないか」ということなのですから「かけ算には順序がある」という言い方で不自然さはないと思いますが。--頭痛会話2012年10月31日 (水) 20:24 (UTC)
私には、まさに官僚的な答弁のように思えます。確かに、杓子定規にWikipediaの規定を当てはめると、まあそうなるのかも知れません。しかし、それはWikipediaが本来目指す「インターネット百科事典」とはかけ離れたモノになるのではないでしょうか。目的から離れて、杓子定規に規定を適用するという行為は「仕方なくやる」場合には(たとえば、政治上)許容される場合もあるのでしょうが、この場では特に緊急性等の条件があるとは思えませんし、むしろ読者に誤解を招く恐れすらあると思います。また、後半は私には意味不明です。そもそも、この項目はその書籍からのみ作製されている訳ではないでしょう。これも誤解を与えかねない表現だと思いますし、その書籍を絶対視するかのような必要性も感じません。--らんで会話2012年11月1日 (木) 14:54 (UTC)
Wikipediaの方針から離れて「Wikipediaが本来目指す百科事典」のような漠然とした観念を語られても困ります。後段については「日本語として不自然な表現ではない」ということを言ったに過ぎないのですが。「誤解を与えかねない」というようなレベルの話であるならそもそも議論中に問題とするような話ではなかったと思います。この議論の場にいる誰がその表現から誤解をするのでしょうか。--頭痛会話2012年11月1日 (木) 18:48 (UTC)
漠然とした概念ではありません。Wikipediaが何を目指しているかは明記されているではないですか。我々はそれに従うべきです。また、多数の人に誤解を与えないように工夫するのは論議以前の話だと思います。--らんで会話2012年11月3日 (土) 04:13 (UTC)
たしかに、ウィキペディアには具体的な方針とガイドラインがありますが、らんでさんのコメントは、それらのうちどれのどの部分に該当するのかといった話がないので、よくわからないです。項目において、見かけ上一方からの主張しか掲載されていなくても、それが世の中の検証可能な主張のすべてであるならば、中立的な観点に違反するわけではないです。項目の閲覧者・編集者が、独自にその意見に反論したいと考えても、それは独自研究になるのでできない、ということはありますが、インターネット上の主張であっても、「信頼できる情報源」によるものであるならば、それを記載することは可能です。--Calvero会話2012年11月3日 (土) 06:19 (UTC)

関係ないんですけど、この記事の場合、全角数字はOKなんですかね…。--Benzoyl会話2012年11月5日 (月) 07:48 (UTC)

WP:JPE#使用可能な文字によれば、アラビア数字は半角を使用することが標準とされているので、気付いた方が適宜校正されると良いかと。--Damena会話2012年11月7日 (水) 02:36 (UTC)

テンプレ除去の提案

一連の加筆によって「かけ算順序擁護派」の言説も補強されたかと思います。スタイルアップ上の問題はあるものの、とりあえず中立的な観点のテンプレは除去していいかなという印象です。特に反論がなければ1週間を目処に除去しようかと思います。記事の体裁については先ほど別途テンプレを貼り付けましたので[1]、引き続きブラッシュアップしていただければ幸いです。--Damena会話2012年11月7日 (水) 02:36 (UTC)

「かけ算順序擁護派」の言説の補強もさることながら,
>正しい順序があるかのような記述は教科書、教科書指導書、市販の学習参考書に広く見られるが、数学的基盤を欠くとともに、その教育上の有効性を示した文献は見つからない。
の「数学的基盤を欠く」とする根拠が明示されていないこと(「数学的な基盤を欠いていると主張する人々がいる」ならそうした主張が書かれた文献のリストで十分と思います),「その教育上の有効性を示した文献は見つからない」ことの検証可能性(とともに,その教育上の有害性を示した実証的な研究も見つけられないにように思います)の2点にかかわって,この記事の中立性に疑問が残ると思います。--Sparrowhawk4344会話2012年11月13日 (火) 17:05 (UTC)


>児童の理解
>また、一旦、絵にもとづいて式と答えを書くことができるようになった児童が、かけ算の順序を指導された後、文章題が解けないと言い出し、式を書くのを躊躇するようになった例が報告されている[5]。
についても,宮田佳緒里; 海老名正司; 工藤与志文 (2011). “かけ算の意味理解を促すための問題状況の図示の試み”. 教育ネットワークセンター年報: 53-60.http://www.sed.tohoku.ac.jp/~edunet/annual_report/2011/11-06_miyata.pdf において報告されている事例の一断片を取り出しているに過ぎず,あたかも,かけ算の意味理解を促すための指導の一方法が児童の学習を妨げるかのような記述になってしまっています。
もともと「かけ算の順序問題」は「かけ算の意味理解を促すための指導」の一方法に異議を唱える人々が提出した問題のようです。その一方法は「かけ算の意味理解を促す」のが目的であったようですが,意義を唱える側の人々は「順序を守らせようとしている」と批判しているようです。「かけ算の順序問題」という呼称は批判する側の立場からの表現で,この呼称によりもともとの指導法を矮小化しているでしょう(それは「かけ算順序擁護派」にもみられるようです)。
「数学的基盤を欠く」(再帰的に定義された自然数の乗法において交換法則が成立することの数学的証明では式表現における順序は本質的でしょうし,ひとたび交換法則が証明されれば式表現の順序は意味を失うということは数学的な事実ではないでしょう。)「有効性を示した文献は見つからない」(記事の書き手が見つけられなかったことにわざわざ触れることにより,あたかもある指導法に有効性があるという証拠がないかのような印象を与える表現になってしまっているようにみえます。)「かけ算の順序を指導された後、文章題が解けないと言い出し、式を書くのを躊躇するようになった例が報告されている」(当該の報告においては,「かけ算の意味理解」とともにその式の順序による表現を習得した事例が紹介されているようです。)といった表現は一方の側の主張に偏ったものといえるでしょう。--Sparrowhawk4344会話2012年11月14日 (水) 11:56 (UTC)


そもそも,「かけ算の順序問題」の定義
>かけ算の順序問題(かけざんのじゅんじょもんだい)とは、日本での数学の初等教育の実践において、かけ算の式には「正しい順序」がありそれを子供に守らせるべきだという指導法と、かけ算の問題の構造から必然的にどちらの順序で書いても正しいという主張の対立である。
が,客観性・中立性を欠いているでしょう。
A:乗法の意味を「1あたりのいくら分を求めること」とし,それにもとづいて「1あたり×いくら分の順序で式を書く」と指導すること
を,
B:かけ算の式には「正しい順序」がありそれを子供に守らせるべきだという指導法
と解釈した人たちが,その解釈にもとづいて批判を展開するという現象がかつてあり,現在もあることは事実でしょう。けれど,「かけ算の式には「正しい順序」がある」という主張をしている人たちが存在している証拠は明示されていないようです。そして「かけ算の式には「正しい順序」がありそれを子供に守らせるべきだ」という主張をめぐる対立などは問題にはなりえないでしょう。Bそのものは「ナンセンス」でしょう。Aを批判する人たちが問題視していたのは(定義の後の「具体的には」以下で例示されているような)テストの採点で「1あたり×いくら分の順序」で書かれていない式を誤りと評価することのようです。したがって,問題となっていたのは,
Aのような指導の結果の評価としてのテストの採点で「1あたり×いくら分の順序」で書かれていない式を誤りとしてよいかどうか
であって,「正しい順序」のあるなしの主張の対立ではないでしょう。現状のこの記事は定義の部分からAを批判する側に偏った中立性を欠いたものとなってしまっていると思います(むしろ「かけ算の順序問題」ではなく「「かけ算の順序」をめぐる論争」という繰り返される社会現象を記事にすべきかもしれないとすら思います)。--Sparrowhawk4344会話2012年11月15日 (木) 15:06 (UTC)


冒頭部については,たとえば(あまりこなれた文章ではないですが),
かけ算の順序問題(かけざんのじゅんじょもんだい)とは、日本の算数教育の実践においてみられる「1あたり×いくら分」の順序で式を書かせるような指導法は、かけ算の式には「正しい順序」があるという根拠のない主張にもとづく有害なものであると判断した人々が行う批判と、それへの反論によって生じている対立である。
具体的には、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」遠山 (1978), p. 114.という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答の式を間違いにすべきかどうかが問題となる。これを間違いとする記述は、教科書、教科書指導書、市販の学習参考書に広く見られる[要出典]が、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されてはいない。
といった形が考えられるのではないかと思っています。「問題」をこのような形で定義したうえで,実際に「正しい順序」があるという(「ナンセンス」な)主張がなされているかどうかや,有害性の実証・反証という観点から批判とそれへの反論を記述することにより中立性が担保できるかもしれないと感じています。たとえば「「正しい順序」を書かせるための指導」などは「1あたり×いくら分 の順序で書かせるための指導」とした方がよいと思っています。余談ですが,この「問題」の解決を困難にしているもののひとつに「正しい」の意味を取り違えていることがあると思います。もちろん Wikipedia は問題解決の場ではなく,問題の中立的・客観的記述をする場でしょう。現状の記事は中立的であるとはいえないでしょう。-Sparrowhawk4344会話2012年11月17日 (土) 17:21 (UTC)


差し戻しについて

2012-11-03T22:21:40‎ にIkedat76さんが差し戻しをしていますが、 その前の変更は荒らしではないのは明らかですから、http://ja-two.iwiki.icu/wiki/H:RV に従えば、差し戻しではなく議論を提起するべきものだと思います。 少なくとも、差し戻しの理由の説明があるべきでしょう。その前の変更は未熟で多数の修正を要するとは思いますが直していくほうが妥当だと思います。--T6n8会話2012年11月3日 (土) 15:49 (UTC)

荒らしではなく、「かけ算に正しい順序がある」と主張している側の主張を紹介したり、元の記事の誤り(歴史家の高橋誠を教育学者の高橋誠と間違えている)を修正したりしており、有益な情報を増やして記事を充実させようという意図であります。--K.nekota会話2012年11月4日 (日) 12:02 (UTC)
追加部分では出典が本文中の記入になっていますが、これはwikipediaの標準的なスタイルではなく、既存部分とマッチしません。ほかのエントリーおよび既存部分を参考に標準的なスタイルで書くべきだと思います。太字もやりすぎ感があります。また、さらに文を簡潔にまとめる努力をしたほうがいいように思われます。--T6n8会話2012年11月4日 (日) 12:48 (UTC)
御指摘、ありがとうございます。しばらく他のエントリーを読んで勉強いたします。--K.nekota会話2012年11月4日 (日) 13:01 (UTC)
この冒頭はちょっと、「「『かけ算には順序がある』というのはナンセンスだ」という観点に偏っている」という指摘を免れ得ない状態だと思います。もとのほうがいいのでは。本文は引用が多すぎはしないですか?Was a bee さんの追加した外部リンクは、何か重要そうな気がするので、出典として取り入れるのがよいように思われます。--Calvero会話2012年11月4日 (日) 14:51 (UTC)
太字多用の件ですが、修正いたしました。「なぜかけ算の正しい順序は批判されるのか」ですが、いろいろ御意見もあるようですので、とりあえず数学教育全般に話題をひろげるのはやめて、かけ算の順序に直接関連する話題を中心にして書き換える方向で検討いたします。--K.nekota会話2012年11月5日 (月) 15:43 (UTC)
加筆お疲れ様です。有益な情報は確かに増えているのですが、出典がないかベタ引用かのどちらかになってしまっています。特に批判節は執筆者(K.nekotaさん)の「思い」が先走っているような印象を読者は受けるのではないでしょか。黒木氏のサイト、高橋氏の著書等を情報源として扱うことで現在要出典がついている箇所でも典拠を示すことができるはずですし、引用に関しても必ずしも段落ごと引用しなくてもよい文章が含まれているように思います。両論併記と中立的な記述の違いについても思うところがあるのですが、少なくとも現行のテンプレートは剥がされることになりそうです。いずれ、いたらぬところの多い初版にこうして大幅に加筆していただいたことは私にとって望外の喜びでした。ありがとうございました(「歴史家の高橋誠を教育学者の高橋誠と間違えている」というのはちょっと意味がよくわからないのですが、内部リンク等のミスであれば申し訳ありません…)-- Poo-tee-weet? 2012年11月12日 (月) 03:13 (UTC)

追記希望内容

とても良い記事と思います。
しかし、この記事は、単に「順序問題」のみを扱うのでしょうかね。
議論に至る背景・歴史がもっと書かれたら良いかと思います。
例えば
  1. 単価記号@の表記順との関係。
  2. 洋算が輸入されるまで和算ではどうだったのか。
  3. 「multiplicand (被乗数)」「multiplier(乗数)」が英語にあり、日本では「かけられる数」「かける数」と教える場合がある。
  4. 当初は割り算と同じで見た目は分かりやすい(例:15×3と15÷3)が、数学方程式を教える段階では洋式の表記順(例:4x)となり混乱を招く弊害を伴う。
  5. この記事の自転車とタイヤのような大小・主従関係のない場合。例えば単純な長方形の面積を、公式と逆の「横×縦」で計算するのも誤りなのか。
など。
よく読んでないのですが、個人的には[2]が参考になりました。--Benzoyl会話2012年11月5日 (月) 07:45 (UTC)
  • 続き(あまり調べずに思いつきで書きます)
  • 世界のほとんどの言語にない助数詞(本・枚・台など)も関係?
遠山氏は『水道方式とは何か』で 「算数教育における助数詞廃止論」(?)も唱えたようです。([3]
  • 和算における縦書きそろばんとの関係?
  • のちのち複数桁の計算(例えば4桁×2桁)を教える際などに弊害?
「一人44円ずつ、1250人が募金した」などの場合、1250×44にした方が計算しやすいなど。
  • 具体例浮かばずも、3つ以上の掛け算(その場合も被乗数は必ず単一で乗数が複数となるのか)
  • 現実(商談など)には乗数と被乗数のどちらか先に片方しか数値が判明していない場合もあること。
関連して割り算との違い(0では割れないが、0を掛けることは可能)
(よく分からないが)例:「参加者は何人?」→「で、一人頭いくら」
など。--Benzoyl会話) 2012年11月6日 (火) 01:12 (UTC)--Benzoyl会話2012年11月6日 (火) 01:15 (UTC)

(主に)擁護する主張に追加予定(version2)

擁護する側の主張が的を得ていないので、擁護する側の主張に大幅に追加し、 全面的に批判する側に偏っているので細部を修正する予定です。
(以前の「擁護する主張に追加予定」の内容は含まれているため削除しました)

/擁護する主張に追加予定(過去ログ)


「かけ算の順序指導」とよばれているものの現状

『学習指導要領では、一貫して、左側に一つ分の数、右側にいくつ分にあたる数』

『学習指導要領では、「乗法が用いられる場面を式に表したり,式を読み取ったり することができるようにする。」(出典:算数の新学習指導要領 D 数量関係 (2))と書かれており、 一貫して、左側に一つ分の数、右側にいくつ分にあたる数』
に変更して、この章に無かった擁護側にも有利な理由も明示。

『学習指導要領解説では2年生で教える…』

『学習指導要領解説では、「(式には)事柄や関係を簡潔,明瞭,的確に,また,一般的に表すことができる。」 とある。(出典:平成20年告示の小学校学習指導要領解説 算数編 p57「式の表現と読み」の章 p58) 2年生で教える…』
に変更し、続く引用の後の
『というように長方形に並べたおはじきを例に順不同な例を示している。』

『というように、2×6の2に縦のおはじきの数、6に横のおはじきの数、の意味が数字から暗黙的に付加されて いることが想像でき、そこから縦と横の順序はどちらでもよいという例にもなっている。』
に変更して、この章に無かった擁護側にも有利な理由も明示。


>T's-Neko さん
「かけ算の順序指導」などという用語の出典として,二次資料(Wikipedia:信頼できる情報源)が明示できないようですので「「かけ算の順序指導」とよばれているものの現状」という表現は客観的と思います。
一方でもし「かけ算の順序問題」が初等教育にかかわるものであるなら「擁護側にも有利な理由」などをあげても客観的な記述になるわけではないと思います。
もし「かけ算の順序問題」が初等教育をネタにしたネット上での騒動であるなら,この「かけ算の順序問題」を Category:社会問題 に属するものとみなした方がよいと考えます。
--Sparrowhawk4344会話2013年5月20日 (月) 16:36 (UTC)
「かけ算の順序問題」ページをCategory:社会問題にするかどうかは、別の議論なのでここでは控えたいと思います。 この節を修正したのは、客観的にしたいというよりかは、教師がかけ算の順序が異なると間違いとしている教師の根拠(少なくとも理由)として学習指導要領が取り上げられていてもいい流れなのに、学習指導要領の中の挙げている部分が、かけ算の順序指導をしている理由になっていない部分だけだったので、修正したということです。もちろん、学習指導要領には根拠が「明示的に」書かれていないことも現状として説明してあることには問題ありません。
--T's-Neko会話2013年5月25日 (土) 02:00 (UTC)

教科書・教科書指導書の記述

『現場教員向けのマニュアルでも順序の逆になった式は意味が文と合わないとしているのである。』

『現場教員向けのマニュアルでも順序の逆になった式は意味が文と合わないとしている。』
に変更して、批判側の主観の語を削除。

「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張

式を読み取るために順序に意味があるからという主張 (節を追加)

『学習指導要領にある、「乗法が用いられる場面を式に表したり,式を読み取ったりすることができるよう にする。」 方法として、×の前の数、後ろの数、それぞれに暗黙的な意味を付加し、順序によって式を 読み取ることができるようにすべきだとしている。』

を最初に追加し、正木孝昌さんの主張をこの直後に移動。 その後に以下を追加。

『領収書の多くが「(単価)×(個数)=(価格)」であることと、x2、x10 といった表記が多くみられる ことから、「いくつ分×1つ分の数」という順序が正しいとされるが、 日本の一部や海外で見られる「(個数)×(単価)=(価格)」という表記の領収書に対しては、 式から読み取れるようにするには、「いくつ分×1つ分の数」の式を書くことが、正解であるため、 順序に意味はあっても正しい順序がどちらであるということは言えない。 ただ、日本の教育においては、 (単価)×(個数)=(価格)で標準化しているので、そちらが正しい。』

を追加し、上記の、(海外の)領収書には、Wikipadia内リンクを付ける。

教えていく手順であるからという主張 (節を追加)

以下を追加し、田中博史さんの主張をこの後に移動。 因数にはWikipadia内リンクを付ける。

『現在の小学生のテストにおいては、どの教科書でも「1つぶんの数 × いくつ分 = ぜんぶの数」と 書かれているために、その順序しか教えられていない小学生なら、「1つぶんの数 × いくつ分 = ぜんぶの数」と問題文に表記されていなくても、この順序で答が出るはずで、順序が逆であれば 1つ分の数と、いくつ分、が正しく理解していないと推測されるから、間違いにすることもできるとしている。 日本では「かけられる数」×「かける数」と教える場合があり、英語では「multiplicand (被乗数)」と 「multiplier(乗数)」という単語がある。 ただし、直積(縦×横)や、2つの因数によるかけ算の意味づけについては、問題点が指摘されている。 (出典: http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121115/1352985724 ) 』

小学生高学年になったら間違いとする主張(節を追加)

以下を追加する。 (ちなみに、T's-Nekoの主張はこれ。 数学が得意な私でさえこの順で理解した。 主張であるため、Wikipedia としては出典が必要ならブログに書きます)

『正しい順序でなければ間違いとするが、小学生高学年になったら間違いとする べきだとしている。

正しい式を書くには、「1つ分の数」という概念の正しい識別が必要である。 概念というものは いくつかの正事例と負事例を見て抽象化して学ぶ(出典:新学社:概念の学び方・学ばせ方 http://www.sing.co.jp/school/practice/forum27-3.html )ものであるから、 掛け算を習ったばかりの小学生低学年が「1つ分の数」を識別するのは厳しい。

1つ分を行に並べいくつ文を縦に並べた図を見て掛け算を理解したとき、掛けられる 数の物が○行△列並んでいたら合計□個であることだけの理解でも数の問題は解決する。 その場合、行と列の違いを識別していない可能性がある。 また、行が先でも列が先でも図は 変わらないので、交換法則に関する概念も暗黙知的にではあるがこの段階で理解してしまい、 順序に意味はないとこの段階で理解してしまう可能性もある。

しかし、順序に意味があるため、小学生高学年では順序によって間違いとすべきである。 それまでの算数の学習があるからこそ高学年で抽象的な「単位」という概念を学習しているが、 それに加えて、サンドイッチ法(単位(助数詞)を識別して、1つ分の数 × いくつ分 = 全部の数、という順序を決定する方法)を使用して、式を理解しやすい形に標準化する方法と その意義を学習すべきである。(ただし、1つ分の数といくつ分が識別できないと 理解できない、等分除・包含除の学習より前に。) サンドイッチ法は、教科書では採用されていないようだが、 名前がつけられた概念はそれによって一つの思考の対象としても扱うことができるように なる(出典:tnomuraのブログ:抽象概念の3要素 http://tnomura9.exblog.jp/9681655/ ) ことから、正しい順番に対して、サンドイッチ法のような名前を付けるべきである。 そして、いままで順序は問われなかったので、問題文では「サンドイッチ法で書くこと」を 明示すべきだ、としている。

丁寧な文章を読むことができても、丁寧な文章は書けないことと同じ状況であるので、 正しい式を書くことまで小学生低学年に要求するのは厳しいという意見には賛同する、としている。』

かけ算の意味を理解していないと、わり算を理解できないという主張 (節を追加)

『かけ算の意味を理解していないと、わり算を理解できない。」などとして、「かけ算の正しい順序」の 正しさを主張(したり)する。これは、以下のような論法である』

『かけ算の意味を理解していないと、わり算を理解できない。」として、「かけ算の正しい順序」の 正しさを主張するのは、以下のような論法である』
に変更し、批判側の主観の語を削除。

『わり算を理解できなくなる。」などという主張がなされ、』

『わり算を理解できなくなる。」という主張がなされ、』
に変更し、批判側の主観の語を削除。

『そのうえで、「抽象化」については、…』
上記以降のこの章(かけ算の順序問題の経緯の章より前)は、擁護する側に有利な主張ではないので削除。 (書くとしたら、批判する側でしょう)

--T's-Neko会話2013年5月18日 (土) 03:39 (UTC)

「など」は主観というよりは、不完全な列挙なだけだと思いますが、読みにくかったら直したらいいと思います。
「のである」も主観なわけではないけど冗長なので、もっと簡潔に書けたほうがいいという点で、除いたほうがいいので、それははずしておきました。
擁護する意見について整理できていないというのはまったくそのとおりなので、節に分割して見出しをつけるのなんかはやったらいいと思います。ただし、http://d.hatena.ne.jp/takehikom とかこのためにあなたがつくるブログとかは出典としてふさわしくない(Wikipedia:信頼できる情報源)ですので、通常の出版物を探す努力をする必要があります。
「擁護する側に有利な主張ではないので削除」の部分は、掛算の順序を前提とする算数教育に関する主張とでもして分けておいたらいいですかね。
--T6n8会話2013年5月18日 (土) 12:38 (UTC)
出典については調べているところでして、それぞれの節ごとに、少しずつ補強したいと思います。
削除したい部分に書かれていることは、擁護すると主張している者が、正しくすることが教育であるなら、「教育の話」として治療(表現は悪いですが)しないといけないと言いますし、正しくないのなら、「アメリカの教育レベルの話」として低く評価するでしょう。これはかけ算の順序問題から論理展開したときの話であって、かけ算の順序問題の話ではないと思うのです。
--T's-Neko会話2013年5月25日 (土) 02:00 (UTC)

ID:47634258,ID:47634166,ID:47625825 の編集の差し戻しについて

2013-04-28T07:58:38‎ Sparrowhawk4344

「「」という主張」の追加はその前の大見出しによってすべてそういう主張であることがわかるところに 追加するのは単に冗長で読みにくくするだけなので差し戻し。

2013-04-28T07:36:40‎ Sparrowhawk4344

「と呼ばれているも」とつけるのも単に冗長化するだけなので削除

2013-04-27T15:11:52‎ Sparrowhawk4344 教育問題を追加するのはともかくとして、Category:数学に関する記事 Category:初等数学をはずすのは不当。

2013-04-27T14:32:28‎ Sparrowhawk4344

不正解として扱うことに対する文献はふんだんにあるが、 「1あたり×いくら分」の順序で式を書かせるような 指導法が有害とする文献はほぼないので不当な変更。

--T6n8会話2013年5月18日 (土) 12:02 (UTC)

>T6n8さん
>「「」という主張」の追加はその前の大見出しによってすべてそういう主張であることがわかるところに
スローガンのような見出しは百科事典にはふさわしくないと考えました。
>「と呼ばれているも」とつけるのも単に冗長化するだけなので削除
「かけ算の順序指導」という算数教育用語があるなら出典を明示してください。
> Category:数学に関する記事, Category:初等数学 をはずすのは不当。
「かけ算の順序問題」は数学のどの分野とかかわるのでしょう。かかわるとするような文献があるのでしょうか?
「かけ算の順序問題」は数学という学問とはかかわりのない「対立」でしょう。また,交換法則 とは無関係でしょう。
あと「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」の出典を明示してください。
--Sparrowhawk4344会話2013年5月18日 (土) 12:17 (UTC)
>T6n8さん
>算数教育の指導法の検証が二次情報(新聞記事)のみということであるなら,Category:数学,Category:初等数学 とともに,Category:初等教育 をはずすことを提案します。
--Sparrowhawk4344会話2013年5月18日 (土) 15:35 (UTC)
現実にそういうことが行われていることは出典上明らかで、カテゴリーをはずすべき理由はまったくありません。
--T6n8会話2013年5月18日 (土) 22:13 (UTC)
>T6n8さん
すみません!以下のように訂正します。
明示できる出典が二次資料(Wikipedia:信頼できる情報源)でないなら,Category:数学,Category:初等数学 とともに,Category:初等教育 をはずすことを提案します。
--Sparrowhawk4344会話2013年5月18日 (土) 23:42 (UTC)
トップで2次資料を見ているかどうかと、カテゴリーの関係がわかりません。まったく、意味不明です。
--T6n8会話2013年5月19日 (日) 00:29 (UTC)
「かけ算の順序問題」の「定義」の記述が検証可能でないのなら,どのようなカテゴリーに属するのか決定できないでしょう。現状では,Category:数学,Category:初等数学 とともに,Category:初等教育 との関連が確認できません。
--Sparrowhawk4344会話2013年5月19日 (日) 02:00 (UTC)
>T6n8さん
あと Wikipedia:検証可能性 Wikipedia:中立的な観点 もご確認ください。「数学」「初等教育学」の学術論文等の出典が見当たらないようでしたら,Category:数学,Category:初等数学,Category:初等教育 をはずすのが適当と思います。
--Sparrowhawk4344会話2013年5月28日 (火) 13:58 (UTC)
(初等)数学そのものではない可能性があるにしても、どう考えても初等数学ではないカテゴリーとは思えないことです。検証可能性を示すまでもないことでしょう。隣の人に聞いてみれば?
--T's-Neko会話2013年6月1日 (土) 03:52 (UTC)
>T's-Neko さん
Category:数学 は外すということですね。「どう考えても初等数学ではないカテゴリーとは思えない」では「検証可能」( Wikipedia:検証可能性 )とはいえないでしょう。どの「初等数学」「初等教育」の文献に「かけ算の順序問題」「正しい順序指導」などが記述されているのでしょうか?もしないなら,Category:初等数学,Category:初等教育 を外すのが適当でしょう。
--Sparrowhawk4344会話2013年6月1日 (土) 12:09 (UTC)
Category:数学はもともとついていないし、「Category:数学に関する記事」を除く合意もありません。--T6n8会話2013年6月2日 (日) 14:57 (UTC)
「Category:数学に関する記事」は「Category:数学」の下位カテゴリのようです。--Sparrowhawk4344会話2013年6月2日 (日) 22:13 (UTC)
数学に属する定理や概念に限らず「数学に幾らかでも関連した記事はこのカテゴリか、またはサブカテゴリに含めてください」とCategory:数学に書いてあって、かつこれは記事ですから「Category:数学に関する記事」に入れるので正解。「数学」の学術論文があるかどうかなど関係ない話です。--T6n8会話2013年6月3日 (月) 12:43 (UTC)
>T6n8さん
数学といかなる関連があるのでしょうか?きちんと明示できる出典がなくてもよいなら「数学と幾らかでも関連した」ものでないものを探す方が困難でしょう。数学のどの分野と関連しているのでしょうか?--Sparrowhawk4344会話2013年6月3日 (月) 21:45 (UTC)
算数、初等数学は数学の下位カテゴリです。その上で「Category:数学に関する記事」は「数学に関する記事に関するカテゴリ。一つのカテゴリで記事を網羅し一覧するためのカテゴリなので、サブカテゴリに分けないでください。」ということなので、「Categroy:算数」「Category:初等数学」をつけるものはすべて「Category:数学に関する記事」をつけるです。--T6n8会話2013年6月3日 (月) 22:34 (UTC)
>T6n8さん
Categroy:算数,Category:初等数学 についてもそれとの関連がきちんと明示できる出典がないようです。--Sparrowhawk4344会話2013年6月3日 (月) 22:45 (UTC)
現在参考文献に出ている文献から算数への関連は十分に明らかです。--T6n8会話2013年6月3日 (月) 23:01 (UTC)
>T6n8さん
どの文献に「正しい順序」と記載されていますか?--Sparrowhawk4344会話2013年6月3日 (月) 23:20 (UTC)
それがなにか?小学校の算数において掛算を特定の順序で書くと正解として扱われ、その逆の順序として書くと不正解として扱われる事例は文献中に多数出ております。--T6n8会話2013年6月3日 (月) 23:33 (UTC)
>T6n8さん
あげられている参考文献には,「正しい順序」という記載はないのですね?となると「日本での数学の初等教育の実践において、かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」などの記載もないのでしょう。「かけ算の順序問題」が社会部記者の書いた新聞記事のみを典拠とするものであれば,Categroy:算数,Category:初等数学,Category:初等教育,Category:数学に関する記事 は外すのが適当でしょう。また編集等は,二次資料(Wikipedia:信頼できる情報源)を出典として明示してから,行ってください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月4日 (火) 01:49 (UTC)
一般に出典は事実を示すためにあるのであって、表現が同じである必要はありません。むしろ、カッコつき引用でない限り、異なる表現をしているのが当たり前です。本記事の参考文献には小学校学習指導要領解説算数編、算数授業研究などが並んでおり、記事全体として算数に関連が深いことは明らかです。二次資料を出典とすることは望ましいけれども、その必要はありません。また、岩波科学ライブラリー。根拠のない編集を行っているのはSparrowhawk4344さんなので、自ら差し戻してください。--T6n8会話2013年6月4日 (火) 10:33 (UTC)
>T6n8さん
「日本での数学の初等教育の実践において、かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」が存在しないのであるならば,現在の表現は事実と異なるでしょう。ただ文献をならべるだけでは,「出典の明示」とはいえないでしょう。「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」などというナンセンスな指導法が「小学校学習指導要領解説算数編」や「算数授業研究」にあるのであれば,それがどこにあるのかを明示してください。もしそれがないのであるならば,T6n8さんは「根拠のない編集」を行っているといえるかもしれません。二次資料(Wikipedia:信頼できる情報源)を出典として明示できないならば,ID:47634258,ID:47634166,ID:47625825 の編集の差し戻しの根拠もないでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月4日 (火) 11:07 (UTC)
>T6n8さん
まず議論と出典の明示をしてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月4日 (火) 12:23 (UTC)

冒頭「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」が存在することについては、栗山真寛 (2012年11月5日). “2×3? 3×2? 算数の文章題でこだわる“順序””. 中日新聞 (中日新聞社)で十分。なお、これは、「注釈者による説明」ですからWikipedia:信頼できる情報源の定義では二次資料です。 「Category:算数」等は、「小学校学習指導要領解説算数編」や「算数授業研究」を引用しており深く関連するのは明らか。 --T6n8会話2013年6月4日 (火) 15:31 (UTC)


>Sparrowhawk4344さん
Category:数学 の下位カテゴリーには、「数学を題材とした作品」という文学のようなカテゴリーもありますし、「ある数学者の生涯と弁明」は随筆ですし、「クヌース-モリス-プラット法」は、どちらかというとコンピューターのカテゴリーでもあり、どれも Category:数学 の下位カテゴリとして検証可能性が確認されているとは思えません。 その状況において、カテゴリーについて検証可能性が必要であることを納得できるように説明してください。
--T's-Neko会話2013年6月8日 (土) 12:16 (UTC)
>T's-Nekoさん
ここは「かけ算の順序問題」について議論する場だと思います。現在の「リード文」にある「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」なるものの存在を示す「信頼できる情報源」(Wikipedia:信頼できる情報源)は今のところ示されていません。「かけ算の順序問題」の定義があいまいなら,それがどのカテゴリに属するのか判断のしようがないでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月8日 (土) 12:58 (UTC)
>Sparrowhawk4344さん
どちらにしろ、カテゴリーをはずすことの検討は、まだ早いということですね。
--T's-Neko会話2013年6月15日 (土) 06:00 (UTC)
>T's-Nekoさん
「かけ算の式には「正しい順序」がある」と主張している人たち」がいることの「信頼できる情報源」としての「正しい順序」を積極的に指導すべきとしている文献がなく,記述を現在の不正確な状態のままにしておくなら,なんのカテゴリーに属するのか決定しようがないでしょうから,「教育問題」以外ははずすのが適当でしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月15日 (土) 08:26 (UTC)
>T6n8さん
Wikipedia:信頼できる情報源の定義では,
二次資料
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。
となっています。「注釈者による説明」は,「注意すべき論点」の一部でとりあげられています。断片をとりだして,「定義」とするのはいかがなものでしょうか。また,「小学校学習指導要領解説算数編」や「算数授業研究」に「かけ算の順序問題」ないし「正しい順序」などの記載があるでしょうか。引用しさえすれば「深く関連するのは明らか」とはならないでしょう。

--Sparrowhawk4344会話2013年6月4日 (火) 21:45 (UTC)

当該記事は「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」にも当てはまっています。
適切な引用は実際に関連を示しています。
算数の授業において行われていることを扱うという主題からも、引用関係からも算数に深い関連があり、Category:算数が妥当です。--T6n8会話2013年6月4日 (火) 22:35 (UTC)
>T6n8
当該記事はどのような「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料」を要約したものとなっているのでしょうか。具体的にあげてください。また,「適切な引用」というだけでは適切な引用かどうかわかりません。あげられている文献では実際に「正しい順序」などというナンセンスなものを教えている授業実践があることを示す「一次資料または二次資料」の所在がわかりません。--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 10:49 (UTC)
読めばわかることを聞くSparrowhawk4344さんは出典を読むことすらしていないのですね。批判するなら出典を読んだ上で具体的なポイントについて批判するというのが最低限必要なことです。--T6n8会話2013年6月5日 (水) 12:25 (UTC)
>T6n8さん
当該記事はどのような「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料」を要約したものとなっているのでしょうか。はぐらかさず具体的にあげてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 14:11 (UTC)
やはり読んでいないんですね。 いずれ、この情報で不満なら、それを否定するより信頼性の高い情報源を示せばよいのです。それをしないで、Sparrowhawk4344さん独自の見解を述べても意味がありません。--T6n8会話2013年6月5日 (水) 15:03 (UTC)
>T6n8さん
読んでいるかどうかということであればお読みしています。わたしはその記事に「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料の要約」となるようなものを見いだせません。あなたはそうではないとおっしゃっているのですから,はぐらかさず具体的にあげてください。「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます。」(Wikipedia:信頼できる情報源)とあります。現在の編集者はあなたです。--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 15:09 (UTC)
情報源は提示されています。Sparrowhawk4344さんは何の情報源も示さずに単に独自の考えでそうは思わないと述べているだけなので、有効な批判になっていません。お読みになったのなら、「正しい順序」がどこにどう書いてあるかわかるので、まず、『「正しい順序」という記載はないのですね?となると...--Sparrowhawk4344会話) 2013年6月4日 (火) 01:49 (UTC)』という偽の命題を仮定して議論する無意味な議論を書いたことについて謝罪してから進むのが当然です。それをしないのは、不誠実であることを示しているので、実際には読んでいないただの荒らしであるとみなされても仕方がないです。--T6n8会話2013年6月5日 (水) 21:27 (UTC)
>T6n8さん
現在の編集者であるあなたが提示した情報源は「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」となっていないことをわたしは問題としています。わたしは「見いだせない」と主張し現在の編集者であるあなたは「読めばわかる」と主張されています。「読めばわかる」とおっしゃっているのですからはぐらかすことなく具体的に「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」であるとされた根拠をお示しください。
あなたが引用されたわたしの発言は「あげられている「信頼できる情報源」であるべき参考文献に「正しい順序」という記載がないなら」という意味で書きました。わたしは情報源の信頼性を問題にしています。
わたしが,このノートの「テンプレ除去の提案」のSparrowhawk4344会話) 2012年11月17日 (土) 17:21 (UTC) で事前に提案した後,とくに異論もみあたらなかったので行った編集(ID:47634258,ID:47634166,ID:47625825 2013年4月27日 (土))をなんの議論もなく一方的に差し戻されたのはあなたでした。「Wikipedia:荒らし」「Wikipedia:編集合戦」を参照してください。わたしはあなたが現在の編集者としての責任を果たされることを期待しています。--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 22:19 (UTC)
当該中日記事(2012-11-05 6面)は大阪の朝倉算数道場、東北大学理学部数学科の黒木玄助教、東京書籍の編集局、文部科学省初等中等教育過程課、岡山県総合教育センターへの取材を要約したものですね。朝倉塾長、黒木玄助教、東京書籍の編集局、文部科学省初等中等教育過程課の担当者の発言がそれぞれ一次資料または二次資料にあたります。--T6n8会話2013年6月5日 (水) 22:59 (UTC)
>t6n8さん
わたしが要求しているのは「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」の存在を示す「信頼できる情報源」です。当該中日記事(2012-11-05 6面)において,東京書籍の編集局、文部科学省初等中等教育過程課の担当者はとくにそれについてコメントをしていません。むしろ「正しい順序」については(当然ながら)否定的です。そのほかについては「偽の権威に注意」(Wikipedia:信頼できる情報源)をご参照ください。「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法」の存在を示す「信頼できる情報源」としての「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」を具体的にあげてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月6日 (木) 04:35 (UTC)
当該中日記事(2012-11-05 6面)は「信頼できる情報源」としての「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したもの」であって、かけ算において一方の順序で書かれた式のみを正解とし順序が逆なら誤りとして扱う指導が行われていることを示しています。この指導を「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」と書くのは通常の日本語の用法として妥当です。--T6n8会話2013年6月6日 (木) 13:30 (UTC)
>T6n8さん
たとえば,
「かけ算とは1あたりのいくら分をもとめることである」「1あたり×いくら分 の順序でかく」とするとき,「1ふくろあたり◯個の□ふくろ分は 8×5個とかく」
の「正解」は「◯は8,□は5」とする。
などというだけのことを
「かけ算において一方の順序で書かれた式のみを正解とし順序が逆なら誤りとして扱う」
などと表現するのは不正確でしょう。「当該中日記事(2012-11-05 6面)」でも,「掛け算の意味を理解させることに尽きる(東京書籍の編集局)」「掛け算の意味を理解させるよう定めている(文科省初等中等教育局教育課程課)」とあり指導のポイントは「順序」ではなく「乗法の意味の理解」にあると読めます。「かけ算において一方の順序で書かれた式のみを正解とし順序が逆なら誤りとして扱う」では「順序のみを指導している」かのような印象を与えます。まして「かけ算の式には「正しい順序」があるとして指導している」ことがあるなど文科省初等中等教育局教育課程課はもちろん東京書籍の編集局もいっていません。「当該中日記事(2012-11-05 6面)」は,「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」の存在を示す「信頼できる情報源」とはいえないでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月6日 (木) 21:53 (UTC)
当該記事(中日新聞2012-11-05 6面)のリードには「多くの子どもが掛け算の式には"正しい順序"があると教わる」とあり、本文中に朝倉算数道場の保護者会の相談で「「2×3」を「3×2」と書くと誤りとされるような掛け算の式の事例」があることが示されています。また、「各教科書に対応した教師向けの指導書では、順序が逆なら誤りとする教え方を載せている」ことも指摘されています。この記事は記名であり、大手新聞社の編集を経て出版された信頼できる情報源です。--T6n8会話2013年6月6日 (木) 22:26 (UTC)
>T6n8さん
「一般読者向けの出版物はたいてい、科学を適切に報道していません。」(Wikipedia:信頼できる情報源)とあります。教育学(the science and art of education(en:Pedagogy))においてもあてはまると思います。繰り返しますが,「掛け算の意味を理解させることに尽きる(東京書籍の編集局)」「掛け算の意味を理解させるよう定めている(文科省初等中等教育局教育課程課)」とあり指導のポイントは「順序」ではなく「乗法の意味の理解」にあると読めます。「文章題の答えで「2×3」を「3×2」と書くと誤りとされるような掛け算の式の事例について朝倉算数道場の大阪教室の保護者会で相談があった」からといって,「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」が行われていることにはならないでしょう。「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」の存在を示す「信頼できる情報源」をあげてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月7日 (金) 14:17 (UTC)
東京書籍は教師向けの指導書に順序が逆なら誤りとする教え方を載せていることを踏まえた取材で、それを否定せず、「順序に意味がある」と主張しているものです。東京書籍の言う「掛け算の意味」には順序が含まれているのです。さらに、順序によって文章題の意味を理解しているか判別できるという説明が続いています。「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」の存在と矛盾する情報が他になければこの記事で十分です。--T6n8会話2013年6月7日 (金) 20:54 (UTC)
>T6n8さん
繰り返しますが「一般読者向けの出版物はたいてい、科学を適切に報道していません。」(Wikipedia:信頼できる情報源)とあります。また「存在と矛盾する情報がみあたらないこと」は「存在」を示す「信頼できる情報源」ではないでしょう(そもそも「かけ算の式には「正しい順序」がある」などナンセンスでしょう。東京書籍の算数教科書の執筆者の一人もそうコメントしているようです。)。編集者がなぜ「十分」と思ったかをお尋ねしているのではありません。「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」の存在を示す「信頼できる情報源」(Wikipedia:信頼できる情報源)をあげてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月7日 (金) 21:18 (UTC)
かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導が行われていることというのは科学ではありませんので、「一般読者向けの出版物はたいてい、科学を適切に報道していません。」というのはここでは関係の無い話です。主流の新聞は原則として信頼できる情報源です(Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするか)から、信頼できないと主張するほうに根拠が必要です。--T6n8会話2013年6月9日 (日) 14:04 (UTC)
>T6n8さん
「一般読者向けの出版物はたいてい、科学を適切に報道していません。」(Wikipedia:信頼できる情報源)は教育学(the science and art of education(en:Pedagogy))においてもあてはまると思います。しかも当該記事には「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」の一次情報も二次情報も含まれてません。ID:47634258,ID:47634166,ID:47625825 の編集の差し戻しの根拠はないでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月10日 (月) 12:06 (UTC)
2012年11月15日 (木) 15:06 (UTC) ,2012年11月17日 (土) 17:21 (UTC)のコメントについてはあわせて、2012-11-25T15:37:43に「子どもを守らせるべきだ」を除くように対処しており、そもそも2012年11月17日 (土) 17:21 はご本人も「こなれていない」と書いているので、それを4月27日の編集予告とすることは無理があります。--T6n8会話2013年6月5日 (水) 23:18 (UTC)
>t6n8さん
議論もなしに一方的に差し戻しをされたのはあなたであることにはかわりません。わたしは,5ヶ月という期間の後,異論がないようなので編集したまでです。「Wikipedia:編集合戦」を参照してください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月6日 (木) 04:35 (UTC)
妥当性を欠くように改変されたリード文にもとづいてT's-Nekoさんが考え始めるなど不幸な事態に至っていたので、遺憾ながら差し戻すしかないと判断しました。--T6n8会話2013年6月6日 (木) 13:30 (UTC)
>T6n8さん
Wikipedia の記事としての「妥当性」,とくに中立性(Wikipedia:中立的な観点)についてはもともとこの記事について疑義が提出されていましたし,T's-Nekoさんとの議論もその点についてすすんでいます。あなたは「妥当性を欠く」「不幸な事態」と判断した根拠をあげることなく,議論もなしに一方的に差し戻しをされました。「Wikipedia:編集合戦」を参照してください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月6日 (木) 21:53 (UTC)

Sparrowhawk4344さんは、「かけ算の式には『正しい順序』があり逆順は不正解として扱う指導」が存在しないことにしたいのでしょうか。東京書籍の資料には、逆順は誤答であるとはっきり書いてありますし、新聞記事その他の資料を見ても、そのような指導があることは明らかでしょう。また、Category:数学に関する記事に本記事を入れるかどうかで揉めているようですが、当カテゴリのメンテナンスに関わっている者としては、数学に関係していることが明らかなため、入れておいて頂きたいを考えています。--白駒会話2013年6月12日 (水) 11:54 (UTC)

>白駒さん
わたしは,「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」の信頼できる情報源をもとめています。「かけ算の式には「正しい順序」がある」と記述された教科書は存在するでしょうか?わたしは「かけ算の式には「正しい順序」がある」などという主張はナンセンスと思います。そういう主張にもとづいた指導が存在することにしたい人たちはいるようですが専門家にそうした人はいないようです。
たとえば,
「かけ算とは1あたりのいくら分をもとめることである」「1あたり×いくら分 の順序でかく」とするとき,「1ふくろあたり◯個の□ふくろ分は 8×5個とかく」の「正解」は「◯は8,□は5」とする。
などというだけのことを
「かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導」
などと表現するのは不正確でしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月12日 (水) 22:23 (UTC)

Sparrowhawk4344さんのおっしゃる「かけ算の式には正しい順序があり逆順は不正解として扱う指導の信頼できる情報源」とは一体何なのか、我々の間に意識の差があるように思います。具体的には、私が先に出した東京書籍の資料や、かけ算の順序問題#教科書・教科書指導書の記述に挙げられている事例ではなぜ無効なのでしょうか。教育の専門家や文科省の直接の見解ではないからですか?

確かに、指導要領には「逆順を不正解とするように」という直接の指示はないでしょうし、現場の教員の全員がそういう杓子定規な指導をしているとも思いません。むしろ少数派だろうと推測します。しかし、私が示した資料では、県学力調査で逆順は誤答としているとはっきり書いてあります。指導要領を深読みして「正しい順序というものがあって逆順は不正解とすべし」と考える勢力が一定数あることは明らかと私には思えます。

Sparrowhawk4344さんは現場の教員、あるいはそれに近い立場の方なのではないか、と私は推測しています。そして、掛け算の意味を正しく指導しようとしているだけなのに、形式的な順序に無意味にこだわっている、という批判に不当に苦しめられている、という意識があるのかもしれません。しかし、すでに示されている資料を見るに、逆順を不正解とする指導は存在しない、という主張は無理筋であるし、Sparrowhawk4344さんによる差分は、一方の立場に偏りすぎた表現であると思います。--白駒会話2013年6月13日 (木) 08:56 (UTC)

>白駒さん
>なぜ無効なのでしょうか
「東京書籍の資料や、かけ算の順序問題#教科書・教科書指導書の記述」のどこに「正しい順序」などと書いてあるのでしょう。「正しい順序」などナンセンスでしょう。
白駒さんはどうしても「かけ算の式には「正しい順序」がある」と主張している人たちがいることにしたいのでしょうか?
たとえば,
「かけ算とは1あたりのいくら分をもとめることである」「1あたり×いくら分 の順序でかく」とするとき,「1ふくろあたり◯個の□ふくろ分は 8×5個とかく」の「正解」は「◯は8,□は5」とする。
において,「◯は5,□は8」は「正解」とおっしゃるのでしょうか?憶測にもとづいた「深読み」してしまっているのは誰でしょう。
わたしは算数教育については(おそらくは白駒さん同様)全くの素人です。わたしにとって「かけ算の意味」ははかりしれません。「かけ算の順序問題」にかかわって,数学者をふくむ多くの大人たちが混乱していることには興味を持っています。「かけ算の順序問題」は「かけ算の意味」からはなれ「正しい順序」という「形式」にこだわったナンセンスな「論争」と感じます。ですが,ここでは,そんなことについて議論するよりも,現在の記述が,憶測ではなく,信頼できる情報源にもとづいた正確な表現であるかどうかを問題にしています。現在の記述は信頼できる情報源にもとづいていない不正確なものでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月13日 (木) 11:37 (UTC)

ふーむ、禅問答でもしているようですな。ともあれ、Sparrowhawk4344さんの立場について邪推していたことは謝ります。ただ、悪意があったのではないことは御理解ください。私の方は、おっしゃる通り教育については素人です。で、禅問答に興味はないのですが、皆様の理解の助けとするために、もう少しお付き合い願います。示された例においては、8 × 5 が正解で 5 × 8 が不正解だ、と主張されているのですよね。ならば、8 × 5 が「(教科書的に)正しい順序」と主張している人がいる、ということなのではありませんか。それとも、「正しい順序」という表現と一字一句違わぬ表現がないから、出典として無効だ、と主張されているのですか。「決まりごと」と「正しい」とは違う、という主張なのですか。具体的に私の言っていることの何が「憶測」になってしまっているのですか。おそらく、Sparrowhawk4344さんのおっしゃることは、御自身以外には大変分かりにくい内容になっております。故に長期にわたる揉め事になっております。「正しい順序」という言葉の解釈が全く違うのかもしれません。私や他の方にも貴方の意図が分かるように、もう少し慎重に言葉を選んで頂けませんか。--白駒会話) 2013年6月13日 (木) 13:12 (UTC) 少し混乱していたので打ち消し。--白駒会話2013年6月13日 (木) 14:07 (UTC)

>白駒さん
>示された例において
おそれいりますが,まず,
たとえば,
「かけ算とは1あたりのいくら分をもとめることである」「1あたり×いくら分 の順序でかく」とするとき,「1ふくろあたり◯個の□ふくろ分は 8×5個とかく」の「正解」は「◯は8,□は5」とする。
において,「◯は5,□は8」は「正解」とおっしゃるのでしょうか?
にお答えいただけますでしょうか。新聞記事にしろ,「指導書」にしろ,断片のみをとりだして「正しい」などといいだすと混乱するでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月13日 (木) 13:29 (UTC)

質問自体にどれほどの意義があるかは疑問ですが、出題者は正解ではない、と言いたいのだろうな、とは思います。--白駒会話2013年6月13日 (木) 14:07 (UTC)

白駒さんは正解だといいたいのでしょうか?とお尋ねしました。
そして
「かけ算とは1あたりのいくら分をもとめることである」「1あたり×いくら分 の順序でかく」とするとき,「1ふくろあたり◯個の□ふくろ分は 8×5個とかく」の「正解」は「◯は8,□は5」とする。
などという指導は「正しい順序」を教えようとしていると思われますか?
教科書や「指導書」,新聞記事やテストの断片をとりだして混乱している人たちがどこにもいない「「かけ算の式には「正しい順序」がある」と主張している人たち」がいると思い込んでいるのではないかとすら感じています。「Sparrowhawk4344さんのおっしゃることは、御自身以外には大変分かりにくい内容になっております」を単純な質問に答えないいいわけにする人たちは少なくないようです。
「掛け算の意味を理解させることに尽きる(東京書籍の編集局)」「掛け算の意味を理解させるよう定めている(文科省初等中等教育局教育課程課)」とあります。「正しい順序」を積極的に指導すべきとしている文献をあげてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月13日 (木) 21:01 (UTC)

「正解だといいたいのでしょうか?」→ 正解だとも不正解だとも言いたくありません。質問自体が大して意味がないからです。「『正しい順序』を教えようとしていると思われますか?」→ 思います。「1あたり×いくら分 の順序でかく」が正しい、と教えようとしていますよね。--白駒会話2013年6月13日 (木) 21:30 (UTC)

>白駒さん
正解でなければ不正解なのでしょう。「意味がない」と素人が考える(たいていの数学者にとって意味がない質問でしょう)ことが「「かけ算の式には「正しい順序」がある」と主張している人たち」がいることの「信頼できる情報源」にとってかわるわけではないでしょう。「「かけ算の式には「正しい順序」がある」と主張している人たち」がいることの「信頼できる情報源」としての,「正しい順序」を積極的に指導すべきとしている文献をあげてください。--Sparrowhawk4344会話2013年6月14日 (金) 03:00 (UTC)

私は質問に答えましたので、最後に私の質問にも答えて頂けませんか。すでに示されている資料が無効だと主張する理由として私が想像できるのは、(1)教育の専門家や文科省による資料ではない。(2)表面上「正しい順序」とは書かれていない。(3)逆順を不正解とするのは、単なる指導であって、「正しい順序」があると考えているとは見なせない。…といった辺りですが、貴方の考えとして、これらが理由として当てはまるかどうか、それぞれについて端的にお答えください。--白駒会話2013年6月14日 (金) 04:17 (UTC)

>白駒さん
>私は質問に答えました
質問に答えたくない理由をうかがいました。
>(1)教育の専門家や文科省による資料ではない。
算数教育の話題なのに,「教育の専門家や文科省による資料」ではないのなら,信頼できる情報源とはいえないでしょう。なお,Wikipedia:信頼できる情報源の定義では,
二次資料
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。
とあります。
>(2)表面上「正しい順序」とは書かれていない。(3)逆順を不正解とするのは、単なる指導であって、「正しい順序」があると考えているとは見なせない。
「m×0=0,m×n'=m×n+m」などと定義しているからといって「「正しい順序」があると考えているとは見なせない。」でしょう。もちろんこうした定義にもとづいて「m×n=n×m」を証明するとき,「m'×n=n+m×n」などを証明なしに用いるわけにはいかないでしょう。「正しい順序」などナンセンスでしょう。
ご質問にはお答えしました。「かけ算の式には「正しい順序」がある」と主張している人たち」がいることの「信頼できる情報源」としての「正しい順序」を積極的に指導すべきとしている文献をあげてください。もしないのなら,現在の編集は,信頼できる情報源にもとづいていないばかりか,読者の間に誤解を広める有害なものとすらいえると感じます。--Sparrowhawk4344会話2013年6月14日 (金) 10:42 (UTC)

コメント依頼

この編集の是非についてコメントを依頼します。冒頭において、

A:かけ算の順序問題とは、日本での数学の初等教育の実践において、かけ算の式には「正しい順序」があり逆順は不正解として扱う指導法と、かけ算の問題の構造から必然的にどちらの順序で書いても正しく不正解として扱うのは不適切であるという主張の対立である。
B:かけ算の順序問題とは、日本の算数教育の実践においてみられる「1あたり×いくら分」の順序で式を書かせるような指導法は、かけ算の式には「正しい順序」があるという根拠のない主張にもとづく有害なものであると判断した人々が行う批判と、それへの反論によって生じている対立である。

のどちらが適切か、ということです。

A 側の主張

  • 逆順を不正解とする指導法が存在するという資料はすでに示されている。

B 側の主張

  • かけ算の式には正しい順序があると主張している人が存在するという信頼できる資料は示されていない。

--白駒会話2013年6月15日 (土) 13:22 (UTC)

コメント

  • A の方が妥当だと主張します。こちらには、4 × 3 が誤答とはっきり書いてあり、「かけ算の式には正しい順序があり逆順は不正解として扱う指導法」と見なせます。どうやらSparrowhawk4344氏は「正しい」という言葉に独自の解釈を与えているようですが、3 × 4 を正解、4 × 3 を不正解とするということは、取りも直さず 3 × 4 が(テストの解答として)「正しい」と考えているということでしょう。逆順を不正解とする指導の存在を示す資料は、新聞記事、高橋本などがすでに記事内に示されています。A の文が両方の立場を対等に扱っているのに対し、B の文は批判側が不当な批判を行っているように読め、中立的ではありません。Wikipedia:コメント依頼/Sparrowhawk4344にもコメントしました。--白駒会話2013年6月15日 (土) 13:22 (UTC)
  • 私も A が妥当だと考えます。実例はすでにいくつも出されています。--Nkymysnr会話2013年6月15日 (土) 18:58 (UTC)
  • B の方が妥当でしょう。白駒氏は「(テストの解答として)「正しい」」と「かけ算の式には正しい順序がある」の区別をあいまいにしていると思います。そうしたことは,「かけ算の順序問題」の「反対派」の主張によく見られるようです。--Sparrowhawk4344会話2013年6月15日 (土) 22:07 (UTC)
  • (コメント依頼みてきました)どちらかといわれれば A が妥当だとは思います。B は最初読んでて意味が分かりませんでした。このノートページのやりとりをみて「かけ算の式には正しい順序があるとの主張には根拠がない」とのご意見(合意得てないようですけど)を組み入れた文章だと理解しました。このご意見を無理にいれずに、例えば B2『かけ算の順序問題とは、日本の算数教育の実践においてみられる「1あたり×いくら分」の順序で式を書かせるような指導法に対する批判と、それへの反論によって生じている対立である』ぐらいにしたらよりよいのではと思います。なお A も、『かけ算の式には「正しい順序」があり』と言い切る書き方にちょっと抵抗を感じました。「正しい」は多くの場合何がどう「正しい」のか人によって受け取り方の幅の広い言葉で、あまり使わない方がよいかと… 初めて読んだ人が『指導方法として「正しい順序」があるの?数学的に「正しい順序」があるの?民族数学的に「正しい順序」って意味?』など。特にこの表現にこだわる理由がないのであれば、別のことばを使った方がいいじゃないかなと思いました。あと『数学の初等教育の実践において』もちょっと堅く感じました。「かけ算の指導において」でもいいような気がします。--ぽん吉会話2013年6月18日 (火) 08:56 (UTC)
  • Aが素直な文章で、妥当です。Bは非常に分かりにくく、もし単独で読んで「結局何が書いてあったのか?」を聞かれたとしたら、答えられた自信はありません。白駒さんの挙げている実例もはっきり「かけ算の式には正しい順序があり逆順は不正解として扱う指導」の実在を示しています。--プリズム11会話2013年6月19日 (水) 04:42 (UTC)
  • コメント Aは、間違いとは思いませんが、ぽん吉さんも指摘されているように、少々刺激的というか、この定義部分で「どっちが正しいかもうわかるよね」的な印象を与えるのが難かもしれません。修正案として、かけ算の順序問題とは、日本の初等教育において、かけ算の数式を設問に沿った順序で記述するよう求める指導法と、これに対しかけ算の構造からして数式の順序に正しさはないとする批判との対立である。とするのはどうでしょう。
Bは、日本語の文章として成立しておらず、意味不明です。かけ算の式には「正しい順序」があるという根拠のない主張にもとづく有害なものであると判断した人々という部分がとくに問題で、Sparrowhawk4344さんは、Aには信頼できる情報源が示されていないとお考えのようですが、出典が必要なのはむしろBのこの部分だと思います。この部分や後半の回りくどいところを削って、かけ算の順序問題とは、日本の算数教育の実践においてみられる「1あたり×いくら分」の順序で式を書かせるような指導法と、それに対する批判によって生じている対立である。とするなら、いけるんじゃないでしょうか。
個人的にはAの修正案が好みですが、Bの修正案とそれほど変わらず、両者このあたりで落としどころを探ってみてはいかがかと思います。--みっち会話2013年6月19日 (水) 11:48 (UTC)
  • いろいろのコメントをありがとうございます。批判の対象としては不正解として扱うことが中心になっていて、特定の順序で書く指導自身に対する批判というのは、せいぜい傍論であろうと思います。「正しい順序」は中日新聞の見出しでも使われていてわかりやすいかと思ったのですが、「かけ算の式の順序によって正解・不正解をわける事例」「ある順序で書かれたかけ算の式のみを正解とし逆順でかかれた式は不正解と扱う指導」くらいの言い換えは可能かもと思います。でも、最初のがわかりやすい気がします。とりあえず、設問に出てきたとおりの順序で書かれた式を不正解にするので「設問に沿った順序」ならいいという話ではないです。簡単には定義できないけど正解として扱われる順序と不正解として扱われる順序があるわけで、それは本文を見ていただくほうがよくて、冒頭で何が正しいと扱われるのか短く書くのは困難だと思います。--T6n8会話2013年6月19日 (水) 13:55 (UTC)
  • 「逆順」には「道理にそむくこと」という意味もあるので使わない方が良いでしょう。「不正解」は確かに外せないと思います(出典も提示されてますし)。定義を1つの文にまとめるのは難しいテーマなので、2文に分けることも検討してみてはいかがでしょうか?候補をいくつか考えてみました。
  1. かけ算の順序問題とは、かけ算の式の書き方は「1あたりxいくら分」のみが正解であり「いくら分x1あたり」は不正解だとする日本の初等教育における指導法と、かけ算の構造からどちらの順序でもかまわないとする批判の対立である。
  2. かけ算の順序問題とは、かけ算の式の書き方は「1あたりxいくら分」のみが正解であり「いくら分x1あたり」は不正解だとする考え方と、かけ算の構造からどちらの順番でも正解だとする考え方の対立である。特に、日本の初等教育における指導法に関して議論が行われている。
  3. かけ算の順序問題とは、かけ算の式の書き方は「1あたりxいくら分」のみが正解であり「いくら分x1あたり」は不正解だとする主張と、かけ算の構造からどちらの順番でも正解だとする主張の対立である。特に、日本の初等教育における「正しい順序」指導が物議をかもしている。
--Nandaro会話2013年6月19日 (水) 19:54 (UTC)
  • 逆順には、「正誤」のように反対の意味の文字をつないだ熟語としての意味もあるということですね。文脈上そういう意味であると誤解する人はあまりいないと思いますが、「他の順序」と表記することはあり得る選択肢と思います。「1あたりxいくら分」というのは、多くの人にわかってもらえない表現であるとともに、問題を狭く規定しすぎだと思います。「縦×横」など「1あたりxいくら分」とは関係ありませんが、「横×縦」の順で書いた答案を△にする人がいたという話があって但し書きが増えたという経緯があります。現在の主要な小学2年の教科書では「1つぶんの数 × いくつ分」らしいですが、時代によって出版社により異なる変遷をしていて年齢によって習い方がちがっているであろうこと、整数問題に限らないことを踏まえて、通常の日本語を読めるなら誰でもわかる表現を目指したいところです。たとえば、「主に小学校の算数のかけ算において、特定の順序で書かれた式のみを正解として他の順序で書かれた式は不正解として扱う指導とどちらの順序で書かれた式でも正解として扱うべきであるという主張の対立である」くらいでしょうか。原文後半「不正解は...不適切」は2重否定であるから複雑化していたかも。--T6n8会話2013年6月19日 (水) 23:44 (UTC)
  • コメント依頼者として、皆様のコメントに感謝いたします。個人的には、みっちさんの修正案 かけ算の順序問題とは、日本の初等教育において、かけ算の数式を設問に沿った順序で記述するよう求める指導法と、これに対しかけ算の構造からして数式の順序に正しさはないとする批判との対立である。 が最も穏当かつ内容を適切に表しているかな、と感じています。T6n8さんの修正案 主に小学校の算数のかけ算において、特定の順序で書かれた式のみを正解として他の順序で書かれた式は不正解として扱う指導とどちらの順序で書かれた式でも正解として扱うべきであるという主張の対立である は少々刺激的だけれども、テストにおける正解・不正解が問題とされていることをはっきりさせたいという意図であれば頷けます。元々の新聞記事などはそういう切り口でした。ただし、「日本の」をつけることはWP:JPOVから必要です。「1あたりxいくら分」という表現は、「1あたり」が何か、という議論とも関わってきますので、冒頭では避けたほうがよいかな、と思いました。引き続き、多くの方のコメントを歓迎いたします。--白駒会話2013年6月20日 (木) 21:59 (UTC)
    • コメント 拙案をご支持いただき、ありがとうございます。私が「正解」「不正解」を冒頭部分から除いた理由について補足します。かけ算の順序の違いで「正解」「不正解」に分かれる指導がなされている事実があり、これについて適切な出典が示されていることについて争う余地はないと思います。したがって、これを本文説明で触れるのは当然です。しかし、だからといって冒頭部分に「正解」「不正解」の言葉を書かなければいけないかどうかは別問題です。指導法というのはテストの「正解」「不正解」を出すことが目的ではなく、適切な問題理解と答えを導き出すための方法論のひとつだと思いますので、定義部分ではマスコミが見出しとして取り上げるような事象よりもその精神を書いた方が受け入れやすいのではないかと考えました。もしここが絶対に譲れない部分だとすると、まさにその点が合意の最大の障害になっている可能性がある、ということを考慮いただければと思います。もとより私は算数を苦手としており、これ以上粘るつもりもありませんので、みなさんの賢い選択によって合意がなされますよう願って手を引きます。--みっち会話2013年6月21日 (金) 07:52 (UTC)
  • WP:JPOVというのは記述が日本の事情に偏っているのはよろしくないということですね。日本以外の国の状況についての信頼できる情報源を把握していないのが難しいところです。ブログではアメリカで日本とは逆の順序じゃないとダメなことがあることを示唆する話はみたことがあります[4]。日本特有の問題かは判然としないけど、日本については認識できているので、日本についての限定は次の文として「日本では1970年ころから問題になっている。」といれるのはどうでしょう。--T6n8会話2013年6月20日 (木) 23:50 (UTC)
    • いえ、日本の事情に偏ることは構わないのですが、日本の事情であることを暗黙の了解にするな、ということです。WP:JPOVをよくお読みください。「次の文」を御提案の通り入れたとしても、冒頭文に「日本の」と断りを入れなければ、世界中で主張の対立が起こっているように読めて、現段階の記事の総括としては不適切です。もちろん、適切な出典を示して世界中の話に拡張した上で、「日本の」を外すことは問題ありません。--白駒会話2013年6月21日 (金) 03:51 (UTC)
  • 「世界中で主張の対立が起こっているように読め」てはいけないという点は同意です。問題の本質が何であるかと、それがどこに観測されるかというのは別のことなので、第1文に「日本の」を入れる必然性はないと思います。ベーゴマ, スギなど日本特有の項目の例でも第一文には日本と入れていないです。第一段落を
かけ算の順序問題は、かけ算によって解が得られる文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解として他の順序で書かれた式は不正解とする採点とどの順序で書かれた式でも正解として扱うべきであるという主張の対立である。日本の小学校の算数において1970年ころから問題になり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。
としてみたとき、世界中で主張の対立が起こっているように読めてしまいますか?
ほかにも、文章題についてであることを明確にするとか、指導はやめてみるとかの調整をしています。
「かけ算の数式を設問に沿った順序で記述するよう求める」ということ自体を対象とする批判というのはなくて、不正解と扱われたこの式は実際に設問にそって記述されているのに不正解と扱われているのはよくないという、「かけ算の数式を設問に沿って記述するよう求める」ことと採点との乖離が批判されているのですから、批判の対象は正解不正解だということになります。指導と書くから誤解を招くということならと採点とさらに直接的にしてみたという次第です。--T6n8会話2013年6月21日 (金) 14:17 (UTC)
  • T6n8さんの(このすぐ上の)書き方がこれまでで一番しっくり来る形だと思います。あえて細かいことを言うなら、「採点」を「採点方針」にするぐらいでしょうか。アメリカの例について書いてあるブログも拝見しました。私もアメリカで子育てしており、説得力がある内容ですが、小学校の教科書はもう手元にありませんので直接確認できません。英語でウェブ検索してもそれらしい資料を見つけるのは困難です(「順序」は「order」なので関係ないものが多数ヒットします)。ただ、同じ式でも言語によって順序の解釈が逆になる可能性があるということを踏まえ、当面は他国・他言語については信頼できる出典がないので書かないけれど、仮にあった場合でも対応できるのが「...特定の順序で書かれた式...どの順序で書かれた式...の対立である。」としていったん区切ってから、「日本の...」を2つ目の文にする形だと思います。--Nandaro会話) 2013年6月21日 (金) 15:27 (UTC) 自分のコメントの一部を修正。--Nandaro会話2013年6月21日 (金) 22:13 (UTC)
  • 第1節は、T6n8さんの6月21日の書き方でほぼよいと思いますが、「1あたり×いくら分」のかけ算によって解が得られる文章題において、 と限定した方がよいと思います。たとえば、長方形の問題ではどの順序で書かれた式でも正解としていることを、2013年現在の 小学校学習指導要領解説 算数(2)(p81) にハッキリ書かれていて、擁護派でも意見が分かれると思うからです。また、「1あたりxいくら分」という表現は、「1あたり」が何か、という議論を生むほど分かりにくい概念ですが、分かりにくいことが主張が対立する1つの要素であるため、リード文だけで理解できなくとも、踏まえておいた方がいいと思います。 --T's-Neko会話2013年6月22日 (土) 10:22 (UTC)
  • 私もリード文については、とりあえず A の方が妥当だと思います。 理由は以下のとおりです。 第1節の B側では、「どちらの順序で書いても正しく、不正解として扱うのは不適切であるという主張」について、その主張は「根拠のない主張にもとづく有害なもの」という情報が追加されているために、中立性を欠いているように見えると思います。 どちらの主張も数学的根拠はなく、理由の妥当性に優劣はないと、現在の本文(リード文以外)やネットを読んだ印象です。 私が見たいくつかの参考書には、正しい順序の答えが書かれているだけで、根拠や理由については書かれていませんでした。その状況において、有害と断定するのは問題があると思います。 第2節の B側では、「答にマルをつけられるのが通例である」という情報を削除しています。私がかけ算はどちらの順序でもよいだろうと考えていたときに、そう指導していることを聞いて納得したことを強烈に覚えています。 このように考えが変わるのですから重要な情報だと思うのですが、削除した理由を知りたいです。 本節 6月15日の Sparrowhawk4344 さんのコメントはハッキリしないところが多いので推測になりますが、おそらく、「(テストの解答として)正しい」とは、式と答えのうち、答えのみマルを付けて、式は採点しないのが、「区別」をしている人による良い採点であると読み取れますが、そうなのでしょうか。 かけ算の問題の文章に正しい式を求めていないため、式を採点すべきでないことには同意しますが、問題文が悪いことを、リード文の前半に書くと、ページの定義を踏まえなくなってしまうため、書くならリード文の後半に加えるとよいと思いますが、それは後日改めて別の議論にします。「数学的基盤を欠くとともに、その教育上の有効性を示した文献は見つからない」を削除した理由は読めませんが、「数学的基盤を欠く」ことは批判する主張の重要な理由の1つなので、削除しない方が良いでしょう。 --T's-Neko会話2013年6月22日 (土) 10:10 (UTC)


コメントをふまえての編集案

コメントが落ち着いたようなので、頂いた多くのコメントを踏まえ、冒頭を以下のようにまとめました。 問題がなければ、7月6日(土)に本文ページを編集し、このノートの節は「2013年4月27日の冒頭の編集に対するコメント依頼」というタイトルで過去ログ化したいと思います。もちろん、その後に修正依頼を受け付けないわけではありません。

かけ算の順序問題とは、「1あたり×いくら分」のかけ算によって解が得られる文章題において、算数を学ぶ過程において適切とされる指導法に基づいて、1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針と、かけ算には交換法則があり実用上問題ないために、どちらの順序で書かれた式でも正解とする採点方針にすべきであるという主張の対立である。特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。

具体的には、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」[1]という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうかが問題となる。1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とするのが通例である。1あたり×いくら分の順序に統一された教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、正しい順序があるという主張は数学的基盤を欠くとともに、教育上の有効性を示した文献は見つからない。また、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていないため、指導法は学校や教師に任されている。

--T's-Neko会話2013年6月29日 (土) 12:10 (UTC)

  1. ^ 遠山啓 1978, p. 114.
  • T's-Nekoさんのまとめる努力には感謝しつつも、何点かまずい点があるので指摘します。「1あたり×いくら分」というのは現在の教科書類に出てこないので、現在の問題の主なパターンとは考えづらく、それを冒頭に入れるのはうまくないと思います。「算数を学ぶ過程において適切とされる指導法」というのが何であるかわかりません。具体的にどのような指導法なのか、「適切とされる」という根拠の出典があるべきです。反対する人の意見は「実用上問題ないため」ではないと思います。むしろ、「本質的に正しい」というのが通常の批判パターンだと思います。長らくの対立のある項なので、もちっと文献を踏まえた表現を心がけないと、話がまとまってくれなそうです。--T6n8会話2013年6月30日 (日) 14:15 (UTC)
  • ネット上の一次情報レベルでは 「きまった数 × X」を「X ×決まった数」と書くと減点される例があるようです[5][6]。これは文字式が最近小学校で導入されたことに伴うものであるため、出版物に出てくるのには少し間が空くと思いますので、直ちに本文に書くことはありませんが、こういうのが対象からは外れない書き方にするべきです。ついでに、「たて×よこ」に対する「よこ×たて」は明示されて問題は減っているはずではありますが、「底辺×高さ」「たて×横×高さ」「底面積×高さ」などの順序が異なるときに減点ということもまだありうるかもしれないですし、指導要領解説に明記されたからといって直ちに根絶されるというわけではありません。共通項として上野先生の指摘のように例と異なるものは本質的に同等でも正解と認識しないという問題があるんではないかとも思えます。--T6n8会話2013年7月1日 (月) 22:02 (UTC)
  • 数学の世界ではすべてを象徴化する学問ですからAxB=BXAという公式は世界的な常識で、日本の数学でもそれは常識です。(つまり例えば、ウサギの耳の数とかは関係ありません)  日本の算数の教え方では式の意味として2X3と3X2は意味が違う(「1あたり×いくら分」)というならその通りでしょうが、今の本項の書き方だと、数学の話と算数の話がゴッチャに記述(議論)されてるのがよくないですね。 両論併記で良いのですが、かけ算の順序問題は日本の算数ではこのように教える方法(出典)と算数でもナンセンスと教える方法(出典)がある。 高等数学ではAxB=BXAは等価である(出典)が、和算ではこのような事情がある(出典)。 と記述すれば百科事典としては解決ではないでしょうか。--Gyulfox会話2013年7月1日 (月) 21:19 (UTC)
(追記)失礼しました。 意見を変更します。文章は元の文章を修正して、以下のように変更することを提案します。

かけ算の順序問題とは、「1あたり×いくら分」のかけ算によって解が得られる文章題において、算数を学ぶ過程において適切とされる指導法に基づいて、1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする日本の採点方針と、かけ算には交換法則があり実用上問題ないために、どちらの順序で書かれた式でも正解とする採点方針にすべきであるという主張の対立である。特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。

具体的には、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」[1]という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうかが問題となる。1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とするのが通例である。1あたり×いくら分の順序に統一された教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、正しい順序があるという主張は数学的基盤を欠くとともに数学の交換則にはなじまず、教育上の有効性を示した文献は見つからない世界統一の教え方でもない[7]。文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていないため、指導法は学校や教師に任されている。

--Gyulfox会話2013年7月1日 (月) 22:49 (UTC)

  • Gyulfoxさん<referneces/>に関するエラーは何とかしてください。
  • 第一段落については依然

かけ算の順序問題は、かけ算によって解が得られる文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解として他の順序で書かれた式は不正解とする採点とどの順序で書かれた式でも正解として扱うべきであるという主張の対立である。日本の小学校の算数において1970年ころから問題になり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。

がいいと思います。正解不正解の概念については第2段落で、

具体的には、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうか(遠山)が問題となる。日本の一部の小学校では「1つぶんの数 × いくつ分」あるいは「1あたり×いくら分」をかけ算の意味として導入したことにもとづき、不正解と扱われることがある。この場合、式を不正解とし答えを正解とするのが通例である[要出典]。これに対して、どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない(遠山)ことや、そもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(小林)、実数の乗法に関する交換法則にはなじまない(誰?)などの批判がある。「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述は、教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。文部科学省は新聞の取材に対して指導法は学校や教師に裁量があるとしている。

のように加えるというほうがいいと思います。ただ、この段落はこう編集するにはまだ2箇所出典が必要です。--T6n8会話2013年7月2日 (火) 16:01 (UTC)

脚注
  1. ^ 遠山啓 1978, p. 114.

コメントT6n8さんへ もともとこの問題を解き明かしていけば、数学者の森毅氏がインドや西洋の順番のルールを見て、子供たちにはより合理的に教えるべきだと考えて日本的な逆順のルール推奨を提唱して、それが小学校学習指導要領に反映されたところまでは良かったけれども、一部の教科書と指導書に逆順ルール以外を誤りであると説明するものが出てきて、それに則って教師たちが計算式にペケを付けはじめたところから、朝日新聞が取り上げて世論がもりあがったという、そういう話です。

ですから逆順のルールが主流の国や言語圏が存在する[8][9]

という部分は国際的な理解のためにぜひとも外して欲しくないです。 それから正しい順番が存在するという主張が実数(虚数や超実数もですが)において数学の世界では常に「偽」なのでなじまないのは当たり前です、これは誰かさんの批判というわけではなくて出典不要のことです。「教師たちは「数学的にも算数的にも」根拠があると信じ始めているようにみえる」(高橋誠 2011, p. 47.)ような今日では、百科事典としてひとこと説明に加えておくべきでしょう。--Gyulfox会話) 2013年7月3日 (水) 06:31 (UTC)--Gyulfox会話2013年7月3日 (水) 06:57 (UTC)

  • 「順序を不問とする地域(文献選ぶ)と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある(文献選ぶ)」というように説明するのだと「世界統一の教え方でもない」のように否定するだけよりいいので取り入れやすい表現になってきたと思います。たぶん中国では因子に統一したというような情報が信頼性の高い文献で見つかるのとちょうど高橋昭彦の観察としてアメリカでほぼどうでも良いとみなされているというのがとれます。逆順主流もどっかにもっとはっきりした文献があると思うのでちょっと探したほうがベターなものが見つかると思います。
「式を不正解とし答えを正解とするのが通例である」は結構難しいのですがベネッセが取材に答えている記事があってそこでは逆順は式に三角をつけて一点減点という基準が示されているので、「通例」はあきらめて、一例の話にしておくのもひとつの手かなと思います。http://www.news-postseven.com/archives/20121219_160975.html
どうも不正解にする派では立式という言葉で問題から式への橋渡しを規定していて、そこは数学ではない何かなのかもしれないので、数学的基盤を欠くという程度にかいてあったのですが、白駒さんの見解だとちょっと中立的のバランスが悪いようで「冒頭で一方の主張に偏った記述をすることを避ける」として削除となっていて、「なじまないのは当たり前です」は私はとても同意なのですが、コンセンサスに持っていけるかは自信がないというレベルで、妥当な文献があれば文句をつけられても大丈夫という点で、文献はほしいところです。
黒木さんの出典に使えるなら
http://www.twitlonger.com/show/kdeni2
が短くまとまっていますけど、査読・編集を通っていないという点で形式的にはなかなか微妙に使いづらい公表状態ですよね。--T6n8会話2013年7月3日 (水) 14:03 (UTC)



2013年6月30日~7月3日の皆様のコメントについてコメントします。

比例の問題では、きまった数 × X が正しい順序で指導しているということですね。 了解です。冒頭の第1節では、1あたり×いくら分に限定しないように変えます。ただ、比例の問題を、どこかの章に挙げておいた方がよさそうですね。

「算数を学ぶ過程において適切とされる指導法」は、たとえば、「被乗数と乗数を交換したとき,その基準量をどうとらえたか,操作の観点をどこに置いたかをよく考え,その違いをはっきりとつかんでおかねばならない。」脚注:算数教育指導用語辞典、日本数学教育学会出版部 2009、p.18-19 とあります。 適切かどうかは意見が分かれますが。

「本質的に正しく」というのは交換法則ですでに表現できていると思っていますが、加えることには問題ありません。

「たて×よこ」と「底辺×高さ」の採点はおっしゃる通りですが、だからすべての掛け算を交換可能というところまで抽象化できるかどうかは意見が分かれるところだと思います。

T6n8 さんの第1節との差分とその理由を述べます。

かけ算の順序問題は、かけ算によって解が得られる文章題において、(*1) 算数を学ぶ過程において適切とされる指導法脚注:算数教育指導用語辞典、日本数学教育学会出版部 2009、p.18-19に基づいて、特定の順序で書かれた式のみを正解(*2)として他の順序で書かれた式は不正解とする採点ととする(*3)日本の採点方針と、(*4)かけ算には交換法則があり本質的に正しく実用上も問題ないために、どの順序で書かれた式でも正解(*5)として扱うべきとする採点方針にすべきであるという主張の対立である。(*6)日本の小学校の算数において1970年ころから問題になり、特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。
(*1) 主張の対立がメインなので、代表的な理由を書いておくべきとして加えました。
(*2) 「のみを正解」としているので不正解については二重表現なので削除しました。
(*3) Gyulfox さんが追加したものですが、以前の多くのコメントの結論に「日本の」は(*6)で書いてあれば1文目では不要ということになったので、改めて削除しました。
(*4) (*1)と同じ理由ですが、コメントを踏まえ「本質的に正しく」を加えました。
(*5) 双方の対立を「採点方針」に合わせました。
(*6) 小学校の中だけに限定したことではないため、日本を対象にしました。


T6n8 さんの第2節との差分とその理由を述べます。

具体的には、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」脚注:遠山啓 1978, p. 114.という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうかが問題となる。(*1)日本の一部の小学校では「1つぶんの数 × いくつ分」あるいは「1あたり×いくら分」をかけ算の意味として導入したことにもとづき、不正解と扱われることがある。この1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とする (*2) のが通例である[要出典]。[10]ことがある。これに対して、(*3) 順序を不問とする地域[要出典]と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある[要出典]ことや、どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない(遠山)ことや、そもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(小林)実数の乗法に関する交換法則にはなじまない[要出典]などの批判がある。(*4) 「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述は、1あたり×いくら分の順序に統一された教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。(*5) 文部科学省は新聞の取材に対して指導法は学校や教師に裁量があるとしている。文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていないため、指導法は学校や教師に任されている。
(*1) 1つぶんの数 × いくつ分は、参考書にもよくありますし、たとえば、評価規準の作成,評価方法等の工夫改善のための参考資料にも書いてあり、一部とは思えないため削除しました。「1つぶんの数 × いくつ分」と「1あたり×いくら分」に分けなくても意味が通じることなどから、1あたり×いくら分は削除しました。不正解については後にも書いてあることから削除しました。
(*2) 式を不正解とし答えを正解とする出典を示していただいたため加えました。
(*3) 世界についてコメントがあったので加えました。 ただ、冒頭では公平性を保つため、どれか2つの主張に限定したいため、個人色の強い理由は冒頭では削除しました。
(*4) いくつかの参考書を見る限り、理由もなく正解のみ示し、「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとする記述はほとんどなかったので元に戻しました。
(*5) 評価基準の作成は校長にあることは文科省に明示されており、取材より根拠があると思うため元に戻しました。これを出典にするかどうかは迷いましたが、出典にするまでもないと思います。

--T's-Neko会話2013年7月6日 (土) 06:50 (UTC)

ありがとうございます。 出典として以下のものを提出しておきます。逆順のルールが主流の国や言語圏が存在する[11][12]。 順不同の国は依然要出典ですね。--Gyulfox会話2013年7月6日 (土) 07:54 (UTC)
これは出典になりえないのが残念ですが、予備知識としてインドやニュージーランドも日本方式とは逆順[13]ということです。--Gyulfox会話2013年7月6日 (土) 08:27 (UTC)


第一段落
  • 「算数を学ぶ過程において適切とされる指導法」という言葉から、「被乗数と乗数を交換したとき,その基準量をどうとらえたか,操作の観点をどこに置いたかをよく考え,その違いをはっきりとつかんでおかねばならない。」を想定するのは普通の人にはできないし、それと逆順不正解にはさらに大きなギャップがあって「基づいている」と評価できないです。「導入時に示した順序に基づき、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点と」くらいなら意味がわからなくもないかもと思います。
  • 日本数学教育学会出版部が著者って一見権威がありそうにも見えるけど、実際は、誰も具体的な責任を取らない惰性で出している出版物という批判も可能で微妙な感じだけどどうなんでしょうね。適切に引用等がなされていない合作ということであまり信頼性が高いとは評価できないと思います。出典に使えないというのではなく、そこに書いてあるからといって、それがスタンダードであるような書き方が正当化できるものではないと思います。
第二段落
  • 順不同は国立教育政策研究所の『第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究』[14]の算数数学の教科書の中国のところ[15]五色の風船3組にたいして5+5+5, 5×3, 3×5の三つの式を示している図が引用されています。
  • 評価規準の作成,評価方法等の工夫改善のための参考資料には「一つ分の大きさ」「いくつ分」を捉えるということと、「乗法は,一つ法の計算の理解を深め分の大きさがる。決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられるなど,乗法の意味について理解している。」くらいのことしか見つけられませんでした。どの部分について語っているのかいまいちわかりません。
  • おなじ 国立教育政策研究所の『特定の課題に関する調査(算数・数学)調査結果(小学校・中学校)』平成18年7月 国立教育政策研究所教育課程研究センターのp48以降の例ではどちらの順序でも正解としています。
  • 一方、東京都算数教育研究会の「平成22年度実施 学力実態調査の集計と考察 (数と計算 数量関係)」では逆順×としています。
  • 「1あたり×いくら分は削除しました。」とコメントされているけど、「1つぶんの数 × いくつ分」を消して「1あたり×いくら分」を残しているのは手違いという認識でいいでしょうか。
  • 「「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとする記述はほとんどなかった」、先に白駒さんが示した東京書籍のページほか、takehikomさんがたくさんサンプリングしています。
  • (*5)でリンクされているのは通知表の評価のことであるので、ここでは関係ない話ですね。あきらかに正しい解答を不正解として扱うのが裁量の範囲とは普通は考えないので、あえて取材したのにそう答えたというのは特筆すべきことだと思います。
  • 岩永, 恭雄「算数・数学の指導に必要な数学の知識・素養について」信州大学教育学部紀要 119:1-6(2007)は「かけ算の正しい順序」に対する批判の節に追加できる内容ですね。
これでは逆順のルールが主流の国や言語圏が存在すると思っている人がいることしかわからないです。
  • 川端裕人さんのブログは物書きの実名で書いているものなので出典にできないことはないと思います。専門性は微妙なので、ニュージーランドの教科書にはこんな風に書かれていたという見聞の限度ではいいのではないでしょうか。
  • 森毅の『数の現象学』に「この,4×6とか6×4とかいった順序は,日本とヨーロッパでは違う。日本は「4の6倍」式に4×6と書くが,ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く。」とあるらしいのでこちらを確認して入れる手もありそうです。
--T6n8会話2013年7月6日 (土) 15:00 (UTC)
森毅の『数の現象学』に変更した方が良いですね。(結局私の出典はそれの部分引用ですから)、川端裕人さんのブログが使えるならなお良いですね。様々な例を示すために出典は2個くらいあって良いと思います。--Gyulfox会話2013年7月6日 (土) 22:43 (UTC)
  • 外国については本文に節を分けました。ただし、順序を不問とする地域と日本とは逆の順序を主流とする文化圏があることをもって正しい順序を批判する、あるいは実数の乗法に関する交換法則にはなじまないことをもって批判するということについてはまだ出典がなく本文の批判節にも書いていません。冒頭文は、やはり本文の要約になっていて、本文を見ればどういう論理でその冒頭の要約が出るのかわかるような構成であるべきだと思います。その点で、本文で主たる批判として書いていないものを、冒頭に持ってくるのは好ましくないと思います。

(*1)で「代表的な理由を書いてお」きたくなる気持ちはわかるのですが、理由解釈は双方いろいろ長くなりがちで、短くまとめるのはおそらく無理なので、涙を飲んで、冒頭では事実としての対立の存在にとどめておいたほうがまとまりが良いと思います。

  • (*4)学習参考書について最近のツイートからのサンプル [17]。また、ある本屋に行ったら増進堂受検研究社の小学標準問題集算数2年があって、後ろの解答と解説を見ていたら、逆順に書くのは、「ひとつ分の数」と「いくつ分」が区別できていないことになるということが書かれてていました。教科書、教科書指導書に逆順誤りというのが書かれていることは本文中に示してあることですから、冒頭文もそれに合っているべきです。--T6n8会話) 2013年7月7日 (日) 12:12 (UTC)Typo修正--T6n8会話2013年7月8日 (月) 15:02 (UTC)
  • 話を戻して済みませんが、読者理解のために加えた中立的な説明が、いつのまにか批判文として扱われてしまっています。 言い回しは柔軟に変えていただいて結構ですが私の最初の案は、以下の通りだったはずです。
・・・(中略)1あたり×いくら分の順序に統一された教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、正しい順序があるという主張は数学の交換則にはなじまず、世界統一の教え方でもない[7]。文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていないため、指導法は学校や教師に任されている。 「なじまず」「世界統一の教え方でもない」などの表現は特に問題があるとは思えませんが、例えば「ヨーロッパ式やインドとは逆」など他の良い言い方があるなら換えて頂いても良いのですが、批判文として書き換えてしまっては困りものです。--Gyulfox会話2013年7月8日 (月) 15:49 (UTC)


2013年7月6日~7月12日の皆様のコメントについてコメントします。

第1段落では代表的な理由を書いておくのは今の段階では残念ながら難しいと思うようになりました。出典を挙げていただいて大変申し訳ないのですが、冒頭第1段落では触れないことにします。出典については、各章を編集するときに活用していただければと思います。第2段落はまだ望みがありそうなので代表的な理由を残しています。

出典元の評判については、Wikipedia:検証可能性にある「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を方針にしたいと考えています。本文ページでは、各章にそれぞれの主張があり、この章は賛成、この章は反対ということが読者が考えられるようになり、それぞれの章がネットに多くある多くの主張に対応できたらいいと考えています。ただ、日本数学教育学会出版部の出典は、第1段落に書いた代表的な理由に対するものなので、結局消えてしまいましたが、第2段落で同じようなことが書いてあるので、まあいいでしょう。

「1あたり×いくら分は削除しました。」は手違いです。「1あたり×いくら分」の表現にこだわってもしょうがないと考えていますが、本文では統一した方がいいので、とりあえず、現状の「1あたり×いくら分」に統一します。 ただし、引用部分は出典元の表現に従います。

挙げていただいた「乗法は,一つ法の計算の理解を深め分の大きさがる。決まっているときに,その幾つ分かに当たる大きさを求める場合に用いられるなど,乗法の意味について理解している。」の部分で合っています。1あたり×いくら分が「一部」のかけ算の意味ではないことを示すために挙げました。 一部ではないことを示したかったので、かけ算には順序があるか?~学習指導要領とZ会の場合~[18]でも構いません。Z会では正解としていますが、小学2年までは「(1あたり×いくら分)が多いんだよ」とコメントしているのですね。特定の順序のみ正解とする採点方式でも点が取れるようにコメントするあたりはさすがです。

先週、私がまとめた文からの差分を示します。(一部は、T6n8 さんの文からの差分)

第1段落

かけ算の順序問題は、かけ算によって解が得られる文章題において、(*1)算数を学ぶ過程において適切とされる指導法脚注:算数教育指導用語辞典、日本数学教育学会出版部 2009、p.18-19に基づいて、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、(*2)かけ算には交換法則があり本質的に正しく実用上も問題ないために、どの順序で書かれた式でも正解とする採点方針にすべきであるという主張の対立である。特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。
(*1) 代表的な理由は第2段落に移動
(*2) (*1)と同じ

第2段落

具体的(*1)な例の1つは、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」脚注:遠山啓 1978, p. 114.という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうかが問題となる。1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とすることがある[19]。(*2)式も正解とするがより良い順序のコメントが付くこともある[20]。これに対して、順序を不問とする地域(*3)[要出典](出典:第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究[] Ⅲ.算数・数学の教科書 10.中国(p181))と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある(*4)[要出典](出典:『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」朝日選書 1978、ちくま学芸文庫 2009)ことや、実数の乗法に関する交換法則(*5)にはなじまないからあきらかにどちらの順序も正しい[要出典][要本文]などの批判がある。1あたり×いくら分の順序に統一され、(*6)1あたり×いくら分の順序で書かれている式のみを正解とする教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。(*7)文部科学省は新聞の取材に対してなお、指導法は学校や教師に裁量があるとしている出典:中日新聞????年
(*1) 比例の問題の順序もあるため、例の1つであることを明示しました。
(*2) 順序にこだわったとしても、式も正解とする採点方法が見つかったため追加しました。
(*3) 出典を追加しました。
(*4) 出典を追加しました。
(*5) 分かりやすくしました。 本文で主たる批判として書いていないないとの指摘がありますが、批判理由として最もよく挙げられているため、冒頭から外さない方がいいと思います。 批判文として書き換えられてしまいましたが、中立は保っているため問題ないと思います。
(*6) 誤りとする記述が存在することは知っていましたが実物はあまり見なかったので変更したのですが、順序が統一されただけの参考書でも実質特定の順序しか正解にしないでしょうから、追加しました。ただし、元の「「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述」では1つ目の採点方針と裏の表現になり対応がわかりにくいため、1つ目の採点方針と同じ表現にしました。二重否定になっていたのも、変更させていただいた理由です。
(*7) (ここは、T6n8 さんの文との差分です。)元々は、学習指導要領を理由に挙げて指導法まで主張している人が多かったため、そうではなく国(学習指導要領)にそこまで直接的な権限はないことを前提として示したかったために、私が冒頭に追加しました。 再度それを踏まえて T6n8 さんの表現も取り入れて直しました。 教育に詳しい人なら直接的な権限はないことは常識なのですが[21]よりもっと適切な出典があれば欲しいです。 あきらかに正しいと考える批判派に対する反論として明示したいとのことですので、前の文とのつながりも考慮して、出典として追加いたしました。 出典が年が分かれば書いておきたいです。 ただ、出典が取材ですと、取材に答えた文部科学省の人個人の考えではないかと思われそうですけど。

--T's-Neko会話2013年7月13日 (土) 09:25 (UTC)

「1あたり×いくら分」は一部でしか使われない表現なので、統一するなら、教科書で使われている「いくつ分×1つぶんの数」に統一するべきです。

(*5)位置的に批判を挿入するべきというのは妥当だと思います。しかし、わかりにくいと思います。 交換法則を具体的な場面で考えると、どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない(遠山)ことや、そもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(小林)ということになるので、「交換法則からあきらかにどちらの順序も正しい[要出典][要本文]」とするよりは、「どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない(遠山)ことや、そもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(小林)」を入れておくべきです。 Gyulfoxさんの批判じゃなく入れたいという気分もわからなくはないのですが、擁護でも批判でもないとすると、主題との関係性が薄くてなんであるのかわからない文になります。

(*6)誤りとして扱うかどうかというのはかなり重要なことです。むしろ冒頭で、「特定の順序で書かれた式のみを正解とする」で他の順序は誤りとするを含意させるほうがわかりにくくするので、冒頭で他の順序を誤りとするというのを明示することが良いと思います。

(*1)「例の1つは、例えば」とするのは冗長なので、単に「例えば」としておけば十分だと思います。

(*2) 傍論なので挿入しないほうがいいと思います。

(*7) もちろん指導法には裁量があるのですが、裁量には範囲があってたとえば1+1=2を誤りとするようなことは裁量を逸脱すると考えるのが常識で、取材に対して裁量だと答えたということは、そこまでひどくいけない指導だとは思っていないと答えたということを意味しているわけです。これは、特定のことに関しての取材に裁量だと答えたことが重要なので、一般的に裁量があるという当たり前のこととは異なる内容ですのでご注意ください。 --T6n8会話2013年7月19日 (金) 14:34 (UTC)

第2段落

(*1)具体的には、例えば、1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題では、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」脚注:遠山啓 1978, p. 114.という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうかが問題となる。1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とすることがある[22]。(*2)式も正解とするがより良い順序のコメントが付くこともある[23]。これに対して、順序を不問とする地域(脚注:第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究[] Ⅲ.算数・数学の教科書 10.中国(p181))と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある(脚注:『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」朝日選書 1978、ちくま学芸文庫 2009)ことや、実数の乗法に関する交換法則(*5)にはなじまないからそもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(脚注:小林 ????年)[要出典][要本文]などの批判がある。1つぶんの数×いくつ分の順序に統一され、(*6)1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。(*7)文部科学省は新聞の取材に対してなお、本件の指導法は学校や教師に裁量があるとしている脚注:中日新聞????年
(*1) 比例の問題の順序もあることを示すために直しましたが、指摘を踏まえて改めて内容を書き直しました。
(*2) 傍論なので挿入しないほうがいいという指摘を受けて、削除し、採点方法のバリエーションとして後日、章を作ることにしました。
(*5) 「など」を付けていますし、推進派とのバランスを考えて、冒頭ではどちらか1つに絞りたいのですが、『どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない』というのは、常に真ではありませんから、小林さんのを採用させていただきました。
(*6) 誤りとして扱うかどうかというのは、(*2)で削除した事例にもあるように、順序にこだわりながらも正解とする例もあるため、誤りかどうかはそれほど重要ではないと考えます。
(*7) 明らかな正解や不正解ではないことを示したいのですね。 出典が見られないので「特定のこと」が何か教えていただきたいのですが、かけ算の順序のことでしょうか。そうだとして仮に「本件の」を付けました。
(*8) (1あたり×いくら分についてを *8 とします) 教科書で一般的に使われている方がいいと思いますので、「1つぶんの数×いくつ分」に統一しましょう。 なお、本件の変更は校閲の記号を付けていません。

--T's-Neko会話2013年7月20日 (土) 13:25 (UTC)

(*5)例に対応しているので十分だし、実際常に真なので心配する必要はないです。バランスをとる上では、「実数の乗法に関する交換法則から」という文言をはずすほうがいいのではないかと思います。「実数の乗法に関する交換法則から」大丈夫だという確信を得ることができますが、引用先がそういう構造をしていない場合よろしくないことになります。 岩永恭雄(2007)だと、

数の二項演算で2×3と書いたら,この値は3×2と同じであり,「りんごと皿」の問題でも後者の考え方で正しい答えに到達する解釈が可能なはずである。 — 岩永恭雄、岩永, 恭雄「算数・数学の指導に必要な数学の知識・素養について」信州大学教育学部紀要 119:1-6(2007)

につづけてトランプ配りの説明をしています。

(*6)朝日新聞の見出し「(ニュースQ3)小学校のかけ算 えっ?順序が違うと「バツ」」、黒木さんの文書のタイトル「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」、白川克さんのブログタイトル「6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性」などを見ても、誤りとして扱うかが中心的な問題であることがわかると思います。 また、Z会の例は減点しないのであまり批判の対象になっていません。さらに、「より良い順序のコメント」というのは引用先にはありません。こちらの順序で書くほうが"多い"です。

  • 乗法の導入段階で(上記で言う)「5×4」を「4×5」と表記してあったら、「○」にした上で「乗法の意味を理解できていますか?“5×4”とすることが多いんだよ」などのコメントを入れる。
  • 3年生以降であれば順序の入れ替えはコメントもせず無問題とする

というスタンスです(Z会算数・数学担当より)。

— 寺西 隆行、http://www.insightnow.jp/article/6932/4

(*7)中日では出ていないですね。朝日のほうです。以下に、キーセンテンスだけ引用しておきますが、http://digital.asahi.com/articles/TKY201301240620.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201301240620 から無料登録で読めますので全文を確認されてから書くと良いです。

ただ、「8×6=48」をバツとする指導については「学校現場に裁量があり、コメントする立場にない」。 — 上原佳久、朝日新聞 2013年1月25日

上記署名忘れは私が2013年7月21日 (日) 02:15‎ (UTC)に書いたものです。混乱を招きましてあいすみません。--T6n8会話2013年7月25日 (木) 12:20 (UTC)

IP氏の意見には反対です。バランスを取るために、多い方を消してしまったら良いという考えかたはウィキペディアの中立性とは違います(むしろ反する)し、数の二項演算で・・・と具体例を出しているのと、「実数の乗法に関する交換法則から」より簡潔に説明するのとは同じ主旨です。--Gyulfox会話2013年7月24日 (水) 01:13 (UTC)

IP氏は私のことだと思います。署名を忘れたのでわかりにくかったかと思います。まず、

実数の乗法に関する交換法則(*5)からそもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい

という論理構成には小林はしていないのでこのままは使えないでしょうという点に注意が必要と思います。

また、「交換法則から」だけでは多くの人に理解されないからこの問題が存在し続けているのだと思います。逆順バツ派も交換法則は承知していて、それから導かれるという認識をもっていない。なぜか、それとこれはべつとなっているものです。なので、「交換法則から」というのは書く場合には、かなり丁寧に書く必要があります。この例では、交換法則から、解釈はあるはずだとまではわかるけど、その解釈自体は別に考えてやる必要があることであって、その解釈例を示すこと、この場合は「どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない(遠山)こと」(2013年7月2日 (火) 16:01 (UTC)参照)が肝であると考えています。岩永の例でも、トランプ配りの説明が続くということを指摘しています。--T6n8会話2013年7月25日 (木) 12:20 (UTC)


(Gyulfoxさん7月24日より)多い方を消すというのは誤解を招く表現でした。消すわけではなく、批判派の個別の主張を各章に回すのです。各党の政策を比べる表では、各党の規模や政策の質に関わらず、同じ文章量で並べますよね。 こうした方が各党の政策の違いが理解しやすくなります。すでに推進派は採点方法のみ書き、主張は冒頭から外しています(推進派の主張をまだ各章に書いていませんが)から、批判派も主張を各章に振り分けなければ、比較の軸がずれて文としておかしくなります。 ただ、批判があるという説明のためには、などを付けて最低1つは理由を添えないと文として何か足りなくなるため、残っています。岩永さんの論文を読みましたが、『数の二項演算で・・・と具体例を出しているのと、「実数の乗法に関する交換法則から」より簡潔に説明するのとは同じ主旨です』というのは賛同します。 それを踏まえた上で、どちらを取るかですが、「交換法則」を使った方が初めて読む人でも分かりやすいでしょう。
(T6n8さん7月21日(*5)、7月25日より)交換法則以外の主張も入れたいとのことで、岩永さんの論文を踏まえ、1つの主張になるように、下記(*5)のようにしました。遠山さんの「どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない」は、真であったとしても、岩永さんの「多様であること」に含まれると考えられるため、やはり冒頭に書く必要性は感じられません。
(T6n8さん7月21日(*6)より)不正解とする解説を入れたいとのことで、入れられないかを考え、下記(*6)のようにしました。
ちなみに、不正解が重要だとするのは、主に批判派の考えだと思います。推進派の多くは学習段階で「乗法を学ぶ過程において適切とされる、順序に注意した指導法」を重視していると思っています。そのため、不正解かどうかを多く書くと、批判派に偏向してしまうと考えています。 Z会の例は減点しないのであまり批判の対象になっていないのは批判派が重要と考えている不正解がないからですが、採点に添えたコメントはむしろ推進派の理由に合ったコメントをつけています。 だから本当は不正解かどうかは、「かけ算の順序」において重要ではないと考えています。まぁ、これらの考えにも反対意見はありますので、参考ということで。

第2段落

例えば、1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題では、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」脚注:遠山啓 1978, p. 114.という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうかが問題となる。1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とすることがある[24]。これに対して、順序を不問とする地域(脚注:第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究[] Ⅲ.算数・数学の教科書 10.中国(p181))と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある(脚注:『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」朝日選書 1978、ちくま学芸文庫 2009)ことや、実数の乗法に関する交換法則(*5)からそもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(脚注:小林 ????年)が成立しており、答えに到達する方法は多様であることが必要不可欠である(出典:岩永恭雄, 岩永, 恭雄「算数・数学の指導に必要な数学の知識・素養について」信州大学教育学部紀要 119:1-6(2007)[25]などの批判がある。1つぶんの数×いくつ分の順序に統一され、(*6-1)1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られ(*6-2)、正解と逆のかけ算の順序の式を不正解とする解説もあるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。(*7)なお、本件の指導法は学校や教師に裁量がある脚注:中日新聞????年上原佳久, 朝日新聞 2013年1月25日[26]

--T's-Neko会話2013年7月27日 (土) 08:08 (UTC)

編集として何を重視すべきかといえば、問題・対立点を明確にすることです。推進派の多くは学習段階で「乗法を学ぶ過程において適切とされる、順序に注意した指導法」を重視しているなど意味不明瞭のことをいって「そのため、不正解かどうかを多く書くと、批判派に偏向してしまう」とするのは中立に対する勘違いです。「かけ算の順序」において重要かどうかではなく、本記事で対象とする「かけ算の順序問題」の理解に重要かどうかを考えるべきところです。

(*5)「どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではない(遠山)こと」というのは、たとえ「1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする」としても、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」が正解であるということを明確に言っているのであって、論理的にクリティカルな点を突いているものです。「1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする」のが不適当なだけじゃなくて、「1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする」としても正解と考えられるというのは重要なポイントです。これは「多様であることが必要不可欠である」からでは読み取れません。まず、外国云々より重要なのは間違いないです。歴史的にも古いし、現在でも有効な主張であって除くとする編集判断はバランスを欠くと思います。

(*7)これは事実として書くべきではなく、文部科学省はそう言ったとするものです。教師は教科書指導書に書いてあるから仕方ないとか、教科書会社は指導要領に従ったという立場をとることを忘れてはいけません。

(*8)「正解と逆のかけ算の順序の式を不正解とする解説もある」 だとそれだけが正解という立場で書かれていますので、最低「例示した解と逆の順序のかけ算の式を不正解とする」などとするべきです。 でも、そもそも、主要な教科書出版社の教科書指導書がすべて逆順を不正解として、一部の教科書、市販の学習参考書にかかれているのだから、「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述はそれらに広くみられるというのは事実と認めるべきです。「1つぶんの数×いくつ分の順序に統一された」だと「広く見られ」というレベルではなく、ほとんどすべてが完全にそうなっているという状況だと思います。 --T6n8会話2013年7月30日 (火) 22:24 (UTC)


問題・対立点を明確にして理解をさせることはもちろん最も重視していますので同意します。 しかし、推進派の意見が意味不明瞭というのはあなたの判断です。推進派の意見として多く見られ、私は意味不明瞭とは思いません。中立性を論じるのであれば、推進派の意見や論理展開を理解してください。

(*5) 「どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではないこと」を説明していただきましたが、それはすでに理解しています。お手数をかけてすいません。 しかし、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい」においては偽です。もし真であれば、等分除・包含除を否定しなければなりません。ある問題ではクリティカル(な矛盾を突いてセンセーショナル)なことは確かにそうですが、常に真でなければ、冒頭ではなく各章に該当する問題文と共に書いた方がいいと考えます。 また、多様であることから、どちらの数字をひとつ分とするかは一通りではないことは、ご指摘の通り読み取れませんが、(多様であることの前提である)交換法則とほぼ同じ論理展開によって正解とすべしという結論になるため、正解か不正解かの理由を説明する文脈においては、あえて同様の理由(少し違う理由)を挙げる必要性を感じません。 もう1つの指摘、「外国云々より重要なのは間違いないです。」というのは、意見が分かれるところだと思いますが、外国云々より前に「実数の乗法~」を移動させたいのであれば、(ほぼ同じ重要度だと私は思うので)それでも構いませんけど、そうしたいのでしょうか。具体的に校閲してくださると助かります。

(*7) この文は、「~および指導要領解説ではとくに規定されていない」ものをどう教師が採点するかについて書いています。その流れで、真実であるかとか文部科学省が言ったかどうかについて文に書くと視点がばらけて読みにくくなります。 しかし、真実であるかとか文部科学省が言ったかどうかについて気になる人もいるでしょうから、脚注で補足しているという形にしています。そもそも、真実のよううに書いているのではなく、朝日新聞(経由で文部科学省の担当者)がそう言った、という形になっていますよね。 また、教師や教科書会社は指導要領に従うという当たり前のことは忘れていませんし、それ否定するような文にもなっていませんよね。 なぜ、そのような意見が出たのでしょうか。 架空の敵を描いていませんか。 私は早く収束したいです。

(*6-2) (T6n8さん2013年7月30日では *8)主要な教科書出版社の教科書指導書がすべて逆順を不正解としているのは、書かれた順番ではないものを不正解とする進研ゼミ方式(Z会方式ではない)の採点方針をとっている「多くの」人の裁量によるものなので、不正解が多いことが事実であることは私も認めており、「教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られ」ることから推論できるようにしています。 しかし、統一された書き方と、裁量による採点方針の間には論理展開があるので混在させてはいけないと考えます。 そうでないと、Z会方式は生まれません。 「広く見られ」を「完全にそうなっており」に変えたいとのことですが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない上に、あの多くの会員を持つ Z会がそうでない以上、難しいかと思います。 (「ほとんどすべてが完全に」は、文章としてどうかと思いますので、勝手ながら「完全に」としました。 「主要な~不正解として、一部の~かかれている」の文もよくわかりませんでしたので、そんな指摘はしていないというのであれば改めてコメントいたします。)
--T's-Neko会話2013年8月4日 (日) 08:43 (UTC)

「乗法を学ぶ過程において適切とされる、順序に注意した指導法」は誰が適切としているどんな指導法なのかわからず、 意味不明瞭というほかないので、「推進派の意見として多く見られ」というならせめて出典をお願いします。

(*5)「 しかし、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい」においては偽です。」

遠山啓がトランプを配るときのやり方によって6が1あたりと考えられることを示したのはまさにこのみかんの問題についてです。しかも、多数回引用され否定されておりません。ご理解ください。確かにこれが、偽だと考えれば、冒頭から落とすという編集判断は理解できますが、これが偽だとするのはまだ理解できていない上に、文献を無視していることになります。かっちり引用を示します。

いったい, 6 × 4は正しいか, まちがっているかについて考えてみよう。この問題の答えとして,4 × 6だけが正解であり, ほかを誤りとする理由はどこにもない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので, 多種多様な解き方があってよいのである。ミカンを配るのに, トランプを配るときのやり方で配ると, 1回分が6こ, それを4回くばるのだから, それを思い浮かべる子どもは, むしろ,
6 × = 24
という方式を立てるほうが合理的だといえる。 — 遠山啓、量とは何かI p.116

「もし真であれば、等分除・包含除を否定しなければなりません。」否定するの意味がわかりません。整数の割り算は、等分除としても包含除としても考えることができるというだけのことでしょう。

(*6-2)「広く見られ」を「完全にそうなっており」に変えたいのではありません。「「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述」が広くみられるといっています。

冒頭案再整理して示します。

かけ算の順序問題(かけざんのじゅんじょもんだい)は、かけ算によって解が得られる算数の文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、どの順序で書かれた式でも正解とするべきであるという主張の対立である。特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。

具体的には、例えば「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうか(朝日新聞)が問題となる。日本の小学校では、1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針をとり、式を不正解とし答えを正解とすることがある[27]。これに対して、6をひとつ分と考えることもできる(遠山)ことや、そもそも「いくつ分×1つぶんの数」としても正しい(小林)という批判がある。「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述は、教科書、教科書指導書、市販の学習参考書に広く見られるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。文部科学省は新聞の取材に対して指導法は学校や教師に裁量があるとしている。

世界的には、順序を不問とする地域(出典:第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究[] Ⅲ.算数・数学の教科書 10.中国(p181))と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある(出典:『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」朝日選書 1978、ちくま学芸文庫 2009)

--[[利用者:]]

違いは第2段落だけですね。

「1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題では、」が消されました。消してしまうと、かけ算の順序が小学生2年で習うかけ算についてのみであると勘違いしてしまいます。小学5年では、比例におけるかけ算の順序問題で「きまった数 × X」という順序になり、これも掛け算の順序で採点方針が議論になっています。 この件をどう扱ったらよいか、いい案はありますか。

「脚注:遠山啓 1978, p. 114.」が消され、おそらくその代わりとなる「(朝日新聞)」が追加されました。その理由を教えてください。また、朝日新聞の参照できるアドレスがあれば教えてください。

何度も言っていますが、「日本の小学校では、1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針を」とっていると勝手に断定していませんか。裁量があることであり、Z会方式もありますよ。 教科書や参考書は、かけ算の問題に限らず、ほとんどの問題は正解のみ示しています。解説してまで誤りを明記するのはほとんどありません。勝手に記述と採点方針を混在させてはいけません。冷静さを失った批判者が、すべての小学校や教科書などまで悪者に仕立てているように思えてしまってよくありません。 批判者は的確に不正解とした採点者やベネッセを批判してほしいのです。

岩永さんの方が検証しやすく具体的なのですが、小林さんを採用した理由は何でしょうか。

交換法則が消されました。批判派の理由として理解しやすく、順序を不問とする地域があることなどから、私は最も支持しています。 「いくつ分×1つぶんの数」という表現は「1つぶんの数×いくつ分」と読み間違えやすいことと、抽象的な2つなので理解も間違えやすいです。 「いくつ分×1つぶんの数」は正しい表現ですが、Wikipedia 全体で批判されていることなのですが、一般的な知見や文脈を踏まえるよりも、厳密な単語を使うようにした文ほど、読みにくいのです。 一般に浸透している「交換法則」を使った文の方が理解しやすいと思います。

「6をひとつ分と考えることもできる(遠山)こと」は、初めて読んだとき「本当か?」と思って想像したのですが、そのときはできませんでした。そのときの印象は、「私と同じ批判派にも何か変な考えの人がいるな」というものでした。しかし、私は批判派をそのような印象にしたくありません。トランプ配り(等分除)を知ったときから、何とか1つぶんの何か(おそらく回)がありそうだということが分かってきたのですが、抽象的すぎます。また「あたえたい」ではなく、トランプ配りをして「あたえました」のときに認識できるものです。 それに、問題文には「回」は出てきませんし、1人4つずつ(包含除的)と言われれれば、1つずつ(等分除的)配らずに4つずつ配るのが言われた通りであり自然な動作でしょう。トランプ配りは、みんなに同じ数を渡す等分除のときか、シャッフルさせるために1枚ずつ配るときに使います。 なので偽になります。 暗黙的に前提としたこと(トランプ配り)は、冒頭に書かない方がよいです。どうしても譲れない理由が別にあったとしたら、少なくとも交換法則の後にして、一般(小林・岩永)→特殊(遠山)の順にした方が、読みやすく、まともな批判者である印象を持つため良いと思います。

(新聞の取材に対して)「本件の」が消されました。一般的な裁量の話ではないと言ったのはあなたですよ。また出典も消えています。なぜですか。
--T's-Neko会話2013年8月11日 (日) 17:03 (UTC)

朝日新聞については、1972年1月26日 朝日新聞です。遠山p114は結局のところこの引用です。出典として両方つけてもいいですが、原典への参照はつけたほうがよいかと考えました。

文末「ことがある。」が効いていて、すべてだと思っているわけではありません。

交換法則は、バツにする側も承知しているけど、立式(最初の式を書くステージ)では使えないというリクツをつけるわけですから、交換法則を言うだけでは違いにならないし、批判としても受け流されるということになっているわけです。最初から、「いくつ分×1つぶんの数」でも「1つぶんの数×いくつ分」でもかまわないと明言した小林の言葉は明快なわけです。ついでに、小林道正氏は2012年度数学教育協議会委員長です[28]

具体例に即しているときは、まず、その具体的な例に当てはまることを説明してから一般的な説明に進む、すなわち特殊→一般でいくべきだと思います。一般→特殊にするためには、具体例の前に一般的な言葉を挿入することを検討した方ががいいでしょうね。が、例が出ないとそもそも問題がわからないという問題があって難しいかな。

「1人4つずつ(包含除的)と言われれれば、1つずつ(等分除的)配らずに4つずつ配るのが言われた通りであり自然な動作でしょう。」それは家庭によりけり。「自然な」とか曖昧模糊としたもので真偽値は変わりません。

「トランプ配りは、みんなに同じ数を渡す等分除のときか」この例はみんなに同じ数を渡す話ですよ。

「また「あたえたい」ではなく、トランプ配りをして「あたえました」のときに認識できるものです。」 ??理解できません。

「(新聞の取材に対して)「本件の」が消されました。一般的な裁量の話ではないと言ったのはあなたですよ。また出典も消えています。なぜですか。」 そのため「新聞の取材に対して」と書くのだという話です。「出典も消えています」は、一緒に先祖がえりした編集ミスですが、出典はみな最終的に入れるときは{{Sfn}}テンプレートで入れる予定ですので、ここで入れているのは、議論で何を指しているかわかりそうな程度と考えます。--T6n8会話2013年8月16日 (金) 07:49 (UTC)


(遠山啓 1978, p. 114)の代わりに(朝日新聞 1972年1月26日)を付けた理由は、「(かけ算の順序問題が)特に1970年ごろから日本で広く話題と」なったきっかけと考えられている出典だからということですね。 了解です。

(T6n8さん)『文末「ことがある。」が効いていて、すべてだと思っているわけではありません。』については、T6n8さんの考えは分かりましたが、挙げていただいた文では「ことがある」が「のみを正解とする採点方針をとり」には係らない文になっているため修正しました。

小林さんの言葉が明快って、私には、鶴の一声を言っているようにしか聞こえません。 本文にある高橋誠さんの引用にも小林さんと同じことが書いてあり、交換法則も書いてあったため、こちらに変更しました。 交換法則は批判派の意見として根拠に乏しいと思われているようですが、そうではないと考えています。 交換法則を習った小学三年生からはどちらの順序でも正解にする採点方針もありますから。 他に有力な理由があればいいのですが。

具体的って、小林さんの意見が遠山さんの意見の具体的な例だといいたいのでしょうか。 そんなことは言ってません。 但し書きに相当するものは後の方がいいので、小林さん、遠山さん、の順にしたいということです。

家庭によりけりって、前提条件を追加したら何にでもなります。 たとえば、安売り店によく行く家庭で、リンゴ3個パックをよく買ってたら、3こずつ配って残り1こずつ配ります。 類似の問題で6人に40円ずつ渡すとき、1円ずつ配るなんてしません。 これらの場合、人以外に1つぶんは存在しません。 あと、ババ抜きのように配る枚数が決まっていないとき(等分除)は、何枚配ったかを気にしないので、1巡分の枚数をよく意識するでしょうが、ポーカーのように配る枚数が決まっているとき(包含除)にトランプ配りをするときは、1巡目は1枚~、2巡目は2枚~と、1人あたりの数を認識します。 そうしないと、余分にカードを配ってしまう危険があるからです。 だから、リンゴの問題文のケースでトランプ配りをしても2巡目以降の1つぶんは1人の可能性が高いです。 もちろん、最後まで1巡分を1つぶんと認識する人がいる可能性については否定しません。

本文候補を下記のように書き直しました。 以前、岩永さんの文章が入ったのは、トランプ配りの話だったため、重複しているため冒頭文では削除しました。 回答が得られなかった部分については、私の文案に戻しました。


かけ算の順序問題(かけざんのじゅんじょもんだい)は、かけ算によって解が得られる算数の文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、どの順序で書かれた式でも正解とするべきであるという主張の対立である。特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。
例えば、1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題では、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうか[1]が問題となる。日本の小学校でよく見られる、1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、式を不正解とし答えを正解とすることがある[2]。これに対して、交換法則が成り立つからどちらの順序でもよい[3]、トランプ配りのように1こずつ渡した子は6をひとつ分(1巡分)と考えることもできる[4]などの批判がある。1つぶんの数×いくつ分の順序に統一された教科書、教科書指導書、市販の学習参考書は広く見られ、逆の順序の式を不正解と明記する解説もあるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説ではとくに規定されていない。文部科学省は新聞の取材に対して採点方針は学校や教師に裁量があるとしている。[5]
世界的には、順序を不問とする地域[6]と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある[7]

出典
1. 朝日新聞 1972年1月26日
2. NEWSポストセブン, 2012年 12月 19日[29]
3. 高橋誠, かけ算には順序があるのか, 2011
4. 遠山啓, 量とは何かI, 太郎次郎社 1978
5. 上原佳久, 朝日新聞 2013年1月25日[30]
6. 第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究[] Ⅲ.算数・数学の教科書 10.中国(p181))[31]
7. 『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」朝日選書 1978、ちくま学芸文庫 2009


--T's-Neko会話2013年8月17日 (土) 11:16 (UTC)

朝日新聞 1972年1月26日をみますと、その当初から、父兄の一人Kさんの指摘というのが「6人の子供に1個ずつミカンを配れば6個いる。それを4回配ればいいのだから、この場合6×4という式が成り立つ」というものだったことを指摘しておきます。まあ、当時は、被乗数(もとになる数)と乗数(倍する数)ということではありますが、本質的に変わっていないことに驚きます。加えて、教育委員会、文部省あて文書では「6×4=4×6というのは一般的な常識であるし、数学上、交換法則にもとづく真理でもある」ということで、主要論点は既にそこにあるということになりました。ひとつずつ配るのを想定するのが嫌い&交換法則重視はT's-Nekoさんの主観だと思いますが、水掛け論をしても仕方ないので後にコメント依頼なりで、衆知を集めましょう。(ここの順序だけの差なら気楽です。)

「1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針の場合、」と限定がつくと自動的に式にバツがつくことが決まるはずなので、論理構造がおかしいというのが問題なんですが、「日本の小学校でよく見られる」と書いて良いというなら、「日本の小学校では、1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針がしばしば見られ、式を不正解とし答えを正解とすることがある。」は受け入れ可能ですか?

後ろ2文ですが

「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述は、各社の教科書指導書、および教科書・学習参考書の一部に見られるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説では順序は規定されていない。文部科学省は新聞の取材に対して採点方針は学校現場に裁量があるとしている。

としたいところです。 「1つぶんの数×いくつ分の順序に統一された」ものがどれだけあるかは(バツをつけるの反対派も例の統一に反対しないので)興味の対象ではなく、「いくつ分×1つぶんの数」の順序に書かれた式を誤りとみなすような記述がどのくらいあるかを客観的に表現するのが目指すところだと思います。「とくに規定」->「順序は規定」の変更は、SpeedyStrikerさんの編集[32]をみて。

なお、「学校や教師」を「学校現場」とするのは上原佳久2013の記述に忠実にという意図です。 --T6n8会話2013年8月17日 (土) 13:36 (UTC)


提案していただいた「日本の小学校では~」は、論理構造がシンプルになったのでそのまま採用させていただきました。

統一されたことを書いている理由は(正しい順序の)推進派の根本の理由に沿った材料だからです。 これを外すと(不正解とすることの)批判派の論理展開の材料だけになってしまいます。 推進する理由と批判する理由の対象がずれて始まり、双方が歩み寄っていくとそれぞれの理由がまた別のもの(指導法など)になっているというのが、かけ算の順序を議論するときのパターンです。冒頭ではその別の理由については表現しきれなくなったため冒頭では削除しています。 また、広く見られるものを外して一部にみられるものを残すのはあまりよくないと思います。

「いくつ分×1つぶんの数」という表現は混乱するので控えた方がいいと思います。「各社の教科書指導書、および教科書・学習参考書」のように A or (B or C) の形にした理由が分からなかったので一旦戻しました。 ただし「市販の」が学習参考書だけにかかっていたので削除しました。 それ以外は採用させていただきました。

1つぶんの数×いくつ分の順序に統一された教科書、教科書指導書、学習参考書は広くみられ、一部に逆の順序の式を不正解とする記述がみられるが、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説では順序は規定されていない。文部科学省は新聞の取材に対して採点方針は学校現場に裁量があるとしている。

--T's-Neko会話2013年8月24日 (土) 02:42 (UTC)

「 A or (B or C) の形にした理由が分からなかった」なるほど言われてみるとわかりにくかったようですね。 「広く見られる」を具体的にしようとして、教科書指導書は全社、教科書と学習参考書は一部で、後ろは中黒でつないで一部としてあったんだけど、一部の範囲がBCだけについていると読めないということですね。

「市販の」が学習参考書だけにかかるのは、教科書、教科書指導書は通常の本と販売システムが異なり本屋等で普通に見ることはないことを表現しているのですが、複雑になってわかりにくい弊害もあるから抜いてもいいかもしれないですね。

文が長くなっているので、分けて以下のように。

日本の小学生向け教科書、学習参考書に例示されている式は「1つぶんの数×いくつ分」の順序にほぼ統一されている。逆の順序に書かれた式を誤りとみなす記述は、各社の教科書指導書および一部の教科書・学習参考書に見られる。しかし、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説では順序は規定されておらず、文部科学省は新聞の取材に対して採点方針は学校現場に裁量があるとしている。

--T6n8会話2013年8月24日 (土) 03:29 (UTC)

2013年8月25日冒頭案

長大なので、最新の案を見つけやすいように節を分割します。(署名を見ていただくとわかりますが、この見出しと段落は後から入れました。)

皆様、下記の案にを基準に議論をいただければ幸いです。なお、T6n8としては、「交換法則が成り立つからどちらの順序でもよい[3]、トランプ配りのように1こずつ渡した子は6をひとつ分(1巡分)と考えることもできる」は「トランプ配りのように1こずつ渡した子は6をひとつ分(1巡分)と考えることもできる、交換法則が成り立つからどちらの順序でもよい、」の順のほうがベターと思っていますが、強い決め手になる論拠を提供できず水掛け論をしても仕方がないので、多数意見にゆだねるでかまわないと考えております。--T6n8会話2013年8月27日 (火) 20:53 (UTC)

教科書指導書の状況については私は調べきれていないため、何ともいませんが、文章はそのまま採用していいと思います。 ただし、誤りを不正解に統一しましたが問題があればご指摘ください。 しばらく反対のコメントがなければ本文を変更したいと思います。 3か月かけて、ようやく各章に手が回りそうです。


(冒頭の修正案)

かけ算の順序問題(かけざんのじゅんじょもんだい)は、かけ算によって解が得られる算数の文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、どの順序で書かれた式でも正解とするべきであるという主張の対立である。特に1970年ごろから日本で広く話題となり、「かけ算の正しい順序」「かけ算の順番」などとも言われている。
例えば、1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題では、「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか。」という設問に対する、「(しき)6 × 4 = 24(こたえ)24 個」という解答を不正解にすべきかどうか[1]が問題となる。日本の小学校では、1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする採点方針がしばしば見られ、式を不正解とし答えを正解とすることがある[2]。これに対して、交換法則が成り立つからどちらの順序でもよい[3]、トランプ配りのように1こずつ渡した子は6をひとつ分(1巡分)と考えることもできる[4]などの批判がある。日本の小学生向け教科書、学習参考書に例示されている式は「1つぶんの数×いくつ分」の順序にほぼ統一されている。逆の順序に書かれた式を不正解とみなす記述は、各社の教科書指導書および一部の教科書・学習参考書に見られる。しかし、文部科学省による学習指導要領および指導要領解説では順序は規定されておらず、文部科学省は新聞の取材に対して採点方針は学校現場に裁量があるとしている。[5]
世界的には、順序を不問とする地域[6]と日本とは逆の順序を主流とする文化圏がある[7]

出典
1. 朝日新聞 1972年1月26日
2. NEWSポストセブン, 2012年 12月 19日[33]
3. 高橋誠, かけ算には順序があるのか, 岩波科学ライブラリー 2011
4. 遠山啓, 量とは何かI, 太郎次郎社 1978
5. 上原佳久, 朝日新聞 2013年1月25日[34]
6. 第3期科学技術基本計画のフォローアップ「理数教育部分」に係る調査研究[] Ⅲ.算数・数学の教科書 10.中国(p181))[35]
7. 『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」朝日選書 1978、ちくま学芸文庫 2009


--T's-Neko会話2013年8月25日 (日) 11:42 (UTC)

コメント「しばしば、ほぼ」という曖昧表現がやや気になるところですが、これを抜いてしまえば日本語として読者に量的なものを伝えることができなくなることから、私は異論なしとします。出典も安定してきたようですし、そろそろまとめる段階になってきたと思いますがいかがでしょうか。--Gyulfox会話2013年8月26日 (月) 12:39 (UTC)


>特に1970年ごろから日本で広く話題になり
「広く話題になり」というのが漠然としているように感じます。そしてそのころ「かけ算の順序問題」とはよばれていなかったのではないでしょうか。また「日本で」とありますが,海外において「かけ算の順序問題」なるものがあるのでしょうか。「同様の現象を 1972年1月26日に朝日新聞がとりあげている。」というのが実態ではないでしょうか。
>1つぶんの数×いくつ分で求まるかけ算の文章問題
という表現は「乗法の意味」をどう教えているのかをあいまいにしていると感じます。「1つぶんの数×いくつ分で」求まらない「かけ算」とはどういうものでしょうか。「中日記事(2012-11-05 6面)」でも,「掛け算の意味を理解させることに尽きる(東京書籍の編集局)」「掛け算の意味を理解させるよう定めている(文科省初等中等教育局教育課程課)」とあり,「乗法の意味の理解」の指導という前提があるようです。その視点なしに「順序」のみを「問題」にする人たちが「かけ算の順序問題」といって騒いでいるのではないでしょうか。そもそも「かけ算の順序問題」なる単語は学術用語でしょうか。ある現象について最近つけられた名称ではあるようです。いずれにせよ出典を明示すべきでしょう。Wikipedia は「問題」を提起する場でも,まして公の機関の行っていることを断片的にとりあげ批判する人々がいるといった現象をその批判する側の視点から記述する場でもないと思います。「かけ算の順序問題」という単語でよばれる現象を信頼できる情報源にもとづいて客観的に記述しないかぎり中立性( Wikipedia:中立的な観点 )について疑問が残ると思います。--Sparrowhawk4344会話2013年8月26日 (月) 13:30 (UTC)
「乗法の意味」を教科書がどう教えているのかは、今議論されている前文でなくとも、あなたが出典を提示しつつその後の節に書かれれば良いことですし、学術用語でなくて、一通りに定まらない呼び名がある場合でも、信頼できる出典の中で使われているもののうち、どれかひとつを選ぶことが可能です。 信頼できる出典で確認できるものであれば批判はむしろ変にスポイルしないほうがWPの中立性を保てます。 公の機関の行っていることを断片的にとりあげ批判する人々がいるといった現象をその批判する側の視点から記述しているだけでなければ、中立性は保たれています。--Gyulfox会話2013年8月26日 (月) 15:00 (UTC)
コメント * T6n8さんとT's-Nekoさんへ:大分まとまりましたね。大変お疲れ様です。「という解答を不正解にすべきかどうかが」という部分がちょっと気になります(式を不正解にしながらも答は正解とする場合があるのでは?)が、ほぼそれでOKだと思います。ところで、「コメントをふまえての編集案」節もかなり長くなって読み込みに時間がかかるので、投票したいだけの人にとってはちょっと負担になるかもしれません。この案(またはその次あたり?)で一旦、節をもう1回切ってはいかがでしょうか?* Sparrowhawk4344さんへ:「1つぶんの数×いくつ分」ではない「かけ算」には、例えば面積の「縦x横」「横x縦」や、距離の「速度x時間」「時間x速度」がありますが、これらの順序についてはあまり問題にされてないと思います。また、各曖昧表現はT6n8さんとT's-Nekoさんの長期に渡る労力の末に出されたものです。具体的には本文内で説明するということで、「落とし所」としませんか?そうしないと、キリがなくなりそうです。 --Nandaro会話2013年8月26日 (月) 17:19 (UTC)
>Gyulfoxさん
>「乗法の意味」を教科書がどう教えているのかは、今議論されている前文でなくとも、あなたが出典を提示しつつその後の節に書かれれば良いことですし、
批判する側は「乗法の意味」と切り離しているようです。前文においてそれと同じ立場をとるなら,記事の主題である現象の記述として中立性を欠くのではないでしょうか。
>信頼できる出典の中で使われているもののうち、どれかひとつを選ぶことが可能です。
いずれにせよ出典を明示すべきでしょう。それが「信頼できる出典」である必要があるという点は同意致します。
>Nandaroさん
>「1つぶんの数×いくつ分」ではない「かけ算」
問題文がおかれている教科書などの文脈でそのようなものがあるのでしょうか。文脈を無視して問題文をとりあげればどんなナンセンスも導けるでしょう。
>これらの順序についてはあまり問題にされてない
それは事実と異なるようです。
>具体的には本文内で説明するということで、「落とし所」としませんか?
そもそも「かけ算の順序問題」という名称は批判する側が用いていると感じます。前文でそうしたことも明記されていないのであれば Wikipedia:中立的な観点 から疑問が残るでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年8月26日 (月) 21:21 (UTC)
批判する側が「乗法の意味」と切り離しているなんて言えないでしょう。乗法の意味は意味として、逆順の式というだけでバツをつけるやりかたは、いかがなものかということであって、公の機関である文部省は、現場に任せると言ってますから、公が決めた計算式に抗議しているわけでもない。用語についてはどちら側が使おうとも統一するのが普通のことであり、徹底的に中立性を追及するからと言って、同じ意味を示す二つの用語を交代しながら同量に記述すればより中立になっていいみたいなのはルールの悪用でしょう。結局何かひとつであって今のところ表題の「かけ算の順序問題」を使うのが妥当だろうというコンセンサスでやっています(あなたも今までずっと黙っていたので黙認の賛成をされていたわけであって)ので、前文についてはとりあえずこのまま進めて、仕切りなおしとして用語が不満であればSparrowhawk4344さんは別個に改名提案でもされてはいかがでしょうか?--Gyulfox会話2013年8月27日 (火) 03:00 (UTC)
>Gyulfox さん
「式」は意味の表現でしょう。「順序」だけを問題にしているのが「かけ算の順序問題」でそれをしているのはもっぱら批判をしている側でしょう。「乗法の意味の理解」の指導という視点がない「かけ算の順序」など意味がないでしょう。
一方の側しか用いない用語はその旨を明記しないかぎり「中立」とはいえないでしょう。このノートは「かけ算の順序問題」についての議論をする場であると承知しています。別の表題にすることを提案しているのではなく,あくまで,現在の案の問題点を指摘しているだけです。--Sparrowhawk4344会話2013年8月27日 (火) 03:46 (UTC)
Sparrowhawk4344さんはいったい何をされたいのでしょうか。 「乗法の意味の理解」の指導という視点がかけているとおっしゃるなら、前文の下の節に記述されれば良いことだと思いますし、現在まで便宜上使われてきた、一方の側しか用いない用語が中立上不満ならあなたが求める両者満足できる理想上の「中立」とやらを満たす用語をひとつここに提示してください。提起者でさえそれができないのであれば、事実上1年でも2年でも引き伸ばしが可能であり、議論が無駄に空転するばかりだとおもうのですが。--Gyulfox会話2013年8月27日 (火) 09:48 (UTC)
>Gyulfoxさん
繰り返しになりますががわたしは,一方の側しか用いない用語はその旨を明記しないかぎり「中立」とはいえないと思うだけです。また「乗法の意味の理解」の指導という文脈なしでは,「かけ算の順序」など意味はないでしょう。別の用語に変えることなど提案していませんし,このノートはそのような提案にふさわしくないでしょう。わたしは記事が Wikipwdia の編集方針に合致したものになることを望んでいるだけです。--Sparrowhawk4344会話2013年8月27日 (火) 11:36 (UTC)
コメント (インデント戻します) それでは、こういう形↓ではいかがでしょうか?またはSparrowhawk4344さんから具体案を出して頂けませんか?
かけ算の順序問題(かけざんのじゅんじょもんだい)は、かけ算によって解が得られる算数の文章題において、「乗法の意味の理解」という観点から特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、「交換法則」などの観点からどの順序で書かれた式でも正解とするべきであるという主張の対立である。 (下線部分は、Nandaroによる追加試案。「など」としたのはトランプの配り方のようなケースを想定してです。) --Nandaro会話2013年8月28日 (水) 00:19 (UTC)
Sparrowhawk4344さんからのレスがありませんが、ダメ出しだけでなく、具体的な対抗案を出して頂かないと、話が先に進みません。T6n8さんとT's-Nekoさんのお2人が主導なさって来た長期に渡る議論と歩み寄りを実らせるべく、話を先に進めるためのご回答をお願いします。(皆さんへ:)私自身は2013年8月25日案でOKだと思っています(細部の変更案は出しましたが、変更しなくてもOKです)。実は今後2週間ほどウィキブレイクに入りますので、私からの返答はできなくなりますが、その間、もし2013年8月25日案で投票ということになりましたら、私は 賛成 として数えて下さい。ともかく、良い結果が出ることを祈っております。 --Nandaro会話2013年9月3日 (火) 16:29 (UTC)
>Nandaro さん
遅くなっていてすみません。「かけ算の順序問題」という現象についての Wikipwdia の編集方針に合致した記述を現在検討しているところです。なお Wikipwdia の編集方針にかかわる問題があるままの現在の案を「投票」できめることには疑問を感じます。--Sparrowhawk4344会話2013年9月4日 (水) 21:27 (UTC)

編集方針に合致していないという意見が一部にありますが、現在の本文よりは良くなっていることについては異論はないようなので、そろそろページを8月25日冒頭案に更新したいと思います。今まで投票を受け付けていましたが、反対は回答待ちの1件のみなので信任されたとみなしたいと思います。回答待ちである Sparrowhawk4344 さんがこれから出していただく案は、継続して検討したいと思います。
--T's-Neko会話2013年9月22日 (日) 12:09 (UTC)

Wikipedia:論争のある記事 をご参照ください。わたしは 2012年11月17日 に一度案を提示しました。とくに異論もなかったようなので,2013年4月28日にそれにそって記事を更新しましたが,更新後一方的に差し戻しをされました。論争のある記事ではよくあることなのかもしれません。そうであるなら,更新は慎重であった方がいいと感じます。--Sparrowhawk4344会話2013年9月23日 (月) 01:48 (UTC)

冒頭を更新しました。Sparrowhawk4344 さんも、2013年9月27日までの本文よりは良くなっていることに異論はないようなので。差し戻しのご心配に関しては、今回はT6n8さんも了承をいただいているので、少しは差し戻される可能性は低いと思います。ノートの「7.1 コメント」「7.2 コメントをふまえての編集案」「5.1 「かけ算の順序指導」とよばれているものの現状」「5.2 教科書・教科書指導書の記述」は、「5 (主に)擁護する主張に追加予定(version2) 」にあるような形で来週に過去ログ化したいと思います。 差し戻しされたときの検討は新しい章を作成します。Sparrowhawk4344 さんが予定している代案の検討は、「7.3 2013年8月25日冒頭案」で引き続き行います。
--T's-Neko会話2013年9月28日 (土) 08:52 (UTC)

「かけ算の教え方とそれに基づく採点方針」の章

表題の章を追加しました。この章は、批判の対象となっているものを示すため、推進派の意見のみ示す方針にしたいと思います。これにより、本文全体が中立になっていくと思います。この章に問題があって差し戻すとまた偏って悪くなってしまうため、この章に問題があれば、本文はこのままでノートで検討していただきたいと思います。

追加した章の一部は要出典としており、有力な出典が見つかりません(Webの出典なら、要出典にカーソルを合わせれば見られます)。どなたかより信頼できる出典の情報を挙げていただけたらと思います。なお、最終段落は、後日、章立てする予定です。
--T's-Neko会話2013年9月22日 (日) 12:09 (UTC)

もともと出典がない内容を記事に追加されるという行為に疑問を感じます。--Sparrowhawk4344会話2013年9月23日 (月) 01:35 (UTC)

冒頭案は反映してもいいと思いますが、こちらは、まだ、批判的検討にさらしていないため問題が多い状態であると思います。

いくらなんでも、最初の一文からまちがっているのは、よろしくないと思いますので、批判にさらしてある程度耐えた分を選んで持っていくほうがいいと思います。

  • 学習指導要領解説には、「かけ算は『1つぶんの数×いくつ分』」 と書かれている。

と書いておきながら、引用部にはそのようなことは実際には書かれていないなど事実のレベルで検討がゆるすぎだと思います。

なお、批判する文献はあるが擁護する文献がない場合に、批判的記述が多くなるのは、wikipediaの編集上の中立概念では偏っていることを意味しません。Wikipedia:中立的な観点を再確認したほうがよいでしょう。--T6n8会話2013年9月23日 (月) 13:44 (UTC)

ノートも肥大化して、議論しにくいので、まず、一旦、冒頭を反映して、その段階でノートを過去ログ化して軽くして、それから新しい節について議論するのがよいと思います。--T6n8会話2013年9月23日 (月) 14:03 (UTC)

Wikipedia:論争のある記事 Help:過去ログ を参照してください。論争がある記事の場合,批判する側ないし擁護する側による偏った編集が行われる可能性があるでしょう。一方の側による編集ではない,中立的・客観的な記事が望まれると思います(現在提案されている冒頭も現在のものも中立性の観点について疑問が残ります)。また冒頭の反映や過去ログにすることは「かけ算の教え方とそれに基づく採点方針」の章についての議論とは分けた方がよいと思います。--Sparrowhawk4344会話2013年9月23日 (月) 21:08 (UTC)
ネットの批判を見る限り推進派がむしろ多数派であると思います(勢力の検証は十分といえる方法がないので結論はでないでしょう)。批判派の記述が多いから推進派の記述を単に増やしたのではありません。推進派の意見を踏まえることで、「Wikipedia:中立的な観点」に書かれている「全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というような記述をすることです。」という形にしたのです。批判されている対象が明示されていない状況を改善したまでです。 皆さんは Wikipedia:中立的な観点 をよく引き合いに出されますが、そのページのどこに問題の理由があるかを提示していただけないと分かりません。 私は問題ないと思っているのですから。 いわゆるバカの壁です。 事実のレベルで検討については具体的な指摘があれば検討します。 HorseTherapy さんが一斉置換したことで一部の引用の表示が消えてしまった問題は修正しました。 過去ログ化は、前の章に書いたように来週行います。
--T's-Neko会話2013年9月28日 (土) 08:53 (UTC)
一方の側が Wikipedia を利用することも可能でしょう。もし記事の編集やノートの「過去ログ化」が一方の側によって行われるとしたら,中立的な観点から極めて憂慮すべきことと感じます。論争のある記事における「過去ログ化」は慎重であるべきでしょうし,中立的な観点に基づく疑問が解消されてからでも遅くはないと思います。それでも強行するなどということに対してわたしは同意できません。--Sparrowhawk4344会話2013年9月28日 (土) 17:05 (UTC)
「多数である推進派」とは具体的に誰を指しているのでしょう?ネット上でみかける「推進派の言説」は反対派による文脈(とくに「乗法の意味の理解」の指導という文脈)から切り離された断片の反対派による解釈としてのそれしかみられないように感じます。採点基準は推進するものではないでしょうし,「問題」が「対立」というのは意味が通らないと感じます。
「乗法の意味の理解」にかかわる指導における一つの採点基準に反対する人たちが一方的に採点基準を問題とし,彼らが感じている問題に対してつけた名称が「かけ算の順序問題」であって,1970年ごろにそのような名称はなかったでしょうし,現在まで継続して問題とされてきた証拠の提示もありません。「かけ算の順序問題」という名称の初出も不明で,この名称が用いられている学術論文等も提示されていません。「対立」問題のはずなのに,一方のみが「かけ算の順序問題」という名称のもとで一方的に批判をしているのに対して,他方は「かけ算の順序問題」などという名称は用いておらず,反論すらしていないように思われます。「対立」といえるようなものが具体的に起きている証拠があるのでしょうか。
論争のある記事での編集は十分慎重であってしかるべきではないかと思います。中立的な観点に基づく疑問については議論がほとんどすすんでいません。一方の側からの他方の主張の解釈を併記しても「両論併記」とはいえないでしょう。編集は時期尚早であったと思いますし,「過去ログ化」は問題外と感じます。--Sparrowhawk4344会話2013年9月28日 (土) 18:14 (UTC)