ノート:かけ算の順序問題/過去ログ2
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観点20121028
/過去ログ1#観点20121028を参照してください。--T6n8(会話) 2013年10月5日 (土) 15:31 (UTC)
記事の中立性を若干でも高めるため,要出典となっている部分の削除を提案します。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 15:44 (UTC)
Sparrowhawk4344氏は出典が示されているところに要出典テンプレートを挿入しておりナンセンスである。--T6n8(会話) 2013年10月6日 (日) 20:18 (UTC)
引用文の解釈の記述の部分で「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」に相当すると感じたものに「要出典タグ」をつけました。解釈を支持する出典をあげてください。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月7日 (月) 11:44 (UTC)
独自研究の説明の長い句を意味不明に括弧書きで引用していますが、どのことをどう評価しているのか全く理解できません。出典があるところに要出典を貼るのは無意味です。Template:独自研究範囲に修正するとともに、それぞれどこがどうして独自研究であると考えるのかをノートにご説明ください。--T6n8(会話) 2013年10月7日 (月) 16:22 (UTC)
どの箇所をさしておたずねでしょうか?具体的にあげてください。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月7日 (月) 21:41 (UTC)
Sparrowhawk4344が「『未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈』に相当すると感じた」から「『要出典タグ』をつけ」たとする部分すべてです。そもそも、 2013年10月6日 (日) 15:44 (UTC)削除を提案している対象が明示されておりません。--T6n8(会話) 2013年10月7日 (月) 22:12 (UTC)
具体例についてはたとえばこのノートの「「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」の章、D(2 ) 乗法の式」で現在行われている議論をご参照ください。「出典を示せば独自研究ではない」「両方の側の文献を引用すれば中立性は保たれる」ということはないでしょう。引用文等の解釈が一方の側の立場からのものであれば「中立性の観点」にかかわる問題があるでしょうし,それが未発表のものなどであるなら「独自研究」でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月7日 (月) 22:36 (UTC)
タグを交換の上、それぞれをご説明下さい。ご自分の主張ですから、たとえばで一例を述べるのではなく、主張することは、項目を分けてそれぞれ、すべてお書きください。--T6n8(会話) 2013年10月7日 (月) 22:58 (UTC)
指摘した個々の記述には共通した問題があると感じています。
- (a) 「かけ算によって解が得られる算数の文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、どの順序で書かれた式でも正解とするべきであるという主張の対立である(詳細は本文)」の部分では,「かけ算の順序問題」の定義の出所があいまいです。執筆者による定義ではなく,出典の著者の立場を明示して,著者の定義を(必要なら要約して)記述すればよいでしょう。
- (b) 「たびたび取り上げられ」とありますが,1970年代にとりあげられたあと,2012年になるまでマスコミで「かけ算の順序問題」が取り上げられてることはなかったようです。「1972年に朝日新聞で報道されて以来、たびたび取り上げられ」というと継続して新聞紙上で取り上げられているかの印象を与えかねません。もし継続して取り上げられているなら,根拠となる出典を明示してください。
- (c) 「「順序に意味がある」とする東京書籍による解釈」の出典を明示してください。
- (d) 「順不同な例」の「順不同」とはどういう意味でしょうか。「1あたり×いくら分 の順序」と「いくら分×1あたり の順序」がともに示されているということでしょうか。学習指導要領解説では「1あたり×いくら分 の順序」や「いくら分×1あたり の順序」について記述されているのでしょうか。「順不同な例」と判断したのは誰かが不明です。
- (e) 「片方の順序を示している」「いずれも正解と考えられる」については議論が進行中ですのでそこを参照してください。
- (f) 「絵のなかでひとかたまりになっているものを「1つぶんの数」にするように指示する」「「サンドイッチの法則」という特殊な規約を遵守するように指示する」「「「100円のノートを8冊」の場合だと、単位に注目して 円 × 冊 = 円 のようにサンドイッチの形にするのが正しく、100 × 8 = 800 が正解とされる」」については出典が不明です。
- (g) (e)(f)についてはそこにあげられているものが「「正しい順序」を書かせるための指導」として取り上げられていますが,「正しい順序」では意味不明です。実際「正しい順序」などないでしょう。それらを「「正しい順序」を書かせるための指導」としている文献をあげてください。
- (h) 「正しい式を書いているのにバツをつければ、何がいけないのかわからず混乱し、算数嫌いになる恐れがある」「かけ算の順序で「読み取り」が正しくできているか判定するという考え方は不合理であり、説得力をもたない」「「3 × 2 で3本耳のウサギが2羽、2 × 8 で2本足のタコが8匹という意味になります。」という解釈は不適切である」という判断の出典が不明です。信頼できる情報源を示してください。
- (i) 「「かけ算の順序に意味をもたせることによって、読み取りが正しくできているか判断できる。」という考えにもとづいて、「問題文の読み取りをしてから立式するように指導しないとただ計算ができるだけで応用問題に対応できなくなる。」「わり算を理解できなくなる。」などという主張がなされ、かけ算の順序にこだわった指導が展開されている」の出典が不明です。
とりあえず以上ですが他にも問題のある箇所はあるかもしれません。個々に論じたければ項目を分けて議論してもよいのですが,明らかに出典を欠いているかまたは出典にはない執筆者による解釈が加えられているようにみえる部分がある,という,「中立性の観点」および「独自研究を載せない」にかかわる共通した問題があると感じここ(「観点20121028」)にまとめました。 現状の記事を読むと,あたかも「対立」の一方の側が自身の立場の宣伝のために記述しているかのような印象を受けてしまします。出典についても疑問を感じています。「かけ算の順序問題」が算数教育にかかわるものであるならば,算数教育を専門としていない人たちのサイトを出典にするのはどうかと感じます。もちろん最近のネットを中心とした「かけ算の順序問題」にかかわる騒動について記述するなら話は別かもしれません。そうであれば冒頭文は再検討が必要と感じます。わたしはこの記事が Wikipedia の編集方針にそって,客観的に「かけ算の順序問題」を記述するものになることを望んでいます。「対立」問題であるなら,本文の編集は議論の後に行うよう再度お願いいたします。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月8日 (火) 09:19 (UTC)
(a) 過去ログ1にてコメント依頼を含め、検討された結果です。Sparrowhawk4344さんがいつまでも納得しないだけですね。より良い具体案があれば検討の余地はあります。
(b) 「継続して新聞紙上で取り上げられているかの印象を与えかねません」というのは初めて登場した観点ですね。 「雑誌・書籍などで」と挿入すれば済む話ですね。
(c) 文末にある{{Sfn|栗山真寛|2012}}です。明らかです。
(d) 二つの数のどちらを「×」の左に書いても良い例ですね。通常の日本語能力があればわかることです。 「1あたり×いくら分 の順序」などという話はそこにはありません。
(g) 「正しい順序」とかぎ括弧をつけて書いてあるのであるから、それはかぎ括弧なしで書かれる単なる正しい順序とは意味が異なるのはあきらかですね。普通の日本語解釈としては、特定の順序で書かれた式のみを正解とする方針を持っているときの正解として扱われる順序くらいのことを意味するでしょう。
(f)(h)(i) これは確かに要出典でしょう。最初から{{要出典範囲}}をお使いになるといいと思います。
- 「対立」問題であるなら,本文の編集は議論の後に行うよう再度お願いいたします。
論理性と根拠を欠く珍見解ですね。本文の編集は議論の後に行うなどという決まりはないでしょう。争いのない部分は粛々と編集しつつ、論争のある内容については、ノートで議論するというのが標準的な進め方であって、Wikipedia:論争のある記事#編集の手順に適合するでしょう。 --T6n8(会話) 2013年10月8日 (火) 13:54 (UTC)
- (a) 議論は進行中で今も続いています。論争のある話題であるなら,「対立」の一方の側の人たちが自身の立場の宣伝に都合のよい記述をする可能性もあるでしょう。そうした人たちが「中立的な観点」を多数決の問題にすりかえるということもおこりうるでしょう。編集を急ぐ必要はないでしょう。合意の形成をまず考えるべきではないでしょうか。事実として,「かけ算によって解が得られる算数の文章題において、特定の順序で書かれた式のみを正解とする採点方針と、どの順序で書かれた式でも正解とするべきであるという主張の対立である(詳細は本文)」の部分では,「かけ算の順序問題」の定義の出所があいまいでしょう。執筆者による定義ではなく,出典の著者の立場を明示して,著者の定義を(必要なら要約して)記述すればよいと考えます。
- (b) 「類似する話題は1972年に朝日新聞で報道され雑誌でも話題になったが,その後下火になり,2012年になって再びマスコミが取り上げるようになった」のが事実ならそう表現すればいいでしょう。そうかどうかわからないなら,とくに冒頭で触れなくてもよいでしょう。なお「かけ算の順序問題の経緯」の遠山と森にかかわる記述であげられている年号にも疑問を感じています。現在の記述では,森が「かけ算の順序問題」について強く関心をもち出版したかのようにも読めてしまいます。もしそれが事実であれば,そのことを裏付ける信頼できる情報源を示してください。そうでないなら,初出の年号のみをあげるのが普通でしょう。遠山のものについては著作集ですからなおさらでしょう。
- (c) 中日新聞の記事についてはすでに問題を指摘しました。これも進行中の議論のようです。過去ログ1 をご参照ください。
- (d) 「かけ算の順序」というのは一般的な表現ではないでしょう。「かけ算の順序問題」の「対立」になじんでいる人たちではない一般の人が「かけ算の順序」ときくと,結合法則にかかわるような話を連想することの方が多いかもしれません。また,「1あたり×いくら分 の順序」などという話がそこにないのなら,それは「かけ算の順序問題」とはかかわりのない話ではないでしょうか。それを「順不同」と「かけ算の順序問題」にかかわるような表現をすれば,学習指導要領解説が「かけ算の順序問題」についてなんらかの判断をしているかのような印象を与えてしまうでしょう。実際にそのような判断をしているとする文献があるなら,それをあげてください。
- (g) 「正しい順序」という言葉がなにを指すのかを明記してある出典ももとめています。あわせて「「正しい順序」を書かせるための指導」にあげられたものが,「正しい順序」を書かせるための指導であると判断している出典もあげる必要があると思っています。
- (f)(h)(i) 出典がないのであるなら,その部分の削除を提案します。
- 「対立」の一方の側の人たちにはわかりやすく一般の人にはわかりにくい表現は改めた方が記事の客観性を高めるでしょう。わたしは「正しい順序」などナンセンスと思いますし「1あたり×いくら分 の順序でかかせるべきである」などとは思いません。と同時に,冒頭文にあるような採点方針を批判する立場にもありません。そのわたしからみると,あまり一般的には用いられない(批判する側がよく用いるらしい,わたしには意味がよくわからない)「かけ算の順序問題」用語(「正しい順序」「順不同」「両方の順序」など)が記事全体にちりばめられているようにみえています。そのために,現状の記事では「対立」の一方の側の宣伝のようにも読めてしまうのです。論争のある話題なのですから慎重に編集をすすめていった方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月8日 (火) 15:32 (UTC)
(b) 「下火になり」は事実か資料の不完全さなのか区別できないでしょう?
「強く関心をもち出版したかのようにも読めてしまいます」そのようなことはかかれておりませんし読めません。
年号については、まず、正しいと思う形に編集されたら良いでしょう。
(d) 学習指導要領解説が「かけ算の順序問題」についてなんらかの判断をしているかという点については、(長方形の面積)について(縦)×(横)、(横)×(縦)いずれでもかまわないことを明示しております。これも、(縦)×(横)の順でかかれた式のみを正解にされたことあって問題になったかけ算の順序問題ですが、現在ではあまり見かけないことです。ほかは順序の指導については特に定めていないというのが、複数の文献で言われていることですね。
(g) 通常の日本語文章読解力があれば明らか。出典不要。
(f)(h)(i) 出典が存在するけどまだ記載されていないものであろうと考えるので要出典待ちが妥当だろうと思いますが、出典が存在しないとお考えなら、削除予定範囲に独自研究範囲のテンプレートをつけてください。その後、しばらく出典がつかなければ、削除したら良いことですが、まず、明確なタグ付けをしてください。--T6n8(会話) 2013年10月8日 (火) 22:42 (UTC)
- (b) 「類似する話題は1972年に朝日新聞で報道され雑誌でも話題になった。また,2012年になって再びマスコミが取り上げている。」といったところでしょうか。それが事実かどうかよくわからないなら触れなければよいでしょう。なお「かけ算の順序問題の経緯」は(一部は出典を欠いていて,一部は出版の経緯まで記述されるなど不自然に詳細な)断片的な事実のようなものの羅列になっているように見えます。いくつかの出典はあるものの経緯の説明としては未検証なものといえるでしょう。わたしとしては,現状の「かけ算の順序問題の経緯」自体を削除し,「かけ算の順序問題の経緯」についての(独自研究ではない)研究をふまえたものが整ったところで追加すればよいと思っています。現状のままでは「独自研究を載せない」という編集方針に抵触するおそれがあると思います。
- (d) 「(長方形の面積)について(縦)×(横)、(横)×(縦)いずれでもかまわない」が「かけ算の順序問題」にかかわって明示されているとする解釈を支持する信頼できる情報源をあげてください。もしないのなら,学習指導要領解説が「かけ算の順序問題」についてなんらかの判断をしているかどうかを判断する根拠がなくなるでしょう。読者を誘導する(意識的ないし無意識的)意図がないかぎり「AかAでないかのいずれであるかわからない」ときには「Aであるとはいえない」とも「Aでないとはいえない」ともいわないほうがよいでしょう。もちろん読者を誘導する意図を持った執筆は Wikipedia の編集方針に反するでしょう。
- (g) 「対立」の一方の側の立場の人が問題を「日本語の読解力の問題」にすりかえることはよくあることのようです。「かけ算とは1あたりのいくら分を求める計算である(遠山啓「量としての面積・体積」『数学セミナー』1974年10月号)」とあるなら意味が通るかもしれません。そのような定義にもとづいて「1あたり×いくら分 の順序でかく」とあればこれも意味が通るように思いますが,それは「かけ算の順序」というより,「式表現の規約」といったようなものでしょう。「a×(b×c)」や「(a×b)×c」といった計算で,どちらの「×」を先に行うのかなら「かけ算の順序」かもしれません。この場合通常の規約に従えば「( )の中の×を先に行う」でしょう。通常はその規約に従って計算を行うでしょう。それが「正しい順序」であると書いてある文献はあるかもしれません。文献があれば出典を示すことも可能でしょう。現状の記事における「正しい順序」などの用語はそれとはことなり,あいまいでナンセンスに感じられます(実際,「1あたり×いくら分 の順序でかくのが正しい順序である」などといっている人などいるのでしょうか)。「かけ算の順序問題」という「対立」の一方の側の人たちはよく「正しい順序」「逆順」などといったりするようです。一部の人たちのあいだでは意味が通り,一般の読者には馴染みのない表現は避けた方がよいと思います。「正しい順序」「順不同」「両方の順序」などは定義があいまいで意味がよくわかりません。もしそういった用語を記事の記述で使用するなら,出典をあげて定義を明示する必要があるでしょう。ないのであれば,そのような用語を用いた表現は避けておかないと「中立性の観点」「独自研究は載せない」といった編集方針に抵触するものと思います。
- (f)(h)(i) 論争ある話題でもあるようですから,出典がないなら一旦削除した方がよいでしょう。また,出典が見つかっていないままでは「独自研究を載せない」という方針にも抵触すると思います。出典が見つかった時点で追加すればいいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月9日 (水) 07:38 (UTC)
- タグ付けについて再三要望されていますが,この記事全体にテンプレート「観点」「未検証」「独自研究」がついていることに注意してください。「対立」する一方の側による編集のようにみえる部分は記事全体にあります。用語「正しい順序」についての議論は過去ログ 1 から継続して行われています。議論の結果冒頭文から「正しい順序」という用語はなくなりましたが記事全体にまだ残っています。そして議論は現在継続中でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月9日 (水) 08:08 (UTC)
中日新聞2012年11月5日6面のたて見出しに「"正しい順序"にこだわる?」とあり、リードには「多くの子どもがかけ算の式には"正しい順序"があると教わるが、式の順序を逆にしても答えは同じ。」などの用例があります。ごく普通の日本語として解釈するべきものです。
また、
黒木助教らに対し、東京書籍は文部科学省が発行する指導要領の解説に「10×4は、10が四つあることから、40になる」といった記述があることを挙げ、「順序に意味がある」と反論する。
とあります。さらに、
これらの議論について文科省初等中等教育局教育課程課は「掛け算の意味を理解させるよう定めているが、順序は国が定めるものではない」と距離を置く。ただ、指導要領の解説に対する教科書会社の解釈には「深く考えすぎだと思う」と打ち消す。
と続けております。これを要約して、
文部科学省初等中等教育局教育課程課は中日新聞の取材に答えて「かけ算の意味を理解させるよう定めているが、順序については国が定めるものではない」と述べるとともに、指導要領解説の「10 × 4は、10が四つあることから、40になる」を根拠に「順序に意味がある」とする東京書籍による解釈については「深く考えすぎだと思う」と否定している[栗山真寛2012]。
としてあるのは両者を比べれば明らかで、[栗山真寛2012]をみれば途中に要出典をつけることにはならないはずです。過去ログ1によればSparrowhawk4344氏はこの文献は目を通されているはずです。過去ログ1においてSparrowhawk4344は中日新聞が信頼できる情報源でないとする主張をされたけど誰も同意しなかった以外になにがありますか?仮に見ていなかったら、やはり確認せずに要出典をつけるのは不当であり、いずれにせよ途中に要出典をつけるのは不当であるのは明白です。
--T6n8(会話) 2013年10月9日 (水) 13:34 (UTC)
- 算数教育の専門家がその記事を書いたのではないでしょうし,「指導要領解説の「10 × 4は、10が四つあることから、40になる」を根拠に「順序に意味がある」とする東京書籍による解釈」の出典がその記事というのはどうかと思います。新聞記者が取材で得たコメントをどのように記事にするかについては注意した方がよいかもしれません。「東京書籍の編集局は「掛け算の意味を理解させることに尽きる」と説明する」とありますから「順序に意味がある」のではなく「掛け算の意味を(記号列の)順序で表現している」というのが主旨であると読むのが自然に思えます。東京書籍の教科書の執筆者の一人は「かけ算の順序問題」にかかわって「ナンセンス」といっていたようです。そしてその新聞記事に「正しい順序」の定義が書いてあるでしょうか。わたしは東京書籍の公式見解や算数教育における「正しい順序」や「順序指導」の定義についての信頼できる情報源をもとめています。「普通の日本語として解釈するべきものです」というのが執筆者(たち)(あるいは新聞記者)の判断かもしれませんが,それでは出典を示したことにはならないでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月9日 (水) 14:31 (UTC)
ここで問題となっている「かけ算の順序問題の経緯」があいかわらず議論なく編集されているようです。「(可換)環の乗法は交換法則が成り立つので2項演算ではない」といったような主張は数学的なものといえるかどうかはなはだ疑問ですし,算数教育とも関係ないでしょう。この記事で一般的には知られていなかった一大学の学部紀要での「論争」をわざわざ取り上げるのもどうかと感じます。依然として現状の記事が事実(のようなもの)の羅列ではなく経緯の説明になっていることの出典は示されていません。論争のある話題でもあるようです。編集を行う前に議論がなされる必要を感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月9日 (水) 22:27 (UTC)
数学者だけでなく心理学者も取り上げているのに,「数学者らにたびたび取り上げられた」と表現するのは執筆者の解釈でしょうか。また,算数教育の話題に認知心理学者はともかく,数学者が取り上げたことを冒頭で触れる必要があるでしょうか。数学者は算数教育の採点方針については素人でしょう(Wikipedia:信頼できる情報源 「偽の権威に注意」)。最近のネットにおける騒動としての「かけ算の順序問題」にはふさわしいとは思いますがその場合冒頭文を書き換える必要があるでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月11日 (金) 16:41 (UTC)
中立性を保つには記事全体にある「正しい順序」「順序指導」という用語の定義とその出典が必要と思います。もしないのであれば除去することを提案します。わたしは以前,より適切と思う表現に一部だけ変更しましたが議論のないまま一方的に差し戻されました。その後差し戻しの理由の説明があり,議論が始まったもののその議論の継続中にノートは一方的に「過去ログ化」されました。過去ログにある議論の中で冒頭文の案からは「正しい順序」という用語が消え,議論の途中であったにもかかわらず一方的に冒頭文は編集されました。結果として記事全体に残った「正しい順序」などの用語の意味はよりあいまいになったといえるでしょう。
また記事中の引用文の解釈のうち出典が示されてないものは(執筆者による)独自研究にあたるでしょう。それらの除去もあわせて提案します。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月13日 (日) 14:34 (UTC)
独自研究について
- 本テンプレートを貼付する場合、記事の内容のどの部分について出典や根拠を求めるかノートなどで具体的に提示することが望まれます。{{独自研究範囲}}または、{{要出典}}テンプレートを使用して問題箇所を明示するとなお望ましくなります。コメントを添えずに単なるレッテル付けの目的で使うことは望ましくありません。問題箇所を明示せずに本テンプレートを貼付しても、問題が改善される可能性が低いからです。
とあります。現状、無意味なレッテル付けとなっていますので、はがします。--T6n8(会話) 2013年10月5日 (土) 15:23 (UTC)
独自研究テンプレートは,一方的に「過去ログ化」されたノートの議論を踏まえたものです。そこにおいて,
- 「乗法の意味の理解」にかかわる指導における一つの採点基準に反対する人たちが一方的に採点基準を問題とし,彼らが感じている問題に対してつけた名称が「かけ算の順序問題」であって,1970年ごろにそのような名称はなかったでしょうし,現在まで継続して問題とされてきた証拠の提示もありません。「かけ算の順序問題」という名称の初出も不明で,この名称が用いられている学術論文等も提示されていません。「対立」問題のはずなのに,一方のみが「かけ算の順序問題」という名称のもとで一方的に批判をしているのに対して,他方は「かけ算の順序問題」などという名称は用いておらず,反論すらしていないように思われます。「対立」といえるようなものが具体的に起きている証拠があるのでしょうか。
と問題点を具体的に明示しました。また,
- 論争のある記事での編集は十分慎重であってしかるべきではないかと思います。中立的な観点に基づく疑問については議論がほとんどすすんでいません。一方の側からの他方の主張の解釈を併記しても「両論併記」とはいえないでしょう。編集は時期尚早であったと思いますし,「過去ログ化」は問題外と感じます。
について議論が途中のまま,「過去ログ化」は行われました。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 01:08 (UTC)
名称と問題の開始は独立の問題です。また、初出がいつかというのは特に意味のないことです。「かけ算の順序問題」という言葉は、現に、高橋誠『かけ算には順序があるのか』(岩波科学ライブラリー)p.118で使われております。一方が正解として扱うべき、他方が不正解として扱うという時点で「対立」というのは妥当です。
また、「過去ログ化」は、過去の議論を参照しやすく、また新たな議論を書きやすくするために行うもので、賛成はあれど意味のある反対はありませんでした。「問題外」というのは問題の対象ではないからどうでもよいともとれますし、過去ログ化に反対と解釈するとすると、反対する具体的論拠が全くありませんでした。--T6n8(会話) 2013年10月6日 (日) 03:28 (UTC)
- 「かけ算の順序問題」が「対立」問題であるなら,その名称の初出がどこにあるのかは記事の編集にとって重要でしょう。「高橋誠『かけ算には順序があるのか』(岩波科学ライブラリー)」における記述は「対立」問題の一方の側によるものでしょう。それを明示しないで「詳細は本文」とすることには大いに疑問を感じます。そのような方法で独自研究を記載することは十分可能でしょうから。現在の記述は「かけ算の順序問題」という名称があたかも「対立」の両方の側において一般的なものとしてよく使われている名称であるかのような印象を与えかねません。中立性が問題とされる記事において,一方のみに偏った記述は問題でしょう。
- また,Help:過去ログ には,
- 進行中の議論は現在のノートページに残すようにしてください。
- とあります。「対立」問題一方の側が進行中の議論であるにもかかわらず「意味のある反対はありませんでした」として「過去ログ化」することはありうることでしょう。進行中の議論があったにもかかわらず,「過去ログ化」によって進行中の議論がなくなったかのような印象を与えてしまう可能性があるでしょう。論争のある記事での編集および「過去ログ化」は慎重にしないと,Wikipedia が「対立」問題の一方の側の宣伝に利用されてしまうということが起こりかねないと思います。
- 「1972年に朝日新聞で報道されて以来、たびたび取り上げられ」は「言葉を濁す表現」と感じます。あたかも1972年から継続してとりあげられてきたような印象を与えかねません。
- いずれにせよ,議論をしてから編集されることを希望します。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 04:53 (UTC)
小学校算数の乗法の指導における採点方針をめぐる騒動は,とくにここ数年ネットで話題になったようです。似たような話題は 1972 年に朝日新聞でとりあげられたようですが,その後下火になっていたようでした。最近のネットでの騒動をうけて,マスコミで何回かとりあげられたようですが,それは算数教育の専門家の間での論争というより,ネット上でのブログ・SNS・掲示板などを中心として繰り広げられた非専門家たちの間の騒動というのが実情でしょう。「批判」の多くは非専門家によるもののようですし,「かけ算の順序問題」の専門家による定義というのは存在していないようです。現状の冒頭文は,あたかも算数教育界における論争であるかのような印象を与えるおそれを感じます。また,現状の記事の引用の多くはネット上での騒動の一方の側の主張にそったかたちで解釈され,取り扱われているように感じられます。そのような解釈の掲載は Wikipedia の編集方針 Wikipedia:独自研究は載せない に反するものと感じます。現状の記事には独自研究が含まれているおそれがあると思います。もしかすると Wikipedia 自体が騒動にまきこまれてしまっているのではないかとすら感じています。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 05:49 (UTC)
相変わらず全く具体性がなく、議論になりようがありません。本記事の主要部はすでに、十分な出典に裏打ちされているので、引用の解釈の誤りがあるならそれを特定して指摘するべきで、あいまいな印象を語られても議論のしようがありません。{{未検証}}{{独自研究}}テンプレートは全く根拠が示されていません。
また、たびたびを継続的と解釈するのはあり得ないことです。経緯の節に具体的リストが示されています。誤解の余地はありません。--T6n8(会話) 2013年10月6日 (日) 06:39 (UTC)
みなさん、それぞれの議論に番号を付けましょう。 あと、相手に問題を解決してもらう要求(批判や理由だけ)は、議論が発散するだけなのでやめて、編集結果を提案していくようにしましょう。 Wikipedia の「執筆者」になりましょうよ。
(1) T6n8さん、この章の独自研究の対象は何ですか。「かけ算の教え方とそれに基づく採点方針」の章を差し戻した変更内容「独自研究の除去」ではなさそうですが。
(2) T6n8さん、「詳細は本文」を追加した意図は何でしょうか。私には追加したことで何が良くなったのかわかりません。
(3) T6n8さん、Sparrowhawk4344 さん、「かけ算の順序問題」を「かけ算の順序の対立」のどちらかがよいかですが、片方は中立性を欠き、片方は出典元がありません。出典元と中立性がある宮下英明さんの『「かけ算の順序」論争』から「かけ算の順序論争」にするといいと思います。
(4) Sparrowhawk4344 さん、進行中の議論は現在のノートページに残す件については、[Help:過去ログ]『議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨され』るため、よいタイミングだったと思います。『進行中の議論は現在のノートページに残すようにしてください』については、過去ログを引用すれば満たすと思います。過去ログ化によって進行中の議論がなくなったかのような印象を排除するには、過去ログの最後に「進行中の議論は別章に継続(日付)」とでも書いておけばよいと思います。
(5) Sparrowhawk4344 さん、「1972年に朝日新聞で報道されて以来、たびたび取り上げられ」は、言葉を濁す表現かもしれませんが、参考文献の年を冒頭に並べるよりいいと思います。また、参考文献の年から、「たびたび取り上げられ」と合っており、問題ないと思います。
--T's-Neko(会話) 2013年10月6日 (日) 07:27 (UTC)
(1) Sparrowhawk4344氏が対象を特定せずに{{独自研究}}などのテンプレートを貼り付けることについてです。
- {{観点}}のように議論へのリンクを生成して、ノートで議論を提起するならともかく、ただテンプレートを張るのは議論する気があるようには見えないということです。{{観点}}の分は除去しておりませんし、過去ログへつなぎをつけてあります。
(2) 実態は本文を見ればいいことであるので{{要出典}}と置換しました。最初から要らんじゃないとして消される分には賛成します。
(3)「かけ算の順序の対立」というのはどこから出てきたんでしょう? 宮下英明さんの『「かけ算の順序」論争』は自己公表物以外だとどれでしょう? 問題を論争に限定するのは意味合い的に好ましくないと思います。論争があるだけではなく、現に不正解と扱われる児童がいて、正解するべきという有力意見が存在するという問題です。--T6n8(会話) 2013年10月6日 (日) 07:57 (UTC)
- (1) 対象が不明確であったようなので,上記のように問題点を指摘しました。「相変わらず全く具体性がなく」は具体性を欠いていると思います。
- (2) 「実態は本文を見ればいいことである」は執筆者の一人の意見でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 09:51 (UTC)
(3) ここは記事「かけ算の順序問題」について議論する場であると思います。わたしは,「最近のネットでの騒動」としての「かけ算の順序問題」についての客観的な記述を望んでいます。その「騒動」における「対立」の一方の側による記述は中立性を欠くと感じています。
記事「かけ算の順序問題」は,「かけ算の順序問題」において話題になっている内容について議論する場ではないでしょうし,ましてその内容についての執筆者の主張を掲載する場でもないと思います。「高橋誠『かけ算には順序があるのか』(岩波科学ライブラリー)」が名称「かけ算の順序問題」の初出であるなら,そのことも含めて客観的に記述すればよいでしょう。もしそこをあいまいにするなら,記事「かけ算の順序問題」は「対立」の一方の側の主張をあいまいなまま掲載する場になりうると感じます。
(4) 論争のある話題においては「過去ログ化」は避けた方がよいと思います。読者に「議論が落ち着いている」かのような印象を与えてしまうこともあるでしょう。
(5) ある期間とりあげられておらず,最近になってとりあげられるようになったのが事実なら,現状の記事は事実と異なる印象を与えることになると感じます。もし継続してとりあげられているなら,出典を示すべきと思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 09:47 (UTC)
(1) T6n8さん、了解です。 Sparrowhawk4344 さん、T6n8さんの 2013年10月5日 (土) 15:23 (UTC) の発言の対象は、独自研究テンプレート(本文ページの最初にある(アイコン)「この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。」)です。 Sparrowhawk4344 さんの 2013年10月6日 (日) 01:08 (UTC) の発言は、「かけ算の順序問題」の名称に対して独自研究であると読めますが、2013年10月6日 (日) 04:53 (UTC)では、『「対立」問題の一方の側によるもの』であることが独自研究であると発言されています。独自研究から中立性の問題に指摘が変わっているので、とりあえず独自研究テンプレートは外していいですよね。
(3)-1 T6n8さん、「かけ算の順序の対立」は、読み間違いでした。すいません。タイトル「かけ算の順序論争」については、一旦クローズさせてください。
(3)-2 Sparrowhawk4344 さん、あなたの 2013年10月6日 (日) 01:08 (UTC) の発言に『「対立」問題のはずなのに』と、『「対立」といえるようなものが具体的に起きている証拠があるのでしょうか。』の2つがありますが、矛盾しています。 どちらがあなたの意見なのでしょうか。
(3)-3 Sparrowhawk4344 さん、中立性を欠くという「意見」は何度も書かれているので分かっています。 しかし、私はどこが中立性を欠き、どう直せば中立になるのかがわかりません。 冒頭の第1段落の最初にある「かけ算の順序問題」の後に出典を追加すればよいでしょうか。 もしそれでも中立性を欠いているのであれば、私にはどう対処したら良いのかわからないので、文章の提案をお願いします。
(4) Sparrowhawk4344 さん、その発言は前に書かれた発言のままです。 私の発言を踏まえて発言するようお願いします。
(5) Sparrowhawk4344 さん、「たびたび取り上げられ」が、あなたのいう事実「ある期間とりあげられておらず,最近になってとりあげられ」に変わると、少し言葉の濁しが薄くなりましたが、あえてそこを長くしてまで明確にすることに意味があるとは思えません。 それに、「たびたび取り上げられ」を「継続してとりあげられている」と読めてしまうのは、あなたの意見なので、自分の意見に出典を求めていることになります。 大丈夫ですか。
--T's-Neko(会話) 2013年10月6日 (日) 10:51 (UTC)
- (1)(3)-2(3)-3 Wikipedia:独自研究には,「信頼できる媒体において未だ発表されたことがないもの」「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」を独自研究としているようです。ネットのブログ・SNS・掲示板等は「信頼できる媒体」とはいえないでしょう。書籍は「信頼できる媒体」かもしれません。けれど,「かけ算の順序問題」を「対立」ととらえるならば,『「対立」問題の一方の側によるもの』となるでしょう。この場合「中立的な観点」からの疑問が生じてきます。もし「対立」がないのであれば,なおのこと冒頭文は事実と異なるでしょうから,現状の記事はまさに独自研究となるでしょう。「独自研究は載せない」と「中立的な観点」は相互補完的なものであって個別に論じられるものではないでしょう。
- (4) わたしの発言は T's-Neko さんのご発言「『議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨され』るため、よいタイミングだったと思います。」を踏まえそれに同意できないという主旨のものです。実際,議論は落ち着いてなどいないでしょう。
- (5) 事実と異なることを記載することや,事実と異なる印象を与える記述には問題があるでしょう。なお議論なく行われている編集において「1989年、数学者の森毅は、『数の現象学』において」「1978年に出版された『数の現象学』において,数学者の森毅は」の方が正確かも知れません。経緯の説明に年号は大切でしょう。わたしと T's-Neko さんとで「たびたび取り上げられ」の印象が異なっているのは事実でしょう。読者に正確に伝わる表現に改めた方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 13:26 (UTC)
- (1)(3)-2(3)-3 個々に論じられてておきながら、個別に論じられるものではないでしょうとは、矛盾していますが、個々に論じられた方で回答します。対立ととらえるか、対立がないかのどちらか決めた方がいいですね。「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張の章に書籍が出典の文章があるので、一方的ではないと思います。 ですから対立ととらえていいんじゃないでしょうか。 だから独自研究ではないとなるのではないでしょうか。
- (4) 議論が落ち着いている「頃合い」だから、厳密さは問われていません。 それに厳密にすると、Help:過去ログの目的である「大きくて重いページは不都合」を解決しないことになってしまいます。 手段と目的が逆になってしまいます。
- (5) 正確に伝わることを冒頭で達成させることは不可能だと思います。 何も冒頭だけで達成させる必要はありません。 参考文献を参照すれば達成できます。 たびたびの頻度は辞書的な意味においては決まっていません。あえて言葉を濁すことで正確な頻度の記述を探すきっかけになると思います。
- --T's-Neko(会話) 2013年10月6日 (日) 15:55 (UTC)
- (1)(3)-2(3)-3 「独自研究から中立性の問題に指摘が変わっている」というご指摘に対して,この記事における問題点と「独自研究を載せない」「中立的な観点」という編集方針との関連について触れました。「対立」であれば名称他の出典の明示,とくにその出典の著者の立場について明記すべきでしょう。また「対立」であるなら,「過去ログ化」について慎重である必要があったでしょう。編集方針と利便性のどちらをとるかは議論がわかれるかもしれません。議論なしに「過去ログ化」はなされました。
- 「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張の章に書籍が出典の文章があるとしても,そこでの記述が「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」に相当するものなら「独自研究」でしょう。とりあえず気になった具体的な箇所には「要出典」タグをつけてあります。
- そして,その章でとりあげられた出典の著者たちがもし「「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張」をしている意図がないなら,その章自体が「独自研究」でしょう。冒頭文から「正しい順序」という表現が消えたいきさつについては過去ログ 1 を参照してください。「かけ算の正しい順序」という表現が出典にあるのでしょうか。「独自研究を載せない」という方針にしたがうなら,ない文献についてはその章からのぞかれなければならないでしょう。ごく普通の言葉を普通に組み合わせた「かけ算の正しい順序」という言葉には意味がないでしょうから。
- 現状の記事の「中立性の観点」にかかわる問題点と「独自研究を載せない」にかかわる問題点は密接にかかわっているでしょう。わたしはその両方を指摘しています。
- (4) 厳密もなにも議論は進行中でしょう。記事が「対立」についての論争的な話題をあつかっているのであるならなおさら慎重である必要があったでしょう。上述したように議論がなかったことに問題を感じています。同時に,もし論争のない話題であるなら,現状の記事は「独自研究」にあたると思います。
- (5) 現状で問題が明らかになっているのですから,改善する方がいいでしょう。「対立」を扱っている以上,一方の側に偏った解釈がなされているなら「中立性の観点」から問題となるでしょう。年号についても議論もなく編集されたようです。1977 年に『科学朝日』に連載した内容がその後何度か出版されたのが「かけ算の順序問題」について著者が繰り返し言及しようという意図があったかどうかはわかりません。そのような意図があったのでないなら,初出の紹介で十分でしょう。わからないならことさらに出版経緯について触れなければよいでしょう。遠山の文献も「6×4,4×6 論争にひそむ意味」『科学朝日』1972 年 5 月号とした方がいいはずなのにそのままです。これらは一例にすぎません。「対立」にかかわる論争のある話題であるならば編集は慎重であるべきと思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月7日 (月) 11:39 (UTC)
(3)「最近のネットでの騒動」はそもそも記述の対象ではありません。ごく普通の言葉を普通に組み合わせた「かけ算の順序問題」という言葉の初出を主張するのは、それ以前の用例がないことを示すという悪魔の証明を要求するほぼ不可能な主張であり、信頼性のある主張になりえません。
- もしそこをあいまいにするなら,記事「かけ算の順序問題」は「対立」の一方の側の主張をあいまいなまま掲載する場になりうると感じます。
論理的つながりが全くありません。
(4) 論争のない話題では、ノートが長くならないので、「過去ログ化」は不要です。過去ログ化は論争があってノートが長くなる話題のためにこそあります。過去ログの存在は目立つところにありますから、実態と違った印象を持つかもしれないというのは無用の心配です。--T6n8(会話) 2013年10月6日 (日) 11:18 (UTC)
- (3) 「ごく普通の言葉を普通に組み合わせた「かけ算の順序問題」という言葉」であいまいに表現されたものがなにをさすのかを明確にしていないなら現状の記事は独自研究の域をでないでしょう。Wikipedia の記事は信頼できる情報源によってあいまいさなく確定できる内容についてのものである必要があると思います。初出でないにせよ出典としてあげられるものがないなら,独自研究でしょう。もしあるならそれを明示すべきでしょう。もし「対立」として記述するのであれば,その出典の著者の立場を明確にしないと,中立性の観点からの問題が残るでしょう。
- (4) もし「かけ算の順序問題」が対立・論争のない話題であれば,現状の記述は事実と異なっているでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月6日 (日) 13:26 (UTC)
「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」の章、D(2 ) 乗法の式
次のように修正したいと思います。
- ということが書かれている(1)[1]。このように例示として片方の順序を示している(2)
[要出典]ところはあっても、他方の順序を誤りとしたり、特定の順序で式を書くことを要請する文は存在しない。(3)よって、同じ 3×4の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」と「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」のどちらの場面を読み取ったとしても正しい。
- ということが書かれている(1)[1]。このように例示として片方の順序を示している(2)
- [1] 文部科学省|2008|p=99
(1) 出典を追加
(2) (1)より削除
(3) 追加。かけ算に特定の順序がないことの具体例を示した。一般的に算数の答えは1つと考える人が多いが、学習指導要領解説の記述に従えば、そうではないため、特筆すべき
--T's-Neko(会話) 2013年10月6日 (日) 15:57 (UTC)
- (2) これを含む文全体を抜本的に見直すべきように思います。学習指導要領は「教育課程(各学年で何を学習するか)の基準」であり、その解説を含めても、何が正解で何が誤りかを規定することを意図した文書ではありません。「特定の順序で式を書くこと」に関して、『小学校学習指導要領解説算数編』の第3章、第3~5学年には、次のような記載があり、これらを逆順にしたり、どちらでもいいと解釈したりするのは、無理があります。
- 「包含除は3×□=12の□を求める場合であり,等分除は,□×3=12の□を求める場合である。」(p. 110)
- 「乗数や除数が整数の場合の小数の乗法,除法」(p. 142)
- 「例えば,0.1×3ならば,0.1+0.1+0.1の意味である。」(同上)
- 「小数の乗法の意味」(p. 166)
- 「「1メートルの長さが80円の布を2.5メートル買ったときの代金が何円になるか」という場合,布の長さが2.5倍になっているので,代金も2.5倍になるということから,80×2.5 という式で表せる。」(同上)
- (3) これは独自見解ではないでしょうか。そのように指導している教科書などの例をお願いします。なければ撤回すべきです。私が知っている教科書の例は、「大日本図書 教科書 平成23年度版 たのしい算数 2年下」p. 45で、[1]には2×6と6×2の式を先に示し、2つの文章題をどちらの式で求めればいいかという出題があります(東京書籍の教科書にも類例あり[2])。どちらでもいいとしている可能性は低いです。--T.m.930(会話) 2013年10月7日 (月) 12:54 (UTC)
- (2)「例示として片方の順序を示している」とはどういう意味でしょうか。「例は1あたり×いくら分 の順序でかかれている」ということでしょうか。そうであれば,そのように記述した方がよいでしょう。「片方の順序」では意味がわかりません。もしそのような表現をしている文献があるならそれをあげてください。
- (3) 「特定の順序」というのはなにをさすのでしょう。また,「よって、同じ 3×4の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」と「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」のどちらの場面を読み取ったとしても正しい」という判断は学習指導要領・学習指導要領解説の記述にあるのでしょうか。(この章の名称である)学習指導要領・学習指導要領解説の記述にはない「国が定めるものではない」という中日新聞に掲載された文部科学省初等中等教育局教育課程課の回答にも「正しい」などという判断はないでしょう。学習指導要領・学習指導要領解説の記述にもなく,文科省の判断でもないなら誰の判断でしょうか。執筆者がそう思ったとか「そうとしか読めない」「常識だ」ではなく,「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」ではないことがはっきりわかるように出典をあげてください。論争のある話題であるなら,編集は慎重であるべきと感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月7日 (月) 13:07 (UTC)
- 「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」のどちらの場面を読み取った場合については規定されていない
としかいいようがないですね。同様に、
- 「80×2.5 という式で表せる。」
ということは、「2.5×80 という式で表せる。」かどうかについては言及していないわけです。なお、文の構成上、ここでは、教科書について例を挙げる意味はありません。
「例示として片方の順序を示す」は両方の順序(ここでは3×4と4×3)を示してはいないということを言っているだけで明確です。
書いていないことを書いていないと書く意味があるのかという点ですが、高橋p2
- 文科省は「かけ算の式の正しい順序を指導せよ」とは公式文書では明示していません。
に対応して書いていないということを書くべき理由があるというものです。--T6n8(会話) 2013年10月7日 (月) 17:01 (UTC)
- 「「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」のどちらの場面を読み取った場合については規定されていない」とはどういう意味でしょうか。
- 「両方の順序(ここでは3×4と4×3)を示してはいない」とありますが,「3×4」「4×3」は式でしょう。「両方の順序」というのはどういう意味でしょうか。「1あたり×いくら分 の順序」でかかれた式のみが示されているということでしょうか。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月7日 (月) 21:48 (UTC)
- Sparrowhawk4344さんが2013年10月7日(月)13:07(UTC)に書かれたのと同趣旨ですが、「かけ算の式の正しい順序」というのは、その著者独自の考え方または用語ではないでしょうか。公式文書では明示していない理由を探るよりも、その考え方または用語の妥当性・普遍性を、他の文献などと照合しながら確認することを、「中立的な観点」「検証可能性」に鑑み、優先すべきように思います。
- 「式を読み取る指導」について、学習指導要領解説の記述を
- 3×4の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」というような問題をつくることができるよう指導する
と解釈することには、誰も異論を唱えないと思います。そして
- 3×4の式から,「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」というような問題をつくる子どもへの指導については規定されていない
については、確かにそうだけれどそれを書くべきかというと注意が必要に思えます。それらと比較して
- 同じ 3×4の式から,「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」と「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」のどちらの場面を読み取ったとしても正しい
では、「正しい」の判定をどのように行うかが欠落しているという点で、大きなギャップがあり、これを本文に置くことには賛同できません。(学習指導要領解説の第2学年で「正」を検索すると,「測定が正しくできるようにする」「正方形」としてのみ出現し、A数と計算・D数量関係の中には見当たりません。)--T.m.930(会話) 2013年10月7日 (月) 21:59 (UTC)
「・・・読み取ったとしても正しい」の部分が中立性を欠き読者に誤解を招くなら、「・・・読み取ったなら誤りとは言えない」で良いでしょう。 ちなみにウィキペディアでは、出典の内容を良く咀嚼して分かりやすく自分の言葉で説明することを要求していますので、出典中に使われない表現だからと言って、すべてが要出典や独自研究とはならないことも留意してくださいね。--Gyulfox(会話) 2013年10月8日 (火) 01:43 (UTC)
- 「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」の章では学習指導要領・学習指導要領解説の記述について記述すればよいでしょう。「正しい」「誤りとはいえない」などなんらかの主張・判断を引き出す必要はないと思います。記事「かけ算の順序問題」は「かけ算の順序問題」という「対立」問題で話題になっている内容について議論をする場ではないでしょう。とくに論争のある話題であれば客観的な記述が望まれると思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月8日 (火) 09:19 (UTC)
- 「読み取ったなら誤りとは言えない」にも反対です。学習指導要領とその解説は、何が「誤り」かを示している文書ではないからです。それと、小学校学習指導要領解説算数編では「式を読み取る」と「言葉や図や具体物を用いて表す」とを区別しています(p. 76)ので、「読み取ったとしても正しい」にせよ「読み取ったなら誤りとは言えない」にせよ、子どもの頭の中を先生がのぞき込み正誤判定しているようで、不自然です。--T.m.930(会話) 2013年10月12日 (土) 00:10 (UTC)
「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」はいいとして、「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」という問題をつくった場合、どのように指導するかは書いていないので、採点方針はどちらでもよいということですね。そう読めなかったのですいません。 それを踏まえて、 2013年10月12日 (土) 00:10 (UTC)「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」の改訂案を考えることにします。 本章はクローズします。
--T's-Neko(会話) 2013年10月12日 (土) 16:09 (UTC)
- 「採点方針はどちらでもよい」と「採点方針について言及した文書ではない」は区別した方がよいと思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月12日 (土) 16:18 (UTC)
- 後者ですね。--T's-Neko(会話) 2013年10月12日 (土) 16:28 (UTC)
サンドイッチの法則
本文中の
「サンドイッチの法則」という特殊な規約を遵守するように指示する[要出典]。
「100円のノートを8冊」の場合だと、単位(助数詞)に注目して 円 × 冊 = 円 のようにサンドイッチの形にするのが正しく、100 × 8 = 800 が正解とされる[要出典]。このような立式のしかたをサンドイッチの法則とよぶ。
について、Webの情報や書籍を探してみました。
- サンドイッチの指導例は[3]、その批判は[4]にあります。
- 小学校学習指導要領算数科編(試案)昭和26年(1951)改訂版には、「3人のこどもに,えんぴつを2本ずつあげようと思います。えんぴつがなん本いるでしょう。どんな九々をつかえばわかりますか。」[5]という問題で3×2=6と答えたこどもに対し、「3は人数を表わしている数である。それを2倍した答の6は何といったらよいか尋ねてみる。それで,6人となって問題の要求に合わないことを説明する。」として、サンドイッチの考え方を使って、間違いであることを示しています。
- 塚本明毅『筆算訓蒙』[6]では,最初に乗法の定義をする際に,「その得数は,必ず実数と類を同じくして即ち其の同名数なり」と述べています.ここで「得数」とは今でいう積に、「原数」はかけられる数に当たります。かける数は「法」で、「法数は姑く(しばらく)これを不名数と見て可なり(其の理は比例式に於いて詳らかにすべし)」と記されています。これらは次の文献のp. 14によります.
- 須田勝彦「[7] 明治初期算術教科書の自然数指導 : 塚本明毅「筆算訓蒙」を中心にして]」『教授学の探究』、北海道大学教育学部教育方法学研究室、1988年3月5日、1-19頁。
- 明治から戦前までの小学算術書(教科書、解説書、問題集)には、被乗数が名数で乗数が無名数、そして積の単位は被乗数と同じという式が見られます。乗数が名数になるかけ算は見当たりません。なお、わり算については、ともに無名数、被除数のみ名数、ともに名数の3種類があります。
- 以下の文献では、15セントのケーキ4個の値段を題材に,a×b=xというかけ算の式を分析しています.その解釈の一つとして、「×b」がスカラー演算子となり、「4個のケーキ」は「4倍」になることを指摘しています。このときaは15セント、xは60セントとなるので、ここにもサンドイッチの関係が見られます。
- Vergnaud, G. (1983). "Multiplicative Structures". In Lesh, R. and Landau, M. (Eds.), Acquisition of mathematics concepts and processes, Academic Press, pp. 127-174. ISBN 0-12-444220-X
- 以下の問題集のp. 12では、「重さ0.4kgの本が6さつあります。重さは全部で何kgになりますか」という問題に対して書いた式、0.4×6=2.4の意味について、「0.4(kg)×6(さつ)」ではなく「0.4kgの6倍」とし、「0.4kgの6倍だから,答えの単位もkgなんだね。」のセリフを添えています。
- 田中博史『筑波大学附属小学校田中先生の算数 4マス関係表で解く文章題』学研教育出版、2011年。ISBN 978-4-05-303559-2。
以上、「サンドイッチの法則」という言葉こそ出現しませんが、その根拠については、歴史的にも国際的にも、理論面でも実践面でも、十分にあると思われます。また『筆算訓蒙』やVergnaudの文献から、サンドイッチはかけ算の式の表し方の一つであってすべてではないことが読み取れます。
上記の各文献や記載内容を、そのまま本文に置くよう要望するわけにもいきません(「サンドイッチ_(算数)」を新たに作成し、「かけ算の順序問題」と相互リンクすべきなのかもしれません)が、各文献にアクセスの上で、一つでもかまいませんので本文に取り入れ、要出典の解消に役立ててくださいましたら幸いです。--T.m.930(会話) 2013年10月10日 (木) 12:50 (UTC)
「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」の改訂案
「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」を以下のとおり変更することを提案します.
学習指導要領では、一貫して、乗法の記号「×」の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている。小学校学習指導要領解説算数編[1]には、次のような記述がある.
第2学年では、「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えること」を活用して、4×9=36から、4×10=40(36より4だけ増える)などを求める。数学的には「被乗数が1増えれば積は乗数分だけ増えること」も言えるが、4×9=36から5×9=45を求めるといった事例は書かれていない。第2学年ではこのほか、「乗法の式から場面や問題をつくるような活動」において、3×4の式に対し、「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」という問題を例示している。
第3学年では、「2位数や3位数に1位数や2位数をかける乗法の計算」を行う。23×45だと45が乗数であり、これを45=40+5とみて、23×40と23×5に分けて計算する。また「乗数又は被乗数が0の場合の計算」も学習する。的当てゲームで、0点のところに3回入るのとき、0×3と表し、3点のところに一つも入らなければ、3×0と表す。それぞれの計算の方法も異なる。0×3=0+0+0=0なのに対して、3×0については、3×3=9、3×2=6、3×1=3、3×0=3としている。この学年でわり算を学習するが、かけ算と関連させた式は、包含除は3×□=12、等分除は□×3=12として区別している。
高学年では、小数や分数の乗除算を学習する。かけ算に限ると、第4学年では、「乗数が整数である場合の小数の乗法」を学習する。0.1×3ならば、0.1+0.1+0.1の意味となる。第5学年では「小数の乗法の意味」を扱う。「1mの長さが80円の布を2.5m買ったときの代金が何円になるか」という場合、80×2.5で表される。分数についても、「乗数が整数である場合の分数の乗法」は第5学年、「乗数が分数の場合の乗法」は第6学年で学習する。
言葉の式についても一貫している。棒の重さを求めるかけ算の式として「1mの重さ×棒の長さ=棒の重さ」が例示されている。また料金については「(単価)×(個数)=(代金)」とある。中学校学習指導要領解説数学編では、いくつかの言葉の式と並んで「(値段)=(単価)×(個数)」が記されている。
とはいえ、ある場面に対するかけ算の式は、常に一つというわけではない。第2学年では、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動により、2行6列に並べたおはじきに「2×6または6×2」を添えている。これは「一つの数をほかの数の積としてみる」ことを意図したものである。第4学年の長方形の面積の公式では、「(長方形の面積)=(縦)×(横)(もしくは(横)×(縦))」とある。
文部科学省初等中等教育局教育課程課は中日新聞の取材に答えて「かけ算の意味を理解させるよう定めているが、順序については国が定めるものではない」と述べるとともに、指導要領解説の「10×4は、10が四つあることから、40になる」を根拠に「順序に意味がある」とする東京書籍による解釈については「深く考えすぎだと思う」と否定している[2]。
例示として片方の順序を示しているところはあっても、他方の順序を誤りとしたり、特定の順序で式を書くことを要請する文は存在しない。学習指導要領は「教育課程の標準」「各教科で教える内容」を定めたものであり、これに基づき教材や授業、テストとして具体化されていく中で、特定の順序が形成されている。
- [1] 文部科学省|2008
- [2] 栗山真寛|2012
補足です.
- 高学年の話(小数×整数は4年、整数or小数×小数は5年など)は、かけ算の順序問題として見ると重要視されていませんが、かけ算の式の一貫性(特定の順序、もしくは、意味の拡張)という面で無視できないと考えています。また教科書・教科書指導書の記述では、2年のすぐ次に6年(文字の式)を取り上げていますが、そのギャップを埋めるという意図もあります。
- 『小学校学習指導要領解説算数編』に載っているすべてのかけ算の式を挙げる必要はないとも考えています。直方体の体積(pp. 177, 199)、円周の長さ(p. 197)、円の面積(p. 198)、比例(p. 207)が該当します。
- 言葉の式に関連して、参考文献に『小学校学習指導要領解説算数編』算数(1)と『中学校学習指導要領解説数学編』を加える必要があります。--T.m.930(会話) 2013年10月12日 (土) 00:10 (UTC)
なかなか書くのは大変なところ文案をお示しいただきありがとうございます。
3学年、高学年は、列挙が長すぎる印象を受けます。思い切って切ったほうがよさそうです。
最後の二段落は順序が逆のほうが流れがよくなるように思います。そして、「例示として」の前に、「上述のように、」あるいは「このように、」とつなぐことができます。
おはじきを並べているところの引用は維持したほうがいいと思います。(図で示さないで2行6列ではわかりにくいので)
「とはいえ、」-> 一方、
- 「各教科で教える内容」を定めたものであり、これに基づき教材や授業、テストとして具体化されていく中で、特定の順序が形成されている。
についてもT.m.930さんなら出典が用意できることと思います。 --T6n8(会話) 2013年10月12日 (土) 05:08 (UTC)
「観点20121028」でも触れましたが,「指導要領解説の「10×4は、10が四つあることから、40になる」を根拠に「順序に意味がある」とする東京書籍による解釈」の出典が必要と感じます。同記事(栗山真寛|2012)の「東京書籍の編集局は「掛け算の意味を理解させることに尽きる」と説明する」の部分を読むと「順序に意味がある」と解釈しているというより「掛け算の意味を理解させること」を目的とした記述である,と言っているように感じます。「順序に意味がある」と東京書籍が主張しているとする信頼できる情報源がないなら,この部分はのぞいた方がよいかと感じます。教科書検定で合格した教科書に「考えすぎ」た記述があるということがあるでしょうか。どうしても残すのであれば,
- 文部科学省初等中等教育局教育課程課は中日新聞の取材に答えて「かけ算の意味を理解させるよう定めているが、順序については国が定めるものではない」と述べるとともに、指導要領解説の「10×4は、10が四つあることから、40になる」を根拠に「順序に意味がある」とする解釈については「深く考えすぎだと思う」と否定している[2]。
で十分と感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月12日 (土) 08:56 (UTC)
(1) 順序が一貫していることについては、インデントを付けた方が読みやすくなると思います。 あと、第2学年から言葉の式まで、すべて引用するとくどくなるので、いくつかは章番号かページ番号だけにとどめた方が読みやすくなると思います。
(2) 「とはいえ、ある場面に…」の段落で引用されているものは、森毅さん(1989)の本p72を要約すると、みかんの問題に、「タテとヨコとの対等性」を持ち込むと「とらえにくい」と書いてあるため、「ただし、これらは数学的には、「倍」のかけ算であるみかんの問題とは別の、タテとヨコが対等である「積」のかけ算である。」という但し書きか注釈の追加が必要だと思います。
(3) 多くの人は他方の順序について正解か不正解かに注目して読むでしょうから、「他方の順序を誤りとしたり、特定の順序で式を書くことを要請する文は存在しない。」だけでは、じゃぁ他方の順序でも正しいのだから不正解にすべきではいと学習指導要領は言っている、と勝手に推測してしまうため以下のようにするとよいと思います。
- 学習指導要領は「教育課程の標準」「各教科で教える内容」を定めたものであり、例示として片方の順序を示しているところはあっても、その片方の順序でのみ式を書くことを要請する文は存在せず、他方の順序を不正解とすることもない。学習指導要領に基づき教材や授業、テストとして具体化されていく中で、特定の順序が形成されていく。そのとき、他方の順序の解答について正解とするか不正解とするかは様々である。
--T's-Neko(会話) 2013年10月12日 (土) 16:16 (UTC)
- 「他方の順序を不正解とすることもない」ともいってないのですからあえて触れる必要はないと感じます。そもそも「他方の順序」という言葉の意味がよくわかりません。「いくら分×1あたり の順序」のことをいっているのでしょうか。「1あたり×いくら分 の順序でかく」などを定める性格の文書でないなら,「他方の順序」などといった「かけ算の順序」(これの意味も不明確ですが)にこだわった一般的ではない表現は避けた方がよいと感じます。そもそも「かけ算の順序」とは無関係な文書である「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」について本記事で触れる必要があるのでしょうか。「対立」の一方の側の人たちが,「かけ算の順序」とは無関係な文書の断片を切り取って「これも他方の順序を不正解としていない」と主張をすることがあるかもしれません。現状の記事は「正しい順序」「順序指導」といった「対立」の一方の側がよく用いるらしいあまり一般的でない,また学術用語でもない言葉が全体にちりばめられ,種々雑多な内容で記事が肥大化しているような印象を受けます。信頼できる情報源が示されていない部分は除去し,扱う題材を主題にかかわるものに精選したうえで,客観的な表現に改める方がよいと思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月12日 (土) 16:47 (UTC)
T6n8さんはじめ、ご意見ありがとうございます。T's-Nekoさんのナンバリングに後付けして、今後の方針などを書いていきます。改訂案2はもう少しお待ちください。
(4) いただいた意見をもとに、次のように変更したいと思います。
- 第3学年と高学年は1段落にし、乗数又は被乗数が0の場合の計算と、分数のかけ算を取り除きます。配置は、2位数×2位数、小数×整数、整数×小数、包含除・等分除、の順にします。
- おはじきについては、おはじきの配置と「2×6または6×2」を引用(箱囲み)にして載せ、それに合うよう説明文を変更します。
- 最後の二段落は反対にし、「文部科学省」から始まる段落についてはSparrowhawk4344さんの案に置き換えます。
- 「例示として」から始まる段落は、T's-Nekoさんの案に置き換え、最後の文に以下の書籍を出典として付けます。この書籍を選んだ理由は別項にします。
- 守屋誠司『小学校指導法 算数』玉川大学出版部、2011年。ISBN 978-4-472-40422-1。
(5) 守屋(2011)は、「教材や授業として具体化されていく」と「他方の順序の解答について正解とするか不正解とするかは様々である」の両方について書かれている書籍です。前者は、第11章(授業づくりと指導の方法)が密接に関係します。「学習指導要領も教材研究の対象となる教材である」(p. 211)とあるほか、その章の中で2年のかけ算の導入の解説と、3年の2位数×1位数に関する学習指導案が記載されています。後者(正解・不正解)については、pp. 91-92(第5章:数と計算1)で言及があります。
ただしこの本は、「テストは学習指導要領に基づいて作られているのか?」への答えを与えていません。それについては、東京都算数教育研究会の学力実態調査[11]が最も良さそうです。問題作成の考慮の最初に「学習指導要領に基づいて」と書かれています。また出題においては、第2学年と第6学年で、順序を逆にしたかけ算の式を不正解としています。なお個人的には、このPDF文書の本文引用は不要と考えています。
(6) (2)については注釈の追加をせず,学習指導要領解説に書かれていることを示すのみにしたいと考えます.学習指導要領解説やいくつか書籍によると、アレイ図は,自然数の乗法を学習するための視覚的なツール(手段)であるのと,アレイ図も「1つ分の数×いくつ分」でかけ算の式に表すことのできる教材(問題解決の対象)であるという2面性があります。別の言い方をすると、「倍」と「積」の区別は(森の他にも分類が試みられており)確かに重要だけれど、そこまで書いたら、記事としてバランスを悪くしてしまうと思われます。
(7) (3)とそれに対するSparrowhawk4344さんの意見ですが、「順序」の曖昧さによるものと想像します。というのも、「学習指導要領および指導要領解説では(かけ算の)順序は規定されていない」(本文前書きより改変)からは、次の2つの解釈ができます。
- A:学習指導要領および指導要領解説では、かけ算の式に表す際に、6×4としなければならないか、4×6としなければならないか、6×4と4×6のどちらでもいいかは、規定されていない。
- B:学習指導要領および指導要領解説では、「(かけ算の)順序」という概念・用語について規定されていない。
例えば高橋誠 『かけ算には順序があるのか』はAの立場です。ノートを読んでいる限り、Sparrowhawk4344さんはBの立場と見受けます。
記事の趣旨からいくと、Aの考え方が不可欠ですが、それ(規定されていないこと)を明記した文献はなさそうですし、これを前面に押し出すのでは、「かけ算の順序を論ずる人々は算数教育のことが分かっていない」となりかねませんので、Bにも配慮し、中立的・客観的な記述に持っていくことができればと考えます。--T.m.930(会話) 2013年10月12日 (土) 22:09 (UTC)
- >T.m.930さん 議論をすすめて下さりありがとうございます。
- (7)「A:学習指導要領および指導要領解説では、かけ算の式に表す際に、6×4としなければならないか、4×6としなければならないか、6×4と4×6のどちらでもいいかは、規定されていない。」についてですが,冒頭文の例の解答として,「3×8」「8×3」などでもいいかどうかについてすら規定されていないこともお考えいただけるとより問題点がはっきりするのではないかと思います。記事「かけ算の順序問題」全体で,
- (A1)「かけ算は1あたりのいくら分の計算である(遠山)とし,1あたり×いくら分 の順序でかく」などとして指導すること自体が問題になっている。
- (A2)「1 人あたり 4 個の 6 人分」を正解としながら,「1 回あたり (1 人 あたり 1 個の 6 人分) の (1 個あたり 1 回の 4 個分)」などを不正解にすることが問題となっている。
- (A3)計算結果が「こたえ」に一致する式を不正解とすることが問題になっている。
- のいずれなのか,それともこれ以外なのかがあいまいであると感じています。そうしたことは最近のネットでの騒動としての「かけ算の順序問題」における「対立」の一方の側の言説によく見られる傾向のようです。「対立」にかかわる主題であるようですから,「中立性の観点」にそった,客観的な記述がとくに大切と思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月12日 (土) 23:32 (UTC)
- すみませんが(A1)に関して出典はありますか。それと、遠山による『科学朝日』1972年5月号の記事は、「かけ算は1あたりのいくら分の計算である」という提案より前に(「1あたり×いくら分」を陽に使用せずに)6×4と4×6のどちらでもいいと記しているのですが、そのあたりの整合性はどのように考えればいいのでしょうか。
- (A2)に関しても出典はありますか。“「1 人あたり 4 個の 6 人分」を正解としながら,「1 回あたり (1 人 あたり 1 個の 6 人分) の (1 個あたり 1 回の 4 個分)」などを不正解にする”事例です。個人的には、“1 回あたり (1 人 あたり 1 個の 6 人分) の (1 個あたり 1 回の 4 個分)”と考えたり、言葉で表したりするような子どもの実例を(実生活でも、書籍・論文でも)見たことがないのですが。--T.m.930(会話) 2013年10月13日 (日) 20:19 (UTC)
- (A1) の前半については,「乗法そのものの意味を「1 あたりからいくら分を求める計算である」と変えておかねばならない。」(遠山啓「量としての面積・体積」『数学セミナー』1974年10月号,遠山啓『量とはなにか I』太郎次郎社〈遠山啓著作集数学教育論シリーズ〉所収(p.102))です。遠山「6×4,4×6 論争にひそむ意味」(『科学朝日』1972年5月号)にも「かけ算は"1あたり"から"いくつ分"を求める計算と定義するのである」とあります。当該記事は「数え主義」(6×4=6+6+6+6,4×6=4+4+4+4+4+4 といった"かけ算とはたし算のくりかえしだ"という考え)批判を展開するための題材として「6×4,4×6 論争」に触れていると読むのが自然でしょう。そこにおいて,遠山は「1あたり×いくら分 の順序」をもちいて論を展開しています。もちろん「1あたり×いくら分 の順序」は明示されているわけではないし,まして「1あたり×いくら分 の順序」でなければならないと遠山がいっているわけではありません。「いくら分×1あたり の順序」でも遠山は同様の主旨を表現できたでしょう。でも「1あたり×いくら分 の順序」「いくら分×1あたり の順序」の両方をごっちゃに用いたら混乱した表現になったでしょう。
- (A2) については,遠山「6×4,4×6 論争にひそむ意味」(『科学朝日』1972年5月号,遠山啓『量とはなにか I』太郎次郎社〈遠山啓著作集数学教育論シリーズ〉所収(p.116))の「1 回分が 6 こ,それを 4 回くばる」を問題文の「6 人」「4 こ」から出発し「1あたりのいくら分」で表現しなおしたものです。記事の主旨と大きく変わらないと思いますがいかがでしょうか。
- (A1),(A2)(ないし (A3))の区別をあいまいにすると,「6×4と4×6のどちらでもいいと記している」という表現の意味があいまいになってしまうと感じてしまうのです。そういったあいまいさによる混乱は最近のネットにおける騒動としての「かけ算の順序問題」ではよくみられるように思います。とくに「対立」の一方の側はそのあいまいさを(無自覚にせよ)利用しているかのような印象すら感じています。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月14日 (月) 00:35 (UTC)
(8) 改訂案2です.
学習指導要領では、乗法の記号「×」は乗法の意味などとともに第2学年で学習することとなっている。
小学校学習指導要領解説算数編[1]では一貫して、× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている。いくつか例を示す。
第2学年では、「乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増えること」を活用して、4 × 9 = 36から、4 × 10 = 40(36より4だけ増える)などを求める。数学的には「被乗数が1増えれば積は乗数分だけ増えること」も言えるが、4 × 9 = 36から5 × 9 = 45を求めるといった事例は書かれていない。第2学年ではこのほか、乗法の式から場面や問題をつくる活動において、3 × 4の式に対し、「プリンが3個ずつ入ったパックが4パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」という問題を例示している。「プリンが4個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つありますか。」というような問題をつくる子どもへの指導については、規定されていない。
第3学年では、筆算において被乗数と乗数が区別される。23 × 45だと45が乗数であり、これを45 = 40 + 5とみて、23 × 40と23 × 5に分けて計算する。また高学年では小数の乗法を学習するが、第4学年では乗数が整数である場合に限られる。0.1 × 3ならば、0.1 + 0.1 + 0.1の意味である。第5学年では乗数が小数となる乗法を学習し、「1mの長さが80円の布を2.5m買ったときの代金」は、80 × 2.5で表される。除法を学習するのは第3学年であるが、乗法と関連させた式は、包含除は3 × □ = 12、等分除は□ × 3 = 12として区別される。
言葉の式についても、「1mの重さ × 棒の長さ = 棒の重さ」「(単価)×(個数)=(代金)」と一貫している。なお中学校学習指導要領解説数学編[2]では、いくつかの言葉の式と並んで「(値段)=(単価)×(個数)」が記されている。
しかしながら、場面に対応するかけ算の式は、常に一つというわけではない。第2学年では、「12個のおはじきを工夫して並べる」という活動において、次のようにおはじきを並べ、複数の式を記載している。これは「一つの数をほかの数の積としてみる」ことを意図したものである。
●●●●●●
●●●●●●
2×6 または6×2
●●●●
●●●●
●●●●
3×4 または4×3
第4学年の長方形の面積の公式では、「(長方形の面積)=(縦)×(横)(もしくは(横)×(縦))」とある。
学習指導要領は「教育課程の標準」「各教科で教える内容」を定めたものであり、例示として片方の順序を示しているところはあっても、その片方の順序でのみ式を書くことを要請する文は存在せず、他方の順序を不正解とすることもない。学習指導要領に基づき教材や授業、テストとして具体化されていく中で、特定の順序が形成されていく。そのとき、他方の順序の解答について正解とするか不正解とするかは様々である[3]。
文部科学省初等中等教育局教育課程課は中日新聞の取材に答えて「かけ算の意味を理解させるよう定めているが、順序については国が定めるものではない」と述べるとともに、指導要領解説の「10 × 4は、10が四つあることから、40になる」を根拠に「順序に意味がある」とする解釈については「深く考えすぎだと思う」と否定している[4]。
- [1] 文部科学省『小学校学習指導要領解説 算数編』東洋館出版社、2008年。ISBN 978-4491023731。 PDF文書が以下より入手可能。“小学校学習指導要領解説:文部科学省”. 2013年10月14日閲覧。
- [2] 文部科学省『中学校学習指導要領解説 数学編』教育出版、2008年。ISBN 978-4316300139。 PDF文書が以下より入手可能。“中学校学習指導要領解説:文部科学省”. 2013年10月14日閲覧。
- [3] 守屋誠司『小学校指導法 算数』玉川大学出版部、2011年。ISBN 978-4-472-40422-1。
- [4] 栗山真寛|2012
(9) 改訂案2を作成するにあたり考慮した点は次のとおりです。
- (4)で書いた修正は一通り行いました。
- 出だしは、学習指導要領とその解説とで分けました。
- 第2学年に「プリンが4個ずつ…」を入れました。これは第2学年の事項はより丁寧に見ていこうという意図です。もしこの文をなくすのなら、バランス上、上の学年と言葉の式の記述も減らすべきように思います。
- おはじきの件の段落最初の接続詞は「しかしながら」にしました。
- 参考文献について、『小学校学習指導要領解説 算数編』と『中学校学習指導要領解説 数学編』については書籍とし、そのあとに、PDF文書へアクセスできるよう、文科省サイトへのリンクをつけました。--T.m.930(会話) 2013年10月13日 (日) 20:21 (UTC)
「特定の順序が形成されていく」というのがわかりにくいです。たぶん、特に「形成」がわかりにくいんだと思います。
- …一方の順序が選択される。そのとき、他方の順序の解答について正解とするか不正解とするかは様々である
ならわかりそうです(「特定」はかまわないけど他方と続くなら「一方」のほうが良いかと)。でも、意図されていることと違いそうな気もしますので、その場合はもっと丁寧に説明するようにしていただければと思います。--T6n8(会話) 2013年10月13日 (日) 23:05 (UTC)
- (9)-1 「学習指導要領・学習指導要領解説では「× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている」」という主張の例による論証
- (9)-2 「片方の順序を示しているところはあっても、その片方の順序でのみ式を書くことを要請する文は存在せず、他方の順序を不正解とすることもない。」(守屋誠司|2011)という主張の紹介
- (9)-3 中日新聞の記事(栗山真寛|2012)の紹介
- といった流れにするということでしょうか。(9)-1 の主張をこの記事でする意義はなんでしょうか。(9)-2 守屋誠司『小学校指導法 算数』(2011年玉川大学出版部)での「片方の順序」「他方の順序」の定義を引用した方がよいと思います。(9)-3 の「順序に意味がある」という表現は依然としてあいまいと感じます。(9)-2 の紹介で十分ではないかと感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月14日 (月) 01:30 (UTC)
(10) 「形成」を含む文とその次については、T6n8さんのご意見を取り入れ、以下の2文に変更することにしたいと思います。
学習指導要領・学習指導要領解説に基づき教材や授業、テストとして具体化されていく中で、特定の順序が選択される。そのとき、逆の順序に書かれた式を正解とするか不正解とするかは様々である[3]。
(11) 改訂案2の流れは、(a)学習指導要領解説に見られる、特定の順序の例、(b)学習指導要領解説に見られる、逆順も認めている例、(c)学習指導要領・同解説では順序を規定していないこと、(d)文部科学省のコメント、です。
- (9)-1もしくは(a)の意義は、学習指導要領解説のあちこちで特定の順序が例示されていることの明確化と考えています。
- (9)-2もしくは(c)については、関心のある人が(守屋誠司|2011)に当たるというので差しつかえないと考えます。第11章には「順序」の文字が見当たりませんが、p. 92では「必ずしも第2学年で学んだ順序で立式することを強制しなくてもよい。」で段落を終えています。また(守屋誠司|2011)の内容は、「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」のセクションにおいて、主要なものではありません。
- (9)-3もしくは(d)は、かけ算の順序問題#かけ算の順序問題の経緯に移動させるというのも一つの手ですが、自分なりに比較してみたところ、このセクションに置いたままのほうが、座りが良いです。
(12) そろそろ本文の編集を考えていきたいのですが,「保護依頼中」については保護依頼の「依頼者以外の最終コメントから1週間以上経過した場合」に該当するので、自動失効と判断してよろしいでしょうか。--T.m.930(会話) 2013年10月14日 (月) 19:43 (UTC)
(13) 『中学校学習指導要領解説 数学編』の出版社は教育出版です。改訂案2も、書き換えました。--T.m.930(会話) 2013年10月14日 (月) 20:27 (UTC)
- (11)(a) 「学習指導要領解説に見られる、特定の順序の例」とありますが,案を見るかぎり,「学習指導要領解説には特定の順序の例が見られる。」という主張の「考証」のように読めます。
- (11)(b) 「学習指導要領解説に見られる、逆順も認めている例」とありますが,「逆順も認めている」とする根拠はなんでしょうか。あげられている例はすべて「× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)の順序でかかれている」とみることもできるでしょう。
- (11)(c) 「片方の順序」「他方の順序」をはじめ「正しい順序」「逆順」などのあいまいな言葉は混乱をまねくと思います。最近のネットでの騒動としての「かけ算の順序問題」の「対立」の一方の側はそうしたあいまいな表現をよくするようです。
- (11)(a)-(d) 「実際学習指導要領解説には片方の順序の例が多く書かれているが,逆順のものもあり,順序を規定してはいない」という解釈を誘導してしまうようにも感じます。もしそうした解釈の出典があるなら,それを紹介すればよいのではないでしょうか。
- (12) 保護依頼とは無関係に議論にもとづいた編集をする必要を感じています。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月14日 (月) 22:39 (UTC)
保護依頼はルール上失効しているはずだし、最初から、方針に合わない無意味な依頼です。 なお、保護依頼の有効性とは無関係に妥当な編集は実行してかまいません。{{保護依頼}}タグに関しては、保護依頼のページのほうで管理者が失効処理をするのを待とうと思います。なお、冒頭{{未検証|date = 2013年10月}}{{独自研究|date = 2013年10月}}という誤ったタグが挿入されています。もし、これらの問題が記事全体にあるとお考えなら、Template:複数の問題 に更新願います。既に妥当性を欠くと考えるなら単に除去です。--T6n8(会話) 2013年10月14日 (月) 23:10 (UTC)
(14) 保護依頼と本文編集の件、アドバイスありがとうございました。それでは自分なりにOKと判断したときに本文編集を行います。
(15) 改訂案2の第2段落最初の文を、以下のとおり変更することにします(上の改訂案2は、書き換えていません)。
- 変更前:小学校学習指導要領解説算数編[1]では一貫して、× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている。
- 変更後:小学校学習指導要領解説算数編[1]では、× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式が多く見られる。
というのは、Sparrowhawk4344さんの(11)(b)を読んで気づいたのですが、長方形の面積の公式を「× の左側に(略)右側に(略)」で解釈するのが困難だからです。改訂案には書いていませんが、直方体の体積や円の面積なども該当します。
おはじきの例は「× の左側に(略)右側に(略)」とみることができますし、出典も出せます。そういった順序に由来することなく、「積集合の構造」(この言葉も出典あり)がかけ算の本質であると考える人あるいは指導方針を、学習指導要領・解説は排除しない、と考えることもできます。--T.m.930(会話) 2013年10月15日 (火) 12:24 (UTC)
- (14) 編集は「独自研究は載せない」「中立性の観点」にそった形でなされる必要があるでしょう。「対立」・論争のある話題であるなら,なおさらそうでしょう。
- (15) 引用文や出典にそえてなんらかの解釈の記述を加えるなら,その解釈を支持する信頼できる情報源を明示する必要があると思います。執筆者の「発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」は独自研究にあたるでしょう。「小学校学習指導要領解説算数編では、× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式が多く見られる」と判断したのは誰でしょうか。その判断は「考えすぎ」なのかもしれません。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月15日 (火) 14:51 (UTC)
(16) 本文の学習指導要領・学習指導要領解説の記述と参考文献を編集しました。文案作成に際しましてご議論、ご意見ありがとうございました。--T.m.930(会話) 2013年10月15日 (火) 20:36 (UTC)
(17) 本文で「多く見られる」のあとに「[要出典]」が付いたことと、上の「判断したのは誰でしょうか」に関してですが、受け身で書いたのは検証可能性を意図しています。実際、当該文献を取り寄せて読んでいけば(PDF文書を「×」や「乗数」で検索するのが効果的です)、「× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式」を知ることができますし、「× の右側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、左側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式」は見当たらず、× の左右を入れ替えた式が認められているのは本文で言及した2つのケース(おはじき、長方形の面積)だけであることが確認できます。念のため、該当箇所のページと行を記しておきます。
- 一つ分の数 × いくつ分: p.58 l.5; p.88 l.10; p.99 l.1; p.107 ll.22-24; p.110 ll.17-18,23; p.142 ll.9,15; p.159 l.17; p.166 l.16,19,23; p.169 ll.11,15-17; p.172 l.21; p.185 l.10; p.193 l.16; p.195 ll.3-4,8,15
- 被乗数 × 乗数(上を除く): p.88 ll.7-8; p.107 ll.7-8; p.108 l.12; p.108 l.28; p.107 ll.24-26; p.168 ll.9-10,14-15; p.194 ll.11,13
- 逆順あり: p.81 ll.16,21-22; p.147 ll.16,18
なお、上記以外にも「×」は出現していますが、それらは乗算記号(左右に数などがないもの)、図形(面積・体積など)、代数式に大別できます。
「多く見られる」は独自研究ではなく、算術・算数では古くからその式に基づいており、ノート:かけ算の順序問題#サンドイッチの法則で文献を示しています。加えて、学習指導要領を踏まえ、被乗数と乗数の区別により乗法の意味づけを行っているという文献もありますので、2つ挙げておきます。
- 中島健三「乗法の意味についての論争と問題点についての考察」『日本数学教育会誌』第50巻第6号、1968年6月1日、74-77頁。
- 布川和彦「かけ算の導入―数の多面的な見方、定義、英語との相違―」『日本数学教育学会誌』第92巻第11号、2010年11月1日、50-51頁。
--T.m.930(会話) 2013年10月18日 (金) 21:27 (UTC)
- (17)-1 当該文献を読んでもそれらの部分を「× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式」「一つ分の数 × いくつ分」「被乗数 × 乗数」「逆順あり」と判断したのは誰か,については検証できないでしょう。その判断は執筆者の「考えすぎ」かもしれません。「発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」の根拠を列挙しても独自研究であることにはかわりないでしょう。
- (17)-2 「算術・算数では古くからその式に基づいており」とありますが,面積の計算における「6cm × 4cm=24cm^2」などは「サンドイッチの法則」と呼ばれているものに合致するのでしょうか?
- (17)-3 「サンドイッチの法則」「× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式」「一つ分の数 × いくつ分」「被乗数 × 乗数」「逆順あり」などの出典をもとめています。あげられた参考文献にそのような用語の定義があるのでしょうか。もし信頼できる情報源にそうした定義があるなら記事「かけ算の順序問題」全体はそれにもとづいて書きかえる必要があると思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月18日 (金) 22:31 (UTC)
- 「× の左側に一つ分の数(かけられる数、被乗数)、右側にいくつ分にあたる数(かける数、乗数)を書いている式」に関しては、本文およびノートより、誰でも検証可能にしています。誰が判断したかは主要な問題ではありません(もしくは、それを問題視しているのはSparrowhawk4344さんのみのように見受けます)。
- 「サンドイッチの法則」と「6cm × 4cm=24cm^2」を結びつけて検討することの必要性がよく分かりません。どんな手法にも適用範囲があることに注意すると、サンドイッチの法則が適用範囲としているのは倍の乗法であり、面積計算の式は積の乗法に属しており異なります(「倍」「積」については、いくらか文献があります)。それと、算術・算数(教科書や解説)で「6cm × 4cm=24cm^2」と書かれたものを見たことがないのですが、合致するか否かを検討した上で、本文をどのように書き換えるといいか、見通しはあるのでしょうか。
- 異なる情報源そして価値観を持つ我々がすべきなのは、「出典をもとめています」と書いて放り投げるのではなく、より良い出典を持ち寄ってノートで議論し、精選された解説文および出典をページに反映させていくことだと思っているのですが、Sparrowhawk4344さんは別のスタンスでしょうか? あるいは、もしご同意いただけるのでしたら(後ろの「わたしは根拠をあげて疑問を提示しています」とも関連しますが)、より良い出典を根拠としてあげていただくわけには、いきませんでしょうか? --T.m.930(会話) 2013年10月19日 (土) 19:28 (UTC)
- 「誰でも検証可能」とありますが定義はあいまいなままでしょう。実際 (17) において該当箇所のページと行を記されてあげられている部分に「逆順」でかかれた例はないともいえるし,すべて「逆順」でかかれているともいえるでしょう(そうでなければ,「かけ算の順序問題」など生じるはずがないでしょう)。最近のネットでの騒動としての「かけ算の順序問題」の「対立」の一方の側は自分たちの主張を「誰でも検証可能」と言い張っているようです。もし「かけ算の順序問題」が「対立」であるなら,それは「誰でも検証可能」の「対立」といえるかもしれません。わたしは記事「かけ算の順序問題」が客観的に「かけ算の順序問題」を記述したものになることを望んでいます。
- 「サンドイッチの法則が適用範囲としているのは倍の乗法であり、面積計算の式は積の乗法に属しており異なります」とありますが,「倍の乗法」,「積の乗法」そして「サンドイッチの法則」の定義をあいまいにしたままでは,意味をもたないでしょう。そうした表現も「かけ算の順序問題」ではよくみられますし,現状の記事「かけ算の順序問題」の記述にもみられます。「それと、算術・算数(教科書や解説)で「6cm × 4cm=24cm^2」と書かれたものを見たことがない」とありますが,算術・算数(教科書や解説)で「倍の乗法」「積の乗法」「サンドイッチの法則」をみたことがあるのでしょうか。執筆者の「発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」を書籍として出版することは自由しょうけれど,Wikipedia の編集ですることではないでしょう。本文からは Wikipedia の編集方針にしたがったものだけを残せばよいと考えています。わたしはかつて(不満足ながらも)対案を提示ししばらくたった後それにしたがって編集をしました(過去ログ1 を参照してください)。それが一方的に差し戻された後議論がはじまりましたが,議論が継続中にもかかわらず本文の編集が繰り返し行われています。
- わたしは「より良い出典」をもとめつづけていますが一向にみつからないのです。「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。」(Wikipedia:検証可能性)もしないのなら,「かけ算の順序問題」を記事として Wikipedia に掲載することそのものが問われるでしょう。わたしは記事「かけ算の順序問題」が Wikipedia の編集方針にそったものとなるよう望んでいます。あいまいな定義のまま「誰でも検証可能」と言い張って「正しい順序」「逆順」などを判断することは執筆者が避けるべきことでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月19日 (土) 23:30 (UTC)
背景の章に関連した章の構成について
(2013年10月19日以降の発言を、この章に分けました)
Sparrowhawk4344さんの発言における、「定義を求めること」や「独自研究だと主張すること」は、出典元に書いてあることに相違がないかの検証が妥当であることに出典を求めるという Sparrowhawk4344 さんの独自解釈ですし、厳密に従うと著作権法違反になりますが、あえてそれに応えることができないか考えました。
ちゃぶ台をひっくり返すようで T.m.930 さんには申し訳ないのですが、1.1 学習指導要領・学習指導要領解説の記述、1.2 教科書・教科書指導書の記述は、引用であり、書くとすれば、参考文献(や脚注)の前あたりに書くものだと思います。 そもそも数学の証明ではないので、ボトムアップの論理展開に従って、章を構成する必要はありません。してもいいけど読みにくかったり、Wikipedia がしない方針にしている独自の論理展開をしていると読めてしまえば、しない方がよいでしょう。「各書の記述」の章を作り、引用だけを書いた章にするとよいでしょう。ただ、推進派の章と反対派の章に対応できるよう、「1つ分×いくつ分で書かれた記述」、「どちらの順序も明記された記述」に節を分けた方がよいと思います。 これを独自研究と思われる方もいるかもしれませんが、章・節を分けることは Wikipedia の(執筆者の)裁量です。 なぜなら、検証できるように、検証可能性を残しておくことを Wikipedia が求めていることから、検証される対象(章の構成)の裁量は Wikipedia の記事にあります。 学習指導要領解説と教科書で節を分けることは、しなくていいと思います。してもいいけど引用元を明示する以上に価値はないでしょう。 学習指導要領・学習指導要領解説と、教科書と教師の関係については、「各書の記述」の直前あたりに新しく章を作って書くといいでしょう。せっかく T.m.930 さんがまとめていただいたので生かしていきたいと思います。
--T's-Neko(会話) 2013年10月19日 (土) 12:05 (UTC)
- 「発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」(Wikipedia:独自研究は載せない)は独自研究でしょう。現状の記事には執筆者の未検証の推測や出典があいまいな用語・主張などがちりばめられているでしょう。そうでないというなら,根拠をあげてください。わたしは根拠をあげて疑問を提示しています。ここは、記事「かけ算の順序問題」に関する議論をするためのノートページです。誰かの判断を「独自解釈」と決めつけて議論を切り上げようとするのは避けた方がいいでしょう。最近のネットでの騒動としての「かけ算の順序問題」の「対立」の一方の側の人たちはそうしたことをよく行うようです。もちろん Wikiewdia はそうした人たちの独自研究の発表の場でもないし,別の立場の人の独自研究の発表の場でもないでしょう。論争のある話題にかかわる記事のようですから慎重な議論が肝要と思います。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月19日 (土) 15:27 (UTC)
- T's-Nekoさんの提案の意図は、記事の分量を減らす(精選する)ことだと理解しました。そしてそれに対しては消極的賛成の意思を示しておきます。本音を書くと「そうできればいいけれど、自分にはできないなあ」です。
- 減らすにあたっては、他に「かけ算の正しい順序」に対する批判と「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張にも見直しが必要に思います。あるいは、「要出典」の解消から手をつけていくのも、やりやすいかもしれません。
- 念のため、もし増やす方向なら、最優先は教科書・教科書指導書の記述の充実(とくに小学校2年生の内容)でしょう。それから、出題・採点が教室規模のものばかりに見えるので、万のオーダーの学力調査を取り上げるべきとも思っています。韓国[12]でも今月、論争があったらしく(そこからのリンクで、ベルギーと韓国の違いも書かれています)、海外の状況も増やせそうです。--T.m.930(会話) 2013年10月19日 (土) 19:28 (UTC)
- 記事「かけ算の順序問題」は「中立性の観点」からの問題が提起されていながらもずっと肥大化を続けてきたと思います。まず冒頭文を客観的な記述に編集した後,「かけ算の正しい順序」「順序指導」などの意味を明確にした上で出典が明らかでない主張の除去をする必要があると感じています。
- また「乗法の意味の理解」は算数教育全体であつかわれているようです。「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算である」なども系統性を無視すれば意味をもたないでしょう。最近のネットでの騒動としての「かけ算の順序問題」では話題が「小学校2年生の内容」に集中しがちのようです。とくに「対立」の一方の側は「小学校2年生の内容」から離れたがらないという傾向があるようにすら感じます。客観的な記事となるように肥大化した記事を精選した方がよいと感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月19日 (土) 23:30 (UTC)
T's-Neko さん、学習指導要領解説と教科書は発行者・位置づけが異なるので分けておいたほうがいいでしょう。
T.m.930さんの言われるように、教科書・教科書指導書の記述、「かけ算の正しい順序」に対する批判と「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張の改善から先に進めるのがいいと思います。 --T6n8(会話) 2013年10月20日 (日) 00:47 (UTC)
編集方針に従った記述にするためには,まず「かけ算の正しい順序」の意味を信頼できる情報源にもとづいてはっきりさせることが最優先でしょう。「出典のない/ありそうにない情報は」「除去することを検討」した方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月20日 (日) 01:24 (UTC)
私の考えをまとめたところ、とりあえず T.m.930 さんの1.1章の案に更新することに異論はありません。記事の分量についても意見はありません。また、T6n8さんのどれを先に書いていくかについては特に意見はありません。 前の私の発言は、以下のようなことを考えていたものから来ており、具体的な編集については今後発言していきたいと思います。
(1) たとえば1つ分×いくつ分で一貫している、と書くことが、出典物に対する独自分析(独自研究)にあたる可能性があるため、その部分だけ削除した方がいいのではというのがきっかけです。その原因の1つは、学習指導要領解説や教科書に対応する章が最初にあることだと思います。 主張の対立がテーマの記事に対し、出典物である学習指導要領解説や教科書の章を最初に書くと、どうしても、学習指導要領解説や教科書が全体としてどちらを主張しているかという結論を読む人が期待してしまい(文科省の担当の言う「考えすぎ」を引き起こし)、中立に書いていても読む人のバイアスがかかって偏って見えてしまうと思います。 引用以外の「1つ分×いくつ分で一貫している」といった文は(ウィキペディアンが検証すれば事実と分かることですが)賛成派の章に移動した方がいいと思うのです。
(2) それぞれの主張の説明や出典の説明に入る前に、対立のない『背景の章』を最初に作った方がいいと思います。 おそらく最初に第1章を作成した時はそのつもりだったのでしょう。 しかし、そうなっていないのは、不正解にするかどうかについて言及してしまっているからだと思います。採点方法は賛成派と反対派の章に移動した方がいいでしょう。 ただ、第1章の内容の多くは、現在の第1章から流用できると思います。
(3) また、すべての種類のかけ算を抽象化して順序の推進か反対だけに決められるようなものではありません。 有名なのが、交換法則の成り立つかけ算と成り立たないかけ算です。 ですから、第1章は、「節:出典、段落:個々の問題」という現在の構成から「節:個々の問題、段落:教え方と出典」という構成に変更するといいと思います。
(4) 今考えている章(仮名)の構成をまとめると、1章:背景、日本におけるかけ算の教え方、1.1章:1つ分×いくつ分によるかけ算の教え方(現1.1章最初、1.2章最初、1.4章)、1.2章:累加によるかけ算の教え方、1.3章:表形式を用いたかけ算の教え方、1.x章(略)、2章:批判派、2.1章:交換法則…、2.2章:様々な1つ分…、2.3章:児童の理解(現1.3章)、2.x章(略)、3章:推進派、3.1章:教科書指導書の指示、3.2章:学習指導要領解説の傾向(現1.1章の独自?分析)、3.x章(略)、4章:海外、5章:指導(現1.1章最後)、6章:経緯、7章:脚注(以下略)になると思いますが暫定です。 具体的な編集内容については、今後発言していきたいと思います。
--T's-Neko(会話) 2013年10月26日 (土) 11:02 (UTC)
教科書・教科書指導書の記述
[要出典]がついていますが、そもそも、ミカンを配る問題の登場が話の流れを寸断していますので、 出典の有無によらず、そこは切り離して、教科書・教科書指導書の記述がどうなっているかを、 記述するのが良いと思います。
文案はまだですが、枠は用意しておきます。--T6n8(会話) 2013年10月12日 (土) 05:14 (UTC)
「観点20121028」「「学習指導要領・学習指導要領解説の記述」の改訂案」でも触れましたが,
- 中日新聞の取材に対して、東京書籍は、文章題の意味を理解しているかを判別する手がかりとして式の順序を見るといい、また、指導要領解説に「10 × 4は、10が四つあることから、40になる」といった記述があることを根拠に「順序に意味がある」と主張した。
についても出典が必要と感じます。実際記事には,
- 東京書籍の編集局は「掛け算の意味を理解させることに尽きる」と説明する。2×3とは2が三つ分、つまり2+2+2の意味であり、3×2=3+3とは区別される、という主張だ。「文章に出てきた数字の順で式に書く子は多い」と、文章題の意味を理解しているかを判別する一つの手掛かりとして式の順序を見るという。(栗山真寛|2012)
とあり,「乗法の意味の理解」の評価の手がかりとして順序を利用していると読めます。記事には
- 「文部科学省の学習指導要領に、そのような説明はない」と主張する黒木助教らに対し、東京書籍は文科省が発行する指導要領の解説に「10×4は、10が四つあることから、40になる」といった記述があることを挙げ、「順序に意味がある」と反論する。(栗山真寛|2012)
ともありますが,中日新聞の取材に対して「順序に意味がある」と答えているのかどうかはあいまいです。もし,東京書籍の公式見解であるとするなら,この記事以外に出典が見つからないということはないように感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月12日 (土) 09:17 (UTC)
「東京書籍は、……、「順序に意味がある」と反論する」ですから、文章上はあいまいでなく明らかです。
中日新聞が東京書籍に取材して当該記事が出ていて、否定する情報がないので、Wikipedia:検証可能性を満たしており、それを根拠なく否定することはWikipedia:独自研究です。特にWikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を再読ください。東京書籍から、報道について当社の見解と異なることが書かれていますというプレスリリースなどの否定的出典がなければそのまま正しいとして取り扱うべきでしょう。--T6n8(会話) 2013年10月12日 (土) 23:49 (UTC)
- 「そのまま正しいとして取り扱うべき」というのは誰の判断でしょうか。解釈を「正しい」とするのかどうかは記事「かけ算の順序問題」の読者であって執筆者としては出典を明示し客観的に記述するだけでよいでしょう。東京書籍が中日新聞の取材に対して「順序に意味がある」と答えているかどうかはこの出典(栗山真寛|2012)ではよくわかりません。「順序に意味がある」というのが東京書籍の公式見解であるとしても,「順序に意味がある」という言葉がなにをさすのかはあいまいなままです。「東京書籍の編集局は「掛け算の意味を理解させることに尽きる」と説明する」とあるのですから,「順序は意味の表現に利用している」と理解するのが普通と思います。「(かけ算の)順序に意味がある」という言葉はかなりあいまいで,それゆえほとんど意味を持たないと思います。もし,「普通の日本語」として意味をもつのであれば,当然別の言葉で容易にいいかえられるはずでしょう。最近のネットでの「かけ算の順序問題」という「対立」の一方の側の人たちは,「日本語の読解力」「常識」などをもちだしてけっしてきちんと定義しようとしない傾向があるように感じています。「対立」・論争のある話題を扱う本記事では客観的な記述が肝要であると強く感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月13日 (日) 07:19 (UTC)
- 補足です。この出典(栗山真寛|2012)を読んで「東京書籍が中日新聞の取材に対して「順序に意味がある」と答えている」と読む読者もいるかもしれません。わたしからみると「(かけ算の)順序に意味がある」という表現はナンセンスにみえます。東京書籍の教科書の著者の一人も「かけ算の順序問題」にかかわるインタビューのなかで「ナンセンスだ」と答えていたようです。
- 一方で「文章題の意味を理解しているかを判別する一つの手掛かりとして式の順序を見る」こと自体には意味がありうると思います(それが「乗法の意味の理解」にかかわる指導実践でどんな効果をもつのかは専門家の領域に属する事柄であり,本当に意味があるかどうかはわたしにはわかりません)。乗法を「1あたりのいくら分をもとめる計算である」などとし,乗法の意味を理解しているかを判別する手がかりとして記号列表現を利用するのであれば,当然「いくら分×1あたり の順序」か「1あたり×いくら分 の順序」のいずれかに決めることになるでしょう(これは減法などでもそうでしょう)。あげられている出典(栗山真寛|2012)を読むと「指導要領解説において「いくら分×1あたり の順序」ではなく「1あたり×いくら分 の順序」でかかれているから「1あたり×いくら分 の順序」と「国が定め」ている」とするのは「深く考えすぎだろう」と文科省初等中等教育局教育課程課が答えたらしいことはわかります。「文章題の意味を理解しているかを判別する一つの手掛かりとして式の順序を見る」ことなどの是非については,この出典(栗山真寛|2012)ではなにも触れられてないのではないでしょうか。
- 「東京書籍は「順序に意味がある」ことを学習指導要領解説を根拠にしていたが,文科省はそれを否定した」というのはこの出典(栗山真寛|2012)でも取り上げられている人たちをはじめとする「対立」の一方の側の人々にとっては都合のよい解釈かもしれません。そのような解釈を誘導するような記述は(新聞ではない)Wikipedia における論争のある話題では極力避けるべきと感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年10月13日 (日) 08:36 (UTC)
節の追加「交換法則よりかけ算に順序はないという主張」
2 「かけ算の正しい順序」に対する批判 の章の、2.1 正しい式にバツをつけるのはよくない の節の前に新しく節を加えたいと思います(下記)。やはり、これがないというのは変でしょう。 交換法則が成り立つことは古くから知られていることは、高橋誠2011 p33 にありますが出典にするまでもないでしょう。 朝日新聞の記事の段落は、過去ログの T6n8さん 2013年8月17日 (土) 13:36 (UTC) の情報ですが、間違っていたらご指摘ください。
◆2.1 交換法則よりかけ算に順序はないという主張
自然数と自然数のかけ算には、交換法則が成り立つことは古くから知られている。
子どもも、「A、B、C、Dさんの4人のこどもに、1人3こずつみかんをあたえたい」、というかけ算の問題を表形式に並べて描いて解こうとしたときに、1つ分が何かをよく理解する前に表を見れば、自力で交換法則に気づく可能性は十分にある。
ABCD
●●●● 1つ目
●●●● 3つ目
●●●● 2つ目
たとえば、上の図において、×の左側の数字を縦の数3(3×4)にするか横の数4(4×3)にするかが決まっていないので、時と場合によって入れ替わることがある。 また、その子にとって決まっていたとしても、上の図を書いた紙を回転させれば下の図になる。
123
●●● A
●●● D
●●● B
●●● C
1972年1月26日の朝日新聞の記事[5]によれば、異なる順序のかけ算の式を不正解にされた保護者が文部省にあてた文書では「6×4=4×6というのは一般的な常識であるし、数学上、交換法則にもとづく真理でもある」と書いている。
ただし、自然数と自然数のかけ算には交換法則が成り立つが、数学では、交換法則が成り立たないかけ算が存在する。 たとえば、コンピューターでよく使われる行列のかけ算は交換法則が成り立たない。
しかし、かけ算の問題ではなく、自然数と自然数のかけ算の問題であるため、交換法則が成り立つことは数学的真理である。
--T's-Neko(会話) 2013年11月2日 (土) 10:04 (UTC)
- 「かけ算の正しい順序」とともに「子どもも、……上の図を書いた紙を回転させれば下の図になる。」と「交換法則よりかけ算に順序はないという主張」の関連について触れている出典をあげてください。小学校でも「乗法の交換法則」が成り立つことを教えているでしょう。もし出典もなく「かけ算の順序問題」についてのご自身の見解とその説明をお書きになりたいのなら Wikipedia ではなく他の場所がふさわしいのではないでしょうか。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月2日 (土) 11:41 (UTC)
人の顔を6人横に並べて、その下にミカンを4つずつ書いた図が遠山啓1972(科学朝日5月号p65)に登場しています。 回転した図はつけるまでもなく、その図だけで、指導要領解説の図の4×3または3×4の例にあたるでしょう。ただ、この場合交換法則を出すまでもないので、交換法則とのからみとしては、
- 答案に6×4=24という式を書いてぺけをつけられたある児童の父兄は、「6×4=4×6というのは一般的な常識であるし、数学上、交換法則にもとづく真理でもある」と指摘した(朝日新聞1972年1月26日)。
だけをまず記載すればいいと思います。あとは岩永2007を要約するのがよいと思います。
「ただし、」以降は蛇足。--T6n8(会話) 2013年11月2日 (土) 14:58 (UTC)
「乗法についてなりたつ性質(たとえば,交換,結合などの法則や,乗数が1ずつ増減したときの積の変化のしかたなど)を知り,それを計算などに用いること。」「乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする。」などが学習指導要領に記載されていることに触れておいてもよいかもしれません。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月2日 (土) 15:41 (UTC)
(1) 縦と横に関しては、森毅1989 p72, p66 にあります。出典元に近い論法に書き換えました(下記)。また、冒頭と統一した方がよさそうなので4×3を6×4に戻しました。ちなみに、出典元ではこの積の乗法がかけ算であると教えて発展(応用)させていくと難しくなることがメインの主張であり、交換法則が適用できるかについては(あたりまえすぎるからか)軽く書かれていて、読み取るのに苦労しました。
(2) みかんを並べた図は、教科書・教科書指導書の記述の節にあるものを、二次利用させていただきました。 交換法則なので縦と横はどちらでもいいのですが、トランプ配りをせずに交換法則を適用したらどちらでもよいという論法なので、横書きで4を先に数える可能性が高い図にしました。
(3) 回転に関してはすいません具体的な出典名は忘れてしまいました。私の見解のように読めたかもしれませんがほとんどはネットで見た記憶に基づいて書いています。 縦と横だけでなく回転も書いた理由は、冒頭にある交換法則とトランプ配りの補完関係に似ていると思ったからです。よく考えると縦と横の入れ替えは交換法則で回転がトランプ配りなんで、本節には回転を書かない方がいいですね。
(4) 岩永2007は正確に理解できている自信はないのですが、文脈を合わせて p4 を要約してみました。 私には、交換法則を交換法則で証明しているようにしか読めませんが文脈は本節に該当するので書きましょう。あと岩永2007はウェブなので検証可能性に疑問が残らないでしょうか。宮下さんの出典では指摘されたので。
(5) 『乗法についてなりたつ性質(たとえば,交換,結合などの法則や,乗数が1ずつ増減したときの積の変化のしかたなど)を知り,それを計算などに用いること。』が学習指導要領に見つかりません。章番号を教えていただけませんか。『内容の「A数と計算」の(3)のイについては、乗数が1ずつ増えるときの積の増え方や交換法則を取り扱うものとする。』は、例の文章問題が(3)のアに該当すると思われるため、その文脈がある本節では除外したいと思います。「5章:指導(仮)」では採用したいと思いますのでそのときにご指摘くださると助かります。
2.1 交換法則よりかけ算に順序はないという主張
答案に6×4=24という式を書いてぺけをつけられたある児童の父兄は、「6×4=4×6というのは一般的な常識であるし、数学上、交換法則にもとづく真理でもある」と指摘した。 — 朝日新聞1972年1月26日[5]
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい」というかけ算の問題において、交換法則から6×4は4×6は同じであり、同じ式を不正解とするのはどうかという主張である。
この問題には交換法則が適用できる。理由の1つは、この問題を解こうとしたときにイメージをするために表形式に並べて描いた場合、縦から始める式(6×4)も横から始める式(4×6)も図から読み取れ、この縦と横の対等性は交換法則の前提であるからである。[28]森1989,p72
数学的には、交換法則を満たす代数系では左作用と右作用の区別がなくなることが保障されている。[33]岩永2007,p4 つまり、交換法則を満たす自然数と自然数のかけ算を1つ分×いくつ分のように左右を区別する必要性は数学的にはない。 ただし、コンピューター・シミュレーションなどでよく使用される行列のかけ算は、交換法則を満たさないため、作用(被作用)という観点で扱われるべきである。[33]岩永2007,p4
--T's-Neko(会話) 2013年11月10日 (日) 07:56 (UTC)
- 「交換法則よりかけ算に順序はないという主張」を朝日新聞の記事も森も岩永もしていないでしょう。また「2項演算は数の積なので,「交換法則」が成立しており」(岩永2007)などといったものはあまり一般的な見解とはいえないでしょう。本記事全体で「かけ算の正しい順序」「かけ算に順序はない」という表現があいまいに使われています。定義およびその出典の明示がなければ除去した方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月10日 (日) 14:29 (UTC)
いつものことですが、具体的に指摘してください。根拠がないように聞こえます。 ちなみに、本節に対応する推進派の主張の節を追加したいと考えており、そこで、Sparrowhawk4344 さんの見解に合うと思います。
朝日新聞ではなく父兄が指摘したと書いているので、読み間違いされていませんか。ただ、森さんのかけ算の順序に関する主張が別にあることについては配慮した方がいいと思うので、次のように脚注に書いておきたいと思います。
[28]森1989,p72 ただしかけ算の問題において順序を問わなくてよいという主張はしていない
岩永2007、p3 に「小学校における算数では、(中略)作用の考えが必要になる内容はなく」と書いています。一般的なとは、数学者の間だけではないでしょうか。本記事(私が書いた文)では正しい順序については書いていません。定義および出典が不明な用語はないと思います。
--T's-Neko(会話) 2013年11月16日 (土) 10:39 (UTC)
見出しに「順序はない」と入っているので、見出しの「交換法則よりかけ算に順序はないという主張」を「交換法則よりかけ算は因子をどの順序で書いてもよいという主張」あたりに直せば良いんじゃないでしょうか。--T6n8(会話) 2013年11月16日 (土) 13:05 (UTC)
父兄は「交換法則よりかけ算に順序はないという主張」などしていないでしょう。そもそも「かけ算に順序はない」「かけ算の問題において順序を問わなくてよい」の意味が不明確であると何度もご指摘しています。定義およびその出典の明示がなければ除去した方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月16日 (土) 13:16 (UTC)
他人の投稿テキストを上書きして消さないようにしてください。編集の競合などのメッセージが出ていたのではないかと思います。ご注意ください。さらに慎重を期するなら、差分を確認すればわかります。--T6n8(会話) 2013年11月16日 (土) 13:26 (UTC)
- 申し訳ございません!メッセージはとくにでていなかったので気がつきませんでした。編集後そのつど差分を確認することにいたします。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月16日 (土) 22:39 (UTC)
「交換法則よりかけ算は因子をどの順序で書いてもよいという主張」と変えてもなにも変わらないでしょう。父兄は「6×4=4×6というのは一般的な常識であるし、数学上、交換法則にもとづく真理でもある」としか指摘していません。定義およびその出典の明示がない「かけ算の順序はない」や「かけ算は因子をどの順序で書いてもよい」などのあいまいな表現は除去した方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月16日 (土) 22:39 (UTC)
(T6n8さん)ありがとうございます。ただ、この節は誰でも入りやすいようにしたいので、「因子」は書かずに「交換法則よりかけ算はどの順序で書いてもよいという主張」にしたいと思います。 かけ算にこだわる人は敬遠され、教育現場に迷惑をかけてしまっているので、Wikipedia でそうしたくありません。 (Sparrowhawk4344さん)父兄が「6×4=4×6というのは一般的な常識」という言葉から、どの順序で書いてもよいとしか解釈できないのですが。そういうものになぜ定義がいるのか理解できません。 --T's-Neko(会話) 2013年11月17日 (日) 04:44 (UTC)
「どの順序で書いてもよい」なんていっていないのは明らかでしょう。「かけ算の順序」ってなんでしょうか?「「6×4=4×6」だから「4×6」でも正解だ」と主張していると読むのが自然でしょう。それを「「6×4=4+4+4+4+4+4」だから「4+4+4+4+4+4」も正解だ」に置き換えてみると違いがお分かりになるのではないでしょうか。「6×4=4+4+4+4+4+4」も「一般的な常識であるし」「数学上の真理でもある」でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月17日 (日) 05:43 (UTC)
「どの順序で書いてもよい」と言葉にしていないのは明らかですが、暗にいっている可能性が全くないほど「明らか」というのは乱暴な判断です。つまり、書いてあることといっていることは論理的には別の命題(参考:命題論理)ですが、この節で命題を分けて推論が真であることを明示する必要性が理解できません。「交換法則」「6×4=4×6」「かけ算の順序はどの順序で書いてもよい」という外延的説明(の一部)(参考:定義#外延と内包)だけで「かけ算の順序」の意味は十分に明白であり限定もされます。一般的に知られていない用語(例:因数)を使ってまで内包的説明をしたり、くどくなってまで完全な外延的説明をしたりといった副作用を起こしてまで定義を示す必要がどこにあるのでしょうか。 つまり、かけ算の順序はどの順序で書いてもよいという文脈で「6×4=4+4+4+4+4+4」が出ることはありません(累加を出すとどの順序でもよいことを否定してしまう)し、父兄が同様の問題で「2×3=3×2」だから「3×2」でも正解だと主張していないことはありえません。 最後に、ここは「お分かりになるのではないでしょうか」と生徒に自分で気づかせるようなヒントを出すような場ではありません。何度発言しても理解してもらえていないのに何様ですか。これも、定義がないから明らかにダメなんて例外のないルールしか考えられないからですかね。 --T's-Neko(会話) 2013年11月17日 (日) 13:31 (UTC)
たんに「交換法則よりかけ算はどの順序で書いてもよいという主張」や「かけ算の正しい順序」「かけ算の順序指導」などの出典を求めているだけです。ここは編集者の主張や解釈が正しかどうかについて議論する場所ではないでしょう。そういうことはそれ専用の掲示板などが適当でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月17日 (日) 15:24 (UTC)
記事案に関係ない出典を求められても困ります。よく考えて発言してくださいね。今まで指摘されてきたことは結局問題はなさそうですし、今まで答えてきたことはスルーされてしまうようなので、もう答えなくてもよさそうですね。 --T's-Neko(会話) 2013年11月18日 (月) 15:47 (UTC)
「交換法則よりかけ算に順序はないという主張」の記事案のお話をされていたのだと思っていました。それ以外の話題は別の所でされた方がよいでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2013年11月19日 (火) 13:23 (UTC)
節の追加「1つぶんの数を決めつけるのはよくない」
2.1 交換法則を満たすので… の後に下記の節を追加します。また、別の節にある重複する内容を削除します。
2.2 1つぶんの数を決めつけるのはよくない
みかんを配るのに,トランプを配るときのやり方で配ると,1回分が6こ,それを4回くばるのだから,それを思い浮かべる子どもは,むしろ,6×4=24 という方式をたてるほうが合理的だといえる。 — 遠山啓、量とは何か I, p116
「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい」というかけ算の問題において、「1つぶんの数」が1人に配る4こであるとは限らない。
トランプ配りのように、6人に1こずつみかんを配り始めた人は、6こが1つぶんの数と考えてもおかしくない。 それを 4巡するという式「6×4=24」は、1つぶんの数 × いくつ分 = ぜんぶの数という教えられたとおりのかけ算になるので、不正解にすべきでないという主張がある。
6×4 も 4×6 も正解にするということは、結果的に、どちらの順序も正解にするという採点方針になる。 だから、かけ算の順序に拘わらない先生なのか、それでも、× の左右の意味が逆(いくつ分 × 1つぶんの数)であるのは誤りであることには変わりがないという先生なのかは、この主張からは判断できない。
以下は上記と重複しているので削除。
- 「正しい式にバツをつけるのはよくない」の節
- 「教科書・教科書指導書の記述」の節の一部(下記)
これに従うと、3人に4個ずつミカンを配る問題では、 「3個あれば全員に1個ずついきわたるから、その4つ分なので3 × 4」 「1人に4個ずつ配るから、その3つ分で4 × 3」
いずれも正解と考えられる。[要出典]
ところが、「3 × 4 = 12」と回答すると、「式が正しくない」として不正解であるとされることがある。
--T's-Neko(会話) 2013年12月7日 (土) 11:42 (UTC)
節の追加「テストは教育の一手段であり、不正解にして終わらせるべきではない」
2.2 1つぶんの数を決めつけるのはよくない、の後に下記の節を追加します。
テストは教育の一手段であり、不正解にして終わらせるべきではない
これ(朝日新聞、1972年1月26日)を読んでまず感じたことは、(中略)テストは教育の一手段であって、その目的ではない。(中略)6×4と書いた子どもがいたら、バツをつけるまえに(中略)いいかわるいかを討議させるといいだろう。そうすると、その討議の過程で、その子がまちがっていたら、なぜ誤りとされたかを納得するだろう。また、4×6と書いた子どもも、その子の説明をきいて6×4の考え方がわかって、賛成するかもしれない。(中略)バツをつけて終わりにしたら、せっかくのチャンスをのがすことになってしまう。 — 遠山敬、量とは何か I, p114
一見正解と異なる解答を挙げて討議させれば、なぜ誤りであったかを知ることや、正しい考え方をいろいろ知ることができ、教育の1つの手段になるので、(かけ算の順序が異なっていても正解の可能性がある)テストは、すぐに不正解にして終わらせるべきではないという主張である。
この主張では、正解かどうかは討議の後で明らかになるのだが、討議に入るまでの採点方法や、正しく理解しているかどうかを調べる目的のテストの扱いについては言及されていない。(テストは点を取ることが目的ではないことは言及されている。) しかし、解答に書かれたかけ算の順序が異なるかどうかだけで、かけ算の理解が正しいかどうかを調べることができないことは示されている。
本文の第1段落にある( )の中にある(かけ算の順序が異なっていても~)は、テストを限定しており、引用元に書かれた文と異なりますが、正解と異なるすべての解答を討議の対象にすることは現実的ではないという問題を回避して、主張が通るように追記しました。
--T's-Neko(会話) 2014年1月19日 (日) 14:49 (UTC)
出典には「かけ算の順序が異なっていても正解の可能性がある」とは書かれていないでしょう(そもそも「かけ算の順序」自体があいまいなもののように思います。以前から申し上げているようにこの記事全体にちりばめられた「かけ算の順序」という表現を整理する必要も改めて感じます)。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年1月19日 (日) 16:39 (UTC)
節の追加「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束になっている」
『「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張』の章に下記の節を追加し、既存の章は、『その他の推進・擁護する主張』の節にする予定です。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束になっている
かけ算の式は「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書く約束になっているので、問題文から正しく読み取って、そのとおりに式に書けるようにしましょう。 — Benesse 小学生の学習Q&A[1]
かけ算の式は「1つ分の数」×「いくつ分」であると教えているからその順序に書く約束になっているので、×の左右の数が逆になった式はかけ算の意味が異なり、不正解であるという主張である。
批判派の主張の1つに、学習指導要領や教科書に「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書かれていても、その順序で書くことが約束にはなっていないし、逆の順序が誤りとは書いていないというものがある。 しかし、「何かの数」×「何かの数」のように左右が同じ意味で書かれているわけではない。
かけ算の文章題を見たときに、多くのお子さまは意味を考えずにただ数字を見た順にかけてしまいがちです。かけ算の答えは合っていますが式がまちがっていることが少なくありません。 — 進研ゼミ小学講座[2]
1つ分の数といくつ分が別々に正しく読み取れているかどうかを確かめるために作られた問題の1つが、問題文と式の順序をあえて逆にした「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい」という問題ならば、逆の順序の式は正しく読み取れていないとして不正解とする。ただし、「1つ分の数」×「いくつ分」の順序に書く約束になっていることを前提とした問題である。
--T's-Neko(会話) 2014年2月16日 (日) 15:06 (UTC)
追加・編集には賛成します。細かいことですが、「×の左右の数が逆になった式はかけ算の意味が異なり」は、「×の左右の数が逆になった式は意味が異なり」のほうが誤解が少ないです。算数教育において、「乗法の意味」は別の使い方がなされています。--T.m.930(会話) 2014年2月17日 (月) 21:27 (UTC)
出典がWebからそして教育産業からのみというのは弱いので、約束が書かれている事例をいくつか紹介します。
- 小学校学習指導要領 算数科編(試案) 昭和26年(1951)改訂版では、「ノートを6冊買いました。どれも1冊5円でした。ぜんぶでいくら支払ったらよいでしょう。」に対し「6×5=30(円)」により結果を求めるのを「誤った解決」「その理解が形式的になっている」とし、「問題が,どんな形式で出されようとも また,いくつかの条件がどんな順序で書いてあろうとも,かけ算を式で示すとすれば,(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)であることが,こどもにじゅうぶん理解されておらなければならない」と注意を与えた。[15]
- 青山学院大学教授の坪田耕三は、九九の三の段の学習において、「(一つ分)×(いくつ分)=(全体)の式の意味を確認していきたい。」としたのち、「チューリップがたくさんありました。子どもが7人います。そこで,このチューリップを3本ずつくばったら,ちょうどなくなりました。チューリップは何本あったのでしょう。」という文章題では、式の約束にそって「3×7」と書くことを確認するよう主張した(p. 59-60)。
- 坪田耕三『算数科 授業づくりの基礎・基本』東洋館出版社、2014年。ISBN 978-4-491-02988-7。
- 京都大学の田中耕治は、作問法によるパフォーマンス評価の出題例として「4×8=32となるようなお話をつくってください」を挙げ、採点基準の一つに、「乗数と被乗数の意味が区別されているか(とくに正比例型では「4」は「一あたり量」,「8」は「いくつ分」と区別されているか)」を示した(p. 158)。ここで正比例型は「一あたり量×いくつ分=全体量」で表される(p. 155)。
- 田中耕治『教育評価』岩波書店、2008年。ISBN 978-4-00-028050-1。
--T.m.930(会話) 2014年2月17日 (月) 21:27 (UTC)
出典を挙げていただきありがとうございます。 できれば、1つ目の引用を有識者による引用に変えたいのですが、挙げていただいた出典の引用では読者が理解するための文として成立しにくいため、他にわかりやすい出典があれば欲しいところです。 ただ、挙げていただいた文章は、最初に年を加えれば『かけ算の順序問題の経緯』の章にそのまま載せられると思いますので、本文には第2段落の前に下記を追加したいと思いますがいかがでしょうか。 「の左右の数が逆になった式は意味が異なり」に修正する件は賛成します。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束があるという主張は、現在も有識者によって続いている。 ここでは一覧のみ挙げ、詳しくは『かけ算の順序問題の経緯』の章を参照のこと。 1951年 小学校学習指導要領算数科編(試案)、数学教育協議会、1972年 大阪府の小学校、1977年 森毅、1993年 伊藤武広、萩上紘一、原田実、2008年 田中耕治、2014年 坪田耕三。
--T's-Neko(会話) 2014年2月23日 (日) 10:00 (UTC)
どこに「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束があるという主張は、現在も有識者によって続いている。」という主張を裏づける信頼できる情報源があるのでしょう。「かけ算の順序」についても意味不明のままです。抜本的に改訂するか,さもなくば記事自体の削除を検討したほうがいいと感じます。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年2月23日 (日) 11:54 (UTC)
当初の案の最初の引用(Benesse 小学生の学習Q&A)よりも良さそうな引用と出典を、以下のとおり提案します。書籍は、去年10月に参考文献に入れたものです。
乗法の場面、「1ふくろにミカンが3こずつ入っています。5ふくろでは、ミカンは何こでしょう。」は、3×5と立式される。立式は、「1つ分の数×いくつ分=全体の数」とまとめられ、それぞれ被乗数、乗数という。 — 守屋誠司、小学校指導法 算数 p91
「現在も有識者によって続いている」のところは、「戦後すぐの算数指導から見られ、現在においても根強い」とするのはいかがでしょうか。--T.m.930(会話) 2014年3月1日 (土) 21:44 (UTC)
「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし、1あたり×いくら分 の順序でかくとき、1 ふくろあたり 3 個の 5 ふくろ分を 3×5 個とかく」というあたりまえのことが指導されているとき、それを「1あたり×いくら分 の順序でかく約束があると指導している」とするのは無理があります。いくら文献から「1 ふくろあたり 3 個の 5 ふくろ分を 3×5 個とかく」といったような部分を抜き出しても「1あたり×いくら分 の順序でかく約束があると指導している」ことにはならないでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年3月2日 (日) 00:45 (UTC)
挙げていただいた守屋さんの引用は、引用を読んだ限りでは現在の学習指導要領解説と立場が同じ可能性があるように読めてしまいます。ですので、そうではない引用があれば(中略をつけてでも)欲しいところです。 本節の主張は学習指導要領解説を根拠の1要素としているため本節に入れても間違ってはいないのですが、逆の順番では不正解である主張も必要だと思います。坪田耕三さんの引用はそれが読めるのですが。
なお、推進派の章は、3-1. 1つ分の数×いくつ分の約束があるため、3-2.いくつ分を後にした方が合理的であるため、3-3.順番に約束があると式の意味を読むことが早くなるため、3-4. 被乗数と乗数を区別した方がよいため、という節に分けたいと考えています(他の分け方があれば検討します)。「かけ算の数字と文章に表れる数字をあえて逆にした問題文」や田中耕治さんの引用は、3-4かもしれませんが、そのときに移動します。
「戦後すぐの算数指導から見られ、現在においても根強い」の件は賛成します。
--T's-Neko(会話) 2014年3月2日 (日) 06:02 (UTC)
「戦後すぐの算数指導から見られ、現在においても根強い」という主張を裏づける信頼できる情報源がないなら、賛成・反対以前の問題でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年3月2日 (日) 10:19 (UTC)
「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束」は、教育産業の事例をもってきても、現行やこれまでの学習指導要領解説が背景にあるのは避けられないように思います。なので、そうではない出典を探して載せるという方針には反対です。
「逆の順番では不正解である」については、すでに記事には(批判のセクションで)「3 × 2 で3本耳のウサギが2羽、2 × 8 で2本足のタコが8匹という意味になります。」が書かれていますが、#サンドイッチの法則の中でまた別の解釈・指導例を挙げていまして、他書と合わせて、不正解としている出典や理由の整理が可能です。
「推進派の章」として4つ挙げたうち、3-1はもう少し調査可能、3-2と3-4は書き方次第で関連文献が提案可能です。3-3は出典が思い浮かびません。--T.m.930(会話) 2014年3月3日 (月) 21:49 (UTC)
「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし、1あたり×いくら分 の順序でかくとき、1 ふくろあたり 3 個の 5 ふくろ分を 3×5 個とかく」と教えると「1あたり×いくら分 の順序でかく約束があると指導している」とするのは単なる言いがかりでしょう。T's-Neko さん、T.m.930 さんお二人のブログかなにかではない Wikipedia の記事としては不適切でしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年3月4日 (火) 12:43 (UTC)
「そうではない出典」は、私の説明が悪く、「逆の順番では不正解である」の出典が欲しかったという意味なので、無視して構いません。「3 × 2 で3本耳のウサギが2羽、~」の出典は、これも Web なので偏ってしまうと感じました。また、正解の順序と逆の順序
が併記されてないと不正解であることが分かりにくいと感じ、そこで、本文ページを読み直したところ、書籍が出典の「九九カルタ」がよさそうなのでこれを採用したいと思います。 まずは、3-1 の掲載候補を挙げます。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束になっている
かけ算の式は「1つ分の数」×「いくつ分」の順に書く約束になっているので、問題文から正しく読み取って、そのとおりに式に書けるようにしましょう。 — Benesse 小学生の学習Q&A[1]
かけ算の式は「1つ分の数」×「いくつ分」であると教えているからその順序に書く約束になっているので、×の左右の数が逆になった式は意味が異なり、不正解であるという主張である。
批判派の主張の1つに、学習指導要領や教科書に「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書かれていても、その順序で書くことが約束にはなっていないし、逆の順序が誤りとは書いていないというものがある。 しかし、「何かの数」×「何かの数」のように左右が同じ意味で書かれているわけではない。 「1つ分の数」と「いくつ分」がそれぞれ正しく読み取れているかどうかは、問題文と式の順序をあえて逆にした問題によって確認できる。
「一冊5円のノートを,6冊買ったら,いくら支払えばよいでしょう。」という問題を解くときには,「5円×6」として,その結果を求めるのが普通である。ところが,この問題を,「ノートを6冊買いました。どれも1冊5円でした。ぜんぶでいくら支払ったらよいでしょう。」とすると,「6×5=30(円)」として結果を求めるこどもがでてくるであろう。 こどもが,このような誤った解決をするのは,(以下略) — 文部省、1951年[2]
田中博史は、式を「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書き、逆の順序の式は意味が異なることを明確にした、九九カルタ という算数教材を開発した。
「5 × 8」
カードの答えの数を見て5 × 8の答えを取ろうとすると、これまでは40の答えが2まいあって、どちらの式かわかりませんでした。このカードなら数の横に文章題も書いてありますので、それを読み取ることにより、判別することができます。 — 田中博史、2011年[3]
(読み札)1はこに5こ入りのチョコレートが8はこあります。
「8 × 5」
(読み札)チョコレートが5はこあります。1はこは8こ入りです。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束があるという擁護派の主張は、戦後すぐの算数指導から見られ、現在においても根強い。 1951年 小学校学習指導要領算数科編(試案)、数学教育協議会、1972年 大阪府の小学校、1977年 森毅、1993年 伊藤武広、萩上紘一、原田実、2008年 田中耕治、2011年 守屋誠司、田中博史、2014年 坪田耕三。 詳しくは『かけ算の順序問題の経緯』の章を参照のこと。
- 出典
- 1. 【算数】かけ算の式で、かけられる数とかける数を逆に書いてしまいます…… Benesse 小学生の学習Q&A 2007年11月20日 [16]
- 2. 文部省 『小学校学習指導要領算数科編(試案)昭和26年(1951)改訂版』、1951年。
- 3. 田中博史, 文溪堂 田中博史の楽しくて力がつく算数授業55の知恵 p48, 2011年
--T's-Neko(会話) 2014年3月9日 (日) 14:15 (UTC)
文案ごくろうさまです。そろそろ収束させて本文を修正し、次の項目を検討するほうがよいように思います。
Benesseの引用と、「かけ算の式は…主張である。」の直後に、「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束があるという擁護派の主張は」から始まる段落を移動させ、そのあとに九九カルタの件を挙げるのはどうでしょうか。「批判者の」から始まる段落と、ノートの金額の引用、それと「かけ算の数字と文章に表れる数字をあえて逆にした問題文」の図は、取り除く方がすっきりします。--T.m.930(会話) 2014年3月9日 (日) 21:29 (UTC)
「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,1あたり×いくら分 の順序 でかくとき「1はこあたり5この8はこ分を5×8ことかく」」という記述の存在は「1あたり×いくら分 の順序でかく約束がある」という主張の存在の信頼できる情報源にはならないでしょう。記事全体にちりばめられた「かけ算の順序」という言葉の説明とともに再考の必要があります。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年3月9日 (日) 22:39 (UTC)
歴史に沿って出典を挙げ、戦後から続く事実から結論にまとめることで厚みを持たせることと、擁護派が最近は工夫するようになったという流れにも合っているので、直後に移動することには賛成できません。また、問題文と答の話題が本文のメインであり、教材は後に挙げた方が、話題が行ったり来たりしないと思います。「批判者の」~「左右が同じ意味で書かれているわけではない。」までは削除してもよさそうです。(その代わり、前の段落とのつなぎを考えて、「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く約束があれば、」に置き換えたいと思います。) ノートの金額の引用(問題文の出典)と「かけ算の数字と文章に表れる数字をあえて逆にした問題文」は、擁護派がこの問題文によって「1つ分」の概念を負事例によって教えたいとのこだわりを感じる問題文なので外せません。そのこだわりがあって『不正解』とすることを図の赤で表現することで、批判派が何に対して盛り上がっているかも表現しています。--T's-Neko(会話) 2014年3月10日 (月) 17:24 (UTC)
方針について了解しました。記事を編集していいのではないでしょうか。「2008年 田中耕治」と「2014年 坪田耕三」につきましては、出典の記載を忘れないようお願いします。--T.m.930(会話) 2014年3月13日 (木) 22:09 (UTC)
「かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,1あたり×いくら分 の順序 でかくとき「1はこあたり5この8はこ分を5×8ことかく」」という記述の存在は「1あたり×いくら分 の順序でかく約束がある」という主張の存在の信頼できる情報源にはならないでしょう。したがって出典のない架空の「推進派」「擁護派」は反対派がつくりだしたものとみることができます。反対派なら書きそうな案には賛成できません。 --Sparrowhawk4344(会話) 2014年3月15日 (土) 02:19 (UTC)
節の追加『「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である』
「かけ算の正しい順序」を推進・擁護する主張に、下記の記事を追加する予定です。 かけ算の順序と逆ポーランド記法の関係が、銀林 浩さんの本に書かれているようですが、 高いので入手できていません。 載せた方がよさそうな引用があればお願いします。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である
日本は「4の6倍」式に4×6と書くが,ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く.これは(中略)言語習慣から来ている.ただし,日本式の方が合理的というのが世界の相場(中略)「4の6倍」式に操作をあとから書く日本式が便利になる.最近のコンピューター言語はこちらが便利だし,ヨーロッパ語でヨコ書きを左から右に書いているときも,6xと逆行するよりも,x6と続ける方がやりやすい. — 森毅 、 数の現象学 p67,p76
かけ算は、「1つ分の数」×「いくつ分」のように、操作内容である乗数を後に書く方が合理的であるとの判断が世界的に見て多い。
ヨーロッパでは「6×」の書き方も普及しているが、2を引くひき算は「-2」のように書き、演算によって数字と記号の位置関係が逆である。 4を6倍する式は、6×4と書くかもしれないが、6から2を引く式は、6-2であり、2-6ではない。 操作と被操作の関係を考えた場合、「×6」と書いた方が、四則演算において統一的に操作を後に書くことができ合理的である。
操作を後に書くと、連続した操作をするときに操作する内容の記述と操作する順序が一致するため便利である。 たとえば、4を6倍して2を足す式は4×6+2と表すが、操作を前にする式は2+6×4となる。 操作の順序と演算の順序が完全に一致する一般的な電卓で計算する場合、式4×6+2に対して、4、×、6、+、2、=、のように式と同じ順序でボタンを押すことができる(答は26)が、操作を前にした2+6×4では、2、+、6、×、4、=、の順序で押しても正しい答えにならない(32と表示される[1])。 正しい答えにならない原因の1つは、式の順序と操作の順序が逆だからである。 式2+6×4の右から、4、×、6、+、2、=、と入力すれば正しい答えが表示されるが合理的ではない[2]。
正しい答えにならないもう1つの原因は、電卓では演算子にかかる値が、演算子のボタンを押した後に押す数値にかかるからである。 たとえば、6をかけるときは、×、6、の順にボタンを押さなければならない。ただし、ヨーロッパ式の「6×」と一致するように、6、×、の順でボタンを押す電卓を作ることは可能であり、実在する(ヒューレット・パッカード社の電卓 HP-15Cなど)。 ただし、最初に入力する値を、Enter キー(ボタン)で確定する必要があることと、 式を逆ポーランド記法で記述しなければ一致しない。 たとえば、「4を6倍して2を足す」計算を逆ポーランド記法の式で表すと、4 6 × 2 + となり、4、Enter、6、×、2、+、の順序でボタンを押すと正しく計算できる(26と表示される)。 しかも、ヨーロッパの言語と逆である逆ポーランド記法は、日本語の文章と順序が一致している。 とはいえ、逆ポーランド記法の式や電卓はほとんど使われていないため、ヨーロッパ式に6×と書いてあったら、(式の1つ目の数値以外は)×6に変えて電卓を使う必要があり、非合理的である[3]。
プログラミング言語に関しては、変数 a を6倍した値を表す式は、a * 6 でも 6 * a でも記述できるが、変数 a を6倍する(その結果をまた変数 a に戻す)式は、a *= 6 と記述する。
1回分が6個,それを4回配るのだから(中略)6×4という方式をたてるほうが合理的 — 遠山啓 、 量とは何か p116
4×6でも、6×4でもどちらでも書いてよいという主張の中にも、乗数は常に後に書く方が合理的であるという主張がある。
ただし、「1つ分の数」と「いくつ分」のかけ算において、乗数が「いくつ分」とは限らない[要出典]。「100人いて、それぞれに4つずつ」という場面において、100個ずつ4回配るというイメージを持たなくても、100に4をかけるというイメージを持つことができ、このときの乗数は「1つ分の数」にあたる。 このイメージができるのは、交換法則を満たす演算であることが原因として考えられる。 もし、交換法則を満たさない演算において順序が異なると(例6-2と2-6)計算結果が違う経験から、別のイメージを持つだろう。
--T's-Neko(会話) 2014年4月12日 (土) 15:43 (UTC)
引用されているものには「正しい順序」などないことがはっきり書かれているようです。2つの表記法のうちどちらが「合理的」かを問題にしているわけですから。節の追加よりも記事全体の見直し,とくに「かけ算の順序」の意味の明確化を優先させるべきでしょう。--Sparrowhawk4344(会話) 2014年4月13日 (日) 01:04 (UTC)
ごくろうさまです。いくつか思ったことを書きます。
- 「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である」については、森が書くより前からあります。乗法の意味についての論争と問題点についての考察で、ここの過去ログの最初のコメントでもリンクされています。とはいえ「かけ算の順序問題」の文脈としては、森の著書を挙げれば十分でしょう。
- 「操作内容である乗数を後に書く方が合理的であるとの判断が世界的に見て多い」と「操作と被操作の関係」は要出典です(良い出典が思い浮かびません)。
- 引用を除き「ヨーロッパ」は「欧米」とするのがいいと思います。米国で「いくつ分」×「1つ分の数」の表記が確認できる情報源、そしてその和訳を含む記事を、挙げておきます。
- 米国の事例:Table 2. Common multiplication and division situations. (Common Core Standards for Mathematics)
- 日本語記事:高橋昭彦「小学校でかけ算を教えるのは何のためか」(かけ算の順序問題の参考文献に入っています)
- 電卓の件は、「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である」の補強になっていないように感じました。というのも、一般的な電卓で「4、×、6」と操作するにせよ、逆ポーランド記法の「4 6 ×」にせよ、4の6倍でも6の4倍でもなく、「4と6の積」を意味し、どちらが「1つ分の数」でどちらが「いくつ分」かを考えるべきではないからです。(それと、算数の2+6×4に対応する逆ポーランド記法の式は2 6 4 × +です。)
- 「プログラミング言語に関しては」の前に「CやJavaなどの」を付けておくほうがいいと思いました。というのも言語によっては、型の異なる2つのオペランドでの乗算が利用可能だからです。具体的には、Perl、Python、Rubyでは、文字列と整数をオペランドにとり、文字列の繰り返しを得ることができます。Pythonでは "5"*3 でも 3*"5" でも、"555" を評価結果としますが、Rubyでは "5"*3 のみ認められ、3*"5" はエラーです。
- 遠山の引用をもとに「乗数は常に後に書く方が合理的」というのは、Wikipedia内外の議論で見たことがありません。その引用は、トランプ配りをすれば、バツとされた6×4も「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序」で式を表せる(マルにできる)ことを主張しています。矢野健太郎『おかしなおかしな数学者たち』にも同じ趣旨の記述があります。T.m.930(会話) 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
ご返答感謝します。 なるべく文章について発言し議論にならないように注意しますが、スレッドが多いため分割してネストし、それぞれのスレッドに署名を追加したいと思います。 レスの追加は、今回追加した全体の文の後ではなく、各署名の直後に追加していただけると読みやすくなると思います。 敬称略にて失礼します。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である」については、森が書くより前からあります。乗法の意味についての論争と問題点についての考察で、ここの過去ログの最初のコメントでもリンクされています。とはいえ「かけ算の順序問題」の文脈としては、森の著書を挙げれば十分でしょう。 --T.m.930 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
- ありがとうございます。 ただ、合理的である理由がもっと欲しいのですが、「乗法の意味についての論争と問題点についての考察」に何か書いてありますでしょうか。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
「操作内容である乗数を後に書く方が合理的であるとの判断が世界的に見て多い」と「操作と被操作の関係」は要出典です(良い出典が思い浮かびません)。 --T.m.930 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
- 出典元に理由が書いていないので出典にその理由があるはずなので欲しい、要出典にしたいという気持ちは 論理的思考であれば理解できますが、出典元は二次情報に相当すると思います。 二次情報でも Wikipedia で出典元にできない方針ではない(一次情報があればそちらにすべき)ですし、主張があるという文脈なので要出典はなくていいと思います。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
引用を除き「ヨーロッパ」は「欧米」とするのがいいと思います。米国で「いくつ分」×「1つ分の数」の表記が確認できる情報源、そしてその和訳を含む記事を、挙げておきます。
- 米国の事例:Table 2. Common multiplication and division situations. (Common Core Standards for Mathematics)
- 日本語記事:高橋昭彦「小学校でかけ算を教えるのは何のためか」(かけ算の順序問題の参考文献に入っています)
--T.m.930 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
- 欧米とすることは賛成します。 挙げていただいた情報源は、「ヨーロッパでは「6×」の書き方も普及しているが」に対する出典として活用させていただきます。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
電卓の件は、「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である」の補強になっていないように感じました。というのも、一般的な電卓で「4、×、6」と操作するにせよ、逆ポーランド記法の「4 6 ×」にせよ、4の6倍でも6の4倍でもなく、「4と6の積」を意味し、どちらが「1つ分の数」でどちらが「いくつ分」かを考えるべきではないからです。(それと、算数の2+6×4に対応する逆ポーランド記法の式は2 6 4 × +です。) --T.m.930 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
- 逆ポーランド記法の指摘はそのとおりですが、文章では一貫して「4を6倍して2を足す」ことについて書いています。 操作を前にした式2+6×4に対する逆ポーランド記法ではなく、操作の順番に合う操作の数値を前にした逆ポーランド記法の式です。 4 6 × 2 + と 2 6 4 × + は両方とも演算子は操作の順序になっており、積と見れば数字の順序による便利さを無視しなければないのはそのとおりですが、本節の主張に合いません。 確かに電卓は倍の計算だけでなく積の計算もできますが、被操作・操作の関係がある倍の計算をするときの合理性を理由に「いくつ分」を後に書くべきという主張ですので、この節では、電卓で倍(例:6×)の計算をするときに便利な(読みやすい)方の 4 6 × 2 + を示すべきと思います。 結局、逆ポーランド記法自体が最後に否定され6×が否定されますけど、それまでの主張者の歩み寄りという位置づけに逆ポーランド記法をしたいと思っています。 ただ、積の計算も電卓でできることを踏まえて、「一般的な電卓で計算する」という文は、「一般的な電卓で倍と加算の計算する」に変更したいと思います。 ちなみに、合理性と便利が違うという話を生んでしまいそうなので、本節のタイトルに「便利」も加えたいと思います。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
「プログラミング言語に関しては」の前に「CやJavaなどの」を付けておくほうがいいと思いました。というのも言語によっては、型の異なる2つのオペランドでの乗算が利用可能だからです。具体的には、Perl、Python、Rubyでは、文字列と整数をオペランドにとり、文字列の繰り返しを得ることができます。Pythonでは "5"*3 でも 3*"5" でも、"555" を評価結果としますが、Rubyでは "5"*3 のみ認められ、3*"5" はエラーです。 --T.m.930 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
- "5"*3 と 3*"5" は、「a * 6 でも 6 * a」の文に含まれると思います。 文字列と数値の乗算の方が乗数と被乗数(対象文字列)が明確ですが、変数 a で表しているので、すでに明確かと思います。 ただ、面白いので「変数 a は数値だけでなく文字列にできる言語もあり、たとえば 3*"W" の評価結果は "WWW" になる。」を前半と後半の間に追加したいと思います。 これで、「CやJavaなどの」を付けたい気持ちも表現できると思いますがいかがでしょう。 Ruby で 3*"5" がエラーになる件は、かけ算の順序の主張があってというより、オブジェクト指向のプログラミング言語が、操作対象オブジェクト→メソッド(操作)の順で書く文法になっていることの影響でたまたま実装されてなかっただけだと思うので、議論の発散を防ぐために本文では触れない方がいいと思います。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
遠山の引用をもとに「乗数は常に後に書く方が合理的」というのは、Wikipedia内外の議論で見たことがありません。その引用は、トランプ配りをすれば、バツとされた6×4も「「1つ分の数」×「いくつ分」の順序」で式を表せる(マルにできる)ことを主張しています。矢野健太郎『おかしなおかしな数学者たち』にも同じ趣旨の記述があります。 --T.m.930 2014年4月13日 (日) 21:28 (UTC)
- http://ameblo.jp/metameta7/entry-10439284094.html を元に書いたのですが、読み直すと「遠山さんも森さんも、かけ算の式では「1当たり量」を先に書くという「ヤクソク」がある」とあり、合理的ではなく約束が理由のようですね。 すいません、削除します。 --T's-Neko(会話) 2014年4月19日 (土) 11:37 (UTC)
書き直しました。
「1つ分の数」×「いくつ分」の順序で書く方が合理的である
日本は「4の6倍」式に4×6と書くが,欧米では「6倍の4」式に6×4と書く.これは(中略)言語習慣から来ている.ただし,日本式の方が合理的というのが世界の相場(中略)「4の6倍」式に操作をあとから書く日本式が便利になる.最近のコンピューター言語はこちらが便利だし,欧米語でヨコ書きを左から右に書いているときも,6xと逆行するよりも,x6と続ける方がやりやすい. — 森毅 、 数の現象学 p67,p76
かけ算は、「1つ分の数」×「いくつ分」のように、操作内容である乗数を後に書く方が合理的であるとの判断が世界的に見て多い[要出典]。 なお、乗算 における被乗数の定義は掛けられる方の数(1つ分の数)、乗数の定義は掛ける方の数(いくつ分)である。
乗数を右に書くと、四則演算のすべてが 操作される数、操作する数 の順に統一でき合理的である。
欧米では「6×」の書き方も普及している[1][2]が、2を引くひき算は「-2」のように書き、演算によって数字と記号の位置関係が逆である。
電卓で4を6倍する場合、4、×、6、= の順に押しても、6、×、4、= の順に押しても正しい計算結果は表示されるが、6倍した後に更に2倍する場合、続けて ×、2、= の順に押すしかない。 逆ポーランド記法で行う一部の電卓(HP-15Cなど)では、4、Enter、6、× の順に押した後、2、× の順に押すことができるが、四則演算すべてが逆ポーランド記法になるため、更に3を引く場合、3、- の順に押さなければならない。 四則演算のうちかけ算だけ押す順序が変わる電卓は存在しない。
最近のプログラミング言語は、被乗数と乗数の順序にこだわりはない。 変数 a を6倍した値を表す式は、a * 6 でも 6 * a でも記述できる。 変数 a は数値だけでなく文字列にできる言語(Pythonなど)もあり、たとえば "W"*3 や 3*"W" の評価結果は "WWW" になる。 World Wide Web Consortium の略称である W3C は乗数が右にある。 Rubyは 3*"W" と書けないが、これは文字列のクラスに * 演算のメソッドがあり、数値のクラスに文字列の引数を持つ * 演算のメソッドがないためである。 クラス(オブジェクト)を被乗数、メソッドを乗数と見た場合、被乗数→乗数の順序があると見ることもできる。 変数 a を6倍する(その結果をまた変数 a に戻す)式は、a *= 6 のように乗数を右に記述することになる。
- 1. 米国の事例:Table 2. Common multiplication and division situations. (Common Core Standards for Mathematics)
- 2. 高橋昭彦「小学校でかけ算を教えるのは何のためか」
--T's-Neko(会話) 2014年5月24日 (土) 12:53 (UTC)
過去ログ化の提案
ノートのサイズが20万バイトを超えている上、3ヶ月にわたり議論がありませんので、一旦過去ログ化して、再開したいと思います。反対がなければ1週間後の過去ログ化を予定します。--T6n8(会話) 2014年9月1日 (月) 13:37 (UTC)