コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岩井由紀子

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

いわい ゆきこ
岩井 由紀子
プロフィール
別名義 ゆうゆ
愛称 ゆうゆ
生年月日 1968年5月26日
現年齢 56歳
出身地 日本の旗 日本神奈川県横浜市[1]
血液型 O型
公称サイズ(1986年7月[2]時点)
身長/体重 150 cm / 40 kg
BMI 17.8
スリーサイズ 78 - 59 - 84 cm
活動
デビュー 1985年6月21日
所属グループ おニャン子クラブ/うしろゆびさされ組
活動期間 1985年 - 1997年
他の活動 歌手女優バラエティタレント
事務所 渡辺プロダクション
レーベル ポニーキャニオン
主な楽曲天使のボディーガード[3][4]
『25セントの満月』[4][5]
アイドル: テンプレート - カテゴリ

岩井 由紀子(いわい ゆきこ、1968年5月26日[1] - )は、日本の元タレント[1]歌手女優。愛称はゆうゆで、1987年から1994年の間は芸名として用いていた(後述)。

神奈川県横浜市出身[1]。女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』の元メンバーで、会員番号は19番[1]

経歴

1968年5月26日、横浜市内の産婦人科にて生まれる[6]。小学4年時に、横浜市立常盤台小学校から船橋市立葛飾小学校へ転校[6]船橋市立葛飾中学校[6]嘉悦女子高等学校卒業[要出典]嘉悦女子短期大学中退[要出典]

生まれは横浜、育ちは千葉のブレンド少女であったが、本人は「ハマっ子」を自称した[1]

1985年当時、創刊されたばかりの模型雑誌『モデルグラフィックス』(大日本絵画)編集部に実姉ネーネ(当時の表記)が勤務しており、誌面を飾るモデルにアイドル志望だった妹を推薦。創刊号からグラビアモデルのユーユ(当時の表記)として誌面に登場[7]。グラビアと言っても水着やセクシーな衣装などではなく、誌面に登場したモデルガンミリタリー系各種装備を紹介するモデルがメインだった。創刊号では1/8ナウシカのドールの作例と合わせて原寸大の長銃を構えたナウシカのコスプレを披露。以後誌面に掲載される作例に合わせてアニメのキャラクター(『重戦機エルガイム』のファンネリア・アム)や『ゴーストバスターズ』(ツナギ姿でプロトンパックを装備)、MP44を構えたドイツ国防軍兵士等の格好をした彼女が誌面に花を添えた[7]

1985年6月21日に『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)のオーディションに合格、おニャン子クラブ会員番号19番として活動を始める[8]。ファーストアルバム『KICK OFF』からジャケット写真に参加。ゆうゆの愛称で親しまれ、後に同じくおニャン子クラブ会員番号16番の高井麻巳子と共に『うしろゆびさされ組』を結成。1986年7月、おニャン子クラブの5thシングル「お先に失礼」でフロントボーカルに選ばれる。その後もシングル、アルバムの多くの楽曲でフロントボーカルを担当し、中・後期のおニャン子クラブの中心的存在の一人となる。

事務所は渡辺プロダクションに所属し、1987年3月25日には「天使のボディーガード」でソロデビュー[3]。高井麻巳子の卒業に伴い、同年4月、うしろゆびさされ組は解散。同年9月20日おニャン子クラブが解散した後、愛称のゆうゆを芸名にする。『歌え!アイドルどーむ』(テレビ東京)メインMC、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)レギュラーなど、バラエティ番組を中心とするバラドルとして活動。一方、リリースするレコードの売り上げは採算が取れないほど低迷の一途を辿り、「スタッフからシングルの売り上げが落ちていく資料を見せられ、『どうするんだ、これから?』と激しい叱咤を繰り返された」と雑誌『宝島』(宝島社)のインタビューで語っている。これを機に1989年以降、歌手活動は休止。

1989年、ゲームメーカーのタイトーのイメージキャラクターに抜擢。

1991年、「ポスト井森美幸」と称され、テレビ・ラジオのレギュラー7本を持つ売れっ子バラドルとなる[9]

1994年、「大人のタレントとして活動するため」と芸名を本名の岩井由紀子に戻す。

1997年、青年実業家結婚し、芸能界引退。後に2児の母となる[10]

2002年、おニャン子クラブの再結成に参加し、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)、『FNS歌謡祭2002』(フジテレビ)に出演。

2007年、『快感MAP』(テレビ朝日)に電話で出演。

人物・エピソード

2人姉妹の次女。岩城滉一のファンを公言していた。

ORICON WEEKLY(現「オリ★スタ」)誌上で連載していたエッセイ『ゆうゆ〜自適』で、『愛称の由来はねぇね(前述の実姉)が名付け親』等の裏話を披露している(同紙面にはロドリゲス高橋がゆうゆをモチーフにしたという『ふしぎの国のゆうゆ』も掲載されていた)。

熱狂的な松田聖子の大ファンであり、日本テレビ系『歌のトップテン』出演時に対面し、感激の涙を流した。

『夕やけニャンニャン』スタッフは岩井の事を「気が強く、すぐに泣く」と評し、「嫌いなスタッフに当たりが冷たい」ところが難だと指摘した。

おニャン子クラブのメンバーの中で一番小さく、背が低いことに加え童顔なため、実年齢より幼く見られることがコンプレックスだったが、おニャン子に入ってからそれらが多くの人に好まれる個性だと気付いてから積極的になったという。また、トランジスターグラマーであることも自覚しており、「意外とおっぱいは大きいんです」と自ら語ることも度々あった。

おニャン子クラブで特に仲が良かったのは渡辺美奈代で、美奈代も必ず岩井の名を挙げる。また、同じ渡辺プロに所属していた河合その子について「妹みたいに可愛がってくれた」と語った。工藤静香から「ゆうゆをぬいぐるみにして部屋に飾っておきたい!可愛いんだもん」と言われたエピソードがある。グループ内でもマスコット的な位置にいた。

うしろゆびさされ組の高井麻巳子との不仲が絶えず噂されていた。1994年に「明石家電視台」にゲスト出演した際にこの件に触れ、高井との仲について「あんまり一緒にいなかった」「あんまり仲良くなかった」「別々のグループにいた」などと発言し、当時仕事以外では接点がなくあまり会話がなかったことを明かした。ただし「私が子供だったから」と高井をフォローしており、「今だったら(普通に)喋れる」とも話した(岩井は高井と秋元が密かに交際を深めていたことに気づいており、そのことに一抹の苛立たしさを感じていたとのこと)。高井がソロデビューの準備に入って以降、うしろゆびさされ組のスケジュールは高井中心で組まれることが多くなり、岩井のストレスも増大した。そのため、つい校則を軽視して登校、授業中、教師より「髪に段を付けるな!」と激怒され、岩井は逆ギレしてそのまま帰宅しようとしてしまう。それを「今、帰ったら退学になっちゃうよ!」と級友に必死で止められたことがある。

同時期にバラドルとして活躍していた森口博子ちはるなどは「ゆうゆの素顔はとても大人しくて、可愛らしい女性」だと語ったことがある。

クイズ番組等でフリップボードの隅によく「ナス」のイラストを描いていた。ファンクラブのおまけにナスのイラストのカードタグが付いてきた。友近がしばしばそのことをネタにする。

沖縄アクターズスクールの生徒だった安室奈美恵が、小学生の頃に琉球放送のローカル番組内で行われた『ちびっ子カラオケ大会』で「-3℃」を歌って優勝。冒頭で「ゆうゆが大好きな安室奈美恵ちゃん」と紹介されていた。

ビビる大木が岩井の大ファンだったと明かしている。同時期に渡辺プロダクションに所属していたことがあるが、ファンであったことは最後まで言えなかったという。

ワッキー(ペナルティ)は『アメトーーク!』内で「好きだったアイドルのシングル」として「25セントの満月」を持参した。しかし出だしの2小節しか歌えず(決して間違ってはいなかったが)、周囲から「本当にその曲が好きだったのか!?」と非難を浴びた。

自分の特技に『変にゃ歌』を挙げている。『ゆうゆ光線』他幾つかのアルバムにこれら変にゃ歌が幾つか収録されているのはトリビア扱いとなっている。

握手会で握手でなく、指相撲をやった事がある。

作品

シングル

# 発売日 タイトル c/w オリコン最高位
キャニオンレコード
1st 1987年3月25日 天使のボディーガード
(ゆうゆ with おニャン子クラブ)
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:佐藤準
モナリザのいたずら
作詞:秋元康
作曲:小森田実
編曲:佐藤準
2位
2nd 1987年7月22日 -3℃
作詞:及川眠子
作曲:後藤次利
編曲:佐藤準
アッというMAにMEっ!
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
ポニーキャニオン
3rd 1987年10月28日 25セントの満月
作詞:秋元康
作曲:鶴久政治
編曲:西平彰
お待ちかねのAカップ
作詞:秋元康
作曲:鶴久政治
編曲:西平彰
6位
4th 1988年1月21日 ついて行けない -がんばれボーイフレンド-
作詞:秋元康
作曲:見岳章
編曲:見岳章
爪を噛んでた
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
5th 1988年4月21日 左胸あたり
作詞:及川眠子
作曲:井上ヨシマサ
編曲:井上ヨシマサ
見てしまった
作詞:戸沢暢美
作曲:井上ヨシマサ
編曲:井上ヨシマサ
20位
6th 1988年7月27日 サヨナラ志願
作詞:及川眠子
作曲:小森田実
編曲:米光亮
戸惑いリグレット
作詞:及川眠子
作曲:長沢ヒロ
編曲:米光亮
29位
7th 1988年11月30日 星空のギャングスター
作詞:横山武
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
あ・うんの微笑み
作詞:藤原安寿
作曲:根岸孝旨
編曲:西平彰
41位
8th 1989年2月8日 もう一度ピーターパン
作詞:秋元康
作曲:井上ヨシマサ
編曲:西平彰
夢よ開けゴマ!
作詞:秋元康
作曲:井上ヨシマサ
編曲:佐藤準
35位

アルバム

オリジナルアルバム

発売日 タイトル オリコン最高位
キャニオンレコード
1st 1987年7月29日 ゆうゆ光線 1位
2008年7月16日 Myこれ!チョイス『ゆうゆ光線』+シングルコレクション -
ポニーキャニオン
2nd 1987年12月16日 いやっ! 13位
3rd 1988年7月21日 Summer Tasty 25位
4th 1988年12月14日 KOTTERUネ! 49位

ベストアルバム

発売日 タイトル オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st 1989年3月21日 ベストだもんね! 65位
2nd 2002年2月20日 MY これ!クション ゆうゆBEST -
3rd 2007[8月17日 ゆうゆ SINGLES コンプリート -
4th 2010年4月21日 Myこれ!Lite ゆうゆ -

タイアップ曲

楽曲 タイアップ 収録作品
もう一度ピーターパン フジテレビ系放映アニメーションピーターパンの冒険』オープニングテーマ シングル「もう一度ピーターパン」
夢よ開けゴマ! フジテレビ系放映アニメーション『ピーターパンの冒険』エンディングテーマ

参加楽曲

発売日 商品名 楽曲 備考
ポニーキャニオン
1988年3月21日 上海雪[11] ケラ & YuYu 「サヨナラの前に接吻を」 有頂天のボーカル、ケラのソロシングル「上海雪」のc/w。
ベスト盤『ゆうゆ SINGLES コンプリート』と『Myこれ!Lite ゆうゆ』にも同曲が収録されている。

映像作品

発売日 タイトル
ポニーキャニオン
1st 1987年9月21日 ボンジョールノ!ゆうゆ イタリア・パック・ツアー
2nd 1988年3月1日 ゆうゆファーストコンサート ボクらは元気なゆうゆ印

ゲーム

写真集

  • ゆうゆ -岩井由紀子写真集 (1987年6月 フジテレビ出版 斉藤清貴) ISBN 4893531484
  • 左胸あたり -岩井由紀子写真集 (1988年3月 ワニブックス 武藤義) ISBN 4847020782
  • 由紀子 亜麻色のとき -ゆうゆ写真集 (1991年10月 学研 今村敏彦)

おニャン子クラブのメインボーカル曲

主な出演

バラエティ

テレビドラマ

ラジオ

CM

オリジナルビデオ

  • Mr.ゴーストによろしく(1991年 監督:山本晋也
  • 好きにならずにはいられない(1992年 監督:石川昭信)

舞台

脚注

  1. ^ a b c d e f 『芸能・タレント人名事典』日外アソシエーツ、1990年4月20日、632頁。ISBN 4-8169-0918-4 
  2. ^ 『あぶな~い おニャン子』フジテレビ出版、1986年7月3日、113頁。ISBN 4-89353-097-6。C0076。 
  3. ^ a b 別冊宝島907 音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』宝島社、2003年11月28日、77頁。ISBN 4-7966-3691-9。C9473。 
  4. ^ a b 『別冊宝島2611号 80年代アイドルcollection』宝島社別冊宝島〉、2017年9月7日、92頁。ISBN 978-4-8002-7122-8。C9476。 
  5. ^ 『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社、2013年10月26日、84-85頁。ISBN 978-4-8003-0227-4。C9476。 
  6. ^ a b c 「巻頭大特集 岩井由紀子」『BOMB』1988年9月号、学習研究社、1988年、25-40頁。 
  7. ^ a b 「発見!おニャン子6人のあぶな~い"前科"」『Emma』1986年11月12日号、文藝春秋、1986年、28-29頁。 
  8. ^ 「夕やけニャンニャン完全年表」『おニャン子白書』フジテレビ出版、1987年8月24日、40頁。ISBN 4-594-00169-6。C0076。 
  9. ^ 「レギュラー番組7本 新・バラドル・クイーン ゆうゆ」『週刊宝石』1991年7月4日号、光文社、26頁。 
  10. ^ 「忽然と消えたアイドルグループ」華やかな80年代篇(2)新田恵利が病魔に…”. アサ芸プラス (2015年3月7日). 2017年4月27日閲覧。
  11. ^ ケラ* - 上海雪”. Discogs. 2020年1月31日閲覧。

関連項目