はしだのりひこ
はしだ のりひこ | |
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出生名 |
はしだ のりひこ 端田 宣彦 |
生誕 | 1945年1月7日 |
出身地 | 日本・京都府京都市 |
死没 |
2017年12月2日(72歳没) 日本・京都府京都市 |
学歴 | 同志社大学神学部中退 |
ジャンル | フォークソング |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 |
歌 ギター |
活動期間 | 1964年 - 2017年 |
共同作業者 |
ドゥーディ・ランブラーズ ザ・フォーク・クルセダーズ はしだのりひことシューベルツ はしだのりひことマーガレッツ はしだのりひことクライマックス はしだのりひことエンドレス はしだのりひこと水族館 はしだのりひことヒポパタマス |
はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦〈読み同じ〉[1]、1945年1月7日 - 2017年12月2日[2])は、日本のシンガーソングライター、フォークシンガー。身長163cm。愛称はのりちゃん。長男は、元長野大学准教授の、端田篤人、娘は舞台女優の端田新菜。
京都府京都市生まれ。4人兄弟の長男。同志社高等学校を経て、同志社大学神学部に進学。8年と2年の休学で10年在籍し、退学。
活動
[編集]高校2年の文化祭でギターを始める。1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加する。フォーク・クルセダーズは結成1年後、大学卒業を機に解散[3]。その後、「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」「はしだのりひことヒポパタマス」のリーダーを務め、ソロに転向。
ドゥーディ・ランブラーズ
[編集]同志社大学の学生であった藤原洪太、田平義昭、端田宣彦らによって1964年に結成された。1967年6月5日にクラウンレコードから「真っ赤なリボンとおさげのあの娘/戦いは一度でいい」を発表。「戦いは一度でいい」は歌詞が全編英語で作られている。
ザ・フォーク・クルセダーズ
[編集]- 「何のために」は、レコード未発表のはしだのオリジナル曲に、北山が新たな歌詞をつけたもの。
- フォーク・クルセダーズの代表曲「帰って来たヨッパライ」は、はしだの加入以前に制作された曲であるため参加していないが、ステージでは彼の持ち歌となっていた。
はしだのりひことシューベルツ
[編集]- はしだのりひことシューベルツを参照。
はしだのりひことマーガレッツ
[編集]- 小学生三姉妹を従えたマーガレッツを結成し、中津川フォークジャンボリーで童謡の「グッドバイ」を演奏。テレビにも出演したが、レコードの発表には至っていない。2ヶ月だけ活動。
はしだのりひことクライマックス
[編集]- メンバーははしだのりひこ、藤沢ミエ、中嶋陽二、坂庭省悟。
- 1971年に「花嫁」が大ヒットし、この年の第22回NHK紅白歌合戦にも出演。他に2枚目のシングル「ふたりだけの旅」がスマッシュ・ヒット。3枚目「この胸に」、4枚目「沈黙」がリリースされた。
- スタジオ録音アルバムは製作途中で頓挫し、ライブアルバムが1枚残されただけであった。
- また、シングルリリースを予定していた「戦争は知らない」や、LP用の「嫁ぐ日」などが、録音されながらも、現在まで30年以上も公式に音盤化されずに、幻となっている。制作途上で解散したことや坂庭の死去もあり公式発表はまず不可能に近い。
はしだのりひことエンドレス
[編集]- メンバーは、はしだのりひこ、林竹洋子、和泉常寛、北村謙(病気のため途中脱退)。千田雄一や、水城英明が在籍した時期も有り。
- 「嫁ぐ日」が水平ヒットとなる。テレビ番組『凡児の娘をよろしく』(関西テレビ制作・フジテレビ系列)のテーマ曲として長く愛された。
- 「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」はメンバー四人のグループ名であり、シューベルツ、クライマックスのみでもメンバー全員のことを指した。エンドレスは、はしだのりひこ以外のメンバーがエンドレスであることが明言されているが、エンドレス単体での活動は行っていない。
- エンドレスは、「嫁ぐ日/霜の音」の他にシングル「時は魔法使い/海はきらいさ」「初恋物語/青春は涙の旅」「ひとり/明日の色は」、LP『はしだのりひことエンドレスVol1』をリリースするが、大ヒット曲のないまま、解散を迎えた。
- カゴメトマトケチャップのCMソング「赤いキッス」(作詞・阿久悠、作曲・小林亜星)を歌っている。
- リードヴォーカルを務めた林竹洋子は解散後、広島県・山口県を拠点としてソロ歌手・ローカルタレントとして活動し、現在は柏村武昭夫人である。柏村と林竹はRCCラジオの『サテライトNo.1』で共演していた。
その後
[編集]ソロ活動を開始。フォークルファミリーとは長らく没交渉に近かったが、2001年にドリーミュージックから出したミニアルバムのライナーノーツには北山修が寄稿している。
並行して妻の看病に専念したとされる時期もあったことから「主夫」としての活動が話題になったこともあり、その方面での法人団体にも関与した。主夫としての体験記を雑誌に連載し、これが後に『おとうさんゴハンまーだ』という本にまとめられ、『風のあるぺじお』の題で映画化された。
2017年4月23日、KBS京都開局65周年企画「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演、約10年ぶりに表舞台に車椅子姿で現れ、10年ほど前からパーキンソン病を患っていたことを公表した。このKBS京都のライブの後に京都市内の病院に入院したため、これが公の場に姿を見せた最後の場となった[2][4]。
2017年5月から白血病も患っており[4]、12月2日午前1時16分、パーキンソン病のため死去[1][2][4]。72歳没。
12月6日に行われた告別式には、参列者約600人が集まり、杉田二郎の音頭の元、ヒット曲「風」を大合唱した[5][6]。
ディスコグラフィ
[編集]グループ
[編集]※ はしだのりひことシューベルツは、はしだのりひことシューベルツ#ディスコグラフィーを参照。
シングル
[編集]発売日 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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はしだのりひことクライマックス | ||||||
1971年1月10日 | A | 花嫁 | 北山修 | 端田宣彦
坂庭省悟 |
青木望 | EP-1274 |
B | この道 | 端田宣彦 | ||||
1971年5月25日 | A | ふたりだけの旅 | 北山修 | 端田宣彦 | 青木望 | ETP-2451 |
B | 青空をつかまえよう | 中嶋陽二 | ||||
1971年9月25日 | A | この胸に | 安井かずみ | 端田宣彦
中嶋陽二 |
青木望 | ETP-2556 |
B | 忘れられないの | 北山修 | 中嶋陽二 | |||
1972年1月10日 | A | 沈黙 | 端田省洋 | 端田宣彦 | 青木望 | ETP-2611 |
B | 愛のポエム | ドン・パック | 中嶋陽二 | |||
はしだのりひことエンドレス | ||||||
1972年10月25日 | A | 時は魔法使い(結婚讃歌) | 織本瑞子
補:阿久悠 |
端田宣彦 | ETP-2745 | |
B | 海はきらいさ | 北山修 | ||||
1973年3月10日 | A | 嫁ぐ日[7] | 端田宣彦 | 瀬尾一三 | ETP-2805 | |
B | 霜の音 | 和泉常寛 | エンドレス | |||
1973年10月25日 | A | 初恋物語 | 松本隆 | 端田宣彦 | 瀬尾一三 | ETP-2926 |
B | 青春は涙の旅 | 端田宣彦 | ||||
1974年6月5日 | A | ひとり | 岩谷時子 | 端田宣彦 | 宮本光雄 | ETP-20015 |
B | 明日の色は | 端田宣彦 | エンドレス |
アルバム
[編集]発売日 | アルバム | レーベル | 規格 | 規格品番 | 備考 |
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はしだのりひことクライマックス | |||||
1971年 | はしだのりひことクライマックス 結成コンサート実況盤
※ 1970年12月13日神田共立講堂。 A面
B面
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東芝EMI | LP | ETP-8107 | |
2003年9月29日 | CD | TOCT-25204 | 紙ジャケット仕様、2003年版24bitリマスター版。 | ||
2005年3月30日 | CD | TOCT-16008 | |||
2016年11月30日 | ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-7202 | ボーナストラック8曲入り。 | |
はしだのりひことエンドレス | |||||
1973年5月5日 | はしだのりひことエンドレスVol.1
※ プロデュース:瀬尾一三 A面
B面
ボーナス・トラック
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東芝EMI | LP | ETP-8250 | |
1995年4月19日 | CD | TOCT-8851 | |||
2006年9月29日 | CD | TOCT-26118 | 紙ジャケット仕様。 | ||
2016年11月30日 | ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-7203 | ボーナストラック5曲入り。 |
ソロ
[編集]シングル
[編集]発売日 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格 | 規格品番 |
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東芝EMI | |||||||
1974年10月5日 | A | 祇園の鳥居 | 端田宣彦 | EP | ETP-20059 | ||
B | かもめ | ||||||
1976年8月20日 | A | 町の灯 | 端田宣彦 | ボブ佐久間 | EP | ETP-10048 | |
B | 父さん | ||||||
1977年9月20日 | A | 若い旅人 | 山川啓介 | 端田宣彦 | EP | ETP-10308 | |
B | 西風バス | ||||||
1977年11月20日 | A | 目は軍艦[8] | EP | ETP-10340 | |||
B | 風に聞け | ||||||
1979年7月5日 | A | 嫁っこは、いねえか | ささきよしのり | 小山内たけとも | EP | ETP-10596 | |
B | 風に聞け | 三上寛 | はしだのりひこ | いしだかつのり | |||
1978年11月5日 | A | へんてこりんロック[9] | 保富康午 | はしだのりひこ | 石田かつのり | EP | ETP-10509 |
B | 星がみつめてる | ||||||
1979年5月10日 | A | 風の行方[10] | 池田平男
補)はしだのりひこ |
はしだのりひこ | EP | ETP- | |
B | たとえば光 | 三上寛 | |||||
ヴァム | |||||||
1989年4月7日 | 1 | 夢を探して | 8cmCD | H00W-30101 | |||
2 | 風(新録音) | 北山修 | 端田宣彦 |
アルバム
[編集]発売日 | アルバム | レーベル | 規格 | 規格品番 |
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1976年9月5日 | たとえば光
※ 編曲:ボブ佐久間 A面
B面
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東芝EMI | LP | ETP-72197 |
2016年11月30日 | ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-7204 | |
1990年6月7日 | BIG ARTIST Best COLLECTION はしだのりひこ
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東芝EMI | CD | TOCT-8840 |
2013年7月10日 | EMIミュージック・ジャパン | 配信 | AAC-LC 320kbps | |
2002年10月9日 | メモリアル
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ユニバーサルミュージック | CD | TOCT-10789 |
2003年1月22日 | 風
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ドリーミュージック | CD | MUCD-1066 |
2010年12月8日 | ゴールデンベスト
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EMIミュージック・ジャパン | CD | TOCT-11262 |
2013年11月27日 | ユニバーサルミュージック | CD | TYCN-60173 | |
2018年12月5日 | CD | TYCN-60173 | ||
2016年11月30日 | メモリアル New Edtion
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ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-7205 |
著書
[編集]- 『おとうさんゴハンまーだ』(教育史料出版会,1986年)ISBN 4876520151
- 『親父たたかう:息子よ、語り合いたいこの時を』(文化出版局,1991年)ISBN 4579303334
- 『自然とおしゃべり:はしだのりひこアウトドア対談』(つむぎ出版,1994年)ISBN 4876681007
- などのエッセイがある。
出演
[編集]テレビ
[編集]- おはようワイド・土曜の朝に(初期の司会)
- ふしぎ犬トントン(第6話ゲスト)
- 必殺シリーズ(松竹 / ABC)
- 時間ですよ2(第11話ゲスト)
- 夜明けの刑事(第2話「キャロル知らない奴はおくれてる」ゲスト)
- 銀河テレビ小説「がんばったンねん」
- お笑い頭の体操
その他のテレビ
[編集]- ママとあそぼう!ピンポンパン(1976年12月31日、フジテレビ) - 『1976 ピンポンパン紅白歌合戦』の審査員。松島トモ子と共に出演[11]。
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]はしだのりひことクライマックスとして出場
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1971年(昭和46年)/第22回 | 初 | 花嫁 | 08/25 | 小柳ルミ子 |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
CM
[編集]演じた俳優
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “はしだのりひこさん死去、今年4月に最後のステージ”. 日刊スポーツ (2017年12月3日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ a b c “訃報 はしだのりひこさん死去 フォーク歌手、72歳 「帰って来たヨッパライ」「花嫁」などヒット”. 産経新聞 (2017年12月2日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ “高橋幸宏の一言から始まった!「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」のいったい「その時代」とは?”. ひとシネマ. 毎日新聞社 (2024年6月1日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ a b c “元フォークル・はしだのりひこさん死去 数年前から療養生活”. デイリースポーツ. 神戸新聞社 (2017年12月2日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ “はしだのりひこさん告別式 600人で「風」を合唱”. 日刊スポーツ (2017年12月6日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ “はしださん葬儀、杉田二郎らが「風」を追悼合唱「大切に歌い続けます」”. デイリースポーツ (2017年12月6日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ 関西テレビ制作・フジテレビ系列テレビ番組『凡児の娘をよろしく』のテーマ曲。
- ^ はしだのりひこと水族館名義。
- ^ フジテレビ系テレビドラマ「ふしぎ犬トントン」主題歌。
- ^ 肱川町イメージソング。
- ^ 『毎日新聞』毎日新聞社。1976年12月31日・(東京)朝刊 同日付の朝刊テレビ欄。16頁。