コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

デリー (巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デリー
前身のニュージーランド海軍軽巡洋艦「アキリーズ」
基本情報
建造所 キャメルレアード社バーケンヘッド造船所[1]
運用者 王立インド海軍→インド海軍
艦種 巡洋艦[1]
級名 英リアンダー級[1]
艦歴
起工 1931年6月11日[1]
進水 1932年9月1日[1]
竣工 1933年10月5日[1]
就役 1948年7月5日(デリーとして)[2]
退役 1978年7月5日(デリーとして)[2]
最期 スクラップとして売却。砲塔など一部部品は保存[3]
要目
基準排水量 7,114t[1]
満載排水量 9,740t[1]
全長 166m(544.5フィート)[1]
水線長 159.1m(522フィート)[1]
最大幅 16.8m(55.17フィート)[1]
吃水 最大6.1m(20フィート)[1]
主缶 アドミラリティ式三胴缶 4基[1]
主機 パーソンズ式ギヤード・タービン 4軸[1]
出力 72,000hp[1]
速力 32kt[1]
燃料 1,800t[1]
乗員 800名[1]
兵装 6インチ連装速射砲 3基
4インチ連装対空砲 4基
40mm対空機関砲 14門(砲架数不詳)
3ポンド砲 4門(砲架数不詳)
53.3 cm四連装魚雷発射管 2基(1958年撤去)[1]
装甲 舷側 4-2インチ
砲室 1インチ
艦橋 1インチ
甲板 2インチ[1]
テンプレートを表示

デリー(Delhi)は、インド海軍 (旧・王立インド海軍) の巡洋艦である。元々はイギリスで1933年に建造されたリアンダー級軽巡洋艦アキリーズ」であり、1948年7月にインドに売却され「デリー」として再就役した[1]。艦番号はC74[1]

王立インド海軍初の主力艦であり、1948年9月にイギリスからインドへ到着した際には、ジャワハルラール・ネルー初代首相がムンバイの桟橋で艦を出迎えた[2]。1957年8月に巡洋艦「マイソール」が就役するまでは、インド海軍の旗艦であった[1][2]

1961年のゴア併合に参加したほか、多数の親善航海を行った[2]。インド海軍の外洋海軍化に当たり、大きな役割を果たしたと評されている[2]

艦歴

[編集]

第二次世界大戦前にニュージーランド海軍に貸与され、ドイツ海軍装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」との戦闘(ラプラタ沖海戦)などに参加、大戦後イギリスに返還された[1][4]。再就役以前の詳細な艦歴は「アキリーズ (軽巡洋艦)」を参照。

1948年7月5日にイギリスから王立インド海軍に売却され、王立インド海軍巡洋艦「デリー」 として再就役した[1][2]

1948年9月にインドに到着[2]

1950年1月26日にインドが共和制に移行したことに伴い、王立インド海軍(Royal Indian Navy)はインド海軍(Indian Navy)に移行した[5]

1951年5月、「アキリーズ」時代のニュージーランドへの貢献とインドへの親善の証として、ニュージーランド政府からデリーのS.G.Karmarkar艦長に盾が贈呈された[6]

1955年に改装を行った[1]

1958年、21インチ4連装魚雷発射管2基が撤去され、艦首甲板がボート格納庫を挟んで配置された40mm連装機関砲の位置まで延長された[1]

1961年12月17日から18日の夜、インドはポルトガル領インドへの侵攻作戦を開始した(ゴア併合[7]。インド海軍には海上の制圧と地上への支援砲撃任務が与えられ、デリーはポルトガルが要塞化していたディーウ島での任務に割り当てられた[7]。インド海軍によると、デリーはポルトガル艦船二隻を発見して砲撃を行い、一隻を撃沈し、もう一隻は乗組員によって自沈した[7]。また、インド陸軍によるディーウ島への侵攻を支援し、砲撃によって要塞と空港の管制塔を無力化したという[7]

1976年、モルディブマレ沖で座礁したインド海軍練習艦「ゴーダーヴァリ」(元・英ハント級駆逐艦「ビデイル」)のサルベージ作業に参加した[2]

就役後期には練習艦として運用された[2]

1978年7月5日に退役[2]。艦体のほとんどは翌年にスクラップとして売却された[3]。3基の主砲塔は保管されることになり、1基はニュージーランド政府に引き取られて記念物となり、もう1基はインド陸軍の砲兵学校に設置された。残る1基はインド海軍が保管していたが、保管中に海軍造船所から行方不明になった[3]。「シロアリに食べられた」ともいわれている[3]

その他

[編集]

1950年代の短期間、デリーは映画「戦艦シュペー号の最後(原題:The Battle of the River Plate)」の撮影のために「アキリーズ」役を演じた[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa Raymond V. B. Blackman, ed (1966). Jane's Fighting Ships 1966-1967. Sampson Low. p. 127 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Cmde Srikant B Kesnur (2020年7月6日). “How Delhi and Mysore pioneered Indian Navy’s blue water odyssey”. thedailyguardian.com. 2024年11月13日閲覧。
  3. ^ a b c d J G Nadkarni. “Why Vikrant should become a national monument”. rediff.com. 2024年11月13日閲覧。
  4. ^ 海軍有終會編輯部同人 共譯『1936年版 ブラッセー海軍年鑑(譯書)』海軍有終會、1936年7月、28頁。 
  5. ^ Genesis of Indian Navy”. インド海軍. 2017年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月14日閲覧。
  6. ^ NEW ZEALAND'S PRESENTATION TO INS DELHI”. archive.pib.gov.in (1951年5月15日). 2024年11月13日閲覧。
  7. ^ a b c d Goa Operation - 1961...”. インド海軍. 2012年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月13日閲覧。