デヤン・ボヨビッチ
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | セルビア | |||
生年月日 | 1983年4月3日(41歳) | |||
出身地 | スメデレヴスカ・パランカ | |||
ラテン文字 | Dejan Bojović | |||
セルビア語表記 | Дејан Бојовић | |||
身長 | 198cm | |||
体重 | 86kg | |||
選手情報 | ||||
愛称 | デキ | |||
ポジション | OH | |||
指高 | 255cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 360cm | |||
ブロック | 345cm |
デヤン・ボヨヴィッチ(セルビア語: Дејан Бојовић[1]、1983年4月3日 - )は、セルビアの元男子バレーボール選手。元セルビア代表。
来歴
[編集]スメデレヴスカ・パランカ出身。
2000年、セルビアリーグのレッドスター・ベオグラードに入団し、2003年のリーグ優勝を経験。名門クラブのヴォイヴォディナ・ノヴィサドを経て、国外のプロリーグへ渡り、ギリシャのオリンピアコス、セリエAのモンティキアーリでプレーした。
2005年、ナショナルチーム代表に選出され、通算88試合に出場。セルビア・モンテネグロ代表として出場した2006年世界選手権予選ラウンド・チュニジア戦ではイヴァン・ミリュコビッチに代わりスタメン出場し、チーム最多得点を挙げて勝利に貢献した[2]。ワールドリーグ、欧州選手権で経験を積み、セルビア代表として2008年北京オリンピックに出場した。
同年、日本の東レアローズへ移籍[3]。東レではオポジットを務め[3]、2008/09 Vプレミアリーグの優勝に貢献するとともに、最高殊勲選手賞受賞とベスト6に選出[4]。第58回黒鷲旗全日本選抜大会でベスト6に選出された[5]。2009/10 Vプレミアリーグでは得点王になった[6]。
2015年5月、現役引退が発表された[7]。
球歴
[編集]所属クラブ
[編集]- レッドスター・ベオグラード (2000-2005年)
- ヴォイヴォディナ・ノヴィサド (2005-2006年)
- オリンピアコス (2006-2007年)
- ガベカ・モンティキアーリ (2007-2008年)
- 東レアローズ (2008-2015年)
脚注
[編集]- ^ セルビア語ラテン翻字: Dejan Bojović
- ^ “2006 FIVB Men's World Championship Pool D - Sendai, Japan” (PDF). FIVB (2006年11月19日). 2010年7月24日閲覧。
- ^ a b “2008/09シーズンの外国人選手のプロフィール”. Vリーグ. 2010年7月24日閲覧。
- ^ “男子も東レ優勝・初のアベック優勝”. Vリーグ (2009年4月12日). 2010年7月24日閲覧。
- ^ “第58回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会” (PDF). 大阪府バレーボール協会 (2009年5月6日). 2010年7月24日閲覧。
- ^ “パナソニックパンサーズが2年ぶり2回目の優勝”. Vリーグ (2010年4月11日). 2010年7月24日閲覧。
- ^ 東レ・アローズ. “ボヨビッチ選手勇退コメント”. 2015年6月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- FIVB公式サイト 選手プロフィール
- セリエA公式サイト 選手プロフィール
- 東レアローズ 選手プロフィール
- デヤン・ボヨビッチ - オリンピックチャンネル
- デヤン・ボヨビッチ - Olympedia
- デヤン・ボヨビッチ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- デヤン・ボヨビッチ - 欧州バレーボール連盟
- デヤン・ボヨビッチ - セリエA