タルサからの24時間
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「タルサからの24時間」 | ||||
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ジーン・ピットニー の シングル | ||||
初出アルバム『Blue Gene』 | ||||
B面 | Lonely Night Dreams (Of Far Away Arms) | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチ・シングル | |||
録音 | 1963年(アルバム『Blue Gene』収録) | |||
ジャンル | ポップス | |||
時間 | ||||
レーベル | ムジコール・レコード | |||
作詞・作曲 | バート・バカラック、ハル・デイヴィッド | |||
プロデュース | ウオーリー・ゴールド、アーニー・シュローダー | |||
チャート最高順位 | ||||
ビルボード17位 | ||||
ジーン・ピットニー シングル 年表 | ||||
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「タルサからの24時間」(英語: Twenty four hours from Tulsa)は、バート・バカラックとハル・デイヴィッドが作詞作曲し、ジーン・ピットニーが1963年に発表した楽曲。全米チャート17位を獲得した。ピットニーの広い声域を生かしたスケールの大きな作品でダスティ・スプリングフィールド盤も評判になった。
解説
[編集]「タルサからの24時間」はジーン・ピットニーとバカラックのコンビの作品のなかでも従来のカントリー調ではなく地名を題名に含めた点でもジム・ウェッブの「恋はフェニックス」を思い起させる。先にバカラックが曲を書き、ハル・デヴィッドが詩をつけるパターンとなったこの作品はピットニーに書いた作品では上質の作品と二人は自負している。[1]イギリスでは全英5位を記録し、他のバカラック作品はチャート・インせず,ヒットした唯一のバカラック作品でもある。アメリカよりイギリスで人気の高かったジーン・ピットニーとしては珍しい現象だが,翌1964年にはダスティ・スプリングフィールド盤も話題になった。[2]
カバー
[編集]- ダスティ・スプリングフィールド - 1964年のアルバム『A Girl Called Dusty』に収録。
- ジェイとアメリカンズ - 1963年のアルバム『At the Cafe Wha?』に収録。
- イアン・アンド・シルヴィア - 1965年のアルバム『Play One More』に収録。
出典
[編集]- ^ Bacharach; Maestro! The life of a pop genius. by Michael Brocken, Chrome Dreams, c2003, p.115-116, ISBN 1-84240-219-6
- ^ Complete book of the British charts; singles & albums, by Neil Warwick, Jon Kutner & Tony rown, , 1961-2006, by Joel Whitburn.Record Research, c2007, p.846, ISBN 0-89820-169-1