コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジョン・ギボンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ギボンズ
John Gibbons
ニューヨーク・メッツ コーチ #68
ブルージェイズでの監督時代(2014年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 モンタナ州カスケード郡グレートフォールズ
生年月日 (1962-06-08) 1962年6月8日(62歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
187 lb =約84.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1980年 MLBドラフト1巡目
初出場 1984年4月11日
最終出場 1986年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ジョン・マイケル・ギボンズJohn Michael Gibbons, 1962年6月8日 - )は、アメリカ合衆国モンタナ州カスケード郡グレートフォールズ出身の元プロ野球選手捕手)、監督。右投右打。

経歴

[編集]

1980年MLBドラフト1巡目(全体24位)でニューヨーク・メッツから指名を受け、プロ入り。1984年にメジャーデビュー。

1986年には初本塁打を放つなど順調に見えたが、メジャーでの出場はこのシーズンが最後となった。

1988年ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。

1989年にはテキサス・レンジャーズへ、1990年にはフィラデルフィア・フィリーズへと移籍を繰り返したがAAA級にとどまり、メジャーの舞台に戻ること無くこの年限りで現役を引退した。

1991年からはメッツに戻り、4年間マイナーでコーチなどの経験を積んだ。

1995年アパラチアンリーグのルーキー級キングスポート・メッツ英語版で監督に就任。初年度からいきなり優勝に導く。

1996年からの2年間はA+級セントルーシー・メッツの監督を務め、1996年は優勝に導くなど監督としての才能を発揮。

1998年はAA級ビンガムトン・メッツの監督に就任。

1999年からはAAA級ノーフォーク・タイズの監督を3年間務めた。

2002年からはメッツを離れ、トロント・ブルージェイズブルペン捕手に転身した。シーズン途中の6月からはバック・マルティネス監督解任により、一塁コーチに就任する。

2004年8月、カルロス・トスカ英語版監督が成績不振により解任され、監督代行として残りのシーズンの指揮を執った。

2005年からは正式に監督に就任した。

2006年シーズン、激戦区のアメリカンリーグの東地区で2位に導いた手腕が評価された。オフに2008年まで契約延長されるなどギボンズに対する周囲の評価は高かった。

2008年6月に契約最終年ながら途中で解任されてしまう。

2009年からの3年間はカンザスシティ・ロイヤルズでベンチコーチ、2012年サンディエゴ・パドレス傘下のAA級サンアントニオ・ミッションズで監督を務めた。

2012年11月20日にトロント・ブルージェイズの監督に5シーズンぶりに復帰することが明らかになった[1]

2016年5月15日に起きたレンジャーズ戦での乱闘[2]で、17日にMLBから3試合の出場停止処分が科せられたことが発表された[3]

2017年8月13日のピッツバーグ・パイレーツ戦で監督通算700勝を達成した[4]

2018年9月26日に同シーズンをもって監督を退任することが報じられた[5]

2023年11月22日にメッツのベンチコーチに就任することが発表された[6]

人物

[編集]

監督としての手腕が高い一方で非常に退場が多い。瞬間湯沸し器の異名があるほどである。また選手とのトラブルも多く、シェイ・ヒレンブランドがギボンズを公然と批判してシーズン途中でサンフランシスコ・ジャイアンツへ放出されている。

テッド・リリーとは投手交代のタイミングでマウンド上で口論。ベンチ裏でも口論を始め、選手全員が仲裁をしにベンチ裏に消えダッグアウトに誰もいなくなるという異常事態に発展した。試合後は両者共に謝罪したが、リリーはシーズン終了後、FAシカゴ・カブスへ移籍した。

また起用法で不満を漏らしたベンジー・モリーナもシーズン終了後にジャイアンツへ移籍している。

その一方で典型的な鬼軍曹タイプと思いきや、普段は選手たちとジョークを言い合って、大声でよく笑うナイスガイであるという証言もある。2006年途中までブルージェイズでプレーしていたエリック・ヒンスキーは「彼は男の中の男」と絶賛し、メッツのマイナー時代からの仲である2006年当時ブルージェイズGMだったJ.P.リッチアーディは「彼の下でプレーできないなら、どこでもプレーできない」「ジョンが怒るのはもっともな時だけだ」とまで言っている[7]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1984 NYM 10 35 31 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 3 1 1 11 0 .065 .171 .065 .236
1986 8 22 19 4 9 4 0 1 16 1 0 0 0 0 3 1 0 5 1 .474 .545 .842 1.388
MLB:2年 18 57 50 5 11 4 0 1 18 2 0 0 0 0 6 2 1 16 1 .220 .316 .360 .676

監督としての成績

[編集]
年度 チーム クラス 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 プレーオフ 備考
1995 Kingsport Mets ルーキー 59 41 18 .695 1位 リーグ優勝
1996 St. Lucie Mets A+ 133 71 62 .534 3位/1位 リーグ優勝
1997 135 54 81 .400 4位/6位
1998 Binghamton Mets AA 142 82 60 .578 2位 第1ラウンド敗退
1999 Norfolk Tides AAA 140 77 63 .550 3位
2000 144 65 79 .451 3位
2001 142 85 57 .599 1位 第1ラウンド敗退
2004 トロント・ブルージェイズ MLB 50 20 30 .400 5位 8月より監督代行
2005 162 80 82 .494 3位
2006 162 87 75 .537 2位
2007 162 83 79 .512 3位
2008 74 35 39 .473 5位 6月に解任。チームの最終順位は4位。
2013 162 74 88 .457 5位
2014 162 83 79 .512 3位
2015 162 93 69 .574 1位 ALCS敗退 1試合の出場停止を含む[8]
2016 162 89 73 .549 2位 ALCS敗退
2017 162 76 86 .469 4位
2018 162 73 89 .451 4位
メジャー通算 1582 793 789 .501
マイナー通算 895 475 420 .531

背番号

[編集]
  • 8(1984年)
  • 35(1986年)
  • 58(2002年 - 2004年)
  • 5(2005年 - 2008年、2013年 - 2018年)
  • 12(2009年)
  • 50(2010年)
  • 49(2011年)

脚注

[編集]
  1. ^ Report: John Gibbons returning as Blue Jays manager MLB.com
  2. ^ Bautista, Gibbons voice displeasure with Rangers MLB.com (英語) (2016年5月15日) 2016年5月27日閲覧
  3. ^ Discipline for Blue Jays-Rangers incidents announced MLB.com Press Release (英語) (2016年5月17日) 2016年5月27日閲覧
  4. ^ Five-run first, stellar Happ lift Blue Jays to win MLB.com (英語) (2017年8月13日) 2017年8月14日閲覧
  5. ^ Laura Armstrong (2018年9月26日). “Blue Jays make it official: John Gibbons won’t be back as manager next year” (英語). The Toronto Star. 2019年1月15日閲覧。
  6. ^ Mets To Hire John Gibbons As Bench Coach”. MLB Trade Rumors (2023年11月22日). 2024年9月10日閲覧。
  7. ^ 「MLBキテレツ紳士録 第41回 ジョン・ギボンズ」『月刊スラッガー』2006年11月号 日本スポーツ企画出版社 59頁
  8. ^ 8月4日のミネソタ・ツインズ戦、ベンチコーチのディマーロ・ヘイル(DeMarlo Hale)の監督代行により勝利

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]