ジョン・ウェズリー・デイヴィス
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ジョン・ウェズリー・デイヴィス John Wesley Davis | |
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W・D・マーフィーによる肖像画(1911年) | |
生年月日 | 1799年4月16日 |
出生地 | アメリカ合衆国、ペンシルベニア州ニューホランド |
没年月日 | 1859年8月22日(60歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国、インディアナ州カーライル |
出身校 | メリーランド大学ボルティモア校 |
前職 | 医師、裁判官 |
所属政党 | 民主党 |
第21代下院議長 | |
在任期間 | 1945年12月1日 - 1947年3月4日 |
選挙区 | インディアナ州第2区 |
当選回数 | 1 |
在任期間 | 1835年3月4日 - 1937年3月3日 |
選挙区 | インディアナ州第2区 |
当選回数 | 1 |
在任期間 | 1939年3月4日 - 1941年3月3日 |
選挙区 | インディアナ州第6区 |
当選回数 | 2 |
在任期間 | 1943年3月4日 - 1947年3月3日 |
ジョン・ウェズリー・デイヴィス(John Wesley Davis, 1799年4月16日–1859年8月22日)は、アメリカ合衆国の医師であり、政治家(1840年代まで)である。
生い立ちと教育
[編集]1799年4月16日、ペンシルベニア州ニュー・ホランドで出生。のちに、両親と共にシッペンズパーグへ移った[1][2]。1921年にボルティモア医科大学を卒業後、1823年にカーライルに移り、医師として開業した[2]。
政治経歴
[編集]州政
[編集]デイヴィスは1828年、インディアナ州上院議員選の候補として政治家人生を始めたが、このときは落選した。その代わり、1829年から1831年までインディアナ州立裁判所の裁判官となった。1831年 - 1833年、1841年 - 1843年、1851年 - 1852年、及び1857年に、インディアナ州下院議員に選出された[1]。1832年 - 1833年、1841年 - 1842年、1851年 - 1852年に、インディアナ州下院議長を務めた[1]。
国政
[編集]第24議会、第26議会、第28議会及び第29議会でインディアナ州選出下院議員を務め、第29議会では下院議長となった[1]。1848年から1850年まで、中国駐在の外交使節を務めた[1]。1852年、民主党全国大会のインディアナ州代表となった[1]。
知事
[編集]1853年、フランクリン・ピアース大統領によりオレゴン準州知事に指名された。だが、彼の指名はオレゴンの人民には歓迎されず、わずか1年余り後に同職を辞した。
死去
[編集]デオヴィスは、1859年8月22日、インディアナ州カーライルで死去[1]。カーライルの市立霊園に埋葬された[1]。
註
[編集]外部リンク
[編集]- ジョン・ウェズリー・デイヴィス - Find a Grave
- Davis, John Wesley politicalgraveyard.com
- Oregon State Library - Governors of Oregon Photographs - Short biography and photograph.
議会 | ||
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先代 ジョン・W・ジョーンズ |
下院議長 1945年12月1日 – 1947年3月4日 |
次代 ロバート・C・ウィンスロップ |
先代 ジョン・ユーウィング |
インディアナ州第2区選出下院議員 1935年3月4日 - 1937年3月3日 |
次代 ジョン・ユーウィング |
先代 ジョン・ユーウィング |
インディアナ州第2区選出下院議員 1939年3月4日 - 1941年3月3日 |
次代 リチャード・W・トンプソン |
先代 デイヴィッド・ウォーレス |
インディアナ州第6区選出下院議員 1943年3月4日 – 1947年3月3日 |
次代 ジョージ・G・ダン |