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ジェイムズ・ローレンス・オア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェイムズ・ローレンス・オア
James Lawrence Orr
在ロシア帝国アメリカ合衆国特命全権公使
任期
1872年12月12日 – 1873年5月5日
大統領ユリシーズ・S・グラント
前任者アンドリュー・カーティン英語版
後任者マーシャル・ジュウェル
第73代サウスカロライナ州知事
任期
1865年11月29日 – 1868年7月6日
副知事W・D・ポーター
前任者ベンジャミン・ペリー英語版
後任者ロバート・スコット英語版
アメリカ連合国上院議員
サウスカロライナ州選出
任期
1862年2月18日 – 1865年5月10日
前任者新設
後任者廃止
第22代アメリカ合衆国下院議長
任期
1857年12月7日 – 1859年3月3日
大統領ジェームズ・ブキャナン
前任者ナサニエル・バンクス
後任者ウィリアム・ペニントン英語版
アメリカ合衆国下院議員
サウスカロライナ州選出
任期
1849年3月4日 – 1853年3月3日
前任者リチャード・F・シンプソン英語版
後任者ウィリアム・エイケン・ジュニア英語版
選挙区第2選挙区英語版
任期
1853年3月4日 – 1859年3月3日
前任者アーミステッド・バート英語版
後任者ジョン・D・アシュモア英語版
選挙区第5選挙区英語版
サウスカロライナ州下院議員
ペンドルトン地区選出
任期
1844年11月25日 – 1848年11月27日
個人情報
生誕 (1822-05-12) 1822年5月12日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 サウスカロライナ州クレイトンヴィル英語版
死没 (1873-05-05) 1873年5月5日(50歳没)
ロシア帝国 サンクトペテルブルク
政党民主党
出身校バージニア大学
兵役経験
所属国 アメリカ連合国
所属組織 アメリカ連合国陸軍
軍歴1861年 – 1862年
部隊 第1サウスカロライナ州ライフル連隊英語版
戦闘南北戦争

ジェイムズ・ローレンス・オア(James Lawrence Orr, 1822年5月12日 - 1873年5月5日)は、アメリカ合衆国政治家1857年から1859年まで第26代アメリカ合衆国下院議長を務め、1865年には公選制で最初のサウスカロライナ州知事に選出された。

生涯

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1822年5月12日、オアはサウスカロライナ州クレイトンヴィルにおいて誕生した。オアは1841年バージニア大学を卒業し、弁護士となった。オアは民主党に参加し、1844年から1848年までサウスカロライナ州下院議員、1849年から1859年まで連邦下院議員を務めた。1857年から1859年までは連邦下院議長も務めた。オアは連邦議会において奴隷制の継続を勧奨し、州の権利を声高に主張した。またオアは南部諸州が連邦離脱することを予期し、州への忠誠を誓った。

南北戦争が勃発すると、オアはサウスカロライナ州のライフル連隊を組織し、指揮した。オアは1862年に連隊を離れてアメリカ連合国で上院議員となったが、その後も連隊はオアの名を掲げ続けた。オアは連合国の上院においても、州権を主張した。

南北戦争が終結後の1865年、オアは公選による最初のサウスカロライナ州知事に選出され、1868年の任期満了まで知事を務めた。オアはその後、1868年から1870年までサウスカロライナ州裁判所の判事を務めた。1872年、オアはユリシーズ・グラント大統領から駐ロシア公使に指名され、サンクトペテルブルクに赴任した。だがオアは着任直後の1873年5月、サンクトペテルブルクで肺炎により死去した。オアはサウスカロライナ州アンダーソンの第一長老派教会墓地に埋葬された。

外部リンク

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  • United States Congress. "ジェイムズ・ローレンス・オア (id: O000104)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
公職
先代
ナサニエル・バンクス
アメリカ合衆国下院議長
1857年12月7日 - 1859年3月4日
次代
ウィリアム・ペニントン
先代
ベンジャミン・フランクリン・ペリー
サウスカロライナ州知事
1865年11月29日 - 1868年7月6日
次代
ロバート・キングストン・スコット
外交職
先代
アンドリュー・カーティン
在ロシア帝国アメリカ合衆国特命全権公使
1873年3月18日 - 1873年5月6日
次代
マーシャル・ジュウェル