ジャン・ロビック
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Robic at the 1947 Tour de France | |||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
本名 | Jean Robic | ||||||||||||||
愛称 |
Biquet (Kid goat) Tête de cuir (Leather-head) Le farfadet de la lande Bretonne[Note 1] Gueule cassée[1] | ||||||||||||||
生年月日 | 1921年6月10日 | ||||||||||||||
没年月日 | 1980年10月6日 (59歳没) | ||||||||||||||
出身地 | Vouziers, France | ||||||||||||||
死没地 | Claye-Souilly, France | ||||||||||||||
身長 | 1.61 m | ||||||||||||||
体重 | 60 kg | ||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
分野 | Road | ||||||||||||||
役割 | Rider | ||||||||||||||
特徴 | Climber | ||||||||||||||
プロ経歴 | |||||||||||||||
1943–1945 | Génial Lucifer, (France) | ||||||||||||||
1946–1949 | Génial Lucifer–Hutchinson, (France) | ||||||||||||||
1950 | Thomann–Riva Sport | ||||||||||||||
1951 | Automoto–Dunlop, (France) | ||||||||||||||
1952–1954 | Terrot–Hutchinson (France) | ||||||||||||||
1955 | Gitane–Hutchinson (France) | ||||||||||||||
1956–1957 | Essor–Leroux (France) | ||||||||||||||
1958–1959 | Margnat–Coupry (France) | ||||||||||||||
1960 | Rochet–Margnat (France) | ||||||||||||||
1961 | Margnat–Rochet–Dunlop | ||||||||||||||
グランツール最高成績 | |||||||||||||||
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ジャン・ロビック(Jean Robic、1921年6月10日-1980年10月6日)は、フランス・アルデンヌ県ヴージエ出身の元自転車競技選手。
経歴
[編集]1947年、第二次世界大戦後初の開催となったツール・ド・フランスにおいて劇的な大逆転優勝を演じる。最終第21ステージを前にして、総合首位はイタリアのピエール・ブランビラ、53秒差の総合2位に同じくイタリアのアルド・ロンコーニが続き、ロビックは2分58秒差の総合3位となっていた。最終ステージはカーンからパリまでの257km。残りあと140km地点において、西フランスチームのロビックは、フランスナショナルチームのメンバーで、総合5位につけていたエドゥアール・ファシュレトネールと呼応してアタックに打って出た。すると総合1、2位のイタリア勢は互いに牽制するあまり反応が遅れ、ステージ制覇を果たすことになるブリック・ショットに対し、ロビック、ファシュレトネールは7分36秒差でゴールしたが、ブランビラ、ロンコーニは、20分41秒遅れでゴールするのがやっと。この結果、ロビックが、ツール・ド・フランス史上初の最終ステージにおけるマイヨ・ジョーヌ奪取に成功した。
その後ツール・ド・フランスでは、1968年にヤン・ヤンセンが、1989年にグレッグ・レモンがいずれも最終ステージで逆転して総合優勝を果たすことになるが、この2例はいずれも個人タイムトライアルでの逆転であり、マスドスタート形式での逆転というのは、2007年現在、ロビックが逆転を決めたこの一例のみである。
1950年、第1回のシクロクロスの世界選手権が開催されたが、ロビックはプロ部門の初代優勝者となった。一方この年のツール・ド・フランスの第11ステージにおいて、イタリアのジーノ・バルタリに転倒させられたことがきっかけとなり、バルタリを含むイタリアナショナルチーム全選手が翌第12ステージ途中で棄権するという事態に繋がった。
気難しい性格が災いし、引退後しばらく、第二の人生をなかなか歩めずにいたという。1980年、フランス中北部のクレイスイイで交通事故に遭い死去した。なお、ロビックが1947年のツール総合優勝を決めるきっかけとなった地点であるルーアンに、ロビックの記念碑が建てられている。
外部リンク
[編集]- ジャン・ロビック - サイクリングアーカイヴス
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- ^ Vergne, Laurent (22 July 2015). “Cannibale, Chéri-pipi, Wookie, Andy torticolis… le Top 20 des surnoms mythiques du cyclisme” [Cannibal, Chéri-pipi, Wookie, Andy Torticollis... the Top 20 mythical nicknames of cycling] (French). Eurosport. 11 April 2016閲覧。