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ジャン=ピエール・ジャブイーユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャン=ピエール・ジャブイーユ
Jean-Pierre Jabouille
ヨーロッパF2時代(エキュリーエルフ・ルノー)
基本情報
フルネーム ジャン=ピエール・アラン・ジャブイーユ
Jean-Pierre Alain Jabouille
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・パリ
生年月日 (1942-10-01) 1942年10月1日
没年月日 (2023-02-02) 2023年2月2日(80歳没)
F1での経歴
活動時期 1974,1975,1977,1978-1980,1981
所属チーム '74 イソ・マールボロウィリアムズ
'74 サーティース
'75 ティレル
'77-'80 ルノー
'81 リジェ
出走回数 55 (49スタート)
タイトル 0
優勝回数 2
表彰台(3位以内)回数 2
通算獲得ポイント 21
ポールポジション 6
ファステストラップ 0
初戦 1974年フランスGP
初勝利 1979年フランスGP
最終勝利 1980年オーストリアGP
最終戦 1981年スペインGP
テンプレートを表示

ジャン=ピエール・アラン・ジャブイーユJean-Pierre Alain Jabouille, 1942年10月1日 - 2023年2月2日)は、フランスの元レーシング・ドライバー1976年ヨーロッパF2チャンピオン。

マスメディアによっては、「ジャン=ピエール・ジャブイユ」「ジャン=ピエール・ジャブイル」等の表記がなされることもある。

経歴

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パリ市に生まれる。高等学校まで終えると、装飾芸術の専攻コースに進学し将来はインテリアデザイナーとして生計を立てる将来像を描いていた[1]アイススケートを得意とする少年で、フランスのスケートジュニアチャンピオンを取ったこともあった[1]。そしてこの頃からパリで仲良くしていた弁護士の息子がおり、常に一緒に行動するような友人だった。その友人とは後にF1レーサーとなるジャック・ラフィットであり、ジャブイーユ家とラフィット家はフランス中部にある山間部の別荘を共同所有しているような家庭同士も非常に強い絆がある関係だった。

ジャブイーユは1967年からプライベータ―としてフランスF3に参戦開始。1969年にアルピーヌワークス・チーム入りを果たす。ル・マン24時間レースにはマトラ・スポーツから出場する一方で、アルピーヌ・ルノーの2000ccスポーツカーでもレースに出場した。

フォーミュラ2にも1968年からスポット参戦していたが、1974年からジェラール・ラルースが指揮するF2エルフ・ワークスチームの一員として本格参戦を開始し、1勝を挙げランキング4位を獲得。この好成績によりF1参戦のチャンスが訪れ、F1第9戦フランスGPでISOウィリアムズから、第12戦オーストリアGPでサーティースからスポット参戦。しかし、どちらも予選落ちとなり公式デビューは果せなかった。

1975年のヨーロッパF2でも1勝を挙げランキング5位と成績を残し、前年に続きF1へスポット参戦のチャンスを掴む。F1第9戦フランスGPにティレルから参戦、予選を21位で通過しF1デビューを果たし、決勝も12位で完走した。

1976年もF2エルフチームからヨーロッパF2へフル参戦。ルネ・アルヌーとシリーズチャンピオン争いを展開し、最終戦でこの年3勝目を挙げて同年のヨーロッパF2チャンピオンを獲得。この頃から彼はルノーのF1ターボ・エンジンプロジェクトに参加し始め、極秘に進められていたこの計画での試運転をする役目であり、この計画に多大な経済的支援をしていたエルフに対して燃料についての具体的な要求や、説得力ある技術解説をするのもジャブイーユの役目であった[1]

ルノーターボマシン開発への尽力

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元々スポーツカーや下位フォーミュラーでルノーと縁があり、実績を残していたジャブイーユは、その後ルノーのF1プロジェクトにおけるドライバーに抜擢される。ルノーのエンジン部門だったベルナール・デュドらと開発し、1977年にはF1史上初のターボ車「RS01」が完成。タイヤ・ガソリンにもそれぞれフランスのミシュランエルフを使用するなど、フランス人のジャブイーユがドライブすることも含めた「オールフレンチ体制」が話題を集めた。

しかしエンジンはターボラグの酷さに加え、信頼性も低いものであった。初陣の1977年第10戦イギリスGPでは、予選21位に沈み決勝でもターボのトラブルでリタイヤ。1977年はこれを含め計5戦にエントリーしたが、リタイヤ4回・予選落ち1回と一度も完走出来なかった。

1978年は速さを獲得し、予選で3位グリッドを2度獲得するなど上位に食い込むようになる。第15戦アメリカ東GPでは、4位に入り自身及びチームにとっての初入賞を記録している。しかし信頼性の低さは変わらず、参戦した14戦中完走は4回であった。

1979年

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チームメイトにF2時代からのライバル、ルネ・アルヌーを迎え、ルノーは2台体制となった。車両の速さは前年以上となり、ジャブイーユは予選で4度のPPを獲得した。このうち地元の第8戦フランスGPではポールトゥーウィンで自身の初優勝を挙げた。このレースは「フランス人が、フランスGPにおいて、フランス製のガソリンとタイヤを使用したフランスチームのマシンを駆り初優勝を成し遂げたレース」となった。また、これはチームにとっても初優勝であり、開発の努力が報われる結果となった。このレースは、アルヌーとフェラーリジル・ヴィルヌーヴが、終盤に激しい2位争いを展開したGPとしても知られている。

年間を通しては15戦中完走4回と、相変わらず信頼性の無いマシンに泣かされる結果となった。

1980年

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ルノーでの3シーズン目となり、予選ではPP2回など好位置につけ、第10戦オーストリアGPでは予選2位から自身2勝目を記録。しかし、トラブルの多さは相変わらずでリタイヤを連発、結果的にゴール出来たのはオーストリアGPのみとなった(第4戦アメリカ西GPは、リザルト上完走扱い)。また同僚のアルヌーが2勝を挙げるなどの活躍を見せる中で、ジャブイーユは第9戦までノーポイントとなったことでチームもドライバーズチャンピオンの可能性が残っていたアルヌーを中心に動きつつあった[1]

そんな中でジャブイーユは、ターボエンジンの開発経験と、ターボでの優勝経験を持つ数少ないドライバーであり、新たにターボを開発し始めていた他チームからその能力を高く評価され、翌シーズンに向けて移籍市場の目玉とされるようになった[2]。フェラーリ、ブラバムアルファロメオから移籍の打診を受け[2]、ジャブイーユは一旦交わしていたルノーとの来期契約を破棄し、検討の末マトラと契約。ルノー同様、ターボマシンの開発を担当する予定となっていた。しかし第13戦カナダGPでルノーにプレーキ・トラブルが発生し[1]、減速できないままコンクリート壁にクラッシュし両足を骨折。最終戦アメリカ東GPは欠場を余儀なくされ、シーズンを終えた。

ルノー離脱後

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1981年はマトラエンジンを搭載するリジェからの参戦。親友であり義兄弟であるラフィットとのコンビとなった。骨折からの回復に務めるも開幕戦は間に合わず、第3戦から実戦に復帰。しかし負傷の影響もあり3度の予選落ちと3度のリタイヤという結果に終わる。地元フランスGPが迫っていたが、自身の不甲斐ない成績にシーズン半ばにしてジャブイーユは引退を決断。第7戦スペインGPが最後となり、地元グランプリを走ることなくグランプリ・パドックを去った[1]

F1後は地元フランスでスポーツカーレースに参戦し、プジョーBMWを駆り活躍した。また1994年からのプジョー・エンジンのF1参戦では、チームディレクターとしてマクラーレン・プジョーに関わった。

レーサー引退後(2012年)

2023年2月2日、死去。80歳没[3]

人物

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  • ドライバーとしてだけではなく、マシンデザインやエンジニアとしての能力も持っていた。これは特別に専門校で学んだ結果ではなく、初めてレースに出場した時に乗っていたルノー・アルピーヌA110・ベルリネッタを2年間独学で研究し続けた結果得た能力で、レーシングカーに対しての明晰な分析能力があった[1]。1976年には自身のデザインしたマシンでヨーロッパF2タイトルを獲得した。
  • 1975年の富士グランチャンピオンレース第4戦の予選でポールポジションを獲得したが、決勝は雨のため順延。スケジュールが合わなかったため棄権している。
  • 少年時代からの友人であるジャック・ラフィットとは義兄弟(互いの妻が姉妹)でもある。ジャブイーユの妻の名前はジェヌヴィエーブ、ラフィットの妻の名前はベルナデット。
  • 1981年のスペインGPでは、「兄弟愛」で、マクラーレンのジョン・ワトソンをブロックし、先行するチームメイトのラフィットに進路を譲った[4]

レース戦績

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略歴

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シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
1968 ヨーロピアン・フォーミュラ2英語版 マトラ・スポーツ 1 0 0 0 0 0 NC
ル・マン24時間レース ソシエテ・デ・オートモビレ・アルピーヌ 1 0 0 0 0 0 NC
1969 2 0 0 0 0 0 NC
1970 ヨーロピアン・フォーミュラ2 コンストラクションズ・メカニキ・ピグミー 2 0 0 0 0 2 16位
ル・マン24時間レース エキップ・マトラシムカ 1 0 0 0 0 N/A DNF
1971 ヨーロピアン・フォーミュラ2 エキップ・テクノ・エルフ 1 0 0 0 0 0 NC
1972 エルフ・ジョン・クームズ 8 0 0 0 1 7 14位
ル・マン24時間レース エキップ・マトラ=シムカ・シェル 1 0 0 0 0 N/A DNF
1973 ヨーロピアン・フォーミュラ2 エルフ・ジョン・クームズ 5 0 0 0 0 3 24位
ル・マン24時間レース エキップ・マトラ=シムカ・シェル 1 0 0 0 1 N/A 3位
1974 ヨーロピアン・フォーミュラ2 エキュリー・エルフ 7 1 1 3 3 20 4位
世界スポーツカー選手権 エキップ・ジタン 2 0 0 0 1 0 NC
フォーミュラ1 フランク・ウィリアムズ・レーシング・カーズ 0 0 0 0 0 0 NC
チーム・サーティース 0 0 0 0 0
1975 ヨーロピアン・フォーミュラ2 エキュリー・エルフ 13 1 1 3 3 24 5位
世界スポーツカー選手権 エルフアルピーヌルノー 4 1 2 1 2 0 NC
フォーミュラ1 エルフ・チーム・ティレル 1 0 0 0 0 0 NC
1976 ヨーロピアン・フォーミュラ2 エキュリー・エルフ 12 3 4 1 6 53 1位
世界スポーツカー選手権 エルフ・アルピーヌ=ルノー 4 0 0 0 1 0 NC
ル・マン24時間レース ルノー・スポール 1 0 0 0 0 N/A DNF
1977 フォーミュラ1 エキップ・ルノー・エルフ 4 0 0 0 0 0 NC
ル・マン24時間レース エキップ・ルノー・エルフ 1 0 0 0 0 N/A DNF
1978 フォーミュラ1 エキップ・ルノー・エルフ 14 0 0 0 0 3 17位
ル・マン24時間レース エキップ・ルノー・エルフ・スポール・カルバーソン 1 0 0 0 0 N/A 4位
エキップ・ルノー・エルフ・スポール N/A DNF
1979 フォーミュラ1 エキップ・ルノー・エルフ 14 1 4 0 1 9 13位
1980 13 1 2 0 1 9 8位
1981 エキップタルボジタン 3 0 0 0 0 0 NC
1987 世界ツーリングカー選手権 バストス・レーシング・チーム英語版 1 0 0 0 0 0 NC
1989 ル・マン24時間レース チーム・ザウバーメルセデス 1 0 0 0 0 N/A 5位
1990 世界スポーツカー選手権 プジョー・タルボ・スポール 2 0 0 0 0 0 NC
1991 ル・マン24時間レース 1 0 1 0 0 N/A DNF
1992 1 0 1 0 0 N/A 3位
1993 1 0 1 0 0 N/A 3位

ヨーロピアン・フォーミュラ2選手権

[編集]
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1967年 マトラ・スポーツ マトラ・MS7 コスワース FVA HOC THR JAR PAL TUL ZAN PER HOC
9
VAL NC 0
1970年 コンストラクションズ・メカニキ・ピグミー ピグミー・MDB15 コスワース FVA THR
DNQ
HOC BAR
11
ROU
DNQ
PER
8
TUL IMO
DNQ
HOC
DNS
16位 2
1971年 エキップ・テクノ・エルフ テクノ・TF71 フォード BDA HOC
Ret
THR NÜR JAR
DNQ
PAL
DNQ
ROU
DNQ
MAN TUL ALB
DNQ
VAL VAL NC 0
1972年 エルフ・ジョン・クームズ マーチ722 フォード BDA MAL
Ret
THR HOC IMO
NC
MAN
2
PER
Ret
14位 7
アルピーヌ・A367 PAU
DNQ
PAL HOC ROU
DNS
ÖST
Ret
SAL
9
ALB
Ret
HOC
10
1973年 エルフ・ジョン・クームズ アルピーヌ・A367 フォード BDA MAL HOC THR
Ret
NÜR
Ret
PAU KIN NIV HOC ROU
DNS
MNZ MAN
Ret
KAR PER
Ret
SAL NOR ALB
5
VAL 24位 3
1974年 エキュリー・エルフ アルピーヌ・A367 BMW BAR
3
HOC PAU
4
SAL
Ret
HOC
1
MUG
7
KAR PER HOC
3
VAL
Ret
4位 20
1975年 エルフ・2J EST
8
THR
5
HOC
Ret
NÜR
4
PAU
2
HOC
Ret
SAL
1
ROU
Ret
MUG
Ret
PER
Ret
SIL
Ret
ZOL
Ret
NOG
3
VAL 5位 24
1976年 エキュリー・エルフ エルフ・2J ルノー HOC
Ret
THR
14
VAL
1
SAL
6
PAU
3
HOC
4
ROU
2
MUG
1
PER
4
EST
2
NOG
Ret
HOC
1
1位 53

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1968年 フランスの旗 ソシエテ・デ・オートモビレ・アルピーヌ フランスの旗 ジャン・ギシェ アルピーヌ・A220 - ルノーゴルディーニ P
3.0
185 DNF DNF
1969年 フランスの旗 パトリック・デパイユ アルピーヌ・A220/69 - ルノーゴルディーニ 209 DNF DNF
1970年 フランスの旗 エキップ・マトラ - シムカ フランスの旗 パトリック・デパイユ
オーストラリアの旗 ティム・シェンケン
マトラシムカ - MS650 70 DNF DNF
1972年 フランスの旗 エキップ・マトラ - シムカシェル イギリスの旗 デヴィッド・ホッブス マトラシムカ - MS660C S
3.0
278 DNF DNF
1973年 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジョッソー マトラシムカ - MS670B 331 3位 3位
1974年 フランスの旗 エキップ・ジタン フランスの旗 フランソワ・ミゴール マトラシムカ - MS670C 324 3位 3位
1976年 フランスの旗 ルノー・スポール フランスの旗 パトリック・タンベイ
フランスの旗 ジョゼ・ドレム
ルノーアルピーヌ A442 135 DNF DNF
1977年 フランスの旗 エキップ・ルノー・エルフ イギリスの旗 デレック・ベル S
+2.0
257 DNF DNF
1978年 フランスの旗 エキップ・ルノー・エルフ・スポール・カルバーソン フランスの旗 ギ・フレクラン
フランスの旗 ジャン・ラニョッティ
フランスの旗 ジョゼ・ドレム
ルノーアルピーヌ A442A 358 4位 4位
フランスの旗 エキップ・ルノー・エルフ・スポール フランスの旗 パトリック・デパイユ ルノーアルピーヌ A443 279 DNF DNF
1989年 ドイツの旗 チーム・ザウバーメルセデス フランスの旗 ジャン=ルイ・シュレッサー
フランスの旗 アラン・クーディニ
ザウバー・C9 - メルセデス C1 378 5位 5位
1991年 フランスの旗 プジョー・タルボ・スポール イタリアの旗 マウロ・バルディ
フランスの旗 フィリップ・アリオー
プジョー・905 C1 22 DNF DNF
1992年 イタリアの旗 マウロ・バルディ
フランスの旗 フィリップ・アリオー
プジョー・905 Evo 1B 345 3位 3位
1993年 イタリアの旗 マウロ・バルディ
フランスの旗 フィリップ・アリオー
367 3位 3位

フォーミュラ1

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1974年 ウィリアムズ (イソ・マールボロ) FW フォード・コスワース DFV 3.0 V8 ARG BRA RSA ESP BEL MON SWE NED FRA
DNQ
GBR GER NC 0
サーティース TS16 AUT
DNQ
ITA CAN USA
1975年 ティレル 007 ARG BRA RSA ESP MON BEL SWE NED FRA
12
GBR GER AUT ITA USA NC 0
1977年 ルノー RS01 ルノーゴルディーニ EF1 1.5 V6 t ARG BRA RSA USW ESP MON BEL SWE FRA GBR
Ret
GER AUT NED
Ret
ITA
Ret
USA
Ret
CAN
DNQ
JPN NC 0
1978年 ルノー RS01 ルノーゴルディーニ EF1 1.5 V6 t ARG BRA RSA
Ret
USW
Ret
MON
10
BEL
NC
ESP
13
SWE
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
Ret
USA
4
CAN
12
17位 3
1979年 ARG
Ret
BRA
10
RSA
Ret
USW
DNS
13位 9
RS10 ESP
Ret
BEL
Ret
MON
NC
FRA
1
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
14
CAN
Ret
USA
Ret
1980年 RE20 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
Ret
USW
10
BEL
Ret
MON
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
1
NED
Ret
ITA
Ret
CAN
Ret
USA 8位 9
1981年 タルボリジェ JS17 マトラ MS81 3.0 V12 USW BRA ARG
DNQ
SMR
NC
BEL
Ret
MON
DNQ
ESP
Ret
FRA GBR GER AUT NED ITA CAN CPL NC 0

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 無冠の帝王③ターボ革命に捧げたレース人生 ジャン-ピエール・ジャボイーユ グランプリ・エクスプレス フランスGP号 14-15頁 山海堂 1989年7月29日発行
  2. ^ a b HISTORY of GP LIGIER グランプリ・エクスプレス メキシコGP号 18-19頁 1989年6月17日発行
  3. ^ "ルノーF1に初優勝もたらしたジャン=ピエール・ジャブイーユが死去。享年80歳". motorsport.com. 2023年2月3日. 2023年2月3日閲覧
  4. ^ 『激走!F1』文藝春秋文春文庫ビジュアル版、p.64、1991年。

関連項目

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タイトル
先代
ジャック・ラフィット
ヨーロッパF2 チャンピオン
1976
次代
ルネ・アルヌー