ゲイル・コリンズ
ゲイル・コリンズ | |
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生誕 |
1941年2月2日 アメリカ合衆国 |
死没 |
2013年12月6日 (72歳没) メキシコ ハリスコ州 Ajijic |
国籍 | アメリカ合衆国 |
著名な実績 | イラスト、作詞 |
配偶者 | フェリックス・パパラルディ |
ゲイル・コリンズ(Gail Collins、1941年2月2日 - 2013年12月6日)は、アメリカ合衆国のイラストレーター、デザイナー、作詞家。
1960年代末から1970年代半ばまで、ロック・バンドのマウンテンと共同活動を行なった。
略歴
[編集]イギリスのJ・R・R・トールキンに大きな影響を受け、彼と短い書簡を交わしたこともあった[1]。
1967年、後に夫になるフェリックス・パパラルディ[注釈 1]がイングランドのロック・バンドのクリームのセカンド・アルバムのプロデューサーに起用されると、パパラルディ、メンバーのエリック・クラプトンと「ストレンジ・ブルー」、パパラルディと「苦しみの世界」を共作した。
1969年、パパラルディと結婚[注釈 2]。同年、彼がベーシスト兼ヴォ―カリストとしてマウンテンを結成すると、アルバム・ジャケットと夫のステージ衣装をデザインし[2]、共作者として曲作りにも携わった[3][注釈 3]。1974年末にマウンテンが解散した後も夫の音楽活動に参加し、『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』(1976年)では夫と共に収録曲の全曲に共作者もしくは編曲者として名を連ねた[4]。
1983年4月17日、マンハッタンのアパートの自宅でパパラルディの首を撃ち、死に至らしめた[5][6][注釈 4]。パパラルディは享年43歳[7]。彼女は第二級殺人で訴追されたが、射撃練習中の事故と主張[注釈 5]し、過失致死罪として懲役4年の実刑判決を受けた[5][8]。収監されて服役したが、刑期の半分で仮釈放された。
2013年12月6日、メキシコ・ハリスコ州Ajijicの自宅で死亡しているのを発見された[8]。享年72歳。
活動
[編集]以下、共同活動を行なったバンドもしくはミュージシャン別に記す。
- フェリックス・パパラルディ
- Love Someday / You Lie To Me(1967年)[9]※プロモーション・シングル。共作。
- バースロミュー・プラス・スリー
- クリーム
- ヤングブラッズ
- Elephant Mountain(1969年)※1曲を共作。
- レスリー・ウエスト
- マウンテン
以下のアルバムのジャケット・デザインを担当し、収録曲の幾つかを共作した。
- 『勝利への登攀』 - Climbing!(1970年)※6曲を共作。
- 『ナンタケット・スレイライド』 - Nantucket Sleighride(1971年)※7曲を共作。
- 『悪の華』 - Flowers of Evil(1971年)※4曲を共作。
- 『マウンテン・ライヴ 暗黒への挑戦』 - Live - The Road Goes Ever On(1972年)
- 『異邦の薫り』 - Twin Peaks(1974年)
- 『雪崩』 - Avalanche(1974年)※5曲を共作。
- クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ
- 『クリエイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』 - Creation with Felix Pappalardi (1976年) ※8曲を共作。
- ホット・ツナ
- Double Dose(1978年)※アソシエイト・プロデューサー。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ニューヨークの出身。ミシガン大学に進学してクラシック音楽を学び、卒業後にニューヨークに戻ってアレンジャーや音楽プロデューサーとして仕事を行った。1966年、RCAレコードと契約を結んだヤングブラッズのアルバムをプロデュースした。1967年5月、アトランティック・レコードのトム・ダウドによってクリームのプロデューサーに抜擢された。
- ^ クリームのメンバーだったジャック・ブルースが結婚式の介添人(ベストマン)を務めた。
- ^ 夫以外のメンバーの共作者の場合もあった。
- ^ マウンテンのドラマーだったコーキー・レイングは、自伝に「彼女はフェリックス本人から、彼が自分を去って既に関係を持っていた別の女性の所に行くと聞かされて、この年の初めに彼に買い与えられた拳銃を取り出して、無言で彼に向けて発射した」(意訳)と記した。
- ^ パパラルディに愛人がいることを知っていたことを認めたが、 殺意を否定した。
出典
[編集]- ^ Laing & Takala (2019), p. 130.
- ^ Laing & Takala (2019), pp. 13–14, 51, 125, 130.
- ^ Laing & Takala (2019), p. 204.
- ^ “Discogs”. 2024年9月14日閲覧。
- ^ a b Huey, Steve. “Felix Pappalardi - Biography & History”. AllMusic. 2016年2月13日閲覧。
- ^ Laing & Takala (2019), pp. 202–205.
- ^ Stanton, Scott (2003-09-01). The Tombstone Tourist: Musicians. Simon and Schuster. p. 353. ISBN 9780743463300 – Google Books参照
- ^ a b Giles, Jeff (2014年2月25日). “Mountain Bassist Felix Pappalardi’s Ex-Wife and Killer Found Dead in Mexico”. Ultimate Classic Rock. Diffuser Network. 2016年2月13日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2024年9月14日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2024年9月21日閲覧。
- ^ Laing & Takala (2019), pp. 48–49.
引用文献
[編集]- Laing, Corky; Takala, Tuija (2019). Letters To Sarah. Helsinki: Polite Bystander Productions. ISBN 978-952-94-1530-4